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令和8年度第5回フォーラムを次の予定で開催いたします。ご案内が直前となりましたことをお詫び申し上げます。開会時間および閉会時間は通常どおり(開会13:10、閉会16:30)ですが、今回は3つの講座を予定しているため、各講座の開催時間が通常とは異なります。参加をご予定の方は、プログラムをご確認のうえご来場ください。また、今回の講座①では、「身近な文化財をデジタル技術を活用して共有する」をテーマに、地域の文化財の保存・活用に役立つ内容をご紹介します。フォーラム活動はもちろん
西暦663年天智天皇は、唐・新羅連合軍によって滅亡した百済を復興させようと援軍を送りましたが、白村江の戦いで敗れました。そのとき日本の大和朝廷は唐(中国)の軍門に降り、支配占領されたと考えてきました。その進駐軍の親玉が後の藤原不比等であろうと。支配されたので唐の律令制度が導入され、奈良時代・平安時代と中国式政治が行われたものと理解してきました。日米戦争後にGHQがやって来て完全支配した実例がありますから、進駐軍だけで相手国を支配するのは可能ですが
元稲荷古墳へ行ってみたいけれど、「どんな古墳なのか」「現地で何が見られるのか」「どうやって行けばよいのか」が分かりにくいと感じていませんか。元稲荷古墳は、京都府向日市の勝山公園内に残る、古墳時代前期初頭の大規模な前方後方墳です。きらびやかな建物がある観光地ではありません。しかし、約1700年前の王が眠った丘を自分の足で歩き、その地形を体感できるのが大きな魅力です。この記事では、元稲荷古墳の特徴、名前の由来、アクセス、見学時の注意点、周辺の史跡、京都旅行で泊まりやすいホテルまで分かりやすく紹
飯田市全体が「古墳の博物館」といわれる理由実は、今回の旅で、群馬県渋川市の金井遺跡群を訪ね、そのあと群馬県立歴史博物館の企画展「ヨロイを着た古墳人がみた世界」を見た後、向かったのは長野県飯田市だった。高崎から中央道で佐久平まで、そのあと佐久市望月や和田峠を抜け、諏訪で一泊。翌日に飯田市に入り、高岡第1号古墳や上溝天神塚古墳、おかん塚古墳など、いずれも国指定史跡の前方後円墳を訪れ、横穴式石室の内部にも足を踏み入れた。前回も記したように飯田の古墳は、その時代の最先端の古墳築造技術をいち早く取り入
基本情報場所:埼玉県鴻巣市東3丁目8電話:開館:休館:無休料金:無料特記:生出塚遺跡[おいねづかいせき]生出塚遺跡は、東日本最大規模の埴輪窯跡群である。元荒川の沖積低地に向かって北東方向になだらかに傾斜する台地上(鴻巣市役所第二庁舎南側一帯)に遺跡は広がっている。もっとも標高が高い地点は、海抜約一九メートルである。周辺は住宅地となっていて、かつての景観を偲ぶことはできない。生出塚遺跡は数度の発掘調査が行われ、古墳時代後期の埴輪窯跡·工房跡·住居跡·古墳跡などが
吉野・大峰展⏬️✨️石棺✨️⏬️石棺⭐神田義雄氏寄贈⭐奈良国立博物館所蔵⭐龍山石(兵庫・加古川付近産出の凝灰岩)製⭐古墳時代組合せ式の家形石棺で底石1枚、側石4枚(現在1枚欠失)と蓋石からなる蓋石は一石を刳り抜き各側面に形式化した縄掛突起を彫出する出土地は明確ではないが古墳時代後期の石棺でこのころは仏教が渡来した飛鳥時代初期に当たる⏬️✨️宝篋印塔✨️⏬️宝篋印塔⭐花崗岩⭐鎌倉時代後期石塔は、博物館本館と新館の間にある小さな池の中島に立っている
古代史が大好きなぶたさん(´Д`)。縄文時代・弥生時代・古墳時代・飛鳥時代の大河ドラマが見たいなと思いながら、ChatGPTにポスターを作ってもらいました。縄文時代(AI作成)ぶたさん版縄文時代です。木の実を採集する縄文人、犬と一緒に狩りをする縄文人、モリで魚を取る縄文人、石皿で調理する縄文人、縄文土器を作る縄文人がいます。個人的に石皿で調理をする縄文人がお気に入りです。犬もかわいい(´Д`)。弥生時代(AI作成)ぶたさん版弥生時代です。みなさん稲作に勤しんでます(´Д`
前回、日本人とキルギス人がなぜ似て見えるのかを、DNAとユーラシアの人類移動から考えてみた。そこで見えてきたのは、現在の国境ができるはるか以前から、人々がユーラシア大陸を移動していたという事実だった。そして、その人類の移動を劇的に変えた動物がいる。馬である。現代の私たちは、人が馬に乗っている姿を見ても驚かない。しかし、初めて馬に乗った人間を見た古代人にとって、それはどのような光景だったのだろう。今回は、ユーラシアで起きた「馬の革命」が、どのように日本列島までやって来たのかを考えてみた
土偶はにわソックスここ何年か前から見かけるようになった土偶はにわソックス初めて購入!(2026.5)3足セットはにわが土偶をにぎにぎ〜はにわ土偶はにわ発掘!馬はにわも集合、アンモナイトも!?何でもウェルカム!縄文縄文から古墳時代千年以上に渡るコラボ土偶は遮光器土偶がモチーフだが、北海道千歳市美々第4遺跡出土の動物型土製品ビビちゃんに似ていてカワイイ!
創建年は不詳も雄略天皇の時代(5C)古墳時代には既に存在していたとされ約1600年の歴史をもつ古社と伝わる927年の『延喜式神名帳』では相模国唯一の名神大社として記載参道は長くきれいに整備されている<主祭神>寒川比古命(サムカワヒコノミコト)寒川比女命(サムカワヒメノミコト)※いずれも記紀には記載がなく土着の古い自然信仰に由来すると考える説もある場の空気が清清しい表参道(神門前)の巨大狛犬ものすごい迫力です!御影石の狛犬19
「甲を着た古墳人」(渋川市・金井遺跡出土)は、甲を着たまま榛名山の噴火で埋まりました。頭の下には冑がありました。その甲冑は下の国宝「挂甲の武人」(太田市出土)と同じ形式のものです。国宝:挂甲の武人(太田市出土)中国大陸の影響の強い、小札(鉄や革の小板)を皮などで何段もつなぎ合わせ、体に巻く形式のヨロイで、ヘルメット型のカブトをかぶる。源平合戦頃より日本式の鎧兜に変わっていくようです。腰に長い大刀、左手に弓を持っています。反射で分かりづらいですが、矢を入れる靫(ゆき)を背負っ
こんにちはMDです😃自分用メモ投稿斜体字はAIから出てきた説明です高校時代、通っていた学校の隣にこんもりとした小山があった。入学して最初の歴史の時間にそれがいまだに論争を巻き起こしている遺跡だと教師が語りだしたでも15才のボクたちはそんなの全くのゼロ興味鼻くそほじって熱烈に語る髪の毛ボサボサの歴史教師を眺めていた。卒業して40年以上経った自分の中で古代史がマイブームである自作の古代年表も記載事項が多くなってきた。学校の横にあった小山は「黄金塚(コガネヅカ)」と呼ばれる遺跡
続き。ミュージアムの中は思った以上に楽しかったです♪ワタクシ、縄文、弥生、古墳時代が好きなんですが、中でも古墳時代が大好き❤大興奮でした。ジオラマとかもありました。埴輪が好き🥰レプリカでも。とにかく敷地が広い、、、古墳がたくさんあるようです。円墳が多いようですが、方墳や前方後円墳もあるみたいです。次回は古墳ウォーキングがしたいです。秋や春先がよさそう。今回は暑すぎて断念。お腹が空いたので、お昼ごはんへ。何がどこにあるか分からないし、次男くんが偏食なんで、、、、はるば
こちらの記事は埼玉県久喜市【鷲宮神社】のINDEX記事です関東最古の大社※記事の日時=更新日時です※画像や動画の流用は固くお断りします📍〒340-0217埼玉県久喜市鷲宮1丁目6−1目次概要創建御祭神天穂日命武夷鳥命大己貴命境内鳥居狛犬光天之池みひかりのいけ境内社アルバム2026年1月2023年10月目次を開く概要創建伝)古墳時代第12代景行天皇在位期間『┠第12代┠景行天皇※古墳時代/ヤマトタケルの父』こちらの記事は日本史歴代天
渡来してきた弥生人は文字を持っていたかいいえ、渡来してきた弥生人全体が「文字を持っていた」とは言えません。ただし、一部の渡来人や交易・外交に関わる層が漢字(中国文字)に触れていた可能性はあります。背景弥生時代(おおむね紀元前10〜3世紀頃から紀元後3世紀頃)の渡来系弥生人は、主に朝鮮半島南部を中心とした大陸側から水稲耕作や金属器などを伴って日本列島に移住した人々です。彼らの故地である朝鮮半島の無文土器時代(青銅器時代相当)には、独自の文字体系はなく、漢字の本格的な受容は後の漢の楽浪郡設置(紀元
2026年7月31日蓋活栃木県下野市へ行って来ました。配布時間前に着いたので、駐車場で横になっていたら眠っていたようです。目覚めると小雨が降っていました。栃木県下野市の「東の飛鳥」マンホールカード下野市の魅力を全国に発信するため、東の飛鳥プロジェクトのシンボル「青龍」のマンホール蓋。「東の飛鳥」「下野市」「おすい」の表記。*古墳時代から伝わる東西南北を守る四神(霊獣)は、東:青龍(せいりゅう)・西:白虎(びゃっこ)・南:朱雀(すざく)・北:玄武(げんぶ)で、「青龍」は東方を守り
先月、テレビで長岡百穴が放映された。宇都宮市街地北部の丘陵の南面に、52の横穴がある。これらは、7世紀前期の横穴墓碑と考えられている。軽石凝灰岩の傾斜面に、古墳時代末期に奥行き2mの横穴が掘られ、室町時代以降に壁面に地蔵菩薩や馬頭観音像が彫られたと推定されている。番組を思い出し、近くに来たついでに立ち寄った。夕暮れ時だったせいか人の気配はなかった。この前の道は何度も通ったことはあったが、人を見かけたことはあまりない。興味のある人がわざわざ訪れるという場所なのかもしれない。
前方後円墳は、全国(除北海道、沖縄)に五千基以上造られた古墳時代を代表する墳丘墓です。この墳丘墓の最大の特徴は台形と円形を組み合わせた独特な形にあります。この形が何をあらわしたものか分かっていません。独特な形の正体を探ってみます。①前方後円墳の独特な形は、地上からは見えず天からしか見えません。天に見せるために造ったものと考えられます。天に見せるのは当然ながら貴いものが考えられます。当時の貴いものには銅鏡があります。当時の人が銅鏡を強く意識していたことは、初期の前方後円墳に数多
はにわ館夏季企画展「宝塚1号墳その後古墳時代中後期のまつさか」松阪市文化財センター・はにわ館の夏季企画展に行って来ました。常光坊谷4号墳(じょうこぼだに4ごうふん)から出土した人物埴輪がメインの展示でした。常光坊谷で「じょうこぼだに」と読むそうです。また佐久米古墳群(さくめこふんぐん)の大塚山古墳から出土した「三角板鋲留短甲(さんかくいたびょうどめたんこう)」の破片も展示されていた。出土した冑は特別な金銅装でしたが短甲は通常の鎧だったみたいです。
では神宝館に入場していきます。いきなり、1500年前の金の指輪の展示です。これはすごいですね。20年ほど前は「新羅製」と説明されていました。あれから研究・分析が進んだようですね。金銅装甲冑(こんどうそうかっちゅう)です。鉄板に金メッキをした銅板を張り合わせて装飾したものです。同じような形の甲冑は古墳時代中期(4世紀後半~5世紀末)にヤマト朝廷のもとで製作され、全国各地の有力者に配布されたものが540例以上知られています。特に「短甲」(たんこう)と呼ばれる形式の甲のうち、金銅装の
こんばんはこちらのブログへご訪問ありがとうございますこの前、遮光器土偶の抱っこちゃんをガチャで引いた続きです抱っこちゃんって今は言わないのかな!?次男は埴輪が欲しいと言っていて、私は埴輪の馬も可愛いなぁと思っていたのでまたこの前、チャレンジしたのですその日の午前中は長男とオープンスクールへ行って偶然にも、受講した授業がちょうど古墳や土器についてしかも一番最初の説明でスクリーンに映ったのは馬の埴輪勝手に運命を心の中で感じ(笑)多分、このあとガチャを引いたら絶対に馬の
古墳時代神武天皇は紀元前711年2月13日に生まれ紀元前585年4月9日に亡くなったとされるそして古墳時代の天皇は第10代崇神天皇から第26代継体天皇以降とされている第2代から9代までの天皇についてはあまり知られておらず謎とされている神武天皇も崇神天皇も『はつくにしらすすめらみこと』と呼ばれているので第9代と10代の間に何かしら大きな事件があったと推測できる概要欄のコピー長年支持されてきた日本人の「二重構造モデル」を覆し、現代日本
古代ギリシャの都市国家古代ギリシャには,エーゲ海を囲んで,ペロポネソス半島~アナトリア(現在のトルコ)沿岸に大小合わせて1,000以上の都市国家があったそうです.(C)RareMemoryその中にはアテネ,スパルタ,コリントス,テーベなどと言った有力な国家もありましたが,大部分はごく限られた地域だけを支配する小都市でした.もちろん諸国の連合や同盟はあったかもしれませんが,抜きんでた存在が唯一の統治者として全国に覇権を確立していたわけではありません.ペロポネソス戦争
【保存版】日本史の大きな流れと飛騨の古墳ストーリー〜弥生からワカタケル大王、そして飛騨の古墳文化開花まで〜講座「飛騨の弥生から古墳へ〜上切寺尾古墳群の調査成果から〜」に参加するにあたり、全国の著名な遺跡・古墳の歴史的流れと、飛騨ひだ地方における古墳の誕生ストーリーを時系列で分かりやすく整理しました!💡古墳時代の時期区分と変質古墳時代は3世紀前半/中頃〜6世紀頃(前期・中期・後期)を指し、7世紀の飛鳥あすか時代まで作られたものは「終末期古墳」と呼ばれます。当初は「巨大な墓で権力を誇る」
今回はこういうお題でいきます。ただまあ、古代の実際はわからないので、どうしても推測の多い話になります。ですから、自分が間違えている部分もあるかもしれません。さて、6世紀ころまでは盛んに巨大な前方後円墳が造られていました。ところが、7,8世紀ころになると姿を消していきます。これはどうしてなのか?古墳が作られていた時代は、もちろん古墳時代ですね。その次は飛鳥時代。つまり、この疑問は、なぜ古墳時代から飛鳥時代に変わったのか、ということでもあるんですね。さて、5世紀、大阪平野に上石津ミサ
2026年7月21日こんばんは強烈な暑さに、限界を感じた火曜日でしたここまで暑さが猛威を奮ったのはなかなか記憶にありません特に岐阜県と愛知県では大変な暑さとなりましたが熱中症での搬送件数や被害状況のニュースが残念ながら関東しかほぼ流れず個人的にすごく心配です明日もこの地域で酷暑日予想ですので無理のないように過ごして頂きたいですさて、今回も新しい始まりを前にして自己肯定感を高め、自分自身を見つめ直す関西の旅、1日目の様子からお送りします橿原神宮の後に訪ねましたのは奈良