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2026年2月12日木曜日解説板発見『国指定史跡大塚山古墳』「河合町観光ボランティアガイドの会」が作成されていますここから入れそうですが…ダメですよね明治天皇の野立所となったことを示す石碑が建っているらしいのですがそれも見れないの?…書いてあるのに場所の記憶が怪しいですが確か後円部の横に伸びる道前方部右隅のはず気になる溝もう一度、角度を変えて前方部前面左に見える祭祀基壇の様な場所が気になる前方部左隅まできました近寄れそうで近寄れない
馬見丘陵の中央部に位置する北向きの大型前方後円墳で、墳丘全長約220m、後円部径約130m、高さ約19m、前方部幅約112m、高さ約16.5mの規模があり、左右のくびれ部に造り出しを設けています。前方部の西側には出島状遺構があり、蓋、家、盾、水鳥、囲、柵等の埴輪が出土しています。周濠底から遺骸を運ぶ霊柩船が見つかっていました。埋葬施設は後円部中央に竪穴式石室が2基、前方部にも石室が造られていました。出土遺物は勾玉、管玉、棗玉等の玉類と鍬形石、車輪石、石釧等の石製品、滑石製の刀子、斧が知られていま
とある休日暇時間に余裕のある一日だったので本日もプラプラとお散歩に出かけるたどり着いたのは・・・多摩川浅間神社この神社、祀られてるのが木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と言う日本神話でもトップクラスの美女なんですなので、ご利益が・家庭円満・安産・美しさ・華やかさざっくりと、恋・家庭・女子力全開の全部盛り神社けっこうな階段を登りますなんでこんな上にあるのか・・・その理由はのちほど・・・ミニチュア版の白糸の滝がありますww富士山にあ
熊谷市指定記念物史跡横塚山古墳□所在地中奈良□所有者(管理者)個人古墳の代表的な形態である前方後円墳で、全長は約40m、後円部径22.5m、高さは後円部で3.2m、前方部で2.5mです。国道407号線工事に伴って、昭和46年(1971)と昭和52年(1977)の2度の発掘調査により周溝の一部や円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪などが発見されています。古墳の年代は、出土した埴輪から5世紀後半と考えられます。□指定年月日昭和44年9月11日(熊谷市江南文化財センターwebsiteより
朝日天神山古墳群は日田市にある2基の前方後円墳です。朝日小学校の近くに登り口があります。長い階段を上ると朝日天満宮があります。1号墳。前方後円墳、6世紀後半の築造。全長33.8m、後円部径20m、前方部長さ16.5m。周溝あり、周溝含めた総長54.3m。後円部と前方部に横穴式石室がありました。朝日天満宮を建てたときに、後円部が大幅に削られています。敷地は広いのに、なぜ後円部を壊したのかは理解に苦しみます。2号墳。前方後円墳、6世紀前半の築
皆さん、ハルシュタット文化って知ってますか?私は全く知らなかったのですが、先週の研究会で「ハルシュタット文化と前方後円墳」のタイトルでハルシュタット文化に関係した発表がありました。なかなか面白い内容でした。日本の古代史というと、どうしても日本や近隣諸国の文献や遺跡・遺物などで論じることが多くなります。それが、今回の考察はヨーロッパの文化であるハルシュタット文化を切り口にした点でとても興味が湧きました。「井の中の蛙大海を知らず」でとかく世界の標準を知らない自分を見つめ直す
八百万の神様へ今年は猛暑です。雨が欲しいところには降らず、激しい大雨で浸水した所もあります。地震も多いです。やおよろずの神様、どうぞお守りください。駅を降りたら緑、緑先日、45年ぶりに堺市の大仙公園と仁徳天皇陵を訪れました。南海高野線三国ヶ丘駅でJRに乗り換えて一駅。百舌鳥(もずに)駅に降りたら、目の前は大仙公園(だいせんこうえん)の緑、緑。気球が浮かんでるぅ。一気にテンションアップ!(残念ながらこの日は風が出たため気球に乗れませんでした。)その日は先日藤井寺を案内してくれ
2026年2月12日木曜日13:56『乙女山古墳』です帆立貝式古墳全長130m後円部直径104m高さ14,7m前方部長30m幅52m高さ3,5m周濠あり南側に外堤あり造り出し部(南西部)から円筒埴輪列、その内側から家形埴輪、楕円筒形埴輪円筒埴輪の一つから土師器、小型丸底壺、土製品が納められていた前方部(南東部)前方部の周濠前方部左が後円部方向周濠に自動車が廃棄されているようですどうやってここへ持ってきたのか所有者はわからないのだろうか作
西ノ山古墳(隼別天皇陵墓推定・墳丘全長400メートルの前方後円墳と推定・八尾市楽音寺)に、岩瀧大明神お社建立を報告。円墳部西側の「熊野神社」にも参拝。やはり、色々と更に分かってきました。元々、古墳の東側にあった金毘羅屋敷に熊野神社があったということは、金毘羅神社の摂社として、この熊野神社があったということであり、金毘羅神社の主祭神としての金毘羅大権現が祀られていたということが分かります。(後には、出雲王国の「大物主命」(大国主命)が祀られることになります。)
トップ写真は、宵宮当日の八阪神社本殿=桜井市高田でNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2026.8.20)掲載されたのは〈古墳に鎮座絵馬約20点/八阪神社(桜井市)〉、執筆されたのは、奈良市にお住まいの辻村忠司さんである。私はこの神社のことは全く知らなかったが、「メスリ山古墳」のことは知っていた。わが国最大の円筒埴輪(径0.9m、高さ2.4m)が出土したからである。神社拝殿の横から、古墳の後円部の墳頂に上がり
祖先の旅・反証編#3タニハの人々は、初期ヤマト王権の形成に本当に関わったのか?前回の反証編では、「祖先は本当に日本海からタニハへ入ったのか?」を考えた。朝鮮半島と日本列島の間には、海がある。しかし調べてみると、その海は人々を隔てる「壁」ではなかった。日本海を越えて物が動いていた。技術も動いていた。そして、おそらく人も動いていた。丹後からは朝鮮半島南部で作られた陶質土器も実際に出土している。だから、朝鮮半島↓日本海
『令和8.8.19.東大寺・鶏活・市民農園物語』『令和8.8.1.入江泰吉76.歌姫街道昭和20年(1951〜55)代後半』76.歌姫街道昭和20年(1951〜55)代後半奈良市佐紀町2126A…ameblo.jp『令和8.8.1.入江泰吉76.歌姫街道昭和20年(1951〜55)代後半』76.歌姫街道昭和20年(1951〜55)代後半奈良市佐紀町2126AIでカラー化しました。木の形、変わりましたねぇ。木の向こう側は、八上池。辻堂石仏群。…ameblo.jp水上池
河内王朝とは河内王朝(かわちおうちょう)とは、日本古代史における学説上の呼称で、現在の大阪府大阪市域にあたる難波(なにわ)の上町台地一帯を本拠地としたとされる倭国(ヤマト王権)の王朝を指します。別名で応神新王朝とも呼ばれ、始祖は誉田別(応神天皇)またはその子の大鷦鷯(仁徳天皇)とされます。ja.wikipedia.org背景と概要『日本書紀』などが主張する「万世一系」(神武天皇以来の皇統が途切れず続いた)という記述に疑問を呈し、弥生時代後期から古墳時代にかけてヤマト王権で複数の王朝が興亡し
これまでの記録『【歴史旅1日目】前日泊でイッキに長野県へ!国宝5城と古墳見学』地元の漁体験のあと…『【小2】夏休み1日のルーティン』基本は普段と変わらず30日越えの夏休みが始まりました〜私が在宅ワークなので、夏休みも学童には行かず平日は…ameblo.jp『【歴史旅2日目】滋賀県から奈良県へ!彦根城と古墳三昧』1日目の行程はこんな感じでした『【歴史旅1日目】前日泊でイッキに長野県へ!国宝5城と古墳見学』地元の漁体験のあと…『【小2】夏休み1日のルーティン』基本は普段…ameblo.jp『【
七月三十一日、前回記事で紹介した朝霞市博物館と東圓寺を訪れた後、小生は更に歩いて、国指定重要文化財である旧高橋家住宅へ。説明板に拠れば、建築様式は十七世紀頃の農家のものと見られるものの、建てられた時期は十八世紀初頭と推定されるとのこと。武家屋敷や豪農の家屋が残されている例は結構ある一方、このような一般的な農家が残されているのは珍しいとのことである。庭には綺麗な花が咲いていた。この後向かったのが、柊塚古墳。千五百年ほど前に築造された前方後円墳であるが、残念ながら耕作地の開墾などによって前方部は大幅
2026年2月12日木曜日13:25次へ向かっていると解説版を発見『佐味田石塚古墳群』道路工事で初めてわかった3基の古墳群2基は竪穴式の小石室1号墳は瓦敷の石室底部7世紀移築復元1号墳瓦は枯葉で分かりません墳丘が現れました『一本松古墳』前方後円墳全長130m後円部径約80m前方部幅約80m周濠と外堤あり外堤上面埴輪棺墓と土坑墓1基づつ検出4世紀末外堤に接して一辺12〜14mの方墳もあり後円部上から前方部方向やや後ろを振り返
椿大神社を後にして次に向かったのは三重県亀山市に鎮座する能褒野(のぼの)神社知り合いから、『能褒野神社には日本武尊さまのお墓がありますよ』と教えていただいてずっと気になっていた場所でした日本武尊さまの御陵については諸説あり三重県の加佐登(かさど)神社近くにある白鳥古墳も、その一つとされていますわたしも以前、そちらには足を運んだことがありましたさらに先月、奈良を訪れたときにも道路案内に「日本武尊の陵墓」という文字を見つけて気になったのですが時間の都合で立ち寄れません
世界遺産「仁徳天皇陵」『いつも明るく元気よく』と『気持ち良くご利用頂こう』がモットーの"めだか"こと、窪田泰伸です。先月末の事です。お仕事で近くまで行ったので、良い機会だと思い立ち寄ったのが、世界遺産の「仁徳天皇陵」ビジターセンターがあったので入ってみると、めちゃめちゃええとこで、古墳のこと、しっかり勉強できます。入館料は無料でした。その後、仁徳天皇陵の拝所へ。初めて行きましたが、想像以上にデカイ❗️と言うか、でかい森にしか見えません(笑)上空から見た方が
おおさか堺バルーンに乗ってきました空から見る古墳はすごかった!目次予約は10日前からフライトは10~13分ほど「本当に前方後円墳だ!」360度、いろいろな古墳が見えるお土産売り場には古墳グッズも4000円、ちょっと思い切りがいるけれど……おおさか堺バルーンに乗って、上空から百舌鳥古墳群を見てきました。この日の天気はくもり。青空をバックにした真っ白なバルーン、という「映える」写真は撮れなかったのですが、真夏なので日差しがきつくなかったのはよかったです。
ここしばらく「こじんまり古墳」が続いております。今日も3月に訪れた福岡県福津市にある新原・奴山古墳群の続きです。↑まずは現地解説板より本日は37・38・39号墳と3基の円墳をアップ。↑こちらが新原・奴山古墳群37号墳、北東側から盗掘を受けており、かなり変形されています。もしかしたら円墳ではない可能性も。現状の径13~14メートル、高さ3メートル弱。↑37号墳、南東側から須恵器片11点、土師器片1点が表面採集されています。↑盗掘によ
今日も3月3日に訪れた福岡県福津市にある新原・奴山古墳群巡り、続きです。↑新原・奴山古墳群36号墳(旧奴山22号墳・旧津屋崎27号墳)、南東側から直径は16~17メートルほど、高さ4メートルほどの円墳。段築が目立ちます。昨日アップした35号墳が「前方部」、今日アップしている36号墳は「後円部」と、以前1基の前方後円墳として考えられていました。↑新原・奴山古墳群36号墳、角度を変えて北側には大きく凹んだ盗掘孔がありました。↑少し引いた写真盗掘の際の排土が隣
2026年2月12日木曜日13:20こちらも見たかった古墳ですね円筒埴輪列と葺石が綺麗ですね『史跡ナガレ山古墳』1976年に土とりで一部破壊、1988年から発掘調査をして整備東側は埴輪葺石を施工、西側は芝生で整備円筒埴輪、葺石あり後円部埋蔵施設は不明、盗掘の時の土から勾玉前方部箱型木棺の粘土槨、粘土に鉄製品埴輪は円筒埴輪、朝顔型円筒埴輪、蓋形・盾形・家形埴輪土師器や土製品5世紀初め築造『円筒埴輪の復元』約7割はFRP樹脂(494本)、残り3割は町民が政策
8月14日の早朝散歩は金魚池周辺を歩いたのですが、いつもと違う道を歩いてみました。その続きです。最初はキリの木です。実がいっぱいなっていました。池の縁に生えていたカンナです。池を背景に撮ってみました。タイワンウチワヤンマがいました。これも池の縁に生えていました。ハナトラノオです。またまたタイワンウチワヤンマがいました。この池の向こうにあるこんもりと繁ったところが新木山古墳です。前方後円墳で、被葬者が誰かはっきりしないのですが
どーも、castom98です。風景印で巡る古墳旅、今回ご紹介いたしますのは三重県名張市にございます美旗郵便局の風景印です。三重美旗昭和55年9月10日初日印美旗郵便局は三重県名張市、近鉄大阪線名張駅北西の住宅街にある郵便局。この風景印は古い方で、平成16年に新しい風景印になりました。しかしデザインはほぼ同じまま・・・(汗能面と美旗古墳群の馬塚古墳を描く風景印のモチーフになってるのは、付近に分布している美旗古墳群の馬塚古墳。美旗古墳群は前
堺市の大仙公園をめぐります小高いミニ展望台がありましたウェイリントンガーデンだそうですニュージーランドのウェイリントンは堺市の姉妹都市だそうで交流のひとつのようです七観音古墳これは円墳のようです寺山南山古墳ようやく履中天皇陵古墳が見えてきました百舌鳥•古市古墳群のなかで3番目の大きさの前方後円墳だそうです
今年3月に訪れた福岡県福津市にある新原・奴山古墳群の続きです。↑現地解説板を抜粋今日アップするのは新原・奴山古墳群34号墳(奴山21号墳・津屋崎26号墳)と新原・奴山古墳群35号墳(奴山22号墳・津屋崎27号墳)の2基。↑まずは新原・奴山古墳群34号墳(奴山21号墳・津屋崎26号墳)、南東側からシートで覆われていますねシートは石棚をもつ横穴式石室の開口部がある箇所。↑新原・奴山古墳群34号墳(奴山21号墳・津屋崎26号墳)、少し近づいて現状の直径18.5~
『新しい形で新しい姿でPART14』今回は『器』現在は善光寺縁起の『臼』をそのまま『器』として使用している。関東ではテレビ東京朝『火の女神ジョンイ』が放送中韓流プレミア火の女神ジョンイ|テレ東・BSテレ東7ch(公式)男に化けて器のためだけに生きます。窯の神様どうか器作りの道を歩めるようお助けください。どうか見捨てないでください。女性として初めて宮廷陶工“沙器匠(サギジャン)”となったユ・ジョン。彼女はいかにして朝鮮一の沙器匠になった
飯田市全体が「古墳の博物館」といわれる理由実は、今回の旅で、群馬県渋川市の金井遺跡群を訪ね、そのあと群馬県立歴史博物館の企画展「ヨロイを着た古墳人がみた世界」を見た後、向かったのは長野県飯田市だった。高崎から中央道で佐久平まで、そのあと佐久市望月や和田峠を抜け、諏訪で一泊。翌日に飯田市に入り、高岡第1号古墳や上溝天神塚古墳、おかん塚古墳など、いずれも国指定史跡の前方後円墳を訪れ、横穴式石室の内部にも足を踏み入れた。前回も記したように飯田の古墳は、その時代の最先端の古墳築造技術をいち早く取り入
最近、古代史に嵌まっている。縄文時代や古墳時代の遺跡は、いままで知らなかっただけで意外と身近なところにもあり、そこからの発掘品は地元の博物館や展示館でも気軽に目にすることができる。「さきたま古墳群」など関東各地にも多く存在する大型の前方後円墳を訪ね、豪華な副葬品の数々を見学するたびに、改めてわれわれの祖先たちが歩み、築いた日本独特の歴史や文化に魅せられている。そんな中、群馬県立博物館で7月10日から8月30日まで開催中の「ヨロイを着た古墳人がみた世界」という企画展をのぞいてみた。群馬県渋川市の
臼杵市諏訪山の中腹(標高44m)に下山古墳はあります。全長68メートル、後円部径46メートル、前方部幅37メートル5世紀中頃に築造された前方後円墳です。葺き石や埴輪も施されていたようです。後円部には組合せ式家形石棺が埋められていました。男女2体の人骨と銅鏡、管玉、鉄刀、鉄鏃、鉄てい等が副葬されていました。石棺は発掘当時のまま展示されています。上部には覆屋が設けられています。覆屋は現在、老朽化してボロボロ(××)前方部