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◯いよいよ、今日、2024年3月17日、午後9:00〜午後9:50に、『NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集邪馬台国の謎に迫る』が放送されるらしい。前宣伝が何とも凄い。一昨日、ブログ『NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女王』を書いて、昨日、『<邪馬台国>吉野ヶ里&纒向遺跡の研究最前線取材で新事実紹介』を書いた。◯こういう前宣伝を見ると、NHKの、この番組に対する意気込みが見て取れる。NHKのホームページでも、次のように案内している。NHKスペ
○今回の「寧波・杭州・蘇州・台北旅」を振り返って、得たものは、大きい。まず、コロナ禍で、長いこと中国へ出掛けることが出来なった。当古代文化研究所の場合、春秋航空の佐賀⇔西安路線の第一便が飛んだ際、2019年10月28日から11月8日に掛けて、西安・洛陽を中心に、中国中原を周回して来た。それがコロナ禍前の最後の中国訪問だった。○それが2023年7月に、衝撃のニュースが飛び込んだ。それが香港国際空港が企画する「ワールド・オブ・ウィナーズ」と言うもので、航空券を無料でプレゼントするキャンペーンである
◯昨日、ブログ『NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女王』を書いた。何とも、荒唐無稽な話である。こういう番組を、本当に、真面目に、NHKが放送するかが、皆目、不明と言うしかない。NHKに良識が無いことだけは、間違いない。◯もっとも、番組そのものは、明日、3月17日、午後9時から放送されるらしい。どんな番組かが大いに期待される。と言いたいが、おそらく、まるで期待されない内容であることは、その事前予告案内からして、間違いない。◯前回、案内した内容も非道いものだったが、イン
○2023年9月6日から12日まで、「寧波・杭州・蘇州・台北旅」と題して、寧波・杭州・蘇州・台北を旅して来た。それぞれに思い入れがあって臨んだ旅だった。寧波萹、杭州萹、蘇州に引き続き、今回は、「台北篇」と題したい。○今回の旅行では、できれば寧波・杭州・蘇州を中心に回りたかったのだが、現在、中国にはビザ無しで行くことが出来ない。それで利用したのが、『中国トランジットビザ』だった。上海なら、江蘇省・浙江省・上海の範囲なら、144時間、自由に移動できると言うものである。○ただ、一つだけ、制限があっ
◯たまたま、インターネット検索していたら、次の案内が目に付いた。NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女王・卑弥呼、倭の五王……最新の科学分析や考古学調査を踏まえ、知られざる日本の古代史ミステリーを歴史ドラマとして映像化!3月17日(日)、24日(日)総合午後9:00~9:49私たちが暮らす日本という国のルーツには、まだ解明されていない壮大なミステリーがある――。いま、そうした古代史の謎に迫る新発見が相次いでいます。
◯2022年12月19日、奈良県橿原市に存在する大和三山を歩いて来た。今回で、八回目の大和三山周遊である。日本では、古来、次の山々を大和三山と呼び称している。畝傍山(199.2m)香具山(152.4m)耳成山(139.7m)◯大和三山は、有名で、よく知られた山々である。ただ、それが何故、どういう理由で有名なのかを理解している人は、意外に少ない。そんな気がしてならない。◯大和三山を、最も詳しく、何度も記録している書物は、実は「万葉集」なのである。私見によれば、「万葉集」には香
◯『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』は、橿原神宮前駅を出発し、橿原神宮へ参詣した後、まず最初に畝傍山へ登った後、畝傍山口神社の方へ下る。それから神武天皇陵を経て、畝傍御陵前駅を通って、香具山へと向かう。◯橿原神宮前駅から畝傍山山頂までが2335m、香具山山頂で、8191mとあるから、畝傍山から香具山までは、5856mだと言うことになる。もちろん、直線距離ではなくて、歩いた距離数になる。◯その後、藤原宮大極殿跡を経て、耳成山へと向かう。耳成山山頂で、12642mとあるから、香具山から耳
○2023年9月6日から12日まで、「寧波・杭州・蘇州・台北旅」と題して、寧波・杭州・蘇州・台北を旅して来た。それぞれに思い入れがあって臨んだ旅だった。今回は、それを振り返って、まず、「寧波篇」と題したい。○寧波と日本との結び付きは、何とも古い。当古代文化研究所では、それを『遣唐使船南島路』と題して、研究を深めている。おおよそ、それは次のようになる。・坊津→硫黄島(56㎞)・硫黄島→口永良部島(36㎞)・口永良部島→吐噶喇列島口之島(59㎞)・吐噶喇列島口之島→吐噶喇列
◯今回の大和三山周遊で参考とした『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』に拠れば、橿原神宮前駅から畝傍山山頂までが2335m、次に香具山山頂までが8191mとある。つまり、畝傍山山頂から香具山山頂までは、5856m歩いて来たことになる。◯ただ、当古代文化研究所では、『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』をそのまま踏襲しているわけではない。見るべきものが違うので、別ルートを歩いている。しかし、おおよそ、『近鉄てくてくマップ:大和三山回遊コース』の距離数に近いので、それを参考に案内している。
○当古代文化研究所では、中国訪問の多くを佐賀空港からの春秋航空、上海便に頼っている。春秋航空、上海便が始まったのは、2012年1月からで、当古代文化研究所が最初に中国一人旅に、旅だったのは、2012年3月10日だった。○その時の感動は、今でも、忘れられない。と言うか、感動よりも不安の方が先だった。何しろ、2012年当時、当古代文化研究所は、すでに、62歳の老人だった。それに、中国語を全く解せない。英語も片言である。それで中国へ一人旅すること自体が無謀だし、乱暴である。○さいわい、当時、上海に
◯畝尾坐健土安神社の前には、『八釣山地蔵尊:興福寺』が存在した。インターネットで検索すると次のページがヒットした。興福寺(八釣山地蔵尊)585年に、物部守屋(もののべのもりや)が仏法を嫌い、飛鳥の「橘寺」(たちばなでら)に火を放って焼いたとき、金堂に安置してあった地蔵菩薩が、火から香具山(かぐやま)の頂上に逃れて行き、それを知った聖徳太子が香具山の山麓に寺を建立して地蔵を祀ったと言われています。また、聖徳太子が夢のお告げで御体顕されたいう御夢想の名灸があり、リウマチや神経痛などに
○今回の「寧波・杭州・蘇州・台北旅」は、2023年9月6日から13日までだった。この旅行で、上海浦東空港を4回も訪れた。それは、途中、9月8日に台北へ飛び、故宮博物院を見学して、10日、再び、上海へ戻って来たからである。そして、その後、杭州、蘇州へ出掛けて来た。○それもこれも、現在、中国へはビザ無しには行くことができないからである。それで利用したのが中国の「トランジットビザ免除措置」である。これでは、第三国へ向かう必要がある。台北へ立ち寄ったのは、それが理由である。○当古代文化研究所は、中国
◯ウィキペディアフリー百科事典には、天香山神社について、次のように載せていた。天香山神社天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)は、奈良県橿原市にある神社である。天香久山北麓に鎮座している。畝尾都多本神社・坂門神社(天岩戸神社)・畝尾坐健土安神社とともに、「天香山坐四處神社」と呼ばれている。◯つまり、畝尾坐健土安神社は「天香山坐四處神社」の一社だと言うことになる。インターネット検索すると、畝尾坐健土安神社のホームページがヒットした。畝尾坐健土安(うね
○2023年9月12日、一通り蘇州観光を終えて、拙政园から北塔報恩寺が存在する人民路まで帰って来た。時間は午後2時過ぎだった。これからホテルまで行き、預けてあった荷物を受け取って、上海浦東空港まで行く予定である。○人民路まで出たら、ちょうど、蘇州站行きのバスが来たので、それに乗って蘇州站を目指した。その蘇州站からホテルのある石路站までは、地下鉄で一駅である。○『苏州太阳广场酒店』で、預けておいた荷物を受け取り、石路站から再び、蘇州站を目指した。携帯で、インターネットを利用して、蘇州から上海ま
○私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。つまり、最も大和三山を記録して書物が「万葉集」だと言うことになる。そういう肝心のことを多くの方は理解していない。◯そのことについて、これまで、当古代文化研究所は、何度も案内している。その中の一つを案内されば、次のようになる。・テーマ「大和三山」:ブログ『万葉集が記録する大和三山』◯香久山西側登山口には、舒明天皇の次の歌碑が存在した。天皇、香具山に登りて国を望み給ふ時の御製歌大和に
○今回の蘇州訪問はわずか一泊だけだったが、得たものは大きい。まず、司馬遷「史記」『伍子胥列伝第六』の、乃告其舎人曰、必樹吾墓上以梓。令可以爲器。而抉吾眼懸呉東門之上。以観越寇之入滅呉也。乃自剄死。が誤りであることが確認できた。今回の蘇州訪問の幕敵の最たるものがこれだったから、それが達成できただけでも、有り難い。○併せて、苏州四大名园とされる、沧浪亭、狮子林、拙政园、留园のすべてを見ることができた。これは、当初の計画には無かった。ただ、蘇州に出掛けて、調べているうちに、気にな
◯香具山の西麓から香具山に登り、山頂で国常立神社に拝した後、下りは北への道を下りて行った。もっとも、香具山は何とも小高い丘に過ぎない。50mほどしか上下しない。すぐに下ることができる。◯そう思って、下って行ったところ、案内標識に黄色い注意書きが貼ってあって、現在、登山道は工事中で、通行止めとあって、焦った。ここまで来て、今更、引き返すのも、大変である。◯それに、麓の天香山神社までは、もう2、30mほどしかない。見えているくらい近い。山の中を巻いて行けば、登山道を通らなくても行けるはずである。
◯香具山山頂に立ったのは、2022年12月19日の12時15分だった。近鉄の橿原神宮前駅を出立したのが8時35分だったから、ここまで、3時間40分を費やしていることが判る。まずまず順調な行程である。少し寒いくらいの気温が却って心地良かった。◯ブログ『香具山』から、少し話が逸れて、ブログ『大和三山とは何か』、『天降り付く天の香具山』、『邪馬台国の風景』、『邪馬台国は何処か』、『そらみつ・しきしまの・あきつしま』と、大和三山がどういう山であるか、あるいは、大和地名がどういうものであるかについて、言
◯前回、ブログ『邪馬台国は何処か』を書いて、邪馬台国三山が存在するところが邪馬台国だと言う話をした。ちなみに、邪馬台国三山とは、次の山々を指す。うねびやま=霧島山(1700m)かぐやま=桜島山(1111m)みみなしやま=開聞岳(924m)◯この邪馬台国三山のレプリカが、奈良県橿原市に存在する大和三山だと言うことになる。畝傍山(199m)香具山(152m)耳成山(139m)◯前回のブログの最後に、こう書いた。・その邪馬台国には大きな山が三つ存在する。
◯畝傍山から香具山に辿り着いて、ブログ『香具山:西側登山口』から、『香具山』、『大和三山とは何か』、『天降り付く天の香具山』、『邪馬台国の風景』とあらぬ方向に向かっていると思われるかもしれない。しかし、もともと、邪馬台国三山の検証のために訪れたのが大和三山なのだから、この方向は、あながち、間違っているわけでも無い。◯ここまで来たら、どうしても『邪馬台国は何処か』と言う話に触れない訳にはいかない。多くの方々が、邪馬台国が畿内だとか、北九州だとか、佐賀吉野ケ里だとか、おっしゃって、枚挙にいとまがな
◯2023年9月12日に、蘇州を訪れ、滄浪亭から拙政园へ行くのに、地鉄4号線の北寺塔站で電車を降りた。地上に出ると、人民路の向こうに北寺塔がみえているではないか。北寺塔は、蘇州の何処からでも見ることのできる蘇州のランドマークとなっている。◯その北寺塔から、東へ800mほど行くと、何とも立派で近代的な建物が建っていた。もちろん、以前は無かった建物である。ちょうど拙政园の隣に位置する。それが蘇州博物館である。現在、中国では、各地に、驚くほど立派な博物館が建っている。◯人様の懐具合を心配するのも何
◯2023年9月12日に、蘇州を訪問し、蘇州四大園林を見学して来た。蘇州には多くの庭園が存在し、観光名所となっている。それが蘇州四大園林になる。インターネットで検索すると、なかなか日本語版がヒットしない。やはり、詳しいのは、维基百科、自由的百科全书であり、百度百科だとするしかない。◯维基百科、自由的百科全书が案内する獅子林は、次の通り。狮子林江苏省苏州市的国家AAAA级旅游景区狮子林始建于元代至正二年(1342年),是中国古典私家园林建筑的代表之一。属于苏州四大名
◯中国には、中国四大名园が存在すると言う。このことについては、すでに、次のブログで案内済みである。・テーマ「寧波・杭州・蘇州・台北旅」:ブログ『中国四大名园』◯その四大名園とは、拙政园江苏省苏州市编号121-74颐和园北京市海淀区编号122-75避暑山庄河北省承德市编号123-76留园江苏省苏州市编号124-77を指すらしい。2023年9月12日、朝一番に留園を訪れ、その後、滄浪亭から可園と巡り、次に訪れたのが拙政园だった。◯何しろ、拙政园
◯前回のブログ『天降り付く天の香具山』の最後に、こう書いた。・ただ、大和三山が二つもあっては、何とも紛らわしい。それで、当古代文化研究所では、本物の大和三山を、邪馬台国三山と呼び称している。もちろん、そこに邪馬台国が存在したと「三国志」が記録しているからである。次回は、そういう話をしたい。◯日本の三世紀の状況を、中国の正史「三国志」が1986字も記録している。日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」が八世紀のものであることを考えると、500年も古い。当然、「三国志
○蘇州で、北寺塔は有名である。蘇州城内の何処からでも眺め望むことが出来る。ある意味、蘇州のラウンドマークであり、シンボルでもある。蘇州寒山寺も知られるが、寒山寺は張継「楓橋夜泊」が案内する通り、姑蘇城外寒山寺であって、蘇州城からは、3、4㎞ほど、西へ離れて存在する。○それに対して、北塔報恩寺が存在するのは、蘇州城内の人民路であって、塔の高さも76mもあるから、蘇州城内外、何処からでも見える。塔の名は「北寺塔」であって、その名の通り、蘇州城内の北部に位置する。○面白いことに、塔の名は「
◯香具山に掛かる枕詞があるのをご存知だろうか。それが枕詞「天降り付く」になる。前回の最後に、こういうふうに書いた。・おまけに、香具山にだけ、「天の」と言う美称が冠せられる。それがどうしてか。大野晋の岩波古語辞典にしたところで、次のように説明しているに過ぎない。天降りつく[枕詞]香具山が天から降下したという伝説によって、「香具山」にかかる。「天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば」(万葉二五七)・こんな説明では小学生だって納得しない。香具山には、
○蘇州の四大名園の一つ、滄浪亭の、運河を挟んで、向かいに存在するのが可園である。滄浪亭と可園は対であって、両方を見るように造作されているように感じた。あるいは、滄浪亭の一部が可園だと言えるのかも知れない。○ちなみに、滄浪亭は「蘇州古典園林」として、1997年に、世界遺産に登録されている。ウイキペディアフリー百科事典が案内する「蘇州古典園林」は、次の通り。蘇州古典園林蘇州古典園林(そしゅうこてんえんりん)は、ユネスコの世界遺産に登録されている、中国の江蘇省蘇州市にある歴史的な庭園
◯前回、ブログ『香具山』を書いて、大和三山の順序が、畝傍山・香具山・耳成山であることを案内した。それを国(文部科学省・文化庁)が、香具山・畝傍山・耳成山と並べていることが誤りであることを述べた。◯なぜなら、日本で、畝傍山以上の山は存在しないからである。日本で最も神聖な山が畝傍山なのである。そのことは、「古事記」や「日本書紀」を真面目に読めば判る。◯ただ、残念なことに、誰も真面目に「古事記」や「日本書紀」を読もうとしない。その証拠に、天孫降臨の世界山が何処であるかすら、規定でき
◯参考までに。畝傍山に付いては、次のブログを書いた。・テーマ「京都奈良大阪を歩く」:ブログ『畝傍山』◯ちなみに、橿原市のホームページが案内する香具山は、次の通り。香具山平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。標高152.4メートル。万葉集では「天香具山」(あまのかぐやま)と詠われて、山というよりは丘の印象が強い南から続く竜門山地の先端部分に連なる山です。山塊は、
○2023年9月12日は、蘇州の町を歩いた。朝8時の留園を皮切りに、9時30分には、胥門路脇にある「伍子胥纪念园」へ着いていた。その後、再び、姑胥桥站まで行き、次の目的地である相門を目指すこととする。○姑胥桥站から相門までは、苏州公交40路东环线か、200路南线を利用すれば、7站で行くことができることを確認していた。ちょうど、公交40路东环线のバスが来たので、それに乗って、相門へ向かった。○ちなみに、中国の検索エンジン、百度百科が案内する『苏州公交40路东环线』は次の通り。苏州