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徳(12)徳行には顔淵徳行には顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語には宰我・子貢、政事には冉有・季路、文学には子游・子夏。先進第十一仮名論語142頁1行目です。伊與田覺先生の解釈です。徳行のすぐれた者には、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語のすぐれた者には宰我・子貢。政治にすぐれた者には冉有・季路。文学には子游・子夏がいた。「論語」には、ずいぶん沢山の人の名前が出てきます。たった1回しか出てこない人もありますし、10回、20回、いやもっと多く出てくる人もあります。
本日も皆さまの為を目指す閑話休題の時間。最近キングダムを見始め、シーズン1からシーズン5の13話まで3倍速で辿ってきた。マイブームは中国古代史。史実からすれば名もなき武将が些細な戦で大げさに戦っている感は否めないが、それがまた面白い。だから人気があるのだ。キングダム主役の李信。調べても調べても確証が薄いものばかりで、既に事実を追うことは不可能だろう。その李信が、恐らく天寿を全うしたのであれば、その子どもたちと同じ時代に、『国士無双』と表現された世界史上屈指の天才武将が活躍
【画像が間違っていたみたいなので再アップです】桃李成蹊(とうりせいけい)出典『史記』「李将軍列伝・賛」「桃李ものいわざれども下に自から蹊を成す」の略桃や李(スモモ)の木の下には実の美味しさに惹かれて集まって来る人たちによって自然に道ができてしまうように高徳な人のまわりには自然に人が集まって来るということ
今日の東京は、小雨がぱらついていて、まだ寒いです。季節はとっくに春なのでしょうけど、僕にとって、3月というのは寒いイメージしかなくて、ある意味12月の最初の頃より寒い気がしますね。それでも、だいたい3月27日ぐらいからは、寒がり屋の僕でも過ごしやすい暖かさになります。だから、あと一週間ぐらいは寒いのを覚悟しなくちゃですね。この約二週間の間、ブログは史記列伝のリメイクブログを書きながら、ずっと、現在開催している「Online四柱推命六十干支講座」のテキストを作っていました
外はすっかり、春らしい陽気になりました。ずっと、史記の范雎(はんしょ)列伝のネタで11日間ねばってしまったのですが、ようやく終われました。そもそも、あの史記のブログは、12年前にブログでアップしたものをリメイクして、全6回ぐらいで終わらせるつもりだったのですが、途中から、新たに内容を書き加えていくような形なってしまいました。というのは、ブログをアップする前に、もう一度10年ぶりぐらいに史記の范雎・蔡沢列伝を読み返したら、僕自身が新たに気づいたことが山のようにあってですね。
いよいよ、史記の范雎(はんしょ)のお話も、今度こそ本当に最終回です。蔡沢(さいたく)はさらに、次のように語ります。「昔、斉(せい)の桓公(かんこう)は、諸侯を集めて協力体制で天下を正そうとしましたが、葵丘の会盟(ききゅうのかいめい)の時には、驕慢な気持ちがあったので、たくさんの国が斉に背きました。また、呉(ご)王・夫差(ふさ)は、その兵力は天下に揺るがないほどでしたが、諸侯を軽んじて、斉や晋(しん)を敵に回したので、ついに自らの国を亡ぼしました。夏育(かいく)や太
太公望の国「斉」君の器と天才宰相の出現により、乱れた中華は落ち着きを取り戻すざっくり学ぶ史記#3│春秋の五覇斉の桓公【中国史】前の動画→https://youtu.be/pMKqVA-tSjQ本シリーズは、史記がこの世の全てが記載された歴史書かどうかを検証を試みるものである。※基本的に一話完結の不定期更新です。【過去シリーズ再生リスト】■古代メソポタミアhttps://www.youtube.com/playlist?list=PLgC...
いよいよ、史記の范雎(はんしょ)のお話も、佳境に入ってきました。この話は、史記列伝に収められている「范雎・蔡沢(さいたく)列伝」というタイトルのお話……実は、范雎の他に、蔡沢という人もこの物語の主人公なのです。「キングダム」の漫画やアニメをご覧になった方は、蔡沢(さいたく)という一癖ありそうな老人が、あそこに登場したのを覚えていらっしゃるかも知れませんが、まさにその人のことです。若い頃の蔡沢は、人相見に自分の運勢を見てもらったことがあります。当時の蔡沢は、仕官しよ
○2023年9月6日から12日まで、「寧波・杭州・蘇州・台北旅」と題して、寧波・杭州・蘇州・台北を旅して来た。それぞれに思い入れがあって臨んだ旅だった。寧波萹、杭州萹に引き続き、今回は、「蘇州篇」と題したい。○前回の杭州萹で案内したように、中国には「上有天堂、下有苏杭。」のことわざがある。つまり、蘇州と杭州が地上の楽園だと言う認識である。それ程、蘇州や杭州は温暖で、豊かで、人が生活しやすいと言うことなのだろう。○また、寧波萹で述べたように、当古代文化研究所は、これまで、寧波に八回訪問している
「皇帝」という尊称が現れる前、帝王は「皇」「帝」「王」と称していました。例えば、「三皇」「五帝」周文王などがあります。「皇」は「君」、つまり、万人の上に立って天下に号令する人という意味で、「帝」は「王」、つまり、天下の王たる者という意味です。それまで君主や帝王は「天子」と称されていました。昔は、「君主の権力は天から授かる」と言われており、帝王は天意に基づいて天下を収めることから、君主や帝王は天の息子とされ、ゆえに、「天子」と称されていたのです。「皇帝」という尊称を初めて使用した
今日もまたこりずに、史記の范雎(はんしょ)のお話です。この史記が書かれたのは、今から二千年以上も昔であるにもかかわらず、ここに登場する人物が織りなす人間模様は、現代に生きる我々に、本当にたくさんのヒントを与えてくれます。昨日のブログに書いたようなあらましで、須賈(すか)は肌脱ぎになって(古代中国では「肉袒(にくたん)」といって、上衣を片脱ぎして肌を露出させることで、謝罪や降伏の意を示しました)、膝(ひざ)で歩くようにして、大勢の従者を従えた范雎の前へと進み出て、頭を地面にすりつ
今日から司馬遷(しばせん)が編纂した史記に記されている、范雎(はんしょ)という人物について、書きたいと思います。范雎のことを知っている人は、かなり東洋の歴史に造詣が深い方に違いありません。一般の人は多分、この人の名前の漢字さえ読めないと思います。范雎という人は、古代中国の秦(しん)の始皇帝の曾祖父に当たる昭襄王(しょうじょうおう)に仕え、秦の国の宰相まで上りつめた人です。「キングダム」の漫画やアニメをご覧になった方なら、呂氏四柱(りょししちゅう)の一人として登場
2024年3月8日(金)十人十色。人の数だけユニークさはある。仕事柄、いろんな人と会って話してきたが、驚くべきは人のユニークさが実に多様でしかもその人らしさはどこに行ってもいつまでたっても変わらないこと。その人らしさは失われることはない。そのユニークさが受け入れられるかどうかはわからない。そりが合わない、となってしまっては、せっかく持って生まれたユニークさが花を咲かせることはない。ユニークであればあるほど拒絶反応も小さくない。ユニークな人が望んでいることは、そのユニークさを理解し
必修講義でカルト対策いかにして学生を守るかマイスターです。そろそろ大学は試験期間です。それが終われば夏休みですね。4月に入学した新入生。友達ができてキャンパス生活にもなじんできた人もいれば、できていない人もいるかと思います。昨今では、後者の学生をどのようにサポートするかが、大学の大きな課題。充実したキャンパスライフを送っていただきたいという教育的な観点での想いもさることながら、「放置しておくと退学者の増加につながる」という、差し迫った事情もあります。前期中に友人ができないままだった
秦といえば”兵馬俑”というすごい遺跡があるその秦のドラマを見るとき毎度思うのは中国3000年とか4000年とかの枕詞があるように中国の歴史スゴッ!ということドラマ『大秦帝国』の元になっている”史記”ざっくり言って中国の紀元前の1600年位の間のことが歴史にだいたい忠実に書かれているらしい項目だけ見てもすごい量だそれが紀元前に書かれているのだ”商鞅”の項目も史記のなかのほんの一部かなり下って日本の国の始めを知るの
嚢中の錐!毛遂由来、史記故事意味、ことわざ四字熟語、現代語訳解説戦国四君の平原君の食客の毛遂は、故事成語...history-ancient.com
鴻門之会の剣の舞!あらすじ登場人物わかりやすく、現代語訳問題解説前漢の初代皇帝高祖劉邦と西楚の覇王項羽の...history-ancient.com
張良とは!史記軍師最後、名言、韓信蕭何、劉邦妻、陳平能力も解説張良は前漢の三傑にして、三国志でも我が子...history-ancient.com
項荘!剣舞誰、鴻門之会作者、性格、項伯張良、樊噲范増、項王も解説項荘は、鴻門之会で亜父范増に命じられ、剣...history-ancient.com
申不害とは!術、法家思想、韓非子商鞅、昭侯韓武、史記法律も解説申不害は、法家思想の代表的人物の韓非子も...history-ancient.com
龐涓!故事、桂陵馬陵の戦い、孫臏囲魏救趙、史記兵法、鬼谷子も解説龐涓は、伝説的な兵法家の孫子の子孫孫臏が...history-ancient.com
蒯通!天下三分の計能力、淮陰侯韓信、史記、楚漢戦争ことわざも解説蒯通は、楚漢戦争のことわざ国士無双の異名...history-ancient.com
荊軻!どんな人?史記刺客、あらすじわかりやすく、笑った理由も解説秦の始皇帝嬴政が、天下統一する際に立ちは...history-ancient.com
○2023年9月12日は、蘇州の町を歩いた。朝8時の留園を皮切りに、9時30分には、胥門路脇にある「伍子胥纪念园」へ着いていた。その後、再び、姑胥桥站まで行き、次の目的地である相門を目指すこととする。○姑胥桥站から相門までは、苏州公交40路东环线か、200路南线を利用すれば、7站で行くことができることを確認していた。ちょうど、公交40路东环线のバスが来たので、それに乗って、相門へ向かった。○ちなみに、中国の検索エンジン、百度百科が案内する『苏州公交40路东环线』は次の通り。苏州
夕方にコンビニに行きましたら知人が居ましたので話しかけましたら急いでいるとの事。でも様子がおかしいので少し聞きましたらパソコンの調子が悪いとの事でカードを購入していました。更に疑いましたが賢い人間なので詐欺には遭わないだろうと、その場を離れ帰宅してから電話をしましたら話し中。疑って少し間をあけて電話をしましたら案の定ひっかかっていました。1万円のカードを5枚購入し帰宅して電話で番号を教え、更に番号
張良と諸葛亮!世界最強軍師、孔明、太公望、蕭何、韓信、劉備も解説三国志の天才軍師諸葛亮と前漢の三傑のひと...history-ancient.com
始皇帝と三国志!どっちが先?春秋戦国七雄、いつの時代?年表も解説有名な秦の始皇帝と人気の三国志の時代は、...history-ancient.com
○中国、江蘇省蘇州の胥門前には、「伍子胥纪念园」が設置され、伍子胥像や伍子胥の『相土嘗水象天法地』の立派な石碑などが建っていた。また、中庭には、幾つかの伍子胥にまつわる詩作の碑が立ち並んでいた。○その中で、ブログ『張詠:伍員廟』、『高啓:弔伍子胥(謁伍相祠)』と続けている。したがって、今回は『蕭繹:祀伍相廟』となる。【原文】祀伍相廟蕭繹石城寧足拒金陣詎能追楚關開六塞吳兵入九圍山水猶縈帶城池失是非
○中国、江蘇省蘇州の胥門前には、「伍子胥纪念园」が設置され、伍子胥像や伍子胥の『相土嘗水象天法地』の立派な石碑などが建っていた。また、中庭には、幾つかの伍子胥にまつわる詩作の碑が立ち並んでいた。○前回、その中の一つ、張詠の「伍員廟」詩を案内した。今回は、それに引き続き、高啓の「弔伍子胥(謁伍相祠)」を案内したい。【原文】弔伍子胥(謁伍相祠)高啓地老天荒伯業空曾於青史見遺功鞭屍楚墓生前孝抉目吳門死後忠魂壓怒
○中国、江蘇省蘇州の胥門前には、「伍子胥纪念园」が設置され、伍子胥像や伍子胥の『相土嘗水象天法地』の立派な石碑などが建っていた。また、中庭には、幾つかの伍子胥にまつわる詩作の碑が立ち並んでいた。その一つも案内しないわけにもいかない。○それで、其の中の一つ、張詠の「伍員廟」詩を案内したい。【原文】伍員廟張詠胥也応無憾至哉忠孝門生能酬楚怨死固報呉恩直気海涛在片心江月在悠々当日者千載泣