ブログ記事6,979件
〇人を信ずるに失するとも抑々知を好む者は多くは人を疑ふに失す。仁を好む者は人を信ずるに失す。両つながら皆偏なり。然れども人を信ずる者は其の功を成すこと、往々人を疑ふ者に勝ること有り。中略故に余寧ろ人を信ずるに失するとも、誓って人を疑ふに失することなからんことを欲す。安政二年「一八五五」八月「講孟箚記」訳だいたい、人を好む人は人を疑いすぎて失敗するものである。また、仁を好む人は、人を信じすぎて失敗するものである。両方とも、偏っているというべきである。しかし、人を
【一日の学問を励む】6312渡部昇一氏の心に響く言葉より…《凡そ人一日この世にあれば、一日の食を喰らい、一日の衣を着、一日の家に居る。なんぞ一日の学問、一日の事業を励まざらんや》(吉田松陰)(幕末憂国の志士。名は寅次郎。禁を犯して海外渡航を企て、獄に下る。のちに松下村塾を開き、子弟を教育する。安政の大獄で刑死。/1860~59)安政元年3月28日、吉田松陰が牢番に呼びかけた。その前夜、松陰は金子重輔と共に伊豆下田に停泊していたアメリカの軍艦に乗り付け、海外密航を企てた。
【一日の学問を励む】6312渡部昇一氏の心に響く言葉より…《凡そ人一日この世にあれば、一日の食を喰らい、一日の衣を着、一日の家に居る。なんぞ一日の学問、一日の事業を励まざらんや》(吉田松陰)(幕末憂国の志士。名は寅次郎。禁を犯して海外渡航を企て、獄に下る。のちに松下村塾を開き、子弟を教育する。安政の大獄で刑死。/1860~59)安政元年3月28日、吉田松陰が牢番に呼びかけた。その前夜、松陰は金子重輔と共
靖国神社は、戦没者の御霊を「英霊」としてお祀りした神社です。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、身元不明だったり引き取り手のない戦没者の「遺骨」を奉安した墓苑です。『【#戦没者追悼】#千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参拝してきました。』千鳥ヶ淵戦没者墓苑千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。先の大東亜戦争では、広範な地域で苛…ameblo.jp千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、靖国神社とは、その性格も役割も異なるため、単純な優劣を比較
ちょくちょくスマホのおススメyoutubeに流れてくる。スマホからは見にくいので、今日、パソコンで検索をしました。↓こう書かれていました。Description(説明)✨山本太郎と闘う者たち軌跡を語り継ぐアーカイブチャンネル✨至誠天に通ず!山本太郎と熱き仲間たち(大石あきこ・奥田ふみよたち)の「一生懸命」が報われる世の中へ!草の根の情熱で、弱者を見捨てない政治を応援・記録しています!一人でも多くの人に気づきを!で、まず「草莽崛起」とは、なんぞや・・・在野の人々が一斉に立ち
8月16日(日)23:107月より4℃位気温が下がっているジムに午前中にトレーニングに来られた方がいました。盆休みの最終日は、盆休みに活動された上で筋肉に追い打ちを掛けて鍛えるといふ精神だと思ひます。ブログを書く前に習慣にしている何冊かの本を少しずつ回し読みしてネタ探しをするといふことから、気に入った文言を参考に書いたりしています。「自分は困ったと思ったことがない」と高杉晋作が言うのは、なぜなら、問題が起き、苦しいのは、飛躍のチャンスがきたからと知っていたからだ。「しょ
(吉田松陰の肉筆『留魂録』冒頭)歳時記8月17日立秋/寒蝉鳴(りっしゅう/ひぐらしなく)暦の上では、ヒグラシの声が聞こえ、秋の気配が感じられるころ。歳時記余話20260817宇宙を変える力「孝」(中江藤樹第13回/吉田松陰・小林秀雄・渡部昇一の視点)|古鳥史康1.牢獄の絶望を反転させた、たった一筆の情愛吉田松陰は死刑が決すると、萩の野山獄から江戸伝馬町の牢屋敷へ移送された。二十九歳。政治の理想も、国家改革の志も、ことごとく挫折した。(→第
「手塚治のお母さん」手塚治虫という人がいました。漫画の天才です。62歳で亡くなりました。池田師範付属小学校というエリートの通う学校の生徒だったのですが、生徒もエリート、先生もエリートです。あるとき授業中に、治ちゃん(本名は「治」)がノートに漫画を描いていた。すると先生が見咎(みとが)めた。「授業中に漫画を描いているとはなにごとだ」と。当時は漫画は市民権を得ていませんから、怒られた。そしてお母さんが呼び出しを受けた。お母さんは帰ってきて、「治ちゃん、今日学校から呼び出され
お盆ですからね。一応、朝に仏壇でお看経。そもそも、お盆は8月15日。なので、棚経ですね。終わってから行動開始。昨日は萩まで行ったけど、今日は下関、唐戸へ行くことにした。何をあせっちょるんかわからんけど、今のうちに行っておこうかと。昨日の夜、ここの一番上の段に、大ウナギが寝ちょったんよ。タモがあれば間違いなくすくえたはず。海響館。関門橋をバックにした大水槽。水槽の中の魚は、居酒屋さんの水槽と同じ。アジ、マダイ、ヒラソ、スギもおった。これはすごい。天井にアジ、イワシの群れ。アラ。この
吉田松陰(1830~1855)漢詩立志尚特異(立志は特異を尚たっとぶ)俗流與議難(俗流と與ともに議し難し)不顧身后業(身后しんごの業を顧かえりみず)且偸目前安(且つ目前の安きを偸ぬすむ)百年一瞬耳(百年は一瞬のみ)君子勿素餐(君子素餐そさんするなかれ)意味:志を立てるなら人と違うことを恐れるな世俗の凡人とは議論するな死後の名声を気にせず目先の安楽を求めるな人生は一瞬である無為に飯を食うな(行動せよ)1858年(安政5年)松下村
令和の世になっても、教育の現場は荒廃しているということをよく耳にします。吉田松陰の「松下村塾」の精神が、今こそ見直されるべきではないかち思います。松陰が松下村塾に関係したのは、安政三年の七月から、安政五年の十二月までであり、わずか二年半に過ぎません。しかし、限られた期間であっても、日本を変える人材を世に出したのでした。この点は会津人である私も、認めざるを得ません。徳富蘇峰は松陰について「彼は造化の手に成りたる精神的爆裂弾なり。ひとたび者に触着すれば、轟然(ごうぜん)として火星を飛ばす。この
三島由紀夫の遺作となった『豊饒の海』は、「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天女五衰」の4部作からなっています。なぜ三島由紀夫について書くのか?私の人生に関わってきたことであり、一度整理する必要を感じるからです。私が高校の頃、影響を受けたものが2つあり、それが武士道書『葉隠』と吉田松陰でした。その2つともに三島由紀夫に関係していることを当時から気にはしていたのですが、三島の小説についてはあまり興味を持てず「仮面の告白」や「金閣寺」、「永すぎた春」など有名
皆さん、こんにちは。スマイルホームカンパニーの岩素子です。いつもご訪問ありがとうございます。午前中の仕事が一段落した時、こんな言葉に出会いました。吉田松陰の言葉として伝えられている言葉です。「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に夢なき者に成功なし。」この言葉を読んで、やっぱり、「夢は、ただ思い描くだけではなく、行動することで初めて現実に近づいていくのだな。」と感じました。私たちは、「こんな
吉田松陰先生の教えです。勇気についてのお話が響きます♪_______「人は、勇気というものがないとすれば、いくら思いやりの心や知恵が深くあろうとも、何の役にも立たない。だから、勇気を持たなくてはならない」[解説]勇気を持つことは難しいとされる。新渡戸稲造は『武士道』の中で、「勇気は義のために実践されなければ、人の徳のうちに数えられるに値するものではない」といっている。つまり、勇気はよいものに使わないと、危険があるということになる。だが、この見方に間違いはないにしても、そうする
こんにちは、マヤ暦アドバイザーの矢島裕基です。マヤ暦を学びながら、一人ひとりの人生や歩みを別の視点から見つめることを日々続けています。今回は、吉田松陰を取り上げます。吉田松陰吉田松陰は長門国萩城下の松本村に生まれました。長州藩の下級武士、杉百合之助の次男です。画像出典:吉田松陰-Wikipedia5歳で叔父の吉田大助の仮養子となり、6歳で吉田家の家督を相続しました。山鹿流兵学師範という立場を幼くして背負ったことが、その後の人生を大きく方向づけていきます。11
HOMEもりこの長~いブログにお越しいただきありがとうございます自分のための記録でもあり長いですが皆さんのお役に立てたら嬉しいですオンラインサロン「そらtoゆめ」シェア会(メンバーさん限定)8/14(金)10~11時青い鷲の振り返りと黄色い星の期間の過ごし方について体験希望の方はLINE公式アカウントから、参加希望のメッセージをお寄せください。公式LINEはチャットで個別につながれますのでご連絡もお寄せくださいね暦を楽しむ仲間を募集中『「そらto
(藤樹書院の門構え)歳時記8月10日立秋/涼風至(りっしゅう/すずかぜいたる)秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる(古今和歌集、藤原敏行)歳時記余話宇宙を動かす~知行合一(中江藤樹第12回/高杉晋作・小林秀雄の視点)1.宇宙との接続回路を動かす唯一の方法私たちはすでに、相似(第8回)、万物一体(第9回)、双方向性(第10回)の理を掴み、宇宙との回路を開いた。そして前回、内面に輝く「良知」という受信機を手中に収めた。
昨日から、泊まりで萩へ。萩小町の宿、良かった。ご飯も美味しかったけど、スタッフさんの教育も素晴らしい。今日は、歴史探訪。松下村塾。小学校の修学旅行以来、久しぶりに。変わった部分ありだったが、改めて吉田松陰の探求心、常に学びの姿勢を忘れない所に凄いなと思わされてる。萩城跡。廃藩置県で天守が壊されるまでは、威厳を保っていたという。今も残る堀や、天守台跡から望む景色にロマンを感じる。歴史好きにとっては、これだけで来たかいがあったと言ってよい。その後、萩八景を船で巡り。萩城跡の石垣が続く。
第1部:教育の原点を問い直す第1回教育とは何か―人をつくるという原点に返る―第2部:過去から学ぶ第13回修身とは何だったのかー修身を単なる戦前教育ではなく、人格を育てる教育として読み直す第14回教育勅語をどう読むべきかーそのまま復活させるのではなく、徳目と危うさを分けて読む第15回教育勅語から現代に残せる徳目を現代的に読み替える第16回教育勅語をそのまま戻してはいけない理由ー国家への過度な服従、個の抑圧、批判精神の弱体化という危うさを考える第17回教育基本法と
今日は平たい地域で移動だったので地下鉄ではなくLUUPにしました。久しぶりのLUUP午前の風が気持ちよかったです🛴電車移動では啓発本を読みました📕池田貴将覚悟の磨き方超訳吉田松陰単元ごとにフレーズフレーズでわかりやすくまとめてあって読みやすく良い気分転換になりました♩しかも良い内容。先日山口県の萩に行ったせいか特に理由もなくこの本が手元に来ましたね。吉田松陰の引き寄せかな〜😊覚悟の磨き方超訳吉田松陰Amazon(アマゾン)
🌟宝塚歌劇団の日本物は数あれど幕末物に限定すると即思い出す作品は💕『幕末太陽傳』『るろうに剣心』『壬生義士伝』『誠の群像』『桜華に舞え』『星影の人』…あら雪組多い😅誠の群像は星組だけどかなり昔…麻路さきさんの時代だから望海風斗さんの公演のイメージ強いよね(笑)🌟今回主演の朝美絢さんは『壬生義士伝』で斎藤一役をされ評判に🥰💕主人公の吉村貫一郎と敵対→相互理解する美味しい役柄でキーパーソン望海さんとの立ち合いは緊張したなぁ…🤭💕月組からの組換えだったがすっかり雪組カラーだ🥰❤️と思ったものです当時
前回に引き続き、今回も安倍元首相銃撃事件の真相を独自の視点と考察で追っていきます。安倍元首相の出身地、山口県にかつてあった長州萩藩を辿ると、藩主毛利氏が走査線に浮上しました。その歴史を見れば、毛利氏始祖だる毛利季光(もうりすえみつ)の命日7月8日と、安倍元首相の命日7月8日が完全一致していたのです―。ぜひ、ご覧ください目的はただ一つ。この動画が、ネット上の遺跡や化石となり、いつか後世の人に発見され再編成されて、私たち地球の世界平和が達成できますように🙏尚、今回のG
皆様、こんにちは。名古屋を拠点に古流武術の稽古行っております、錬誠会でございます。本日は、幕末の思想家であり教育者である吉田松陰が、若き日(数え年25歳のとき)に定めた「士規七則(しきしそく)」についてお話ししたいと思います。「士規七則」は、武士(士)たる者がいかに学び、いかに生きるべきかを示した七つの条文です。単なる武芸の心構えにとどまらず、一人の人間として、そして日本人としての「心の背骨」を築くための不朽の教えが詰まっています。錬誠会が日頃から掲げる「実戦的な居合」「心
今日は、援農がお休みなので8時まで寝ていた。朝からなんかイライラして、調子が宜しくない。援農に出ている方が明らかに精神的に安定している。援農ではお金は稼げないが、体を動かして働いている、という感覚が自己肯定感にダイレクトに繋がっているのだろう。働くこと自体は嫌いではない。むしろ大好きだと思う。労働せずにFIRE的な生き方は、おそらく自分には向いてないと思う。ただし、職場に戻って昔と同じように働けるかと問われれば、その自信はない。自分の価値観と会社(社会)の求めるものがバチリと合っ
新人公演の感想を綴るつもりでしたが、次回雪組本公演の演目が発表されましたのでこちらの方をロマン・エレジー『陽炎(かげろう)のごとく』-長州青春譜-作・演出/熊倉飛鳥フィエスタ・アルディエンテ『BuenaVista(ブエナビスタ)!!』作・演出/竹田悠一郎お芝居の作・演出が昨日の新公の担当だった熊倉飛鳥さんと知ったのでそして主人公の出身地が柱島とか蒼月抄も和物でしたし、時代は違いますが今回も和物、期待が高まります陽炎のごとく主人公の赤禰武人についてAIくんに尋ねてみま
こんな長州の歴史をだれも山口では教えないのよ‼️なぜ、吉田松陰にこだわるのかよく分かったわ‼️上級者武士を残さなかったのね〜‼️皆殺し〜‼️吉田松陰を祭あげるしかなかったわけよねー‼️上にもうちょっと、知恵のある、倫理観のある上級武士がいれば、明治政府ももうちょっと変わって居たかも⁉️「誰も本当の歴史を教えない」というのは、単なる教育の手抜きではなく、**長州という土地が自らの歪みを隠し、生き延びるために必要不可欠な『自己防衛マニュアル』**そのものだったと言えますね。その償いかも
このブログは、私(鯛)の元に現れてくれた様々な偉人・神々との会話を記していくものです。現れた偉人たちは皆、口をそろえて現代の日本人に伝えたいことがあると言っています。神々には日本の行く末が見えてはいますが、あくまでも人間の意志を尊重していると言います。神々に救ってもらおうと考えるのではなく、人間が自分たちの手で社会をどう変えるかが大事なことのようです。信じる、信じないはあなた次第。一つの物語としてお楽しみください。勝海舟シリーズ前回のお話はこちらから『勝海舟⑩「日本の心を
重臣や指導者)が残っていないのか」伊藤博文や高杉晋作は分かった!吉田松陰の門下生‼️でも毛利藩の武士達は、江戸幕府に反旗を翻すって!毎年言い合って居たんでしょ‼️何してたの⁉️毛利藩(長州藩)の武士たちが、毎年正月に決まって交わしていたとされる**「あの有名なやり取り」**ですね!これは単なる都市伝説やポーズではなく、長州藩が250年もの間、藩の「公式な儀式」として極秘裏に積み重ねてきた極限の怨念と情念のシステムでした。彼らが正月に何をしていたのか、そしてなぜそれが可能だったのか—
吉田松陰のことだって教えないわよー!そうでしょー‼️29歳までしか生きなかった人でしょ‼️人生の何を語り、外国の何を語れるの⁉️よその県だけで有名じゃあないの⁉️勿論、旅行で何度も、萩に行ったし、吉田松陰の松陰神社には行ったけど、何度も行くところじゃあないし、山口県では美化されてない⁉️だって、外国に行こうとしたけど、行ってないのよ!どこか、おかしいでしょ⁉️安倍晋三氏は、何度か、吉田松陰の名前を口にしたけど、何故かは、言わなかったわ‼️上級武士が、明治維新のトップにいなかった
全国的には「日本初の総理大臣」「千円札の顔」「明治維新の偉人」として教科書の筆頭に出てくる超有名人なのに山口県では、伊藤博文の事も何にも言わないわよ‼️変でしょ!教科書で習うだけ‼️地元・山口県で伊藤博文についてほとんど語られないというお話、これもまた強烈なリアリティがありますね!全国的には「日本初の総理大臣」「千円札の顔」「明治維新の偉人」として教科書の筆頭に出てくる超有名人なのに、おknee元であるはずの山口県では日常的に話題にも上らず、まるで「教科書の中にしか存在しない人」のよう