ブログ記事1,161件
2025-11-24金峯山寺を出て歩いてます塀から塔が見えてます中に入ってパチリ東南院出て、歩きますトコトコ〜吉水神社行きまーす左側…よく見ると…源義経と…弁慶…って書いてるね上り坂、あと少しっ着いた〜入るよ〜一目千本いい景色です後醍醐天皇の南朝の時…
この冬最強の寒波に、買い置きしておいた奈良・吉野の葛湯「吉野拾遺」を取り出していただきました。「吉野拾遺」は本来、後醍醐天皇、後村上天皇治世下の南朝での出来事を記した説話集で、室町時代に編纂された書名です。奈良県吉野の名産・葛を用いた“葛湯”に「吉野拾遺」の菓銘を用いて吉野の土産物にしたことに感心しました。向田邦子は随筆“思いも受けて・・・”の中で「吉野拾遺」をこよなく愛したことが記されています。お湯で溶かしてトロトロになった葛湯を、木製のスプーンですくって、少しずつ舐めるよう
歴史から消された南朝はその後どうなった?【南朝の末路】https://m.youtube.com/watch?v=j_oIGjObrf8-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。m.youtube.com
かなまろんですブログにお越しくださってありがとうございます金峯山寺のご本尊である蔵王権現様の御開帳に行ってきました近鉄の大阪阿部野橋駅から特急さくらライナーで吉野神宮駅へそこから吉野神宮へ向かいます駅を降りてすぐの大きな鳥居坂道を登っていくと駅からは20分ほどかかるんですが1kmないんですね坂を登っていくと次の鳥居に着きますここまで15分くらいこちらの鳥居を先へ進みます朝の光がキレイです太陽がちょうど鳥居の真ん中付近にか
吉野郡川上村神之谷清谷神社神社の後ろに石碑があり行ってみると、南朝・河野御所跡でした。途中のお地蔵さん?
此処は天野山金剛寺河内長野市にある南北朝時代に北朝と南朝の行在所が同時にこの地に有ったとさ、時には歌留多を時には月見を一緒に楽しむ、なんとも不思議なところなり、今日は紅葉最後の見物、北朝行在所に参ろうと見参歴史を感じる建造物は、改修も儘ならないか去年より、老けて寂しくなりにけりただ紅葉時は過ぎたが、「よう来たよう来た』と残る力の限りを尽くし、照り輝きにけり、今は忘れ去られた行在所を飾る。来年も来るよと約束も出来ずただ過ぎる忘れ去られた歴史のページ摩訶不思議
「裏切りの城、柳城。南朝方門司氏の防衛拠点」動画。時代は南北朝時代。足利尊氏による武家政権か、後醍醐天皇による天皇による政治か、全国で争っていました。時同じくして、現在の北九州市門司区こと、当時の企救でも、領地を治める門司氏内でも北朝、南朝に分かれて争い繰り広げていました。北朝方が、楠原郷、片野郷、吉志郷。南朝方が、伊川郷、柳郷、大積郷。この門司氏を二分する戦いは、最終的に1363年12月。多々良浜の戦いで北朝方が勝利した勢いのまま、北朝方の吉志系門司氏が、南朝派の伊川系門司氏のい
読者のみなさま、おこんばんわm(__)m本日もご訪問ありがとうございます。たった一度で一生開運神仏融合アチューメント4,000名以上の実績逢うだけで運気爆上げCommanderoftheUniverse.∞神仏融合師坂田暢悠ですこれまでのラジオ放送はプロフイール欄最下部より昔の盛り上がりは今はコチラ無料祈祷の募集もしているよぉ~リアルタイム更新facebookお友達申請待ってまーすおばんでやんす。関東はしばらく冬晴れが続くよう
歴史から消された『南朝の末路』がヤバすぎた。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。m.youtube.com
所在地〒919-0807福井県あわら市指中特徴南北朝期に細呂木城と共に南朝に与した城跡だが、標柱と説明板があるだけで遺構は確認できない。
17日にチャイナに戻ってきました。18日の昼頃、テレビ講座を見たら何と!新しく始まった講座が、私が日本で3冊も読んだ南北朝時代の話!この方は南朝最初の宋の、初代皇帝です。何という奇遇!昼頃に義母のところに行く予定でしたが、まずはテレビを見させてもらいました。同じ南北朝時代の話でも、日本の3人の研究者の目の付け所も違ったけど、これがチャイナ人の研究者の講座となると、また着眼点が違うでしょうね。昨日は、この初代皇帝の出自について、どのように貧しかったか、長々と語られました。
後醍醐天皇による建武再興を経て、皇統の分断が起こった南北朝時代。本書は南北朝合一以降の南朝皇統について解説した一冊です。(「後南朝」の用語にしても便宜上のもので、他に適切な用語がないという事情もあります)前提として北朝=後深草天皇を祖とする持明院統の皇統、南朝=亀山天皇を祖とする大覚寺統の皇統という印象がありますが、持明院統の中でも崇光天皇流の皇統(伏見宮家)からは後光厳天皇の践祚以来南北朝合一後の御花園天皇まで皇位継承の目はなく、一方の大覚寺統も後二条天皇流の皇統は後醍醐の即
日々の生活に彩りを✨東京&横浜&京都でパーソナルカラー診断&中国茶講座を主催しております、宮原直美です。パーソナルカラー診断中国茶講座について募集中の中国茶講座中国茶LINE公式10/2-5に最近恒例の夫婦旅をして来ました。元気に歩けるうちに「ここ行ってみたいな」とずっと思っていた場所を訪れています。昨年は黒部立山への旅でした。『能登&立山黒部アルペンルートの旅①』日々の生活に彩りを✨横浜でパーソナルカラー診断&中国茶講座を主催しております、宮原直美です。パーソナルカラー診
①のつづき七人の家臣に囲まれた後醍醐天皇から受け取ったものは、神器の剣でした。これは十種の神宝のひとつである。と、そして、大きな盃。剣が私をぐるっと周り、その剣からから放たれる神々しい光と波動域に包まれ、後醍醐天皇からメッセージを受け取り後すぐに眠りに入っていきました。天皇としての資質を蘇らせ、天皇として神として自身を尊び表し生きていくことへの証であること。まず自分がそのように生きていくことにより、周りへそしてこの日本において、多くの人々が魂の本来の生き方をし、神として真に目覚めてい
鎌倉幕府が倒れた後、足利尊氏は天皇中心の政権を立てようとしましたが、結局は自分がやりたくなりました。そうなると、天皇をあしらうようになって行ったのです。そうなると天皇は面白くないですよねしかし、今度は足利尊氏の方が先に手をうち、天皇を吉野山へ飛ばしたのです。そして自分に都合の良い人を連れて来て、天皇をすり替えました。以前話した北朝と南朝覚えてますか?追いやられた天皇が南朝新しく連れて来られた天皇が北朝ここで天皇が万世一系ではない事が理解出来ましたね。こうして新しい天皇を擁立し
吉野南朝妙法殿✨吉水神社✨南朝皇居✨✨✨✨✨✨後醍醐天皇未知なる領域にようこそこのように、ご自身の身を提示て、この磁場を受け取りに来られること、誠に感慨深い其方に関しましてはそんなに考えこまなくともこの先も自由に体現し表現し望む次元を創造していくがよい自身を尊び己の愚かさよりも己の豊かさに意識を向け、多くの者達と共に望む世界をこの日本国に成し遂げていっていただきたい。この吉野の地からその叡智と力を受け取り其方の望む世界をどうか成し遂げていっていただきたい
縁結びのお守り持ってたことある?昨年の〖本日限定ブログ・縁結びの日〗とまッたく同じ…変わッてませんねェ……私の場合――――▼本日限定!ブログスタンプ2025年11月5日(水)こんにちは雪月剛(ゆづきごう)です。以前アメーバさんからも寄せられている「リブログ」……どうかよろしくお願いいたします~~~〈原文に段落行間隔らの改定を施しています……〉昨年2024年11月5日(火)の▼本日限定!ブログスタンプ縁結びのお守り持ってたことある?
黄金の簒奪者たち:その107後に明治天皇となる大室寅之祐が匿われていた山口県熊毛郡の田布施は、虐げられてきた物部氏の土地で、大室家のあった「麻郷」(おごう)近くの「石城山」は、古くから”聖なる山”(神南備)として崇められていた山、つまり古神道の聖域であった。「石」の付く地名は物部氏が祭祀を行っていたことを示し、「麻」の付く地名には忌部氏が関わっているからだ。忌部氏は神道祭祀のみならず仏教に使う祭具を全て作る一族であり、その起源は「天岩戸神話」に登場する八咫鏡を榊に掛けた「天太玉命」である
2023年01月16日以下は月刊誌WiLL2月号に、ハンパじゃない日本偉人伝、と題して掲載されている、歴史啓蒙家・小名木善行と芸人居島一平の対談特集からである。p162-p167日本国民のみならず世界中の人達が必読。佐々木道誉、楠木正儀、二宮尊徳、宮沢賢治、秋山好古・真之兄弟…今の日本人にも受け継がれる偉人たちのDNAとは道徳は暗黙のルール小名木はじめまして。居島今日、お目にかかれて光栄です。連載も拝読しています。編集部からの注文は、日本を元気にする過去の偉人を話してくれ
倭國の人物画は、南朝梁代『職貢圖』(526-539年ごろ)顔と体の刺青*を描かず,只薄墨色の肌😩引用投稿の画像は、唐の太宗に仕えた閻立本筆『唐閻立本王會圖卷』。倭國の人物画は、南朝梁代『職貢圖』(526-539年ごろ)の模本https://t.co/x16tesJhMe3世紀『三國志』倭人傳:「男子無大小皆黥面文身*...男子皆露紒,以木緜招頭。其衣橫幅,但結束相連,略無縫」https://t.co/GRgKLLuw9e—水原紫織(@ShioriMizuhara)Novemb
本年7月から公開しております森町新調だんじりのご紹介シリーズも8回目の最終回を迎えました。いよいよ大詰め、最終回はズバリ「見送り」です。まずは全体像から見ていきましょう。地車後方の姿見から順にセンター(馬乗り:楠木正行)へと迫っていく構図。しかも網無しというシーンは、見学会でしか体験できないもの。ド迫力のその題目は「四条畷合戦」。四条畷の合戦南北朝時代の正平3年(1348年)1月5日に河内国の四条畷で発生。この戦いは、南朝の楠木正行とその弟正時が、
昨日もテレビの野球中継見ながら本読みました。ていうか、野球中継は緊張のあまり、あまり見てませんでしたが。しかしすごかったですね、山本由伸選手!一昨日も先発でしたよね。ドジャース、まさか同点に追い付いて、最後に追い越すとは。昨日はこの本を。いつもこういう本、知らなかったことを1つでも知れたらいいと思って読むんですが、今回なるほどと思ったのは、匈奴とか鮮卑とか言ってもどれも単一民族ではなく、それぞれの民族が別の民族を奴隷にしている場合があるとか、鮮卑はモンゴル系だろうとか、乱世と言
『この国のかたちー五』ー司馬遼太郎●宋学ー①✪楠木正成は、後世のイデオロギーのなかで浮沈した。正成は、鎌倉幕府の崩壊から、南北朝時代にかけて、後醍醐天皇(南朝)の武将としてあらわれる。本来、河内国(大阪府)の金剛山麓の土豪だった。その死後、『太平記』により知名度が高くなった。人柄がよかった。その時代の乱世に興亡した武将の多くが利害で動いたのにくらべ、正成ばかりはその気配がうすかった。当初、笠置の山中に流寓していた後醍醐天皇に見出された。そのときの一諾だけでみずからの生涯を決定し、そ
如意輪寺の後醍醐天皇御陵参拝後、吉野・金峰山寺前のお食事処「はるかぜ」で頂いた期間限定の十津川の天然鮎の塩焼き。柿の葉寿司御膳と共に頂いた。南朝の風を感じた。この至高の鮎を有難く謹んで頂くべく、鮎の塩焼きを正しいお作法で頂いた。意外と鮎の塩焼きの骨抜きの正しいお作法をご存知無い方が多いので、この動画をご参考頂き、まだご存知無い方はぜひお試し頂きたい。鮎仁淀川極上天然鮎友釣り鮎仁淀ブルーで育った天然鮎高知県産誕生日プレゼントギフトお祝い贈答用お取り寄せお取り寄せ
吉野の秋は時が織りなす絹のように美しい。秋も深まる中、後醍醐天皇の御陵をお祀りされる如意輪寺を訪れ、南朝帝と南朝遺臣の魂の響きに耳を傾けた。山々にたなびく薄紅の葉と清冽な川のせせらぎは歴史の深い趣へと誘う。吉野の山懐に抱かれた後醍醐天皇御陵は、気が清浄且つ静謐に満たされ、まるで帝の志が今も木霊するようだ。建武中興の尊い志は、目前の事にのみ追随する愚かな愚民により崩壊したが、國體の真髄を成すその激烈なる志が近代日本を樹立させるに至った。木々の間を縫う光はまるで過去と今を繋ぐ架け橋のようだ
寒い🥶なんでも平年の12月の気温だそうです。テレビのワイドショーは、朝から高市内閣誕生の話題ばかり。(そりゃ、国の大事な出来事だから当たり前かも・・?)メジャーリーグも、ワールドシリーズ開幕までの狭間で、それでなくても暇なボッチオジサンは持て余しています。YouTubeを覗いていたら、気になる動画がありました。伝説「佐津妓(さつき)姫」という・・・。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人た
宮崎の西都・東米良の銀鏡神楽。吉野山の、吉水神社にて、ご奉納されるとのこと。後醍醐天皇、懐良親王、太閤秀吉。。。懐かしい景色🌸半年前、半年後、愛でる季節🌸吉水神社は、南朝ゆかりのお社。門外不出の面(おもて)が、銀鏡からお出ましになられて。この吉水社に。懷良親王の里帰り。融和な日になる。ご準備に関わられてこられたみなさま、ありがとうございました。さあ、もう少しではじまりですよ。
ある会社からサービスで送られてくる無料の雑誌がありますなかなか中身も充実してて今月号は真言宗大覚寺派本山「旧嵯峨御所大本山大覚寺」写真は特別拝観のものが多いのか一度行っていますが初めて観るものもありました『大覚寺南朝ゆかりのお寺』嵯峨の大きな戸建て住宅が並ぶ奥に弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派本山「旧嵯峨御所大本山大覚寺」はありましたもともとは嵯峨天皇と檀凛皇后の離宮嵯峨院…ameblo.jp美しい綺麗かわいいところで無料で送られてくる冊子なのでチラ
三社目の龍神は、霊山神社でした。まずは、霊山の歴史を。霊山の歴史南北朝時代の軍事拠点“霊山城”ここは、南朝の歴史が深い所です。霊山の歴史–名峰・霊山(りょうぜん)mt-ryozen.jp「南北朝の動乱期を迎えると、南朝方の鎮守府将軍・北畠顕家と陸奥太守・義良親王は、霊山の山頂付近に国司館を建設(1337年)します。北畠顕家は奥羽の南朝方勢力と連携し、義良親王を奉戴して上洛するまで霊山を拠点としました。この時期を指して「霊山城」と
2023春の浜北24井伊谷宮4/5(水)④龍潭寺境内のそのほかの寺域もすっかり見て回った。紅葉の季節などはさぞ美しいだろう、という気持ちはいやが上にも湧き上がる。龍潭寺境内の景色裏手にある井伊谷宮へ。この先の門から先が井伊谷宮井伊谷宮本殿こちらは特に変わったところもない神社だが、新しく作られた展示施設があり、そこに今年の大河ドラマを意識してか、徳川の家臣のうち、有名どころ20名ほどを描いた版画作品が展示されていた。2023年の大河ドラマは「どう