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大阪天王寺区坐禅の寺天正寺です5月2日は大阪難波宮跡公園にて野外坐禅会を行いました。大化の改新の頃天皇が住んでいた宮殿跡です。柱と台座が復元されています。まるで坐禅の座布の様な柱です。台座から脚を投げだすと全身を投げ出す感覚が少し分かるような気がします。経行をしている所です記念撮影天気が良くて、とても気持ちいい一日でした。また企画します‼️参加者の方からこの台座の上で四天王寺に向かって大事な神事をしたと教えて頂きました。そこに天正寺もあったかと思うとな
中町のあたりに尼ヶ崎稲荷神社という神社があります。『尼ヶ崎稲荷神社』葵区中町、本通りからちょっと横に入ったところで、赤い鳥居を発見しました。「ふん、こんな所に神社があったのか。」と鳥居の前まで行ってみますと、なんか妙…ameblo.jpそのあたりに町名碑が出来た、ということを知ったので、見に行ってきました。隣が工事中というのもあって、なんか前とは雰囲気違うな~。これが町名碑。四足町だそうな。説明のプレートを探しましたが、見つからず
皆様、ご機嫌YOです!聖徳太子の時代前後に権勢をふるった蘇我氏。その権勢たるや天皇の即位にまで影響を及ぼしたばかりか天皇や皇族をも弑した前科もあるほどの一族ですが、いわゆる「大化の改新」の始まりの狼煙となる乙巳の変で入鹿、蝦夷の親子が葬られ、政治の主流から脱落します。蘇我一族の中では中大兄皇子に与した石川麻呂が生き残りますが、彼も後に謀反の冤罪で誅殺され、以降は細々と生き残るのです。そんな感じで今回は古代におけるキングメーカー、蘇我氏の盛者必衰とも言うべき流れを見ていきましょう。
昔は「大化の改新」といった事件を、いまは「乙巳の変」といいます。中大兄皇子や中臣鎌足が、事実上の政権首班「蘇我入鹿」を殺害し、蘇我本宗家を滅ぼした「クーデター」事件を乙巳の変、その結果成立した政権が推し進めた一連の改革政治を「大化改新」と呼びます。ちょっと待って。中大兄皇子は、そのときの天皇(皇極女帝)の長男なんでしょ、正統な跡継ぎなんだかから、それが家来の蘇我を滅ぼしたのを「クーデター」というのは、おかしくないか?という人がいましたが。中大兄皇子は皇太子ではありません。当時は皇太子と
「人生」す~~(927)★哲学する!アリストテレス三つの政治体制「腐敗するとどうなるのか」*貴族制・・・支配者が複数であるため権力が分散され、独裁者が生まれるリスクが少ないというメリットがあるが、支配者である貴族達が堕落した場合には、派閥争いや権力闘争に夢中になって肝心の政治をおろそかにしてしまうため、国家はどうしようもなくボロボロになってしまう。読んだ古代史関係の書籍no,4◆大化の改新乙巳の変その席に列席し、その一部始終を見ていた人物がいた。古人大兄皇子である。舒明天皇の長
日本史において最も有名な事件である「大化の改新」であるが、まったくもって意味不明なネーミングである、と言わざるをえない。何故、このような間違った認識の下で、歴史が改ざんされたのか、それについて私の考えを述べてみたい。さて、西暦645年7月に、時の権力者蘇我入鹿が、中大兄皇子、中臣鎌足によって暗殺された。権力の移行が行われただけであり、制度そのものが改新されたわけではない。この事変は、当時も、江戸時代にいたるまで、「乙巳(いっぴ)の変」と呼ばれていた。645年7月大化の改新667年3月近
”ぼっち”が好きなHSP(ひとみしり)が死ぬまで面白がって生きていく「言葉の力」を配信しています。私の今までの人生ストーリーわたしの世界観はこちらから。前回の記事はこちら↓『【HSP(ひとみしり)のための言葉の力】あなたの中に大化の改新?!』”ぼっち”が好きなHSP(ひとみしり)が死ぬまで面白がって生きていく「言葉の力」を配信しています。私の今までの人生ストーリーわたしの世界観はこちらから。前回の…ameblo.jp■【HSP(ひとみしり)のための言葉の力7つの習慣】〜
今日は奈良南部の明日香村へ。まず飛鳥寺続いて石舞台へさらに談山神社へ。大化の改新の密談を行った場所まで歩いて…。
今日は2026年4月19日(日)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。昨日は録画をしてあった関西テレビの「ニュースランナー」を見ました。その中の兵動大樹さんの「今昔さんぽ」を見ました。今回は奈良県明日香村の「高松塚古墳」「キトラ古墳」などを巡りました。僕も昔高松塚古墳とキトラ古墳行った事が有ります。懐かしいのでその時のブログ記事を振り返って見ました。過去記事です。↓===========200
つづきです(__)まだまだGoGoで着いたは水落遺跡フムフムここは日本最古の水時計台跡で、階段状に設置された水槽の最下部にたまる水の量で時間を測り時の鐘を鳴らしていた場所今では簡単に時間を知ることができる我々だが1300年以上前(650年頃)の当時は『皇帝が領土と時間を支配する』って中国的な思想でつまり権力の象徴だったんだねここで驚いてほしいのが!この場所の地名『水落』は昔から使われてたんだけど水落遺
またも偶然にこちらの動画が配信されました。くろの【都市伝説】より「2,000年前に日本は2つありました」AIが解析した中国の古代文献から日本の消された本当の歴史が明らかに【都市伝説】大和王権にとってはかなり都合の悪い解析なのでしょう。勝者が歴史を作るの典型ですね。
ゴールデンウィークまで、あと2週間!今回は、前回お伝えしたように、GW初日の祝日である「昭和の日」に代表される日本の“元号”についてお話していきたいと思います。2.「昭和の日」に代表される日本の“元号”とは?▼そもそも元号とは?元号は、古代中国で君主が時(暦)をも支配するという思想のもと、紀元前140年、前漢(ぜんかん)の武帝(ぶてい)の時代に誕生した制度。現在でも使用されているのは日本だけで、本家中国では約2千年後の清(しん)を最後に消滅、西暦が使われています。
4月3日かつては「神武天皇祭」がおこなわれていたそうだが、知らなかった!戦後に消された行事なんだね~。「神道廃止令」か・・・。😢そんなこと・・・、理由はともかく武力で勝ったからと言って、よその国の歴史や法律まで勝手に自分たちのいいように変えようとするから、いつまでたっても世界は平和にならないんだよ!!!(お怒り、ごもっとも!)ところで、645年、昔は「大化の改新」と習い、年号を「虫殺し(むしごろし)」と、覚えた。今は、乙巳の変(いっしのへん)というらしく、それを
こんにちは。伊藤です。外は落ち着いた陽気で、春らしさが感じられ、過ごしやすいように思います。さて今日は、4/9「大仏の日」と定められているようです。天平勝宝4年4月9日「大仏様開眼供養」が東大寺にて行われたことにちなんで記念日が設けられています。かの有名な奈良の大仏です。東大寺の大仏は745(天平17)年に時の第45代・聖武天皇の発願にて制作が開始され、建立されました。正式名称は「東大寺盧舎那仏像」として、国宝に指定されています。ですが、悲しいことに当時の民衆からの支持は少な
⬛この諺はさ、ワシが考えるにはさかなり、大昔からなあったのではないかな?👍️つまりな、大化の改新でな藤原氏がな、かなり長くさ摂政関白、さらに公卿やらな、政界やら朝廷をさ、な多年に渡り、独占していたよな。で、ある時期からな、武家がな、政治をするようになるわけな。で、その時代もな、やはり、京都の都のさ、貴族には💴があるわけよな❗ね、でさ、秀吉やら家康すらな、💴でな、買えた位置だと想うのよな🎵関白や将軍もな。つまりな、武家にはさ、ま、イクサに、💴やらかかるからな。
紫門圭サンが『本』を出版されます全六巻韓人、鞍作を殺しつ〜乙巳の変の真実〜十の民の旅第一巻出版するにあたり①〜⑧までブログで読むことができます👏歴史、ミステリー好きな方はもちろん作られた歴史、隠された真実🇯🇵の乗っ取り‥等日本人全員が読むべき物語ぜひ‼️紫門サンありがとうございます😊リブログさせていただきます
最近「言霊学(げんれい)」にはまってます。興味を持ったのは、20年ほど前、初めてヒーリングのモニターをしてくれたのが、カタカムナを研究していた人で、お礼に「相似象」という貴重な冊子を頂きました。陰陽道のエネルギーワークでも、カタカムナの宇宙観は、基本だと教わりましたし、ヲシデ文字の体感ダンスを踊ったり、なんとなく興味がある程度でしたが、最近、ふとしたことから「言霊学」と言うものがあると知り、本を買って読んだ所、これまで「不思議」と思っていたことが、様々に繋がっていくので、面白くてたまらない
トップ写真は、談山神社の神廟(しんびょう)拝所と十三重塔NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2026.2.26)に掲載されたのは〈大化の改新の功臣鎌足祭る/談山神社(桜井市)〉、執筆されたのは、同会会員で桜井市にお住まいの𠮷川康司さんだった。多武峰のあたりは、冬の寒さは厳しいが、春になると新緑が楽しめるし、秋の紅葉は見事である。毎年4月と11月には、けまり祭も行われるので、ぜひお訪ねいただきたい。では、以下に全
今日、こんなXに接した。↓先日、流れたニュース↓への反応の1つだろう。国立博物館や美術館に収入目標、未達成なら閉館含め再編検討…30年度までに文化庁2026/03/0407:37入館料の「二重価格」導入も国立の博物館や美術館の運営について、文化庁は来年度から5年間の次期中期目標で、収支均衡を目指した数値目標を定めた。未達成の場合、閉館も含めた再編を検討する。国費に頼らない財務構造への転換が目的で、中期目標には訪日外国人観光客が割高になる入館料の「二重価格」の導入も盛り込んだ。中
瀬織津姫が天照大御神荒御魂に置き換えられたんじゃなくて天照大御神荒御魂を瀬織津姫に置き換えたんでは?※向津姫が荒御魂であるのは由緒記通りホツマツタヱの仏教要素や出てきた場所倭姫命世記の時期も含めて大化の改新以降の流れを汲んでるやはり神仏習合がキーになっていると思う中大兄皇子と中臣との間で何が起きたかそんなことは現代人には絶対わからないインスピレーション疑わなくていいと疑いそうになるとやってくる後ろの人の言葉か瀬織津姫の言葉なのか倭姫の言葉なのかはたまた天照大御神の言葉
持統天皇の話の続きで、藤原京、の話をします。「~宮」と「~京」の違いは何か、という説明で、「従来は天皇が住んでいた宮殿で政治を行なっていたが、天皇が変わると政治を行う場所も変わるのは不便なので、持統天皇は、天皇が変わっても同じ場所で政治が行えるようにと、藤原京を作った」というような説明が書いてあったが、天皇の代替わりで変わるのが宮、変わらないのが京ということなら、べつに天皇が変わっても宮を移さなければいいだけの話ではないのか?とまあ、そういう話ではないんですよ、って話です。なぜ、持統天
私は、学生時代、唯一興味を持てた授業が日本史。その日本史の教科書の記述内容が、当時と今とでは、変化があります。『聖徳太子』聖徳太子という名称は、生存時に使われてなく、後世の人が、後から付けたニックネームだそうです。今では厩戸皇子(うまやどのみこ)と表記されています。『仁徳天皇陵』大阪府堺市にある日本最大の前方後円墳として、覚えましたが、今では、仁徳天皇が埋葬されていると断定できなくなった為、教科書では名称が変更になりました。『士
だから、乙巳の変の時の天皇は貴女で、【飛鳥時代】になる。と言われ、舒明天皇の次代は皇極天皇だから、過去の貴女の事だった。そして【舒明天皇】は、誕生が【593年】で、崩御は【641年】(百済宮)だから、大化の改新は【645年】なので、ソレ以前に防御してる。そして【皇極天皇】は、♦️誕生/西暦【594】年たから、645➖594🟰【51】で、51歳の時に大化の改新があったので、使われてた数字は【1】と【5】🟡貴女の生年月日は、【全て】『5』で割り切れる。1965➗
壬申の乱とは、何か。という話を、書きます。壬申の乱のとき、鸕野讚良皇女(のちの持統天皇)は、夫に味方して、弟を倒し、父の都を滅ぼしました。鸕野讚良皇女(のちの持統天皇)にとって、大友皇子(弘文天皇)は腹違いの弟です。この時代、腹違いの兄弟なんてのは、基本的に敵です。鸕野讚良の母は、右大臣・蘇我倉山田石川麻呂の娘である遠智媛(おおちのいらつめ)です。中大兄皇子(天智天皇)たちによる乙巳の変(いっしのへん)と言われるクーデターは、蘇我氏の本宗家(蝦夷、入鹿の親子)と、分家の倉山田石川麻呂た
「日本書紀」は当時の王権の正当性を主張することが主要な目的だった。時の王権の中心人物は天武天皇・持統天皇と藤原不比等であった。持統天皇の父は天智天皇(中大兄皇子)であり、不比等の父は鎌足である。2人による蘇我氏に対するクーデターとされる「乙巳の変」からの政治改革を「大化の改新」として律令国家の建設を「歴史書」にアピールしようとしたわけである。下掲は平安時代に描かれた乙巳の変。律令国家建設と天皇への中央集権化は乙巳の変以前の推古天皇(554-628)、蘇我馬子(?-626)・聖徳太子
最近また預金封鎖が語られている↓はダイヤモンドオンラインの記事抜粋です「預金封鎖」というキーワードを私も考えてみた、現在の日本の状況だと可能性はほぼゼロなんだけれども…もしアメリカがトランプ政権のむちゃくちゃな政策でハイパーインフレーションを伴う想定外の金融危機に陥った場合、アメリカが預金封鎖ということも十分あり得る。実際にその可能性は囁かれ始めている、その場合日本はどうするか日本の場合はかって実行した1946年の預金封鎖というより富裕層だけの金融資産没収をまずやるべきだ私
いつもなら、古流の稽古に行く時間帯のNHKFMラジオを流していたところ、、、、なんと、DJ日本史という番組で「壬申の乱」やっております!!この中で、エンタメとして中大兄皇子を主人公で大河ドラマに!と、言ってましたが、私も主人公は女帝のどなたか、でぜひ、飛鳥時代の大河ドラマ、できるといいなあ。。。。と思ってます。DJ日本史シリーズ天下分け目の戦い・敗者の理由(1)壬申の乱2月11日(水)18:00-18:50出演者:松村邦洋(出演)
「英雄伝説を語り継ぎます。卑弥呼、聖徳太子、」「大化の改新から、牛若丸の活躍、源氏と平家。」「安土桃山時代〜江戸時代・・信長と秀吉と家康」「徳川時代・・大石内蔵助と徳川吉宗と徳川慶喜」「まだまだこれからも、英雄伝説は続きます!!」<伝説の始まり>
まほろばの王たち(講談社文庫)Amazon(アマゾン)出版社:講談社発売日:2017/10/13文庫l:321ページISBN-13:978-4062937818大化の改新から四年。朝廷の権勢が増すにつれ、都と山の民の紛糾は激化。都では鬼が現れ、山からは神が姿を消していた。物部の末裔である広足は、葛城に住まう験者・役小角に仕え、民同士が争わず共存できる道を探る。神や妖たちとの呪術戦、仲間を信じ奔走する者たちの姿に胸躍る傑作冒険ファンタジー!---------
征新羅大将軍であった聖徳太子の弟、来目皇子の殯を周防国でおこなった土師(娑婆)連猪手のその後それから40年の月日は流れ、643年のこと。皇極天皇の生母、吉備嶋皇祖母命が薨去。天皇の詔によって、葬儀を担当する。しかしその年の11月1日(12月20日)の聖徳太子の子である、山背大兄王襲撃事件に連なり、なんと、攻める側になった。蘇我氏と親密だった巨勢徳多に従って斑鳩宮を攻めた。(今も焼け跡残っている)このとき何歳?だいぶ、お年のはず。あっけなく、奴三