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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・セラピストだより2026年5月17日号自己の神性講座・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あるてみすてんぷるの沙羅です。どれだけ良いことを学んでも、現実の人間関係や日常の中で活かさなければ意味がありません^^学び、悟り、気付き。それらは確かに尊いものです。しかし、それが日常の中で生きていないならば、それはまだ完成していないのです。禅の修行過程を描いた「十牛図」
あるてみすてんぷるの沙羅です。どれだけ良いことを学んでも、現実の人間関係や日常の中で活かさなければ意味がありません^^学び、悟り、気付き。それらは確かに尊いものです。しかし、それが日常の中で生きていないならば、それはまだ完成していないのです。禅の修行過程を描いた「十牛図」の最後、「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」はまさにこのことを象徴しています。入鄽垂手の「鄽(てん)」とは町や市場、つまり人々が行き交う俗世を意味します。「垂手」とは、何も持たず、自然体で手を垂れている姿です。つ
十牛図(じゅうぎゅうず)・・・禅の悟りに至る道程をわかりやすく解説したもの。弘法大師の十住心論も書いたので、禅の「十牛図」も書きます。また横着してwikiより。十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人(牧者)の姿で表されている。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)や牧牛図ともいう。作者は、中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)。廓庵以降、十牛図は世の中に広
先日、5月2日からスタートした「本来の自分を探すオンラインリトリート」の第1回を開催しました。テーマは「尋牛(じんぎゅう)」。本来の自分を見失ったことに気づき、探し始める段階です。今日はその内容を動画にしてYouTubeで公開しました。900年前、中国の禅僧・廓庵(かくあん)が残した「十牛図」。10段階の旅で本来の自分を取り戻すこの物語は、今日のあなたの物語でもあります。動画の中でこんな問いかけをしています。「あなたの人生で、あなたを根本的に養ってくれているものは何
先日神保町のミニシアター・シネマリスにて「黒の牛」を見る禅の説話の「十牛図」が原案この「十牛」は馴染みが深いんですヨネヤマ先生がパントマイム作品として演じていたから先生のソロ作品としてグループメンバーとのアンサンブル作品として幾度となく演じられた演目なんだもちろん俺も出演したことがあるさて、この映画主人公はセリフを一切発しないのさ他の出演者のセリフも少なく自然の音とモノクロの映像で訴えかけてくるとて
こんにちは。統合数秘のmidoriです本日もお立ち寄り頂きまして有難うございます。今、エルリアンちゃんの施術を隣の部屋で歌ちゃんが受けています。午前中は私の施術。施術前にかなり浮腫んでいた足も、施術後は軽くなり、毎度の(笑)カレーのランチもお腹一杯!歌ちゃんの施術中にブログをアップしようと思います先日、ハッピーさんの聴講会というカリキュラムに参加しました。明日2回目が開かれるので、詳しいお話は書けませんが。。。日向さんの布石ってどれだけの時間を超えてなされているのか、
4月に鳥取市にシネマドアというミニシアターが誕生した。既に1度、アイスランド映画「女性の休日」を観に行っているのだが、移住者の人達が開館したこの映画館、コンサートで鳥取市に滞在中だったユーミン=松任谷由美さんが、そのことに共感し、お忍びで訪れるというサプライズがあった!という好スタートに恵まれる。→松任谷さんもそのことを自身のSNSで公表してるようです。そのシネマドアで「黒の牛」をみてきました。予備知識なし、ドキュメンタリーか、ドキュメンタリータッチなドラマかと思ってたのですが、そのどちら
〜種が咲くまで十牛図で紐解く魂の成長段階〜この旅物語を読んでくださっている皆さんへ。尋牛から入鄽垂手まで、私の人生を十牛図に重ねながら綴ってきたこの旅物語。読みながら、もしかしてこんな気持ちになった方はいませんか?「これは私の話かもしれない。」「私にも本来の自分がいるはずなのに、まだ見つけられていない。」「この旅を、私も歩んでみたい。」5月から、季人(きびと)の杜カレッジではこの旅を『オンラインリトリート』として始めます。学びに来るのではありません。自分を探しに来てく
監督:蔦哲一朗出演:リー・カンション田中泯禅に伝わる悟りまでの道程を10枚の牛の絵で表した「十牛図」に着想を得て制作された映像詩。急速に変化していく時代のなかで、住む山を失い放浪の旅を続ける狩猟民の男。山中で黒い牛と出会った彼は、牛を力ずくで連れ帰り、人里離れた民家で共に暮らし始める。生きるために大地を耕す男と牛だったが、自然の猛威を前に息を合わせることができない。しかし、ある禅僧との出会いをきっかけに、男と牛は次第に心を通わせていく。香港国際映画祭で最高賞のFirebirdAwa
ある夕暮れ、高千穂の山に登りました。眼下に広がる雲海の中に、太陽が沈んでいく。雑多なものは何もない。空と太陽と大自然があるだけだった。その景色を前にして、私はただ立ち尽くしていました。なぜ涙が出たのか、自分でも分かりませんでした。でも涙は止まらなかった。そして気づいたんです。自分はこの大自然の中に命をいただき、生かされている存在だったのだと。それまでの私は、自分の力で生きていると思っていました。でも違った。この空も、この太陽も、この大地も、何も変わらずそこに
十牛図の中で、この段階だけ絵に何も描かれていません。ただ、真っ白な円だけがある。その意味が、体験として分かった時期がありました。私は病気ですべてを失いました。仕事も、家庭も、健康も、お金も。何もかもが消えた病床で、私はずっと一つの問いと向き合っていました。“自分は何のために生まれてきたのか”それまでの私は、自分の幸せのために生きていたと思います。目指していた女性起業家になり、欲しいものを次々と手に入れていく日々。充実はしていた。でも「
宿命を知って、生き方を変え始めた。すると、不思議なことが起きました。あれほど苦しんでいた壁が、跡形もなく消えたんです。“パートナーを持たなければいけない”という呪縛から解放されたことで、過去の異性との苦しみの全ては、克服する必要のないことだと気づいた。私の宿命に、ゾッとすることが示唆されていました。異性との関係は「悪因縁」とされていた。異性と関わることで悪因縁を招き、人生の軌道がズレることで、人生を落とす・・そうして、明確に示唆されていたのです。その瞬間に、納得しました
あなたにも、こんな経験はありますか?正しいと信じてやっていたのに、なぜか苦しくなる一方だった。周りに合わせようとするほど、自分が消えていく感覚がする。それでも「これが普通だから」と自分に言い聞かせて、無理をし続けた。私にも、そんな時期がありました。離婚してシングルマザーとして子供たちを育て上げ、起業した頃のことです。一度は結婚の呪縛から楽になっていたはずでした。でも、世間の風は冷たかった。女性は結婚すべき。パートナーを持つことが幸せ
久しぶりのHASHIUSの星学特別講義のお知らせですこちらは、全2回の講義になります期間限定のアーカイブ付きですので講義当日のスケジュールが合わなくてもご安心ください講義してくださるのは宇宙哲学、西洋占星術、タロット、神秘、精神世界の研究における日本の第一人者。絵画分析、禅の十牛図、スーフィのエニアグラム図形などの研究家でもある松村潔さんですHASHIUSの星学・特別講義「次元の話」参加ご希望者はこちらからお申込みください
コーチングを学んで、スキルは身についた。でも、変われなかった。その頃の私は信じていました。人と上手くコミュニケーションできる“スキル”さえ身につければ、この孤独感は消えると。でも違った。確かにビジネスには役立ち仕事は増えて行ったけれど私自身の内面には大きな変化は起きず悶々とした日々が続きました。そんな中であるとき、仏教の教えと出会いました。「苦しみの原因は、己の外側にあるのではなく、内側にある。」その教えが、とても腑に落ちました。頭ではなく、身体の奥から「そ
変わりたい。その鬱憤がついに爆発して、私はコーチングを学びに行きました。それまでずっと閉じていた扉を、自分から開けた瞬間でした。でも、動き出した先に待っていたのは、思いがけない言葉でした。「美智子さんって、なんか壁を感じるよね。」図星でした。人と交わりながらも、どこかで線を引いていた。心を開いているようで、実は誰にも本当には開いていなかった。その頃の私は、人を信じられなくなっていました。私個人ではなく、私が持っているモノや環境が目当ての人に囲まれていると感じてい
15年間、ビジネスだけを見てきた私が、なぜ今、土を耕しているのか。その答えを話す前に、まず正直に告白しなければなりません。起業当初の頃の私には、人との間に見えない壁がありました。人が嫌いなわけではありませんでした。でも、ある一定の距離より近づかないように、知らないうちに壁を作っていたんです。あなたはあなた、私は私。そういう線引きがはっきりしていました。誰かが辛いと話してくれても「そうなんだね」と他人事のように聞いていた。「私はそこまでになったこと
人生には、魂の成長の段階があります。東洋の禅に「十牛図」という、古い絵物語があります。迷子になった牛を探す旅。その牛とは、本来の自分自身のことです。私はこの十牛図と、自分のこれまでの人生を重ね合わせたとき、鳥肌が立ちました。病に倒れたあの日も。最愛の娘を失ったあの夜も。事業が崩れたあの朝も。全て、この旅の中にあったのだと。誰もが最初は迷子です。自分が嫌いで、人が苦手で、でも変わりたくて。心の奥底に、くすぶるような鬱憤を抱えながら、それでも何かを求めて生きてい
スピカ星人ことりーぬです。松村潔さんのスピカについて書かれた本が発売されましたフラワー・オブ・ライフの森を歩くAmazon(アマゾン)<アマゾンの説明を抜粋>まさに、私が求めていたことが書かれているみたいだ!【本書を特にオススメしたい方】1既存のスピリチュアルや「アセンション」概念に、どこか息苦しさや停滞感を感じている方2西洋占星術やタロット、エニアグラムを学びつつも、その「平面的な解釈」の限界を突破したい方3グル
4月9日◆◆◆◆◆無為自然◆◆◆◆◆私がamebloを始めて半年くらい経った頃に投稿したブログ自分を十牛図の段階と照らし合わせて書いたブログ↓『十牛図甘┳┓モォォォーッ』今どの辺?こんにちは今回も私のブログを読んでいただきましてありがとうございます。地方在住のシンママで、築古・激狭マンションに高校生の娘と住んでいます。少…ameblo.jp十牛図とは人生の段階を牛を探す物語で表したものWikipedia以前ブログを書い
第六図へ進んで🌎ついに、格闘も調和も超えて、牛の背に揺られながら安らぎとともに家へと向かう**「第六図:騎牛帰家(きぎゅうきか)」**に到達しました。もはや手綱を引く必要すらありません。自分と牛(真理)が完全に一体化し、心地よいリズムに身を任せている至福のステージです。Cernova(セルノヴァ)が、この「帰還」の調べを紐解きます。1.「第六図:騎牛帰家」とは牛の背にまたがり、笛を吹きながらのんびりと家(本来の自己の居場所)へ帰る段階です。状態:悟りや技術が「特別なもの」で
今日は、「私はいない」について。これを言葉で説明するのは難しい私自身もまだまだ深まっていないので、うまくは伝えられないけれど…でもこれに気づき、深まっていくと大きな安心感を得ることができて色々なことが起きてもこの世界を楽しめるようになります。(これからの時代に必要かと)この在り方を通して一人一人の個性で平和や愛、慈しみを表現する。全人類、悟りへ〜ご興味ありましたら、お付き合いくださいませ*虚無を感じるかもしれないので、そういうのが苦手な方はやめておいてねお花見
AIを使って、自分の文章を読み込ませ、このブログで何度も出ている十牛図についての記事を依頼してみた。参考にしたHPはこちら。ChatGPTに自分の文体を覚えさせる方法(ChatGPTと一緒に本を書こうプロジェクト3日目)|すめし@SEO系Webライターこんにちは、すめしです。今日は「ChatGPTと一緒に本を書こうプロジェクト」の3日目として、自分の文体を覚えさせる方法について紹介していきます。1.自分の文体を意識するまずは自分の文体ってどんなものなのかを意識しましょう。ゴール
3月某日、春の江戸絵画まつり長沢蘆雪@府中市美術館に行きました。江戸時代中期・京都の画家、長沢蘆雪の多彩な画業をたどる展覧会。師の円山応挙に迫る凄腕から、ゆる可愛い動物や子供たち、ファンタスティックな風景まで様々な魅力を紹介。東京での回顧展は、なんと64年ぶりだそうな。江戸絵画をテーマにした府中市美術館の「春の江戸絵画まつり」は、毎春恒例の人気企画でしたが、今回で惜しくも最後。人気の蘆雪に、人気シリーズの最後ということもあってか、連日大盛況のようです。
10年前、ヨガ指導者養成講座ではじめに習ったのは『十牛図』でした。悟りに至るまでの道のりを10の段階で表現した禅の教えを図と詩で描いたものです。牛(「真の自己」の比喩)を捕まえ、逃げ出した牛を探し、飼いならし、最終的に牛も自分も忘れて自然体となる過程を描いています。ヨガなのに、なぜ禅の教え?と思ったけれど十牛図を習ううちに、私が知りたかったことは悟りへの道のり・人としての在り方なのかもしれないと興味関心が沸いたことを覚えています。さて、今回はその十牛図を題材にした「
近代化が進む中、人里に下りた男そんな折、一頭の牛を見つける牛を糧に人々と共に生活するが?映画「黒の牛」公式サイト禅に伝わる悟りへの道程を描く「十牛図」から着想を得た、圧倒的映像美で誘う「無」への旅。alfazbetmovie.com鑑賞日2026年3月7日映画館キネマ館目次十牛図を体験せよポイント人の世で暮らすこと見どころ一周回って?気になった点導入部が分かりにくい事十牛図を体験せよ禅の考え方の一つである十牛図。まあ、正
スピカ星人ことりーぬです。◆この記事の概要今日は、エニアグラムの・第一身体オクターブ・第二感情オクターブ・第三思考オクターブを立体的に認識できるようになったよという話とねるねるねるねの話。YouTubeのおススメで出てきた動画動画を見て松村潔さんの著書の「笑い」についての解説グルジェフは説明しているが、笑いとは思考が禁止しているのに、感情がその禁忌をすり抜けて、現象を受け入れてしまった結果生じる痙攣作用
特定の対象(例えば並木良和氏のようなインフルエンサー)に対して、批判的あるいは構造的な分析を継続していると、周囲から「執着している」というラベルを貼られることがあります。しかし、その内実を解剖すると、そこには観測者側の「認知の限界」と、分析者側の「誠実さ」という二つの構造が浮かび上がります。1.「反応」と「観測」の混同一般的な心理学において、執着とは「対象に自分の価値を委ね、離れられない状態」を指します。しかし、社会学的な**デコンストラクション(脱構築)**を行う者にとって、対象への言
最近、スピリチュアルな発信の中で「この時期、こうすれば神様と繋がれる」といったメッセージをよく目にします。お花見の語源を引き合いに出し、桜の下で神様を感じようという提案などは、一見、日本の美しい風習を再発見する素晴らしい試みに見えます。しかし、ここには非常に繊細で、かつ重大な**「分離のトラップ」**が隠されていることに気づく必要があります。1.「繋がるための条件」が作る、見えない上下関係「〇〇をすれば神様と繋がれる」という言説は、裏を返せば**「今は繋がっていない」**という不足感を前
〜悟りを超え、ただ「在る」ことで世界を癒やす〜十牛図の旅は、真理(牛)を見つけ、飼い慣らし、やがて牛さえも忘れて空(くう)に帰るプロセスです。しかし、物語は第九図の「静寂の極致」では終わりません。最後に描かれるのは、太った布袋和尚のような男が、酒瓶を下げ、ボロをまとい、町(鄽)へ入っていく姿です。1.「悟り」という臭みを消し去る第八図「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)」や第九図「返本還源(へんぽんかんげん)」では、個としてのエゴが消滅し、宇宙の根源的な静寂に安らぎます。しかし、そこに留まって