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↑カシス☆ファンと思しき、東方の神奈川のつい先日つくばでサブ3.5達成したさる御仁からプレゼントされました。私のファンとか1円の徳にもならないのに、貴重なお時間割いていただき誠にありがとうございます。むしろ「加工してやったんだからなお前」と次会った時にいきなり金額請求されそうで怖いです。(笑)◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
すっかり忘れてましたが…両親のリクエストにお応えして、九州へ親娘旅して来たお話の続きを書きますね第一話を書いたのが、1週間以上前だったのかな確か話は2日目の朝から。お世話になったのホテル「TAOYA西海橋」さんベランダで母を激写どん曇りですが‥降らないだけマシなんじゃないかとホテルを出てから、展海峰へ🚌九十九島が180度のパノラマで広がります旅先だと浮かれますよね?羽のオブジェの前で天使になりきる姉85歳母も…蝶々になりきりですコスモス畑の母め
桜井識子さん2025年カレンダー紹介された開運スポット巡り🚗💨諫早神社の次は佐賀県、名護屋城跡🏯↓↓バーチャル名護屋城どぉーんん!ちなむと駐車場で記憶がよみがえりましたあら。わたし、ここに来たことあるわ!その時は、お城跡は回らずに(知らずに)隣接する博物館で出土品を見学。博物館も駐車場も無料なんですよー!佐賀県の気概を感じます❤️🔥呼子に近いので、🦑御膳を食べた帰りにパワースポットでエネチャージ🦑がですか??名護屋城豊臣秀吉。朝鮮出兵、拠点の城🏯大阪城に次ぐ規
ざいまぁ~す♪(*'ω'*)ノ忘年会シーズン突入――!【忘年会シーズン★メルマガ&アメブロ特典!!】1グループ4名様以上でのご予約で、お会計時に10%OFFとさせて頂きます。メルマガ特典ですのでご来店前日までのご予約時に、必ず「メルマガorアメブロ特典で💕」と、お伝えして下さいネ。(^_-)-☆ご予約お待ちしておりま~す♪(≧▽≦)ノシさて、先週からの続き今年最後の遠征②日目は、レンタカーを借りて初の佐賀県へ上陸です!!(*´▽`*)メンバー様から教えて頂い
その頃太閤秀吉は名護屋城を急遽出立していた。勿論、綿屋甚五郎の5隻の太閤船で名護屋浦を離れて、名島城に向かっていました。早馬が秀吉の母、大政所の危篤の知らせを届けて来たのでした。こうして太閤秀吉はこの時から大政所が死去してその葬儀を済ませるまで、松浦の名護屋城を離れたのでした。朝鮮半島では三番隊の黒田長政達が5月7日に京城に到着していた。秀吉の計画で、釜山から漢城府間の日本軍連絡線に数十里毎に関所を設営して兵士を常駐することになっていて、夜は火が焚かれ、狼煙台も造られつつありました。
博多の神屋宗湛の館で、甚五郎は宗湛に朝鮮半島や対馬での出来事を報告していました。「そうでしたか。!甚五郎殿、その対馬府中藩の若殿の怪我のことは口外されぬ様にされたが良いと思いますよ。若殿の影武者がいるかも知れませんから。大名家では、藩主の不幸ややりそこないを出来る限り隠そうとしますから。でも、貴方が対馬府中藩の手助けをされたことは、貴方にとっては幸いなことになると思いますよ。我が神屋家の対馬、朝鮮交易は貴方にすべて委任することにしましょう。そうすれば、常に対馬に寄る口実が出来て、対
今夜はU-NEXTでこちらの配信を見ながら寝ます・・・・。「寺社仏閣と並んで、最も日本的な建造物は・・・・!?」と、もし質問されたら、それは城郭建築でしょう。石垣造りに、天守閣を備えた城郭が増えた、安土桃山時代~江戸時代初期に活躍した3人の築城名人、黒田官兵衛、加藤清正、藤堂高虎にスポットを当て、日本一の築城名人は誰かを選びます!城郭ライターの萩原さちこさんをナビゲーターに、ゲストには、滋賀県立大学教授の中井均さん、そして、私が大好きな静岡大学名誉教授の小和田哲男先生で
この頃、博多の神屋宗湛の屋敷では、綿屋甚五郎が宗湛に呼ばれて話していた。「甚五郎殿、今回の唐入りをどう思っておられますか?」「はい、宗湛様、私は太閤殿下が少し御無理をさせておられる様に思っております。」「ほう、それはどういう事で?」「はい、お聞きするところに寄りますと、西国の諸大名の方々に負担のかけすぎと思います。名護屋城の築城も、出兵も殆どが西国大名のお役所で、東国の大名は兵の数も少なく、しかも唐入りはせずに名護屋城下に留まり留守番をするだけと聴いております。終戦後に不満が起きなけ
甚五郎の所に石田三成の家臣の渡辺甚兵衛という武将が黄金を抱えて訪ねて来た。「殿よりの伝言である。早急に太閤船を20艘建造せよとのお達しじゃ、よいな!出来上がったら直ぐに拙者に知らせてくれ。大きな仕事が待っているようだぞ!」と言って帰っていった。甚五郎は屋号を「綿屋」として綿屋甚五郎と名乗ることにして、出来るだけの造船技術者を探して、大きな帆を持つ帆船を造ることに専念した。二ヶ月でとりあえず10隻程の船を手に入れて、船頭も北部九州の漁村を廻って、大金を出して、集めて来たのでした。
太閤秀吉は利休の切腹を確認し、徳川家康の到着を待って聚楽第を出発して山陽道を経て九州に入ると、博多に入る寸前の名島城に立ち寄りました。ここの大名の小早川隆景に名護屋城の兵糧を各地からここに運ばせ、この名島城の海に突き出た海城の利点をいかして、船で名護屋城に運び込む様に指令を出して、自分で町割りをした博多の町を観ながら、また山坂を越えることにうんざりしながら糸島に向かったのでした。糸島半島を横断して深江村に入りました。そこで秀吉は村人達のある働きに目を止めて、横の石田三成に問いかけました。
文禄元年の3月、肥前名護屋城が完成していました。日本で大阪城に次ぐ大きいお城が出来上がっていた。城内には本丸、二の丸、三の丸、山里曲輪を備え、本丸の北西隅に望楼型五重七階の天守が築かれていました。天守閣の瓦には金箔が貼られ、金色に輝いていました。城郭の近辺には全国から馳せ参じた大名達の陣屋が配置されて、あっという間に大城下町が出現していました。水ノ手曲輪には本丸から流れ出る水をここに集めた水関連の施設が造られていました。そして、山里曲輪には茶室等も建てられていましたが、残念ながら利休
名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築城されたお城ですが、その後壊されたので城址となっています。城内に博物館があるので見学しました。(入場料無料)特別展かな?黄金の茶室が公開されていました。折角なので見学しました。写真撮影OKなので撮影したのがこの写真です。百名城のスタンプはここを押印して73か所まで到達しました。これを始めて15年くらい経過しました。停年退職までに終わらせたいです。
天正19年(1591年)8月、太閤の使者として唐(朝鮮国)入していた宋義智は交渉決裂して対馬に引き揚げて太閤秀吉に結果を報告した。それを聴いた太閤秀吉は唐入の為の築城を全国大名に発令した。翌年春に唐入りする為にそれまでに築城することを厳命した。期間は約8ヶ月しか無かった。場所は下松浦党が提案して、宋義智が伝えた東松浦半島の上松浦党の波多江氏の居城垣添城があった場所だった。これには上松浦党の波多江親(はたちかし)は反対して秀吉の不興をかったのでした。肥前名護屋城の築城は九州在住の大名達
なぜ秀吉は[門井慶喜]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}秀吉の朝鮮出兵。韓国では蛇蝎の如く秀吉が嫌われていると聞きますが、歴史で習ったのは「朝鮮出兵」の一行のみ。しかも「失敗」とされ、深く追求することもなかったので、どれほどの韓国を蹂躙したのか全く知りませんでした。出兵のため「名護屋」に大都市が築かれていたことも。なんなら愛知県の「名古屋」の古字表現くらいに思っていたので、位置関係もあやふや。なんとなく狸じじぃ(家康)よりも猿(秀吉)に親しみを
筑肥線に乗って一路唐津へ。東唐津で降りてはないんですが松浦川の向こうに素敵な景色が見えて電車内からパチリ。松浦川を挟んで望む唐津城。この日の目的は、唐津城。川を挟んで見る城は大好きなんですが、唐津城もとても素敵で期待が高まる。そしてこの松浦川が流れこむ松浦湾はアジが美味しいことで有名。いつか食べたい。唐津駅に到着。ちょうど伊万里行きの電車が止まっていたのでパチリ。唐津から伊万里へは1時間ほど。佐世保から伊万里へは行ったことがあるのですが、この電車もいつか乗
国の特別史跡に指定されている名護屋城跡並陣跡、平成18年(2006年)には日本100名城(87番)に選定されました。現在はお城だったことを想像させるのは様々な石垣のみになっています。名護屋城は、豊臣秀吉が文禄の役(1592-1593)を始める前に築かせたもの。地図でもわかると思いますが、朝鮮半島に向かうときには『壹岐・対馬』を経由するのが一番の近道になるので、この場所が選ばれたと思います。4枚目写真は名護屋城天守があった場所から見た朝鮮半島方向。向こうに見える島が『壱岐』に当たると思
正直言ってアメブロ、辞めたくなりました。ひと月に一回くらいの割合で会員番号等からの入れ直し…面倒くさっ❗️今更、ブログでもないか…とも思いますしね。芸能人ブログなんて💩だし。Instagramで良いんじゃ❓幸い、私がフォローしている人って10人くらいだし…ちょっと?かなりかも…考える今日この頃です。いよいよ本日で友達ともお別れです。その最後の最後に選ばれたのは…また、お城かよ…しかもお城に着いた瞬間、友達は車で寝ちゃったし…。同じ寝るなら海の側で寝てほしいわ。それ
日本ブログ村に参加していますよろしければクリックお願いしますにほんブログ村九州車中泊旅52日目_呼子、名護屋城跡道の駅厳木で目覚めきょうは呼子散策の予定なので、呼子方向にあるジョイフルに移動6時15分発90分ほど走って来たジョイフル唐津店6時40分着8時15分発ゆっくりするつもりベーコン(ブール)328円ひと口チキン218円追加しました奥さんは、いつもの目玉焼き朝食(納豆)438円とひと口チキン本日のお会計は計1202円
2023/10/18硝子のブログより『どうする家康〰秀吉の朝鮮征伐(考察)』TV「どうする家康」10月8日.15日と2週に渡り、秀吉の朝鮮征伐のお話し。秀吉が、臣下に褒美を渡すため他国を攻めた、と以前学校で習ったが、ちょっとその当時も…ameblo.jp↑から昨年、名護屋城博物館へ行きたいと思っていた。秀吉の朝鮮出兵は、スペインに攻められない為だと思ったから。そして、今回、行って「黄金の茶室」は、4回使用されており、外人は「明国の使節」「スペイン領フィリピンの外交使節」とあった。
てくてくツアーの福ちゃんです今日は名護屋城跡のご案内以前ご案内させていただいたお客様からのご予約。暑い中のご散策でしたが、奥様のお母様とお嬢さまとタブレットを使ったバーチャル名護屋城をお楽しみいただきましたてくてくツアーでは福ちゃんのスマホでお写真を撮影してお客様にLINEでお送りするサービス(サービスって程ではありませんが…)をさせていただいてます📸お孫さんに囲まれて幸せそうなおばあちゃまお客様にお写真をお送りしたところ嬉しい返信をいただきました母も娘も、『ガイド付き、最高‼️
佐賀から唐津へ↓唐津線(運賃¥1130)ICカード使用不可(切符)唐津駅からバス(運賃¥200)ICカード使用可能唐津城(唐津城天守閣観覧料¥500)唐津城唐津城天守閣からの景色唐津城入口↓(バス運賃¥200)交通系ICカード使用可能大手口(唐津バスセンター)↓(バス運賃¥960)交通系ICカード使用可能名護屋城入口名護屋城博物館(入場料無料)現在公開中の黄金の茶室大手口本丸(天守台)
今から呼子に向かう前に糸島で評判のカレー屋さんでお昼です。「うるしカレー」開店前から長蛇の列、私ももちろん並びましたよ。オープンして順番でいい席に座れましたナスのグリーンカレーを注文。スープカレー的な感じです。後、サラダラッシーとデザートも付けました。並んで食べるかいがありました。ごちそうさまでした。今日は呼子に行くので、先日とても良かった名護屋城にパパを連れていきました。今日は健脚の二人なのでしっかり城めぐりします。大手口からの道、山城ですが道幅がとても広い
おはようございますとうとうTDLのマップからスペースマウンテンが消えたと話題になっていました創業当初からあったアトラクションだけに、なんだか寂しいですね旅程2/10(1日目)・太宰府館(マンホールカード)、太宰府天満宮・太宰府展示館・とびうめアリーナ(マンホールカード)・呼子泊2/11(2日目)・呼子の朝市・名護屋城(日本100名城スタンプ)(今ここ)・唐津城(続日本100名城スタンプ)・松浦泊2/12(3日目)・平戸城(日本100名城スタンプ)
今年の夏休みは2泊3日北九州!・・・ですが、旅行の一週間前に南海トラフ巨大地震注意情報がでたり、ちょうど旅行中に台風がきて前日の飛行機に欠航や遅れがあり、私達が帰る日の飛行機にも影響があるのでは?帰れるの?とひやひやしたり・・・でもまあ、天気も良く、見たいところは全部行けて美味しいものも食べれていい旅行になりました1日目、行きは朝8時半の飛行機に乗るため、6時すぎに家を出発。朝早い出発なのに、夜中にマレーシアに留学中の娘から、「白いTシャツに色がついちゃったけどどうし
昨日は、訳ありで家を1日空けようかと思い、色々と考えを巡らせて〜下道オンリーのドライブで、お城巡りをしてきました朝、何時もの日の出前に出発🚘️💨今日は、日中のことを考えて愛車です鳥栖経由して、久しぶりのR34を走り、江北からR207へ鹿島のバイパスから、初めての多良岳オレンジ海道へライダーさんが好きそうな道ですね🏍💨2台に抜かれました軽には非力で辛いなぁ〜下り勝負です干拓道路を経由して、島原へお城には、15分前に到着駐車場500円と入城料700円でした。ここ島原城のいいとこ
このお盆休み、ちょうど鳥栖戦があるので、佐賀方面を楽しもうと早くから飛行機やホテルなど予約してました。まずは連休初日(8/10)、福岡空港へ。出発も到着も混雑で遅れました。到着時はずいぶん旋回していたようで…。寝てたので気づかなかったけど、これ見て笑っちゃった。急ぐたびではないので問題なし。到着後まずは唐津へ。さらにレンタカーで呼子へ。呼子といえばイカ。呼子はじつは3回目。初めてのときはイカのおいしさにビックリ。なので私の中では佐賀=呼子。でも人気店の萬坊は行ったこ
先日、記事のコメントで、剣山を使っているの?というお尋ねがありました。剣山というか、花留めというか。いや、花留めでしょうか。これ以外にもいろいろありますが、奥の渦巻き模様の花留めが一番使いやすいです。一穴だけのものは、花留め自体に絵があって、花と競ってしまう感じ。ハスのような花留めは、穴が大きすぎて「ちいさな草花」が思う方向に立ってくれない。渦巻き模様のを、もうひとつ買っておけばよかったとおもうのですが…。買ったのが、名護屋城博物館のミュージアム
九州に入って2日目、バスで名護屋城へ向かいます。35分位で到着します。開館前にまわってゆきます。一見、綺麗な公園です。こちらから登ってゆきます。陣跡はこんな配置らしいです。日本百名城87.名護屋城似たようなスタンプがあったので間違えました。(7)へ続く
院長のサイトウです。ネタがない時の百名城です今回は名護屋城(なごやじょう)あ!院長、漢字間違えてると、思った方じつは合ってるんです愛知県に有るのは「名古屋城」佐賀県に有るのは「名護屋城」両方とも「なごやじょう」と読みますで、やってきたのはこちら!名護屋城博物館佐賀県立名護屋城博物館(saga-museum.jp)名護屋城は跡しか残っていなくて、その跡地に博物館が建っているんです。秀吉ゆかりの城だけあって黄金の茶室
金の茶室、写メ🆗でしたヒラメ透き通ってます何年かぶりに呼子へお出掛け名護屋城秀吉金の茶室イカ活きつくりリフレッシュ出来ましたまた、頑張ろ