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10月末、熊の心配がないということで千葉県の古墳探訪をしています『坂戸谷原1号墳千葉県佐倉市坂戸』先日、『ちば情報マップ』を眺めていたら、佐倉市坂戸に長さが20メートルもある「塚」があることを見つけたので見に行きました↑まずは佐倉市坂戸にある西福寺、浄土…ameblo.jp↑10月31日、朝の8時過ぎに到着していた坂戸谷原1号墳佐倉市坂戸にある坂戸谷原1号墳へ行く前、実は四街道市にある鷹ノ家古墳群を見に行ってした。古墳3基からなる鷹ノ家古墳群です。↑鷹ノ家古墳群へ
昨日アップした龍岡城五稜郭から北西へ400メートルほどの場所にある古墳を目指しました。↑明法寺古墳、北西側から天井石かな?デーンと見えてますが、どこから近寄れるかな?↑おっ!ちゃんと道がありますね。↑う~ん、すぐそこに石室がありそうですが、これ以上近づくと、全身「くっつき虫」だらけになりそうなので断念場所はこちら:36.201290,138.500455この日の参考資料は『佐久市遺跡詳細分布図』のみ。佐久市蛇法寺古墳・五庵古墳-埼群古墳館別
長田大塚古墳は「卑弥呼の墓」ではないかと言われています。福岡県朝倉市にあります。九州横断自動車道の山田サービスエリア(上り)に隣接しています。山田サービスエリアから歩いて30秒で古墳の案内板の所に行けます。長田大塚古墳は以前は直径80mの円墳と思われていましたが、最近の調査で、本来の基底部は145mあることが分かりました。そうなると文句なく全国1位の円墳となります。それだけでなく、直径145mの円墳となると、魏志倭人伝に記述された「卑弥呼の墓」のサイズ
愛知県一宮市にある浅井(あざい)古墳群、続きです。昨日アップした桃塚古墳から北東へ80メートルほどの場所にあるのが毛無塚古墳です。↑毛無塚古墳(浅井10号墳)、北西側から桃塚古墳とは違って、「古墳!」とわかる現状です。場所はこちら:35.350852,136.834257↑「史跡毛無塚古墳」の解説板直径38メートル、高さ3.5メートルの円墳。葺石をもつようです。↑墳頂に登って、そこからの写真も撮りましたが、周囲はすべて住宅なのでブログにアップできず
1月15日に訪れた群馬県太田市にある古墳をアップします。↑稲荷山古墳、南東側より直径32メートル、高さ4メートル、6世紀中頃築造の円墳。場所はこちら:36.331539,139.416742↑稲荷山古墳の解説板南西部に周囲より一段高い平坦部があり、帆立貝形古墳の可能性も考えられている・・・・と書いてありますね↑墳丘南西端の様子確かに周囲より高くなってます。↑造出し?前方部?から後円部方向↑あらためて墳頂へ写真は稲荷山神社
令和7年4月19日(土)道の駅クロスウェイなかまちの主催で開催された富雄丸山古墳の見学会に参加してきた。この日は、4月の中頃だというのに、夏のように陽ざしがきつく、非常に暑かった。日々の気温の差が激しく、体がなかなかついていかない。しかも、参加したのが、14時からの昼の部という事で、一番暑い盛り、無理しても午前中に参加すればよかったと後悔することしきり。(笑)さて、肝心の現地見学会、蛇行剣と鼉龍文盾形銅鏡などが出土した造り出しと墳頂の2ヶ所で奈良市の埋文センターの職
品川区・大井公園の高台の片隅に土佐藩15代藩主にして幕末の四賢侯の一人「山内容堂」の墓がひっそりと佇んでいます。容堂の墓の左手には島津家から山内家に輿入れした山内豊熙(13代藩主)の正室の墓があり右手には、山内豊範(16代藩主)の正室の墓が並んでいます。多くの資料が、容堂の墓が大井公園にある理由を「土佐藩があった場所」と「遺言で指定された」の2点で説明していますが実際には、土佐藩の土地ではなく遺言の存在も口承のみで裏付けがありません。ここは、鯖江藩・間部詮勝