ブログ記事212件
ローレライのうたというブログ、何度か引用させてもらっているのですが↓http://morinosei2.cocolog-nifty.com/polter/2022/02/post-00139f.html#comments霊気を感じる心霊スポット(八王子城)-ローレライのうた北条氏照家臣墓を訪ねる八王子城は天正18年(1590)、豊臣軍の総攻撃を受けて八...morinosei2.cocolog-nifty.com是非、パソコンでご覧ください。私は何度見ても、これはいいブログだなあ
武田対北条、100円書斎Love。滝山城城攻めマップフリーペーパーや、パンフレットなんかのなかにも、読むと読みでがあって、しかもしっかりとした内容のものもあり、そんな小冊子とかに出会えるととてもうれしい。これはそういう一冊でした。城のパンフってけっこう好き。書くことが決まっているからか、けっこう細かく詳細を書いてあること多いんだよね。そんな城の歴史とか思いつつ縄張りみるのはなかなか楽しいものです。滝山城は、甲斐からの街道を抑えるための城。北条氏照の城ですな。武田信玄の
久しぶりに八王子城攻めに行って来ました。大勢が秀吉に傾いてたので、すぐに落城しましたが、情勢が違えば簡単に落ちる城ではないと感じました。#北条五代#北条氏照#北条氏#城#城跡#八王子市#八王子城#日本100名城#続日本100名城
仙台に行くと、あちこちに伊達政宗が居ます。勿論、本物の伊達政宗像もありますが、政宗をモチーフに使ったキャラや商品などが溢れます。実は伊達家は福島県伊達郡が本拠地の一族で、戦国初期に山形県米沢市に本拠地を移し、政宗も米沢で生まれます。その後、宮城県へと勢力を広げ、現宮城県の大半を有する仙台藩として幕末まで伊達家は続きます。本貫地とは違えど、戦国期から江戸期を通じて数百年の統治がありますので宮城=伊達政宗のイメージは納得です。同様に、江戸期
2024.4.11滝山城は1567年までに築城北条氏照が城主1569年の武田信玄の攻撃にも耐えた氏照は1587年には八王子城に移ったと言われています今でも城郭が広く残っています山桜も見応えあるので行ってみます本日のルート金毘羅神社→本丸→中の丸→大池→二の丸→馬出し50mほど上がると城跡です北方面多摩川昭島本丸跡綺麗に整地されてます中の丸跡きれいに整地されてますトイレとベンチがありますお昼を食べに人がきました見頃もあれば隣は葉桜に高く伸びる桜大池跡に
関東で初めて総石垣の城が築かれたのは1590年の小田原征伐で秀吉が築かせた石垣山城でしたが、それよりも前に築かれた石垣造りの城が金山城でしたただ人によっては石垣ではなく石積みと言う人もいます。「アゴ止め石」は石垣最下部の石を石垣の面より15〜20㎝前に出して据え置く技法で石垣が沈み込んで前へ傾くのを防ぐ為のものと考えられています1590年秀吉の小田原征伐に際して前田利家らが金山城を接収し北条氏照・氏政が自害後、秀吉は由良氏に常陸国牛久に知行5435石を与えますこれは前
左)武蔵野線の東所沢駅から徒歩30分足らずの場所に、滝の城址はある右)規模は大きくないけれど、空堀を多用してシッカリと要塞化されている印象滝の城の出自は明らかではないが、戦国期には北条氏照が入った滝山城(八王子)の支城だったらしい。秀吉の小田原征伐で滝山城が陥落した際に滝の城も陥落したと考えられている。左)敷地に入るや張り巡らされた空堀の跡がアチコチに見られる。底にはまだ雪が残ってますね右)このクラスの城址は空堀の底を歩けるのも魅力(笑)左
2024年1月24日の初地蔵小田原城下の浄土宗寺院巡りの続きです前回の記事↓北原白秋ゆかりのみみづく寺の次は、小田原南町の報身寺さんへ〜小田原南町にある浄土宗報身寺参道山門参道の脇には石仏群えべっさんがおりました小田原七福神の恵比寿神観音様と斜めからの本堂本堂浄土宗寺院の報身寺は、永却山最勝院報身寺と号します報身寺は、寛正4年(1463年)蓮澄法残が創建明治になって潮音寺と合併しました豊臣秀吉の小田原攻めの際に、北条氏照の本陣になった場所だそうです阿弥陀如来の
天海㉒天正18年(1590年)5月14日に鉢形城攻めが行われた。豊臣勢の編成は前田利家1万8千人、上杉景勝1万人、真田昌幸3千人、浅野長政3千人、木村重茲2,300人のほか徳川援軍・大道寺政繁ら総勢3万5千人以上である。一方、城側は北条氏邦の3千人であった。北条氏邦は小田原城籠城に反対し、駿河に進撃して決戦することを主張した。しかし、その意見は受け入れられず、氏邦は一人小田原城を辞し、鉢形城に籠城したのである。10倍以上の豊臣勢に1か月抗戦したが、力尽き6
八王子市の滝山城について、100円書斎Love。マンガでわかる滝山城榎本事務所/色s八王子で貰ったものだと思う。市内の多摩川に面した山にあった北条氏の城について、マンガで解説してる本でした。北条氏照がイケメン風。なかなか、簡単に解説するって難しい??それでも、こんな城があったよって、基本の解説だけでも分かり易いのはいいね。
八王子城と言いながら最寄駅は高尾となります土日には城趾前までバスが出ているので便利です。ここ八王子城は北条氏照が滝山城の防御力の限界を感じさらなる強化を求めて築城されました。小田原北条氏の支城では最大規模を誇ります。その防御は豊臣秀吉の侵攻を意識したものでしたが城主氏照が小田原本城に詰めている際に上杉景勝、真田昌幸、前田利家の軍勢15000人が一夜で落城させ、豊臣の天下統一を加速する舞台となりました。大規模な城割や御主殿へ至る石垣、曳橋に中世北条の息吹を感じることができま
八王子駅からバスで20分強文教都市八王子らしく周りには純心女子学園や創価大学のキャンパスが広がるところに滝山城址はあります。武蔵の守護代だった大石氏による築城と伝わりますその後河越夜戦後に大石氏が北条氏照を娘婿に迎えたことで北条氏が実権を握ることになったあと氏照が滝山城の大改修を施したと伝わります。1569年に武田信玄が2万の兵で滝山城を攻めるも2千の兵で何とか持ちこたえますがここでさらなる防御力を求めて八王子城に築くことで滝山城は廃城となりました。土塁、馬出、空堀などの
おはようございます、たけちです。令和5年11月19日日曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?たけちは、昨日の試験の余韻に浸りつつダラーっとしますよ。さて、今日は8月11日山の日は山城へ後編です。『山の日は山城へ前編』おはようございます、たけちです。令和5年11月12日日曜日、みなさん、いかがお過ごすになりますか?昨日からさいたま市も一気に気温が下がりましたね🥶季節の変…ameblo.jp朝一で八王子城要害地区に登頂(城)したたけちその後、1010ごろ高
おはようございます、たけちです。令和5年11月18日土曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?たけちは、今日、知的財産管理技能検定のため東京大学駒場キャンパスに行ってきます。試験よりも東大に行くことにテンションが上がるたけちですさて、今日は、東京都の100名城八王子城について紹介します。『山の日は山城へ前編』おはようございます、たけちです。令和5年11月12日日曜日、みなさん、いかがお過ごすになりますか?昨日からさいたま市も一気に気温が下がりましたね🥶季節の変…ameb
日本100名城の八王子城址。本丸へはここから1時間弱。はっきり言って、登城というより登山です😅ここまで来れば本丸までもう一息です。階段の上に見えるのが八王子の地名の由来となった八王子神社です。北条氏照が築城する際、八王子権現を城の守護神としたのが始まりということです。ネットで見た写真では朽ちかけた建物だったりしますが、どうやら以前の建物は台風で倒壊してしまい、最近再建されたもののようです。本丸は視界が開けていませんが、直下の松木曲輪からは遠く新宿まで見渡
おはようございます、たけちです。令和5年11月12日日曜日、みなさん、いかがお過ごすになりますか?昨日からさいたま市も一気に気温が下がりましたね🥶季節の変わり目、健康に気をつけないとね。ということで、今日は一日家でゴロゴロぬくぬくしようと思います。さて、今日は、今年の8月11日、山の日の話をします。あのつくばりんりん灼熱地獄ロードから早5日後『つくばりんりんロード①スタートは岩瀬駅〜楽法寺』おはようございます、たけちです。令和5年10月15日日曜日、みなさん、いか
滝山城のシンボルと言ってもいいほどのポイント、引橋です。中の丸と本丸を繋いでいます。写真は堀割りの底から見上げたアングルです。敵兵が迫った場合は、この橋を引き上げて通れなくする仕組み。それほど珍しいものではありませんが、北条家は特にお好きのよう。もちろん復元ですが、この橋は中々雰囲気がありますね。大河ドラマ天地人の撮影にも使われたらしいです。続日本100名城。小田原城の支城として北条氏照が大拡張した関東屈指の名城、滝山城の本丸です。本丸の北側も多摩
突然の思いつきで日本100名城と続日本100名城のスタンプ集めをはじめてしまいましたが、このうち続日本100名城の方は、まだ横浜市内の小机城1つだけ。ということで、今回2城目。八王子の滝山城址に行ってまいりました。横浜線で1時間かけて八王子。さらにバスに20分弱乗車すると、入口に到着です。住宅地の中から竹林の中へ突然の急坂です。でも、急なのはこの部分だけ。あとは、よく整備されたトレイルを気持ちよく歩くことができました。先日訪れた小机城は、平日だったこともあり、怖いくらい人が
今日は朝から晴れの1日となった。朝は富士山が見れたが…あれ?雪がない?😳‼️10月30日にはここまで積もっていたのに…昨日の雨と最近の暑さで溶けちゃったのか?それとも空気が澄んでいなくて見えなかったのかな?😳?今日も高幡不動尊の八十八ヶ所巡りの続きを…更に進んで67番まで来た。近くには沢山の赤い彼岸花が…道はまた上りに…今度は石段が出てきて見れば看板が…高幡城本丸址⁉️ここに城があったのか?😳この辺りに城があったようだ。高幡城は標高130m、比高50mの平山城。詳しい資料はな
ようやく酷暑から解放されたと思ったのもつかの間、早くも初冠雪の便りが届くようになりましたね。紅葉の秋・・・・絶好の季節なのに、今年の秋は、駆け足で通り過ぎてしまうようです。世界に誇れる「日本の四季」も「二季」では洒落にもなりません。最近、活躍の場が激減した我が相棒(カメラ)も、テーブルの隅でうたた寝をしています。紅葉を楽しみにしていたのになあ。そんな相棒が不憫で、我が重い尻にムチを入れ(あ、ムチが無いので布団叩きで)出掛けることにしました。周囲から「歩け」と言われているので
サヨナラ渡辺香津美午後の予定時間には予報通りの強風陽射しも容赦なく気温が上がりひと安心家の行事を執り行い大変久しぶりに叔父、叔母達に会えて元気な顔を見られて、会話もできて今日は無事終わりました同時に足腰が弱ってきた父より元気に動いている母の方が気になってきて考えグセは直せない一層ひどくなるのかと思うとちょっと辛い…この青空***今日訪れた場所のすぐ近く、八王子城跡にて「八
皆様こんばんは!Birdsfeelings♪のグッチーです。今回ドローン撮影させて頂いたのは、小田原成敗により豊臣軍の1万5千人の軍勢により1日で落城してしまったというお城「八王子城跡」です。ちなみにこの写真にある入口向かって右に行くと本丸跡、まっすぐ方向に行くと御主殿跡方向です。本丸跡へ行くにはめちゃくちゃ登山です八王子城合戦戦国時代真っ只中に起きたこの合戦の舞台となった八王子城跡。このお城、悲しく辛い歴史となってしまった理由・・・このお城の城主:北条氏照率いる軍勢は小田原
対話検索型人工知能のbingchat、本日も対話の結果を、掲示していきます。本日第1の話題は、日本最長編小説の、「大菩薩峠」です。この小説は超長いうえに徹底した大衆娯楽小説で、面白いけれど教えられることとかはありません。映画の方が適当に端折ってあって、かつ起承転結もついていてよりお手頃ですが、それでも長いうえに、もう半世紀も前の作で、有料動画サイトを探さないといけないです。本日第2の話題は、カリフォルニアによくある、「サン〇〇」という地名の由来です。現
※こちらの記事は、平成31年2月27日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「合戦における戦術について」シリーズの第8弾ということで「三増峠(みませとうげ)の合戦」について書きます。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の羽村滋氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。参考第1弾勝弦峠の合戦第2弾戸石城の合戦第3弾長森原の合戦第4弾三分一原の合戦第5弾栃尾城の合戦第6弾川中島の合戦
(旧道入口)旧甲州街道の旅は、高尾駅手前の国道20号線多摩御陵入口交差点からになります。西八王子駅入口方面から国道をのぼってきて、当該交差点の150mさき、多摩御陵西信号で旧甲州街道は進行方向斜め右の路地に入ります。入口の国道との間に、時代を感じさせる彫刻があります。これは1964年に開催された東京オリンピックの際、この付近が自転車競技会場に選定され、道路整備が行われたのを記念して、地元浅川中学校の生徒たちが制作したものです。当時の自転車競技(ロードレース)は、この付近をスタート地点と
7月1日、14時より偕楽園ホームにて地域交流会が開かれました。今回のテーマは「戦国時代の八王子」です。八王子氏の郷土資料館から栁沢誠学芸員をお招きし講演をして頂きました。地域の方のみならずご利用者さんや職員まで参加があり好評でした。滝山城や八王子城の映像を流しながら戦国時代の八王子についての興味深いお話が聞けました。八王子城、滝山城といえば北条氏照が頭に浮かびます。今年の大河ドラマは「どうする家康」ですが「どうする氏照」なんて見てみたいです。
「八王子城」スサノオの御子神みなさん、おはようございます蒸し暑いです夏至のチカラはまだ残っていますので外に出て太陽に顔を向けてくださいさあ、今日「6月23日」の國史を学びましょう「八王子城、落城」天正18年(1590年)深沢山の山頂に北条氏照によって築かれた小田原城の支城です氏照は北条氏3代当主・氏康の3男、4代・氏政の弟です知勇を兼ね備え北条氏による関東制覇を成し遂げました秀吉の小田原攻めで前田利家と上杉景勝の大軍により八王子城は落城しまし
少しだけ、身体が楽になりました武相卯歳観音霊場の続きです何処まで書いたっけ?😅永泉寺→上柚木観音堂→永昌院の次は2.5キロ離れた永林寺へ〜永昌院から徒歩35分くらいですが、Google頼りなので、歩くの遅いです永林寺の寺号標総門江戸時代中期の1758年建立徳川家康に赤門の建立を許されました総門の案内板赤門を過ぎると両側には羅漢像16羅漢像の案内板笑佛笑ってるおばあちゃんの像です山門江戸時代前期の1669年建立山門の案内板山門の扁額山門の仁王様勅使門平成24
5月27日(土)は東京都八王子市滝山城の見学会がありました。日本城郭史学会主催の見学会です。今回の見学会は八王子市教育委員会の村山修さんが案内してくれました。城郭史学会の見学会でこれまで滝山城は一度もありませんでした。意外な事に今回が史学会初めての滝山城見学会でした。滝山城石碑滝山城は駅から離れているので、この日の集合場所は城の最寄りバス停そばにある滝山観光駐車場でした。この日の参加者は34人でした。集合時間になると、今回の案内講師の村山さんから説明があり、見学会が始まりまし