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時は元禄15年。。。。12月14日赤穂浪士の討ち入りの日私の父方の先祖を辿ると太平記に出てくる京都の武士赤松満祐の乱の関係者で赤穂浪士討ち入りの血判書に参加しなかった家系だからというわけではないけれど12月14日は意識してしまうゆっくりした10時の朝食鮭フレークとレタスサンドカフェオレ☕️
『逃げ上手の若君アニメ化記念!鎌倉南北朝ツアーレポート』2022年から開始した本ブログ管理人による城巡りツアーもいよいよ3回目。「前回よりも参加者が満足していただけるツアーを!」とプレッシャーの下で企画し続けました…ameblo.jp2024年6月の鎌倉ツアーの時に実は心残りになっていたのが一点だけありました。やはりこのツアーは与力さんを連れてあげないことには完遂していないそんなわけで、既にこのツアーレポート完遂直後には与力さんには「必ず秋にお連れする!」と約束
昨日は、団姫お姉さんにお声がけ頂き、明石で落語と法話の会に出演させて頂きましたお客様はとても温かく、大治朗兄さんの太神楽も大盛り上がりお天気が良くて、時計台も綺麗でした。団姫姉さんは、落語と法話。お姉さんは、法話も爆笑させてはりました面白かったです。大治朗兄さんは、別にお仕事があるとの事で、先に帰られたのですが、夜は、団姫姉さんの息子さんも交えて、鳥貴族へ行きましたそして、二時間、みんなで政治の話をしました息子さんは、まだ小学生なのに、色々詳しく、『この間の兵庫の選挙は太平記を思
赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から3万3500石で入封した浅野長直が、近藤正純(藩家老・軍学者)に命じ、寛文元年(1661)までの13年を費やし、完成させた名城です。浅野家が断絶した後も、永井家、森家の居城となり、明治の廃藩置県まで200年にわたり赤穂藩の居城として存続しました。赤穂事件を全国的に知らしめた「仮名手本忠臣蔵」について、確認しておきます。「仮名手本忠臣蔵」は、竹田出雲、三好松路、並木千柳の合作として、元禄15年の赤穂事件(吉良邸討ち入り)から47年目の
ども。春月でス_(:⁍」)_✨✨✨一泊二日で神戸行ってきましたーー!もち。ぼっちで(笑)帰宅したばかりなので、旅れぽは近々書きますー。とりあえず。。。楠木正成公像を載せておきまする💪✨✨✨(◜◒◝)✨✨✨
皆さんは、学生の時分、「日本の歴史でどの時代が好きですか?」と聞かれると、どう答えていたでしょうか…??私は戦国時代でした。歴史に興味を持ったきっかけが徳川家康の伝記で、そこから戦国時代を学んでいったから、というのが大きいのだと思います。世間一般でも、人気が高いのは戦国時代や幕末といった、いわば「花形」でしょうから、そう答える方も多いのではないかと思います。それに比べると鎌倉時代・室町時代が妙に味気なく、地
前回の続きです。今回は登城路を一の木戸までです。下図①の上赤阪城の入口です。キャンプサイト麓の看板もあります。①の道から入る所は狭いですが、中に入ると広めの無料駐車場があります。Googleマップです。上図③付近に行くと、③から①方向は無料駐車場になっています。カメラを左に回すと③から②方向です。手前の義援金箱に縄張図が入っています。1枚貰って100円入れました。オートキャンプ場になっています。さらにカメラを左に回すとオートキャン
予譲の仲間として、小宮山内膳[1]の恨みがある。武田勝頼の滅亡に際して、はせ参じ死を共にした。赤城の浪客のナントカという人が亡き主人が死ぬときに、殉死すると言い張ったことが伝わっている。いずれの人たちの誰に比較できようか。異国は不義不忠で君主が困難に陥ったとき、命をもって戦う者は非常にまれである。だからこういうことをもって万代にもわたって書産するのである。それに対して日本は本来的に義勇の心があって、忠孝は臣下の家業と心得ているので、この類のことはあまり有名いなっていない。売学の連中は日本を
-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be大河ドラマ「太平記」の音楽が素晴らしすぎてでも当時はサントラ出してなくて、似たようなものがあっても他の人のアレンジで・・・あな口惜しやたまに書いていますが、三枝成彰さんの音楽がとても好きです78年うまれのわたしより上の世代は「機動戦士ガンダム」の音楽でお馴染みだと思いますわたしは
久しぶりの般若寺。バイク🛵置き場、一番奥になってました。入り口。拝観料700円。コスモス、咲き誇ってますカンマン石。十三重石宝塔。まかばら石。南都焼討、平重衡供養塔。楼門。鎌倉時代。大塔宮護良親王供養塔。太平記南朝後醍醐天皇の第三皇子本堂の中には大塔宮が隠れた唐櫃が本堂。十三重石宝塔。動画で。力だめしの石。JR笠置駅前で見ましたねぇ。鐘楼。御朱印。特別開帳中釈迦如来。般若寺の石仏かざる水仙花。笠塔婆。経蔵。手水石船。キューブにコスモス。
ブログランキング参加しました。『ブログランキング』と『にほんブログ村』の2つです。よろしければクリックお願いします。歴史ランキングにほんブログ村いつも応援ありがとうございます。足利尊氏が九州に落ちてわずか500の兵で菊池武敏60000の兵と戦って勝ったってマジかよ?!歴史に興味のない方からするとどうでも良い話ですが、吾妻鑑、太平記に出てくる数字はたいてい盛っています。承久の乱で幕府軍19万騎というのも当時の人口、石高から有り得ない数字ですし、太平記で九州から京都に攻め上った足利尊
あなたの好きな日本の文化は?私が好きなのは、時代劇です。特にNHKの大河ドラマが大好きで、オンデマンドで過去の作品も見ています。最近はまっているのは、「太平記」です。真田広之さんがアメリカでエミー賞を受賞されて、それをきっかけに真田さんの作品をもう一度見たいと思うようになりました。原作の「私本太平記」も読んでいますよ。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
十津川、吉野、そして最終日は奈良市内に戻り、護良親王ゆかりの般若寺に向かいました。ここは二度目の訪問です。近鉄奈良線の駅のロッカーに荷物を置き、一キロほどの道のりを歩く。般若寺が見えてきました。中に入ります。奈良三泊四日の旅行が無事に過ぎたことを感謝して。やはり護良親王の名前が。幕府軍に追われ、経文が納められた櫃に身を潜め、難を逃れたというエピソードは有名。子供の頃に何かの漫画で読んだのですが、それが『太平記』から来ていたことはのちに知ることとなりました。
如意輪寺まで来て、ここからは入場料を払って見学するところ。後醍醐天皇のお墓があるのでお参りです。この建物だ。第六皇子良成親王が歌を詠んでいます。天皇中心の政治に失敗して吉野に逃れてきた後醍醐天皇。無念のままここに崩御。階段を上っていくところがありました。多宝塔。立派ですねぇ。。ここからは小楠公にシフトチェンジする。父正成との別れの場面。『太平記』ではこの時十二歳の少年ですが、実際にはもっと上だったと思われます。至情塚。正行
朝早くに吉野神宮をスタートし、昼過ぎに金峯神社に到着。そして昼ご飯も食べず歩き続けて、さらに寄り道して如意輪寺。このように如意輪寺は脇にそれたところにあります。ようやく見えてきた。しかし疲労のピーク。入口のところでしばし休憩を取りました。ここに青年武将楠木正行が決死の覚悟を記したのだという。初めて太平記を読んだ時は、父正成との桜井の別れのイメージが強く、少年が戦争に行ったものだと勘違いしたものです。難切不動尊、とな。不動明王様が
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桑の葉お蚕さん御用達本の名を忘れたが塩野七生の著作に、彼女がたまたま旅行中、内戦下のキプロスの軍人に会って話をしたときのことを書いたエッセイがあった。どうすれば、部下は上官のために死んでくれるのかと凄いことを訊いたらしい。軍人曰く、大意、普段から部下の面倒をよくみる。訓練も最善を尽くす。部下の為にできることは何でもやる。そうすれば、いざというとき自分のために死んでくれる。上司は選べないのが組織の原則であり、こういう上官に恵まれればよいが、旧軍には「上官の命令は陛下の御命令で
寺社No.6613御朱印No.6997赤松円心兵庫県赤穂郡上郡町2024年10月1日武将印は、上郡町観光案内所赤松円心(則村)1277年~1350年父:赤松茂則、子:赤松範資、貞範、則祐、氏範村上源氏上郡町赤松五社八幡神社赤松円心御影堂松雲寺『【上郡町】赤松松雲寺【御朱印なし】』寺社No.5454御朱印No.【なし】金輪山松雲寺兵庫県赤穂郡上郡町赤松東寺真言宗赤穂郡八十八霊場1、4番赤松貞範建立、カヤの大木2020年9月26日砦みたい…ameblo.jp赤
寺社No.6612【未登】御朱印No.6996国指定史跡白旗城跡兵庫県赤穂郡上郡町2024年10月1日御城印は、上郡町観光案内所標高440m、赤松円心築城2020年9月26日円心の里と白旗城跡登山口200927NHKBS太平記201206ごんたさんのブログ『白旗山439.9m難攻不落の名城跡』前日の6日に丹波市の金山540mを歩いた後は道の駅「しんぐう」に隣接している新宮ふれあい福祉会館の「ふれあいの湯」で汗を流し、金山登山口からは約103km、2…am
宿坊がある地域を抜けると、急激に人が少なくなります。そろそろ疲労もたまってきた。そこでバス停に行き、上まで行こうと思ったらです。運休日でした…やむなく徒歩で上を目指すことにしたら、ここで出会ったのが二十代の若者二人組。彼らもこれから上を目指そうとして、ここで休憩をとっていたところでした。「僕ら一度来たことありますけど、吉野水分神社まで三十分くらいかかりますよ~」「じゃあ俺はもっとかかるなぁ」などと会話。もう一人、体格が良くて自分より若い男も上までの案内板を見てい
おそらく元となっているのは、『太平記』の巻21に見える「何れあやめと」だろうと言われている。二つの花がよく似ていて、美しいことから、どちらも優れていて、優劣がつけがたいという意味です。とてもうまく表現しましたね。
児島高徳御墓兵庫県赤穂市坂越児島高徳?~1382年義父:和田範長鎌倉末期、南北朝時代の武将。備前児島の土豪。後醍醐天皇奪還計画の「白桜十字詩」で有名。明治時代、忠臣として国民的英雄となった。「天莫空勾践時非無茫蠡」この鳥居は、白勢稲荷の鳥居か御墓の鳥居か、どちらでしょうか。忠魂碑御墓ここで死んだ説と、東国に逃げた説があります。賜天覧備後三郎碑宝珠山妙見寺の境内の一部です。白勢稲荷「船岡園十三景」四観海軒清一望濶瀬戸内市餘慶寺児島高徳供養塔『【瀬戸内市
金峯山寺蔵王堂の次は東南院。歩いていけば右手に門が現れます。中に入ると。多宝塔に圧倒されました!そして本堂へと。この時は中に入ってお仏様を拝むことが出来ました。金峯山寺の南東にある、というのがこの名前の由来か。そして向かい側には…吉水神社!ここも世界遺産として登録しています。吉水院とも言うのですね。坂を登っていくと…吉水神社の歴史が書かれていました。源頼朝に追われた義経、弁慶、静がここに滞在し
ここに初めて来たのは、もう8年も前になるのか!『吉野山その3~後醍醐天皇の吉野朝跡地~』吉野山攻防戦で敗北した大塔宮が最後の酒宴を開いたとされるところに四本の桜が植えられ、後世に大塔宮陣跡地として記念されているのだとか。しかし村上義光の活躍で…ameblo.jpここでデジカメの調子がおかしくなり、おそらく撮影したであろうデータのいくつかが飛んでしまっている。ということは、吉野山にはまた行かねばならんということだ。髪の毛の神様・脳天大神から戻ってきて。吉
「虎に翼」はあんまり観ませんでした(´・ω・`)最終回、亡くなった夫の優三さんがでました中野大賀さんはこれから大河でも「豊臣兄弟!」の「!」がいやな予感しかしない(´・ω・`)ふざけないで真面目にやればどうやったって面白いお題なんだからNHKはしっかり作ってほしい(´・ω・`)音楽も妙にポップにならなくていい、大河らしく威厳のあるものがいい個人的には、秀長は高嶋政伸さんでイメージ固定金遣いの荒い兄になにかあったときの為自分は節
隠岐·黒木御所。歴史ロマンと絶景が融合する島での特別な体験\46都道府県制覇28km走破車旅好き/絶景大好きで全国の色んな所に出掛けてます。いつもお読み戴きありがとうございます。前回は、隠岐·焼火神社の神秘と歴史についてブログを書きました。『隠岐·焼火神社、神秘と歴史が織りなす島国の聖地』隠岐·焼火神社、神秘と歴史が織りなす島国の聖地\46都道府県制覇28km走破車旅好き/絶景大好きで全国の色んな所に出掛けてます。いつもお読み戴きありがとう…ameblo.jp今回は、後醍
さて吉野朝宮址のところにこんな案内が。「首から上の守り神脳天大神」これはいかなる神社なのか?1.顔面2.髪の毛3.頭脳ともあれ行くことにしてみた。階段を下りる前に見つけた役行者だ。吉野にはこの役行者が多い。階段を見下ろす。かなりの急勾配である上に、距離も長そうだ。予想以上に階段が長かった。大学の時に女先輩から「後ろ姿が可愛い」と言われたペンギンウォークが未だに身についている。やっと神社が見えてきたぞ。しっかりと
しばらくサボっていましたが、吉野山。『吉野山その2』早朝に吉野神宮を見たのは先日の投稿で。http://ameblo.jp/lucky-penguins904/entry-12254898749.htmlそ…ameblo.jpもう8年も過ぎていたんだ…時の流れは速いんだぜ。吉野神宮から歩いて歩いて、下千本まで来ました。幕府軍を迎え撃つ大塔宮は、こうして高台から敵を見下ろしていたことになる。赤い橋が見えてきました。ここが宮軍の最初の防衛ラ
『SHOGUN将軍』エミー賞18冠!おめでとうございます!今から33年前、私は大河ドラマ「太平記」出演の機会を得て、NHKでの本読みに臨んだ。出席者は、すでにスター俳優だった、主役の足利尊氏役の真田広之さんを初めメインの役者さんが7、8人。一方の私は、出演といっても1話だけ。シーンも2シーンのみの、誰から見ても取るに足らぬ無名の俳優。それでもスタッフさんがキャストの皆さんに御紹介くださった。そのとき、真田さんはわざわざ椅子から立ち上がり、頭を下げて御挨拶くださった。
「坂の上の雲」再放送中素晴らしすぎる(´・ω・`)真之を見送る徳井優さんの暖かいまなざし・・・情熱あふれる香川照之さん(これを機に戻ってきてほしい・・・)見事な騎馬姿・阿部寛さん本木雅弘さんはビシっと軸が通っている脚本の野沢尚さんが途中で他界されたので脚本監修という形で、「太平記」「麒麟」の池端俊策さんがまとめています音楽もいいんだこれがキャラの情緒を引き出し余韻を残すエンディングこの曲はほぼ毎年コンサートで聴き