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「幻の名城」がついに姿を現した-。戦国武将・織田信長の安土城に次ぐ豪壮華麗な城と文献でも絶賛されながら、地上に城の痕跡を残していなかった坂本城(大津市)跡で、全長約30メートルに及ぶ石垣が出土したと7日発表され、城郭や戦国史の研究者たちを驚嘆させた。石垣を前に研究者たちは、信長の巨大船が入港した波止場や、城主の明智光秀が客人を舟に乗せて城内を巡る往時の光景を想起した。(産経新聞)これを探しに行ってきましたので、報告したいと思います。お供は10番組組長・原田左之助隊士ことGSXーR750
最近の歴史的大発見と言えば、明智光秀の坂本城石垣新発見。3年前、『大河麒麟がくる』に触発されて、光秀巡りをして(本能寺とか愛宕山とか亀山城)、その時に琵琶湖畔の坂本城址公園にも行ったことがある。ここから200mくらい離れた水際に、湖の水位が下がった時だけ現れる石垣があって、昨年末、渇水で琵琶湖の水位が数十センチ低下してるというニュースがよく流れてたから、これは石垣を見に行くチャンス!と思っていた。残念ながら、あれこれやることがあって行きそびれたが、今年に入って『新たな石垣発見!』のニュ
"京都&琵琶湖・乗り鉄プチ旅紀行"も連載19回目となります。vol.11の記事から今回のプチ旅の2日目に入っています。京阪山科駅から京津線に乗って、琵琶湖方面に向かって前面展望を楽みながら、京津線名物の併用軌道区間を通って、びわ湖浜大津駅に到着した後、びわ湖の湖上交通のターミナル=大津港から、観光船ビアンカを会場ちとして開催された<びわ湖木育サミット>に出席参加しました。その後は、木文化関係の出版社の会長様・社長様に合流して、このプチ旅の二日目の宿は琵琶湖畔にとることに
先日、ドライブがてら滋賀県に行きました。坂本城の三の丸の石垣の一部が見つかった、とニュースでやっていたので途中で坂本城址公園に立ち寄りました。その石垣を見に行くことはしませんでしたが、坂本城址には明智光秀の石像や歌碑が建っていて、歴史解説ボランティアみたいな方も居られ、色々解説してくださいました。琵琶湖沿いに建っていた水城とのことで、本丸の石垣の一部はまだ琵琶湖の中に埋もれているそうです。ハードな立地に驚きました。∞とうもろこし∞
◎このブログの目次はこちら連休中日の土曜の朝、私はPCに向かって苦悶していた。「確定申告が進まない...」窓の外を見れば、昨日までの雨が上がり、青空も覗いている。「ちょっとだけ走ってこよう」そして10時前、私はロードバイクにエアを補充し、京都の自宅を出発した。前日にチェーン洗浄と注油をしたせいか、走りは快調だ。逢坂山の入口逢坂山の峠も易々と越え、1時間足らずで琵琶湖に到着。浜大津付近「そうだ。守山のなぎさ公園で菜の花が見られるはず」というわけで膳
滋賀県大津市は2月7日、明智光秀が築いた坂本城の遺構が44年振りに新たに出土したと発表した。宅地開発に先立つ発掘調査だったが、開発は中止され遺跡として保存されることになった。城址公園から300mほど南西で出土したのは長さ約30m、高さ約1mの石垣や外堀跡(深さ約1m、幅およそ8m)、井戸や櫂のような木製品など。本丸礎石が1979年に出土した時以来の発見となった。位置から三の丸の石垣と推定されており、対岸部は見つかっていないが、舟入遺構が確認された外堀からは琵琶湖へ直結できる水城の姿を推察で
こんにちはチワワ宅建氏です本日はこちら幻の城”遺構発見で宅地開発業者に『工事中止』を市が要請「後世に伝えていくべき貴重な財産」と保存方針明智光秀・坂本城内容は住宅地開発を進めていたらなんと明智光秀の居城、坂本城の一部が発見され、開発を中止し「後世に伝えていくべき貴重な財産」として、保存することになったそうな歴史好きとして坂本城の一部が出てきたのはうれしいことです。行ってみたいただ、土地所有者としたら厄介この上ない建築の際には事前届出に加え、建築工事立会いや試掘
明智光秀の居城と言われた滋賀県大津市にある坂本城の跡で見つかった三の丸(城郭)である遺構が見つかったニュースについて。これによって住宅開発を中止、遺構を保存することに。この時どういう感じだったか。2024年2月20日大津市日時:いったん12時とするカルミネートは太陽。何らかの事態で脚光を浴びる。太陽ー土星の0度で土星の意味も加わる?ライジングプラネットはベスタで堅実に規格を守った稼働。予期せぬもらいもの、これまでの常識を覆す遺物発見という意味で8ハウス冥王星だろ
こんにちは😊Kelly0121です。今回は明智光秀について投稿させて頂こうと思います。以下、明智光秀との会話です。↓「貴方の出身地は何処ですか?」明智「美濃だ。」「秀吉と戦い、その後坂本城に帰城できましたか?」明智「しなかった。」「(坂本城を出た後)途中で誰かに殺されましたか?」明智「殺されていない。」「自害されましたか?」明智「そうだ。」「自害される前に何かおっしゃいましたか?」明智「(自分自身に対して)悔しい!!」(言ったというより大絶叫)明智「ただ悲しい。(
先週行った近江・坂本今回出土の石垣が明智十兵衛光秀の坂本城三ノ丸のものであるかについて考えている。上記当日記事に「明智期の(坂本である)確率が高い」と書いたが、考えが変わっている。城の石垣としては高さが圧倒的に足りないのだ。1mちょい。現地説明会でも「往時も高さは石ひとつくらいは高くなるかも」という。背後が地山で遺構面であることからそう高くはならないであろう。また、石垣面より2mほど内側に幅2mの薬研堀状の溝がある。これが城遺構であり得るであろうか?そしてこの石垣に対応する堀の
平清盛織田信長明智光秀この3人が私の推しなのですが(坂口健太郎を含めると4人)明智光秀についてとんでもないニュースが飛び込んできました明智光秀が住んでた坂本城の石垣が見つかったってよーッ!坂本城は1586年に廃城になり痕跡はほとんど残って無くて琵琶湖の中にチョロっと石垣が見える程度でしたそれが438年の時を越えて2024年に石垣が見つかったんですよすごい、すごい現地説明会、参加したかったなあと2ヶ月半でゴールデンウィークですね今年も推し活に励むと思います
おはようございます滋賀県琵琶湖の水が渇水しているとのことで連日ニュースに取り上げられていた『坂本城』へ『幻の城』坂本城の外側の石垣を見てきましたー!↓↓少し水位が上がってきてるみたいですー愛と勇気とレクリエーション(本多樹里)のSNS✨インスタ✨https://instagram.com/hondajuri?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==🌱YouTube🌱https://youtube.com/channel/UCPlbPdhIP2Q3R7wBI2Bf9
いざ!坂本城へ✨🏯✨渇水時の時のみ見える石垣youtu.beこんなに雨が降らないことはあまり無くて琵琶湖が渇水ぎみだったこともあり「琵琶湖に沈んでる坂本城はどうなってるんかなぁ〜」って思っていたちょうどそのタイミングで樹里ちゃんから「坂本城見に行こう!」って誘ってもらえました😊坂本城のことをテレビで見たそうです🏯✨お城ごと琵琶湖に沈んでると思っていた私は、お城の屋根が見えるんだとワクワクして琵琶湖を覗き込みました♪✨果たして〜見えたものとは✨✨✨お楽しみに😆💕✨
明智光秀のお城である坂本城の石垣が発見されたらしい。宅地造成での発掘調査が行われていた。幻の城といわれており、堀とみられるもの、三の丸の石垣が発見されたようだ。坂本城は、1571年9月比叡山焼き討ち後に、織田信長が明智光秀に築城させたお城。延暦寺の監視と琵琶湖制海権の獲得が目的だったと言われている。私も、録画していた正月に再放送をやっていた新春ワイド時代劇の「国盗り物語」でちょうど比叡山焼き討ちの後、信長が光秀に同じように坂本城をきづくように言っていたのを見たところだっ
カエル姫です。日曜日はNEWSになっていた坂本城跡発掘調査現地説明会に行ってきた。土曜日は地元下阪本学区の住人対象の説明会残念ながら学区が異なるので、一般向けの日曜日に参加午前2回、午後2回、各回150名の整理券が9:30からJR叡山坂本駅前の公園で配布される。公園までは蛙庵から徒歩15分ほど9時過ぎに出発、地味な発掘現場なんて興味ある人は少ないだろう、と高をくくっていた。公園は二重巻きの列、最後尾は道路を渡って向こう側スーパーサンライズ電車が止ま
まーこーレーへ城廻りに興味があります。そんな中、こんなニュースが。明智光秀様のお城、坂本城が、発見されたとのこと💛無いと思って諦めていたから、このタイミングでお知らせさせるなんて光秀が私を呼んでいると、勘違いしてしまいます。琵琶湖へ行きたい。
坂本城(大津市)の石垣が発掘されたなどと聞いては、そして現地説明会が開かれるとなると、睡眠時間を質に入れてでも行かねばなりません。私は30年以上にわたる明智光秀推しなのです。情報によれば現地説明会は整理券方式で、配布場所はJR湖西線「比叡山坂本」駅前広場、配布時間は朝9:30から。まだ暗いうちに起き出し、取るものもとりあえず家を出て8時前に比叡山坂本駅前に着いたら、すでに長蛇の列ができていました。「あの…私で何番目くらいですか?」“最後尾こちら”の案内板を持った若いお兄さんに聞
「信長が安土に建てたものにつぎ、この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった」ルイス・フロイス『日本史』より宣教師のルイス・フロイスからも悪意交じりの批評で「築城の名手」と称えられた明智光秀。その彼の一世一代の自らの居城としたのが滋賀県大津市にある坂本城でした。元々比叡山延暦寺の門前町として栄えていた坂本の町を含めた滋賀郡の地は比叡山焼き討ち後に織田信長からその立役者(虐殺の実行指揮)であった明智光秀に与えられ、その拠点として湖岸に位置する現在の坂本城は築かれました。この地はまさに近
2月11日琵琶湖岸にあった坂本城跡の石垣が発見されたとテレビのニュースで放送していました。坂本城は明智光秀が築いた城ですが、詳細な記録が残っていないので「幻の城」と呼ばれているのです。(YOUTUBEMBSNEWSから拝借しました)この日も現地説明会が開催されると言うことで、大津市のHPで説明会の参加方法を見ると整理券は先着順に配布され、すでに配布終了となっていました。それでもあきらめられず(笑)・・・昼食の後、家から近いこともあり現地に行ってみると、やはりこの時は
令和6年2月10日、坂本城跡発掘調査説明会に行ってきました。JR叡山坂本駅に着いたのが10時35分。駅前には整理券を求める方々の長蛇の列。正午過ぎに整理券受領。入場時刻は15時。寒いけど頑張って待つことに。時間は十分あるので国道161御線を渡って湖面に露出している石垣へ。この建物は坂本城資料館、ここは休館日。下の資料の赤い丸で囲んだ白い建物が上の写真の資料館の建物です。奥の建物も資料館。すでに発掘された本丸の石垣。黄色の楕円で囲ん
つい先だって、近江坂本城の石垣発見(しかも地上で)!という、センセーショナルなニュースに接し、「これは現地説明会に行かなければいけない」と直感し、もろもろの予定をもろもろ変更して近江へと向かいました。十分に朝早く行ったつもりでしたが、途中でサコッシュが崩壊したり(京都駅のドンキで買い換えましたw)、重い荷物をコインロッカーに預けたりしている間に、整理券配布所には長蛇の列が・・・!すごいですね。この人気ぶり。坂本城の注目度の高さが伺えます。1時間半かかってなんとか2回目の説明会枠を確保し、集合時
近江国の坂本城の三ノ丸の敷地であったといわれる区域から石垣が出土し、明智光秀の坂本城のものだと発表され現地説明会が行われた。行ってきた。整理券配布予定時刻ちょうどに着いたのだが、450人の予定を拡大して600人に配布した整理券を貰えず説明を聴くことができなかった。「説明会の後、見学だけならばいいですよ」という恩着せがましいことを言われて、現説終了まで坂本の町を見て廻ることにした。上・日吉大社の参道北側の石垣鏡石?下・旧白毫院の石垣枡形門?坂本の町にはこういった石垣がた
明智光秀の「幻の城」坂本城で石垣と堀が出土専門家は「奇跡」(朝日新聞デジタル)https://u.lin.ee/WE6jP6V?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none何百年前の事でも幻と言われていてもある日突然ぱっと現れることもある残された資料やものが全て正しいとは思えない思わない勝ち取った勝者が残した歴史どれだけの事が正しいのだろうか噂が流布され小説の内容がまるで史実のように
謎の戦国武将明智光秀が滋賀県大津市琵琶湖のほとりに築いた、「幻の城」坂本城の堀と石垣を発見ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスをして「安土城に次ぐ豪華壮麗さ」と評されながら、琵琶湖の中では発見されていたモノノ、地上にて痕跡が見つかるのは初小舟の櫂も出土し、30メートルの石垣は三の丸とみられ、城の一番外側の外郭部分になるトカ本日ご紹介するのは、O様のZ1100GPZ1000R1ライダーであるO様が、優勝記念の限定車が持つ希少性以上に、フラッグ・シップが
琵琶湖の辺りにあったと言われる、明智光秀の城、坂本城のものかと思われる堀と石垣が発見されました。歴史好きな私にはたまらないニュースです。↓押してください↓にほんブログ村
目に見えるもの以外言い伝えられてる歴史関係のことは殆ど何も信じない私ですがこれは凄いことやと思うこれ程まで綺麗な石垣が残ってるなんてこれから先私が滅亡?した後私が生きていた証としては一体何が残るのでしょうと言うか私は何かを残せるのでしょうか。。。思い出の写真2016年12月撮
明智光秀が築いた『幻の城』坂本城とみられる堀・石垣を新発見これまで琵琶湖の中から発見地上は初(読売テレビ)-Yahoo!ニュース戦国武将・明智光秀が琵琶湖のほとりに築いた「坂本城」のものとみられる堀と石垣が発見されました。地上から城の痕跡が見つかるのは初めてです。滋賀県大津市にある坂本城は戦国時代、明智光秀が琵琶湖のnews.yahoo.co.jp
天海(75)天海のもとに小姓がやって来た。日本水軍を率いる藤堂高虎が、朝鮮出兵の前に家康に挨拶に来たという。「与右衛門か。」と天海は正信との話を思い出していた。近江坂本で何度か会ってているが、当時は駆け出しの足軽大将で親しいというほどではなかった。居室に通されると珍しく家康と高虎の二人きりである。何か秘密めいた話でもあったのかも知れない。「こちらが、先ほどお話した私が帰依する天海上人である。上人、こちらは、藤堂佐渡守殿である。」と家康が紹介すると、天海は丁寧に座
たぶん一体何の風景かなと思うかもしれないけど今回はこちら色々探してみたけどレポートで間違いないサイトはこれかな【レポート】27年ぶりに出現!坂本城の「幻の石垣」が姿を現す地上にいっさいの遺構を残さないことから「幻の城」と呼ばれる坂本城の石垣が、2021年11月、琵琶湖の水位低下によって湖底から姿を現しました。見学者が多く詰め寄せている現地の様子をレポートします。shirobito.jp湖都の四季彩四季折々に見られる琵琶湖周辺の景色など風景写真が中心のブログ
天海(73)僧侶と言っても輿や駕籠に乗る身分でもなく、僧衣を仕舞い込んで、旗本衆と共に騎馬で同行することとなった。すると、家康は「とても坊主には見えん。鎧を着た方が似合うのではないか。」と冷やかすのである。天海が京都を離れたのが、天正15年(1587年)のことであるから、9年ぶりの上洛であった。上洛すると家康の意図は、すぐに分かった。上方で宗教関係者との人脈を作ることである。既に天海の正体に気付くものもいないであろう、という判断のようだ。このため、これからは天海のこ