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トップページ都道府県別索引へ福島県の索引へ(白河小峰城その1からの続き)正面の見学通路は狭い階段なので退城のときにすることにして、東から矢之門へと回り込んだ。ここから先は日中のみ開放されるエリアで、中には帯曲輪、竹之丸、そして本丸がある。門から少し入ったところの石垣に、小さな段が設えられていたようだ。もう崩れかけているが…さて御三階櫓まわりの石垣はさすがに高く、ガッチリ構えた要塞然とした立派なやつ。こちら側から見上げたときにいちばんカッコよく見えたのは、この右隅っこのほうのや
トップページ都道府県別索引へ福島県の索引へ白河の駅のすぐ北に、いかにも要塞という厳つい石垣を見せている白河小峰城。東北地方では数少ないという総石垣にちかい近世の城で、盛岡城、若松城とともに東北三名城に数えられる。また国の史跡であり、日本100名城でもある。鎌倉時代からこの地にいた白河結城氏が南北朝時代に築いたのが始まりとされている。もっとも当時白河結城氏の本拠地はすぐ隣の白川城にあり、小峰城は分家の城だった。戦国時代には内紛が絶えず、豊臣秀吉の奥州仕置により時の当主結城義親が領地を没収
トップページ都道府県別索引へ福島県の索引へ(白川城その1からの続き)北尾根には踏跡が🙌主郭から北東に派生する尾根は足元も見えるかどうかの激ヤブだったが、なんとか末端(だろう)まで踏み込むことができた。満足しつつ主郭に戻って、北側の虎口から退出する。右側の土壇上には大きな石碑が立っていた。次は主郭から北に派生する尾根へと思って遊歩道を少し下り、入口になりそうな場所の前に立つ。ここも前途多難だな…😂先人たちはこの中へどうやって潜り込んだんだろう…?なんて思いながら、凸入💨な
トップページ都道府県別索引へ福島県の索引へ白川城は白河の町から南東に2kmほど、阿武隈川南岸の藤沢山を中心に東西それぞれ300メートルほどに広がっている。JRの駅チカの日本100名城にも選ばれている白河小峰城と区別するため〝白河城〟とは書かれないのだそうだ。築城年代は分かっていないとのことだが正応二年(1289年)に結城祐広が領地だったここに移ってきてこの城を居城にしたとのことで、鎌倉時代から続いていたことは間違いないらしい。中世を通じてかれの子孫の白河結城氏が本拠地としていて、小峰城は
静岡県三島市山中にある日本100名城の山中城で、甲冑武者サークルSacTによる武者行列が10月25日に開催されます。今年も山中城に武将隊が来ます!イベント内容甲冑武者が、山中城内を一周します。途中の撮影スポットで記念撮影をしましょう!山中城ミニ武者行列令和八年山中城ミニ武者行列開催!静岡県三島市の日本百名城にも選定されている、国指定史跡山中城跡をお借りして2023年から開始いたしました。年間唯一の完全自主開催イベントです。山中城の歴史をご来場者様にご紹介し、甲冑武者との記念撮影な
トップページ都道府県別索引へ福島県の索引へ関ノ森城とは白河関のある丘に残る土塁・空堀に囲まれた城郭と思われる場所のこと。高さ3メートル前後の土塁と同等以上の深さを持った空堀の組み合わせが雄大。国の史跡となっていて、南に隣接する『白河関の森公園』からの遊歩道から見学できるようになっている。古代の関所に付随したものとの見方と、関所が衰退した後の中世の城との二つの見方があるらしい。発掘調査で城内と思われる場所から見つかったのは古代の土器、そして掘立柱建物跡などで、城郭としての経歴などを明らか
ブログを2日間も休んじゃいました。何だか慌ただしくて、ゆっくりとPCに向き合う時間がなかったのです。今回も、大國魂神社の続きです随神門と提灯何だかすんごい迫力カッコいいわぁ~参道にもたくさんの提灯が下がっています。もしかしたらまだ節分の飾りが残っていたのかしら?提灯と私の影ちょうど真後ろからお日様が当たっていたので、とってもいい感じの影になってて面白くて撮影しちゃいました宮乃咩神社大國魂神社の参道のケヤキ並木府中駅に向かう途中には馬場
💚「霞城」の由来に納得!敵を一撃で仕留める重厚な山形城次に向かったのは「日本100名城」の第10番。山形城!別名「霞城」です。慶長の出羽合戦の際に上杉軍の武将・直江兼続らが本陣を置いた富神山などから山形城を眺めたところ、霞がかかって城の姿や所在がまったく分からなかった…という言い伝えから「霞城」と呼ばれるのだとか。…桜の名所だから、花霞の「霞城」だとばかり思っていました(笑)いやん(/ω\)イヤンこちらは、東大手橋と高麗門。復元があ
センター北駅から歩いて約15分。丘の上に、弥生時代のムラの跡があります🏘️「大塚・歳勝土遺跡公園」。約2000年前の、濠に囲まれたムラ「大塚遺跡」と、そこに暮らした人たちのお墓「歳勝土遺跡」が並ぶ国指定史跡です。竪穴住居なども復元。大塚遺跡は9:00〜17:00、入園無料です📜…pic.twitter.com/8JOLf3Cbqw—はまれぽ.com(@hamarepo)2026年9月20日
今日は、9月27日。昼間は、お出かけでお仕事。その後、母の面会に向かいました。いつものように、特養の食道ルームに向かうと、ほぼ全員集合状態でした。敬老会と入所者さんのお誕生日会でケーキを食べたとの事。母に、「美味しかった?」って聞くと、「美味しかった」って恥ずかしそうに答えていました(^_^;)最近、面会の際に、造花を一輪ずつ持って行くことに決めています。生花は腐ってしまえば、職員さんの片付け仕事が増えてしまうので造花にしました。相変わらず、机の上で元気に毛布を折り畳む動作を熱心
彦部家屋敷、手臼山砦と行った後に来たのが宇都宮氏の一族である西方氏の居城、西方城。国指定史跡になったタイミングでSNSのフォロワーさんが結構行っており一時期話題になってたのですが、遅れること2年、やっと来ることが出来ました。駐車場も14台分確保されてて、整備状況も良いです。駐車場の所にも縄張り図付き説明板があります。ちなみに写真左側にある木の橋を渡ると二条城へ行く事が出来ます。登城口は長徳寺横にあります。登城道が整備されているのですが、下の写真の所は竪堀で、途中折れがあり
今日は、9月26日。これから、倉吉方面で労組の会議に参加してきます。①24日に、米子市公会堂で行われた米子市民劇場の例会に参戦してきました。3時間近くの大舞台です。金持ちの家族が崩壊していく様に悲しくなりました。ハッピーエンドのストーリーよりもこうした内容の方が惹きつけられます。妹は、人間性はともかく愛してくれる人と結婚し、子どももできる。片や、没落していく実家に翻弄され、自ら虚飾で飾ることで自分を保つ姉。その姉が、妹の家に転がり込んでくる話です。姉の虚飾がボロボロと
トップページ都道府県別索引へ岐阜県の索引へ(飛騨古川城その1からの続き)南の帯曲輪から蛤石を見学してから、目の前に盛り上がる主郭へ💨まずは一段登って、帯曲輪へ出る。さらに上に盛り上がっているのが凄い😮段には大岩も埋め込まれている。そして登った上の帯曲輪。主郭の南のほうへと続いている。いちばん奥のほう、南に突き出した出丸みたいな感じ😨いかにも周囲を見張る雰囲気のこういう場所、なんか惹きつけられる…下にもう一段あるみたい😮未整備のようだし道もないので、降りはしなかった
トップページ都道府県別索引へ岐阜県の索引へ古川城は飛騨古川の町から宮川を挟んで対岸すぐの尾根上にあった。いまは植林の山だが市街地をよく見渡せる立地。遺構の遺りも良好で切岸、虎口や曲輪が主。飛騨国司姉小路氏のうち向家といわれる家の本拠地で、戦国時代の最初の方で姉小路基綱が宗家の地位を奪うなど活躍した。16世紀に入って享禄のころには南から京極氏家臣だった三木良頼が養子に入りここを本拠地としたが、その後も変遷を辿り、一時は越中猿倉城にもいた塩屋秋貞が入ったこともあったとか。最終的に金森長近らの
トップページ都道府県別索引へ松根城は国道359号ちょい南の富山―石川県境の尾根上に築かれた山城で、ここを通って越中―加賀両国を結んでいた小原越を城内に取り込んでいるのみならず、南側の大堀切で遮断もしている。最初の築城はいつ誰の手によるものか分かっていないらしく、源平合戦ころの寿永二年(1183年)に木曽義仲が陣を置いたとも。室町時代には一向一揆の門徒が持っていたようで、戦国時代の終わりに織田信長が平定したときに越中を押さえた佐々成政の城となった。天正十二年(1584年)に小牧・長久手の戦
米子市立山陰歴史館で米子城の御城印と続日本100名城のスタンプを押してきましたかつては、米子市役所として長い間、市民に親しまれてきた赤レンガの洋館は昭和5年に建てられました。現在は、「山陰歴史館」として、米子を訪れる人々に街の歴史を教えてくれる場となっています。3階建てで、外装がタイル張りとなったレトロな建物は遠くからでも目を引きます。建築当時は山陰随一の規模であり、市の有形文化財にも指定されています。夜にはライトアップもあります。
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります(少し長めです)西条市の吉祥寺(四国八十八ヵ所霊場第六十三番札所)から国道11号を少し東へ行き、西条市氷見交差点(『横峰寺』の案内表示があります)を右(南。愛媛県道142号)に曲がって、ひたすら道なりに行きます(黒瀬峠付近は極端に道幅が狭いです)。黒瀬峠を越えてすぐの突き当たりを右(西)に曲がると、せとうちバス(相乗りバス)の停留所があります🚌※☆が横峯寺ここに車を置いてマイクロバスで横峰寺(残り8キロ)まで行くこと
静岡県伊豆の国市にある韮山城は昨年9月18日に、国指定史跡に登録されました。登録一周年を記念して、韮山城早雲まつりが9月27日に開催されます。9月27日10時〜15時いずしる見学10時〜11時韮山城プロジェクションマッピングを見ましょう甲冑隊パレード11時〜韮山時代劇場→城池→韮山城埼玉県寄居町から甲冑隊が来ます、その数50人!神事12時〜熊野神社韮山城ガイドツアー12時40分〜二ノ丸集合学芸員による解説甲冑隊行列が韮山城までの約1.5kmを行軍します城池親水公園
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿りますJR予讃線伊予和気駅から市道を西へ行き、2つ目の四つ角を右(北)に曲がると右側に圓明寺があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇圓明寺『四国八十八ヵ所霊場公式サイト』『Wikipedia』より真言宗智山派の寺院。山号は須賀山。院号は正智院。本尊は阿弥陀如来。聖武天皇勅願寺。四国八十八ヵ所霊場第五十三番札所。創建は天平勝宝元年(749
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです浄土寺から愛媛県道40号を西へ行き、久米八幡神社前交差点を右(北西)に曲がり、『繁多寺』の案内表示がある信号を右(東。道幅が狭くなります)に曲がって道なり(所々に『繁多寺』の案内表示あり)に行くと右側に繁多寺があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇繁多寺『四国八十八ヵ所霊場公式サイト』『Wikipedia』より真言宗豊山派の寺院。山号は東山。院号は瑠璃光院。
8月22日(土)金沢駅へ行った後、金沢城へ行ってきましたまずは大手門口から入りました◆河北門一の門◆
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです西林寺から愛媛県道40号を北へ道なりに行き、伊予鉄道横河原線の踏切を越えて鷹子駅北交差点を左(西)に曲がり、『浄土寺』の案内表示がある信号を右(北。道幅狭いです)に曲がると一番奥に浄土寺があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇浄土寺『境内由緒書』『四国八十八ヵ所霊場公式サイト』『Wikipedia』より真言宗豊山派の寺院。山号は西林山。院号は三蔵院。奥之院は
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです浄瑠璃寺から愛媛県道194号を北西へ行き、『八坂寺』の案内表示があるT字路を左(西。道幅が狭くなります)に曲がると一番奥に八坂寺があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇八坂寺『四国八十八ヵ所霊場公式サイト』『Wikipedia』より真言宗醍醐派の寺院。山号は熊野山。院号は妙見院。本尊は木造阿弥陀如来坐像(恵心僧都の作と伝わる)。文武天皇勅願寺。四国八十八ヵ所
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります松山市立坂本小学校から愛媛県道194号を北西へ行くと左側に浄瑠璃寺があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇浄瑠璃寺『四国八十八ヵ所霊場公式サイト』『境内由緒書』『Wikipedia』より真言宗豊山派の寺院。山号は医王山。院号は養珠院。本尊は薬師如来。四国八十八ヵ所霊場第四十六番札所。創建は和銅元年(708年)。公式サイトによれば
こんばんは、白黒茶々です。夏の暑い時季はワンコを連れ出すのは厳しいこともあって、私の旅日記や映画のネタが続きました。🤔そんな8月最初の日曜日となる2日の早朝に、私は久しぶりに波と狛を連れて、ちょっとした散策をすることにしました。🐶そのようにして向かった先は………豊橋市にある、豊麻神社さんでした❗️朝の早い時間ということもあって暑さはやや控え目でしたけど、セミは賑やかに鳴いていました。🪰豊麻神社さんは、天明4年(1784年)に下地村が勧請して創建されました。⛩️明治34年(1901年
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります久万高原町の町役場から国道440号を少し北へ行き、久万中学校前交差点(手前に『大宝寺』の案内表示がある)を右(東。愛媛県道12号)に曲がって道なりに行き、『大宝寺』の案内表示が2つある四つ角を右(南。道幅が狭くなります)に曲がって突き当たりまで行くと左側に大宝寺の境外駐車場があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇大寶寺『四国八十八ヵ所
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります宇和島市の松山自動車道西予宇和ICから愛媛県道29号を北西に行き、『明石寺』の案内表示がある信号を右(北東。愛媛県道237号)に曲がって道なりに行き、『明石寺』の案内表示があるT字路を左(北東)に曲がって松山自動車道の高架下を潜り、山上に上がって行くと一番奥に明石(めいせき)寺があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇明石寺『四国八十八
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです龍光寺から来た道を戻り、愛媛県道31号に出て右(北)に曲がり、道なりに行くと右側に佛木寺があります⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇佛木寺『四国八十八ヵ所霊場公式サイト』『Wikipedia』より真言宗御室派の寺院。山号は一カ山。院号は毘盧舎那院。奥之院は送迎庵見送大師(宇和島市の歯長峠に所在)。本尊は木造大日如来坐像(鎌倉時代の作で、愛媛県指定有形文化財)。四
おはようございます(´・ω・`)昨日の続きです最寄りの場所から辿ります宇和島市の松山自動車道三間ICから愛媛県道31号を北へ行き、『龍光寺』の案内表示があるT字路を右(東。少し道幅狭くなります)に曲がり、突き当たりを左(北東)に曲がると左側に稲荷神社(境内に龍光寺)があります⛩️⚠️移動は車です。歩き遍路ではありませんので、正規の遍路道を知りたい方は自治体や霊場会事務局等に確認してください🙇道の駅みまから北東のほうへ歩いて行くと住宅地の中に新旧の道標があります生活道路ですので、車の通