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7月17日今日は戦国時代の城へ行きますぞ。茨城県坂東市「逆井城」である。先ずはこの堀が迎えてくれる。これは凄い!この城址公園は中世の城郭の姿をできるだけ忠実に残している。つまり後北条氏時代やその前の外堀や土塁の一部が、現在もそのまま残っているのだ。関東は長く戦乱の中にあった。始まりは平将門の乱であり、源頼朝の挙兵。そして鎌倉公方と関東管領の対立から古河公方を中心とする享徳の乱への展開。後北条の関東制覇。そして豊臣秀吉の関東侵略の攻防など、常に関東は戦
2001年東北の旅その14男鹿半島のつけ根は大潟村。ここは昔、小学校の社会科で勉強した「八郎潟の干拓」で出来た村だ。いや、本当に社会科だったかな。国語の教材だったかも。ちょっと自信ないけど、それはまあいい。ともかく戦後日本の一大土木工事だったんだ、という印象がしっかりと僕の脳裏に刻まれているのは、教育の勝利以外の何者でもない。ここには「八郎潟干拓資料館」なる施設がある。これに寄らない手はないと思い、行ってみれば、ラッキー、本日から数日間は入場無料とのこと。干拓地の構造だとか歴史
さて、護摩壇に向けてさらに岩岩しい岩肌を通過していきます(´ω`)改めてみるとなかなか岩岩しいコースですな。この岩のトンネルを抜けると護摩壇の案内看板です。というよりもう既に行場感が全開ですな(´ω`)素晴らしい。たくさん観察です。後続のお客さんの気配がする(・・;)道中人にあんまり会わなかったからちょっぴりほっとするけど。ここでガッツリ目の勤行中に鉢合わせしたら気まずいなあと思い・・・短いお行で神仏様に申し訳ない(;´д`)護摩壇周辺の写真・動画をご覧ください(
2冊/共に美本京都府与謝郡誌上下京都府郷土誌叢刊宮津市京丹後市福知山市丹後国伊根浦桂昌院本荘宗秀宮津城籠名神社祝部氏係図系図Amazon(アマゾン)49,870円宿題で宮津城を調べる三男。ほっといたら、いつまでもしないので、とりあえず、それっぽいところの写真を撮る。大手川からのガラシャ像。小学校の門と、太田病院とこの石。他にも城跡どこかあります?これ実は!みたいなの探したいねぇ。あとはもっと三男なやる気があればなぁ。(笑)#宮津城#城址
さあ、さあもっと山奥へいきますよ毎度、お馴染み山道を疾走するグゥイーンカーブなんてへいちゃらよぉちゃらっちゃらあぁああふんふんすれ違えればOK対向車は来ないでねぇぇぇぇ♪♪やった田んぼが見えた手前に鳥居鼻歌歌っているうちに着いたようですテンションあがるな天然水だわめちゃくちゃ冷たかった湧き水でコーヒー沸かすと味がちがうのよね
どうも釜次郎です!連日猛暑が続く中、お城好きの方々はいかがお過ごしでしょうか。さて、今回は山梨県韮崎市にある新府城の攻城記録です。【歴史】新府城は武田勝頼が織田信長の甲斐侵攻に備えて築城した城です。築城には真田昌幸をはじめとする家臣たちが深く関わっています。長篠の戦いで織田・徳川連合軍に大敗を喫したことで、それまでの甲斐の府中であった躑躅ヶ崎館(甲府市)では信長に対抗できないと考えたのでしょうか、勝頼は新たに居城を移すことにしました。天正9年(1581)2月の築城開
土曜日はロードライド。出発してすぐ鳩山で降雨が💦これはたまらん、山方面は無いなと北東へ進路変更。里山群を越え嵐山方面へ。学校脇というか敷地内💦のこんなグラベルロードを上がっていくと・・・。杉山城址があります。bikeはここに置き、城跡探索に。意外に楽しい山歩きでもあります。堀の作りがはっきりとわかります。生活やもしもの籠城になってしまった時の為にも水源は大事。本丸。山城だけに意外と眺めイイんです。冬に落葉樹の葉が落ちたころにまた来てみようと思います。行かれる方は
おはようございます!眠すぎる~そういう時、昨日何してたっけとか?朝起きてから考えること多いです(笑)因みに、昨日は仕事が21時に終わって帰ってから飲んで夜中まで録画見てました(* ̄∇ ̄*)本日は川越記事ラストです!では、どうぞ♪大漁や└(゚∀゚└)(┘゚∀゚)┘川越来たら来るでしょ!氷川神社(´∇`)前来た時より、デフォで大漁!!こんなに、たくさんいなかった気がする~相変わらず可愛らしいおみくじですわ💕竿で釣るんですよね(*´艸`)あ!300円を納めて下さいねヽ(´ー`
早いもので8月ですねー💧毎日暑い日が続きますので皆さんも身体には気をつけて過ごしてくださいねー❤︎ウミガメ公園の後は、新宮城跡に♪その土地土地の神社、城や城跡、灯台などは見ておきたい派です✨*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*熊野川河口の南岸の小高い丹鶴山に築かれた眺望の良い城跡公園。元々は源為義の娘である丹鶴姫の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。元和5年(1619年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。そ
7月31日金剛山へ出かけました今回のコースは千早城登山口~百ヶ辻~細尾谷~山頂~千早本道~千早城登山口金剛バス『金剛登山口』の所にある有料駐車場に車を止めました千早城登山口が目の前です今回は行きは府道705号線を歩いて百ヶ辻へそこから細尾谷に入ります帰りは千早本道で千早城を経由してここに戻りますここのトイレはとてもキレイです府道705号線沿いの景色よく晴れて空が綺麗です百ヶ辻には歩いて30分もあれば着きますたくさんの方が川釣りを
城を観る今回は...(撮影2020/06/16)赤木城〜西郭跡〜ここはッなんだッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
肥前名護屋城豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に、国内拠点として築いた城。わずか5ヶ月で築城され、当時の大坂城に次ぐ規模を誇った名護屋城。周辺には全国から参集した大名の陣屋が150以上も建てられ、人口20万人を超える城下町があったといわれています。佐賀県立名護屋城博物館から名護屋城跡へ大手口石垣にロマンを感じます。東出丸ここからの景色もよかったですね。
人生でまだ一度しか行ったことがなく、しかも仕事で行った為、しっかりと街を散策する時間がありませんでした💦でももう一度、ゆっくり行ってみたいのが、郡上八幡です!郡上八幡と言ったら、やはり郡上おどり、名水、そして古き城下町のイメージがありました。実際に行ってみると、古い町並みが随所にありました✨そして、商店街には昭和60(1985)年に環境庁の第一回「日本名水百選」に指定された【宗祇水(そうぎすい)】があります!また、近くには長良川最大の支流【吉田川】
2021年7月31日(土)今日も夏らしくとても暑い朝🌞家でオリンピック見てた方がいいんじゃないかと思いながら、1号機のスクーターでプチツーリング🛵テレビのバイク番組「LikeAWind」の企画食べて応援!バイクでカフェめぐり!!「TOTHECAFEWITHWIND」(勝手に略してTTCWW)実際にチャレンジしてる方のブログを拝見して楽しそうだったので、僕も始めてみよう!長いことバイク乗ってるけど、ライダーズカフェとか、針テラスとか、美山ふれあ
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2021/07/16)【城を観る+】《米津台場》2021〜浜松藩が築きし砲台!米津台場跡を観る〜【城を観る+】《米津台場》2021〜浜松藩が築きし砲台!米津台場跡を観る〜《米津台場》[読み方]よねづだいば[撮影地]静岡県[撮影日]2021/07/16[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[Twitter]バイソン(城を観る)https://twitter.com/baisonsiro[bl
その日、私は緊張していました。はじめて子どもたちに解説する日でした。前の日から何を言うかポイントを絞って準備。いざ子どもたちを目にしたら嬉しさより、緊張してしまった。いま思うと何で???なんだけどね。初夏のすがすがしい○○城跡に児童を誘導して解説が始まる。○○城の解説は何度もしたことがある。だから大丈夫。。。そう言い聞かせた。「おはようございます。今日はこちらの場所から解説いたします。このおしりは・・・」アハハハハアーーーーッハッハッ
2021年7月31日。浪江町大字権現堂について勉強中の西村慎太郎です😊前回は『東奥中村記』(『相馬市史5資料編2(史書類ほか)』相馬市、1971年)の記事の中から権現堂に関わるもののうち、「標葉郡椎葉庄取給事」の後半を確認してみました。権現堂城落城と標葉氏滅亡の記述は多くの記録で多少の違いはありますね。ところで、相馬氏による標葉郡支配の中で重要な役割を果たしたのが、権現堂城の鍵を雪の上に落として内応したといわれた藤橋隆豊という人物です。前回のブログでは泉田氏の甥ということで登場して
昭和生まれの世代で映画『マッドマックス2』(1981)を知らない人は(たぶん)いないと思うんですけども、あれは面白い洋画ですよね。人気マンガ『北斗の拳』にも多大な影響を与えたバイオレンス・アクションです。そう、『マッドマックス2』の舞台はまるで『北斗の拳』な世紀末。極悪暴走軍団が暴虐の限りを尽くし、いたいけな庶民たちは日々彼らの襲撃に怯えながらも武器を取り、砦の中に籠って生活している。そんな世界観です。で、ストーリーの冒頭、その砦に攻めてくる訳ですよ。極悪暴走軍団が。出典:
城を観る今回は...(撮影2020/06/16)赤木城〜主郭跡より西郭跡を望む〜あそこはッなんだッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
2021年7月25日、肥前名護屋城に行く。今回は佐賀県立名護屋城博物館編です。入館料は無料です。御城印と記念スタンプ肥前名護屋城の本、こちらは各1,000円陣跡、今回は陣跡は時間上訪問できず。室町時代の勢力図豊前には門司光久・藤原俊幸の文字あり。古地図九州はBUNGO(豊後)と書かれています。豊臣秀吉画像豊臣秀吉綴織鳥獣文陣羽織肥前名護屋城図屏風絵本朝鮮軍記忠武公家乗大砲和船名護屋城下模型1時間近く見入ってしまいました。
つづき熱い海へ行こう〜熱海旅1日目④ページ〜駿府城を後にして次は金谷駅目的地はもちろん城趾諏訪原城このビジターセンターで御城印をゲットし、大きな荷物を預けて城跡を見る時間10分くらいしかなかったw駅まで降りるのに30分くらいかかるってことでこんなことに。まぁ短時間でも楽しめないことはない!ビジターセンターから駅まで徒歩で30分と聞き、諏訪原城跡を10分くらいで見終えて教わった教わった帰路へビジターセンターで御城印買えるからそこ目指したけど、入口はここなのね!茶畑静岡県に来
2021年7月23日・・・7月の4連休の中日の1DAY。8年ぶりの鞆の浦で対潮楼の絶景に癒されたり仙酔島で風吹かれた後再び福山駅に戻って次の電車待ち時間でぷらっと福山城へ。朝、福山駅に降り立った時に撮ったようこそ福山への看板にバックにお城があったことを思い出した。鞆の浦へ行くバスターミナルとは真裏の場所に福山城が建ってました。超駅近のお城。石垣と駅ビルが近いのでより駅の壁に張り付いて石垣を撮ってみてもこれ。真ん中撮ると、、、下がうつらないんだ
2021年7月30日。浪江町大字権現堂について勉強中の西村慎太郎です😊前回は『東奥中村記』(『相馬市史5資料編2(史書類ほか)』相馬市、1971年)の記事の中から権現堂に関わるもののうち、「標葉郡椎葉庄取給事」の前半を確認してみました。権現堂城に籠った標葉清隆と相馬高胤との戦い、高胤の死までを見てみました。今回は「標葉郡椎葉庄取給事」の後半を検証してみたいと思います。一族老臣深ク隠シ、密ニ葬送シ奉ル、其後嫡男盛胤追孝ノ為亡父ノ志ヲ遂ンニハ不如トテ、一族老臣ヲ催促アリ、先
今日の最後の仕事は浪岡でした。気温30℃超え休憩なしで仕事してたのでクタクタ…よし☆ラジコンしよう浪岡にある浪岡城跡地駐車場にてクルマに積んでいたグラホ戦闘機カラー号をラジラジ♪しばらく遊んでいると…おや?遊歩道があるお、なんだか面白そう‼️よし行ってみよ〜っ♪ラジコントレイル案内板がありました。おーこうなってるんですね〜中は初めて入ります。ノーマル+αのグラホが余裕で走れる芝生暑さを忘れて遊歩道を進みます途中で橋がかかっていたりこんなカンジで進みます↓↓↓イイで
城を観る今回は...(撮影2020/06/16)赤木城〜主郭石垣〜こりゃッ美しいッ。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
自転車を車に乗せて移動してきました。今回は自転車専用道路を走ってみようと言う訳です。これ、城跡です。右側が外堀になります。ここは、元駅跡になります。このサイクリングロードは、廃線を利用しているので、元駅が沢山あります。ここを走る方が多く、速そうなロードバイクが沢山います。撮影は、一眼レフを首から下げています。レンズも長く重いです(笑)コーナーは大好きです。しょうゆ工場です。臭いが漂ってきましたが、私は気が付かないで
さてさて………【鎌八幡】から徒歩10分弱ココロが到着したのは……【心眼寺(しんがんじ)】大阪府大阪市天王寺区餌差町2−22おっ門前に…………【真田幸村出丸城跡】石碑すなわち『真田丸』の跡地である正面の門の扉には………真田家の家紋である『六文銭』が施されている【心眼寺】は、真田幸村・大助親子を弔うために「大坂夏の陣」後の1622年に建てられた。そして境内には…………【従五位下真田左衛門左豊臣信繁之墓】そういえば、真田幸村の墓マイラーは出来てなかったな幸村の父であ
攻城日:2018年10月13日↑石戸神社↑源範頼館は、埼玉県北本市にある館跡デス♪↑石戸神社御由緒↑館跡は、圏央道桶川北本ICの北西およそ700mにあり、現在は宅地や農地、そして石戸神社になっています。↑祠と土塁?↑源義朝の六男である範頼は、兄頼朝に従って治承寿永の乱において木曽義仲や平氏の討伐に多大な貢献をした人物ではありますが...そのわりに人生には不明な点も多く、ナニより将軍様になった兄やジンギスカンサマになった弟wwと比べて兎に角jimmyジミなおヒト(。
野瀬城(神戸市北区淡河町野瀬)野瀬城がいつ頃築城されたのかは不明である。嘉吉の乱の時、城主であった野瀬氏は山名勢が有馬郡から淡河の谷へと攻め込んだ際に落城し、滅亡したようである。後の天正六年(1578)十二月十日、播磨攻めの為に進軍してきた羽柴秀吉勢が野瀬城に攻めかかった。城主は、淡河城主の淡河弾正忠定範の弟、新三郎長範だったが、かろうじて淡河城に逃げ延びた。当時の記録として、国次小次郎猛紀の名が残っている。(※郷土の城ものがたり東播編より)野瀬城跡神戸市北区の城
<3月22日>青森県七戸町へ来て、道の駅へ立ち寄ってから「七戸城址」へ上がりました。ここに立てば七戸の街を一望に見下ろすことができます。七戸の位置は青森県の東部、三八上北地方で、その昔は七戸藩1万石の城下町で南部家の家柄です。いまは東北新幹線「七戸十和田」駅を中心にした街へと変貌を遂げています。全体的には平地のように見えますが、標高はいくらか高いようにも感じました。その中で街の中心部に、そこだけぼっこりと高くなっている高台に「七戸城」があり、藩政時代でも人口1万