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白藤を見た場所は、黒渕河川自然公園である。清流の川俣川に足を浸して涼むのを目的として夏休み中は子ども連れの家族が押し寄せる。ところが階段があって上方を見上げれば、そこは城跡なのだという。「別に~」と関心も無くこれまでスルーしてきたけど、一応、どんなものか見ておこうかと階段を上ってみた。見晴らしのよい場所に平らなところがある。説明板によれば、ここは黒渕城跡。恵良惟澄の申状によれば、少弐頼尚が八代を攻撃したとき、本城は一旦頼尚の手中となったが、恵良惟澄が奪い返したという。
「南北朝シャトル僧正」
北畠顕家といえば、一度目の遠征における高速移動に言及せざるを得ない。多賀城を発し、およそ600kmにも及ぶ道程を、一日平均60kmのスピードで進軍したというこれは、世に名高い羽柴秀吉の中国大返しの1.5倍のペースだということで近年、注目を集めている。TVで紹介された理由として、現在では絶滅してしまった「南部馬」という馬の産地が任地にあり、日本古来の馬より体躯がでかく脚も長かった。いうても競馬のサラブレッドよりは小さい。軍の大半が騎乗していたために可能だったのでは、という事だった。。北
一度目の読了後、日を置かずに再読する。良い本だと思う。次は同著者の『高師直』を読んでみよう。
第九十七代後村上天皇は室町時代、南北朝対立時代の南朝方二代目の天皇です。明治四十四年、南朝が正統とされたため歴代天皇として認定されましたが識者によれば認められるもなにも元々天皇だったのであり認められるというのがおかしいとのことです。そういわれてみれば、後亀山天皇の時代の明徳の和約が成るまでは南朝に三種の神器があったわけですから、後亀山天皇までの天皇がいらっしゃるわけです。南朝方の天皇は御歴代の代数となり、北朝方の天皇は「北朝何代」とされていますが、当時京においては北朝の天皇は普通にそれまでの天皇
このままでは国が割れ南北朝以来の地獄が現れる悠仁さまがある限り男系男子の伝統を守らねばならぬ私の友人は悠仁さまを守るためな家宝の刀を持って戦い戦死する覚悟まであるこの人こそまさに忠義の者ではないか—伏見宮邦家親王(@fd5_gt)March14,2024誰と戦うねん、銃刀法違反で捕まるで。戦死するって、じゃあ、男系固執は負けるってことを認めてるんですね((*´∀`))ケラケラ男系の断絶は日本の死を意味する。—伏見宮邦家親王(@fd5_g
朝日新聞小説「人よ、花よ、」第十二章「東条の風」492(1/5)~542(2/25)作:今村翔吾挿絵:北村さゆりレビュー一覧連載前情報1前半1後半234567891011感想決起の地と決めた隅田。堅い守りと言われていた隅田城を簡単に落とした楠木党。だが北進する先の紀見峠で邪魔をする吉野衆。情報がなく疑心暗鬼だった灰左が何ともカワイイ。だが南朝というより、主上に尽くすとの姿勢に感じ入る多聞丸。そして細川軍との衝突。まずは八尾城を中途半端に攻め
高さ:4、9cm
「新羅壺」「李朝金海茶碗」_______________沢山にありがとうございました。
久しぶりに積もる雪が降りましたなあ。朝から雪かきをして、運動不足をこじらせている者としてはいささかヘタレ気味ですけれど、それはともかくとして…。昨2023年の大河ドラマ『どうする家康』なんかも同様ですけれど、歴史上の人物をドラマ・映画や小説に描いて、何度も何度も取り上げられる場合がありますですねえ。その度に何かしらの特徴を出す必要があるわけで(でなければ作り出す意味が問われましょう)、工夫を凝らすあまり「えええ?」というものになったりすることもあり。ですがその一方で、歴史イベントとしてはた
どーも、castom98です。今回ご紹介いたします神社仏閣は、京都府笠置町にございます笠置寺です。訪問したのは2021年9月ですので、現在では状況が異なっている場合がある点をご了承ください。笠置寺は笠置山にある寺社の総称で、南北朝時代には後醍醐天皇も行幸されたという由緒ある古社。境内には修行場巡りもあるそうなので楽しみです!山頂近くの駐車場に到着。けっこう大勢の方が訪れていました。それでは山門をくぐり、いざ境内へ。山門を入った時点から、多くの遺
こちらも古本屋さんで見つけてきた本です。歴史と旅シリーズ、『大動乱!南北朝』表紙は北畠顕家ですね。「室町幕府が誕生する=足利尊氏の勝利」という歴史を知っていながら、北畠顕家が奥州軍を率いて京都に攻めこんできた時点で「これで南朝逆転勝利だな」と期待してしまった小学生時代がありました。いや、本当にのめり込むと史実を知っていてもその先の展開がどうなるのか気になってしまうのであり。さて今回の本、随分とボロくなっているのだが…昭和49年!50年近くも前の本ぢゃない
甲斐源氏ゆうたら文献少ないけど摂津と河内で多田も摂津だしね世のなか大阪は矢張り先にとんでて早いわ甲斐源氏ゆうたら武田家武田信玄やねその甲斐源氏は清和源氏の流れを組むらしいですが世のなか源氏と平家しかないわけでうちは甲斐源氏の流れを組むわけですが南北朝の石津の戦いからみても大阪来てるやん関西来てるやんというわけでだんだんだんだん関西に上陸したはりますのが面白いです次はどこ行かはりますんやらもう関西ここ京都でええけどみんなが憧れていた古都京都やで
こちらもアマゾンから届いた本。『北朝天皇研究の最前線』どうしても『太平記』読んでると南朝側の天皇ばかりが目立つのですが、北朝にも目を向けなければ。そんなわけで最近出ていたこちらの本をアマゾンで取り寄せました。前にはこんな本も買っていまして。これを買った時のコメントがなかったですねぇ。そして武家側のご都合主義で悲劇的な生涯を送ったお方です。歴代天皇に数えられていないということで、なんと悲劇は現代にまで続いていた…太平記に熱中していた小学
「奥の細道」謎解き紀行その11鹿島神宮に残されている芭蕉の句碑に記されている「鹿島詣」の句をもう一度見てみよう。枯枝に鴉(からす)のとまりけり穐(あき)の暮ここにある「鴉」(からす)とは「烏」の暗号であるとしたが、ここには「八咫烏」が待ち受けていたということだ。さらに「穐」の字だが、この字の意味は「あき。とき。大切なとき。大事なとき。」である。つまり、枯れ枝には裏祭司氏族の頂点にいた「烏」がおり、その烏との会見は非常に大事な時だったのだ、と伝えている。鹿島神宮
昨日の、「歴史のお話」“観応の擾乱”(かんのうのじょうらん)御覧頂き、ありがとうございました。対立派閥の戦いに、様々な人の思惑が重なり予想外の方向へ…?!南北朝時代・室町時代の人気が無いのは、対立構造が複雑だから…か??だいたい、じょ〜らん…て、何?????見逃したというアナタは、こちらから録画を御覧下さい!↓↓↓↓↓https://www.youtube.com/live/phwk3ymsupc?si=yIq4lUunrFunv-Ym歴史のお話~第144回「観応の擾乱
下記の商品は本日入荷したホンの一部です。『南北朝軍記物語論』(大坪亮介)2020年、和泉書院刊売価9,600円+税『中世の戦乱と文学』(松林靖明)2018年、和泉書院刊売価9,500円上記の商品はインターネット古書検索サイト「日本の古本屋」で御注文いただけます。http://www.kosho.or.jp/でご注文ください。「日本の古本屋」で検索してヒットしない場合は既に売り切れもしくは売約済みです。〒530-0001大阪市北区梅田1-1
本日、11/20(月)PM8:00〜インターネットTV“Will-BeStation”より、『歴史のお話』“観応の擾乱(かんのうのじょうらん)”生放送!足利尊氏政権内での対立、戦いへ…。そこへ、南北朝の争いも加わり…?☆YouTubeライブでお送り致します。生放送開始直前に、こちらでURLを公開します!↓↓↓↓↓↓https://www.youtube.com/live/phwk3ymsupc?si=8yI5sE-V8t2OR-le歴史のお話~第144回「観
700年近く前の南北朝動乱、関東に南朝の拠点を作ろうとしていた北畠親房、北朝の足利尊氏の命を受けて関東の南朝勢を滅ぼそうとした高師冬、両者が戦いました。この大宝城は、その戦いの舞台の一つです。写真の石碑から坂があって高台になります。この高台全体が城跡だったようです。大宝八幡宮という大きな神社があります。訪問した時は美しい菊の展示が行われていました。良学舎/豊四季駅前学習塾小学・中学・高校柏流山おおたかの森野田(goodstudy.jp)
菊池市で菊祭りが開かれています入場すると菊できくまつりですね大勢の人の力作が展示してあります花は2~3分咲ですねこれからが見頃かな懸崖もなかなかの力作です来週が見頃ですね立体的に造られていますねこちらは普通仕立てで満開ですね
「南北朝合一」何のために生きるのかみなさん、おはようございます!朝は寒いくらいです風邪にはご注意くださいさあ、今日「10月5日」の國史を学びましょう「南北朝合一」元中9年(明徳3年、1392年)南北朝時代は南朝「大覚寺統」と北朝「持明院統」2つの朝廷が併存していました3代将軍・足利義満が仲を取り持ち一つになりました南朝の後亀山天皇(99代)から北朝の後小松天皇(100代)に三種の神器を譲りました譲位の形をとることで過去の南朝の正統性を
言霊学では、今の歴史で語られているものとは全く別の歴史を解いています。その中で、天皇の話もあります…古代の天皇(ウガヤフキアエズ朝ニニギ朝ヒコホホデミ朝……現・大和朝より前の古代の天皇)は、血統ではなく、霊統で繋がっていた、というお話しです。古代の聖王=スメラミコトは、心のことを理解していた「ヒシリ」=聖であると言います。・ミコト=言葉・スメラ=統一どういうことかというと、インド哲学的に言っちゃうと「覚者」つまり悟りを得ている人が天皇だった、というのです。つまり、霊統にある人。今の天
福島県伊達市に霊山という小さな山がある。この山は,国の名勝,日本百景に指定され,山中には岩場や奇岩が多く,たしかに眺めの素晴らしい山だ。かつては修験道の山としても知られ北の比叡山とも呼ばれたという。この山は,南北朝の頃,南朝方の山城だった。そしてその山城には鍛冶小屋があり,今もその跡が残っているという。麓から見る霊山南壁南壁なんぞと大げさに言うのが好みである。三年以上も前,その鍛冶小屋を見たさに霊山を登ってみたが,岩壁のくぼみに鍛冶小屋岩と看
イベント出展情報ALOHA!今日も、みなさんが笑顔になれますように。先日、檜原村の九頭龍神社さんに行ってきました。檜原村は、離島を除く東京都にある唯一の村だそうです。アクセス方法は、東京都昭島市の拝島駅から五日市線に乗り換えて、終点の武蔵五日市駅で降りてからバスで1時間ぐらいでした。前から、名前は知っていて興味はあったのですが、遠いしとか思っていたら、たまたま仲間内のりら先生のリトリートがあるとあったので、参加させていただきました。九頭龍神社さんは箱根が有名ですが、水に関わ
ついにやってまいりました、太田駅です。南北朝フェス開催地です。ブログ全体のながれ上、太田駅をタイトルにしてますが、太田駅で思ったことはまた別に書きたいんですよね。それはまた別記事で。いったいそれはいつになるのだ会場は、太田駅から朝日バスで4つほど行ったところからちょっと歩いたところにある太田市民会館。新しくてかっこいい建物でびっくり。思ってたよりでかい!新田フェス(いつの間に)にふさわしい会場ですわ。ところで会場の写真全然撮ってなかったんで公式さんの
南北朝時代に起こった「観応の擾乱」について。関心を持っているという人は、なかなか、居ないのかも。なぜなら、対立、抗争が複雑で、簡単に理解をすることが出来ない。本を読んでも、なかなか、頭で整理をするのは難しい。観応の擾乱-室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い(中公新書)Amazon(アマゾン)1〜5,573円個人的に、この本を読んで、頭の中で、簡単に、まとめたことに、想像を加えて、書いてみます。室町幕府の初代、将軍になったのは足利尊氏です。しかし、この
4世紀から6世紀の中国では、華北地方と江南地方でそれぞれ王朝の興亡を繰り返してきましたが(南北朝時代)、晋の滅亡以来、581年に中国で久しぶりに統一王朝の隋が誕生しました。しかし、隋は朝鮮の高句麗(現在の北朝鮮エリアにあった国)への出兵などの失敗で短命に終わり、618年に唐が建国されたのです。まず、「607年の遣隋使はなかった」とする説の根拠は、『書紀』に使節の派遣先が「唐」だと記載されているという明快な理屈が基になっています。その前提となるのが、推古天皇の事績を示す『
足利直冬という人物が居ます。南北朝の時代に活躍をした人物で、「足利」という名字で分かるように、足利一族の一人。室町幕府初代将軍、足利尊氏の庶長子、と、言うことになっていますが、どうも、尊氏自身は、この直冬を、自分の実子だと認めていなかったようでもある。なぜかと言えば、直冬の母親の身分が低かったため。直冬の母親は、一応、「越前局」ということになっているようですが、この越前局が、どこの、どういう人なのかは、よく分からないようですね。父、足利尊氏は、自分の息子だという直冬を、嫌い、疎んじ
科挙をテーマにした昨日の華流ドラマ、官人の冠(後頭部で左右に伸びる飾り⇐なんという名称か不明)の形に惑わされて宋時代だと思っていたら、梗概をみると南斉時代とのこと。つまり5世紀後半に建国された南北朝の国のひとつということになります。どおりで、皇帝・皇太子など皇族の姓が蕭となっていました。蕭斉と称される国ですね。しかし、だとしたら、ドラマ展開の重要なキーポイントとなった“科挙試験”という設定自体が意味不明です。なぜなら、科挙制度が採られるようになったのは隋以降のはずだから。魏から南北朝にかけ
感想今ちょうど新聞小説「人よ、花よ、」で高師直が出ているため、ちょっと興味があって視聴。太平記ではエロ親父ぶりが強調されているが、戦の恩賞に対する新たな策を取り入れたりして、人心を掴むのに長けていた。その不幸は足利の家臣だった事。もう少し時代が後になって「下剋上」の世だったらどうだったか・・・内容司会磯田道史、杉浦友紀出演安田登(能楽師)中野信子(脳科学者)谷口雄太(青山学院大准教授)南北朝最強の武将、高師直(こうのもろなお)人物評(磯田):面白い人物