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昭和と聞いて思い浮かぶのは?▼本日限定!ブログスタンプ力道山シャープ兄弟
岩手県大槌町の山林火災、凄まじいですね🔥消防の方達も頑張ってはいても、自然のパワーにはなかなかね。火も水も、人間がコントロール出来るような代物ではないんでしょう。。せめて民家に被害がでない事を祈っておきましょう💦さ、DVD📀なんか、ふと見たくなってゴソゴソ探してようやく発見👀2005年の作品、『ALWAYS三丁目の夕日』まずはパッケージからフムフムと👀【携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。】【第29回日本アカデミー賞最優秀賞12部門受賞
昨日のカフェ活はサイクリングで本門寺のカフェCafethymon黒糖カフェ・オ・レそしてそのまま自転車で御本堂まで行ってしまいました多分ダメだろう…本来は業者の車が入る道かもでしたがいつのまにか御本堂に上がってました…ちょっとお参りして…知ってます?私も実際見た事はないんですけど格闘技の方の有名人ですよねそしてフェイスブックを見ていたらこんな投稿が…私作の根付です懐かしい❣️そしてそんな日のお夕飯は豚肉と長芋のマヨ・オイスターソース炒
第1部から合わせると辞典のような分厚さになる小説をようやく読み終える。たった七日間しかなかった昭和元年に生まれた四人の子どもは激動の戦後日本を生き抜き、それぞれの道で時代を創り上げる。昭和という時代そのものを克明に活写した大作。自民党太田伴睦、政界のフィクサー児玉誉士夫、暴力団組長町井久之、田岡一雄、読売新聞渡辺恒雄、力道山、その他政治家、芸能人など実在の人物と思われる人物が名を変え登場し史実と虚構が交差して物語が展開する。両親が進駐軍(もはやこの言葉を知ってい
私はおそらく幼年期からのプロレスファンで、さすがに力道山の試合は知りませんが(力道山が現役のまま暴漢に刺された傷が元で死没したのは私が2歳の時)、その後のジャイアント馬場の帰国後からのエースとしての活躍と、アントニオ猪木が若獅子として台頭して来た時代をテレビ観戦できたのは幸せなことだと思っています。
嫁と息子と出掛けてきましたお花見、天気悪かった嫁の手作り弁当ドライブがてら横浜へここは外せないでしょお土産買いました自分用横浜をぶらぶら新横浜ラーメン博物館に来ましたチャルメラおじさんレトロな雰囲気ミニラーメン「博多一双」
皆さま、お早うございます。寺社仏閣マニアな旅するコピーライターのふじやんです。昨日、4月8日は灌仏会。お釈迦さまの誕生日なのでお祝いに行きました。住まいの沿線上最大のお寺さん。日蓮宗大本山池上本門寺日蓮聖人入滅の霊場です。池上本門寺ウェブサイトhonmonji.jp故郷の英雄、加藤清正公が寄進した石段。元熊本県民は、テンションが上がります。お約束。灌仏会でも超絶晴れ男!大堂(祖師堂)空襲で焼失したため昭和39(1964)年に再建。初代の大堂
本行寺をお参りした後、池上本門寺へ!階段を上ります。とても大きな「大堂」です。長崎の「平和祈念像」の作者である北村西望氏による日蓮聖人像です。御首題を拝受しました。たくさん記載されていてとても嬉しく感じました!ずっと憧れていた池上本門寺。青空がきれいな年末に行けて良かったです。
こんにちは今回は赤坂界隈です。明治から昭和の歴史と事件の舞台をなったところを行ってきました。スタートは四ツ谷駅です。atreもあってきれいになりましたね。四ツ谷と言えば上智大学外堀に近い素晴らしい立地のところにあります。そして迎賓館。今回は入りませんが、1,500円で内覧することができます。迎賓館前庭には垂直に噴き出す噴水があります。よく水不足で噴水は止めることを多いので貴重です。外堀通りから赤坂方面です。ホテルニューオータニ新館、やはり目出ちますね。外堀です。
(これは、2013-01-3100:22に更新した記事です。)なんだろね~…。例えば…、矢沢の永ちゃんって言えば、そりゃ、私たちの時代の代表的なスターですよ、スーパースター、カリスマ、グレーテスト彼の言葉は、あまりにも直線的だった。「俺、金が欲しかった。」「金があればいい車に乗れる。」「金があれば大邸宅に住める。」その通り!!。物おじせず、本音を言う姿に引き込まれました。ただ、やはりどうしたって、私は、大山倍達総裁の直弟子だったからには…、総裁の言葉を思いだします。総
長年の東急線ユーザーなのに、池上に行ったことがなかった。横浜⇔渋谷間以外の支線には疎い。しかし、桜の名所と聞いて、やっと池上本門寺へ花見に行った。きゃーっ、こんなに石段があるとは知らなかった。うちのアメリカ人旦那の大好物であるイカ焼き、近頃はどこの屋台で見ても、胴体まるまるだと1200円する。半身で700円、ゲソで600円。これほどまでの五重塔があるとは知らなかった!江戸時代(慶長12年、1607)将軍秀忠の時代に建てられ、関東大震災をも生き抜き、400年以
今回の池上本門寺こんな著名な方の墓所にも行きました「政治家は義理と人情」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」こんな名言を残した昭和中期の政治家自民党副総裁であり、衆議院議長だった大野伴睦先生です日本プロレスのコミッショナーとしても有名だった御仁老虎の立派な石像がある大きなお墓こちらは、お馴染み力道山先生桜満開昨日の雨で散っていなければ、もう一度くらい行きたいな・・・・そんな花見好きの国際紅流拳法道連盟でした。
本日は、雨天このところ、東京は雨も少なく、この季節恒例の🌸🌸桜の開花状況確認のためのパトロールも開花宣言の翌々日3月21日から慣行前半の花見状況は、追ってアップしますが・・・・・m(__)m今回は、昨日の池上本門寺お馴染みの日本??プロレスの父の力道山先生の墓所新日本プロレスTシャツ姿の小生、元レスラーに見えなくない事もない・・・・・かもなぁ~んちゃって(´∀`)毎年申し上げている事ですが・・・・人生、あと何回この季節を迎える事が出来るのかそんなファイナルカウント
相模湖・藤野地域の知られざる歴史“幻の開発計画”に触れる時間相模原市立公文書館で開催中の企画展へ行ってきました。職員の方から直接レクチャーを受けながら見学しましたが、とても興味深い内容だったので、ぜひ、多くの方に足を運んでいただきたく、ご紹介いたします。企画展のテーマは「幻の昭和の開発事業―相模湖・藤野地域―」相模湖の完成、東京オリンピック開催、中央自動車道の開通などで大きく動いていた昭和期。この地域では、実は数々の大規模な開発計画が進められていました。しかし、さまざまな事
プロレス考察その5アントニオ猪木日本プロレス時代馬場はもと野球選手たしか最年少15歳で名門巨人のピッチャーとなったその後大洋ホエールズに移り風呂場で滑って大ケガ腕の腱を切った?ピッチャーが出来なくなったそこを力道山がスカウト入門時から特別待遇で順風満帆アメリカで大活躍猪木は神奈川県出身たしか14歳のころ家族でブラジルへ移民コーヒー園で働き奴隷生活しばらくして余裕ができた頃スポーツを始める円盤投げか槍投げをやっていきなりブラジル大会で優勝その頃た
ゴッチ🆚ハッケンシュミットルー・テーズ力道山プロレス考察その4日本のプロレスの簡単な歴史について今のネットの情報は嘘が多いため私がその当時見たこと、やや遅れて得た知識で書きますプロレスは昔アメリカとヨーロッパで盛んでした昔はアマレスの技術を基本としていたようですその後打撃技とかもはいり見せる要素が大きくなりました最初の世界選手権は間違っていたらすいません最近ボケが多いので自分で確かめてくださいアメリカ代表フランクゴッチとヨーロッパ代表ジョージ
プロレス考察その2日本プロレス時代前半のジャイアント馬場力道山が昭和38年に刺されて死亡その後は豊登(とよのぼり)がエースとなっていた怪力豊登であったが力道山より小柄たぶん175センチ大きな身体のアメリカンレスラーと戦うのは体格が違いすぎて見るからに無理だろうという感じだったその頃はプロレスの人気も下がっていたその頃のメインの日本人レスラーは小柄な人ばかりよくて180センチぐらい若手には190センチぐらいの人がいたがまだ若手で外人レスラーとの試合は
ふプロレスの考察その1特に現在のネットでは調べずに書きます私が何十年もリアルタイムで見てきた、生試合、テレビ、新聞、雑誌から得た知識によりお話しますとくにプロレス雑誌に載っていた試合直後のレスラーのインタビューは試合の興奮そのままにレスラーがしゃべっているので本心が伝わってきますこれが一番貴重ですねなぜに今現在のネットを見ないで書くかといえば現在ネット、YouTubeで出ている情報はリアルタイムで見ていなかった若い人が後日でてきた書物、映像、インタビュー、
またもや思考スイングによって、スイングを思いついたので本日試す予定。スイングの思い出し方としては、力道山。シンプルで力強いスイングを想定。【脇遠残】(わきとおざん)脇…脇を意識して構える遠…バックスイングでできるだけクラブヘッドを遠くに残…ダウンスイングで右に残る『シャープ兄弟も悪くない』
「川上哲治物語背番号16」(1957)元祖2000本安打の名打者の半生記ムービーをYouTubeで観ました。初見。監督は滝沢英輔。現在、2週間限定配信中。熊本県球磨郡大村(現在の人吉市南泉田町)に生まれた川上哲治(かわかみてつじ)の少年時代から物語はスタート。商売下手な父(河野秋武)の家庭に生まれた哲治は、全態本小学校野球大会で大活躍した投手としての素質を見込まれて名門熊本工業に進学。九州一と評される名捕手吉原(宍戸錠)とバッテリーを組んで夏の甲子園に出場するも、決勝戦で
3月20日は”長州力さんの日”です。長州さんの本名は”吉田光雄”です。3(み)2(つ)0(お)プロレスラーにはもう一人、光雄さんがいます。力道山の次男、百田光雄さんです。百田さんは77歳で現役最高齢のプロレスラーです。引退した74歳の長州さんとどちらが強いでしょうか。いやいや、強さだったらパーマン1号(須羽ミツ夫)ですよ。「そうですよね。パーマンには勝てませんよね。人間だもの」by相田みつを
今日はマンション管理員のバイトデー札幌の気温は最高6℃の最低2℃と“マイナス”気温が無くなったとは言え、まだ“空き地(公園)”には、積雪が残っとるよガソリン価格は“あの”値上げから変動無しで職場到着駐輪場の掃除をしていたら、先日の自転車を仕舞わなかった方が来られ、駐輪場から自転車を出して出掛けられたこのまま続くと良いのだが…(毎年そう思ってる)そうそう、掃除中のザンダカに気づかず部屋から出て来られた入居者さんを驚かせないように始めた『鈴』https://ameblo.
『ちょこっと雑学』[[今日は何の日]]今日はカメラ発明記念日(3月19日記念日)です。1839年のこの日、フランスの画家・写真家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(LouisJacquesMandéDaguerre、1787~1851年)が写真機を発明した。この写真機は発明者の名前をとって「ダゲレオタイプ(daguerréotype)」と呼ばれ、長時間露光させるため写真機の前で長い間じっとしていなければならなかったが、大変な人気を集めた。ダゲレオタイプは銀メッキをした銅板などを感光
一番好きな漫画を教えて!▼本日限定!ブログスタンプ(*'▽')[漫画週刊誌の日]少年サンデーの創刊号の表紙が「長嶋茂雄」1959年3月17日に創刊された『週刊少年サンデー』(小学館)の創刊号の表紙は、当時読売ジャイアンツの若きスターだった長嶋茂雄選手が飾りました。この創刊号について、いくつか興味深いポイントがあります:同時創刊のライバル:同日に講談社から『週刊少年マガジン』も創刊されましたが、マガジン側の表紙は当時の横綱・朝潮太郎でした。表紙の構成:当時のサンデ
3月14日土曜日〜その4P142〜149、アラン・ドロン氏と赤坂のナイトクラブニューラテンクォーターの薄暗闇の中で、チーク・ダンスを踊った話が登場する。(写真)山本信太郎氏の『昭和が愛したニューラテンクォーター』には、其の空間がいかに上流階級の社交場だったことが記されている。世間的には、力道山が刺された店としても有名。8時より9時25分まで三度寝。首のストレッチ。四股10回。体重67・5キロ。飲料は、カルシウムの多いミルク。10時10分出発。伊賀上野まで出て、治田ICから名阪国道へ上がる
私たちはいつからか、「快適さの集積こそが幸福である」という幻想を抱くようになりました。しかし、あらゆる不便や不快がAIによって削ぎ落とされた先に待っているのは、至福ではなく「空虚な平坦さ」かもしれません。なぜなら、人間の精神には「対比(コントラスト)」によってのみ幸福を認識するという仕組みが、あらかじめプリセットされているからです。この設計図を最も雄弁に物語っているのが、ゴルフというスポーツの構造です。もしゴルフが「平坦な芝生の上で、ただ穴にボールを入れるだけの散歩」
日本人の知らないヒーローの顔戦後間もない日本に、ひとりのヒーローが現れた。街頭テレビに人々が群がり、白黒の画面の中で巨大な外国人レスラーを相手に空手チョップを叩き込む男。その姿に、多くの日本人が胸を熱くした。その男の名は力道山。敗戦によって自信を失っていた日本人に勇気を与え、「プロレス」という娯楽を国民的スポーツへと押し上げた存在である。昭和史を語るうえで欠かすことのできないヒーローだ。しかし、本作は、私たちが長年抱いてきた英雄像に真正面から切り込む。なぜなら、この映
大谷選手も合流し盛り上がりも感じます。初代世界一(2006年)王監督お疲れ様でした。世界一連覇(2009年)原監督ありがとうございました。日本14対3台湾(2006年)このようなスッキリした試合をお茶の間で見たいものですね。ところが今大会からネットフリックスさんの独占中継で地上波で見ることができません。なお日本テレビさんが関連番組を放送されるとのことです。三丁目の夕陽の頃のように力道山プロレスの試合を街頭テレビに多くの人だかりが集まる光景が令和の時代に復活するかもしれません。
細田昌志「沢村忠に真空を飛ばせた男昭和のプロモーター・野口修評伝」(講談社文庫・上下)元首相の若槻礼次郎男爵を襲撃した右翼で、その後上海に渡り児玉誉士夫や佐郷屋らの右翼系フィクサーとも関係を築き、戦後に帰国した後は日本一の拳闘士となった野口進を父に持ち、後に興行の世界で暗躍したのが、今回の主役である野口修である毀誉褒貶が激しい・・・いや、実際には関係者には嫌われているが、ソノ輝かしい実績は今も色褪せてはいないッ俳優志望の一空手家を新たな格闘技・キックボクシング界のとして「沢村忠」
2026/2/20撮影。この日、隣接する「池上梅園」に行ったのだが、こちらにもいっしょに訪れようと思っていた。昭和のプロレス好きの方々ならご存じかもしれないが、力道山の墓地があるお寺である。こちらのお寺は敷地が広く立派である。「総門」から入ると、いきなり急な石段が見える。途中には、早咲きの桜が咲いていた。石段を上がってその先の「仁王門」、こちらには一対の木彫りの筋骨隆々の金剛力士像がある。実はこれ、アントニオ猪木氏(以下、敬称略)にモデルをお願いして、1978年に作