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こんばんは、大島です。以前からお話しようとしてできていなかったものですが、高市首相の出馬会見の際に詠われた大伴家持の和歌について私なりの解釈ですが、お話したいと思います。高円の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ雄鹿出で立つらむか改めて説明すると、令和7年9月22日、自民党総裁選に向けて党本部で行われた候補者演説会で高市早苗議員が読んだ歌です。作者は、大伴家持(おおとものやかもち)で万葉集に編纂されています。この歌の意味は、いわゆる“恋の歌”とされ、雌鹿を呼ぶときっと来る、としたものです。
翠邑日誌Suiyu’sDiary榎本翠邑元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、元全国書道師範連盟会員、元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。東京生まれ後編続き12月榎本翠邑の百人一首中納言家持6番榎本翠邑の百人一首中納言家持6番鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば
これより上に書き足す。Part2。◆大花火放たんと闇撓みけり[知命三句隅田川船上にて(『北落師門』黛まどか)]◆世間と呼ばれているものは、もしこういってよければ、いわば世間に身売りしているような人々からだけ出来上っているのである。彼等は自分の才能を利用し、富を蓄積し、世間的な仕事を営み、賢明に打算し、その他いろいろなことを成し遂げて、おそらくは歴史に名が残りさえもする、――しかし彼等は彼等自身ではない。彼等がその他の点でいかに利己的であろうとも、精神的な意味では何等の自己――そのた
《新古今和歌集・巻第十五・恋歌五》1361中納言家持(やかもち)に遣はしける山口女王(やまぐちのおほきみ)塩竈(しほがま)の前に浮きたる浮島(うきしま)の浮きて思ひのある世(よ)なりけり☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆中納言家持に詠み贈った歌山口女王火の絶えない塩竈の前の波に浮いている浮島ではないのですが、心が落ち着かないで、思いという火の絶えないでいる、あなたとの仲であ
万葉ゆかりの景勝地、雨晴海岸万葉の歌人、大伴家持は、この雨晴の風景をこよなく愛し多くの歌を詠みました。その美しい景色は今も昔も変わらず、浜から眺める岩礁、富山湾越しに見る3,000m級の立山連峰の雄大な眺めは格別だそうで一度見てみたいと思って訪ねてみました幸い三連休の中でも今日は一番の快晴普段は荒々しい日本海も今日は凪いでいます海越しの女岩と立山連峰はまさに絶景スポット。海を挟み標高3,000m級の山々を望むことが出来る景色は富山県ならではと言えるで
「5小倉百人一首(その6」今日は、宇喜田秀家みなさんおはようございます秋の早起きはいいですね静かですそれほど寒くもありませんたっぷりの時間得した気分です(笑)オールドメディアは間違った世論を作ろうとしますがなかなかうまくいきません日本は変わりました戦後80年の厄を祓いましょうシラケズニ、霜月、11月大きな厄払い(笑顔で)「小川翔護とハタラク仲間たち(OHN)」ご参加いただいた皆様、ありがとうございました鋭意準備中です、今しばらく
よかったらこのブログをフォローしてね♪━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━億万長者養成サロン富の構築エグゼクティブマネー代表伊木ヒロシ公式ブログ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━「幸せ基準」著者で、45万人以上に経済的自由人の生き方を提唱し続ける「お金の学校」校長伊木ヒロシです。本日も最新情報で思考を刺激して参ります。伊木流株式為替投資マスタースクール✨富の寺子屋✨☞スマホひとつで世界一簡単な勝率80%の売買スキルを手に🖐️『添
「人生」犬笛を吹く(793)★伊豆半島伊東市の市長選に田久保氏が再出馬するらしい。斉藤氏の選挙例が悪しき前例を作ってしまった。立花氏も出馬するようだが今回は檻の中なので少しは静かだろう。◆続日本紀早良親王の事件○藤原種継が殺害された翌日、平城宮から帰還した桓武は実行犯の処罰を命じた。28日には詔を出し、厳しい処分を言い渡す。○処分されたのは大伴家持ら早良に近い官人、罪状は次の通り。”式部卿藤原朝臣【種継】を殺し、朝廷を傾けて早良を君とすることを謀議した。”ー「日本略記」延暦四年九月
黄金山神社に隣接して天平ろまん館という展示施設があります。入場料と採金体験で1300円。展示は金について、各地の砂金とかけっこうな量が展示されているけど、昨今の金の高騰でこれの含み益がすごくなってないか。黄金を発見した百済王敬福は、金の採掘の技術者を抱えていたんだろうな。金を発見した功で彼は従三位へ七階級特進というとんでもない昇進をしたのか。こちらはもこのあたりで使われていた砂金の採掘の道具。近年までこここいらでは、冬の農閑期に砂金採りをしている人がいたんだという。見学の地、砂金堀り体
さて、一週間が終了😊後半はハードでした😆💦先月から入った新しい看護師達もだいぶ動きが良くなり、一安心です😊イイ感じ👍ところで先週は、富山に学会に行きましたが、万葉ファンの私としては、高岡市の万葉歴史館にどうしても行きたくなり、、、さんざん逡巡した挙句、結局弾丸で寄ってきました‼️奈良の名所はかなり行き尽くした私万葉集も大好きで、ゆかりの地はかなり訪れました万葉集は、大伴家持が編纂したと考えられていますが、全体の1割、400首以上の和歌が家持作ですその大伴家持が五年間、越中の国守を
<「国」、「国庁」、「国府」のこと>因幡の国の国庁跡は、現在の地名で鳥取市国府町にある。鳥取駅前から国府町までバスで20分ぐらいはかかるらしい。さらに、国府の中をあちこち回るとしたら、歩く距離は結構なものになる。もう健脚者ではないから、半日、レンタカーを借りることにした。(以下は、改めて勉強し直した私のメモのようなもの。わずらわしい方は読み飛ばしてください)。「国」と言うと、日本国の「国」と紛らわしいので、「旧国」と言ってみたりする。英語ではprovinceという語が当てられ
今日の一首かからむとかねて知りせば越の海の荒磯ありその波も見せましものを万葉集大伴家持この歌は越中にいた家持のところへ京の都から弟が亡くなったという知らせが届いた時に詠んだ歌だそうですこうなるとわかっていたら一度この海を見せたかったなぁ残念だ弟よ(涙)有磯海ありそうみは富山湾の古称で、厳密には高岡から氷見までの海域らしいです越中の国守として赴任した大伴家持により初めてこの地の海が詠まれました荒磯の海(荒波の押寄せる岩場の海岸)の代名詞とも言え
高岡の旅の続きです。米島口(よねじまぐち)から高岡駅へ万葉線で移動しました。高岡駅とデ7070形7073号(YG号米田木材株式会社)です。高岡駅とMLRV1000形の1003号「ドラえもんトラム(4代目)」です。高岡駅北口前広場前にある大伴家持(おおとものやかもち)像です。昭和56年(1981年)に第1回高岡万葉まつりの開催を記念して設置されたのち、平成26年(2014年)にクルン高岡のグランドオープンに合わせて修復、再設置されました。この像は、万葉歌人である大伴
富山の旅の続きです。今回は富山地方鉄道市内電車の撮影が中心です。【丸の内】7000形です。この車両は、今もなお旧塗色を維持する7018号車です。富山地方鉄道7000形は、東京都電8000形をモデルとしており、日本車輌製造で1957年から1965年にかけて22両(車両番号は「デ7000形7001-7023」、7004は忌み番号として欠番)が製造されました。長らく活躍してきた7000形ですが、現在は廃車が進んでいます。8000形8004号です。富山地方鉄道8000形は、富山軌道
サビ猫の良いところ・・賢い。空気読んでる気がする。女の子なのにツンデレじゃなく甘えてくれるところも魅力。毎日、心を込めてご飯あげてるのに、シャーシャー怒ってくるサビ女子(TNR済)もいるけど、せいこちゃんは、人馴れして甘えて懐いてくれるから、すっごく良い子です。せいこちゃん、眉毛が凛々しくて特徴あるよね~。「磯の上のつままを見れば根を延へて年深からし神さびにけり」大伴家持訳磯の上のつままを見ると、
富山の新鮮な海鮮もいただきました。満足です。そろそろこの日のお宿へと向かう時間ではありますが、その前にもう一ヶ所立ち寄りましょう。それがこちら。雨晴海岸です。富山県の海の名所といえば必ずランキングされますよね。一度来てみたかった場所。まずは義経岩のすぐ前にある道の駅雨晴海岸に車を停めましょう。敷地が狭いということもあって、駐車場はけっこう混雑しています。場内に何とか入ることはできましたが、そこから10分ほど出庫待ちしました。後で見ると道路わきに第二駐車場や臨時駐車場への誘導看
ぱんだの富山県歴史巡り(´Д`)。本日ご紹介するのは、富山県高岡市の高岡駅前広場にある大伴家持像です。大伴家持像こちらが大伴家持像です。大伴家持は奈良時代の公卿であり、万葉歌人としても知られています。大伴旅人の長男で、叔母に万葉の女流歌人として有名な大伴坂上郎女がおり、妻は坂上郎女の娘で従姉妹に当たる大伴坂上大嬢です。『万葉集』の編者とされており、三十六歌仙の一人として数えられています。従三位中納言に昇りましたが、死後に藤原種継暗殺事件に関係していたとして官籍から除名、後に復しま
私はダムマニアと云うほどのオタクではありませんが、いろんな水利構造物を眺めるのは好きです今日もマジメ路線でウンチク話をそもそもダムも堰堤(えんてい)も川を堰き止めて水を溜める機能は同じなのに、どうやって区別するのかというと、設置目的とか利用形態の要素もありますが、一番端的なのは堤高が15m以上か未満かで区別されますこれはダム?それとも堰堤?どちらでしょう写真は岐阜から富山に流れ下る庄川が山間部から平野部の扇状地に出る扇のかなめの位置にある庄川合口ダム(舟戸ダム)と命名され
どーもどーもAria♪です本日10月6日(月)中秋の名月そしてそしてその翌日10月7日(火)牡羊座満月中秋の名月迎えるころ秋の夜風を楽しんでこの時期なら…秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ(万葉集より大伴家持)と言いたいところですが…10月になったのに全然暑く…汗がまだでることもあり白露の儚さはどこへ…⁈となりますが秋草にある白露のようにいつまでも儚く見飽きることがない思いで逢うのですまた月が経つのを待たなければいけ
しなざかる越に五年いつとせ住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも【大伴家持】「遠く離れた越の国に五年間住み続けて、今こうして別れなければならないことの、なんと惜しい宵であることか」29歳の若さで越中の国守として赴任してきた家持が少納言となって都へ戻るときに詠んだ歌です越中の国の国府は写真の右方向、富山湾に近い高岡市の伏木にありました家持は後に万葉集の編纂に大きな役割を果たしますが、万葉集全4516首のうち、家持の詠んだ歌が473首と一番多く、その約半数の223首
「海ゆかば」は大伴家持が大仏の金を探しに行く歌です日本の軍歌と呼ばれる曲は芸術的な名曲がたくさんありますすべて何もかも否定しようとする輩がいます歴史的認識が足らないのです「海ゆかば」は大仏の歌なのです黄金に輝くブッダを想像しなさい阿弥陀の後光から発想を得たというあの旭日旗を見て貧相なイメージを思い浮かべず南無阿弥陀仏と唱えなさい我が日の本は仏教の国なのです
秋の田の穂向見がてり吾背子がふさ手折りける女郎花かも一大伴家持一天平18年(746年)の秋、大伴家持がここ越中の館で催した宴の折に詠まれた歌。稲穂の実りを確かめながら、女郎花を手折って宴席を飾ったその光景が目に浮かびます。本日のお花のお稽古では秋の七草のひとつに数えられている女郎花と秋の青空より色彩をいただき花合わせをしております。雲龍柳で花束のアシスト、花留めを組み、その間にお花を入れていくス
高市さんが外国人優遇策・移民政策停止を訴えた。・奈良の鹿を蹴り上げる外国人に怒りを表明・鳥居にぶら下がる外国人に神社を何と思うとるんや?・外国人を雇う方が得になる制度に異議・外国人の不起訴が多いのは不公平・外国人受け入れは一旦、ゼロベース。高安ミュ高市早苗氏が「これ以上、私達の美しい国土を外国製の太陽光パネルで埋め尽くすことには猛反対です」と明言したことで、同じく反対の小林鷹之氏と共に“日本の緑を潰すメガソーラー”が総裁選の争点に。環境相時代、国立公園内の設置にもGOサイ
演説の冒頭、高市候補は「皆様、こんにちは。高市早苗、奈良の女です。大和の国で育ちました。奈良の女としては、奈良公園に1460頭以上住んでいる鹿のことを気にかけずにはいられません。万葉集の鹿を詠んだ歌がたくさん載っているとして。外国人の鹿への暴力への批判した。大伴家持の角が大きな雄鹿のことを歌った歌を紹介。高円の秋の野を流れる朝霧の中を妻を求めて鳴く雄鹿が今立って歩いていく、そういう意味の歌です」と述べた。続いて、朗々と「高円の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ雄鹿出で立つらむか」と詠みあげた。
(旧)文月二十八日海行かば水く屍の歌の碑の難波八阪の陸奥の碑の前雲端大阪メトロの旅四つ橋線編難波八阪神社の境内の隅に先の大戦開戦時の日本海軍の旗艦戦艦陸奥主砲抑気具記念碑と呼ばれる碑がある。抑気具とは主砲の蓋である。『第2076首戦艦陸奥の碑~難波八阪神社~』(旧)如月二十二日陸奥の碑に悲哀漂う春霞み戦につける勝ち負けぞ無し雲端難波八阪神社境内に「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」というのがある。戦艦陸…ame
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。今回は大伴金村の系図を見ていきたいと思います。大伴金村は五世紀末から六世紀前半の豪族です。武烈天皇・継体天皇の擁立に功績があり、宣化天皇に至る四朝の大連となって政権を握ったとされています。筑紫国造磐井の乱の鎮圧、屯倉の増設などでも功績を上げましたが、欽明天皇元年の百済への任那四県割譲の責任を問われて失脚しました。蘇
川内駅着。大雨の影響で肥薩おれんじ鉄道がひどく遅れたので、予定してた列車に乗り遅れた。これで、この日のうちに枕崎まで行くことはできなくなってしまった。しばらく列車まち。駅前散策。大伴家持の像があったよ。大伴家持は薩摩守をやったことがあるかららしい。薩摩の国府は川内にあったんだね。大伴家持が、薩摩守をやったのは藤原氏の嫌がらせによる左遷というけど、隼人たちが、まだ穏やかでないころ。武の名門の大伴氏の当主を送り込むことは理に適っていて、そのあたりも藤原氏のいやらしいとこかも知れぬ。ち
「4歴代ノ総理大臣(その27)」今日は、大伴家持みなさん、おはようございます8月15日以降の歴史を学ぶと胸が締め付けられますわが国のポツダム宣言の受諾の後攻めてきた国をご存じですかその都度何千人の民間人、国民が虐殺された歴史是非学んでください葛根廟事件三船殉難事件佐渡開拓団跡事件・・歴史を捻じ曲げられてはいけません9月2日を終戦日と後付けしようとするのは敵国の情報戦なのですからこの時期は心が痛みます8月28日は奈良時代
こんばんはYouTubeを公開しました今回は『海ゆかば』です塩入は軍歌も確かにその時代に生まれて歌われていた曲歴史の中で存在した大切な曲として大切に歌い継いでいきたいとの思いでコンサートでも歌っています今月は終戦の月その時代家族のために愛する人たちを守るため懸命に生きた先人たち家族を守るため必死に生き抜いた全ての人に感謝の想いを捧げたいと思います海ゆかばは万葉集におさめられた大伴家持が詠んだうたを元に作られています軍歌というカテゴリーに存在しますが実は古く