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川丹先生に伴はれて東国の上を飛行するに、夜中なれども大空はあかく晴れたる如くなれども地は闇く見えたるに、一つの火玉現はれて川にうつり、矢よりも早く水上を行きけり。川丹先生に問へば「此下は勢州壹志郡川俣川なり。彼の見ゆる火玉は藤原千方といへる人の霊魂なり。今宵は地気の雨を催したる故に空よりもよくみゆるなり」と宣ひけり。「これは深き故あることにて、又事のついでに語るべし」と宣ひき。其後此由縁を語り給ひければ別に委しく書きつけ置きぬ。藤原千方の四鬼(ふじわらのちかたのよんき)とは、三重県に伝
パラっとページを捲ってみたら何と1ページ2段組の約550ページ・・これ・・最後まで読めるかな?と多少怯んでしまいましたしかし、5日掛かって何とか読了。極楽征夷大将軍Amazon(アマゾン)タイトル「極楽」ってどういうこと?って思いながら読み始めたけど帯にもあるように極楽トンボ的な無責さで暢気な室町幕府初代将軍、足利尊氏でしたね。弟の直義が兄に向けた言葉の中に「腑抜け」「能天気」「不甲斐ない」とかあって情けなさを感じておりそれは私も共感してしまう・・・真
吉川英治著「私本太平記」全8巻のうち、第3巻まで読み終えました。鎌倉幕府討幕、南北朝の対立、室町幕府誕生を描いた作品です。足利又太郎高氏(後に尊氏)18歳のときから物語は始まります。太平記の主要人物である足利高氏、新田義貞、楠木正成、後醍醐天皇がどのような立場か、は軽く触れられています。朝廷の反乱と後醍醐天皇を初めとする首謀者の処刑、島流し。楠木正成の赤坂での敗戦と雌伏。足利高氏は何か思うところはありつつも鎌倉幕府陣営。という序盤です。この室町幕府誕生までは勢力図がややこしく、
米子駅前で晩ごはん出雲大社さんから米子へ移動して太平記地元の居酒屋さん宿泊先のホテルで二人で1万円分のクーポンをもらったし賑わってはる居酒屋さんやったわ
今回の話のメイン感想はやはりこの人と言ってもいいでしょう。第1回人気投票で3位を獲得した皇子武将・護良親王初登場時から松井センセイも凄い感情移入している様子が絵越しからもヒシヒシと伝わってきました。鎌倉幕府倒幕においても彼もまた不可欠な武将として活躍した存在。にもかかわらず、南北朝時代の絶対的主人公・南北朝のラスボス足利尊氏によってその存在は霞んだものとなってしまい、おまけに本作では誰よりもラスボスが「人間にあらざる存在」であることを誰よりも看破しながら、尊氏の前に惨敗して、失脚…今回彼は
日本最古の学校足利学校洗濯とか終わらせて、ホテルを出ての近くに、史跡足利学校があります。史跡足利学校【お知らせ】ご参観のみなさまへのお願い新型コロナウイルス感染拡大防止のため、ご参観のみなさまに以下のお願いをしております。マスクの着用は任意です。手指の消毒にご協力をお願いします。定期的な部屋の換気を行います。足利学校は、日本で最...www.city.ashikaga.tochigi.jpもう何十年も前に一度来たことあったけどね。再訪問。Suicaでピィ!で支払い完了
祇王寺のすぐ上にあるのに参拝したことがなかったけど、新田義貞の首塚があることを知ったので立ち寄らせて貰いました。2枚目が、新田義貞の首塚。3枚目は、彼の妻であり、三条河原でさらし首になっていた夫の首を盗ん持ち帰ったと言われている匂当内侍の供養塔。2023.8.13撮影。
昨日は宵のうちに横になったので、今朝は早々と目が覚めました。ふと耳を澄ますと、鈴虫が鳴いています。日中は「暑い暑い」と言ってはいても、季節は確実に秋へ向かっているのですね。初めて一年間を通じ大河ドラマを視聴したのは、91年の「太平記」だったと思います。真田広之さんが足利尊氏を演じました。日曜の早朝にNHKのBSで、昔の大河ドラマの再放送をしていまして、2-3年前に太平記を放映したので、久しぶりに見ました。その中で、片岡孝夫さん演じる後醍醐帝の影響を受け、討幕運動に身を投じる若い公卿「日野
8月13日(日)、夏季休暇の中日、今月3回目の鎌倉に寄ってきました✨時刻は午後3時50分葛原岡神社に到着しました✨北鎌倉駅でどしゃ降りの雨に見舞われましたが、すっかり上がってしまいました当日は二匹の亀の生存を確認写真には写っていませんが、私の足下近くにもう一匹居ました✨葛原岡神社は人気スポットの銭洗弁財天から、徒歩5分ですが、坂道がキツいので参拝者も疎らです縁結びの神様にお祈りされたい方には、鎌倉駅西口から徒歩30分、またはタクシーでの参拝をお勧めします。わたくし、神社の広報では
大地康雄(170cm,1951年11月25日(70歳))は-оテレビドラマо『太平記(NHK大河ドラマ)』1991年(43歳)о『刑事・鬼貫八郎』1993年(45歳)-2005年(57歳)о映画о『マルサの女』1987年(39歳)-1988年(40歳)о『バカヤロー!私、怒ってます』1988年(40歳)о『ミンボーの女』1992年(44歳)-出演。★大地康雄(170cm,1951年11月25日(70歳))出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipe
和束井手線を、駒岩の左馬、岩壷を巡って、後醍醐天皇松の下露跡へやってきました。🛵京都府綴喜郡井手町多賀片原山後醍醐天皇一行は、山城国綴喜郡多賀村の有王山をさ迷い歩いていたらしい。太平記では1331年、笠置山に籠る後醍醐天皇が敗走し疲れきって、万里小路藤房、季房と和歌を詠んだ場所です。笠置山からこの場所に来る道筋は、木津川を渡り瓶原(恭仁京跡)~(海住山寺?)~神童子を経て。太平記巻第三主上笠置を御没落の事笠置が陥落、後醍醐天皇は万里小路藤房・季房兄弟とのわずか3人で、赤坂目指して
鎌倉宮に展示されている大河ドラマ「太平記」の出演者インタビュー記事‥最後は足利尊氏から楠木正成さんまで一挙勢揃いです。(見えにくいところ多々あります)この足利尊氏さんはそれはそれはかっこよかったです。鎌倉の流鏑馬の場面も、真田広之さんご本人でこなしたというレジェンドが。JACのアクションスターぶりを惜しみなく拝める場面のたびに、真田さんの魅力がTwitterでも話題にあがっていました。(笑)以前他の資料で「撮影中に不思議な体験も色々あった。当時の人たちからのメッセージかな」という記
2019/05/10御朱印集めはやらない予定でしたが、熊本旅行で菊池神社に行った時に南朝十五社という御朱印を始めてしまったので、十五社の一つ、北畠顕家公が祀られている阿部野神社も行きました。芸事の神社でもあるので、ボサノバライブ企画の成功も祈願して来ました。大河ドラマ、太平記では、後藤久美子さんが演じていました。公家ながら弓の名手だったとか?ここからは、完全逆再生😅中の鳥居⛩️入り口の鳥居⛩️入り口の鳥居⛩️全体入り口の鳥居⛩️、遠景。鳥居の前が長い1本道の神社は、何やら威厳
『大河ドラマ「太平記」インタビュー記事/護良親王』鎌倉宮旧官幣中社大塔宮鎌倉宮鎌倉市二階堂154御祭神:大塔宮護良親王先日久しぶりの鎌倉宮へ参拝しました。夏空に白い鳥居が映えます〜昔の獅子頭が並べられ…ameblo.jp『大河ドラマ「太平記」インタビュー記事/北畠親房&顕家』『大河ドラマ「太平記」インタビュー記事/護良親王』鎌倉宮旧官幣中社大塔宮鎌倉宮鎌倉市二階堂154御祭神:大塔宮護良親王先日久しぶりの鎌倉宮へ参拝しました。…ameblo.jp鎌倉宮に展示されている大河ドラマ「太平
『大河ドラマ「太平記」インタビュー記事/護良親王』鎌倉宮旧官幣中社大塔宮鎌倉宮鎌倉市二階堂154御祭神:大塔宮護良親王先日久しぶりの鎌倉宮へ参拝しました。夏空に白い鳥居が映えます〜昔の獅子頭が並べられ…ameblo.jp鎌倉宮に展示されているレジェンド大河「太平記」出演者インタビュー記事。続いては北畠親房と顕家親子近藤正臣さんと後藤久美子さんです蘭陵王が好きすぎて、YouTubeで見ては惚れ惚れしているのですが(笑)、後藤久美子さんも舞っていましたよ〜後醍醐天皇自らが吹
鎌倉宮旧官幣中社大塔宮鎌倉宮鎌倉市二階堂154御祭神:大塔宮護良親王先日久しぶりの鎌倉宮へ参拝しました。夏空に白い鳥居が映えます〜昔の獅子頭が並べられている展示室が冷房がよく効いていて休まりましたこんな記事も展示されていました‥護良親王役の堤大二郎さん護良親王姿の写真横に「CDを出しました」と書いてあり脳内バグりました。(笑)宮「今年八年ぶりにCDを出しました」大河ドラマ「太平記」(1990-91)は再放送を見ました。鎌倉宮で幽閉中の護良親王の場面もあり、北条一
梅宮神社の後、去年行ったけど入るの諦めた地蔵院に向かいます。その道すがら、すごく紫陽花が綺麗な場所があったので今年も見てみようと同じルート歩いて行きました。前日大雨だったので川の流れがすごかった。普段は清らかで流れの穏やかな川なんですよ。谷ヶ堂最福寺延朗堂去年は最初に松尾大社から歩いて来たので、ここまでが二里って事かな。ネット情報↓↓↓松尾、谷ヶ堂、最福寺開山、延朗上人については、元享釋書、太平記、三井寺続燈記、雨月物語等に詳しく記されている。それによると、上人は、但
https://yamap.com/activities/25251263福山・和霊山・幸山/かぐやさんの福山・江田山・高鳥居山の活動データ|YAMAP/ヤマップ到着がお昼だったので、計画とは逆ルートにしました。途中、トイレを探すなどでかなりタイムロスしましたが、楽しかったです。yamap.com日帰り登山とランニングという趣味を復活させました。YAMAP使って、ソロ登山デビュー
楠木正成の足跡めぐり観心寺から移動して来ました。🛵。。。総門。使用されてませんねぇ。金網がまあまあ邪魔ですねぇ。お隣の門を通って駐車場へ。🛵。。。天野山金剛寺(以下、金剛寺)は、奈良時代、天平年間(729~749年)に聖武天皇〔しょうむてんのう〕に帰依を受け、日本最初の大僧正の位を授けられた和泉国出身の高僧の行基によって開かれたといわれています。また、平安時代に弘法大師(空海)が修行した聖地といわれています。天野川。本坊。後で入らせていただきます。大講堂。金剛寺全景図。女
源義経が戦死した文治五年閏四月三十日。万年暦に直すと1189年6月22日になります。日本の旧暦に出てくる「閏月」ってよくわからんって人が多いと思いますが、ぢつは閏月のほうが万年暦に直しやすい。閏四月というのは「小満と夏至の間の29~30日間」のこと。ですから閏四月三十日というのは夏至の前日になるわけです。本によっては衣川合戦を「西暦1189年6月15日」と書いていますが、これは「当時の西暦」(西暦の旧暦・ユリウス暦)での日付です。今月の初旬に「本能寺の変は新暦6月21日」を
楠木正成(大楠公)の足跡めぐりのつづき。観心寺へやって来ました。🛵。。。楠木家代々の菩提寺新西国三十三所の客番、関西花の寺第二十五番。701年、役行者によって開創されたとされる古刹。弘仁6年(815)、弘法大師空海が真言宗の道場として再建。開創当初は「雲心寺」と呼ばれましたが、再建の際、空海が如意輪観世音菩薩(七星如意輪観世音菩薩)を刻んで本尊とし、寺号を「観心寺」と改めました。山門。楠公学問所中院。奥へ進みます。手水舎。花手水やぁ〜鎮守堂(訶梨帝母天堂)。弘法大師が勧請
楠木正成史跡巡り。下赤坂城跡へやってきました。🛵。。。草むらやん。ちゃんと整備してよ〜。元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕計画が発覚し、後醍醐天皇が笠置山に逃れました。楠木正成はこれに合わせて挙兵、この赤阪城を急いで築城しました。しかし、にわか造りであったため、すぐに落城、正成はいったん退きます。その後、元弘2年(1332)、正成はこの城を再び奪還、再度落城しますが、千早城での籠城戦の間に幕府は滅亡します。(ネットより)天気良すぎて、暑い紫陽花が咲き誇ってました。富田林のPLの
建水分神社、南木神社から移動してきました。千早赤阪村立郷土資料館の敷地内。楠公史跡案内図楠公誕生地🙏自販機に「楠公さん」を大河ドラマに❗️ほんま、教科書にも載せて、大河ドラマにして、日本の若者たちに広く教えないと‼️次へ行きます。🛵。。。『令和5.6.17.建水分神社・南木神社(大阪府南河内郡千早赤阪村水分357)』楠木正成、後醍醐天皇、太平記ファンにはたまらん場所へ。🛵。。。大阪府で唯一の村、千早赤阪村。楠木氏の氏神建水分神社(たけみくまり神社)。元の鎮座地
楠木正成、後醍醐天皇、太平記ファンにはたまらん場所へ。🛵。。。大阪府で唯一の村、千早赤阪村。楠木氏の氏神建水分神社(たけみくまり神社)。元の鎮座地は現在地より北約100mの水越川のほとりにあったが、当社を氏神としている地元の侍の楠木正成が鎌倉幕府に抵抗した後醍醐天皇側に付き、赤坂城の戦い、次いで千早城の戦いを近辺で繰り広げたために兵火に掛かって荒廃した。このため建武元年(1334年)に後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成により、現在地に本殿、拝殿、鐘楼などを再建し遷座した(w
お江戸に出張してきました。久しぶりで楽しかったのですが、しばらく田舎でのんべんだらりと暮らしていたもので、人混みに疲労気味でも、せっかくの機会だからと翌日を利用して最近頭の中を駆け巡っている南北朝ワールドへ、いざ!前回(2021年だった)鎌倉へ来た時は、北条をテーマに廻ったのだけど、今回のテーマは足利兄弟です。調べたところ、こちらのお寺が期間限定で参拝できるようだったので来てみました。長寿寺です。「足利尊氏公ゆかりの寺」って書いてありますね。鎌倉の足利尊氏
言えないことが溜まりに溜まって、吐き出さなくてはーそんなこと吐き出せる友達なんていないし、結婚はなんとかできたんだけど(再婚)そんな話せるようなタイプじゃないんだよね。自意識過剰すぎてfacebookなんてとてもやれない。そうだブログがいい!!って今更ながら思った。金井美恵子の「お勝手太平記」。60代のアキコさんが旧友たちに長い長い手紙を便箋に手書きで書いて郵送するんだけどね。なんか私もアキコさんに似てるとこあって、、、(^_^;)年に1〜2回お友達に長いメール(長いこと会ってない
さてさて……………【観心寺】を出発し、この日最後の目的地とした場所に到着した……………【狛犬】大阪で二番目に大きいとされる狛犬※ちなみに一番は【住吉大社】だという。【手水舎】はい楠木正成ゆかりの神社なので、ココロは何度も参拝に来ている場所。【建水分神社(たけみくまりじんじゃ)】大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分357『大河太平記ツアー②〜建水分神社〜』奈良から【葛城水分神社】に参拝し、水越峠を越えて次に我々が到着したのは………【建水分(たけみくまり)神社】大阪府南河内郡千早
前回の続きです中海で美保基地航空祭2023のブルーインパルスの展示飛行を見学してこの日に宿泊する米子市に移動します流石にいつもよりかなり渋滞もあり米子市内のホテルまで1時間ほどかかりましたホテルにチェックインして温泉に入りスッキリ17時から楽しみな夕食を食べに行きましたこの日に食べに行ったのはJR米子駅から歩いてすぐのところにある居酒屋太平記です山陰の海の幸や地酒を楽しめる居酒屋です店内に入りテーブル席に案内してもらいますドリンクメニューです生ビー
そんなお昼を済ませて、駐車している””太平記の里”を目指し、足利市県道67号大通りを西から東へ戻る。閉じたお店も多いけれど通りは広く、プラプラ散歩にはちょうどいいや。足利学校近辺で、何やら祭囃子が聞こえる。太平記の里駐車場で八木節なんかを演奏中。…と、それが納まるや、バンドサウンドがちょろっと聞こえた。”百円市”なるイベントで住宅のお庭を提供されたステージで、JUDYANDMARYのコピーバンド、その名も”BUHYANDMARY"がセッティング中。バンドTシャツな
さてさて……………【叡福寺】【西方院】【植木家墳墓】エリアを出発して、次に我々が到着したのは……………【観心寺(かんしんじ)】大阪府河内長野市寺元475『大河太平記ツアー⑥〜観心寺〜』【道の駅ちはやあかさか】を出発した我々は、次なる目的地へと向かった………到着したのは………【観心寺(かんしんじ)】大阪府河内長野市寺元475【観心寺】は、飛鳥…ameblo.jpココロの【観心寺】過去ブログはこちらココロは何度も参詣させていただいている。今回はSさんが初の参拝となります従って、今回