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録画しておいた千日回峰行の行者酒井雄哉師を取材し、1979年に放送された番組の再放送を視聴しました。わたしごときがこの修行のことを云々などとてもしたところではありませんが、雑談的に行者さんの食事について記してみたいと思います。「酒井大阿闍梨が回峰行を行っているときには、1日に1200カロリーぐらいしか食べないのだそうです。1200カロリーなんて、ダイエット中の食事と同じです。ジャガイモとあったかいウドンを少々、それとゴマ和えのお豆腐ぐらい。これだけの食事で何
おはようございます。今朝は曇りです。今朝は子供が遅出なのでもうすぐ送って行きます。そろそろ車の冬タイヤを夏タイヤに交換しようかなと思いますが、地面が濡れていると嫌なので昨日の雨がどの程度乾いているかですね。今年の冬は雪がチラついた事はありましたが、昨年ほどの雪は降りませんでした。この写真は昨年の畑の雪が降った姿です。この時の玉ねぎは小さかったですね。さて今朝の話題はこちら天台宗の開祖・最澄も泣いている…大阿闍梨が性加害に“関与”「日本仏教の母山」として知られる天台宗(総本山・比
❖尼僧を強姦し14年間監禁・性加害…住職に蛮行を促し尼僧を「ロボット玩具」にした80代"生き仏"の地獄の所業3/5(火)14:17プレジデントオンライン▷天台宗は空中分解してしまうことも十分あり得るだろう。◁■天台宗の開祖・最澄も泣いている…大阿闍梨が性加害に“加担”「日本仏教の母山」として知られる天台宗(総本山・比叡山延暦寺)が、高僧の性加害をめぐって揺れている。四国に住む住職が、尼僧を14年間にわたって監禁、性暴行、恫喝などを繰り返していたというのだ。そこに、後述する千日回
「比叡山大阿闍梨心を掃除する」光永圓道千日回峰行で「私を生かしてくださる世界」が垣間見えたという著者。そういう気持ちを持つことで謙虚になれる。それが、その効用かもしれない。アスリートや経営者などいろいろな世界をとことんやった人の言葉は重いし、響く。以下は文中引用とミニ感想です。悩みはひとつとして同じものがないけれど、解決しようと思うとき「自分」だけに目を向けてはいけない。もっとも基本的な修行の道は「繰り返すこと」。→確かに繰り返すことでいろいろな収穫があります。完璧な人間、完璧なも
前回のこの不思議な話には実はまだつづきがありまして。『夜、誰が私を起こしているんだろう』今日も見えない世界がはたらきかけてきた不思議な話です。輪王寺の護摩祈祷でもらったおふだを寝室に飾ってからよく眠れるようになってとても助かっているんです…ameblo.jp今日はそのつづきです。45年前のNHK特集『行~比叡山千日回峰~』が再放送されて1週間くらい経った頃です。夜、私は寝ようとしてリビングでつけっぱなしになっていたテレビを消
今年の3月4日、香川県に住む50代の女性Eさんが同県にある天台寺院の住職から十数年に渡り性暴力等を受けた事により、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したとして、滋賀県大津市の天台宗総本山・延暦寺の事務所を訪ねて被害を訴えている。被害者の女性Eさんは今年1月、都内で開いた会見で「長い間、僧侶Aから性加害や恫喝、暴力による心理的監禁を受けて参りました。」と語り、2009年から約14年間に渡ってこの寺の60代の坊主に心理的に支配されていたと明かした。又、彼女の代理人弁護士は会見で「僧侶A(6
❖三月三日は『上巳の節句(供)』ということで、普段は朔日にお詣りする天台宗系の単立寺院へ伺いました。この寺院の開山は、比叡山延暦寺で戦後初の千日回峰行を満行した『叡南祖賢師』のお弟子さんで、伝教大師最澄の御廟である浄土院の十二年籠山行を満行した『中野英賢師』。御本尊に[薬師瑠璃光如来]を祀ります。普段はあまり気に留めてなかったのですが、本堂に入りますと柱に天台宗の高僧の筆蹟カレンダーが掛かっており、三月が[脚下照顧]、筆は『北嶺大行満大阿闍梨光永圓道大阿闍梨』でした。大阿闍梨は五十人目の千
雛祭りのちらし寿司よく拝見する酒井大阿闍梨さんの本からの抜粋をしてご紹介してくださってるブログ『阿闍梨さんの遺言21『なんで俺を先達(せんだち)にしたんですか?』』❖なんで俺を先達にしたんですか?『何も知らんヤツだからや。無知なるがゆえの愚行がええんや。知ってら遠慮する。知ってることが邪魔になる。なんでも知ることがええの…ameblo.jpで自らが大僧正どころかもっとすごい名声や地位を得ている僧の立場でありながら精進の心を忘れ去り欲に走ったり自我をのさばらせてし
今日も見えない世界がはたらきかけてきた不思議な話です。輪王寺の護摩祈祷でもらったおふだを寝室に飾ってからよく眠れるようになってとても助かっているんですがあるとき夜3時頃だったか変な時間に目が覚めて眠れないということがありました。起きたはいいけど何もする気になれない…。しかたなくリビングのテレビをつけました。以前、見えない世界が私にあるお寺を見せたくて夜中に私を起こしてテレビをつけさせたということがありました。
https://www.youtube.com/watch?v=ZLDLL8g1BHk千日回峰行天台宗比叡山延暦寺の光永圓道大阿闍梨www.youtube.comこんにちは(・∀・)福岡県那珂川市多次元ライトワーカー光の案内人Greenessence〜緑の滴です。千日回峰行を満行された現在の光永圓道住職の若い頃の動画がありました。この当時は星野圓道住職です。とても参考になると思います。生物全ての命へ祈りを捧げる。これはとても大切なことです。欲もなく、見返りもなく
私が26歳の頃天台宗比叡山支院【伊崎寺】にて、寝ずの行を1週間しました。最初に、御守りしていた【光永阿闍梨】さまと話しをした。頑張って修行してくださいと励まされた千日回峰行してる阿闍梨様に。午前零時に、琵琶湖に入り、般若心経を唱え、不動真言も、真っ暗の中、懐中電灯で、足の悪い階段を降りて琵琶湖に入りますそれから、かく堂まわりをしますが、本堂は、1300年の歴史がある本堂で中に木の三体🌲彫った【大日大聖不動明王】が、ご鎮座してまた、聖徳太子も祀ってありますそこでは、五体投地108回しま
https://www.kakusho-ritsuan.or.jp/kaihogyo千日回峰行光永圓道大阿闍梨覚性律庵www.kakusho-ritsuan.or.jpこんにちは(・∀・)福岡県那珂川市多次元ライトワーカー光の案内人Greenessence〜緑の滴です。比叡山には、千日回峰行という厳しい行を満行された、生き不動明王の大阿闍梨様がいます。行を終えることができない場合、自害します。装束も死装束。行を終えられたらお寺で住職としていらっしゃいます。この厳しい
龍桜音のブログへようこそ今日のまさよさんのブログに『大峯山寺(おおみねさんじ)』の文字を見つけ先日、けんすくさんがブログで対となるお寺の蔵王権現さんの写真を掲載なさっていたのでふたつのお寺の繋がりを語りますこの大峯山寺は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部の修験道のお寺で、今でも女人禁制です大峯山寺と吉野千本桜の吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ・女人禁制ではない)の蔵王堂(ざおうどう)の間を山が開いている5月3日〜9月23
今回出雲旅のことであらためてとりあえず決めたことがあってもそこで決めつけず思い込まずあきらめずさらに試行錯誤したら違う道がみえてきて変わってゆけるんだなぁと試行錯誤の大切さと変化の醍醐味を味わいました。(変更、変更、変更でいまだかつてない変遷でまったくすごかったwいろんな選択肢が同時にあってどれを選ぶかなんだなぁと)じぶん流回峰行で千日回峰行とは全く違って全然修行じゃないんだけどw千日回峰行とは比叡山の修行天台宗は法華一乗の思想ですべての仏教
北嶺大行満大阿闍梨・比叡山覚性律庵住職光永圓道さまが講師を務められた上記講演会に参加してまいりました。光永さまは織田信長の比叡山焼き討ちから数えて50人目の大阿闍梨さまです。千日回峰行を終えられた当時のイメージが強く、とても厳しい雰囲気のお方と思っておりました。今日お目にかかるとちょっと失礼な申し上げようかも知れませんが、とても気さくなお兄さんという感じでした。そして以前よりぽっちゃりされていました、回峰行後、17キロも体重増とか!しかし、お話はさすがでした。スライドを使い、延
❖千日回峰行をやったら何が分かりますか?『そんなもんは何もない。大事なのは、やった後や!修行っちゅうのは、自分との闘いや。修行を終わってからがほんまの「行」や。どこまで空っぽにできるか、無心になれるかが仏の修行』『阿闍梨さんは、なんで二回も千日回峰行をやったんですか?』そう尋ねたのは、慈覚大師の巡礼中(慈覚大師の生誕地である栃木県岩舟まちから青森県の恐山まで一六〇〇キロを歩いた巡礼)に泊まった宿でくつろいでいたとき。一度の満行でも難しいと言われるのに、阿闍梨さんは五十四歳で一度目、六十歳で
心を掃除する比叡山大阿闍梨光永圓道さん著小学館発行心を掃除するというタイトルなので、精神的なものなのかと思いきや、思いっ切り部屋などの掃除のやり方などが記載されておりまする。しかも、よくあるスピリチュアル、風水などの邪道系ではなく、純粋に掃除のことについて記載がありまする。あぁ、でも、最終的には、生き方とか、その辺りに辿り着くような内容だったりもしますが。光永圓道大阿闍梨(千日回峰行)につきましては、以前紹介した書籍に記載の通りですので、そちらを購入
❖阿闍梨さんの呟き《完》❖酒井雄哉・ただ自然に②《解説》宗教学者・山折哲雄千日回峰行の凄さ、である。回峰行者の超人的ともいうべき大事業である。その酒井さんが、修行三昧の合間にふともらした言葉が、本書には絵入り、解説入りで集められている。今、ふともらした言葉、といったけれども、その酒井さんの言葉というのがじつに簡潔をきわめ、どれもがまことにつつましやかな表情をたたえている。難しいことは何ひとついっていない。しかし、その切片のような言葉がもつ柔らかなリズムが、読む者の心にストレートに染み込
❖酒井雄哉・ただ自然に《解説》宗教学者・山折哲雄テレビで、マラソンをよくみる。四十二キロを走り通すチャンピオンの姿をみているうちに、夢中になっている。そのようなとき、千日回峰行者の酒井雄哉さんのことを、ふと思い出す時がある。行者は一日四十キロを歩き、それが断続的に千日間つづく。マラソンランナーは一日仕事であるが、回峰行者は千日仕事である。一対一〇〇〇。これは凄い、と思わないわけにはいかない。もっとも、マラソンは走るのが基本。それにたいして回峰行は歩きに歩く。そういう違いはある。しかし
4連勤も計算済み…😁懲りずに、増えたり減ったり…😅今朝は寒かった〰️〰️❗😂でも、しばらく晴れの予報…☀️どーぞ、このまま…🙏こんなじいさんになりたいんですよね…😳でも、丸顔だからなぁ…😂今日、何気なく銀行のネットで支払いの様子を見てみたら…とうとう、コロナ禍での借金の支払いが始まってました…😂もう…これからはカツカツの生活です…😔ま、今までもカツカツでしたけどね…😅でも、バイクを続けるためにはもっと生活を見直して、切り詰められるところは切り詰めねば…😖アドバイ
❖行き道はいずこの里の土まんじゅう昭和五十年(一九七五年)四月七日。午前零時に起床、真言を唱え不動の滝に入り、加行(けぎょう)の滝では体を激しく動かし、身を清めた。朝の勤行を終え、『死に裝束』といわれる純白の麻の浄衣の野袴、手甲脚絆を身にまとい、草鞋を素足にはいた。首吊り用の死出紐を肩にかけ、降魔(ごうま)の剣と自害用短刀を腰に差した。三途の川を渡るときの六文銭が入った『未敷蓮華』の笠を左に抱える。さらに『手文』や供華などを入れた供華袋を肩から吊るし、右手に檜扇、左手に念珠を持った。
1000回ありがとうございます。本日、林住期さんのブログに1000回、いいねをくださった方がいらっしゃいます。1000回超えた方はお二人目です。1000回のいいねと、林住期さんが手術、入院している時も励ましのコメントも頂きました。感謝しかございません。林住期さんのブログを読み続けることは、千日回峰行に匹敵する苦行だと思います。ありがとうございました。2000回、3000回とよろしくお願いいたします。
本日も訪問して下さりありがとうございます😊若い時、高尾山の滝に向かう途中すれ違った行者様にに挨拶すると羽黒の滝に一緒にどうですか?と言われた時がありました。翌日仕事だったのでお断りしましたが、行きたかったなぁと言う思いはありました。嫌いではないんですよこの世界。自分が出来る訳ではありませんが、何だか好きなのです。だから先日NHKで再放送されたこの番組みました。千日回峰行を2回達成された酒井雄哉阿闍梨様千日回峰行酒井雄哉で検索するとヒットします。また2月1
❖太陽が昇る国に何しに来た阿闍梨へ出家する前に、敬愛していた小林隆彰師の計らいで、生まれて初めて、二つの行をした。体を駆使する『三千礼拝』は無事に勤めたが、難しかったのは『般若心経の写経』だった。一日中座って、ただひたすらに一枚一枚お経を書き写すこの行に耐え切れず、阿闍梨さんは重ね書きという信じられないズルをしてしまった。小林隆彰師はそれを見抜き、哀しんだ。今度くるときまでに答えを出してきなさいと、阿闍梨さんに一枚の紙を渡した。その紙には、下のように書かれていた。ヒントは聖徳太子さん
❖自分が強くなること結局は阿闍梨さんを頼って実に多くの方々が、飯室谷不動堂を訪れる。『自分が強くなるということはとても難しい。けれどもそれしか道はない』と、いじめに悩んでいた少年に、あるとき、阿闍梨さんは言った。阿闍梨さんが行をしたきっかけの一つに、自らの弱さと決別したいという思いがあった。遺書も残さず死んだ妻のこと。恐怖と絶望のなかで死ぬために飛び立っていった戦友たちのこと。それらの辛い思い出は、何もできず、のんべんと生き延びてしまった惨めな自分の姿を否応なく突きつけてくる。だか
NHKEテレ「行~比叡山千日回峰~」2月5日に日付が変わって間もなく、比叡山千日回峰の番組が放送されます!あと数時間後・・・2度の千日回峰行を行ったことで知られる酒井雄哉師の千日回峰を取材した番組です!2月5日(月)0:45~1:35NHKEテレビ番組の書籍版「阿闍梨誕生」Eテレで放送される番組の書籍版もあります。書籍の帯から推測したものですが。間違いないと思います。講談社昭和54年11月和崎信哉発売時価格¥1,300
❖こだらわなければ自然におだやかなになる阿闍梨さんと一緒にいると、お母さんの懐に眠る子供のように穏やかな気持ちになるという一人の女性がおられる。この女性にさ重度身体障害者の長男がおられ、まだ障害者にとって何の社会的援助もない時代から子育てをなさってきた。相談する機関もなく、通わせる学校も施設もない。それならば自分たちで、と、その設立の資金稼ぎに街頭での募金活動、早朝のアルミ缶拾い、物品販売など、風雨寒暖をもいとわず今日まで活動されてきあ。長男が一人で街中にいるとき、見知らぬ人に『お前み
相応和尚比叡山の千日回峰行は、「此の峰を巡礼し山王の諸祠に詣じて毎日遊行せよ」と、根本中堂の薬師如来の夢告を受けて相応和尚によって始められました。なぜ歩くか。行を始めて最初の700日は、自分のために祈って歩きます。何を祈るか。他人のために祈れる資格を自分が得られるようにと祈るのです。700日目と701日目の間に、千日回峰行中最大の難行「堂入り」があります。自利行(自分のために祈る)から他利行(人のために祈る)に移る節目の行です。9日間、断食、断水、不眠、不臥といい、つまり一切食べ物も水も
❖食事は一日二回千日回峰行のうち、七百日までは自利行という自分が不動明王に近づくための修行をする。そのうち百日につき一日だけは、利他行といい、人のために祈る修行をする。七十五日目のこの日、『京都切廻り』をする。この日は比叡山を下り、京都市中四十五キロを行をしながら歩く。多くの人々が沿道にひざまづき、首(こうべ)を垂れて阿闍梨さんのご加持を待つ。不思議にこの日には便意をもよおさないと阿闍梨さんはいう。千日回峰行中でも最高に体調がよいときは何日も便意がない。便そのものが体中にないのだとい
❖知ろうと思ったら実践すること阿闍梨さんの歩幅は八十五センチ、千日回峰行では約四万キロメートル。ほぼ地球一周分を千日かけて歩く。一日約四十キロメートル、阿闍梨さんの歩幅なら一日四万七千歩ということになる。阿闍梨さんの足の裏はそれだけ大地を噛み締めて、地球とのキッスを重ねたことになる。それだけの距離を歩くうちに、阿闍梨さんには見えてきたことがあるのではないか。阿闍梨さんは出家後、小寺文頴師の勧めで、小僧をしながら叡山学院に通った。初めは授業の内容がまったくわからなかった。しかし、三年