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◯上醍醐は『成身院(女人堂)』から始まる。参道には案内標柱が設置してあって、それも「丁」で案内されていた。女人堂脇の案内に、女人堂⇒三宝院:0、7Km12分女人堂⇒山頂・開山堂:2、6Km60分女人堂⇒准胝観音堂:2、2Km51分女人堂⇒不動の滝:1、1Km21分とあった。◯女人堂から五丁のところに、『醍醐の花見』の案内板があった。前回、それを案内した。さらに参道を進んで行くと、十丁のところに、『不動の滝』が見えて来た。ここが准胝観音堂までとの、ちょうど半分に
○昨日、2024年4月3日が寒食節であることを書いたばかりである。・テーマ「無題」:ブログ『四月三日が寒食節であること』四月三日が寒食節であること|古代文化研究所(ameblo.jp)○その翌日、4月4日は清明節になる。ウイキペディアフリー百科事典が案内する清明は、次の通り。清明清明(せいめい)は、二十四節気の第5。三月節(旧暦2月後半から3月前半)。現在広まっている定気法では太陽黄経が15度のときで4月5日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間
◯上醍醐の始まりは、『成身院(女人堂)』から始まる。醍醐寺の受付は仁王門で済ませるが、上醍醐の受付は別で、女人堂脇で受付を済ませる。同じ醍醐寺のはずなのに、何故か、別々になっている。◯女人堂を入ったすぐ先に、史跡醍醐寺境内の大きな標柱が建っていた。いよいよ山道に入る雰囲気である。しかし、道はなだらかで、歩き易い。参道脇には、あちこちに外灯と思しきものも存在した。標高450mとあるし、約一時間を要するとの案内もあったから、心して登ることとする。◯少し行ったところに、三丁の案内標識があ
○今日、2024年4月3日は、寒食節である。日本では、寒食節を知る人の方が少ないのではないか。当古代文化研究所では、2016年4月に、テーマ「寒食・清明・立春」と題して、立春に関するブログを104個、寒食・清明に関するブログを76個、書いている。・テーマ「寒食・清明・立春」:180個のブログ寒食・清明・立春|古代文化研究所(ameblo.jp)○その中で、寒食に関する詩作を36編、清明に関する詩作を33編、それぞれ、訳している。中国では、寒食節、及び清明節に関する風習は根強いもの
○2024年3月1日に、河北省承徳市にある避暑山荘へ出掛けて来た。承徳避暑山荘は、『中国四大名园』の一つとして知られる。そのことを知ったのは、昨年2023年9月に、蘇州の拙政园や留园を訪れた時であった。○ちなみに、次が『中国四大名园』になる。拙政园江苏省苏州市编号121-74颐和园北京市海淀区编号122-75避暑山庄河北省承德市编号123-76留园江苏省苏州市编号124-77○それで、今回の「北京漫歩」旅で、避暑山荘と颐和园とを、訪問しようと思った次
◯醍醐寺へお参りし、ブログ『醍醐寺へ』から『醍醐寺』、『下醍醐』、『大伝法院』続けて来て、やっと、今回が『醍醐寺:女人堂』になる。醍醐寺では、下醍醐と三宝院は受付が一つだが、上醍醐は別になっていて、女人堂脇で受付できる。◯もっと凄いのは、境内が別になっていることではないか。一旦、下醍醐の境内を出ると、もう下醍醐境内へは帰れないようになっている。醍醐寺と言う寺のはずなのに、少なくとも境内は、まるで別になっている。◯その上醍醐の入口が女人堂になる。そのことは、醍醐寺のホームページでも、次のように
◯醍醐寺へお参りし、ブログ『醍醐寺へ』から『醍醐寺』、『下醍醐』と続けている。今回の醍醐寺参詣の主目的は、あくまで、上醍醐なのだが、なかなか上醍醐まで行き着かない。と言うのも、醍醐寺は大寺であって、そんなに簡単に案内出来るものではない。◯下醍醐の最も奥まったところに、日月門が存在し、そこから先は、『大伝法院』と呼ばれ、醍醐寺の中でも、特別なところとなっている。実際、醍醐寺で頂戴したパンフレットの説明は、伽藍エリア霊宝館エリア三宝院エリアに分かれて説明されている。◯その伽藍
○2024年3月1日に、河北省の承徳市を訪れた。もちろん、避暑山荘を見学することに目的があった。そもそも、避暑山荘なるものが、どんなところかも、つい最近まで知らなかった。○昨年、9月に、「寧波・杭州・蘇州・台北旅」をした。春秋航空の『佐賀⇔上海線定期便』が2023年9月6日に再開、運航された。その記念すべき第1便で、出掛けたのが、「寧波・杭州・蘇州・台北旅」だった。○その際、久し振りに蘇州を訪れた。今回、蘇州を訪れた最大の目的は、司馬遷の「伍子胥列伝」にあった。司馬遷の「史記」巻六十六『伍子
◯ここまで、ブログ『醍醐寺へ』、『醍醐寺』と書いている。もう十分と言う気もするが、醍醐寺は大寺である。まだまだ説明は尽きない。それで、『下醍醐』」と題して、もう一つ、書いておきたい。◯繰り返しになるけれども、ウィキペディアフリー百科事典は、醍醐寺について、次のように案内している。醍醐寺醍醐寺(だいごじ)は、京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派の総本山となる寺院。山号は醍醐山(深雪山とも)。本尊は薬師如来。上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)は、西国三十三所第11番札所で本尊は
◯前回、ブログ『醍醐寺へ』を書いたばかりである。続けて、ブログ『醍醐寺』を書くのも、何かと思うが、やはり、必要だと思うので、書くしか無い。◯醍醐寺のホームページが案内する醍醐寺は、次の通り。醍醐寺について歴史・縁起総本山醍醐寺200万坪におよぶ広大な境内地にそびえる国宝五重塔は、静かに1,100年以上の時の流れを語り伝えています。京都御所の東南、東山を越えると山科盆地がひろがり、この地は古くから大和・宇治・近江を経て遠く北陸に到る幹線道路があり、平安京の東南近郊
◯2022年2月2日、すでに、醍醐寺へは参詣済みである。その話は、次のブログに書いている。・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『醍醐寺』・テーマ「京都ぶらり旅」:ブログ『三宝院』◯ただ、この時は醍醐寺の三宝院を訪れることに目的があったので、下醍醐のみを訪れ、上醍醐である醍醐山まではお参りすることができなかった。何しろ、醍醐山は標高450mもあるので、上醍醐まで出掛けると、それこそ、一日掛かりとなってしまう。◯そのことが、前々から気になっていた。それで、2022年12月20日に
○2024年3月1日は、北京から承徳へ向かう。安家楼バス停から北京朝阳站までは、北京公交413路バスに乗って行った。意外に、バスは混んでいた。7時40分ころにバスに乗って、8時15分には、もう北京朝阳站に着いていた。○現在は、日本に居ながらにして、中国の鉄道の切符を予約することができる。何とも便利な世の中である。当古代文化研究所は、10年以上も前から、中国の携程と言う旅行社を利用している。以前は、中国の電話番号が無いと利用できなかった。それで、当時は、上海に住んでいた甥の電話番号を利用して、切
◯2022年12月19日に、奈良県橿原市へ出掛け、大和三山へ登って来た。今回が八回目の大和三山登山だった。大和三山がどういう山であるか。なかなか理解していただけない。ある意味、日本を代表する山が大和三山なのである。第一回1992年3月28日第二回2003年8月11日第三回2005年5月10日第四回2009年3月29日第五回2010年4月3日第六回2011年5月3日第七回2017年9月5日第八回2022年12月19日
○2024年3月1日は、北京の『二十一世纪饭店』で目覚めた。昨日は、都城から北京のこのホテルまで、13時間を掛けて、遥々、やって来た。都城から熊本、ソウル、北京と、全て、雨で、途中、幾つものトラブルがあったりしたが、何とか、無事に北京まで辿り着くことができた。○最後の最後、やっと北京のホテルに辿り着いたのは良いが、ボイラーが故障で泊まれないと言われて、閉口した。それでも、フロントの若者が頑張ってくれて、何とか、代替ホテルを確保してくれたのが、有り難かった。それが『二十一世纪饭店』で、何とも立派
◯2022年12月18日から21日まで、第四回京都旅行をした。題して「大和三山・醍醐山参詣旅」と命名した。ここのところ、京都とその界隈を歩き続けている。その第四回が、今回の「大和三山・醍醐山参詣旅」で、ちょっと足を伸ばして奈良県橿原市に存在する大和三山を歩いて来た。今回が八回目の大和三山登頂になる。第一回1992年3月28日第二回2003年8月11日第三回2005年5月10日第四回2009年3月29日第五回2010年4月3日第六回201
○2024年2月29日に、都城から北京まで行った。朝6時5分に高速バスで都城を発ち、北京の大興空港に着いたのは午後4時30分過ぎで、この日の宿泊先であるFX酒店・富繹時尚酒店に着いたのは、午後7時前だった。○およそ13時間も掛けて、やっと辿り着いたホテルがボイラー故障で、泊まれないと言う。何とも悲しい話だった。ホテルに掛け合って、代替ホテルを紹介していただいた。それが『北京二十一世纪饭店』だった。○『北京二十一世纪饭店』まで、PX酒店・富繹時尚酒店の人が付いて来てくれた。中国語の話せない当古
◯ここまで、ブログ『卑弥呼の正体』で、卑弥呼とは、大和国一宮が齋き祀る、大物主大神であり、すなわち出雲神であり、卑弥呼の名は『ヒムカ』であって、『日向』国名となっていることを話した。それだけでも、十分、大きい名であることが判る。◯しかし、卑弥呼の凄さは、それだけで終わらないところにある。そのことについて、続けて、ブログ『卑弥呼の鬼道』で案内したように、卑弥呼は日本国中に、現在でも齋き祀られていることを話し、同時に、卑弥呼が日本へ仏教を招来した話をした。◯こうなると、日本の精神的概念の基幹を構
○2024年2月29日、北京の大興空港に着いたのは午後4時30分過ぎだった。その後、中国トランジットビザ免除制度での入国手続きなどで手間取ったりしたが、何とか入国できた。○大興空港から北京市内までも結構な距離がある。ただ、北京地铁大兴机场线と言う、優れものの地鉄が走っていて、およそ40㎞を20分で行く。今回それを利用して北京市内へ向かった。○北京地铁大兴机场线は、空港から草桥站までである。草桥站で、地鉄10号線に乗り換え、亮马桥站を目指した。草桥站から亮马桥站までは17駅を数える。ちょうど、
◯前回、ブログ『卑弥呼の正体』を書いて、「古事記」と「日本書紀」は、卑弥呼を大山祇神だと規定していることを案内した。また、大和国一宮が大神神社であることを考えれば、卑弥呼は大物主大神であって、出雲神であることが判る。◯つまり、現代に於いても、卑弥呼は日本中に齋き祀られていることが判る。一宮だけを例に挙げても、次のようになる。()内は御祭神。大和国一宮:大神神社(大物主大神)三河国一宮:砥鹿神社(大己貴命)遠江国一宮:小國神社(大己貴命)駿河国一宮:富士山本宮浅間大社(
◯卑弥呼が何者であるかは、「三国志」を丁寧に読んで、その正体を探るしかない。何故なら、卑弥呼は、「三国志」に書かれた史実に過ぎないのだから。したがって、「三国志」に拠らない邪馬台国論や卑弥呼論は、全て、まやかしに過ぎない。◯ちょうど、一週間前の、2024年3月17日に、『NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集邪馬台国の謎に迫る』が放送されて、当古代文化研究所は、その問題について、これまで、次のように論じて来た。・ブログ『NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女
○2024年2月29日、中国東方航空のMU2074便で、北京の大興空港に到着したのは、16時35分ほどだった。たぶん、30年振りくらいの北京である。昔のことは何も覚えていない。その時は、旅行社のパック旅行だったので、一通り、観光地を巡ったはずである。○当古代文化研究所は、2012年3月から、中国一人旅を始め、毎年、3、4回は中国を訪れて来ている。したがって、中国へは、もう50回ほど、出掛けている。それなのに、一向に北京には出掛けていない。○それもこれも、当古代文化研究所の目的は、あくまで、中
◯前々回、ブログ『中国の伝統的倭国観』を書いて、倭国は越国の一つであることを案内した。少し言葉不足で、説明が不十分だった気がするので、もう少し、説明を加えておきたい。◯それは、どういうことかと言うと、中国には「百越」と言う概念が存在する。つまり、越国には多くの越国が存在すると言う話である。その百越の一つが倭国であると言うことになる。◯そういう意味では、前回案内した、ブログ『會稽東冶之東』で、倭国が何処に存在するかと言う問題に触れた。この意識も、「三国志」倭人条では、相当、強いものがある。つま
○今回の「北京漫歩」旅行で、北京まで行くのに、選んだのは、熊本空港から韓国の仁川空港まで、ティーウェイ航空のTW276便で飛び、仁川空港から北京の大興空港までは、中国東方航空のMU2074で飛ぶルートだった。いろいろ調べてみて、これが最も安価で、早いと判断した。○それでも、朝6時5分に都城を出発し、北京に着くのは16時25分の予定だから、丸一日、いろんな交通機関を乗り継ぐことになる。74歳の老人には、結構、厳しいものがある。それで、乗り物の中では、なるだけ、寝て過ごすように努めた。○いろいろ
◯前回、陳寿は『中国の伝統的倭国観』に基づいて記録している話を書いた。その記録の羅列を、次のように紹介した。・無良田、食海物自活、乖船南北市糴。・差有田地、耕田猶不足食。亦南北市糴。・好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。・男子無大小皆黥面文身。・自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。・夏后少康之子封於會稽、斷髪文身以避蛟龍之害。・今倭水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以為飾。・計其道里、當在會稽、東冶之東。・其風俗不淫、男子皆露紒、以木綿招頭
○2024年2月29日、熊本空港から韓国の仁川空港まで、ティーウェイ航空のTW276便で飛んだ。熊本空港を10時30分に出発する便だったが、この日は30分ほど遅れて、飛び立った。○それでも、仁川空港到着は12時35分ほどで、10分遅れくらいだった。韓国は、随分、久し振りで、たぶん、50歳過ぎに訪れて以来だから、20年振りになる。その前にも確か一回訪問しているから、今回が三回目になる。○もっとも、今回は、北京へ行くのに、立ち寄っただけで、仁川空港に3時間ほど滞在するのみだから、韓国訪問とも呼べ
◯2024年3月17日の午後9:00〜午後9:50に、NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」が、放送された。何とも、荒唐無稽な番組で、何の根拠も無い話を堂々とされるのに、驚いた。まず、「三国志」に拠らない邪馬台国や卑弥呼など、あり得ない。◯もっとも、番組では、『「魏志倭人伝」に拠ると』と言う言葉が幾度となく出て来た。ところが、それは何でもない。まるで「三国志」を読んでいないものであることに、驚き、呆れた。◯「三国志」を読むと言うことは、そういうことではない。「
◯NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」が、昨日2024年3月17日の午後9:00〜午後9:50に、放送された。そのことについて、前回、ブログ『陳寿の倭国観』を書いて、「三国志」で陳寿が評価している東夷が倭国であることを話しした。それは、次のように記録されている。【原文】雖夷狄之邦,而俎豆之象存。中國失禮,求之四夷,猶信。【書き下し文】夷狄の邦と雖も、俎豆の象存す。中國禮を失し、之を四夷に求めるは、猶ほ信なり。【我が儘勝手な私訳】
○今回の「北京漫歩」旅行で、北京まで行くのに、選んだルートは、熊本空港から韓国の仁川空港まで飛んで、飛行機を乗り継ぎ、北京を目指すルートだった。当古代文化研究所が存在する都城からは、様々なルートが考えられたが、これが最良だと判断して選んだつもりである。○最初に、まず、仁川空港までのティーウェイ航空のTW276便の切符を取って、それから、北京までの中国東方空港MU2074便の切符を確保した。その後、都城から熊本空港行きを探した。最初、新八代駅から熊本空港行きのリムジンバスがあって、その便を使うつ
◯NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」が、昨日2024年3月17日の午後9:00〜午後9:50に、放送された。あまりの番組の酷さに、驚き、呆れた。NHKには良識と言うものが無いのだろうか。◯もともと、邪馬台国も卑弥呼も、中国の正史「三国志」に書かれた史実である。したがって、「三国志」に基づかない邪馬台国や卑弥呼など、あり得ない。あるとすれば、それは虚妄の説であって、学問でも何でも無い。◯一昨日見た、NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に
◯NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」が、昨日2024年3月17日の午後9:00〜午後9:50に、放送された。当古代文化研究所では、事前に、ブログ『NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女王』、ブログ『<邪馬台国>吉野ヶ里&纒向遺跡の研究最前線取材で新事実紹介』、ブログ『NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集邪馬台国の謎に迫る』、を書いて、NHKの事前予告を案内している。◯これらを見ても判るように、NHKのこの番