ブログ記事46件
和歌山城から1キロほど刺田比古神社へ刺田比古神社【さすたひこじんじゃ】刺田比古神社は延喜式内社、和歌山城の氏神、吉宗公拾い親の神社である。岡(現在の和歌山市広瀬、大新、番丁、吹上、芦原、新南地区)の産土神として岡の宮の名で知られている。御祭神は神武御東征のさいに御活躍した道臣命(大伴氏の祖先神)、百済救済の御武功で知られる大伴佐弖比古命をお祀りしている。佐弖比古命(狭手彦命)は百済救済のさいに武功をあげ、その武功により岡の里の地を授かったという。古来より岡の地は人が住み、道臣命は岡
刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)紀伊国名草郡和歌山市片岡町2-9(鳥居から進入、境内に駐車可)■延喜式神名帳刺田比古神社の比定社■旧社格県社■祭神道臣命大伴佐氐比古命(オオトモノサテヒコノミコト)和歌山城のすぐ南に鎮座する社。多くの兵乱などに巻き込まれたために、中世の頃には神社としての形すら留めていなかったらしく、ご祭神も分からない状態。いくつかの鍵となる情報を基に組み立てていく必要があり、現在はおおよその姿が見え隠れしている状況でしょうか。◎徳川吉宗公が和歌山城主に
岡公園の反対側に鎮座する弁財天社がここの最終目的です。元々はこの天妃山の山頂に鎮座していたそうですが、山頂から和歌山城内が見えるため、防衛上の問題で刺田比古神社に遷されます。のちに現在地に復興されたのだそうです。こちら歩いていきます。異質なポケモン集団を横目に歩きますが、ポケモン集団からしたら、こちらのほうが『なんや?こいつ』だったと思いますよ。なんせポケモンに見向きもせずに、岩とか撮ってるわけですからね。百度石縦に割られた石を利用したようにも見えます。そして弁才社。弁財天社