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こんにちはみっちゃんです朝10:00から☔降り始めましたなんか今年台風コースが関東通過するんで娘やママ友達が心配です大変なことにならないといいけど、先週土曜日は久々ダンナ仕事で昨日は午後2時まで草刈機で草刈り終わると👨散歩行く?🚗普通にスーパー行って買物なら散歩ちゃうやんと思ったらスーパーは最後でした秋田諏訪宮(公式ウェブサイト)秋田諏訪宮のトップページですwww.akitasuwagu.jpこちらも坂上田村麻呂さんが関わりのある神社で御祭神とご利益長野の諏
千二百年ほど前、蝦夷征伐に成功をおさめて帰る途中の坂上田村麻呂将軍は、高社山中にすんで、庶民を苦しめていた大毒蛇を退治した。大毒蛇をこの山の頂上近くまで追いあげて退治したとき、奮戦した部下が、のどがかわいて困っていたので笠原神社に祈願したところ、たちまちこんこんと清水がわいた。兵士たちはこの清水でのどをうるおし、神の助けによって勇気百倍の力で、毒蛇と闘い、ついに退治したという。現在も、高社山のくぼ地に枯れることなく、湧き出ている。そして、湧き出た清水を田村将軍の一杯清水
38年戦争興味深く読んだ。刺さったのは当時の歴史上の史実とは別に終戦後の2人の武将の取った行為。敗戦時、自害しようとしたアテルイを止め生き延びよと、朝廷に連れて行き、勝利報告をし、同時に敗軍の将、アテルイの助命を頼んだが朝廷には聞き入れて貰えず、斬首されたアテルイ。その時の坂上田村麻呂の、想いそして、アルティの想い、、、2人の武将の想いが、深く刺さった。特に、坂上田村麻呂、、の想い、、奴は、やはり、軍人やったなって真っ直ぐってか?実直
前回の記事からの続きです。もともと泰阿(太阿)剣は古代中国楚王族の「威道の剣」として「天地の間に遍在する剣気」を楚王族の精神性(威)によって起動する霊剣(オーパーツ)でした。この霊剣が秦の始皇帝(嬴政)の命で斉の方士・徐福によって日本列島に渡りスサノオの十拳剣(天羽々斬)山幸彦の剣、アヂスキタカヒコネの剣として神話化され、熊鰐が掲げた白銅鏡・十握剣・八尺瓊という「略奪品コレクション」を経由してヤマト王権の皇統の正当化のための「三種の神器」として再編成され
9月14日(月)雨、大雨にならないといいけど・・・「菅沢丁内若者」の曳山で外題;『鈴鹿山鬼伝説』菅沢丁内若者作人物;「坂上田村麻呂」「大嶽丸(おおたけまる)」平安時代、鈴鹿山には鬼神・大嶽丸が住み、妖術や雷を操って人々を苦しめ、都への往来を妨げていた。朝廷はこれを鎮めるため、武勇に優れた坂上田村麻呂に討伐を命じる。田村麻呂は鈴鹿山へ進み、荒れ狂う雷鳴と炎の中で大嶽丸と対峙する。強大な鬼神を前にしても一歩も退かず、武勇と知略を尽くして立ち向かい、ついに激しい一
三国志の英雄たちは歴史の彼方に消え去ったわけではない。彼らの血は、1800年という果てしない時間を超えて、確実に現代へと受け継がれている。かつて大陸の覇権を争い、知略を尽くした群雄たちの遺伝子は、今もなお確実に現代人の身体の中で脈々と息づいている。1.DNAが証明した真実三国志の主役の一人であり、魏の基盤を築いた曹操。彼の子孫の存在は、現代の科学によって100パーセント証明されている。中国の復旦大学が2009年から4年をかけて行った大規模な遺伝子調査が、その決定的な証拠である。研究チームは
鬼ヶ城の記念メダルが出たという情報を聞いて行ってきました2024年11月の鬼ヶ城『◆吉野熊野国立公園鬼ヶ城◆』11月3日、吉野熊野国立公園鬼ヶ城へ行ってきました伊勢から熊野三山へと向かう伊勢路はいくつもの峠を越える厳しい山道ですが、鬼ケ城と隣接する熊野古道「松本…ameblo.jp
松風や音羽の滝の清水をむすぶ心は涼しかるらんまつかぜやおとわのたきのきよみずをむすぶこころはすずしかるらん西国三十三所巡礼の折り返し点とも言える第十六番札所が、音羽山清水寺、そうあの京都東山の世界遺産、清水寺だ。西国三十三所を巡っていると、寺々が様々な個性を持っていることが良く分かる。33人の生徒がいる小学校の教室を想像してみれば分かるだろう。僕の子供の頃には、大柄な子も、痩せっぽちの子も、頭の良い子も、そうでない子も、足の速い子も、力の強い子も、金持ちの子も、貧しい子もいたものだ。清水寺
遮那山長谷寺(宮城県登米市)『しゃなさんちょうこくじ』と読む長谷寺は、807年に坂上田村麻呂により勧請された天台寺門宗の寺院であり、御本尊は『十一面観世音菩薩』のようです▼寺院入口▼▼寺号標▼▲扁額▲▼参道▼▲鳥居▲▲▼境内▲▼▲由緒板▲▼手水舎▼▲境内▲▼神楽殿▼▲境内▲▼左近右近欅▼▼古碑・石祠▼▼堂宇▼▲遮那桜▲▼本堂▼▲本堂正面▲▲鰐口・
森のホテルはすっかり秋です秋明菊自然の秋明菊初めてです隣に紫陽花もっとゆっくりしたいけど9時出発道の駅にしね朝採りを農家さんが並べています。遅い時間では売り切れてしまうそうここのほうれん草が美味しいのよ❣️カゴに山盛りの買い物してました。私も宅配したいくらい朝採り新鮮野菜です💕盛岡の友達に連絡した時隣町よ〜柴波駅だからって志波城には近いの?盛岡駅から安比高原駅そしてバス旅の途中で会いましょうくらいの気持ちでした。「遥々来るんだから仕事休んで案内するからね」
初めての言葉(1)アテルイという名前を初めて聞いたのは、東北へ行き始めて7年目のことだった。その年の10月下旬、岩手県奥州市の水沢地区で講演会を開催した。翌日は土曜日だった。仕事で地方へ出かけたとき、時間があれば、その土地にゆかりのある歴史上の人物を訪ねることにしている。有名な観光地へ行くのもいい。でも、その土地で生まれ、その土地で生きた人のことを知ると、今まで知らなかった土地の姿が見えてくる。このとき、初めて聞いた名前が、「アテルイ」だった。アテルイは、平安
穂高神社を後にし、次なる場所にたどり着きました。けっこう疲れてきてたけど、すでにカミさんの計画したプランに組み込まれてたので寄ることに…。大王わさび農場。ここは、皆様レポによると、燕岳ともれなくセットとなる観光名所のようでした。疲れていたので早く、中に入ろうとしていると...。鬼の像がありました。「何だろう?」と説明書きを見ていくと・・・。魏石八面大王。あれ?これ合戦尾根の看板に出てきた八面大王じゃないか。坂上田村麻呂に成敗されたとかいう。と読み進めていくと合戦尾根の看板と真逆
お読みいただきありがとうございます😄リタイア組のオアシス京都アスニー(京都市生涯学習総合センター)です手前は京都市中央図書館面白い講演会が続々◆アスニー特別講演会◆【京都アスニー】【アスニー特別講演会】asny.ne.jp◆アスニーセミナー◆アスニ―セミナーは、様々なテーマで、より専門的な内容を学んでいただける教養講座として、「最高最新の内容を分かりやすく」をモットーに開講しています。どなたでもご参加いただけます。asny.ne.jpこの日の講演会のテーマは「坂上田村麻呂と
今回、津軽の歴史を調べると、いろいろなことを感じましたが、宿題も残りました。私がWebで調べた限りで、気になった出来事を整理しておきます。このエントリは以下の後書きです。『津軽に行く120260827岩木山神社、求聞寺、岩木山』東京から夜行バスで津軽に行って来ました。岩木山神社→求聞寺→岩木山山頂(奥宮)→白蛇神社→久渡寺→大狼神社→大圓寺→国上寺・不浪寄八幡宮前日は卒業生とご飯…ameblo.jp『津軽に行く220260827白蛇神社、久渡寺、大狼神社、大圓寺、国上寺・不浪寄
日本の伝承や歴史において「鬼の一族(集団)」と呼ばれる存在は、単なる怪物・妖怪としてだけでなく、朝廷や中央政権に従わなかった実在の勢力・技術集団が投影されたものとして民俗学や歴史学で解釈されています。歴史・民俗学における「鬼の一族」の正体*たたら製鉄・鉱山採掘の技術集団*山中に拠点を構え、独自の製鉄・鍛冶技術を持っていた集団。*溶鉱炉の熱で顔が赤く焼けたり片目を患う者が多かったこと、金属の武器(金棒の原型)を所持していたこと、山奥に籠もり里人と隔絶した生活を送っていたことから「鬼」と
・・岩手県水沢アテルイ・モレの里・東北蝦夷の英雄アテルイとモレ阿弖流為、母ネ豊(漢字探せない)・アテルイとモレを想い立ち寄ってみたのですが、夕方でもあり、山を登りそうな感じでもあり、未知なる道。・ここまで来たから、勇気を出して登ろうかとも思ったのですが今回は断念。・また、明るい時にします🔆・いろんな時代背景があり、心がなんだか痛むこともありますが、現代に生きている私たちは、このような時代があったのだなと学び、これからは、調和の世界を広げて生きてゆこうと誓うのです。
中尊寺からの帰り道、旦那が地図を見てたら気になったと言うので寄ってみました。達谷窟毘沙門堂。ひー、漢字が難しいたっこくのいわやびしゃもんどうと読みます。平泉最古の寺社だそうです。坂上田村麻呂公の創建。お堂のなかでは、お坊さんがお経をあげていました。声が響いて、とても迫力がありました。昔、悪路王、赤頭、高丸という蝦夷がこの窟にいて、良民を苦しめていたそうです。それを、坂上田村麻呂が征伐しました。坂上田村麻呂は、これを毘沙門天のご加護と感じ、毘沙門天を祀ったそうです。写真
敗れた者たちは北へナガスネヒコと日高見国の記憶ある神社を訪れたときのことです。境内で、ひとつの小さな石が目に留まりました。決して大きくもなく、華やかでもない。けれど、なぜかとても大切に祀られていました。気になった私は、神主さんに尋ねてみました。「あの石は、何を祀っているのですか?」神主さんは、少し意外な名前を口にしました。ナガスネヒコそして、こんなふうに付け加えました。「なぜかはか分からないけどね」そのときは、そんな伝承もあるのだな、くらいに思って
・・岩手県平泉・延暦廿年坂上田村麻呂公創建『達谷窟毘沙門堂』・世界の歴史もおもしろいけど、日本の歴史も興味深い。・いろんな角度から覗いてみると、読み解けることも多い。・神社などの古い建物の起源をみると、こういう歴史があったのかと思う反面、勝者の歴史でもあるので、本当のところが隠れている。・私は、この時代に生きていたわけでもなく、超能力もないのでわからないけど、もしかしたら、逆の話かも?と思ってしまう。・東北蝦夷のお話。・桓武天皇のしたこと。・坂上田村麻呂さ
清水寺と坂上田村麻呂にどんな関係があるのか、気になったことはありませんか。清水寺といえば「清水の舞台」が有名ですが、その歴史をたどると、征夷大将軍として知られる坂上田村麻呂が寺院の発展に深く関わっていたことがわかります。延鎮上人との出会い、鹿狩りをめぐる伝承、阿弖流為との関係まで知ってから境内を歩くと、清水寺は単なる絶景スポットではなく、奈良時代から平安時代へ続く物語の舞台として見えてきます。先に結論清水寺を開いた人物は延鎮上人とされ、坂上田村麻呂は堂宇を建立して寺院の基礎を整えた「開基
中学校の教師だったので、京都は、修学旅行の予察も含めると10回以上訪れています。清水寺も同じぐらい訪れているので、「崖から約約13メートル」ということや「釘を一本も使っていない」という驚きの事実は知っていましたが、「実は床が意図的に傾けられている」ということは知りませんでした。もしかするとどこかで聞いたのかも知れませんが、記憶にありませんでした。「傾き過ぎると歩きにくい」「平らでは雨で木が腐敗してしてしまう」そこで、人間が歩いても気がつかない角度をつけている。しかも、下に雨が
有明神社と正福寺の近くに魏石鬼の窟がある。桓武天皇の頃、このあたりは魏石鬼という鬼神が住んでいて八面大王と名乗り魔力を持って、人々を襲い、乱暴が目にあまった。都から来た坂上田村麻呂が退治したという。この八面大王が住んでいる巖は、坂上田村麻呂に対抗するためにたてこもったとも言われている。巨大な花崗岩を天井にした、横穴石棺古墳で、全国的にも珍しい、盛りどの代わりに岩を使った、ドルメン式古墳です六、七世紀ごろのものらしいが、石室からは馬具飾りや耳環などが発掘され、岩の上には観
少しでも涼しくなるかと日本三大妖怪なるものを調べて見た。幽霊やお化け、妖怪などでは全然涼しくならない事は分かってはいるのだが・・・。誰か涼しくなる方法を知らないだろうか?-日本三大妖怪-【玉藻前(九尾の狐)】(たまものまえ(きゅうびのきつね))玉藻前の伝説は平安時代末期に遡る。中国やインドで王朝を滅ぼした九尾の狐が日本に渡来し、絶世の美女「玉藻前」として鳥羽上皇の御前に仕えた。その博識と美貌で上皇の寵愛を一身に受けたのだが、上皇が原因不明の病に倒れたことで陰陽師・安倍泰成が占術を行い
今回は、円通寺です。13年ぶりに参拝しました。寛永寺にあつた黒門戊辰戦争の弾痕四十八首塚よしのぶ地蔵本堂聖観世音像圓通精舎円通寺寺伝によれば、791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行っている。そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊
学校だと、菅原道真が遣唐使を廃止しなんて言うところですかね。皇族や貴族はさておき、一般庶民はどんな暮らしをしていたんだろうなぁと言うところが気になるところです。相変わらず皇族、貴族の権力争いが中心となって日本を動かしているなぁという感じです。元祖、武家の棟梁でしょうか、坂上田村麻呂が出てきます。昔訪れた、多賀城懐かしいなと。作ってもらいました。なんかちょっと違うけど、面白いし素晴らしいなと^_^これからもハイブリッド読書進めていきます。言葉で伝えたものを、忠実にジェミニに作ってもらいます。
三社神社にスライムがあらわれた!粟飯祭が行われるんだって。粟飯祭ってなぁに浜松北高校の目の前にあるこの神社、ちょっと読みにくいんだけど・・・こっちは読みやすいよね。三社神社。手水舎。小さいけど格式の高い神社だよ。すぐ横を遠州鉄道奥山線っていう軽便鉄道が走っていたんだって。追憶の遠州鉄道奥山線(RMLIBRARY)[飯島巌]楽天市場三社神社は795年に坂上田村麻呂さんが海の安全を願って、
【2026年7月26日】この日も新たな大仏さまとの出会いを求め、ちょっとだけ遠征。訪れたのは、駅前にある餃子像が有名な、栃木県の宇都宮。最近は東京・埼玉の大仏さまを巡ってきましたが、今回は北関東まで足を伸ばしてみました。埼玉の大宮からは新幹線に乗れば25分ほどで辿り着きますが、当然ながら特急料金をケチった私は在来線で1時間半かけて来ました(笑)。JR宇都宮駅から歩いて10分ほど。駅周辺の賑わいを離れ、川沿いの道を歩いていった先にあったのが、
今日はあかつきという桃の収穫がはじまったことをきいて、福島県の須賀川市へGO!昨年からいきはじめた果樹園です。グーグルで嘉斎果樹園を調べると細い道に案内されるためちゃんとした住所を載せておきます。福島県須賀川市和田道74-4以前はコンビニがあったからそこを目指したのですが(´∀`)コンビニが違う業種になっていて迷ってしまった(´∀`)。また、伺う予定です。嘉斎果樹園▶︎福島県須賀川市onInstagram:"【お知らせ】
坂上田村麻呂による蝦夷平定(東北平定)は802年頃とされています。それまで大和族は日本を統一支配していなかったということです。鹿島神宮から北の神社はちょっと大和族っぽくないのはそのためでしょう。ナマハゲや、日本昔話は大体東北訛りで東北の話だったりします。東北は日本らしさが残っている土地ではないかと思います。鹿島神宮からちょっと北に行った御岩神社でも古代の日本のエネルギーを感じます。
皆さん、おはようございます。今日もお忙しい中、ブログにお越しいただきましてありがとうございます。今日は坂東三十三観音霊場第32番の音羽山清水寺です。千葉県いすみ市にある天台宗寺院で千手観音さまが御本尊になります。音羽山清水寺慈覚大師(円仁)により開創された1200年以上続く千葉県いすみ市の音羽山清水寺。天台宗。京都、兵庫の清水寺とともに三大清水寺のひとつで清水観音の通称でも親しまれています。坂東三十二番の霊場。伝教大師(最澄)により草分けされ、慈覚大師(円仁)により新たに起こされ、坂