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シャンソン告白2回目「あの辺りに城がありました」怜子が平川に訊いた。「あったよ、北条氏の八王子城が。天正年間に北条氏照によって築かれた山城だ」「でも、あまり有名ではないですね」「豊臣秀吉の小田原征伐の時、攻め落とされたからね」「そうだったんですか。見てみたいです」「いまは当時の遺構は何も残っていないよ」「でも平川さんは行ったことがあるんですよね」「大学の頃にね」「友だちと行ったんですか」「ひとりで」「どうして」「今も昔も友だちは多くないんだ」「そうは見えま
週が明ければ開戦となる合戦イベント「三増峠の戦い」。今日がレギュラーの予告としては最後の機会となります。ということで、まだ発表していなかった大手柄武将と総攻撃についてお知らせ致します!お待たせしました~。北条軍の大手柄武将北条氏繁猪俣邦憲上田朝直原胤栄成田氏長風魔小太郎武田軍の大手柄武将武田信廉武田信豊初鹿野昌次曽根昌世真田昌幸今回の合戦は久しぶりに両軍で大手柄武将の人数が異なります。北条軍は6人で武田軍が5人となっています。オレンジ色
一昨日部隊長の発表があった合戦イベント「三増峠の戦い」。続いて本日は論功行賞と最低必要軍功の発表を行います!全参戦者参戦者全員に、協賛楽座特典「龍勢・竹筒水・寄進の太刀」の3点セットを贈呈!勝利軍勝利軍全員、家臣団コレクションで「黄梅院」の登用が可能に!軍功第一の部隊両軍通して軍功第一の部隊全員に、10,000貫を贈呈!軍功ランキング両軍軍功上位1~50位までの方へ、それぞれ所定の「大分銅金」他を贈呈!さらに、両軍特定の順位と
永禄12年、甲府を発し北へと軍を進めた武田信玄は、碓氷峠から上野国へ入るや一転南下して武蔵国へとなだれ込んだ。駿河進出を背後から脅かす北条氏康に決戦を迫るためであった。北条氏邦が守る鉢形城、氏照が守る滝山城に猛攻を仕掛け動きを封じた信玄は、大胆にも北条領を縦断し長駆小田原を衝いた。しかし氏康もさるもの、挑発には一切乗らず城門を固く閉ざして持久戦でこれに応じた。両者互いに譲らず戦線は膠着し、やがて城攻めの不利を悟った信玄が囲みを解き甲斐へと退却を開始、決着は持ち越されたかに思えた。しかし
今日は新年初登城ということで、国史跡八王子城址へ行きました。本気で登る気なら朝早く出かけてガイドさんと登るべき山城!山登り好きな方はしっかりした装備で登ることをおすすめいたします。北条氏照の墓も近くにあります。城めぐりの私の目的は第1に豊かな自然観察、第2に建物です。歴史はあまり得意ではありません。何度も登っているので、今日は百名城スタンプだけ頂いて帰りました。ご近所の続百名城滝山城も行こうか悩んだけど、もう少し調子が良い時にしようと止めました。1日山城2つはキツイよね。
本年最後の「シロスキーのお城紀行」の投稿です。1年間ご覧いただき有難うございました。この記事の最後にあらためてご挨拶を記載していますのでご覧くださいね!それでは本年最後、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届けいたします。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」に
2024.12.15菅谷館から関越道・圏央道で八王子市にある滝山城に向かう。城近くの道路沿いに無料駐車場がありそこに車を停め歩いて登る。駐車場近くには滝山城跡の碑。都立滝山公園として整備されているため、足場が悪く登りづらいと言うことはないが、丘陵部にあり登りが続く。まず千畳敷と呼ばれる曲輪に出る。かなり大きい。場内でもいちばんの大きさだと説明板に書かれていた。千畳敷の近くには馬出しがありそこから奥への侵入を防いでいる。さらにコの字形土橋があり敵を側面から敵を攻撃できるよう設計
高幡不動の次は京王八王子駅を経由してバスで浄土宗の大善寺へ〜京王八王子駅は何度も乗り降りしてますが京王八王子駅からのバスは初めてで、乗り場が全く分からず右往左往🏃🏃😵💫相変わらずでございます😅最寄りバス停🚏から歩くこと10分大善寺の山門が見えて来ました〜敷地は広そうですが諸堂はコンパクトの様です回向柱と正面は本堂手水舎六地蔵お地蔵様足元にもちっさなお地蔵様が沢山〜大善寺本堂浄土宗寺院の大善寺は、観池山往生院大善寺と号します天正年間(1573〜1592年)北条氏照が
本当はこの日、東京競馬場でジャパンカップがあったので、行くつもりで入場券までネットで入手していたのですが…。この週末にとっても…大変、いろいろなことがございまして(遠い目)。薬師如来様の管轄で起こったトラブルだったので、この薬師如来ゆかりの公園までやってきたのです。24日当時はまだ紅葉は浅く、見ごろはこれからといった感じでした。「薬師池公園周辺は、戦国時代には北条氏照の支配領域であった。」と案内板の冒頭に書いてあるあたり、北条氏照が町田界隈でいかに人気者だったかがしのば
さて…戦国歴史小説も前ほど読みませんが、たまたま今村翔吾の短編を図書館で借りまして…。なかなか、オモシロイです。ひとつの話が六~八千字位すかね。短編というか掌編に近いのかもですかね。東日本編ということで、東日本の24県位の各県代表武将を取り上げる。企画ものというのですかね。そもそも、戦国時代に県なんて無いすもんね笑、かなりテキトーな気も。例えば山口県は長門と周防の二国だし~~。日本は六十六州でしたっけ、たしか。あまり期待せず図書館で借りましたがそこそこオモシロイ。取
今日は郵便局に行かなきゃならなかったので、昼過ぎから行動開始🏣近所なので、すぐに用事は済んだけど、どこかに行こうと渋滞情報を見ると、四方八方渋滞に囲まれてる😥渋滞は嫌だなぁ😮💨近々「北条氏照まつり」もあるし、久々に行ってみるか…って事で、地元の八王子城跡に行く事にした🏯これが有名な御主殿の滝😢その理由は…ただ本丸跡まで行こうと思ったが、靴が靴だったので途中で戻る事に…😥なんか小日向文世と板垣李光人が出てきそうな道だな😁そして腹が減ったので、何か食べようと思ったが、帰りに買い物を
※こちらの記事は、平成31年2月27日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「合戦における戦術について」シリーズの第8弾ということで「三増峠(みませとうげ)の合戦」について書きます。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の羽村滋氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【戦術シリーズのこれまでの記事】・第1弾勝弦峠の合戦・第2弾戸石城の合戦・第3弾長森原の合戦・第4弾三分一原の合戦・第5
所沢市の滝の城跡と滝山神社を訪ねた。城址は県道179号線にあるバス停『城』から200mほど先にある。入口には、城の縄張り図がある。城好きには必見。(小田原)北条氏の家紋と『所沢滝の城』と書かれた幟がはためいていた。歴史好きの心をくすぐる。至る所に深い空堀本丸跡はここから僅か。二の丸手前の空堀滝山神社の鳥居が見えてきた。この鳥居の先に二の丸跡がある。二の丸へ。かつては、ここに二の丸の櫓があった。二の丸から見た空堀。二の丸という城の大事な軍事施設を敵の侵攻から防ぐため、堀
8月10日出来事2003年(平成15年)-沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港駅-首里駅間が開業。沖縄県で第二次大戦後初の鉄道。2006年-ロンドン旅客機爆破テロ未遂事件が発生:イギリスはロンドンにあるヒースロー国際空港で起こった同時航空テロ未遂事件。忌日1128年(大治3年7月17日)-藤原清衡、奥州藤原氏の祖1541年(天文10年7月19日)-北条氏綱、戦国大名。後北条二代目1564年(永禄7年7月4日)-三好長慶、戦国大名1590年(天正18
名称:滝山城別名:武州瀧山城、横山城、城郭:連郭式丘城築城年:1521年築城主:大石定重改修者:北条氏照主要城主:大石定重、大石定久、北条氏照所在地:八王子市高月町指定文化財:国史跡続日本100名城空堀千畳敷馬出二ノ丸大馬出土橋中ノ丸引橋枡形虎口南側枡形虎口本丸井戸跡霞神社縄張図
名称:八王子城別名:武州八王寺城城郭:連郭式山城築城年:1587年築城主:北条氏照主要城主:北条氏照所在地:八王子市元八王子町3丁目指定文化財:国史跡日本100名城柵門跡金子丸高丸小宮曲輪松木曲輪本丸八王子神社八王子城陰陽図
日本遺産、100円書斎Love。八王子城フリーペーパーや、パンフレットなんかのなかにも、読むと読みでがあって、しかもしっかりとした内容のものもあり、そんな小冊子とかに出会えるととてもうれしい。これはそういう一冊でした。城のパンフってけっこう好き。書くことが決まっているからか、けっこう細かく詳細を書いてあること多いんだよね。そんな城の歴史とか思いつつ縄張りみるのはなかなか楽しいものです。八王子城は北条氏の城。北条氏照が築いた城ですね。それまでの滝山城から城下町ごと移転してき
6月14日㈮八王子城跡高速で2時間ちょいかけて八王子へサンコウチョウ見られたら良いな〜お初の場所なので勝手が分からずコゲラやヤマガラ撮ったりキビタキ探したりサンコウチョウ見られなかったら史跡巡りでも良いよね〜って思っていたらサンコウチョウいたとりあえず証拠写真一応熊よけ鈴持って行ったけれど誰もつけていなかったわ最近忘れ物をして困ったものは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
・・・・・・・・・・・・・・・❖・・・・・・・・・・・・・・・十数年前に埼玉県の『養蚕・絹の道』について若干齧ったがその当時「養蚕と民俗(くらし)」のテーマで耳にしなかった関係を当ブログを進めている中で知る事に・・・それは2022秋埼玉県北の[日本神社448]&[百体観音堂・さざえ堂449]を参詣の際立寄った「本庄市観光農業センター(埼玉県本庄市児玉町小平653)」・・・
ローレライのうたというブログ、何度か引用させてもらっているのですが↓http://morinosei2.cocolog-nifty.com/polter/2022/02/post-00139f.html#comments霊気を感じる心霊スポット(八王子城)-ローレライのうた北条氏照家臣墓を訪ねる八王子城は天正18年(1590)、豊臣軍の総攻撃を受けて八...morinosei2.cocolog-nifty.com是非、パソコンでご覧ください。私は何度見ても、これはいいブログだなあ
武田対北条、100円書斎Love。滝山城城攻めマップフリーペーパーや、パンフレットなんかのなかにも、読むと読みでがあって、しかもしっかりとした内容のものもあり、そんな小冊子とかに出会えるととてもうれしい。これはそういう一冊でした。城のパンフってけっこう好き。書くことが決まっているからか、けっこう細かく詳細を書いてあること多いんだよね。そんな城の歴史とか思いつつ縄張りみるのはなかなか楽しいものです。滝山城は、甲斐からの街道を抑えるための城。北条氏照の城ですな。武田信玄の
仙台に行くと、あちこちに伊達政宗が居ます。勿論、本物の伊達政宗像もありますが、政宗をモチーフに使ったキャラや商品などが溢れます。実は伊達家は福島県伊達郡が本拠地の一族で、戦国初期に山形県米沢市に本拠地を移し、政宗も米沢で生まれます。その後、宮城県へと勢力を広げ、現宮城県の大半を有する仙台藩として幕末まで伊達家は続きます。本貫地とは違えど、戦国期から江戸期を通じて数百年の統治がありますので宮城=伊達政宗のイメージは納得です。同様に、江戸期
2024.4.11滝山城は1567年までに築城北条氏照が城主1569年の武田信玄の攻撃にも耐えた氏照は1587年には八王子城に移ったと言われています今でも城郭が広く残っています山桜も見応えあるので行ってみます本日のルート金毘羅神社→本丸→中の丸→大池→二の丸→馬出し50mほど上がると城跡です北方面多摩川昭島本丸跡綺麗に整地されてます中の丸跡きれいに整地されてますトイレとベンチがありますお昼を食べに人がきました見頃もあれば隣は葉桜に高く伸びる桜大池跡に
関東で初めて総石垣の城が築かれたのは1590年の小田原征伐で秀吉が築かせた石垣山城でしたが、それよりも前に築かれた石垣造りの城が金山城でしたただ人によっては石垣ではなく石積みと言う人もいます。「アゴ止め石」は石垣最下部の石を石垣の面より15〜20㎝前に出して据え置く技法で石垣が沈み込んで前へ傾くのを防ぐ為のものと考えられています1590年秀吉の小田原征伐に際して前田利家らが金山城を接収し北条氏照・氏政が自害後、秀吉は由良氏に常陸国牛久に知行5435石を与えますこれは前
左)武蔵野線の東所沢駅から徒歩30分足らずの場所に、滝の城址はある右)規模は大きくないけれど、空堀を多用してシッカリと要塞化されている印象滝の城の出自は明らかではないが、戦国期には北条氏照が入った滝山城(八王子)の支城だったらしい。秀吉の小田原征伐で滝山城が陥落した際に滝の城も陥落したと考えられている。左)敷地に入るや張り巡らされた空堀の跡がアチコチに見られる。底にはまだ雪が残ってますね右)このクラスの城址は空堀の底を歩けるのも魅力(笑)左
2024年1月24日の初地蔵小田原城下の浄土宗寺院巡りの続きです前回の記事↓北原白秋ゆかりのみみづく寺の次は、小田原南町の報身寺さんへ〜小田原南町にある浄土宗報身寺参道山門参道の脇には石仏群えべっさんがおりました小田原七福神の恵比寿神観音様と斜めからの本堂本堂浄土宗寺院の報身寺は、永却山最勝院報身寺と号します報身寺は、寛正4年(1463年)蓮澄法残が創建明治になって潮音寺と合併しました豊臣秀吉の小田原攻めの際に、北条氏照の本陣になった場所だそうです阿弥陀如来の
天海㉒天正18年(1590年)5月14日に鉢形城攻めが行われた。豊臣勢の編成は前田利家1万8千人、上杉景勝1万人、真田昌幸3千人、浅野長政3千人、木村重茲2,300人のほか徳川援軍・大道寺政繁ら総勢3万5千人以上である。一方、城側は北条氏邦の3千人であった。北条氏邦は小田原城籠城に反対し、駿河に進撃して決戦することを主張した。しかし、その意見は受け入れられず、氏邦は一人小田原城を辞し、鉢形城に籠城したのである。10倍以上の豊臣勢に1か月抗戦したが、力尽き6
八王子市の滝山城について、100円書斎Love。マンガでわかる滝山城榎本事務所/色s八王子で貰ったものだと思う。市内の多摩川に面した山にあった北条氏の城について、マンガで解説してる本でした。北条氏照がイケメン風。なかなか、簡単に解説するって難しい??それでも、こんな城があったよって、基本の解説だけでも分かり易いのはいいね。
八王子城と言いながら最寄駅は高尾となります土日には城趾前までバスが出ているので便利です。ここ八王子城は北条氏照が滝山城の防御力の限界を感じさらなる強化を求めて築城されました。小田原北条氏の支城では最大規模を誇ります。その防御は豊臣秀吉の侵攻を意識したものでしたが城主氏照が小田原本城に詰めている際に上杉景勝、真田昌幸、前田利家の軍勢15000人が一夜で落城させ、豊臣の天下統一を加速する舞台となりました。大規模な城割や御主殿へ至る石垣、曳橋に中世北条の息吹を感じることができま