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今日も栃木県益子町にある古墳を取り上げます。古墳の場所は益子町大沢にある御霊神社の東へ350メートルほどの場所。以前アップした北原B古墳群から西へ500メートルほどの場所。↑事前にGoogleマップで検索、この擁壁上に鳥居と祠が見えたので、これが御霊古墳群のうちの1基かも・・・・と思っての訪問です。↑Googleマップでは「大神宮(大沢)」というピンが立っています。この鳥居と祠の場所にマウンド状のものはなかったです。この鳥居と祠がある場所はこちら:36.48
先日、姪っ子ちゃんの部活の送迎の隙間に古墳巡り私が住む枚方市のお隣、寝屋川市の寝屋川公園という巨大な公園にあるこちらの古墳。寝屋古墳。大阪府指定史跡。直径約30m、高さ約3m。古墳時代後期、6世紀末から7世紀初頭の築造。横穴式石室の規模は北河内最大と言われてるそう。寝屋古墳以外にも多くの古墳があったそうですが現存するのは石宝殿古墳などわずかとのこと。北河内地域最大の横穴式石室がこちら柵で中に入れませんのでスマホのカメラのズームの限界に挑戦露光をいじって、、おお!奥壁
今日・明日・あさってと栃木県益子町の古墳をアップします。以前もちょっと書いたことがありますが、3年ほど前に『益子町史』考古資料編をゲット。古墳の位置図が載っているので、掲載している古墳・・・・全部巡ってみたくなっていますただ、東京都民のふっき~にとってみたら、益子町はなにせ遠いそのため、ちょくちょく訪れてはいますが、一気には古墳を巡れていない状態です。(訪れた都度、美味しい蕎麦とかを食べたいという目的も)ちなみに『芳賀町史』や『壬生町史』も家には控えており(笑)古墳の来シ
今日は2月12日に見に行った栃木県壬生町の上坪古墳をアップします。この日、宇都宮線小金井駅からレンタル自転車を活用して権現堂塚や稲荷神社古墳、中ノ田古墳(後日アップします)を訪問。電動アシスト付きではない自転車+体重82キロほど+普段自転車を乗っていないこともあり、サドルが当たるお尻の部分が痛くて痛くて、ヒーヒー言いながら漕いでいましたあまりの痛さに引き返そうかと思いましたが、どうしても壬生町の古墳を数基見たいと思い、たびたび押し歩きをしながら稲荷内古墳群(後日アップ)の3基を見学
史跡乙塚古墳附段尻巻古墳(今、昔)その壱乙塚古墳と段尻巻古墳は、道を挟み同じ敷地にあります。今回は乙塚古墳の今と昔の紹介です。乙塚古墳は、岐阜県土岐市にある古墳時代後期(7世紀前半)の方墳です。石室がよく残っていることで知られています。内部には横穴式石室があり、当時の有力者の墓と考えられています。近くにある段尻巻古墳とともに保存され、地域の歴史を知る重要な文化財となっています。天気も良く、新しく開通した道路を走り乙塚古墳&段尻巻古墳へと向かいます。前回、訪れたのは
おはようございます実家の近くのスーパーの入り口で、アラビヤン焼きそば大量販売に出会し、思わず1パック買いました!少し安かったし、思い切って1箱買えば良かったなアラビヤン焼きそば、ご存知ですかー?知ってる人はチバラキ人認定ですでは近鉄ハイキングの続きです。今回歩いた古市古墳群の地図(抜粋)です。古市駅の西に広がる古墳群を中心に歩きました。今回の記事で歩いた古墳はこの4つ。Googleマップ上で、古墳はモアイ🗿のマークにしてます(笑)ちなみにマンホールの座標蓋はお煎餅みたいなマーク
1972年のお話です!びっくりの発見でした!(^^)!高松塚古墳で極彩色壁画が発見されたのが今日なんだそうです。まずは・・・高松塚古墳なんですが!!7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳と呼ばれるもので、直径23m、18m、高さ5mの二段式の円墳なんだそうです。盗掘を逃れて残っていた銅鏡などから7世紀末から8世紀初めの終末期のものと推定されていましたが、2005年の発掘調査によって、藤原京期(694年~710年)の間と確定されました。残念ながら被葬者は特定されておりません。1.天
昨年12月16日から2泊3日の墳活一人旅。一番最後に訪れた古墳が香川県観音寺市にある青塚古墳です。↑青塚古墳、南東側の様子昨日アップした愛媛県四国中央市の宝堂山1号古墳を見学後、飛行機を予約している高松空港を目指したのですが、「まだ少し早いから、もう1基見に行くか!」ということで、こちらの青塚古墳に立ち寄りました↑青塚古墳、南西側から。前方部から後円部方向です。場所はこちら:34.117005,133.705810↑観音寺市指定史跡青塚古墳の解説板全
レンタルボックス入れ替えに行ってきましたーこいのぼりboxや、古布の小物ですgalleryでは、お友達の作品展開催中です~お友達らしい、作品がいっぱい~♪栄知村さんのお庭も春らしく・・帰りには、穴観音の桜を見に寄ってみました。ここは、古墳(円墳)でもあります。裏から見ると、まさに古墳です。ちょうど見ごろとなっていました。布遊は、用事のついでに寄ることが多く・・なかなか、一番の身頃に出くわすことは少ないのです。宿木がかわいらしい~♪
道の駅ししくいから国道55号線を戻って、海陽町の中心街から海沿いの道に入ると道路の横に大里古墳がありました。古墳時代後期の円墳で、道路で一部が削られています。https://www.pref.tokushima.lg.jp/sp/rekishiru/remains/5023137大里古墳(県指定史跡)|レキシルとくしまwww.pref.tokushima.lg.jphttps://maps.app.goo.gl/bRzf6BsHJJa1vB1V7GoogleMapsFindlo
古墳文化の後期より、天皇の陵墓に限って築造されるようになった「八角墳」の最初は、舒明天皇(位629~641年)陵でした。奈良県桜井市忍阪の「段ノ塚古墳」です。宮内庁が治定しています(押坂内陵)。個人的に、今回、初めて訪れました。形状は「上八角下方墳」です。拝所から少し覗いた程度ですが、八角墳の形状はよくわかりませんでした。正直言って、上部は円墳に見えました。7世紀前半の墳墓ですので、築造当時の整然とした雰囲気は伝わりません。墳丘面に樹木が茂ってしまうと、築造当時の古墳の空気感は、まるで
ここには古墳時代に12基の古墳があった現在は主墳である前方後円墳が1基と円墳が6基残っている神道山の大半は香取神宮の所有地「香取山根本寺」として守護していたが安政年間1780年頃に廃寺となった。急な階段をのぼっていく途中の自然木5分ほどで山頂に到着灯篭か狛犬が置かれた跡でしょうか時が止まった空間桝原稲荷が鎮座静寂な聖なる空間があたりを支配する神聖なる空気木々が生い茂っていますが合間からの眺めは良好!
昨年12月18日に訪れた愛媛県四国中央市、旧川之江市にある宝堂山古墳群、続きです。↑昨日アップした宝堂山(ほうどうやま)2号古墳から直線ではずぐ。実際はかなり迂回をして宝堂山1号古墳(天生津あもうづ古墳)を目指しました。↑見えてきました宝堂山1号古墳(天生津古墳)西側の様子文化財総覧WebGISでは直径37メートルの円墳もしくは方墳。場所はこのあたり:34.009539,133.584348↑宝堂山1号墳(天生津古墳)の解説板こちらの解説板では直径20
明光寺元は融通念仏宗でしたが現在は浄土宗のお寺です。雷神石や十三仏板碑、首無し地蔵などで知られる寺のようです。打上の弘法井戸東高野街道の道端にある井戸で日照りでも枯れることなく旅人を癒していたと伝えられています。寝屋古墳大阪府営寝屋川公園内にある、横穴式石室をもつ古墳です。直径2
昨年12月18日に訪れた愛媛県四国中央市、旧川之江市にある古墳、続きです。↑昨日アップした「お姫山古墳」から徒歩で移動。次は宝洞山(ほうどうやま)2号古墳を目指します。宝洞山古墳群は3基からなります。現存は2基。↑宝洞山2号古墳はこの擁壁上。周囲は山を切り開いて造成された住宅地ということがわかりますね。↑階段を登って西の方向、お姫山古墳がある丘(森林)が見えます。↑こちらが宝洞山2号古墳、南西側の様子直径約25メートルの円墳もしくは方墳。場
綺麗に残されているしかも手入れされている円墳は約150基を数えるのだがその中でも手が入っているのは当該古墳だけなのではなかろうか天気が良いし静かだな心地よい風が吹き渡る
八幡社古墳群6(滋賀県東近江市)2024年7月25日ユニークな41号墳に対してすぐ隣にある44号墳や45号墳は形や副葬品の違いから、当時の地域社会における埋葬のあり方を立体的に理解させてくれる重要な遺構となっています。44号墳は八幡社古墳群の中でも規模が比較的大きく、全長約20mの横穴式石室を持つ円墳です。発掘調査では須恵器や土師器に加え鉄製品なども出土しておって、被葬者がかなりの地位を持っていたことがうかがえます。一方で45号墳はやや小規模で、石室構造も簡素なつくりですが、
🐎2026🐎Marchたまちゃんです高松塚古墳高市郡明日香村高松塚壁画館本日定休日...残念😢8世紀初頭に築造された直径23mの円墳展望台芝生広場野鳥撮影中続きま〜すでは、またごきげんよう🤗
唐仁古墳群中最大級の円墳である案内説明は無い農道のようなので足を踏み入れることはしなかったルールは守らねば三十三号墳(丸塚)の表面は樹木が伐採され草も刈り取られていて全体像を見ることが出来る主体部は判らないが5世紀代に築造されたのであれば竪穴式石室であろう
奈良県大和郡山市の市指定史跡「割塚古墳」で、横穴式石室内の石棺が置かれた玄室奥壁の裏側に謎の通路があることが分かった。同様の”奥通路“が見つかったのは国の史跡「市尾墓山古墳」(奈良県高取町)に次ぎ2例目。発掘調査を担当した大和郡山市が15日現地説明会を開いた。割塚古墳は同市千日町の住宅街にある古墳時代後期の円墳。宅地造成に伴う1968年の発掘調査では直径が約49m、高さが約4.5mだったが、その後の公園整備による掘削で現在では直径約42m、高さ約9.5mになっている。大和郡山市は石室の
昨年12月16日から2泊3日の墳活旅。今日アップするのは3日目の12月18日に訪れた愛媛県四国中央市の古墳、続きです。↑住吉古墳、北西側から旧川之江市の住宅地内、住吉神社となっています場所はこちら:33.996951,133.575219↑住吉古墳に近づいて石垣状ですね~。これは古墳築造当時のものではなくて後世のものかな??↑住吉古墳の解説板この古墳は古墳時代後期の7世紀頃の築造と推定される横穴式古墳です。川之江市の中心部は地理的にみて土砂の堆積
3月、福山市今津町にある、長波(おさば)古墳にやってきました山の神古墳と同様の古式横穴式?、と聞き及び、いてもたってもおられず円墳(14メートル、高さ3メートル)です出土品がなく、年代わからず、6世紀前半?長波古墳(おさばこふん)www.city.fukuyama.hiroshima.jp事前に先人の覚書を色々と拝見していたのですが正式ルートじゃないほうから行ってしまったかもしれません私有地の中を行くのでは?とドキドキしたのでバイパス側から一旦くだり、下
3月、福山市松永周辺の古墳にいくつかいきたいなとやってきました実際に巡ったルートは違うのですがまずは松本古墳(5世紀中頃?)です松本古墳(まつもとこふん)www.city.fukuyama.hiroshima.jp松本古墳周辺は住宅地と畑で道は狭く車は無理と判断して、松永駅周辺の駐車場に車を入れ歩くことにしました駅南口からのスタート、20分歩いたかな…途中、神村(かむら)八幡神社の大きな鳥居が遠目に見えました敷地が広そうで、訪れても面白かったかもですがまた
今日は下野市の住宅地にある古墳です。JR小金井駅から南東へ800メートルほどの場所。↑まずは惣の宮神社の鳥居から↑参道から近寄ってみたら、「古墳」とは思えない現状の惣宮塚古墳(国分寺村第2号墳)、南側から直径約10メートル、高さ約1メートルの円墳。↑惣の宮神社の社殿小さいながらも、とてもキレイにされています↑社殿裏の様子ゆっくり探せば破片が見つけられそうですが、住宅地内なので断念。↑北西側の様子明日から愛媛県四国中央市の
昨日は栃木県下野市、旧南河内町にある仁良川古墳群を取り上げました。今日アップするのは仁良川交差点から西南西へ150メートルほどの場所です。↑県道(吉田街道)から見た(下坪山)星宮神社古墳がある森。探してみたものの、見当たらない・・そんな古墳ってよくあるので、この場所まで来た時はドキドキです。「古墳、あるかな~」↑木々の中に入ったら、すぐにわかった(下坪山)星宮神社古墳、北側からとてもキレイにされていましたし、墳形もよくわかります。直径約21.3メートル、高さ約2.1
367528-庚塚古墳群名称庚塚古墳群(こうしんづかこふんぐん)所在千葉県千葉市中央区花輪町庚塚長地時代古墳遺構生実川水系。古墳-古墳(円墳)立地台地上現況山林+宅地(奈良文化財研究所文化財総覧WebGISより)古墳について古墳は、日本が畿内地方を中心一つの国としてのまとまりをもち、また朝鮮半島との交流も盛んになりはじめた頃、各地の支配者が自らの権威を誇示するため、その領民を動員して築いた壮大な墳丘をもつお墓です。当初の個人墓から、時代が経つにつれ家
しばらく愛媛県四国中央市の古墳が続いていたので、気分転換に今日・明日・明後日と栃木県下野市の古墳をアップします。↑現在は下野市(しもつけし)、旧南河内町内にある仁良川(にらがわ)1号墳、北西側から住宅地の中にあります。墳頂に祠があるようなのですが、草ボーボーで祠は確認できず。直径約18.2メートル、高さ約3.4メートルの円墳。場所はこちら:36.382056,139.876523『栃木県下野市仁良川仁良川古墳群』しばらく群馬県太田市の古墳が続いてたの
昨年12月18日に訪れた愛媛県四国中央市、旧伊予三島市にある北岡山古墳群、続きです。↑北岡山2号墳、東側から1号墳と同様、しばらく放置されているようで、草木でボーボーです。↑近づいてみました。直径約7メートルの円墳。場所はこちら:33.973880,133.572481↑2号墳にある「北岡山古墳群」の解説板木が伸びていて、これ以上近寄れません北岡山のなだらかな丘の南斜面のみかん畑に、並んで2つの横穴式古墳が残っている。このうち、上方のものを北
八幡社古墳群5(滋賀県東近江市)2024年7月25日八幡社古墳群の中でも、41号墳は特徴的な存在です。もともとは直径約11mほどの円墳として築かれたもので、時期は古墳時代後期、7世紀前半にあたります。だが現在では墳丘がすでに失われ、石室の天井石も崩れてしまったため、内部の構造が地表に露出した状態で残っています。そのため、訪れる人は玄室や羨道の石組みを直接間近で観察することができ、古墳の構造を学ぶには非常に貴重な遺構といえます。石室は玄室が長さ約2.7m、幅約1.3m
昨日アップした端華の森古墳館から南東へ600メートルほどの場所にある古墳群を今日・明日アップします。↑北岡山1号墳・2号墳を遠景で草木が多くて、どこに古墳があるか?わからないですよね7基の円墳からなる北岡山古墳群。現存は1号墳と2号墳の2基のみなのかな??↑左奥に北岡山1号墳、右手前に北岡山2号墳。↑角度を変えて北岡山1号墳は直径約9メートルの円墳。北岡山1号墳の場所はこちら:33.973983,133.572510↑石室の開口部