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乳癌のグレード判定とT分類についてお話してきました。おおまかには書けたかなと思いますがもし追加でご質問あれば教えてください。さて、本日は少し話しが変わって原発不明癌の話を。事の発端は、60歳代女性の大腸の生検でした。内科ドクターの見立ては、原発性大腸癌(大腸から発生した癌)なり。顕微鏡でプレパラートをみると、癌だけど、いつもの大腸癌の顔つきではない。大腸癌は、乳癌や胃癌と違って、高分化管状腺癌や中分化管状腺癌という種類がほとんどなので、『いつもと違う』というのは
毎年元旦に届いていた父からの年賀状。力強い文字だけの年賀状。新年の挨拶と一年の自分(父)の決意表明を書いて届けてくれた年賀状。2023年の年賀状には自分(父)が、がんである事を知った為『ガンばるゾーー!!』っと力強く書いてあった。その年賀状が父から届いた最期の年賀状になった。父から年賀状が届かない2回目の新年。父の写真を見ながら今度は、私が、一年の決意表明を届けるヨ♡おっ父今年も一年、見守っていてネ♡
ご無沙汰してます🙇2022年4月、突然の、中咽頭がん宣告の私に、様々なアドバイス応援まで、改めて、御礼申し上げます🙇皆様への、感謝の気持ちを、忘れた事は、1日もありません🙇ブログも、陰ながら拝読させて戴いてます🙇手術、治療後、私自身、心がいっぱいになり…幸い良き担当医に出逢え、治療の一環として、病前のブログも再開、ある資格を取る為の勉強。通院しながら、自分自身を見つめ直してる日々です。本日の投稿は、皆様への感謝の気持ちと、経過観察中の私が、物凄く感銘を受けた事がありましたの
私には伯父がいました。いえ、今もいます。それは次兄ですが。母の、兄母は6人兄弟の真ん中、第3子の長女として生まれした。長男、次男、母、叔母……と続きます。長男の学年下に次男次男の2学年下に母母の下が生まれたのは5年後。次男が一番こじらせています。愛着形成の問題を還暦すぎた今も抱えています。まぁいいや。1番上のおじ今日は、伯父の命日です。私にとっては父のようで、兄のような存在。父と同学年の伯父は、未婚でした。私を娘のように可愛がり、色々なものを買ってくれました。
面白そうなので、あたしもやってみましたあなたの正体は何レンジャー?|ホイミー小さな頃、誰もが憧れた戦隊ヒーロー。正体を隠しながら悪の怪人たちと戦うレンジャーに、勇気をもらった人も多いはず。熱血漢のリーダー・レッド、紅一点のピンク、心優しいグリーンと、作品ごとにその構成は異なりますが、カラーによってキャラクター性が決められています。この診断では、あなたが戦隊ヒーローに加わるなら何色っぽいかを診断します!hoyme.jp一匹狼上等❗昔から大人数で連むのは好きじゃないですわけっこう苦労
2024年闘病記録12過去にさかのぼって投稿しています2024闘病記録1からどうぞ原発不明の私の骨転移まだまだ検査が続きます…入院22日目には、大腸内視鏡検査朝から下剤飲んで腸を空っぽにして検査ですこれも鎮静剤で眠ってるうちに終わりました大腸は、特に問題無し入院26日目には、膵臓の超音波検査膵臓の超音波内視鏡検査は、胃カメラの先端に超音波プローブを取り付けた内視鏡を口から挿入し、膵臓を観察する検査です。体外から超音波をあてるよりも近い距離から膵臓を観察できるため、詳細
2024年闘病記録11過去にさかのぼって投稿しています2024闘病記録1からどうぞ入院25日目この日は、2回目の抗がん剤投与の日1回目のTC療法(カルボプラチンとパクリタキセル)が効いていて、輸血もしなくて良くなったし、DICもなんとか落ち着いているなので、3週に1回でTCだねーなんて思っていたら…抗がん剤は、パクリタキセルから投与します点滴始まって5分間は、担当の看護師さんがベッドサイドに付いていて、何か起こらないか確認しています大丈夫そうだったので、看護師さんは戻
2024年闘病記録10過去にさかのぼって投稿しています2024闘病記録1からどうぞ2024年9月2日(入院15日目)今日も輸血無し問題は、DICから脱却出来るのかどうか…DICの治療は、継続してましたこの日からリハビリの先生が来てリハビリが始まる足の浮腫がなかなか良くならない醜い写真ですみません😣💦⤵️いろいろ検査をしたけれど血栓が原因ではなさそうマッサージして大丈夫と言われたので、知り合いの元看護師でアロマセラピストのYさんに連絡してお見舞いがてらきてもらい、足の
今日はお仕事がお休みだったので氏神神社に参拝しました。今日は敷地内にあるいくつかの神社にもご参拝。平日だから人が少なくてお天気もよくて気持ちのいい時間でした。私なんかが何度も来ていいのか?なんて考えてしまう小心者ゆえ、始終そわそわした不審者に見えていたらすみません(今までのこと→『経緯まとめ』)2019年2月、バルトリン腺嚢胞と言うことで摘出手術を受けたら、摘出したものの中からがんが見つかり、外陰がん(バルトリン腺がん)と診断されました。しかし、2020年7月、がん
小倉さんの訃報。小倉さんが谷原章介さんとの対談で話していた三途の川の話。私の父は三途の川とは言わなかったけど、老健へ面会に行った時に『俺はなぁ、あの世とこの世を逝ったり来たりしとるの!!!今は、お前(私)がおるで、この世!!!』って。一回だけ話してくれた日があった。これは本当に本人にしか解らない事なんだなって。
ある意味、見せしめになったのかな。。。と、いうことは森永さんが語ったことは正しいのですね森永卓郎さんが語った財務省を解体させる具体的な方法が素晴らしい!!しかし、森永さんはこの発言の後、謎の原発不明癌と宣告され、抗がん剤で56されかけました…が、今はかなり回復されて本当によかったです🙏✨#財務省解体#ザイム真理教こそが反日カルト組織https://t.co/dk38i2k3G7pic.twitter.com/Pf0hVYECCw—PoppinCoco(@Poppin
2024年闘病記録6過去にさかのぼって投稿しています2024闘病記録1からどうぞ2024年8月21日(入院3日目)この日も朝からいろいろ検査朝から絶食でまずは、胃内視鏡検査鎮静剤で眠った状態なので知らない間に終わりますそれから、レントゲン検査頭部CT骨シンチそして、最後に骨髄穿刺が待ってました実はこのタイミングで病棟が変わりました救急の病棟から、腫瘍内科病棟に移動です窓際のベッドに落ち着きました一番最初に対応してくれた血液内科のイケメン先生が担当です骨髄穿刺
先週日曜日、お友だちと烏森神社に参拝しました。その記事を書いた際氏神神社にも参拝すると良いとのコメントをいただきました。今日は大安でお天気も良かったので運動を兼ねて徒歩で片道2キロほどのところにある氏神神社に参拝しました。今回はお賽銭のみでおみくじはひきませんでしたが。普段見守ってくださる感謝と家族の健康をお願いしてきました。年末に向けてみんな忙しくなるし元気に年を越せますように✨(今までのこと→『経緯まとめ』)2019年2月、バルトリン腺嚢胞と言うことで摘出
今日は、ママ友さんたちとお出かけしてきました。「ひまわりを連れていたいところがある」と、連れて行ってもらった場所は、癌封じのご利益があると言う烏森神社テレビで見たことはあったけどまさか行けるなんて!写真は載せていいのかわからないのでやめときます。神社とかお守りとかおみくじとか。おみくじはね、なんと大吉で嬉しいことが書かれていたのでそれを信じて日々過ごそうと思います。お守りはみんなが買ってプレゼントしてくれたみんなの気持ちも込められてご利益倍増だねあとは、ランチし
ブログ全盛期の頃から仲良くしていただいてたお友達のほし⭐︎みつきちゃん癌闘病中と先月知ったばかりでしたが、まさかの原発不明癌のステージ4と診断されて闘病中でした…みつきちゃんの個展を開きたいって言う思いで初個展に向けて頑張って来ていましたが、個展を目前にして11月12日に永眠したと連絡が入りました😭昨年の12月にやり取りをしたのを最後に、ゲームの世界だけで繋がっていました11/14から開催された個展に行って羊と猫ちゃんを自宅にお迎えしました✨AmiAmiKittenに
【2024/11/12(火)】今日は婦人科の経過診察2回目。と言っても、血液検査などはなくて、放射線治療後の経過報告と次回の造影CT撮影の日取り決めのみ。放射線治療の副作用の炎症も回復に向かってるし問題なし。次は年明けに造影CTと血液検査をして経過を見ます。夏の手術から放射線治療を経て、経過診察も終わり、やっとひと段落つきました(今までのこと→『経緯まとめ』)2019年2月、バルトリン腺嚢胞と言うことで摘出手術を受けたら、摘出したものの中からがんが見つかり、外陰がん
【2024/11/06(水)】この日は、放射線治療が終わって2週間後の経過診察でした。診察と言っても炎症のあった鼠径部を見せるとかはなく現在の状態を口頭で報告しました。現状、新しい皮膚も完全にできてきて痒みや痛みはなし。これから冬に向けて乾燥するので保湿剤だけ処方されました。私自身はあまり気になりませんが。治療後しばらく経ってから出てくる副作用もあるらしいので、もし気になることがあればその都度予約を取って受診することになりました。1年後の経過診察の予約をして、一旦、放射
2024.10.8tue急な退院バナシで不安が膨らんでいたところ、朝、主治医が来てくれました。主治医の顔を見るのが3日ぶりで、顔を見れただけでも安心感が大きかったです開口一番、『だいぶ痛い?』と、聞かれたので、痛いです昨夜も点滴追加しましたし、このまま帰るの不安すぎますと、思いの丈を伝えました。①痛みのコントロールについて→家でも病院でも使えるもの(薬)は同じ病院にいたら励ましてもらえるというオマケがつくだけのこと(そのオマケが大きいのだけどね)②
2024年1月5日。患者家族支援センターから来た看護師が、私の診察に同席するようになったのは、この日より前からだったかもしれない。しかし、少なくともこの日には開始していたことははっきり覚えているので、この日付としておく。原発不明がんと確定診断がついて、2023年12月27日に私の正式な所属科は婦人科から消化器内科の中にある原発不明科に変わり、私はそれ以降、その原発不明科の部長であり唯一の医師である私の主治医の診察を受けることになった。この日は確定診断の説明のみで、その次の主治医の診察と抗がん
2024.10.7mon月曜日は、土日とうってかわって病棟が朝から騒がしい。朝の回診に始まり、入退院の人の入れ替わり、手術のためと思われるベッド移動など、ザワザワしていました。作戦成功前夜に看護師さんと立てた、朝まで安眠するぞ作戦がうまくいき、細切れではありますが今までで一番ぐっすり眠ることができました備忘録22:00カロナール×3とドラマドール塩酸塩×123:30アセリオ点滴(眠っていても打ってくださいとお願いしました)4:00ロ
2024年3月7日。さてここから、このブログは佳境に入る。それは私が癌によって56歳プラス数カ月で死ぬという事実や、私の人生の意味などとまったく関係ない。私が愛した人やこと、好きだった人やこと、憎んだ人にもまったく関係ない。絶対的権力勾配がある関係性における、権力者が起こした人権蹂躙の話だ。私は実父からの性的虐待の被害者でもあり、こういう関係性に慣れている。私にとっては馴染みのある関係性だ。だから、もし同じような関係性に私自身が立たされたとしても、今度こそ、あ、これはあれと同じことだ、警戒
さて、2024年3月7日。1月から開始したTC(パクリタキセルとカルボプラチン)療法6回投与のうち、途中3回目が終了した時点で、CT画像による途中効果判定があった。ここでTC療法の効果があれば予定どおり6回目投与まで継続するし、効果がなければここで打ち切りになる、と主治医は説明した。私はもちろん、効果があれば良いなあとぼんやり思いながら診察に向かった。絶対に効いて欲しいという切望はない。そもそも私の癌はガイドラインによると切除不能な癌であって、できる抗がん剤も延命と症状緩和の目的でしかな
2024.10.6相変わらずの激痛と、身体を伸ばして寝ると息が出来ないという謎の症状に見舞われて、ベッドのリクライニングを起こして、膝を立てて眠る日々。まるで路上で酔っ払いが座って無防備に眠りこけてるような、そんな感じですでもなぜか、それが一番呼吸が楽なんです。この日は明け方3時にまた激痛で目が覚めたけど、この時間に飲める薬はないとわかっていたので、ひたすら耐えていました。深呼吸をすると少しマシになるので、マインドフルネスしてみたり、ヒッヒッフーーーとラマーズ法の呼吸を試してみたりして
2024.10.4無事に点滴が外れて、残すはドレーン2本のみ!このドレーン、太さ1㎝弱のものが鎖骨下を縦方向に5㎝くらいに渡り、皮下組織に2本埋め込まれていて、超絶痛いでも、術後の排液のためには必要なんですよね。ご飯の時も、ずーっと自分の血液が溜まってるバッグが視界に入って、なかなか気持ち悪い絵面やなぁと思ってましたこの日は、術後ハイ?もあったし、まだ腫れたり浮腫が出てなかったため、痛み止めの薬を飲みつつ過ごしてました。ただ、切除した扁桃腺の断面に、傷口を保護するシートが貼ってあって
急に思い出す。母のこと。秋らしくなってきて、夏とは違う色の空を見るようになってからかもしれない。夏は、母が倒れた季節。秋は、現実を受け入れた季節。もう3年半も会っていないなんて…会えない時間の長さに愕然とする。思い出すのは、数少ない、母が涙した時のこと。本当に数えるほどしか私達には涙を見せなかったな…。我が家で2か月過ごした最後の日、様子が明らかにおかしくて、夕方緊急で大学病院の救急を受診して、固いストレッチャーに長い間寝かされて、検査してさらに待たされていた時。「今日は
2024.10.3手術翌日もともとは術後の夜のうちに体を起こしたり、飲水したり、トイレに行ってみる予定が、ドクターの指示で朝までベッド安静になっていました。ようやく朝になり、一度起き上がってみることに。少し頭を上げただけで、頭がグワングワンして気持ち悪くなったので、一旦休憩そのタイミングで主治医現る主『どうですかぁ?』私『胸のドレーンの所が、神経を刺されてるみたいにずーっとめっちゃ痛いです。』主『痛いのが普通。だって刺してるからね笑』私『あと、鼻で息がまったくできなくて。吐くの
山田五郎さん、NHKの『ドキュメント72時間年末スペシャル』にも、毎年司会者の1人として出演されていて、先日お亡くなりになられた唐沢俊一さんと共に、サブカルチャーに詳しい方なので、好きな著名人のお一人なんですが、先日、自身のYouTubeチャンネル『山田五郎のオトナの教養講座』にて、ステージ4bの癌であることを告白されました😔『ぎっくり腰かと思っていたら癌だった』しかも、どの臓器から発生したかわからない原発不明癌でステージ4b手術ができないので抗癌剤治療しかない動画ではいつも
山田五郎さんのYouTubeチャンネルでの「ご報告」実は最近拝見していなかったのですが、ぎっくり腰というお話があったそうです。でも病院に行ったら、ぎっくり腰ではなくてがんだったと。美術について解説するチャンネルなのですが、ご自身の病状と治療についてまで、いつもの通りに解りやすく面白く解説していらっしゃいます。内心どうかわかりませんけれど、冷静で、やっぱり面白い語り口なんですよね・・・。検査を一通りいろいろやったそうで、それだけでも大変だっただろう
2024.10.2②『◯◯さん、終わりましたよ。』え?なにが?(心の声)その後に男性の声で何か言われて、頷いたものの理解できず。次に目が開いたら病室にいました。話そうとしても、思うように声がでず、病室で点滴を繋いでくれている看護師さんに、終わったんですか?(かすれてるし自分の声じゃない)と聞きました。『あ、だいぶ目開きましたね〜。終わりましたよ。先生のお話も覚えてない?』覚えてないです再度先生が病室に来てくださって、扁桃腺に癌があったと伝えられました。おそらくこれが原
ミュウさん@MiuUniverse1時間岡田将生「わたくしは体調を崩しました」報告に心配の声集まる「ゆっくり休んで」「大丈夫ですか?」(^^)/~~~||Φ|(|´|`|)|Φ||https://buzzfeed.com/jp/junasuma/okada-tミュウさん@MiuUniverse14時間山田五郎氏原発不明癌を報告肝臓にパチンコ玉ぶちまけたような癌組織(デイリースポーツ)病気要員あっちでしたかゴムゴム