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小田原にある伝心庵跡です。伝心庵跡地と伝わる場所。北条氏政、氏照の墓があります。天下統一を果たした関白豊臣秀吉は、天正16年(1588年)、関東八州の領主、後北条家当主・北条氏直とその父で先代当主の北条氏政に上洛して臣従するよう命じます。氏直は徳川家康の次女・督姫を正室としていましたが、家康上洛の際、秀吉は命の保証として妹の朝日姫を嫁がせ母の大政所を人質に出す厚遇をしたのに対し、関東の雄・後北条の上洛に何の配慮も見せないことに難色を示し、氏政の弟氏規を上洛させるにとどめます。名胡桃
トップページ都道府県別索引へ太鼓曲輪の頭から急な道を下り、しばらく気持ちよく尾根を歩いてゆくと、突然正面に通行禁止の看板とトラロープの規制線が現れる。向こうには、ザックリと尾根が掘り込まれた、裂け目…いよいよ、太鼓曲輪の堀切たちのところに到達したか💓ここは看板に従って左側少し手前から斜めに降りてゆく踏跡へと入る。そして…ヤターッ🙌✨ついに太鼓曲輪の最上部の堀切に到達した。しっかりした薬研の断面✨北の方へ竪堀も落としている。側壁は、縦方向に節理の入った露岩。底に石も散乱
トップページ都道府県別索引へ本丸〜詰城〜富士見台と来て、ようやく尾根割防御台を見終わったのは午後2時過ぎだった。ここからは富士見台に戻って南東へ進み、太鼓曲輪のある尾根を目指すぞ〜💨富士見台〜御主殿方面分岐の尾根富士見台は南側にピークがあり、一段下がって平坦な尾根が北西に伸びている。高低差は3メートルぐらいか。ここも、わりと平坦なピーク…詰城側からも杉沢の頭からもけっこうな急登、何よりも周囲がけっこうな急斜面で、城壁の「節」になるような砦に好適そうだった。ここから、少し急な下り
トップページ都道府県別索引へ詰城まで到達し、大堀切を通過したところで昼を過ぎてしまった…ここからは富士見台への山道。遺構は無くなるだろう…ということで、大堀切から西へと続く尾根に登ってゆく。この尾根上は、まったく自然地形のようす。一旦下ってから急登になるなど、尾根自体のアップダウンがけっこうある💦富士見台まで0.3kmの道標がある尾根に登るところも、こんな坂虎口のような見た目😮ここは削平されたようにも見える平坦地の向こう側が立ち上がっているところだが、堀切などは無し。この登
トップページ都道府県別索引へ詰城への道本丸などがある要害地区までは多くの観光客も訪れるところだが、戦国時代最末期の城とは思えないような素朴な、曲輪が数面並んだだけのようにも見えるところだった。ここからは、富士見台の道標に従って西へと下ってゆく。最初はかなりの急坂をつづら折れ。左手に小さな谷が見える。後北条だったらこれぐらいの竪堀も掘っていそうに見えるけど…ある程度下ると、しばらく平坦な山腹のトラバース道になる。これが、けっこう急な斜面を横断している😮この上には本丸の西側に広がっ
トップページ都道府県別索引へ八王子城一帯の山域はコースが整備されていますが、根小屋側から尾根割防御台を目指すとほぼ丸一日コースになります。少なくとも軽登山の体力や装備は必要と思われます。本丸周辺から奥は携帯電話(docomo)の電波がほぼ入りません。登山アプリの地図は事前ダウンロード必須です。また、コースと石垣などの遺構が近接している場所があり、不用意に踏み込むと破壊する恐れがあるので注意が必要でしょう。戦国時代の最末期に北条氏照により築かれ、小田原合戦では氏照の留守に上杉景勝ら1万5
甲州街道(国道20号)を横山町郵便局交差点で曲がり元横山町の住宅街に「八幡八雲神社」の扁額を掲げた朱の鳥居八幡八雲神社鳥居陰に社号柱も一対目の狛犬さん手水舎二対目の狛犬さんに八幡八雲神社の社殿前へなんと三対目、新し目な狛犬さん八幡八雲神社は、八王子市元横山町にある神社八幡神社の創建は、延長2年(924年)に武蔵国国司であった小野隆泰が邸内に岩清水八幡宮を勧請したとされていますやがて任期が終わり此地に永住することとなり小野氏は横山氏と改め、この地を開拓し
東京に出張があったので、帰りに小田原に寄ってみました。小田原は北条5代の後、大久保家、稲葉家、そしてまた大久保家と領主が変わりましたが、市内では圧倒的に北条が人気があるようです。小田原駅前の北条早雲像。とてもダイナミカルな像です。小田原城。立派なお城です。銅門銅門の中では北条氏直を中心に評定が行われていました。これが北条氏直小田原城天守閣市内にある北条氏政(中央右)と氏照(中央左)の墓。氏政は氏直の父、氏照は氏政の弟。2人は秀吉の北
今日は八王子で行われていた北条氏照フェスなるイベントに行ってきました!私は戦国武将の中でも北条氏が大好きで、北条関連の城などもいくつか訪れたことがあります。好きな理由としては地元である関東の覇者であったことや、善政を行ったこと、一族で争うことなく協力して領国を統治していたことなどがあげられます。代々の武将たちも魅力的な人が多いのです。そして北条氏の三代目の北条氏康の三男が北条氏照で、現在の八王子にある、滝山城、八王子城の城主でした。このイベントでは、忍者ショー、甲冑体験のよう
9月15日(月・祝)、東京たま未来メッセ(東京都八王子市)において「北条氏照フェス」が開催されます。参加無料。詳細はこちらで北条氏照フェスを開催|八王子市公式ホームページwww.city.hachioji.tokyo.jpお城のことはこちらでお城ファンクラブ|お城を見て、知って、楽しむサイトお城ファンクラブは観光も楽しみながらお城巡りをし、お城の情報・写真・イベント・本・お城周辺の情報を発信するサイトです。oshirofan.club
トップページ都道府県別索引へ小田野城ないしは伝小田野屋敷は、JR中央線高尾駅から都道61号を八王子西IC方面へ4kmばかり入ったところ、住宅地に隣接するトンネルの真上にある。江戸時代の文献に記録があるだけだったが、都道の建設工事に先立つ発掘調査で遺構が見つかり、掘割にする計画だったのがトンネルに変更されたとのこと。北条氏照家臣の小田野源太左衛門の居城だったとされるとかで、1983年に国指定史跡『八王子城跡』に追加登録された。この日は、夕方から福生のしろうたカフェさんでのイベントに参
トップページ都道府県別索引へ城の遺構と隣り合う民家の敷地は立ち入り禁止なのは勿論、法宣寺境内もお寺さんの意向により遺構への立ち入りや撮影が不可です。冒すと不法なだけでなくトラブルの原因にもなるので要遵守です。栗橋城は東武日光線南栗橋駅から1.5kmほど、権現堂川の調整池「行幸湖」の東側にある。いまは田園地帯の中に民家や社叢林などがパラパラといった長閑な一帯だが、利根川沿いの低地で水害を繰り返し受けていそうなところ。享徳の乱のころ、古河に遷座した足利成氏の家臣野田氏が居城にしたとの
七月十一日です。今日は二つのお題を。・北条政子。・北条氏照。【北条政子。】嘉禄元年(一二二五)の今日、北条政子が死去しました。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の正室として有名かと思います。保元二年(一一五七)に誕生。父・時政が伊豆に流された源頼朝の監査役を務め始めた頃から頼朝と知り合ったと思われます。正治元年(一一九九)、頼朝が亡くなると出家して尼となりました。その後、子である二代将軍・頼家や三代将軍・実朝が殺害されるなど鎌倉幕府は不安定になります。そして承久の乱が勃発します。時に承久
先月は多忙とその疲れから、ブログ更新できませんでした(汗)最近、iPadが古くなってきたので、ついに買い換えました。Apple11インチiPad(A16):11インチモデル、LiquidRetinaディスプレイ、128GB、Wi-Fi6、12MPフロント/12MPバックカメラ、TouchID、一日中使えるバッテリー-ブルーAmazon(アマゾン)さっそく子供の遊び道具と化しています(汗)さて今回は、現在の埼玉県所沢市にあった城、滝の城です。滝の城跡は現在
毎月日帰りで奥多摩や埼玉県や神奈川県の緑の多いところへよく行きます以前は老巨木を見にバス旅行で栃木や茨城にも行きましたそんな時にはよく山城の跡に出会います小高い山の上にある山城の跡には巨木がありますそれがご神体となった社もありますしかし関東地方には江戸時代以前に作られた天守閣のあるお城はありません多くの地元勢力が滅ぼされてしまったからです関東地方は上杉、北条、武田がその勢力拡大のために争った場所で、地元の国人衆は人質を出したり、政略結婚に応じたりして生き残りを図りましたその大勢
前記事では、東京遠征の時に急に思いついて城攻めしたみたいな書き方をしていたが、八王子城については当初計画通りで、急な法事で東京に行くことになった時点で攻略候補として考えていた。早朝に八王子城を攻略して、まだ資料館の開館までは時間があるので、コンビニで朝ごはんを食べて時間をつぶす。予習でもしておこうと、スマホで八王子城を検索して見ていると、城主の北条氏照は八王子城の前は滝山城を拠点にしていたことが判った。地図を見ると、滝山城は10kしか離れていない。サンドウィッチ食べてる場合じゃない!と
世の中GWということで、TVでは盛んに『最長で11連休』という言い方をしているが、本当にそうなのか?カレンダーを見ると、4/27と4/30〜5/2の4日!を有給休暇などで休めば11連休だって。無理やりすぎない?ワタクシがかつて勤めた会社では、有休と別に特別連休(いつでも取れる夏休みの5連休)という制度があったから、有休と特別連休も合わせると18連休だし、いっそ有休全部ぶち込めば最大40連休!www。いくらでも長く言える。大手製造業なら、下手に飛び石で工場を稼働させるより、11連休にして工場
令和7年になってから2か月表示のカレンダーをめくるのも今日で2回目。あと3回めくったらまた新しい年がやってくるのか(汗)。休日の今日はお天気も良いから散歩がてら独りデモ行進でもしようかなと思って外に出たところ調子に乗ってどんどん歩いてたら他人の墓に行き着いて、帰宅したのは17時ちょっと前で朝にバナナを一本食べただけなのに全く腹が減ることは無かったから1日3回食事をしなくても問題無い事を確認できたのは良かった。独りデモ行進中、北条氏照という人物の墓所への案内が矢印で路上に表記されているところに
実は秀久さんの数値が不明だが、予測値で吟味する予定……じゃないとネタが無いし、正しい数値がわかったら後日訂正すればよい。先ずは星5射撃手真田信幸さん敵全体攻撃反射1T無効敵全体物理耐性−20%前列全敵物ダメ0.85中列全敵物ダメ0.85後列全敵物ダメ0.85(列不足時多段ヒット)横列味方攻+60%×2T実は過去に吟味済み『【信長の野望20XX噺】不滅の六文銭(2)』さて、昨日『【信長の野望20XX噺】不滅の六文銭(1)(2024.12.01訂正)』別に分割する人数ではな
期間:2025/04/28〜05/08天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額射)真田信幸:信濃の獅子射)穂井田元清:第四の矢武)井伊直孝:親子鷹の賢将戦)北条氏照:陣取りの手本覇)仙石秀久:汚名返上の誓※倍率不明の為、判明次第反映星2薬)石田重家:練磨©コーエーテクモゲームス
三増合戦場の碑(神奈川県愛甲郡愛川町)合戦イベント「三増峠の戦い」があったのが今年2月。これまで、慣例的に合戦イベントで部隊長となった武将の石高変更を後追いで実施しているんですが、「三増峠の戦い」に関してはほとんどの部隊長が合戦イベント常連のベテラン勢で占められており、すでに石高変更を行った武将ばかりでした。そのため今回は石高変更はありません。一方で、家臣団クエストについては条件の見直しを行うこととなったため、同合戦のクエストについて、4月30日までを移行期間として、
東京都品川区、大森貝塚遺跡庭園の北側300m程の、品川区立品川歴史館。ここからは、鎌倉・室町&戦国時代へ。常滑焼の大瓶。↓↓↓宝篋印塔&板碑。↓↓↓鎌倉公方・足利成氏(しげうじ)が、妙国寺(現・天妙国寺)を室町幕府&鎌倉公方の祈祷所に指定する御教書(みぎょうしょ)。↓↓↓こちらは戦国時代末期。関東の覇者・後北条氏の5代目・北条氏政の弟・北条氏照に対して出された書状。↓↓↓↑↑↑品川宿から農村に逃げた人々を元に戻す許可を求めた物らしい。↓↓↓品川区内で出土した、
2/22(土)小田原万葉の湯から徒歩5分で小田原駅。わ〜!小田原城の天守閣が見えてる駅から徒歩20分。正門じゃない門から城内に入ったから、いきなり天守閣へこんなに気持ちが良い青空だし天守閣から小田原の風景を見たいけど、10日後にもまた小田原に両親と来るしその時の楽しみにとっとこう〜(実は10日後は雨だった)ピンク色や白の梅や、桃は満開ネジネジよじれてる御神木土日だけ公開されてる銅門!10日後来ても平日で見れないから、今日見とかんとね!ところが、顔ハメと同じくらいりぼ
シャンソン告白2回目「あの辺りに城がありました」怜子が平川に訊いた。「あったよ、北条氏の八王子城が。天正年間に北条氏照によって築かれた山城だ」「でも、あまり有名ではないですね」「豊臣秀吉の小田原征伐の時、攻め落とされたからね」「そうだったんですか。見てみたいです」「いまは当時の遺構は何も残っていないよ」「でも平川さんは行ったことがあるんですよね」「大学の頃にね」「友だちと行ったんですか」「ひとりで」「どうして」「今も昔も友だちは多くないんだ」「そうは見えま
週が明ければ開戦となる合戦イベント「三増峠の戦い」。今日がレギュラーの予告としては最後の機会となります。ということで、まだ発表していなかった大手柄武将と総攻撃についてお知らせ致します!お待たせしました~。北条軍の大手柄武将北条氏繁猪俣邦憲上田朝直原胤栄成田氏長風魔小太郎武田軍の大手柄武将武田信廉武田信豊初鹿野昌次曽根昌世真田昌幸今回の合戦は久しぶりに両軍で大手柄武将の人数が異なります。北条軍は6人で武田軍が5人となっています。オレンジ色
一昨日部隊長の発表があった合戦イベント「三増峠の戦い」。続いて本日は論功行賞と最低必要軍功の発表を行います!全参戦者参戦者全員に、協賛楽座特典「龍勢・竹筒水・寄進の太刀」の3点セットを贈呈!勝利軍勝利軍全員、家臣団コレクションで「黄梅院」の登用が可能に!軍功第一の部隊両軍通して軍功第一の部隊全員に、10,000貫を贈呈!軍功ランキング両軍軍功上位1~50位までの方へ、それぞれ所定の「大分銅金」他を贈呈!さらに、両軍特定の順位と
永禄12年、甲府を発し北へと軍を進めた武田信玄は、碓氷峠から上野国へ入るや一転南下して武蔵国へとなだれ込んだ。駿河進出を背後から脅かす北条氏康に決戦を迫るためであった。北条氏邦が守る鉢形城、氏照が守る滝山城に猛攻を仕掛け動きを封じた信玄は、大胆にも北条領を縦断し長駆小田原を衝いた。しかし氏康もさるもの、挑発には一切乗らず城門を固く閉ざして持久戦でこれに応じた。両者互いに譲らず戦線は膠着し、やがて城攻めの不利を悟った信玄が囲みを解き甲斐へと退却を開始、決着は持ち越されたかに思えた。しかし
今日は新年初登城ということで、国史跡八王子城址へ行きました。本気で登る気なら朝早く出かけてガイドさんと登るべき山城!山登り好きな方はしっかりした装備で登ることをおすすめいたします。北条氏照の墓も近くにあります。城めぐりの私の目的は第1に豊かな自然観察、第2に建物です。歴史はあまり得意ではありません。何度も登っているので、今日は百名城スタンプだけ頂いて帰りました。ご近所の続百名城滝山城も行こうか悩んだけど、もう少し調子が良い時にしようと止めました。1日山城2つはキツイよね。
本年最後の「シロスキーのお城紀行」の投稿です。1年間ご覧いただき有難うございました。この記事の最後にあらためてご挨拶を記載していますのでご覧くださいね!それでは本年最後、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届けいたします。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」に
2024.12.15菅谷館から関越道・圏央道で八王子市にある滝山城に向かう。城近くの道路沿いに無料駐車場がありそこに車を停め歩いて登る。駐車場近くには滝山城跡の碑。都立滝山公園として整備されているため、足場が悪く登りづらいと言うことはないが、丘陵部にあり登りが続く。まず千畳敷と呼ばれる曲輪に出る。かなり大きい。場内でもいちばんの大きさだと説明板に書かれていた。千畳敷の近くには馬出しがありそこから奥への侵入を防いでいる。さらにコの字形土橋があり敵を側面から敵を攻撃できるよう設計