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こちらのショート動画が好評をいただいております!大丈夫!大丈夫!あなたはうまくいっていますあなたが安心して前に進めますように!の願いを込めて「大丈夫」のメッセージを送らせていただきました。毎日頑張っているあなたへ。今日も本当にお受有実様(お疲れ様)です。今、どんな状況にいても、どんなキモチを抱えていても、あなたは絶対に「大丈夫」です。古来より日本には、言葉に宿る不思議な力「言霊(ことだま)」を大切にす...www.youtube.comありがとうございます!
JamesSetouchi2026.5.1(金)『孟子』35尽心章句下1不仁なるかな梁の恵王や1孟子曰く、2「不仁なるかな梁の恵王や。3仁者は其の愛する所を以て其の愛せざる所に及ぼし、4不仁者は其の愛せざる所を以て其の愛する所に及ぼす。」と。5公孫丑(こうそんちゅう)曰く、「何の謂ぞや」と。6(曰く、)「梁の恵王は土地の故を以て其の民を糜爛(びらん)して之を戦わしめ、大に敗れたり。7将に之を復(報)いんとして、勝つこと能わざるを恐る。8故
※狂氣の教育者•吉田松陰目先の数字に囚われ、なんだか私、悪い意味で小ぢんまりとまとまってしまってんじゃね?って窮屈な氣がしたらすべきことは一つ。古今東西の偉人の中で自分が最も憧れた人物を改めてピックアップしていまいちど心酔し直すこと。で、氣分をいまいちど大きく持ち直してみるー。すると、あれれ?目の前の数字に頭でアレコレ悩む以前に改めて人生の意義やらに思いを馳せる事ができるよう
松陰が目指した「文明」幕末の思想家、吉田松陰は黒船来航という衝撃的な出来事を前に、日本の遅れを誰よりも鋭く認識した人物でした。彼はついに、自らアメリカの軍艦に乗り込み、直接西洋文明を学ぼうとする、いわゆる「密航未遂」という大胆な行動に出ます。この事実だけを見ると、彼は西洋に憧れ、日本を低く見ていたかのように思えます。しかし実際には松陰の内面にはまったく逆ともいえる確信がありました。すなわち、「文明では学ぶべきだが、精神では日本は決して劣っていない」という確信です。この一見矛盾する態度はどこから
山口旅行2日目。昨日は秋吉台・秋芳洞と絶景を堪能しました。白い石灰岩が草原に無数に点在するカルスト台地。3人で「なんか別の星みたいだな」と言いながら歩き回りました。秋芳洞の百枚皿も圧巻でした。2日目の朝は防府天満宮からスタート日本三大天満宮のひとつ。朱色の社殿が雨に濡れてより鮮やかでした。GW早朝は空いていて、清々しくお参りできた。松下村塾、小さすぎて笑った今日のメイン、松下村塾へ。「日本の教育史に残る私塾」というイメージがあったので立派な建物を想像していたんですが、実際に目の前
JamesSetouchi2026.4.30(木)『孟子』34尽心章句上36地位が人格を作るのなら・・1孟子范(はん)より斉(せい)に之き、斉王の子を望見し、喟然(きぜん)として歎じて曰く、2「居は気を移し、養は体を移す。大なるかな居や。3夫れ尽(ことごと)く人の子に非ずや。王子の車馬・衣服は、多く人と同じ。4而るに王子の彼(か)のごときは、其の居、之をして然らしむるなり。5況んや天下の広居に居る者をや。6魯の君、宋に之き、垤沢(てつたく)の門に呼ぶ。
和本幕末~明治期「校正幽囚録」2冊揃い/吉田松陰/松下村塾蔵版/古書古文書/木版摺りです。2冊で2+41+1丁。18cm×12.5cm。木版刷り。元題簽。松下村塾蔵版幽囚録は、幕末の志士・吉田松陰が安政の大獄で江戸の伝馬町牢屋敷に投獄されていた際に執筆したものを松下村塾が刊行したもの。1855年(安政2年)から約1年間の獄中での思索や情勢分析をまとめた書物。【書名】校正幽囚録【巻冊】2冊揃い【著者】吉田松陰【成立】幕末~明治期
血圧まずまずε-(´∀`*)ホッ今日の朝ごはん☀食後のサプリメントとクスリ💊たち今日は仕事行きます(ノ`Д´)ノ彡┻━┻私は山中鹿之介になりたい。・゚・(ノ∀`)・゚・。(私は貝になりたい)吉田松陰なら、今の私になんと言うだろうか❔️でも、私は女だしな(*´・ω・)(・ω・`*)ネー私は男じゃないから
🟣古今東西縦横無尽の哲学カフェ第二十回:吉田松陰──志と覚悟──「至誠にして動かざる者は、未だこれあらざるなり」🪶「至誠にして動かざる者は、未だこれあらざるなり。」⸻【吉田松陰って誰?】吉田松陰(1830年–1859年)は、幕末の思想家・教育者。🔸松下村塾を開き、🔸高杉晋作・伊藤博文らを育て、🔸わずか29歳で刑死した。だが──彼の本質は「革命家」ではない。👉“志を生き切った人”である。⸻📖【志とは何か】松陰の思想の核は、
―――前回の続きゴールデンウィークは12連休とか。普通の勤め人でもある私はカレンダー通りの勤務なので12連休は羨ましいですね。今日は祝日ですけど明日明後日は普通に平日なので秋田市から県境の実家まで古い愛車を走らせ母親に顔を見せに行くくらいです。―――去年六月の定期健診時に注意された喫煙は継続して控えているせいかひと月ぶりに会う実家の母親からも煙草の匂いがしないとか言われましたね。自分の身体なので禁酒禁煙の約束を破っても法は犯していないので守る
みなさんこんにちは。今日は、令和8年4月27日月曜日です。『明るく挨し、心に芯を、運は信じて、縁を結び、目指すは遥か、大きな夢』をモットーにしている下ちゃんです。#人材確保等支援助成金#Goodモチベーション診断#人事制度設計#組織診断#リカレント教育#賃金制度設計#採用・定着・戦力化支援プログラムhttps://www.mpejinji-club.jp/568https://www.mpejinji-club.jp/686
Soraおはようございます!本日もピーカンナッツ気持ちの良い始まりです天気の良い日曜日なのでのんびりできるかな山へ行きたいけど熊が怖い😱春の花日記オダマキオダマキワイルドストロベリードウタンツツジAIはこれを馬酔木(アセビ)と評価しましたがAIとの言い合いの末ヤツは敗北を認めましたミヤコワスレの蕾では、これからが本番前置きが長い昨今です(-_-;)私の旅日記松陰神社秋吉台でカルスト台地で地質や岩石
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じっくりと熱いブラックコーヒーでも飲むように司馬遼太郎「世に棲む日日」全4巻を再読したたまたまある時期、天から遣わされこの世に棲んでいたとしか言いようのない稀有な二人の天才を、司馬遼太郎自身小説と言えるものかどうか分からないと前置きしながら書いた実に味わい深い珠玉の小説である小説と言えるものかどうかは分からないというのは、司馬遼太郎が極力史実や証言に沿いながら勝手な小説家の創作を排除し、誠実に実際の吉田松陰と高杉晋作を浮き上がらせようとしたことを意味するのだと思う明治維新
今年も麦の穂を見ることができました。真っすぐ伸びている姿が好きです。4月も最後の土曜日幕末の教育者であり思想家であった吉田松陰を祀っている世田谷区の松陰神社へ行ってきました。我が家からは小田急線で豪徳寺まで行き世田谷線の小さな電車に乗り換えればすぐなのに、訪ねるのは初めて。↑駅から徒歩3分、のぼりが見えました。↑立派な鳥居を潜り参道を進みます。↑どこへ行っても立札はしっかり読みます。↑手水舎の側に水琴窟が。白い皿に柄杓で水を注ぐと溢れた
小室直樹は会津藩士の血が流れていましたが、長州人であった吉田松陰の精神をもってしか、現状の日本を救えないと考えていました。小室は「松陰の真骨頂、大本領とは何か。松陰は、常に、死ぬつもりでいた。死ぬことの教育こそ、まさに、教育の大本領である」(『歴史に観る日本の行末予言されていた現実!』)と主張したからです。松陰がどこで死ぬかを絶えず自分に問うたことを、小室は高く評価しました。松陰が幕府の逆鱗に触れ、29歳(満年齢)で死に場所を得たことで維新回天は実現したというのです。小室は「松下村塾
一番好きな植物は?▼本日限定!ブログスタンプうーん、なんだろな…😅「植物学・マキノの日」日付けは植物学者・牧野富太郎氏の誕生日からだそうです(1862年)「日本植物学の父」と呼ばれました。「日本ダービー記念日」1932年(昭和7年)東京・目黒競馬場で日本初のダービーが開催されました…🏇本日(4/24)の出来事1854年(嘉永7年)(旧暦3/27)…吉田松陰がペリー艦隊への密航を試みるが失敗され捕縛される1862年(文久2年)(旧暦3/26)…坂本龍馬が伊予国(愛媛県)へ脱
【夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。】吉田松陰(幕末の志士)今日一日、夢と目標を紙に書き出そう❗️\(^。^)/吉田松蔭先生が、幕末の志士という言葉が使用されています。一般的には明治維新の精神的指導者・理論者などと紹介されると思うのですが。確かに幕末の志士達を指導した方なのですから、坂本龍馬、西郷隆盛などと同じ立派な幕末の志士ですね。https://you
本書は幕末の儒学者・佐藤一斎の『言志四録(げんししろく)』による現代風の解説である。一斎は昌平坂学問所のトップ、朱子学、陽明学など東洋思想学問に精通した学者で、弟子は佐久間象山、吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、伊藤博文、西郷隆盛など幕末維新の志士を持ち、これは心に響く短い言葉・東洋の叡智書だ。気になる言葉は、「『忙しい』の9割は無駄な仕事」(効率の悪い日本の会社組織)、「急ぎの文章ほどゆっくり考え返答する事」、「挫折や苦労や努力を惜しまず経験、壁を乗り越えた経験を持つ事。そして「己を知る」(自分の器
萩博物館でちょっと頭の中が混乱しましたが、気を取り直して、次の目的地にレッツラゴー水路?と思いましたが、外堀でした。萩城と城下町を隔てる堀です。江戸時代初期に掘られ、当初は20間(40m)もあったとか。その後、どんどん狭くなり、平成8年に8間(16m)で整備されました。堀と言っても、水が流れている部分はちょっとです。それでも、きれいに復元されていましたよ。復元された北の総門です。城下町から萩城へ入るために設けられた門のうちのひとつです。この門は、平成16年に「萩開府400年」を
2026-02-21阿川八幡宮に近くにgooglemapで日和山松陰亭跡というのを見つけたので行ってみました。近くまで行くと日和山松陰亭の説明板がありました。日和山には、嘉永2年(1849年)藩命により、吉田松陰が沿岸防備のため台場を築いた跡があり、昭和4年に松陰没後70年祭を記念して「松陰先生登臨の碑」が建てられたとあります。車をとめて山の方に歩いていくと恵比須神社があります。この神社の右手に山道が続いているので上のほうに進みます。右から道が合流するの
萩の城下町散歩、めちゃ楽しくて、予定していた時間を大幅に超過中まあ、仕方ないよね。この後、萩城も行きたいので、ちょっと急ぎ足で、こちらの博物館へ。萩博物館萩・明倫学舎のチケットで入館料は割引になり、410円でした。ありがたいねぇ~。とてもきれいで大きな博物館でしたよ。みんな大好き、顔出しパネル!吉田松陰先生、高杉晋作のお二人です。萩明倫学舎の顔出しパネルもこのお二人でしたね。まあ、そりゃそうなるよね。萩と言えば、吉田松陰先生、松下村塾。萩と言えば、高杉晋作、奇兵隊。真っ
心が燃えていないなら、それはまだ本気で生きていないということだ。楽な道を選びたくなる気持ちは、誰の中にもある。傷つきたくない、失敗したくない、恥をかきたくない。周りと同じようにしていれば安心だし、目立たなければ叩かれることもない。そんなふうに自分を守りながら生きていくことは、決して間違いではない。むしろ現代社会では、それが賢さだとさえ言われることもあるだろう。けれど、その安心の中で、どこか満たされない思いを抱えてはいないだろうか。本当はもっと何かできるはずだと感じながらも、一歩踏み出せない自分
土星が空に現れているのを見た。大きくて、驚いた。もちろん夢の話だ。こんな夢を見たのは、寝る前に村上春樹のIQ84を読んでいて、そこに「二つの月」が現れた、とかそんな話があったからなのだろうけれども、僕の脳裏には、巨大な土星が現れた🪐驚いた。夢の中で、なぜ、と思った。なぜよりによって土星なんだ。こんなに土星が地球に接近することって、あるのか?月が綺麗に大きく見える夜はあるけれども、あれは実際に月が近づいているのではなくて、幻影でそう見えているだけなのだそうだ。そんな存在
それでは、萩の城下町を散歩しましょう。1600年関ケ原の戦いで敗れ、広島から萩に移封された毛利輝元が萩の町を整備しました。三角州に萩城を建設し、城下町を整備します。城跡、上級武家、町人を3地区に分けた都市計画を推進しました。明倫館のすぐ横は大きな図書館になっていました。遠くを指をさしているこちらの像は、久坂玄瑞進撃像です。吉田松陰没後、高杉晋作らと、尊王攘夷運動の先頭に立ちました。禁門の変で敗れ自刃、享年25歳でした。吉田松陰の妹、文の最初の夫です。大河ドラマ「花燃ゆ」の主
萩に吉田松陰あり。全国どこに行っても松陰の足跡があるが、本拠地の松陰神社にいく吉田松陰は明倫館でその才を認められてたものの、自由な言動のためお咎めを受け、親戚のこの家で一年半幽閉されることになる。いわば軟禁だ。幽閉されたこの3畳の間で松蔭はひたすら学問に励む中、明倫館での学友などに思想を教える。1年半の幽閉ののち、松下村塾を作る。そこから輩出された偉人は実に多いわずか30歳で処刑されるが、両親に宛てた別れの書簡が涙を誘うこの後、初代内閣総理大臣の伊藤博文記念館とその隣にある生家を訪れ
JamesSetouchi2026.4.18(土)『孟子』22仁と義放心+吉田松陰告子章句上111孟子曰く、2「仁は人の心なり。義は人の路なり。3其の路を舍(す)てて由らず。4其の心を放して求むることを知らず。5哀しいかな。6人鶏犬の放つこと有れば、則ち之を求むるを知る。7放心有るも、求むるを知らず。8学問の道は他無し。9其の放心を求むるのみ。」と。(語句)1孟子:中国・戦国時代の儒家。孔子の継承者を自認した。性善説、王道政治を唱えた。2仁:
山口県は江戸時代は長門国と周防国だ。長門国は、現在長門市と萩市になっている。昨日は長門市の仙崎、今日はその北東へ40分のドライブの萩市を歩く。萩博物館、城下町、その中心にある明倫館、吉田松陰の松陰神社、最後は初代総理大臣、伊藤博文を訪ねる。写真は100枚近く撮ったので、三つ位のトピックにしよう。萩博物館は城下町の西にある。毛利藩主の生誕400周年を記念して2004年に建立した日本最大級の木造建築だ。山口は夏みかんの産地。士農工商の身分制度の時代、武士は城主から給金をもらって生活、いわば公
ツリー表示あります。帰化申請の在住年数は法定だと、「5年以上日本に住所がなければ許可不可」という普通帰化より、日本人の配偶者の帰化の方が居住年数の要件が3年間に短縮されている。5年はやはり短すぎると最近10年経ってから申請してねという運用になったそうだが、配偶者の簡易帰化についてどう変わるのかな。…—和気ニャン(@wake_neko)2026年4月16日日本の移民法なんて、今ではザル。隙あらば住み着こうとする外国人と、隙あらば外国人を輸入している政腐の両方で、移民爆増中。
山口県萩市に行ってきました。誕生日のあとのリトリートという気分でした。江戸時代の末期から明治時代の半ば頃までの歴史に少し興味を持ったわたしにとって、吉田松陰という人物と彼を取り巻くいろいろな人たち、その環境、その爆発的なエネルギーと真正直な一途な生き方には圧倒的な興味を持たざるを得ない「事件」のような重さのある内容でした。有名な松下村塾の建学について松陰はこう語っています。『一世の奇士を得てこれと交わりを結び、吾の頑鈍を磨かんとするにあり』松蔭自身がこの塾の教授ではな