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祖父は私の父である息子に自分の後を継がせるつもり、というか自分が成し遂げられなかったら、そのあと、息子が我が意思を継いでくれればと願っていたのだ。その為には学問を身に付けさせねばならない。当時は学校というものはない、代わりに教養を身に着ける場が寺であった。それで父・峯丸(道三の幼名)が11歳になると自分と同じように妙覚寺に預けた。父は勉学にいそしみ何でも吸収して、18、9歳の頃には寺でも秀才と謳われる人物だったそうだ。学問として習える物を全て習い、祖父に呼ばれて美濃国に行った。祖父の新左衛
2024.02.02久しぶりの城めぐり。今回は静岡県にある続日本100名城の中でまだ行くことのできていない2城(#145興国寺城、#146諏訪原城)を巡る。まずは興国寺城。沼津市の西側、愛鷹山麓の南の裾野に築かれた。伊勢新九郎盛時(北条早雲)が今川氏親よりこの地を与えられ、ここから伊豆を平定し、更には北条5代100年にわたる関東支配の礎を築くきっかけとなった城として有名。ただ、現在の城跡はそれよりずっと先、家康が関東移封後に改修されたものとのことだ。南に駿河湾、海に近いところを街道
※こちらの記事は、平成30年3月24日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの5回目で「川越(かわごえ)城の合戦」についてです。『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の長谷圭剛氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。「川越城の合戦」も収録されている『関八州古戦録』に興味のある方は、下記リンクをタップしてください:『関八州古戦録』今までの記事第1弾江古田原沼袋合
※こちらの記事は、令和2年7月31日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第24弾として、「権現山(ごんげんやま)の戦い」について、ビジネス的視点で見直したいと思います。【ビジネスに活かす戦国合戦術シリーズの過去記事(抜粋)】第1回今山の合戦第2回耳川の合戦第3回沖田畷の合戦第4回小豆坂の合戦第5回長良川の合戦第6回桶狭間の合戦第7回稲葉山城の合戦第8回金ヶ崎城の合戦第9回姉川の合戦第10回二
期間:2024/01/23〜01/30天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額薬)今井宗久:飛躍の昨夢戦)太田資正:道灌の再来覇)大谷吉継:金蘭の契り戦)三好義興:副王の大器戦)北条早雲:倫道二十一箇星3戦)島津忠恒:心眼・参覇)田村宗顕:機特効・参星2覇)籠手田安経:機特効・弐©コーエーテクモゲームス
今回は、伊豆半島一周の前に立ち寄った小田原城を紹介します。小田原城は小田原駅から近く、案内では徒歩10分となっています。次の写真の奥の白い建物が小田原駅で、ここは「お城通り」です。この通りには、土産物店などが並んでいます。この通りの先に小田原城が見えています。城の正面入り口から入るためには、少し回り道をするので10分以上掛かります。二の丸東堀に来ました。奥に見える赤い橋は、学橋です。学橋は渡らずにもう少し先に進みます。左奥に見えているのが、正面入り口に向かう
後の北条早雲と呼ばれる伊勢新九郎が30を超えての話になる、文明18年から長享に入る。甥の龍王丸の対抗馬である今川新五郎(小鹿範満)の後ろ盾となっていた太田道灌が家中の揉め事で主君に殺害された事を好機とみて、龍王丸を駿河に帰すべく準備にとりかかる新九郎だったが、問題が山積。そうこうしていくうち、どうにも進展しない駿河の状況下に業を煮やした新九郎は…。いつもながら、史実を軸にしてここまで面白く、登場人物が魅力的なものにしてくれているのには、感服するばかりである。戦国に入ろうとしていると
小淵沢あたり、100円書斎Love。Club大人の休日倶楽部会員誌2023年12月Clubは大人の休日倶楽部の会員に送られてくる会員誌なんだけど、けっこう面白い記事があったりして楽しみにしていたりする。2023年12月号は「北条早雲と海から支えた謎の水軍」と題して、北条氏の初期の躍進を支えた水軍のことなど。正直、初めて聞いたわ北条水軍。たしかに伊豆を支配していれば水軍もあったであろう。知らなかったことを紹介してもらうのは嬉しいね。「牧水は酒飲み詩人の大先輩」と
①井原鉄道・井原線・早雲の里荏原駅の駅名標です。所在地は、井原市東江原町856-4。②駅前のロータリーです。③掲げられたノボリ。「北条五代を大河ドラマに!」そうです。早雲の里の「早雲」とは、小田原北条氏の礎を築いた北条早雲なんです。この辺りの出身だとか。伊勢新九郎なんちゃら?だったかな(^_^;)室町幕府の役人だったけど、応仁の乱で混乱する都を去り、小田原辺りで名を上げました。私の個人的な思いとしては共感できます。小田原北条氏もなかなか面白いと思うけど
後北条氏二代目の北条氏綱の墓参りです。北条氏綱とは関東の戦国大名、後北条氏第2代。早雲の子。家督相続は虎の印判状が使用され始めた1518年(永正15)とみられる。父の遺業を継ぎ、武蔵方面へ領国の拡大を図った。24年(大永4)に上杉朝興を江戸城に攻略。そのころ伊勢から北条に改姓し、上杉氏にかわって関東を支配しようとする意を内外に示した。32年(天文1)には焼失した鶴岡八幡宮の再建に着手し、8年後に大工事を完成させて、その力量を関東諸将や畿内に誇示した。この間、甲斐、駿河、下総に兵を進め、
今回は、早雲寺にあります北条家の墓参りです。はじめに、北条早雲の墓参り。北条早雲とは関東の戦国大名、北条氏初代。伊勢新九郎長氏ともいう。入道して早雲庵宗瑞と号す。一介の素浪人説が流布し、美濃の斎藤道三と並んで、下剋上の時代を代表する人物とされるが、室町幕府政所執事伊勢氏の一族であることはほぼ確実である。1483年(文明15)幕府申次衆となった伊勢新九郎盛時をその前身とみる有力な説があり、単なる素浪人ではない。初め足利義視に仕えて67年(応仁1)の伊勢下向に従ったが、妹が今川義忠の室とな
※こちらの記事は、平成30年3月4日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「各合戦の動員人数について」シリーズの4回目で「第一次国府台(こうのだい)の合戦」についてです。今回は『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の長谷圭剛氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。合戦の経緯について詳しく知りたい方は、下記リンクをタップしてください:第一次国府台の戦いに学ぶ―「~はずがない」は失敗フラグ関連記事:各
今回は、箱根まで足を伸ばし参拝です。箱根湯本駅より15分移動し、早雲寺にやってまいりました。総門中門鐘楼本堂早雲寺由緒大永元年(1521年)、北条早雲の遺言でその子北条氏綱が京都大徳寺第83世以天宗清を招き創建されたと伝えられている。だが、大徳寺側の記録では大永元年当時の以天宗清は同寺にいたとされているため、創建年次に関する2つの異説が唱えられている。岩崎宗純は宗清が韮山の香山寺にいた永正年間にまだ健在であった早雲の依頼で湯本に「早雲庵」と呼ぶべき前身寺院を建
昨夜は久しぶりに図書館で借りた本を読んでみた。何回も借りなおしている。読書がいっこうに進まなかったのには訳がある。ネット漫画を見ていたからだ。無料で見れるとこまでいろんなのを見ていた。楽しめるんだけどいいところで有料になり完結まで見れない。だからやっぱり今年からネット漫画をやめて本を読もうと思ったのだ。上巻を読み終わった。まだ戦国時代がはじまる前、応仁の乱のころの混乱期に戦国の走りとされた北条早雲の話。混乱の中でどう頭角を表していくのか次が楽しみだ。
TaCaTripです。今回は久しぶりの関東地方。神奈川県の小田原市になります。[CM]旅行したくなったら。自分も色々なサイトを使わさせて頂いてます。ありがとうございますまずは地図から。今回は神奈川県小田原市にある小田原城に向かいます🏯スタートは小田原駅🚉駅構内の大きな提灯(ちょうちん)が出迎えてくれました🏮その名も「小田原ちょうちん」。折りたたみ可能で山折りと谷折りが交互になっている蛇腹形が特徴的な提灯です。小田原城に行く前に小田原駅の北口へ。北条早雲の銅像です。北条早雲
年末から今日まで家族が長めに頂いたお正月休みそれも今日でお終いですそこで今日はマロくん連れでお出かけをしました気付けば今日は成人式艶やかな着物姿のお嬢さん達を背景にパチリ🥰皆さんとても綺麗✨小田原城址公園の天守閣前にはこうした記念撮影の方々と普段の観光の方々が混じりあって華やぎと穏やかさと静かな空気が流れていましたおやすみ何処で売っていた"三福だんご"周りの人が美味しそうに食べていたのでつられて一串買って三人で分けました"みたらし"にしたけど"胡桃味
※こちらの記事は、平成21年1月11日に書かれたものです。こんにちは。今回は、日本中世史を勉強している人にはおなじみの阿部猛さんの著書『下剋上(げこくじょう)の社会』についてです。「下剋上」といえば北条早雲(ほうじょうそううん)とか斎藤道三(さいとうどうさん)、松永久秀(まつながひさひで)などを思い浮かべると思いますが、この本は誰か特定の人物の列伝を書いたものではなく、「下剋上」の時代の社会風俗について書いた本です。学術論文です(笑阿部猛氏の著書が気になる方は、下記リンクをタップし
12月29日朝、新東名駿河湾沼津サービスエリアのスマートICで降りて興国寺城へ。興国寺城は一般的にはそれほど有名じゃないかもですが、続日本100名城に選ばれた名城です。北条早雲が今川氏親から与えられた城で、早雲はここを根拠に堀越公方を襲うところから戦国時代が始まったとも言われます。2022年には鎌倉殿の13人絡みで訪れた願成就院で敗れた側の堀越公方足利茶々丸のお墓を発見した(「伊豆村の駅から北条の里へ」というブログに上げました。)件とここで繋がりました。駐車場は三ノ丸にあり、
○混迷の関東、虎の目覚め◇『新九郎、奔る!』第1話プロローグより明応二年(1493年)伊豆国北条の堀越公方御所にて「室町殿奉公衆伊勢新九郎盛時、三十八歳!主命により足利茶々丸様の御首(みしるし)頂戴に参上仕った!」(ここまではやる!だがこの後のことはもう決めたぞ・・俺が決めた!思えば簡単なことではないか。明日からは俺の主は俺だ!)◇『新九郎、奔る!』紹介サイト『新九郎、奔る!』ゆうきまさみ|ビッグコミックBROS.NET(ビッグコミックブロス)|小学館ゆうきまさみ「
何気に明日まで。決断はお早めに。もちろん、『回さない』という決断も。先ずは星4戦術早雲さん。吟味済み『【信長の野望20XX噺】赤井輝子ピックアップと無気力』イベントで忙しくて気にならないでいられたけれど、結局、大名ガチャは師範ガチャであったし、星5光秀はおろか星4さえ1体も来なかった……もう愚痴る気力もないわ。さ…ameblo.jp〈一言二言〉ゴミみたいなスキルと微妙な固有。ハズレ……でも今なら大丈夫!23日をお楽しみに!次は星4射撃北川殿さん。吟味済み『【信長の野望20
今回は、今年3月に訪れた静岡県伊豆の国市の韮山城の続きです「余湖くんのホームページ」より、縄張り図お借りします、前回は4郭から2郭まで攻城しました1郭(本丸)に上がります到着前回と同様、先の5郭へは立ち入り禁止でした行きてぇ〜あの先へ周辺案内図周りには付城や砦跡がわんさかあります余湖くんのホームページより、行きたかったけど私有地が多くて多くは立ち入り禁止のようです眼下には先ほどの高校、眺めも良くて北条早雲を偲ぶには最適な場所です本丸を降ります2郭へ2郭と3郭の間の堀切を
今年3月、静岡県伊豆の国市で北条邸跡、守山城、伝堀越御所跡、蛭ケ島公園と回ったあと、本命の城を訪れました2度めの訪城となるその城は韮山城です韮山城は文明年間(1469年~1486年)に堀越公方・足利政知の家臣、外山豊前守による築城とされ、伊勢宗瑞(北条早雲)が、明応2年(1493年)2代目堀越公方・足利茶々丸を攻め滅ぼし、伊豆に進出していく際に本拠とした城です早雲は、相模にまで領土を広げたのちも小田原城に移ることなく、没するまでここを居城としています早雲の死後、北条氏と改姓した2代目氏綱
100名城めぐりの旅が終わったのでまたまた近場の小田原北条家めぐりです。前に紹介した伊勢宗瑞(北条早雲)は玉縄城から三浦半島・三浦家を攻めます。三浦同寸は3年に渡る籠城戦のすえ1516年に降伏。ここで相模平定が完成します。三浦家最後の居城新井城へはすでに行っているのでこちらの記事をご覧下さい『【神奈川県三浦市】三浦氏最後のお城”新井城”ついでに油壺をちょい散歩』三浦市油壺にあるウオーキングコース。海沿いをウオーキングついでに三浦一族終焉の城となった”新井城跡”も見
今日は海も穏やかで暖かく富士山の雪も少なめです毎日隣りの県から富士山ストーカーしているみたいですが今日は伊豆長岡に向かっていますつい先日新幹線使ってお土産買って旅行気分の静岡でしたが朝起きて思い立って饅頭買いに行くという事になりました温泉街の駅前にある柳月さんにいつも行きます大正5年創業だそうでザックリ100年以上の和菓子屋さんまさか当時から使っている訳ではないでしょうがそれにしても年期の入った蒸篭です小ぶりで丁度良い大きさとほんのり塩味がマイルドで
守山城は、堀越公方・足利政知の御所の詰城だったとされ、政知の長子・茶々丸が伊勢盛時(のちの北条早雲)に攻められた時に立て籠もったとされています
※こちらの記事は、平成30年2月16日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は新シリーズ「各合戦の動員人数について」の3回目で「新井(あらい)城の戦い」についてです。今回も『歴史と旅』増刊「日本合戦総覧(昭和63年1/10臨時増刊、秋田書店)」の新井英生氏の記事を参考にしています。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。今までの記事第1弾江古田原沼袋合戦第2弾権現山の戦い「新井城の戦い」はどんな戦いかというと…伊豆(いず)を平定し、小田原(おだわら)城を
箱根の坂司馬遼太郎著最近さまよっていた鎌倉時代から南北朝時代を飛んで応仁の乱、そして戦国時代へその戦国時代の火付け役、北条早雲が主人公の物語武田信玄、徳川家康などの3、5代前の武将とも合戦をする年貢をほとんど持っていかれる時代に年貢4割という民を考えた政治を行ないたいがための駿河から箱根の坂を越え、小田原領地強奪それから約100年後に戦国時代は終わり日本は統一されてゆく
天と地と海音寺潮五郎著毘沙門天の化身、越後の虎、軍神と称される上杉謙信が主人公意外に締めくくりは童貞男のラブストーリー第5次川中島の戦いのうち、第4次まで描かれているなので作中では謙信の名前ではなく政虎であるちなみにその前が景虎時代背景は北条早雲の孫の代そして戦国時代の改革者の大天才織田信長が桶狭間の戦いで今川義元を破ったあたり
勤労感謝の日。感謝されるほど働いてないhiroは奥様と、11月とは思えない陽気の小田原へ。目的はお刺身食べ放題!東海道線で小田原のひとつ先、早川駅下車、徒歩5分程の「漁港の駅TOTOCO」。1階は産直品の販売、2階はフードコート、そして3階が目的地。おさしみ天国小田原海鮮GOGO。59分のお刺身ビュッフェです。開店直前に到着して整理券を発券。10組目だったのですぐ案内されました。着席して儀式(←恥ずかしがらずに!)が済んだらスタート。刺身はビンチョウマグロ、サーモン、アカゼムロアジ、ブリ、
たまには撮り鉄してみまっしょ。。。「10分くらい待ったら、通るよ」って。。。来たぁ!!!ぁぁ~ラッピング車両でした。。。なんだろう・・・武士かなぁ。。。「“戦国列車”が井原鉄道を走る!」北条早雲らをデザインしたラッピング列車10月15日出発進行【岡山~広島】|ニュース岡山・香川|RSK山陽放送(1ページ)井原線沿線観光連盟と井原鉄道(本社・岡山県井原市)は、沿線の歴史的魅力を発信しようと、10月からラッピング列車を走らせ