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この企画展、今開催中なのだが、なんとか行ってみたいと思っている。同時開催に「古墳時代の武装」もあり、なんとか見たいのだが、行ったとしても、1箇所での情報量が多すぎでしかも普段まったく素人の私にとってはこの紹介YouTube動画は実にありがたかった。企画展「刀剣学総論―学際研究が紐解く「日本刀史」―」を展示解説!![INFORMATION/第Ⅱ章「近代刀剣学序説」]第Ⅱ章では、近代の刀剣研究の成り立ちをご紹介!#國學院大學ではじめて刀を論じた、#長曽祢虎徹
東京国立博物館特別展が開催されているとどうしても混雑するので次の特別展が開催される前に…9/15(火)〜11/8(日)までは東洋館でカラフルアジア-博物館でアジアの旅も開催されていたのでまずはそちらから見たのですがそれは後日…渡来人が見た長野ー馬と歩んだ古墳時代ー2026年は午年です。日本列島に馬が現れたのは古墳時代で朝鮮半島から伝来しました。中でも長野県(科野)は5世紀以降に東山道の原型ができ馬を生産する牧が各地でつくられました。その馬の生産には
10月11日日曜日、大阪枚方市樟葉~車で約30分閑静な住宅地の森の中『継体天皇樟葉宮跡伝承地』現在の天皇は126代、ちょうど100代前の第26代この代より以降、現在まで全ての皇室の始祖となる継体天皇〜継体、字の如くですね(リンク)25代後継者居ず、遠い親戚福井より抜擢されるこのおじ様、よほど立派な方だったのでしょう(後に聖徳太子の叔母、推古天皇の祖父となる)しかし地方からいきなりの大和朝廷は、厳しい様子見で、まずは大阪辺りから入っ
3連休初日の土曜日のことです。朝早く車で我が家をスタートして、約3時間後…以前から気になっていた処をフィールドワークしよう!と思いましてね♪ところは長野県塩尻市の平出遺跡。皆様、日本三大遺跡って御存知でしょうか?登呂遺跡(静岡県駿河区登呂)、尖石遺跡(長野県茅野市豊平)そして此処、平出遺跡(長野県塩尻市宗賀)です。登呂遺跡は一般に有名で、修学旅行などで訪れたことのある人も多いでしょう。群馬県で少年時代を過ごした私も登呂には修学
菊池武時の鎮西探題襲撃筑前名所図会奥村玉蘭この絵は江戸時代に博多合戦のエピソードを推測した絵です。神前を騎馬のまま通る「乗打」、場所は扁額が裏向きで正面の楼門と鳥居の間と思われます。乗馬のまま櫛田神社の南門から入り楼門で馬が動かなくなったのかもしれません。扁額が石なので南門に入ってすぐの場面かもしれません。いずれにしても博多総鎮守の櫛田神社の境内を馬に乗ったまま楼門から出て鎮西探題をめざしている場面です。<本文より翻刻>元弘三年(1333)菊池入道寂阿(菊池武時)は後醍醐帝に
過去に書いた事の寄せ集めなのですが、日本の刀剣の歴史について。当然のことながら金属製刀剣は外国から伝来しました。なので、外国の刀剣からはじめます。↑世界最古の鉄製刀剣紀元前4300年トルコhttps://geo-cosmo-cit.jp/blog/4/ただしこれは隕鉄性(鉄隕石)です。https://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20090326000221↑世界初の鋼製品
前回のお話『淡路島で生しらす食べたいわぁー!って頼んだら贅沢すぎたー!』前回のお話『可愛い可愛い長男がわざわざ届けてくれた限定品のプレゼント』前回のお話『可愛い四男のケーキ買いに行ったら優勝セールで歩けんかったわ』…ameblo.jpこのお話の続きです『神戸市西区の四分の一の大きさの町の氏神様、住吉神社』前回のお話『これはお安い!久しぶりに大満足の外食ランチ!ステーキ定食!』前回のお話『神戸の山奥にある開基662年、本堂1662年再建の古寺、…ameblo.j
【みえの遺跡紹介】No.35森ヶ坪遺跡(鈴鹿市)「弥生時代の水利施設」森ヶ坪遺跡は、中ノ川沿いの沖積地に位置します。一般国道23号中勢道路の建設に伴って発掘調査が行われ、複数の溝などの遺構が検出され、主に縄文時代から古墳時代にかけての遺物が出土しました。pic.twitter.com/zi5rK25Sgg—三重県埋蔵文化財センター(@miemaibun)2026年10月2日
古神道も奥が深い。この日は、月に一度の古神道のお勉強会の日。今回は前回の続きの「真実の出雲隠岐編」でした。内容はクローズなので、詳しくは書けませんが、やはり日本の歴史はかなり改ざんされているのではないかと感じます。特にこの出雲については、私達が知っている歴史ではない、もっと古い歴史があるのは明確。国譲り神話で有名な出雲ですが、もっと古い弥生時代から古墳時代にかけて、現在の島根県東部や鳥取県西部(古代の出雲地域)を中心として栄えたとされる、独自の勢力や政権を持っていた「出雲王朝」があっ
みくるです先日、コキアを見に奈良県営馬見丘陵公園へ行ってきました10年以上ぶりの馬見丘陵公園。コキアや季節のお花を楽しみに出かけたのですが、古墳好きの私にはもうひとつ、とても楽しみなものがありました。それが、園内にあるナガレ山古墳です。大きな前方後円墳で、発掘調査の成果をもとに墳丘が整備され、葺石や埴輪列が並ぶ姿を見ることができます。普段訪れる古墳は、長い年月の中で木々や草に覆われ、「こんもりとした山」のように見えることも多いですよね。ところがナガレ山古墳では、葺石が敷かれ、埴輪
おもしろい話で私は、ずっと埼玉の稲荷山古墳の文字を考えてるのですがもう、思いつけばアップデートして何年もべつに、職業としてるわけでも、何でもない、在野でも何でもなく趣味ですが昨日、たまたま息子の帰りをとっ捕まえようと後楽園にいたのに、まだかなと思い東大方面に歩いていき私は東京に大学ででてきて、20年以上いるのに東大は、ほとんど見たことなく、前を通ったのも二回目くらい…はい、それで近くに中華料理がたくさんで、中国語教室があり…へえ、と思いそうだ、開成に中国人がいると言う話を
こんにちは松戸市立博物館は今年1月から休館していましたが9月再開館したので行ってきました「貝の花遺跡」のジオラマ「貝の花遺跡」は博物館の北1.5kmの標高約15mの台地上にある縄文時代中期から後期(約4500年前から3000年前)にかけての環状集落遺跡です1965年小金原団地建設計画に伴い急遽1964年から翌年にかけて発掘調査が行われた結果多数の竪穴建物跡や埋葬人骨(50体以上)が発見されました更に日本で初めて縄文時代の貝塚を伴う集落全体の概要が把握できた重要な遺跡です
旧家屋の空家の解体。祠や御堂がそこここに残っています。古墳時代の石棺に仏を彫ったもの。当時の人々はそれが死者を納めた棺だと知っていたのかどうか…?松原八幡宮。松原八幡神社|灘のけんか祭り・松原八幡神社秋季例大祭www.nadamatsuri.jp17時の閉門時刻を過ぎていていたので門下の隙間から撮った本殿。高砂神社とよく似た造り。
今、この本を、図書館で、読んでいるところ。埋葬からみた古墳時代歴史文化ライブラリーAmazon(アマゾン)まだ、最初の方を読んでいるところですが、色々と、面白いことが。日本には、大小、様々な「古墳」が、大量に、存在しますよね。そして、この古墳に、誰が、葬られているのか。個人を特定することは、なかなか、困難。と、言うか、ほぼ、不可能なこと。特に、大王、首長クラスの巨大な古墳なら、ある程度、推測をすることも出来るのでしょうが、中小の無数の古墳になると、そもそも、
こんにちは代々木公園にてアオチカラシバ?マルタゴンリリー?ハナミズキ「ケツァルコアトルの像」アステカ神話の「羽毛の生えた蛇神」をモチーフにした石像で1990年日本とメキシコ両国の友好のシンボルとしてメキシコから贈呈されましたハナシュクシャ國學院大學博物館に来ました企画展「杉原祥造没後100年刀剣学総論―学際研究が紐解く「日本刀史」―」が開催中です上:直刀、古墳時代後期(6世紀)、関東地方出土下:素環頭大刀(明治時代
こんにちは人とペットのエネルギーを穏やかに整える【波動療法の魔法使い】マダム・サーニャです引き続き、丹後半島&丹後王国のお話です丹後王国の片鱗を求めて京丹後市にある「神明山古墳」へ。前回ブログで書いた竹野神社から細道を通っていきます『古代王国の面影を探して〜「丹後王国」とかぐや姫』こんにちは人とペットのエネルギーを穏やかに整える【波動療法の魔法使い】マダム・サーニャです今年もシルバーウィークは、恒例の丹後半島巡りをしてました…am
子供用の木棺墓か?見つかった2基でひつぎ構造異なる笠原南遺跡Yahoonews2026/9/29(火)朝日新聞木棺墓について説明する滋賀県文化財保護協会の職員=滋賀県守山市笠原町(朝日新聞)卑弥呼の時代の遺構が見つかっている滋賀県守山市笠原町の笠原南遺跡で、複数の墓が密集する墓群が新たに見つかった。県文化財保護協会が29日発表した。区域内には、乳幼児用とみられる木棺墓2基や、壁や本体から独立した棟持柱(むなもちばしら)が、大きな屋根を支えている特殊な建物跡が確認され
大室古墳群:長野県長野市松代町大室八丁鎧塚古墳:長野県須坂市八町積石塚古墳を取り上げる。きっかけは過日訪れた阿波の天石門別八倉比賣神社だ。この神社は前方後円墳の上に設けられていて、前方部に社殿、後円部に奥宮がある。後円部の奥宮は扁平な阿波片岩で造られた五角形の基壇の上に自然石が積まれ、さらにその上に石祠が載っている。磐境と云われているが他の神社に類例を見ない奇異なもので、一見して対馬の厳原町豆酘にある八丁郭を思わせた。通称「オソロシドコロ」と呼ばれる八丁郭は表と裏の二か所あり、表は天道法師、
徳島市立考古学資料館が立地する徳島市国府町は、奈良時代に阿波国府(役所)、国分寺および国分尼寺が置かれていたことで知られています。これらは国分寺の出土瓦です。境内にはかつて七重塔があり、礎石は今も残存しています。弥生〜古墳時代の出土品からは、朝廷が国府を置くよりさらに前の人々の暮らしや統治者の姿が偲ばれます。弥生中期の土器です。中央の明るいオレンジ色の壺とその下のビールジョッキに似た取っ手付きの容器が妙に印象に残ったのですが、後日訪れた兵庫県立考古博物館の展示がその答え合わせとなりました。
【書評】『日本人とは何か私たちのルーツを巡る700万年の物語』現代日本人のゲノムに「共存」する「三つの時間」9/28(月)10:15配信『日本人とは何か』/覚張隆史・著【書評】『日本人とは何か私たちのルーツを巡る700万年の物語』/覚張隆史・著/SB新書/1100円【評者】辻田真佐憲(近現代史研究者)太古の時代は遼遠でなお多くが靄のなかにあるぶん、都合のよい物語を投影されやすい。明治維新では神武天皇が持ち出され、最近ではスピリチュアルの分野で縄文が持て囃され
8月2日②岩手県北上市更木八天遺跡縄文中期末から後期末の集落遺跡耳・鼻・口だけの珍しい土偶が出土北上市立博物館で展示なんですが😥③北上市江釣子えつりこ古墳群古墳時代末期国内最大規模な古墳群で4支群に分けられて総数200基以上●八幡支群墓地なわけで敷地内アチコチにあるpic.twitter.com/IN05tFxcqg—okarapan(@okarapan)2026年9月20日
~前回の続き~仁徳天皇領、博物館、カフェを巡るともう夕方にのんびりな私は出発が遅め高速道路で約40分、到着が遅いのよね~最後に、百舌鳥エリアで一番寄りたかったここ、『いたすけ古墳』に来たよ、久しぶりです美しいこの古墳に似つかわしくない…何やらコンクリートの物体が、古墳前にありますよこの謎の物をよく見て下へ…(亀さん居る)昭和30年に古墳を削って住宅地を作る計画が浮上、古墳の土を運び出すための橋までつくられたが、保存運動で中止、国史跡に指定された(
#考古学のおやつ1/12026年9月19日三重県鈴鹿市・富士山1号墳(ふじやまいちごうふん)で古墳時代中期・5世紀後半のよろい(短甲、肩甲、頸甲)と、冑の一部(三尾鉄)。2025年に出土したかぶと(小札鋲留衝角付冑)の保存処理の糧で判明。[伊勢新聞]https://t.co/5Ag36HWNIH—おやつMaster(考古学のおやつ)(@OyatsuMaster)2026年9月19日
祖先の旅特別編ヤムナヤ人の話#2大移動のあと、何が起きたのか前回、私はヤムナヤ人の大移動を追った。草原を移動した人々は、遺伝子だけでなく、家畜や技術、文化も運んでいった。では、その人々が新しい土地へ入ったとき、そこに以前から暮らしていた人々はどうなったのだろう。古代DNAは、地域によってその答えがまったく違うことを教えてくれる。ブリテン島では、青銅器時代初頭に大規模な人口変化が起きた。一方、日本列島では、大陸から何度も人々が渡ってきたにもかかわらず、縄文系の遺
古墳時代以降の土器のうち、主に日常容器は土師器(はじき)と須恵器(すえき)に分類されるが、山梨県内では須恵器の生産は低調であったが、甲府盆地北縁の甲府市横根町近辺では良質の粘土を産出し、土師器生産が行われている。はじめは胎土に紫色粒子を含む堀之内原式の土師器が生産されているが、8世紀後半には独自の製作技法で作られた「甲斐型」が確立し、官営工房による専業的制作者集団により生産されていたと考えられている。代表的な生産遺跡には坏系器種が出土し焼成遺構が検出されている大坪遺跡(甲府市横根町)で、甕系器
地球で大きな問題となっているのが家畜制度です。現在地球上には10億頭を超える牛がいると言われておりまた牛を育てるために莫大な水が必要であり今では草を食べさせるのでは間に合わないため牛のために穀物をつくり地球の大きな負担となっています。日本にも大陸から移住者とともに家畜制度が古墳時代以降に流入しました。