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大正生まれの大和撫子、Hさまいつも北側の一番端のご自分の部屋からリビングまで颯爽と歩かれます“今日は部屋とは反対側を歩こうかね”と。あるくあるく歩くあるく歩くあるく一歩一歩ふらつかず安定感があります「(この歳でも)自分の足で歩けるのは幸せだ」とおっしゃっていましたHさまこれからも毎日毎日無理なく大切に過ごしてくださいね
わたしの両親は、行儀作法に厳しく、一方で、行儀作法を見れば、その人の育ちや人となりが分かると断じていました。今、そのようなことを言えば、差別だ、偏見だと言われるかもしれませんが、少なくとも大正生まれの人にとっては、常識だったとお許しください。しかし、わたしより少し上の、我が国の代表者たる方の行儀作法を見て、愕然としました。これを国際会議の場等で間近に接してしまったら、トップがこれなら、我が国は礼節の国とは、認識してもらえないのではないでしょうか。もっとも、礼節以前に、集合写真不参加、
旧制佐賀中学校の青春です。前にもだしました。良く見ると、、面白いです。❓⤴これは、なんだ?良く見ると、「巨大なメガフォン?」かな。人の声をひろい範囲に届かせる装置です。スピーカーではありませぬ。(o^―^o)ニコそれにしても、佐賀市内の連合体操大会、みごとにそろっていますね。別々の学校からそろって、よく縦横斜めが見事ですね。鍛えられましたね。さらに、あの構造物は、なんだろう?↓↑←
今日が曾祖母の誕生日だったこと、すっかり忘れていた。あなたにとっての曾祖母。この世ではたぶん会ったことなかったよね。曾祖母がなくなったのは10年以上前。あなたはまだ10歳に満たない。だから、絶対に会っていない!だけどこれを書く以前まで、どうだったかなあと思って考えていた。ちょっと考えればわかることなのに、私も年を取ったなあ。こうやって家族はつながっていくのだから、ぜひ二人は会ってほしかった。今のあなたにおばあちゃんは二人いるけど、実はその上の世代
>誰もがお金に困らない社会にするにはどうする?誰もが毎月安定した収入があったら良い。年金生活になったら実感しますよね。年金額が少なかったら困るけど(笑)>「お金に働いてもらいましょう」って聞いたことがあるけどね。投資のことだと思うけど資本主義社会の得意技だと思う。人間社会は人間が働く社会です(笑)>明治生まれの人はもう居ないんでしょうね。大正生まれの人は100歳以上に。年齢を計算する時は西暦のほうがしやすい(笑)>時の経つのは早いですね。二月毎の
・・・昭和天皇以降の皇室、皇族の年齢三笠宮妃百合子殿下が薨去/#大正生まれ//午後3:08·2024年11月18日/通知先:@asahi/「戦前に結婚」とされているが、1941年(昭和16年)当時は既に第二次世界大戦が始まって2年、日中戦争が始まって4年、満州事変から10年経過していた。/三笠宮妃百合子さま逝去戦前に結婚、5人のお子さま方育て(朝日新聞デジタル)-Yahoo!ニュース//午後3:22·2024年11月18日/〔【皇室】昭和天皇以降、皇族
50年ほど前祖母が作ってくれたという敷布団、いつの間にか私が使うようになりウン十年🤣(笑)完全なる煎餅布団となり背骨がバキバキに痛くなるようになったため…遂に、断捨離!!ばあちゃん、50年も使ったよー!寝心地サイコーだったけどさ、さすがに煎餅布団になりすぎてさ…😅ばあちゃんの敷布団卒業するわ〜〜🤣物持ちいいっしょ?(笑)なんて年数!!凄くない?(笑)っつーかさばあちゃんさ、存命なら今、何歳だ?(笑)大正生まれだからもはや、
親父の独り言「大正生まれ?失礼な。私より年下のチャキチャキの昭和生まれのレディ。上品な船場言葉、ええねぇ」この上品なお婆さんは大正生まれだろうか。大阪人として注目して欲しいのがお婆さんの美しい大阪弁。今では吉本のお笑いが浸透して大阪弁に聞き慣れた人が多いが、商人の中心で独自文化が開花した船場で話されていたのがお婆さんの話す上品な大阪弁。pic.twitter.com/sNcXkoUKHK—SungSaKang(@SoonSaKang1)November9,2024
ずいぶん涼しくなって来ました。お散歩も足取りも軽やかです。今日はモンキチョウを見かけました。黄色が綺麗。ずっとこんな季節が続けばいいのに。さて以前話した父の話の続きです。9月に大腿骨骨折で手術をした98歳の父です。手術後、コロナで肺炎、誤嚥肺炎とかなり容体が心配されましたが。さすが大正生まれ。気合いが違います。不死鳥のように蘇って来ました。リハビリを毎日頑張ってます。骨折で寝たきりで完全にオムツ生活になりましたが、こちらも頑張り夜間はまだ尿パットを使用ですが昼間
お手紙をいただきました。大正生まれ99歳の女性です。最近仲の良かった人たちとの別れが続きかなりこたえているはずでそれでもいつもどおり黙々として耐えている姿になんと声をかけてよいか「まだいるようでな、話しかけてるんだ。ここは何色にしたらいいか、と。」「いつもふたりで相談しながらしていたからな、いなくなって聞けなくなってしまったから。」「でもまだいるような気がしてな。きいていたんだ。」それを聞いてわっ、となってわたしのほうが泣いてしまいました。「そうだよ、さびしい、
先日バタバタと準備し飛行機に乗って向かった先は実家祖母の葬儀に参列してきました息子も一緒に帰省して参列しました息子は初めて葬儀に参列(息子は曾孫にあたります)おばぁちゃんこの1ヶ月、ごはん食べれなくなり点滴で栄養摂ってました点滴をいろんな所から入れてたみたいで点滴の跡、紫色になってる所が多かったです最後は苦しむことなく静かに息を引き取ったそうです生前、ばあちゃんが言ってました静かに逝きたいっとばぁちゃん願いが叶ってよかったね大正生まれの99歳大往生でした息子
焼鮭が大好きなあつじろう鮭の身を食べてから、皮をモシャモシャ・・・「皮がパリッと焼けてるとおいしいんだよね」中骨をペロペロ・・・「骨も鮭の味がするんだよね」後に残ったのは、標本のように綺麗になった中骨と空っぽのお皿鮭の身、一つ残さない本当に骨とお皿のみあー、この感じ・・・大正生まれ、丁稚奉公を経験して、戦争を生き抜いたひいおじいちゃんの食べ方と同じだ・・・リアルプリントサーモン&ポーククッションサーモン/ポークおもしろグッズ面白いユニーク
涼しさを通り越して「寒さ」を感じるようになりました。温かいうどんやすいとんが恋しくなりました。スマホの使い方も慣れてきたのでいろいろな機能を試し始めましたが、自分にとって必要なのか否かの判断が出来ず困っています。なので、便利な機能の更新が出来ず現状維持の状態のままです。スマホメーカー仕様のアプリに変更させるような感じなので、スマホを他メーカーにした場合、保存した大事なデーターの移行が面倒になるのではないか…と心配なのです。グーグル仕様にしておけば、PCとの連携もスムーズにい
令和6年10月12日朝刊に大きくでていた記事11日夕、ノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会さんが選ばれましたアピール文を採択しますが、「原爆投下から80年となる来年に向け、被爆者をつくらないために、日本と世界のみなさんと訴え歩み続ける」この言葉は、私の心に深く響きましたノーベル平和賞受賞の報に団体の方は「予測していなかった。長年、期待はしていたが、もうその時代は過ぎたと思っていた」と戸惑いつつ、「再び原爆被害に目が向けられたことに希望を抱き、被爆者が望んでいるのは、核抑止でも核共
今は亡き私の父は大正10年代生まれ。戦争でビルマにも行った。10年ほど前に90歳で死去。仕事は、職人のかたわら農業をやっていた。その当時の義務教育しか受けていない。地方では珍しくない「百姓おやじ」である。父親の葬儀の時、今は亡き母親から父親が書き残した大量のメモを受け取った。新聞広告の裏面などに直筆で様々なことが書いてある、ことわざ、格言、人生訓、仏教…。晩年に書いたものと思われる。半分は棺に入れ、残りを私が引き取った。これだけの情報をどこから得たのだろう。晩年の寂しさを書くことで紛らわ
こんにちは😃GHしんしろの憩いです🤗最近は、朝晩が涼しくなり、日中との寒暖差もありますね🍂残暑はいつまで続くのでしょうか?と、記事を書こうと思っていたら、涼しくなりました🌬️秋ですね〜、虫の音も良く響く様になりました🦗寒くなると、冬支度をしなくてはと焦ってしまいます🤔冬にセーターは、温かくて必需品ですよね🫡さて、前置きはこれぐらいにして、今日は、心もホッコリ、毛糸のお話です🧶2階の入居者様とお話しして参りました慣れた手つきで編んでいく毛糸あっという間に作品
めっちゃ涼しくて晴れていて清々しい朝です!昼間は、まだ32度くらいになるみたいですが、とっても気持ちの良い朝です!夜中は2回ほど起こしてあげたニャ😸毎晩起こしてあげるのがニャンのお仕事なんだニャ😸布団、洗濯干せたので起こしてくれて感謝(^○^)仕事に行くまでにちょっとでもおひさまに、あてときたいから👍今日はデイに来ておられる大正生まれのおばあちゃんの誕生日。私の誕生日は、雨が降った覚えが無いと言われるだけあってホントに快晴です!
私が大学院に合格したことを大正生まれの祖母に報告したとき、彼女はこう言いました。「今時は女の子も学をつけとかにゃいかん。ひろし(父の仮名)が学費出せんときは、ばあちゃんがはろたる(払ってあげる)さかいな」さて、突然時を戦前の昭和まで遡ります。当時、祖母は師範学校を卒業後、大学への進学を希望していました。しかし曾祖父は「貰い手がつかなくなる」と猛反対し、彼女を田舎へ連れ戻しました。進学が無理ならばと、祖母はせっかく取得した教員免許で働こうとするも、またもや曾祖父に大反対されて
まだ能登方面では油断を許しません。どうぞ、皆様がご無事でありますように願います。お互い様、お陰様、、今の90代の方々はよくおっしゃいます。その中でも大正生まれの方というのは、一味違うと感じます。年齢では、大正13年生まれの方で100歳となられます。少し前の日本は、その方々が中心となり支えてみえたのだなと、数年前より強く思うようになりました。遠く離れた人たちのことを案じ、思うというのは、もしかしたら目には見えない確かな物を作っていたのではないかと。それが、今の時代壊れかけている。もしかしたら
記念品が届いた・・・内閣総理大臣から・・一応?総理大臣からも百歳にはお祝いがくるんですね・・銀杯?いえいえ・洋銀ですつまりニッケルシルバーメッキです・・純銀製で祝ってもらいたく正直思います贅沢?欲張り?ですかね・・息子からLINEで「親父が出品したのかと思った」って何が?メルカリまさか!こんなにも出ているとは!!この金額で購入された方・・あくまでも「記念品だよ」って思わないとね・・なんだか虚しい^ネ^追検索して
令和を生きる「40代の男性」求められる"強い覚悟"「老境の一歩手前」と見なされた時代は終わった令和を生きる「40代の男性」求められる"強い覚悟"私の父は大正生まれで、祖父母が明治の生まれです。今、あらためて父や祖父母の当時の写真を見返すと、現代の同年代の人たちと比べて10歳くらいは年齢が老けて見える気がします。「老けて見える」という表現がもし…toyokeizai.net
こんにちは、モカです。少し風のある下関です。こんにちは、すずです。相変わらず暑いデスよ。こんにちは、とーちゃんです三連休の2日目皆さんいかがお過ごしですか?相変わらず暑い日が続いてウンザリですがさすが三連休、下関の観光地は人でいっぱいの大渋滞うちは郊外の田舎なんですが、うちの辺りまでまあまあ車が混んでたこんな日は家でノンビリがいいですねさて、今週のフクロウずは…な、なんだ?あれは?うぇ?あれは…なんデスか?うちのフクロウず、何かに気づいたようで…すず!だからアレナ
昨日は昭和99年9月9日らしい...(ネットで投稿が相次いでるとか)昭和ってなんだか懐かしい気がするのはなんででしょう?私なんかは昭和が終わった日は、まだ小学3年生で、たいして昭和を生きてないんだけど...でも、大正生まれの当時一緒に住んでいた祖母が「天皇が死んだら日本が終わる」って、ずっと言ってて「日本無くなるの!?」って怖かったのをすごい覚えてます
9月9日(月)今日は重陽(ちょうよう)の節句重陽の節句は、9月9日に祝われる節句で、菊の節句や栗の節句とも呼ばれます。家族の無病息災や子孫繁栄、不老長寿を願い、祝いの宴を開くことが起源とされています。こんな、ことわざを思い出しました。十日の菊六日の菖蒲とおかのきくむいかのあやめ菖蒲は5月5日の端午の節句に菊は9月9日の重陽の節句に飾られる。必要とするときに間に合わず手遅れとなることにたとえる。亡き大正生まれの義母がよく言ってました。「ゲロンパちゃん、旬のがしはあきま
「あんたのおばあちゃんも、そのひいおばあちゃんも、それはまあ気の強いことなんのって。私は全然似ぃへんかった。私もあれくらい気ぃ強かったら、こんなに苦労することなかったのになぁ・・・」なんて呟くのは、私の母(飼い主)。・・・でも、あなたも、チンピラを蹴散らしてましたよね?私は知っている。飼い主が寿司屋のチェーン店でパートをしていた時の伝説。同僚のパート仲間がずっと客からの電話に捕まっており、とうとう助けを求めてきた。「うう〜・・・、飼い主さん、どうしましょ。。お客さ
この電車、わかりますか?JR岐阜駅前のバス乗り場の片隅に静態保存されている、大正生まれの丸窓電車のモ513です。私も、若い頃、谷汲山華厳寺やその近くのキャンプ場へ行くときに、利用しました。とてもレトロ感が溢れる車両です。この車両は、大正15年に5両が製造されたもので、名鉄美濃町線用の車両でした。その後、名鉄岐阜市内線と揖斐・谷汲線で活躍した時代が長く、全国的にも有名になりました。ライトアップされ、今にも走りだしそうな雰囲気ですね。まもなく、台風が近づいてくる東海地方です。
ごゆっくりな台風のおかげで、どうにもジメジメしたお天気が続いてます。昨日は、久々に紙の本を読みました。先月、古書店で買ってまだ読んでなかったのですが、これがなかなかに面白い。バイエル、という言葉が、ピアノを超えて「入門」「幼児教育」みたいな使われ方をするくらいに、日本に浸透したバイエルでしたが、作曲者バイエルの事は何もわかっていない…。バイエルの伝記(ただし日本で発行)はあるものの、中には「フィクションです」と書かれているとかフィクションは伝記とは言わないだろうよ~
葛飾区奥戸7丁目の小規模多機能型居宅介護とグループホームのピカソ・てんでこです。ピカソにご通所のゲスト様が101歳のお誕生日をお元気でお迎えになられましたーっ昨年の100歳のお誕生日の時にお祝いさせて頂きましたが、あれからあっという間の一年。ゲスト様は変わらずとてもお元気に過ごされ、この日を迎えられました☆*:.。.o(≧▽≦)o.。.:*☆ひまわりのバッヂもお似合い大正生まれのゲスト様が少なくなってきている中、私たちもこの貴重な瞬間にお祝いをさせて頂けた事を嬉しく
よしこさんとみちこさんはいつも向かい合わせに座っておられました。来所される時間が遅めでだいたい同じ時刻。ということもあってか「おはようさんです」「お元気でしたか?」「またお会い出来て嬉しいですわ」といつもなごなごした雰囲気で一日が始まります。おふたりとも大正生まれで話もよく合います。そしてご結婚されずともに女ひとり一生懸命働いて生きてこられ芯の強い聡明な女性です。そして負けず嫌い。この負けず嫌いが時々喧嘩に発展します(笑
ども、爪も髪も伸びるのが早い気がする岡田達也です。昨日仕事を終えて帰宅し我が家のジジィーーまちがえた我が父・隆夫さん(89)(通称、殿様)のために、彼の好みに完璧に振り切った夕餉を用意し提供した。えらいえらいよ、私この努力だけはいつの日か報われてほしいと思うのだが、いまのところその気配はない。さておきどうやら召し上がったカキフライがお口に合ったようだ。殿は上機嫌で話し始めた。「今日なぁ!」「うん」「デイサービスで初めて見る男の人がおって