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1969年(昭和44年)3月20日に園まり後援会から発行された会報「園」第27号の写真の一部です。1月7日から一週間、日劇で開催された「まりちゃんといっしょドリフターズショー」と2月14日にダイヤモンドホテルで開催された「おもいきり泣かせて」新曲発表会まりとファンの集いが紹介されています。
1970年(昭和45年)8月1日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの四曲入りのコンパクト盤「私を責めないで」のジャケット写真です。シングル盤「私を責めないで」と同じ時に撮影されたと思われる別の写真が使われています。8月5日と6日はNHKテレビ「おもいでのメロディー」の録画が有り8日から10日までは軽井沢「真夏の夜の夢」に出演されました。16日と22日は「ヤングメイツ」に24日はフジテレビ「三時のあなた」「夜のヒットスタジオ」に29日はミュージックスポット「メイツ」に出演され
1969年(昭和44年)5月10日に園まり後援会から発行された会報「園」第28号の写真の一部です。2月20日に「家族そろって歌合戦」の公録のために沖縄に行った時の写真が載せられていて、「九州の旅日記」では3月22日に博多での後援会の集いに参加して、その後、博多のナイトクラブ「月世界」での仕事があった事が紹介されています。トピックスでは5月の梅田コマ劇場での長期公演、6月5日発売の新曲「このままでいいの」、アルバム「歌謡大全集」と7月発売の新しいアルバム「恋のささやき」、6月の日劇ワンマ
1970年(昭和45年)6月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの37枚目のシングル「私を責めないで」のジャケット写真です。「私を責めないで」の作曲は黛ジュンさんの「天使の誘惑」奥村チヨさんの「恋の奴隷」などを大ヒットさせた新進作曲家、鈴木邦彦さんでした。作詞は岩谷時子さんですが、この曲の歌詞は当時、闘病中だった平尾昌晃さんを見捨てて猪俣公章さんと付き合ったように世間から思われていた園まりさんの心境を代弁したように捉えられたと思います。B面の「浮気なおさけ」はソフトロック
1969年(昭和44年)7月20日に園まり後援会から発行された会報「園」第29号の写真の一部です。5月3日から28日まで大阪梅田コマ劇場で開催された「幕末風雲録クレージーはゆく」と「五月の花まりちゃん&KMTショー」、6月3日から9日まで開催された日劇でのワンマンショー「このままでいいの」、4月12日に東京・新橋の第一ホテルで開催されたバースディパーティーの様子が紹介されています。
1970年(昭和45年)5月29日から6月4日まで日劇で開催された「ザ・ドリフターズショーのってるまりちゃん」のパンフレットの写真の一部です。6月5日発売の園まりさんの新曲「私を責めないで」の広告も載せられています。5月1日、伊東ゆかりさんが渡辺プロダクションから独立をされました。そのため、伊東ゆかりさんと渡辺プロダクションの和解が成立する1974年まで園まりさん、中尾ミエさん、伊東ゆかりさんの三人娘の共演は叶いませんでした。5月1日と23日、園まりさんは「ヤングメイツ」に出演
1969年(昭和44年)9月10日に園まり後援会から発行された会報「園」第30号の写真の一部です。7月13日に東京池袋のハタプールで開催された後援会の夏の集いの様子が紹介されています。「私の日記帳」では7月24日から26日までの園まりさんのスケジュールを知る事が出来て貴重です。
1968年(昭和43年)9月14日に京都会館第1ホールで開催された京都音協主催の「園まりをあなたに」のパンフレットの写真の一部です。このパンフレットに載せられた新曲「泣きぬれて/ひとりにしないで」の広告から東宝映画「愛のきずな」の当初予定されたタイトルが「ひとりにしないで」で、この年の11月に封切予定だった事が分かります。渡辺プロダクション所属のグループサウンズ「レオ・ビーツ」も出演していて園まりさんとの共演もあり、その中の一曲「女の恋」はレオ・ビーツのメンバー、中村伸二さんが作詞、古
園まり追悼番組※2015年放送スパーク3人娘特集2024年9月20日(金)BSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」20:00
恋のフーガザ・ピーナッツ昭和42年の紅白歌合戦大ヒット「恋のフーガ」を歌い踊るピーナッツザ・ピーナッツが歌い踊り、迫力あるティンパニーの響き後ろでティンパニーを演奏しているのが、梓みちよ、スパーク三人娘中尾ミエ、園まり、伊東ゆかりナベプロ人気アイドル全員集合でした。youtu.be/LvK0qXOtE0E?si=l3TP_h5ph0qxsQdWパヤドドドンパヤパヤドドドドドン(数合ってる?)よく見ると、ティンパニーの大きさが違う高音低音
1969年(昭和44年)10月20日に発行された園まり後援会の会報「園」第31号の写真の一部です。9月21日にミュージックスポット「メイツ」で開催された「ファンの集い」の様子が載せられています。又、この号で12月31日の忘年会の募集をしているので、紅白歌合戦落選にもかかわらず忘年会は実施されたのだと思います。
1970年(昭和45年)1月15日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの四曲入りのコンパクト盤「気にかかる」のジャケット写真です。前年11月にシングルで発売された川内康範さん作詞、猪俣公章さん作曲、森岡賢一郎さん編曲の「気にかかる」「これが愛なのね」と前年10月にシングルで発売された中川湖水さん作詞、水沢ひろしさん補詞、彩木雅夫さん、城美好さん合作曲、森岡賢一郎さん編曲の「捨て煙草」と前年6月に発売された安井かずみさん作詞、平尾昌晃さん作曲、宮川泰さん編曲の「このままでいいの」が収録
1970年(昭和45年)3月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの36枚目のシングル「くちづけ」のジャケット写真です。私が園まりさんの大ファンになった1974年当時、既に廃盤になっていましたが大阪市内のレコード店に在庫があり購入する事が出来ました。前年12月25日に発売されたアルバム「恋の宴は果てしなく」からのシングルカットでした。このレコードはオリコン週間ランキングの100位内にランクインする事が出来ず、オリコン100位内にランクインした最後のシングルは前作の「気にかか
1970年(昭和45年)1月1日に発行された園まりさんの後援会発行の会報「園」第32号の写真の一部です。会報の発行は、この号が最後になり以降は渡辺プロダクション友の会の会報「ヤング」での掲載になりました。「新春かくし芸大会」の貴重な写真、プライベート質問コーナーなどが掲載されています。年始の挨拶の和服姿の写真は紅白歌合戦落選が決まった後に撮られたようで他の写真と表情が全然違っています。1月のスケジュールは会報に詳しく載せられていますが1日にはフジテレビ「お昼のゴールデンショー」
1969年(昭和44年)12月25日に発売された園まりさんの12枚目のアルバム「恋の宴は果てしなく」のジャケットと綴じ込みブックレットの写真の一部です。全曲、川内康範さんの作詞で構成も担当され作曲は宮川泰さん、猪俣公章さん、城美好(チャーリー石黒)さんが分担、編曲は森岡賢一郎さんと宮川泰さんが分担され、園まりさんは全12曲の内、6曲は台詞入りの曲に挑戦された意欲的なアルバムです。11月5日に収録曲の中の「気にかかる」「これが愛なのね」が先行してシングルで発売されました。このアルバム
「2024年8月4日日曜日晴れ~8月第一週今年31回目の松山千春のラジオでかかる曲予想【2024-31】」S12492・松山千春DATABESE総合TOPPAGENF・アーティスト別LIVEDATABESE総合TOPPAGENF◇更新履歴V1.0:2024.8.4初稿V1.1:2024.8.4予想を変更『「●随時更新~最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧」A1319』「最新記事リンク・文章番号&記事タイトル一覧」S11319・松山千
こんばんは👋😃続いて紹介するのは、この曲😃園まりさんで「逢いたくて逢いたくて」。確か先月だったかな⁉️訃報が入りましたよね😢園まりさんは「夢は夜ひらく」とかもヒットされた歌手ですが、この曲が好きだな😃歌い続けていかなきゃね。Amazonギフトカード(Eメールタイプ)テキストメッセージにも送信可-AmazonベーシックAmazon(アマゾン)Amazonギフトカード(Eメールタイプ)テキストメッセージにも送信可-AdventurebeginsAmaz
、1969年(昭和44年)11月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの35枚目のシングル「気にかかる」のジャケット写真です。私が園まりさんの大ファンになった1974年には廃盤になっていましたが大阪市内のレコード店に在庫があり購入出来ました。このレコードの収録曲は川内康範さんが全曲作詞の企画アルバム「恋の宴は果てしなく」のために制作されたものでアルバムに先行してシングルカットする形で発売されました。作曲は両面とも猪俣公章さんで森進一さんの「女のためいき」「港町ブルース」水原弘
1969年(昭和44年)10月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの34枚目のシングル「捨て煙草」のジャケット写真です。先日、園まりさんの追悼で2016年放映の「歌謡プレミアム」が再放送されましたが、その中で、このジャケットの衣装が先輩のザ・ピーナッツさんからプレゼントされたものだとテロップで紹介されていました。平尾昌晃さん作曲の前作「このままでいいの」の不振とプライベートでの園まりさんと平尾昌晃さんの決別を受けて森進一さんの大ヒット曲「盛り場ブルース」を作曲されたチャーリー
1969年(昭和44年)7月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんのカバーアルバム「恋のささやき」のジャケット写真です。1968年から1969年にかけてヒットした下記の楽曲12曲をカバーされています。4月12日に亡くなられた事が4月20日に報じられた佐川満男さんの大ヒット曲「今は幸せかい」もカバーされています。園まりさんのムードに合った曲で、このアルバムの収録曲では「雨の赤坂」の次に好きな曲です。●ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ1968年12月発売オリコン最高
1969年(昭和44年)6月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの33枚目のシングル「このままでいいの」のジャケット写真です。「このままでいいの」は安井かずみさん作詞、平尾昌晃さん作曲、宮川泰さん編曲です。オリコン週間ランキングの最高位は90位、100位以内のランクインは2週、ランクイン期間の売上枚数は5千枚で前作「おもいきり泣かせて」より大幅に売上を落としました。6月3日から9日までビリー・バンバン、内山田洋とクール・ファイブなどをゲストに迎えて日劇「園まりショーこの
1969年(昭和44年)4月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんのコンパクト盤「おもいきり泣かせて」のジャケット写真です。シングル「おもいきり泣かせて」とは違う写真が使われていて貴重です。4月11日には、新橋第一ホテルで誕生日パーティを開催されました。14日は「夜のヒットスタジオ」17日はミュージックスポット「メイツ」に出演されました。28日には西田佐知子さん、園まりさんとポリドール女御三家といわれた日野てる子さんが作曲家の一ノ瀬義孝さんと挙式されました。5月3日
1969年(昭和44年)4月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの三枚組のボックス入りアルバム「園まり歌謡大全集」の三枚目のレコードのケースの写真と同封されたブックレットの写真の一部です。この「園まり歌謡大全集」の一番大きな問題は園まりさんの大ヒット曲「逢いたくて逢いたくて」の三番の歌詞が間違って掲載されている事です。「星空に」が「とおい空に」になっています。どうして、このような間違いが起きたのか謎です。この間違いは、それ以降、日本グラモフォン、ポリドールから発売され
1969年(昭和44年)4月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの三枚組のボックス入りアルバム「園まり歌謡大全集」の二枚目のレコードのケースの写真と同封されたブックレットの写真の一部です。1967年7月に真鶴半島で海水浴をされた時の園まりさんと平尾昌晃さんのツーショット写真も掲載されています。斎藤茂さんの解説では「愛のきずな」は14本目の映画になっていますが私が調べた範囲では13本目になります。又、「愛のきずな」が園まりさんが劇中で歌唱されない初めての映画と紹介されていま
1969年(昭和44年)4月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの三枚組のボックス入りアルバム「園まり歌謡大全集」の一枚目のレコードのケースの写真と同封されたブックレットの写真の一部です。当時、芸能雑誌「平凡」の編集長だった斎藤茂さんが「まりちゃんの歌と人生」というタイトルで文を書かれています。ブックレットには園まりさんのディスコグラフィーが載せられていますが1963年4月1日に発売された「燃える太陽」と8月20日に発売された「プリンセスではないけれど」が抜けています。
1969年(昭和44年)4月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの三枚組のボックス入りアルバム「園まり歌謡大全集」のボックスの写真と同封されたブックレットの写真の一部です。園まりさんの歌手デビュー七年目の記念アルバムとして制作されたもので最初の大ヒット「何も云わないで」から、この時点の最新曲「おもいきり泣かせて」までのシングル18枚の両面が収録されています。
1969年(昭和44年)2月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの32枚目のシングル「おもいきり泣かせて」のジャケット写真です。オリコン週間ランキングの最高位は71位、100位内のランクインは7週、ランクイン期間の売上枚数は1万9千枚でした。この曲は作曲だけではなく作詞も平尾昌晃さんが担当されています。前作「泣きぬれて/ひとりにしないで」の発売から五ヶ月経っての発売でした。園まりさんと平尾昌晃さんが初めてコンビを組まれた「愛情」が結果を出せず平尾昌晃さんが園まりさんに
おはようございます。8月26日月曜日。8月最後の月曜日ですね。KTA47の下手くそ弾き語りを投稿させていただきます。本日は、1966年に園まりがにリリースした、『逢いたくて逢いたくて』。『園まり訃報』歌手の園まりさん、急性心不全のため80歳で死去代表曲は「逢いたくて逢いたくて」など複数(ENCOUNT)-Yahoo!ニュース歌手で俳優の園まりさん…ameblo.jp8月の頭に、園まりさん死去のニュースがありました。これを受けまして、一方的に唄わせていたただき、哀悼の誠を
1968年(昭和43年)11月5日に日本グラモフォンから発売された園まりさんの10枚目のアルバム「泣きぬれて園まりゴールデン・ヒット・アルバム」のジャケットと綴じ込みブックレットの写真の一部です。「ゴールデン・ヒット・アルバム」と銘打っていますが大ヒット曲の「帰りたくないの」「つれてって」は収録されていません。このアルバムのタイトルからも「ひとりにしないで」より「泣きぬれて」に力を入れておられた事が分かります。園まりさん主演の映画「愛のきずな」は10月29日にクランクアップしまし
1968年(昭和43年)9月5日に発売された園まりさんの31枚目のシングル「泣きぬれて/ひとりにしないで」のジャケット写真です。前作「あなたのとりこ」に続き、このレコードも見開きジャケットです。当時の後援会の会報によると6月から7月にかけて新曲候補の曲を七曲レコーディングされて、その中から、この二曲が選ばれ両A面で発売されたようです。「ひとりにしないで」は6月の日劇「園まりショーあなたのとりこ」で「一人にしないで」という曲名で披露されているので、その頃には映画「愛のきずな」の主題歌と