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ある調査で、She()herchildgotoschool.という質問に、ネイティブスピーカー10人が全員、"and"と答え、日本の大学生10人が全員"made"と答えたそうです。「母親と娘さんが学校へ行ったほのぼのとした光景」と「あまり行きたがらない息子を学校へ行かせたという考えさせられる光景」これが「河を渡る」ということなのだと思いました。外国語を学ぶということは、外国語を話す人たちの気持ちを知ることで、"apple"はりんごではありません。
「文化の波をおこすとき」「わたしが文化になってゆく」これは、私が文化祭の責任者になったときのスローガンです。「文化とは何ぞや」と突き詰めたときに、借りてきた言葉ではなく、もっと人間として、こみ上げるような挑む情念を表したいと考えたときに、大昔の「倭人たち」が頭に浮かびました。命をかけて海を渡った人たちを。翌年は、「文化」は自分の中にあって、「文化」の中に自分がいる。言葉を越えた言葉があって、言葉を越えた自分がいるという思いです。「たかが言葉で作った世界。
4元講習第4回。受講者は2人です。4元までが「小手の合氣」もちろん「小手」と言っても、「小手返し」の世界ではありません。あくまでも「小手」から入る「合氣」の訓練です。手先に相手の体重を乗せるだけでも、角度やつかむ場所でかなり時間がかかります。3ヶ条と4ヶ条を混同することもあります。それでも講習者は、あきらめずに取り組みます。しかし、うまくできないからと、同じ技ばかり繰り返すことはいけません。その技は、どこが合氣につながっているのかがわからなくなります。
"Whatisiessentialisnvisibletotheeye.Onlyyoucanseebyyourheart."SaintExupery(フランス語の表記が不完全で失礼します)「本当に大切なことは目に見えないだよ」「今こそ酔うべきだ。時間に酷使され、奴隷となり、終わらぬためには絶えず酔っていなければならぬ。酒であれ、詩であれ、徳であれ、それは君にまかせる」ボードレール「優越感もなく、劣等感もなく」「天才はすべて幼児性
佐川道場で学んだことをきちんと伝えています。「手は入り口」「触れたところから入る」「相手の正中線を崩す」「肘から先に力を集中」「手の力は避けられるが、腰の力は避けられない」「合氣は技術」「力を使わないからこそ肉体を鍛える」「鍛えても使わないことで、そこからにじみ出てくるものがある」「鍛錬は千回が基本。力まずにできる方法を考えるべし」「最初は力でもいいから倒す。だんだん力を使わない方向がわかる」「合氣の手はどこまでも柔らかく」
2週間続けて、特別に末久顧問に指導をお願いしました。「おまえは、よく佐川先生に怒られていたなあ。まあ、顔は覚えられていたんだな」という懐かしい話に、道場生が、「嫌われていたわけではないんですね」今だから笑って話せますが、その時は、白帯の中で、自分だけが怒られるのは、相当嫌われているのか、かなり見込みがないんだなと深刻に考えました。「聡明な力」を読んで、光が射しました。もし読んでいない方がいたら、是非手に取ってほしいです。私は、10回以上読みました。去年、塾で英語を教
「そんなに力んだら、効く技も聞かなくなる。四方投げはこうだ」と言うと、椅子から立ち上がって、「来なさい」手を捕りに行く道場生は、佐川先生の手に触れた途端、爪先立ちになり、自由を奪われます。実に自然な指先です。決して意識して形を作ってはいません。ふわりとまわると、道場生は、地響きとともに、一瞬畳と同化します。1度だけでしたが、佐川先生の四方投げを見ることができたことが、この上うれしく思いました。ある大先輩の一言が、実に身に染みました。「社会人になって、ある程度仕事
「できないことがあるというのは幸せなことだ。自分が進歩するためのところを教えていくれている昨日、塾で、中学校3年生にそのまま伝えました。もちろん自分の情熱で。「『先生だからできる』という考えは自分を許すことだ。先生と自分は違うから、自分は寝ていてもいいということにつながる。『先生も自分も同じ人間だ』と思えば、『できるかも知れない』という世界に入る。さらに1歩踏みだせば、『できるに違いない』」「『ただ努力せよ』と言いうのは間違い。正しい情報がなければ、どんどん正しい方向から離れて
「昔の武士は、笠を脱ぐのも左手を使っていた」気がつくと、歩いていても、バスに揺られていても、佐川先生の言葉が頭をよぎります。ときどき、生の小豆を箸で挟みます。右手は当たり前ですが、ほとんど取り落とすことはありません。それが、左手で行うと、しっかりとおさえているはずなのに、ほんのわずかな力みが箸に伝わり、滑り落ちることがあります。お新香や、小魚は何の苦労もなく挟めるのに。気がつくと、ほんのわずかの差です。それが技のときに大きな差になるのだと思います。「うまく技をかけ
本屋で立ち読みをしていたときに、衝撃的な言葉に出会いました。「授業中、答えがわからなくて立たされた経験がない人間に、勉強ができない生徒の気持ちがわかるはずがない」14歳のとき、白い服を着たある霊媒師に、「あなたは将来、弁護士か教師」と言われたあの日が蘇りました。「自分を待っている人たちがいる」平均点の半分も取れなかった自分は、中学校の全校集会で、毎月表彰される人たちを見て、別世界だなと眺めていました。当時、5教科で400点を越えた生徒は、「優秀」とされていました。
テレビで弟と観た「戦場にかける橋」のワンシーンが頭に焼き付いています。新兵が、「こんな簡単な罠がありますね」と言って、そこを除けて進もうとすると、「待て」と上等兵が言います。そして、棒切れを遠くへ投げると、ガチャン。「生き延びたければよく覚えておけ。簡単な罠の後にはもう1つ罠がある」ある実験で、「次の文章で、正しいと思うものには✖を、間違っているものには〇をつけなさい」という問題に、100人全員がが不合格だったという話も強烈でした。受験生の指導で、
半年ぶりに、私の、佐川道場の先輩であり、極真空手(私が指導を受けた極真空手初代世界王者の後輩)の大先輩の末久顧問が、佐藤道場に来ました。自分も、道場を始めてから、100人ほどの体験者を迎え、佐川幸義先生には到底及ばなくとも、かなり技が上達してきたのではないかと思っていました。しかし、佐川道場の先輩はやはり違います。改めて、合氣に興味のある人は、体験をした方がいいです。これからずっと参加するとは限りません。以前、もう一人の大先輩、佐久間顧問は、月に一度、元佐川道場生はうら
教師時代、学校という空間で、何人かの詩人と出会いました。たずねびと夏の昼下がり、バスの停留所に「たずねびと」の張り紙があった。だれも気にとめないような壁の一枚。だれを探しに行ったのだろう。どこへさがしにいったのだろう。探して、帰ってくるところなのだろうか。たずねびとはあなたかも知れない。どこへぼくは、家に帰ってからも、「ああ、帰りたい」と思うことがある。一体どこへ帰りたいのだろう。非常口ぼくはいわ
「数学の天才」という異名を持つ人間がいました。もちろん、保江邦夫大先輩のような本物の天才ではなく、学校の中でずば抜けているという意味ではありますが。それでも、平均点30点の試験で、必ず90点は取っていました。ある日、「どんな勉強の仕方をしているんだ。一度ノートを見せてくれよ」と話しかけたら、「なんでおまえに見せるんだよ。嫌なこった」というので、「いあや、すまない」と言いながら、言い方が癪にさわったので、謝る振りをしてさっと取り上げ、見てみました。青春の1ページで
「角度が違う」一瞬、だれのことがと思いました。佐川先生の声が道場に響くと、それまで、畳にたたきつけれる音が充満していた空間に、竜安寺で枯山水をながめているような静寂が訪れましtた。あたりを見回すと、立っているのは、私の技を受けてくれている佐久間大先輩と私だけでした。まさか、入門して半年の白帯の自分が指導をうけるは思いも寄らなかったので、体が固まりそうでした。教員採用試験の100倍緊張しました。「もう一度やってみなさい」「はい」返事はしたものの、どう違うのか見
佐川先生の最後の日。私はいませんでした。それでも、運命の糸は限りなく細くともつながっていました。佐藤道場の顧問である末久氏がいました。最後の稽古に。そして、とんでもない佐川先生の一言。「合氣はここだ」その話を、末久氏は、ファミリーレストランで語ってくれました。「でも、意味がわからない」それが、1年たったある日、「佐藤、やっとわかったよ。おれは最初、ここだと思っていたら、違っていた」しかし、そのとき、私はわかりませんでした。さらに考え続けて1年。
今日から早いもので10月になりましたね!9月は遅れ遅れの投稿で、結局15本の投稿で終わってしまいました。反省しきりです!どうすれば、毎日投稿出来るのでしょうかね?まあ、10月もよろしくお願いいたします。さて、本日の「合氣道は、勝ち負けの武道ではありません!」ですが、これも9月に投稿する予定の一本でした。どうしても書いておきたい投稿なので、本日ご紹介しておきたいと思います。私がこのことを書こうと思ったのは、9月のXで合氣道の白川竜次先生が元ラガーマンのノッコン寺田さんという方に振り回
中学校1年生の授業。「”Iamastudent.”自分はこういうものだと主張する表現です。私は"Iamateacher."ただ、Satoteacherという英語はありません。英語では、"Mr.Sato"」"Makeyourownsenteses."1人目の生徒が、"IamaJapaneseboy."”Verybood.”2人目の生徒が、"IamaJapanesestudent."”Great。”3人目の生徒が、"Iam
「そんな近くで見ていてもわからないよ。皮膚の下の筋肉を動かしているんだからね」佐川先生が技をかけようとしたときに、1m前で手を見ていた私に笑いながら言いました。笑わせるというのも凄いなと、自分でも感心しました。後に、その話を、1番仲の良い理科の大砲教諭(もちろん仮名)に語りました。「皮膚の下の筋肉を動かすというのは、科学では証明できないね」(その教諭には、「発頸」を見せたらとても驚いてくれました)何年も考えていたら、自分の人生を決定づけた「燃えよドラゴン」の1シー
ある日、佐川道場の扉を開けて、靴を脱ごうとすると、ただならぬ空気。目の前で大先輩が正座をし、佐川先生が厳しく問いただしていました。「今は入らずに待て」という言葉にできない合図を大先輩の一人が送ってくれて、玄関で直立不動。そのまま話を真剣に聞いていると、技の話ではないということがわかりました。「ますます奥が深い道場だ」と思いながら、その後、急いで着替えをして、稽古に参加しました。「私はね。人間というものは、本来性格は変わらないと思っているから、人によっては、変なこと
あのころ読んだ小説。「学生時代、いつも笑わせてくれたギャグの天才宮本氏がいて、そのコンビの憎めない満氏がいて、新宿のアルタ前で待ち合わせをすると、いるかいないかが3秒でわかる強烈な個性を持つ野口氏がいて・・・いつも笑っていたなあ」同じ教師の道に進んだ高橋氏に話をしました。「それをおもしろがる余裕と度量が、あの頃のおれと君にはあったんじゃないか。そうそうたるメンバーだったことは間違いないけれど、なにか、あの頃の方が、今より人を受け入れる器が大きくて、おおらかだったよう
佐藤道場から2人が去りました。「土曜日の通常稽古に参加できないが、何とか合氣の修行をしたい」ということで、7月から3カ月間、水曜日の午後5時から稽古を始めました。しかし、私の、翌日の教育活動が厳しくなり、次の稽古は12月に行う予定(月に1回もしくは2回)でしたが、さすがにそこまでは待てなかったようです。「私の仕事は道場経営です」と言うまでは、まだ長い道のりで、縁があって尊い汗を共に流した2人には申し訳ありません。ただ、佐川道場の大先輩は別として、どこでも習える技術で
「あんたたちは腰が弱いねえ。昔の人は刀を差して10里を歩いたもんだよ」中学生のときに、土浦駅からつくば市へ帰ろうと思ったら、目の前でバスが行ってしまったので、腹が立って、「ようし、家まで走っていくぞ」と、雨の中1人で12kmを走ったことがありました。今でも鮮明に覚えているのは、頑張ったなあという思いがあるからなのですが、10里(40km)と比べると鼻で笑われてしまいそうです。佐川道場に入門したころは、柔道の指導をしており、1日にヒンズースクワットを300回以上こなしていまし
毎年4月に新入生歓迎会があります。その中のメインイベントが部活動紹介です。どの部活動も、実に素晴らしい紹介をします。「次は柔道部です」舞台の幕が開きます。舞台の隅に家の主と小僧が登場します。「藤吉郎、これでだんごを買っておいで」「はい。だんな様」(ここで、観客から「いつの時代だよ」という声が漏れます)。しばらく歩くと、村のはぐれ者たちが、小僧にからみます。「おい、小僧。いいものをもってるじゃねえか。少し貸してくれねえか」「これは大事なお金なん
大調和之武術演武会のお知らせ↑クリックで本編へ肚をつくる空手肚道伝心会は東京で活動する武術空手の団体です。倒されても元氣になる珍しい空手を稽古しています。伝承されている型は、サンチン(三戦)、ナイファンチン(内歩進)、パッサイ(抜塞)、クーサンクー(公相君)、セーサン(十三)の五つの型です。
「この運動は、腹に力を取るのにとてもいい動きだ」と言って、畳に座って見せてくれました。また、「この動きはとても大切だからね。よく研究するように」と言って、手首を返して見せてくれました。その時は、とにかく大事な動きなんだろうなあと思い、返事をしていましたが、自分で、道場で教えるようになって、改めて、合氣について教えようとしていたことを理解できました。新年会では、大先輩が、佐川先生のお話を引き出すことが上手く、武田先生との思い出は楽しく聞くことができました。「こどだから
佐川先生が学んだ武田惣角先生は、「1ヶ条は、相手に肘をぶっかける」という教えをしていたと聞きました。佐川道場でも、「肘を揚げる」と繰り返し習いましたが、佐川先生の1ヶ条は、相手の肘に触れたときにすべてが終わっていました。一瞬で別次元でした。「合氣とは、相手を無力化することである」(円の動きでも、緩急のリズムでもなく)という世界にいることができたのが、私の財産です。佐川先生は、17歳で合氣の原理に気づいて、それをもとに修行を続けたということでしたので、心の底から驚き
忙しくてなかなか稽古に来られない。良くある悩みです。しかし、(行こう)と思うだけでも稽古になっています。なんなら、ちょっと體を動かして型を真似てみたり、頭の中で型を繰ってみたりするだけでも、頭脳という臓器の稽古になってます。昔、木工作家の見習いの時に、町の曲げわっぱの古老を訪ねた事があります。彼は、界隈では最後の名人として、良くメディアに出ている人でしたが、いつも腰が低くて謙遜ばかりでした。私は少し通って、片付けとか手伝ううちに、昔の話をされました。「ワシは不器用で、何をやってもダメ
合気がわかる前は、みんな突きで倒していたということでした。佐川道場に入門したころは、一番奥の大先輩から、その隣の先輩、また次の先輩と休みなく指導を受けることができました。「透明な力」が世に出てからは、道場生が10倍の70人ほどに一気に増えました。私は、道場で、神前の真下、つまり佐川先生の目の前に立っていました。佐川先生の指導があると、最前列に行き、とにかく1語も聞き逃さないために。「君たち、突きはこうだ。こうだ」と言って、よく技を見せてくれました。いつ見ても、
いや、別にふざけているのでもないのですが。とにかく覚えられないんですよ!逆半手とか相半手とか、逆半身と相半身とか。合気会と大東流系で微妙に技の形とか言い回しが違うので混乱するんですよね。・・・などと言って10年以上経過しているのだから、いい加減慣れろと自分に言いたい。あ~、演武の練習も全然できていない!演武出たくない!(←まだ言ってる)