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はーい!奈央でーす。安土城には残念ながら登れなかったヘタレの私です。でも、今度こそは、登るのだ!(marine:リフトがあるからでしょ。)あーん。黙っててよ。さて、本能寺の変、清州会議の後、織田信長の後継者争いは、柴田勝家と羽柴秀吉の二人に絞られてきました。そして、遂に、天正11(1583)年3月、雌雄を決する戦い、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦が始まったのです。賤ヶ岳合戦屏風絵郷土の顔作り事業余呉の庄と賤ヶ岳の合戦HPよりお借りしました。賤ケ岳の場所を確認しておきましょ
皆の者、息災か。加藤清正である。けふは忍者隊の凛と共に中部国際空港セントレアへと出陣して参った。多くの民が遠方から、或いは遠方へ参る空の玄関口。この者はどこから来て、どこへ参るのであろうか。そのような事に思いを馳せながらおもてなしを致した次第。世は夏休みの期間という事もあってか童が多く参っておった。我らの姿を見、駆け寄ってくる姿のまこと愛しい事。名古屋城とは違った出会いがあり心踊る限りじゃ。さてまた本日は雷によってスカイデッキが一時閉鎖されるという一幕もあった。雷もまた夏を感
今朝の福岡は…雨☔️しばらくは雨の日が続くみたいで少しは涼しくなるのかな?旅2日目…この日は早朝から移動して九重の山へ行こうと思ってたのに事前に仕入れた情報では前日から九重の天気良くないらしい…でもとりあえず九重方面へ移動してみると…🚙💨九重連山は完全に雲の中😣☁️☁️☁️すると雨がポツポツと…☔️悩んだ結果、台風も接近中だし九重だったら日帰りでいつでも行けるしって事で今回の登山はパス❗️予定変更で阿蘇の草千里に行く事に…🚙💨阿蘇市内は良い天気だったのですが草千
7月の終わりごろから漠然と、夏は九州に行かねばならんな…と思っていたものの、場所はわからなくて、とりあえずタスクに「九州旅」と書いておいた。既に8月も後半、これはもう行かないんじゃないかと消そうと思ったら、昨日ポンっと行き先が決まる。熊本。それもお城の方。震災からほどなくして訪れた熊本城は、崩れた石垣が痛々しかったのを覚えている。上の方には熊本城主だった加藤清正の神社があって、そこもご挨拶した。だから縁がないことはないんだけれど、武将が呼ぶとは珍しい。お世話になってるの、加賀藩の前田
神功皇后さま。1500年前は確実に日本のシンボルだった。もちろん、存在しえない架空の人だったかも。明治維新後の紙幣には神功皇后が描かれているし。平山旅館の温泉♨️横に❗神功皇后様なぜに?神功皇后が応神さまを産んだ場所の伝説は各地至るところにある。それが、ここ、湯之元にもあるんです。ホンダワケノミコト(応神天皇)のお母さんは、神功皇后といわれているし。やっぱり、竜神さまは、息子の化身よね。また、この絵も素晴らしい。聖母宮、香椎宮にも、神功皇后さまは、いる。聖なる母は、どうすればよい
皆の者、息災か。加藤清正である。今日は秀吉様、利家様、太助、凛太郎とともにイオンモール扶桑店に出陣して参った。コスモエコロジー殿と共に、地球温暖化を防ぐオール電化についての案内戦。多くの者が足を止め見入ってくれて嬉しい限りじゃ。演武の後は手合わせ会。今の世で言うところのハイタッチ会じゃな。何を隠そうこの儂、蘇った折に行って以来の手合わせ会であった。集まってくれた皆の衆、ありがとさん。して今日は秀吉様のご命日。皆で秀吉様を囲み、崇め奉った。ん?名古屋城夏まつりも今日で終わり
戦国武将の銅像を追いかけて早数年となった私ですが、最近ではこの暑さや体調のこともあってか、すっかり銅像ハンティング活動ができてません。しかしながら、この間、久々に福島正則さんの銅像を拝むことができました。その時に「普請姿」の武将像をまとめてみたらどうかなと思いましたので、ここでまとめておきます。【加藤清正(名古屋城二の丸)】名古屋城二の丸から西の丸にある「清正公石曳きの像」。正門近くの天守をのぞむ名古屋能楽堂前にも清正公さんの銅像がありますし、城内にも「清正石」なんてのもあります。
夏休み29日目、昨日に引き続き、名古屋です今日はまず、ホテル近くの喫茶店でモーニングを頂きましたコーヒーに+20円で小倉トーストセットに。ついでにお菓子まで(笑)チェックアウト後は、徳川美術館へ移動して「大坂冬の陣図屏風」を見てきましたよ⬆︎大阪城。中央に秀頼と淀殿⬆︎真田丸⬆︎家康の本陣⬆︎右上に秀忠陣⬆︎本町橋の夜撃ち徳川美術館では、「合戦図展」をしていて長篠の戦い、関ヶ原の戦いの他、
こんばんは!今日は暑かったですねー☀️!そんな今日は10月公演の舞台「Lullaby」のチケットが、12時より販売開始しました!https://s.confetti-web.com/detail.php?tid=53563&※カンフェティ会員登録が必要です公演詳細はこちら!https://www.shingidan.com公式ハッシュタグはこちらで決定!#smc15周年#ララバイ2019ぼくは加藤清正を演じさせて頂きます!加藤清正の史実や本を読んでいると、今まで演
※鍛刀したわけでは無いです。昨夜、とあるツイートを見てテンションの上がった私は、戦国無双4の新武将機能で同田貫正国を作ってみました。(※高クオリティを求める方はMMDへGO!)いやもう、あの顔をこの3Dに落とし込むのそもそも無理だと思ってたので、ほぼほぼステで同田貫役を演られていた武子直輝さんを参考にさせて貰いました。勝手にスミマセン💦(山伏の時は抗ったのに!)ちょっと同田貫感が足りないか?…と思って、こんな装飾↓を足してみました。ここまでやるとちょっと
田や畑に、作物が実らなくなった。手入れの途絶えた土地は痩せ、植物は病に冒された。大地が毒を飲み、腐った死体を分解する能力を失った。大陸からの熱風が吹き荒れ、砂が宙を舞った。砂はそのうち蝗の大群へと変わった。蝗害の通った土地には、何も残らなかった。倭人の進軍は続いた。もはや糧秣の現地調達すら滞りがちとなっていた。兵は目先の略奪に心を奪われ、欲望だけを生きるよすがとしていた。倭兵は秀吉の恩賞を疑わなかった。切った人間の鼻は全て恩賞だった。どの兵の顔も青ざめ、腹をくだし、目だけが燐光を放ってい
〖夏到来!!熱中症にも気を付けて!〗↓♪こちらからどうぞ♪↓☆紋次郎SHOP☆入口↑こちらをクリック↑入口★8月のおすすめ商品★《空調服フード付き》【暑い夏を乗り切れ!!】空調服フード付きポリエステル製長袖ブルゾンリチウムバッ…¥18,200(税込)フード付きポリエステル製長袖ブルゾンBP-500BF空気漏れの少ないソフトな風合いのクラレ製ポリエステル生地を使用しています。ヘルメットの上からもかぶることができる大きさのフードは、襟元に収納可能です。裾廻りは調整ヒモを
皆の者、息災か。加藤清正である。此度は徳川様と共に、名古屋城夏まつり盆踊りに出陣して参った。櫓に上がり民達と共に身も心も一つとなる。盆踊りは先祖供養と、人同士の繋がりを深める意義ある催し。宗教行事と娯楽の要素が詰まった、文化的に見ても非常に興味深いものじゃ。参加の一歩を踏み出すのは勇気のいることかもしれん。じゃが盆踊りの円にいるのは、そなたの参加を心待ちにする同志のみじゃ。臆せず心の向くまま楽しんで欲しい。これからも我らは踊って踊って踊り倒して参る。まだ盆踊りの昂りを知らぬそ
明治神宮清正井(きよまさのいど)清正とは加藤清正のこと清正が掘ったんじゃないかと言われています自然界の水の中で一番好きなのが湧き水地下からこんこんと綺麗な水を出し続ける大地、地球の恵み清らかで心まで浄化されるこの美しさ自然と拝みたくなる明治神宮清正井での不思議な出来事は↓こちら♪
八本目の槍1,944円Amazon「童の神」がとても面白かったので、今村翔吾の新作「八本目の槍」を読んでみました。この本もとても面白くて390頁程の長編でしたが、あっという間に読み終えてしまったという感じです。今村翔吾「童の神」感想-正に平安版「ワンピース」の面白さ「八本目の槍」紹介文秀吉の配下となった八人の若者。武勲を上げた七人は「賎ケ岳の七本槍」とよばれるようになる。「出世」だけを願う者、「愛」だけを欲する者、「裏切り」だけを求められる者―。己の望みに正直な男たちは、迷いな
ひろしま県民LIVE!「今年は浅野氏広島城入城400年!浅野氏って?」広島県広島県と「ぽるぽるLIVE」がコラボレーションしたインターネット番組「ひろしま県民LIVE!」。今回は、警戒レベルについてご紹介。防災クイズにも挑戦します!〈あの人を訪ねて〉「きやま創作劇」脚本・演出福永真理子さん(46)佐賀新聞基山町制施行80周年の今年は4年ぶりに町のシンボル「基肄城(きいじょう)」をテーマとする「こころつないで」を上演する。6月から練習を始め、夏休みに入り、...名古屋城と熱
皆の者、息災か。加藤清正である。けふは月に一度の全員演武。天候にも恵まれ、皆に見て貰う事が出来実に嬉しく思う。先月直垂を観る事が出来なんだ者は、此度はよい機会となったかな。これからも折々に触れて披露して参る。楽しみにしておいてくれ。城を退陣後は信長様、凛太郎と共に太田の盆踊りに参戦。多くの民と共に武将隊盆踊りをはじめ様々な謡曲を舞い踊った。我らが祭に参る事により民に元気と勇気を与えられる。そのような事を実感しまこと幸甚なる限りじゃ。「風は清し月はさやけしいざともに
【問題】加藤清正の家臣で、朝鮮出兵中に敵に降り、そのまま同地で生涯を終えた伝承を持つ人物の名は、次のうちどれか?【選択肢】斗衣汰務埜稚華志儀沙也可【正解】沙也可【解説】朝鮮出兵中、明や朝鮮に投降した日本兵が少なからずいたという。朝鮮で沙也可(さやか)の名で伝わる人物は、加藤清正配下の将で、投降後は現地で生涯を終えたとされるが、その事績などは伝承によるところが多い。
皆の者、息災か。加藤清正である。此度は秀吉様、利家様、踊舞、凛太郎と共に城に出陣して参った。先週は肥後に行っておったが故、一週間ぶりの城での演武。何やら不思議な心地が致す。皆の見るなか心の儘、思いを載せて槍を振るう。やはり城はいい。魂が一つになる様がありありと感じられる。明日は我らが十人演武。皆々、ふるって参陣あれ。熱中症には気をつけてな。加藤清正
皆の者、息災か。加藤清正である。此度は太助と共に名古屋城へ出陣して参った。実に暑く、強き日差しに心身共焼かれる日であったな。皆はどのように過ごしたかの。我らは木陰に寄り、戯れに「蝉の抜け殻」を探し歩いた。蝉の抜け殻は古来「空蝉」と呼ばれ、夏の風物詩として親しまれておった。古今和歌集にも数首収められておるで、その中からここに一首記したい。「空蝉のからは木ごとにとどむれど魂の行方を見ぬぞ悲しき」蝉の抜け殻は木に残っているが、蝉の行方が分からぬのが悲しい。そのような歌
皆の者、息災か。加藤清正である。けふはホテルナゴヤキャッスル内、「日本料理西の丸」へと出陣して参った。此度の献立は「春姫御膳〜姫めぐり〜『立花誾千代』筑後を訪ねて」じゃ。その名の通り今の福岡の名産特産をふんだんに使い、誾千代殿の気風も盛り込んだ実に粋な膳となっておった。此度も多くの客人と話す事が出来、まことに良き時を過ごせた。遠くから来てくれた者もおったな、ありがとさんじゃ。昼の最中に酒を飲む皆の姿、羨ましく思うておったぞ。九月には儂の家臣団ツアーがある。その折は皆で酒を酌
皆の者、息災か。加藤清正である。先日、九月十三日に公開さるる「人間失格太宰治と3人の女たち」の試写に行って参った。大文豪太宰治殿の生涯が、丹念且つ艶やかに描かれまことに耽美的な映像運びであった。此の儂清正。蘇ってより純文学を学んで参ったが、太宰治殿の人間性、脆さにこれほど共感出来る事はこれまでなかった。不道徳、頽廃という印象が付き纏う太宰殿であるが、その心はひとえに自らの居場所を求めていた赤子のようなものであったのかとはたと気が付いた次第である。折々映される自然の情景の見事な事。
こんにちは、スタルペスです。「明日(日曜日)は一日家にいよう!」と家内と話ていたのですが、ムズムズして近くの古墳を探しにいくこととしました。目的地は、熊本市のすぐ隣町、熊本県益城町です。熊本市東区と隣接している住宅地の中に目的地「葉山古墳」はあるようです。車を進めていくと道の真ん中に遺跡のようなものがあります。古墳の石室の石にしてはあまりにも大きいので車を停めてみてみます。※交差点の真ん中に巨石が・・由緒書きには「猫伏石」と書かれています。由緒書きによると・・・あ
皆の者、息災か。加藤清正である。けふは信長様、太助と共に電波戦に参った。此度は戦国音絵巻に全編通しての初陣。聴いてくれた皆々、楽しんでくれたかな。武士語変換は信長様に軍配が上がったぞ。流石は信長様。実に御見事な変換であった。掛詞茶会は実に面白いな。公家太郎様ともお会いする事が出来重畳じゃ。これからも腕を磨き、良き言葉を紡いで参りたい。さて此度の武士りくは儂が紹介させてもろうた。儂が皆に聴いて貰いたかった曲はザ・イエローモンキー殿の「バラ色の日々」。儂が四百年前より座右の
皆の者、息災か。加藤清正である。此度は秀吉様、慶次殿、太助の四人で肥後国は熊本、火の国まつりに参陣して参った!!肥後国は儂が築いた国。そして儂の第二の故郷。昨日、そして今日の二日間と参ったが、まことに濃い二日間であった。まず一日目の昨日。この日は高速長鉄籠を乗り継ぎ、僅か四時間強で肥後へ。四百年前の道のりを思えばまことに便利になったものよ。肥後到着後は、すぐに熊本市の皆。そして熊本城おもてなし武将隊の皆々と顔を合わせた。我らが熊本にかける思い、そして名古屋の良きところをよく
皆の者、息災か。加藤清正である。今日は太助と共に城に出陣して参った。三十八度という人肌に勝る気温の中、我らは涼を取る為花鳥風月を求め茂みに分け入った。多くの者を集め、結果として太助の生き物講座が繰り広げられる事となり実に楽しい一日と相成った。気温が高いとはいえ、やはり日陰は涼しいものじゃな。地に親しみ、風を感じるとその想いも倍となる。「夏山の影をしげみや玉ほこの道行き人も立ちどまるらむ」夏山の木陰は茂っておるが故、道を行くものも涼を取る為立ち止まるのだろうか、といっ