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和歌山城から1キロほど刺田比古神社へ刺田比古神社【さすたひこじんじゃ】刺田比古神社は延喜式内社、和歌山城の氏神、吉宗公拾い親の神社である。岡(現在の和歌山市広瀬、大新、番丁、吹上、芦原、新南地区)の産土神として岡の宮の名で知られている。御祭神は神武御東征のさいに御活躍した道臣命(大伴氏の祖先神)、百済救済の御武功で知られる大伴佐弖比古命をお祀りしている。佐弖比古命(狭手彦命)は百済救済のさいに武功をあげ、その武功により岡の里の地を授かったという。古来より岡の地は人が住み、道臣命は岡
刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)紀伊国名草郡和歌山市片岡町2-9(鳥居から進入、境内に駐車可)■延喜式神名帳刺田比古神社の比定社■旧社格県社■祭神道臣命大伴佐氐比古命(オオトモノサテヒコノミコト)和歌山城のすぐ南に鎮座する社。多くの兵乱などに巻き込まれたために、中世の頃には神社としての形すら留めていなかったらしく、ご祭神も分からない状態。いくつかの鍵となる情報を基に組み立てていく必要があり、現在はおおよその姿が見え隠れしている状況でしょうか。◎徳川吉宗公が和歌山城主に
☆岡の里古墳紀伊国名草郡和歌山市片岡町2-9(刺田比古神社境内)(P有)刺田比古神社(現在記事改定作業中、リンクには飛びません)境内の南西部、樹叢に覆われた小丘陵内の古墳。概要は案内板を写した写真通り。それ以外のことは分かっていないようです。続紀には大伴氏が「名草郡片岡里」から出たとあり、社名から大伴氏の遠祖である刺田比古命に関わる社であることは明らか。また「紀伊続風土記」には刺田比古神社は「岡」に鎮まるとあります。そして当古墳はその神域内にあることから、大伴氏の誰かが眠ると考
上/八幡神社(勢野薬隆寺)左下/天太玉命神社右下/等彌神社(上ツ尾社)◎持病の背中痛が再発するなか、恐る恐るの敬神活動。痛みに耐え苦しみ、記事作成もままならないのですが…。◎3/22に痛みはピークに達しその後は小康状態になっていました。ところが29日から再発。終わりが見えません…。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*印は記事改定予定(改定作業中につきリンクに飛ばないものも)*印は写真複数枚を差替えまたは追加予定(改定記事は起こしません)~*~*~*~*~*~*~*~*~*
紀伊国名草郡濱宮(奈久佐濱宮)。紀伊国造家、天道根命や倭姫命の祭祀跡(神籬)か。◆「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~(21)再開させたはいいものの、このテーマ記事をUPするのは大変な負荷がありまして。投稿頻度がさらに鈍る可能性があります。そうでなくてもついこの前までのような殺人的スケジュールをこなせるほどの気力も体力も失われておりますもので…。さらに「久米氏」の勉強も平行中。常に自転車操業がお似合いのようでして。ここでその勉強に際しての教科書とさせて頂いているサイトをご
「大日本名将鑑道臣命」月岡芳年作*画像はWikiより◆「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~(20)前回の記事をUPしてから1ヶ月あまり中断しておりました。ついに再開します!これは記事をどんどん進めていく中で、遥かに予想を上回る、古代の深層を学ばねば次へと進めないことが判明したため。数年先に学ぼうと考えていたことが今すぐにせねばならなくなったので。突貫工事的に一気に勉強を進めました。そして現在は記事にできる程度のレベルくらいにまでは、かなり近づきました。あまり間隔を空け過
干支のうさぎの飾りが可愛かったし、絵馬も卯年祭りでした🐰絵馬を買うときに神主さんから話しかけられ、思いがけず戦争で一度消失した話や、吉宗公拾い親神社である紀州徳川家との縁などのお話が伺えて楽しかったです☺️
前回の巫女と女神と北緯34度13分のライン|久米の子の部屋(ameblo.jp)を書きながら、『出雲國風土記』におけるキサガイヒメについての伝説のことを思い出していました。『『出雲國風土記』から感じる久米の存在』前回の出雲における「小竹」と「久米」|久米の子の部屋(ameblo.jp)からの続きです。『出雲國風土記』には、残念ながら「小竹」地名は載っていませ…ameblo.jpどうやら、次の3つの事柄から連想してしまったようです。〇出雲の阿国を歩き巫女と考
poch1270様の世界の中心④ねえ朔、櫛稲田媛は咲くの?|イの国探検隊(ameblo.jp)を拝見してまして、次の箇所に目が吸い寄せられました。和歌山県の大歳神社は、主祭神は大市姫命、芝原明神、若宮八幡宮。私にとって「芝原」は、久米安芸守義広の居城がある地の名です。それは、徳島県徳島市国府町芝原であって、和歌山県ではないのですが、久米義広を自刃させた三好実休が撃たれたのは久米田であり、銃撃したのは根来衆・根来右京なのです。(もし、芝原明神を主
今回のリブログはこちら〜やっぱ和歌山といえばこの方だな☆ここは和歌山市の刺田比古(さすたひこ)神社。和歌山城の近くにあり、徳川吉宗公は産土さんとして大事にしたそうな。手水はガンキャノン方式だぜ!参拝者をロックオン♪ここでふむふむタイム。なるほど、神社横の山は岡の里古墳なのか。ここで古墳から変な物音が。イノシシ?ここ結構都会だよ?大きめの動物がガサガサ動いている音。。くそぅ!こんな時、ガンキャノンがいれば!あ、そもそも古墳って狩り禁止だよね。。ボタン鍋は断念!現在の主祭神
今回は和歌山県和歌山市片岡町2丁目に鎮座します刺田比古神社です。御祭神は道臣命(大伴氏の祖先神)、大伴佐比古命岡(現在の和歌山市広瀬、大新、城北、吹上、芦原、新南地区)の産土神として、「岡の宮」の名でも知られています。また、八代将軍徳川吉宗公は厄年の子として誕生と同時に捨てられますが、この時、拾い親となったのが刺田比古神社の宮司であったことから「吉宗公拾い親神社」といわれています。境内入口神馬舎境内社手水舎参道が直角に曲がってから社殿があります。境内社本
前回の『久米歌と久米』からの連想|久米の子の部屋(ameblo.jp)で、菅原道真の母親が(大)伴氏であることなどを書きました。大伴連が久米直氏と同族であっても、菅原道真と久米直氏との係りの跡は見つからないだろうと思っていたのですが、味酒安行という人物に注目することで、それらしきものを見付けましたのでご紹介いたします。太宰府天満宮とは|太宰府天満宮(dazaifutenmangu.or.jp)には、門弟であった味酒(うまさけ)安行(やすゆき)が御亡骸を牛車
皆様、こんにちは❗❗❗猪鼻です❗❗❗フライヤから和歌山城🏯へ和歌山藩士の屋敷跡上級藩士ではないそうでこの屋敷門やはり御三家紀伊家は大きな藩なのが分かります❗屋敷跡からの和歌山城🏯すぐ隣に陸奥宗光の産まれた地が和歌山城🏯の近くなんですね登城するまえに刺田比古神社へ徳川吉宗の拾いの宮厄年産まれの吉宗公は一度ここに捨てられ、すぐに拾い厄を落としたそうです。和歌山城へ遅い時間なのでギリギリになりましたが、中に入れました😅いよいよ登城きれいに整備されています💕天守閣の中は博物
こんにちは。大井龍介です。============誰もが自然に、本来の力を出せている世界をつくりたい============昨日はお話し会へのご参加、ありがとうございました。キンチョーしました~!笑一人も集まらなかったらどうしよう?って不安でしたが、、なんと6名の方がご参加くださいました!簡単な資料を使いながら、用意していたテーマをお話ししたのですが、なにか心に残ったものがあれば幸いです。今後もテーマを変えてお話し会を開催します。・神社仏閣セミナー・ビジネスの基
紀三井寺参詣し、一旦、和歌山駅へ出ました。久々も久々、10数年振りにお詣りしようと、あるお宮へ。まずは、バスにて公園前バス停へ一旦、大手門から入って、和歌山城を突っ切ります(^O^;)こちらのお宮へお詣りしますよ(╹▽╹)と、その前に(^O^;)岡公園にまいりましょう。石段がありますね。登ってみましょう。おー(゚∀゚)天妃山(23m)山頂には、征清記念標、というもので、日清戦争勝利を記念した塔が立っていました。天妃山は、江戸期には登頂が禁じられていたそうで、以前は山頂に弁
もう直接拝する機会がないかもしれないもの。後悔したくないから。私に気づきをくれた観音さま。どうか、お護りください。全国に拡がる緊急事態宣言。疑問はありませんか?時間は貴重。私の年齢では、もう無駄にする事はできませんから。また日記に書きますね。
前回の兵庫県の〝矢野神山〟と山部(久米)について|久米の子の部屋(ameblo.jp)では、久米である山部比治の播磨での活動について触れました。〝山部〟という役割は久米の専売特許ではなく、大山守命→山部連大楯→吉備上道臣→来目部連小楯へと管理が変遷したものと見られています。山部の役割については松尾光氏が『山部と山守部』で考察されていますが、report2_03_yamabe.pdf(manyo.jp)「よい回答案を用意出来ない」と稿を閉じられています。来
今日の朝食は、和歌山市にあるパン屋さん「カーム」さんのさつまいものパンです。秋らしいパンです。中にはアンコとカットされたさつまいもが入っていたので、おやつに食べればよかったかも。今日は台風で雨のお天気だと思っていたのに、まさかの晴天!仕事が休みの日に、お天気の良い日は家にいては勿体ない!と思って、まずは氏神さんの刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)へ月参りに行き、和歌山城の紅葉渓庭園へ行ってきました。我が家から自転車で行ける近場なのと、入園料が無料なので気軽に
24日に氏神さんの刺田比古神社へ行って、御朱印をいただいてきました。そしていつもなら、金の恵比寿さまと大黒さまのような小さなお守りをいただくのですが(小さすぎてはっきり見えない・・・)、今回は紅白のはくせんこのお菓子をいただきました。地方によって呼び方が違いますが、いわゆる落雁のお菓子です。形が神紋だと思ったのでくぐってみましたがヒットせず。四割菱と桐の紋かな?今度お参りに行った時に聞けたら聞いてみよう・・・。今月の歌は大伴家持がひぐらしを詠んだ歌です。訳は書いてく
前回からの続きです。和歌山市立博物館から私の産土神社はすぐ!!もちろん、ご挨拶に参拝!!そして、今回の第2の目的地。刺田比古神社(サスタヒコ)ホームペーシこちらは、徳川吉宗公が生まれた時、親が厄年で、その厄を落とすために一度子供を捨てて拾うという風習があり、その拾い親をこちらの宮司さんがされたことで吉宗公の信頼が厚く栄えた神社。このあたりの産土神社でもあり、和歌山城の鎮守でもあります。実は、歴史はとっても古くご祭神になっている「道臣
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ショーゲキなタイトルですいません昨日、毎日放送の「ちちんぷいぷい」の再放送で和歌山城下にある刺田比古神社https://okanomiya.com/relationship-with-conquering-general/が紹介しされており、「あっ、ここ行きたいと思っていた神社。」と思い出しました。こちらは、徳川吉宗が生まれた時この神社に捨てられて、拾われたということです。親が厄年の時に生まれた子は一度捨てて、厄落としをして新たに拾われるという風習です。
今日は、氏神さんである刺田比古(さすたひこ)神社にお参りにやってきました。撮影していると蚊に噛まれそうになり、追っ払いながらの撮影です。社務所に行くと書き置きですが、初めて見る御朱印があったのでいただいてきました。社務所で待っている間も蚊が来る来る!まずはこちらの桜柄。大伴家持の句が書かれています。そしてこちらは今の季節にぴったりの・・・カキツバタかな?花に白い筋が入っているから。句と絵にもある五月(さつき)の玉とは、長寿や無病息災を祈る薬玉のことだそう。薬玉は
現在使用中の御朱印帳です。花窟神社の御朱印帳で、一番のお気に入りです。花窟神社阿須賀神社・産田神社神倉神社・熊野速玉大社伊弉諾神宮・鬪雞神社大鳥大社・自凝島神社夜疑神社・美波比神社男神社・越木岩神社辨財天社・刺田比古神社伊和志豆神社・廣田神社現在ここまで。順次追加していきます。
3月1日刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)へ、夫と一日(ついたち)参りに行ってきました。刺田比古神社は我が家の氏神さんですが、何度も参拝しているにもかかわらず御朱印をいただいたことが無かったので、今回、参拝記念に御朱印帳を買って書いていただきました。この時に、祈年祭の特別御朱印(書き置き)もあったのでいただいてきました。椿の絵って好きなんですよね。そして御朱印帳も買ったからでしょうか?小さな紙の袋をいただきました。中身はお見せすることはできませんが、金色の米粒ぐ
和歌山護国神社から刺田比古神社に向かう時に行こうか迷ったあげく、時間節約のため立ち寄るの止めにした奥山稲荷社ですが、時間が出来たので行ってきます。丘の上ですが、岡公園で岩モードに入ってますから、石段やスロープなんて物足りないぐらいです。境内着く前に本殿見えてしまうこの感じは嫌いではありません。鳥居見えてきました。丘の上の神社とは思えないような参道です。こちらは身代わり地蔵かな?岡山の時鐘堂五代藩主徳川吉宗の時代に建てられたようで、藩士に登城とかの時刻を知らせるためのものだったようで
岡公園の反対側に鎮座する弁財天社がここの最終目的です。元々はこの天妃山の山頂に鎮座していたそうですが、山頂から和歌山城内が見えるため、防衛上の問題で刺田比古神社に遷されます。のちに現在地に復興されたのだそうです。こちら歩いていきます。異質なポケモン集団を横目に歩きますが、ポケモン集団からしたら、こちらのほうが『なんや?こいつ』だったと思いますよ。なんせポケモンに見向きもせずに、岩とか撮ってるわけですからね。百度石縦に割られた石を利用したようにも見えます。そして弁才社。弁財天社
おそらく岡公園内で傘さしてスマホ見ながら歩いてるのってポケモン集団以外は僕だけだったように思います。スマホ画面を連打したりしているのを横目に、ポケモンではなく、石もん目指して行きます。岡公園は別名、天妃山とか弁天山とか呼ばれているそうです。いきなり大好物な雰囲気になります。まさかここまでの岩場だとは想像してなかったのでかなり得した気分になります。これなんて山中で見つけたらかなり嬉しいタイプの岩ですよ。久しぶりの岩場なので楽しくて仕方ありません。こんなんが延々と続いたらええなぁと思っ
和歌山県の神社をこれといって回ってないとはいえ、射程距離の式内社はチェックしておりまして、当然こちら刺田比古神社には寄るつもりでした。式内社を意識するようになる前から、ずっと気になってたんですよ。◯◯比古とか◯◯彦神社とかって惹かれません?僕だけ?惹かれるから、尼津彦って名前にしたのか、そうしかたら惹かれるのかはもうわかりませんけど、皆さんもハンドルネームの後に『彦』つけると多少は気持ちわかるかも知れませんよ。自分の氏名の寺社がなんか気になるのと同じ感覚でしょうかね。式内社は、それと