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☆佐紀猫塚古墳(附猫塚北1号墳)(奈良市佐紀町)大和国添下郡奈良市佐紀町寺畑(P無し、「奈文研平城京跡資料館」無料Pから徒歩20分余り)「佐紀盾列古墳群」の西群の一基。既に原形を留めていないものの、推定全長120mを誇る巨大前方後円墳。北側に「猫塚北1号墳」、径30mほどの円墳があったとされますが、GoogleMapで見る限り現状は跡形すらも見受けられません。◎出土遺物等昭和二十八年に発掘調査。埋葬施設は全長4.6m幅1.28mの竪穴式石室。割竹形木棺が安置されていたと
飯山市方面へ軽快フットワークFTR223で行ってきました小布施でチョイ散歩していっきに飯山へテレビで話題のものを残念でしたとなると近くに古墳は飯山市史跡法伝寺二号古墳へ前方後円墳の前方側後円墳側ですとなりには長野市方面に戻って柳沢遺跡にガレージ方向へ向かい小布施から臥竜公園そして柱状節理を眺めながら一息ついてガレージへ次回をおたのしみに
9月に福岡県うきは市で古墳巡りをしていたのですが、その続きです浮羽町朝田にある国指定史跡・塚花塚古墳を見ていた時に、すぐ近くに小さな茂みがありましたここで、私の古墳センサーが反応しました古墳かも?と思ってGoogle検索したら、ピンが立っていて妙覚古墳という表示が出ました住宅街の一角にある円墳です近づいてみますね妙覚古墳は、墳丘があまりなく羨道も消失していますが、横穴式石室は残っている様子残っている墳丘の上に天満社が祀られているそうで、石塔らしきものが頭をのぞかせていました
しばらく長野県佐久市の古墳が続いていたので、今日は千葉県佐倉市の古墳をアップします。↑山崎ひょうたん塚古墳、東側から。訪問日は10月27日。佐倉市宮前中央公園の西、この山崎ひょうたん塚古墳があることを以前から知ってましたが、ずっと訪問してなかったんですよ場所はこちら:35.731795,140.225614↑山崎ひょうたん塚古墳の解説板前略・・・・現存で、全長約40メートル、前方部高さ約4メートル、後円部高さ約8メートルです。前方部の一部が崩壊しているため、本来の全
今治の続き(ラスト)です多伎宮古墳群の入り口にあったのは禰宜屋敷古墳群(1号墳)でした真ん中からきれいに縦半分現地でみると傾斜がかなりよく保っているなあ、という気持ちに大きい道路に出ると、すぐにこちらを発見、Uターン駐車スペースもあるので、最後にもうひとつ寄ることにしました6世紀中頃の円墳整備されています音声ガイダンスとライト付きこちらも、葉佐池のように上から覗き込むタイプですまだまだ知らないのですが覗き込むタイプの横穴式は、何かジャンルがある
おはようございます🎵旅行とダイビングが好きなひららです🎵石田堤を確認したい!忍城から古墳の方向を探しましたが、方向音痴の私にはよくわかりませんでした!忍城からさきたま古墳公園へ前回の時は上らなかった円墳へ『【お城スタンプ旅忍城】③さいたま古墳で古墳を見よう』おはようございます🎵旅行とダイビングが好きなひららです🎵昨日は、台風🌀を心配しましたが東京は、さほど雨も降らないようなので、お出かけするのによかったです!でも…ameblo.jp石田三成の気分になる!この円墳、以前は、
舞谷2号墳から元の道に戻り、再び西へ向かって歩くと、10分ほどすると「桜井市砂防指定地」との看板が立っている。そこから再び、鳥見山の方に向かって入っていく。しばらくは、藪の中の細い一本道を歩くが途中左に曲がって、森の中に入っていく、この辺りは尾根になっており、周りよりも少し高くなっている。ちょうど森の入り口には、イノシシの捕獲用の籠が置かれていた。これが目印だな。森の中を直進し、丘の終わりと思われる所から、登っていく。右手には、古墳の様な高まりがある。墳丘の裾
「東楊寺」から北へ向かいます。案内板が出ていてわかりやすいです。このあたりは本当にのどかですね~ほどなく、田畑の中にポツンと史跡が現れました。大舘氏館跡1329年~1331年の「元徳年間」頃に「大舘氏」が構えました。「おおたち」の地名は1168年、「新田義重」置文に、「義重」がその子、「らいおう御前(徳川義季)」とその母に、所領を譲り渡すと約束した文書が所見であり、それによ
にほんブログ村にほんブロ裾部分の基底石、巨大サイズも飯田市教委、御猿堂古墳の発掘調査内容を公開:中日新聞Web飯田市教委が同市上川路の御猿堂(おさるどう)古墳で昨年度から実施している発掘調査で、古墳の裾の部分に並べられる基底石が16個見つかり、...www.chunichi.co.jp富雄丸山古墳出土の鏡、製作時期など解説|奈良新聞デジタル島根大准教授ら奈良市埋文センターでwww.nara-np.co.jp広告費ゼロでも人気の理由は?上空100メートルから“教科書
昨日アップした長野県御代田町にある馬瀬口下原古墳から北へ1.2キロほどの場所に御代田町指定史跡となっている古墳があります。↑長ネギ畑の向こうに見える細田塚古墳、北側の様子Googleマップに新しくピンを立てておきました場所はこちら:36.331727,138.484911↑西側の舗装された道路から細田塚古墳へ近寄れる道がありました↑細田塚古墳、北西側の様子↑細田塚古墳の標柱平成3~4年に発掘調査。直径10メートル前後、7世紀代築造の円墳。
今日アップするのは長野県御代田町にある古墳です。『長野県北佐久郡御代田町馬瀬口めがね塚古墳群1号墳』5月2日、日帰りで訪れた長野県での古墳巡り、最後に訪れたのは御代田町にある「めがね塚古墳群」です↑めがね塚古墳群1号墳、北西側よりGoogleマップを見なが…ameblo.jp↑今日アップする馬瀬口下原古墳の近くにある「めがね塚古墳群」を2021年に訪れてます。↑ローソン御代田馬瀬口店に車を停めて、国道18号線沿いに立つ「馬瀬口下原古墳群」の標柱を撮影↑標柱か
11月19日に訪れた長野県小諸市の古墳、続きです。↑とても目立つ場所にあって景色も良い三ッ子塚第1号墳、南西側から。場所はこちら:36.318861,138.476738この日、「秋」の格好で来たんですよ。あまりに寒くて後悔していました真冬の格好で来るべきでした↑近づいて直径8メートル、高さ2.5メートルの円墳。三ッ子塚という名前なので、あと2基は近くにあったのでしょうね↑東側はボロボロでしてます。道路や畑で削られたのが想像できます。
ちょうど前日、近くの野々瀬古墳群でイベントをやっていたのを知り地団駄を踏みました迷いに迷い、多伎神社古墳群を選択朝倉ふるさと美術古墳館で予習です朝倉は古墳が多いのですね斉明天皇が百済救援時に立ち寄ったという話もあり朝倉ふるさと美術古墳館で、古墳群のマップを入手していざ!この道を行くのか、と思うと赤い鳥居が見えました進んでいくとここですか!!!なんとなく駐車スペースがあったので、車を停めました6世紀後半~7世紀前半頃とのこと最終的にこの時は我々含めて3
11月19日、長野県の小諸市、御代田町、佐久市へ行ってきました。しばらく、長野県の古墳が続きますよまずは長野県小諸市から。『長野県小諸市耳取(耳取)大塚古墳』5月2日に巡った長野県の古墳、続きです↑耳取大塚古墳、東側より畑の中にあるので、かなり目立ちます場所はこちら:36.288315,138.433588…ameblo.jp↑小諸市の古墳巡りは4年ぶりです。↑11月19日の1基目は久保田2号墳、東側から直径12メートル、高さ3メートルの円墳。場所はこちら:
11月6日に訪れた千葉県柏市の古墳、続きです。『ちば情報マップ』を参照に、未訪問の古墳を目指してみます。今日アップするのは三ノ台(さんのだい)古墳群。円墳3基からなる古墳群、現存1基ということなので探します↑どうにか見つけることができた三ノ台古墳群の1基。『ちば情報マップ』の位置とは少し違う場所でしたが、おそらく古墳場所はこのあたり:35.816532,139.988560↑写真でも見てわかる墳丘を撮りたくて試行錯誤。↑手を伸ばして撮った北西側の
なかなか動けない日々をたんたんと過ごしている良くなるのかな仕事をしている方が体は動いている(頭も動いている。それがいけないのかも…)1週間は何をしてもいいししなくてもいいと言われ何もしなかった(何もできなかった)2週間目家事から少しずつと言われ1日かけて風呂場の掃除をした5分働いて30分休むから進まないでもやろうと思ったことはほめて!うちは脱衣所に小さなタンスを置いてパジャマとか下着とか入れている1段目が娘ちゃんのもの2段目が私3段目がタオル…というよ
昨日アップした千葉県佐倉市にある岩富小鯨1号墳という「塚」をアップしました。佐倉市岩富と言えば、けっこう以前に佐倉市岩富にある前方後円墳を見に行ったことがあるな~と思い出したので、再訪してみました。『千葉県佐倉市天辺天辺内山2号墳・佐倉市岩富岩富木村留8号墳』7月2日に訪れた佐倉市の古墳、続きです↑天辺(あまべ)内山2号墳、南西より本当は前方後円墳の天辺内山1号墳を見に行ったのですが、発見できずおそらく、森の中…ameblo.jp↑2018年に訪れた岩富木村留(いわとみきむら
2011-07-05山口県庁のすぐ近くに香山公園があります。瑠璃光寺五重塔、瑠璃光寺本堂とともに目に入るのが大内氏24代の当主「大内弘世」の銅像。です。山口盆地に京都になぞらえて町造り、「西の京」といわれる山口の町を造った大名です。小学生の時の修学旅行で今でも五重塔がすごく印象が残っていますが、この銅像の人は誰?と思った記憶を覚えています😄勅撰銅碑明治天皇が毛利敬親の偉業を永久に伝えるために建立した碑です。たしかに美しい文字ですね。香山墓地とうぐいす張
昨日アップした千葉県佐倉市にある岩富榎戸3号墳。そこから北へ400メートルほどの場所、『ちば情報マップ』に●マークがあったので見に行ってみました。↑車を運転しながらも気が付けた岩富小鯨(いわとみこくじら)1号墳、南西側から。「古墳」と思って探しに行きましたが、あらためて『ちば情報マップ』を見たら、「古墳」ではなく「塚」扱いでした直径6メートル、高さ1メートルの円形。道路が「塚」を避けるようにカーブを描いています。場所はこのあたり:35.665257,140.239780
国指定史跡鳴門板野古墳群犬代古墳(おおしろこふん)平成28年(2016)10月3日指定鳴門板野古墳群は、鳴門市から板野町にかけての阿讃山脈の麓に築かれた、弥生時代終末期から古墳時代前期(3世紀初頭~4世紀末)の古墳の総称です。弥生時代終末期には、石を積み上げた墳丘をもつ積石塚を造りますが、古墳時代前期になると土を盛り上げた古墳を造るようになります。また、亡くなった有力者を埋葬する竪穴式石室の構造や、銅鏡・鉄器などの副葬品、古墳の表面に並べられた輪の特徴は、当時の政治的な中心地域であった
昨日アップした大きな「塚」、坂戸谷原1号墳から東へ800メートルほどの場所に3基からなる岩富榎戸古墳群があります。『ちば情報マップ』を参考→現存しているのか?見つけられるのか?ワクワクしながらの探訪です。↑岩富榎戸1号墳、おそらくは、この右側の道を登った先かな??↑この右側の膨らみは古墳だよね!岩富榎戸1号墳、北東側から。直径14メートル、高さ2.5メートルの円墳。道によって、かなり削られたようです。場所はこのあたり:35.659803,140.2380
https://twitter.com/_9105294027642/status/1491374122311753733?s=21睦仁天皇殺し李家長州PEDOイボ侍養護の捏造橿原神武天皇稜。江戸時代の土饅頭型円墳(ニサンザイ)を大型土木工事で拡張し橿原神武天皇陵。二月十一日建国記念日は1872.11.21横須賀造船所で睦仁天皇を斬首した小松宮彰仁親王(ヴィクトリア女王情夫)誕生日。天皇成りすまし殺人犯が万世一系と日本人騙し。pic.twitter.com/KcEOE2STk0—片山徹
10月27日に訪れた千葉県の古墳、続きです。全国Q地図より(赤い文字はふっき~が加筆)全国Q地図|各種地形図・地理空間情報の統合閲覧サイト↑昨日・一昨日とアップした、かわらめき古墳群から北西へ700メートルほどの場所にある上勝田瀧向(かみかつたたきむかい)古墳群を目指します。3基からなる古墳群です。↑上勝田瀧向古墳群は左手、小道の先にあるはず!おそらく古墳マニアの諸先輩方も未訪問のはず。そのため、現存しているのか?果たして見つけられるのか?不安いっぱい・・・・ではな
千葉県八街市にある「かわらめき古墳群」、続きです。↑こちらが「かわらめき古墳群」の解説板築造時期は4世紀後半から5世紀。以前から1基の古墳があることは知られていたが、平成23年の調査の結果、もう2基の古墳が確認されたとのこと。↑昨日もアップした解説板奥の様子うーん、草こぎしないと厳しい状態かな?↑まずは、かわらめき古墳群3号墳、南側から古墳周辺は、あまり草はなかったのですが、プレートがないと気がつかない3号墳。一辺約11メートル、高さ約0.4メートル、
にほんブログ村にほんブログ村作山古墳「造り出し」二つ並ぶ総社市発掘調査「全国的に極めて珍しい」:山陽新聞デジタル|さんデジ全国10位の大きさを誇り、9月から初の本格的な発掘調査が行われている前方後円墳・作山古墳(総社市三須、国史跡、5世紀半ば)で11日まで...www.sanyonews.jp国史跡の古墳群に迫る三次で15日座談会|中国新聞デジタル広島県三次市小田幸町などの丘陵に連なる国史跡「浄楽寺・七ツ塚古墳群」に専門家が迫る座談会が15日午後1~4時半、同町の県
四塚古墳群所在地東庄町小南字四塚他種別古墳時代古墳立地現状台地上・畑遺構遺物古墳6基・土師器、須恵器備考H4年一号墳確認調査(ちば情報マップより)住所:千葉県香取郡東庄町特徴:撮影:2025年9月14日場所は、35.79890381060008,140.68074403327782です。
群馬県藤岡市にある下戸塚古墳群巡り、続きです。↑稲荷通り遺跡稲荷塚古墳(神流村37号古墳)、南西側から段丘の端に築かれていることが、よくわかる立地です。直径32メートルの円墳。『群馬県古墳総覧』には埋葬施設は竪穴式(粘土槨か?)との記述。場所はこちら:36.259123,139.092168↑稲荷通り遺跡稲荷塚古墳(神流村37号古墳)、南側の様子墳頂にある稲荷社は見えるのですが、草ボーボーのため、登るのは断念。やはり古墳シーズン(冬)に再訪したいものです。
高皇産霊神社(高取町観覚寺)大和国高市郡奈良県高市郡高取町観覚寺字宮後754(P無し、「キリン堂」や「吉野ストア」複合商業施設の西側道路向かい)■祭神高皇産霊神高取町「勧覚寺」集落の南西、「高取城跡」から城下町へのメイン通り「土佐街道」の北端から始まる参道。かつて坂上田村麻呂の屋敷があったという「坂ノ山」の中腹に鎮座する社。◎「奈良県史」によると、川合家所蔵の「由緒書」に同家の先祖堤見氏が創祀した社であったが、後集落の鎮守になったとあり、また同家の別の記録に貞元の頃(976~97
今日も群馬県藤岡市にある下戸塚古墳群に属する1基の「こじんまり古墳」をアップします。↑神流村(かんなむら)35号古墳、北側の様子こちらから側から近づいた際、「草木でボーボー古墳かな・・」って感じでした。場所はこちら:36.258573,139.091622↑神流村35号古墳、西側の様子こちら側だと、墳形もわかりますね『群馬県古墳総覧』には規模50尺とあるので、直径約15.2メートルの円墳。↑南側の様子庚申塔がたくさんあります↑墳頂には
本日も群馬県藤岡市にある下戸塚古墳群、続きです。↑下栗須円浄法遺跡2号古墳(藤岡市32号古墳・神流村75号古墳)、南側の様子手前の道は十石街道。道路によって墳丘の一部が削られているようです。場所はこちら:36.259757,139.089676↑下栗須円浄法遺跡2号古墳(藤岡市32号古墳・神流村75号古墳)、南東側から直径約10メートルの円墳。横穴式石室をもつようです。↑墳頂は墓地になっていました下戸塚古墳群、明日も続く