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本章はなぜ人は子供を産むのかについてテーマにした作品になっている。子どもを産むには子供の意思の同意がいるという世界観だ。また、同性同士でも子どもを産める世界観になっている。そんな中で、子供が母親の産意を拒絶したにもかかわらず、子どもを産む行為を「出生強制罪」という犯罪行為として見做されている。子供が生まれたいか生まれたくないかの意思確認は検査によって執り行うことができる。生まれることを拒絶した子供に関しては手術によって堕胎される。この物語のポイントは以下の通りだ。1子どもを産むのは
自分がこの2026年に今の自身を親として、「子ども」として生まれたいですか?おそらく、これが「はい」の人は子どもを産んでもうまくいく人が多いんじゃないでしょうか。しかし、私はこの回答が「いいえ」側の人間です。この時代に誰の子としても生まれたくない。そして、それ以上に自身の子として生まれたくない。そう思ってるからこそ、現時点では私が子どもを育てることはないですね。日本の情勢や私自身の人間性が変われば、また違うかもしれませんが。大前提、子どもが欲しい人は子どもを育てればいいし、欲しくない
昨今、ステップファミリーのあり方に批判的な発言等が見られるそもそもこんなことが認められているのがおかしい知らない人間が父や母などと親になれる妄想を膨らませている実際できるわけがないのにステップファミリーなどと横文字を使いあたかも綺麗事じみた理想を勝手に描いた言葉を使いそこにいる子供である人は疲労困憊しているのが実態だそして子供を心配した周囲が意見されると差別だの偏見だと御託を並べて周囲を黙殺しようとする子供の意見や気持ちも封殺されているそしてそれによって居場所がない子供や若者が犯罪
反出生主義を唱える人が、ネットに存在するくらいの知識は、私にだってありました。けれど「反出生主義は決して論破できない」といわれた私は、とても驚いたのです。ネット上で、ですが反出生主義を唱える人に出会ったときに感じたのは「この人は心が傷付いている」ということでした。「俺の人生はかなしい」「このかなしみはおまえなどに論破されるはずがない」と叫んでいるように感じたのでした。ですから、反出生主義を唱えるに出会っても、私からは何も言うことがなかったのです。きっと「俺の人生はかなしい」と
これこそが私が思うある一つの究極的な本質だと思うこれが全人類が誰1人としてできないのであれば子供を持ってはいけない本来はこうあるべきなのだが、産めよ増えよを未だに信じている者がいるそして人の家庭には意見を出してはいけない、忖度しなくてはならないと言った風潮すらもある家庭というのは世間から見てブラックボックス状態と言えるそれに意見を出すなとか忖度していては親のやりたい放題のようなのを野放しにすると等しいことだそのせいで質の低くく親の資格が無い者までも子を持ち、飯事以下の所業を子育てと
子供を持つのは親の自由ではない貧しいくせに何も考えずして何人も作る家庭環境を好き勝手に変える自由だと主張する者は自らの親がそうだったらどうする?自由とは言えないだろう普通ないしその水準以上の暮らしや安全安心を保証してくれる親に決まっているそれらのことも考えずしてただ可愛いとか欲しいからなどとふざけた理由でもつのはエゴの他何者でもない本来は法律でこういう者共を戒める必要があるだがそんな法律はないし、作るも産むも個人の勝手になっているこんな蛮行が許されていいのか?何度もこれからも
隣町にたぶん3店舗目と思われる麻辣湯屋ができた。麻辣湯戦争始まるんか??最初に出来た店は結構好き。オーナーが若手中国人なのか?オシャレでセルフ具材セレクト系。うまい。2番目に出来た店は内装はサイバーっぽい感じ。固定メニューをスマホオーダー。初心者にもわかりやすいけど、トッピングは追加しかできないのでアレンジ効かなくてちょっとちがうかなーと。3番目に出来た店はセルフ具材セレクト系。今度行ってみる。ここから多少過激な話をするよ。『887:生まれ変わりたくない』生まれ変わ
反出生主義の複合的構造分析:哲学的悲観論、構造的絶望、そして主体性の放棄への連鎖まず先に。子供を持たないという選択(チャイルド・フリーやディンクス等)は、決して悪いことではなく、個人の生き方、価値観、そして生活設計に基づく正当な選択です。子供を持つかどうかは、他者や社会が判断を下す問題ではなく、当事者である個人の責任と...butterflyandtea.com旦那も義兄も、仕事の同僚も、子供がいない夫婦ってよくあったので別に批判することはないのですが、(ただ国を思えばそりゃ子供は
ここで何度も安楽死の話をしたものだが、最近は全然してない。SNS等で安楽死を求める人たちは、実質、安楽死の話をしていないな・・・と気付いたから。プロフィール欄や過去の投稿を見れば一目瞭然だが、彼らは皆生きづらさを抱えている。鬱だったり、発達障害だったり、毒親だったり。そういった個人の生きづらさが安楽死制度問題に結び付けられている。(反出生主義の議論もこれと同じ構造。この問題については拙著「親になる罪」を参照)。調べればわかるが、安楽死合法の国でも、個人的な生きづらさや自殺願望を根拠に国家が
私は、自由主義的で実存主義的、そして反出生主義的な思想を持っています。「子供は常に被害者である」この確信は揺らぎません。産まれるかどうかの同意も取れず、親のエゴによってこの世に送り出されてしまう。生を授けることは、同時に死と苦痛を強いることでもある。そんな私が、今、猛烈に**「家族が欲しい」**と願っています。これは矛盾でしょうか。エゴでしょうか。反出生主義の看板を掲げながら、子供を産んで幸せになることなど許されるのでしょうか。もし私が親になるなら、以下のことを覚悟しています。•
最近、自由主義や実存主義について深く考える中で、どうしても避けて通れない一つの結論に辿り着いた。それは、**「すべての親は、ある意味で毒親である」**という仮説だ。ちょっと刺激的な言葉かもしれない。けれど、論理的に突き詰めていくと、子供を持つという行為がいかに親の独りよがりなものであるかが見えてくる。「生まれる」という選択肢を持てない子供僕たちがこの世に生を受けるとき、そこに本人の意思は1ミリも存在しない。「この親の元に生まれたい」「この時代、この国で生きたい」「そもそも人間として存在
今回のテーマは、「生まれてきたくなかった人へ、ちょっと楽になる考え方」です。◆生まれてきたくなかった生まれてきたくなかった、というのは、過去に私が思っていたことです。自分は親に「産んでくれ」と頼んだ覚えはないし、それなのに、なぜ親は俺を産んだのか。いったん、生まれてしまったら、苦しいばかりじゃないか。そんなことを思っていました。実際に、親にもそういうことをポロッと言ったこともあります。今考えたら、とんでもないことですね。親がどれだけ悲しむか。私の場合はあまり
『タイトル:反出生主義の複合的構造分析:哲学的悲観論、構造的絶望、そして主体性の放棄への連鎖』反出生主義の複合的構造分析:哲学的悲観論、構造的絶望、そして主体性の放棄への連鎖まず先に。子供を持たないという選択(チャイルド・フリーやディンクス等)は、決して悪いことではなく、個人の生き方、価値観、そして生活設計に基づく正当な選択です。子供を持つかどうかは、他者や社会が判断を下す問題ではなく、当事者である個人の責任と...butterflyandtea.com
仏教には、人生観として強烈な一句があります。「生もまた苦である(jātipidukkhā)」――SN56.11この言葉だけを取れば、「生まれない方がよい」という反出生主義に近づきます。一方で、仏教はこうも説きます。「人間として生まれることは得難い」――AN8.29教義の内部では、人間生は「解脱(げだつ)に向かえる足場」として貴重な機会だと位置づけられています。したがって、仏教をそのまま「反出生主義」と断定することはできません。中間結論仏教には「人間と
年を取った。もう妊娠できないかもしれない。だがやはり、ふとした時に子どもと一緒にご飯を食べたいと想像している自分がいる。心の底では子育てに憧れているんだと思う。反出生主義にも共感しつつも、でもエゴでもいいから子が欲しいと思っている。子を愛せるか。やっぱり顔は大事だよ。自分と同じ顔か相手の顔かに似るんでしょ。顔が好きじゃなきゃ、子を愛せないよ。だってそうじゃん。物買う時だって、スペックも見るけど、見た目も見るじゃん。人目に触れるものなら尚更!見た目も見るじゃん。やっぱ
自分の本性なんてわからないものだというより大体でしかわからない世間では真面目で優しいと評されていても裏では…なんてある話だその裏の部分が自分の子供に対してはモロに出るだろうこれを他人事のように捉えている者は注意する必要がある虐待や毒親の連中は自分がまともだと思い込んでいる低俗な奴らだそのまともかどうかの自問自答すらもしない低次元な奴が子供を育てられると思い上がり、毒親になる親になりたいと思う者は決して自分がまともな奴だと思うなそう思っている時点で虐待する親だと思うことだ躾だとか
皆様は生まれ変わりなどを聞いたことはあるだろうか?今日は少しそういった話も交えながら主張させてほしい私が思うにほとんどの人が幸せな家庭に生まれたいだろうもしくはもう生まれたくないそんな人が多いと思う私が毎回述べている通り親の全てが慈悲に溢れ、情を持ち、良い教育や守ってくれるか?全くもって違う親の数が増えるほど質の低い低俗な奴が親になるもし少子化がどうだとか社会のためなどとほざく人らはそんな連中の元に産まれたいかと問いたい冒頭で述べた話で話すと他人事ではない話だあなたは世の中
子供が親のためにするのではない親が子供のために尽くすのだ甘やかしなどと混同した意味ではないなぜなら親が作らなければ子供は生まれていないけしかけたのは親の方だ子供に感謝しろだの産んでやったや養ってやっているなどとほざく奴はおこがましいぞんざいに親を扱えとは言いはしないが、親を敬えなどは違和感を感じるそんなに偉い存在か?中身を見て決めることだ前回に続くが実子は可愛がるが実の子ではない子は邪険にしたり兄弟差別など色々とあるこれが良い人か?違うだろう親になれば偉いわけがないも
タイトル通りである前からちょこちょこ書きまくってるのではあるが本当にロクなのはいない本当の意味での素晴らしい成功例なんて極々一部その極々一部の人には申し訳ないまず第一に子供の気持ちを考えたらその家に上がり込もうとなんか思わないし、上がり込ませようとなんてしないこの時点で虐待親と同じであるそして実の親でも虐待や子供に苦労をかける奴がいるのに実の親でもない奴が自動的に無性の愛に溢れた親になれる冷静になればわかることだ思考停止した世の中おめでとうや素晴らしいみたいなことしか言えな
前にもお話ししたと思うが、私は昔の親の多くはおかしいと思っている貧しいのに性行はやめられず、育たれもしないのに何を考えているのかアホみたな顔でに何人も作るそして自分では育てれないから兄弟に押し付ける学校を我慢させる、暴言や暴力や労働力として扱うまた、農作業の際には縛り付けるなど言えばキリがないが人間の恥みたいな奴が多い教育もあるだろうが無能が親になるとこういう行為に及ぶのだろう驚くことにそういう連中が蔓延っているのだだが、奴らを賞賛、美化する傾向にあるこれらの事を昔の常識や仕方
昔の時代は結婚しなくては、子供を作らなくてはと何かとしなくてはいけないと言うことが多い昭和以前の時代は結婚や子供がいなければ妙なやつと扱われていたらしいその上兄弟は何人もなど親になればいい人間なのか?私から言わせれば馬鹿げた理屈だ望みもしないのにやるだけやって子供を作り、裏では虐待や毒親な態度で子供を苦しめ表ではいい人ぶることに注力するそして親や教師などは偉い、立派毒親のレベルでは親にも事情があるや20歳過ぎたのだからなど子供の人に対しての配慮がない私は昔の時代のそういう考え方
自分笑わせる🤣天才💡ゆかいなゆかりん🏵️です❣️重い話題すぎるかな?自分の子どもは何か欲しくない…反出生主義!?実は今初めて名前を知った…。というか、この世とあの世が口癖だった高校生の頃から私は自分のことがほんとは可愛いいくせに嫌いで、好きになれなくて、自分の遺伝子を持つ子を本気で生みたくないと思ってた…😌私みたいに!?こんな大変な思いしてまでわざわざ生まれてきてくれなくていいと…私は何かずっと受け入れられない現実と対峙してて死にたかったから。消えたかったから…。普通に出来ないこ
上記に挙げた連中は一部の立派に育て上げている人を除き、多様性や愛などと語り自身の人生を優先して子供の人生を狂わせるが多いしかも罪悪感もなく綺麗事のようにこれが新しい親のスタイルと自慢しているこのアメブロ内にもこういう部門か何かで人気のブロガーが子連れ再婚の素晴らしさを語り極めつけには息子は自分を選んで生まれてきたのだからとほざいている心底怒りを感じると同時に国で処罰にかけろと心の底から思ったまた某心理カウンセラーと名乗る奴が子供がいるにも関わらず何度も再婚を繰り返しそれをメディアで自慢
いつも反出生主義的な内容や親批判をしている本ブログではあるが以前よりいいねやフォロワーをされている人の中で子供を持たれている方が結構いらっしゃる私はネット世代でありながら正直疎い所があるだからいいねやフォローも仕組みや理由等もよくわからない本ブログは苛烈に親批判特に子連れ再婚や毒親などの連中に対してはゴミ以下という考えから滅びろと言わんばかりに述べている多くの親は気分が良くないだろうしそもそも同じような内容も多く、文章を書く能力もない私のこんなブログ読もうとも思わない方が自然だと思っ
この世界がおかしい、狂っていると誰もが思ったことがあるだろうみなさんはどうか?搾取、不安、貧困、発達や境界そして年金等では暮らせず、2000万円の貯金があるとかどうとか最近では徴兵制が復活するのでは?とまで騒がれているような気がする平和であろう国、日本でさえこの現状だいつもの話に戻るがそんな狂った世界に自分の子を投げ込むのか今一度考えてほしい生まれてきたくはない、生まれを悔やむ子はいるのだ何も考えずに世間が言ったからとか周囲の目が気になる跡継ぎのため幸せな家族像を描いていたなど
新しくブログを更新しました。『タイトル:反出生主義の複合的構造分析:哲学的悲観論、構造的絶望、そして主体性の放棄への連鎖』反出生主義の複合的構造分析:哲学的悲観論、構造的絶望、そして主体性の放棄への連鎖まず先に。子供を持たないという選択(チャイルド・フリーやディンクス等)は、決して悪いことではなく、個人の生き方、価値観、そして生活設計に基づく正当な選択です。子供を持つかどうかは、他者や社会が判断を下す問題ではなく、当事者である個人の責任と...butterflyan
「親になる罪」を出してはや2年。https://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%BD%AA%EF%BD%9E%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%82%92%E4%B9%97%E3%82%8A%E8%B6%8A%E3%81%88%E3%81%A6%EF%BD%9E-%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%BF%94%E5%A4%AA/dp/49110
夏、実家での出来事。花火やりたーい🎆との我が子の声をうけたまたま兄(無口)も帰省していたので兄とわたしと子の3人で準備していた。そしたら登場毒親な養父(母の再婚相手)遠くから座ってタバコを吸いつつこっちをみている。兄は花火を袋から出してテーブルに色分けして並べてくれていた。(うちの兄はこの毒親とは血の繋がりもないし再婚時には社会人だったので一緒に暮らしたこともない)バケツとか水とか袋とか色々。そしてわーいってやり始めたんだけどろうそくの火じゃなかなか