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「原始福音・キリストの幕屋」という宗教団体があります。手島郁郎という独立伝道者が戦後まもないころに興した団体で、内村鑑三の無教会主義キリスト教の影響を受けた団体のようですが、いろいろと独自色も打ち出しており、一般的なキリスト教の諸団体からは、〝異端〟とまではいえないものの、かなり毛色の変わった団体と思われています。キリストの幕屋-Wikipediaよくバス停などに『生命の光』という機関誌をビニール袋に入れて吊るし、「ご自由にお取りください」としているのは、この団体です。一般的な
図書館は宝の山╰(*´︶`*)╯♡次はこれ仕事に行ってるのか?本を探しに行ってるのか?あ‼️もちろん探すのは休憩時間ですよ。)^o^(
今日のオヤツ業務スーパーのティラミス濃厚なんでコーヒーと一緒にいただきましたうまうまーオヤツダイジダイジなのはなー♪ななななー♪なのはなー♪ななななー♪今日の名言内村鑑三駄目だ、駄目だ、駄目だと云う奴が駄目だ
この本は、内村鑑三さんの『後世への最大遺物』を現代版にしたものです。佐藤優さんによる解説があります。原著の中に、印象的なことばがたくさんありました。その中の一つをピックアップします。頼山陽さんの漢詩です。当たり前といえば当たり前なんですが日常で何気なく生活をしていると忘れがちなことだと思います。人生には必ず終わりがある。だから、やりたいことをやる。今朝もたくさん拾いました。あと一年は銀座でできる。大好きな街だから。ありがとうございます。
2国民的悔改悲哀の人は快楽の人でない。彼は真実の人であって、虚偽の人でない。永遠の人であって、現世の人でない。彼は真理を見、真理を語る。ゆえに衆が快楽するときに彼は悲しみ、衆が絶望するときに彼は希望する。彼が衆の快楽に反して罪の重荷を語るとき、世は彼を嘲り迫害する。しかし罪のこらしめが来って人々が悲鳴を上ぐるとき、その悔改に子種ほどの真実をも見出でて、前の悲哀の人は人類の希望と歓喜の目標となるのである。真実の人の此世における当然の運命は悲哀の人である。仏教に「因果応報」
8円の文化人切手が2種類貼られた第5種2倍重量便の使用例である。昭和32年の使用例なので、すでに第一種書状料金は10円、なので、これは第5種印刷物の使用例。上の切手は内村鑑三、下は新島襄。消印は麻布の昭和32年11月9日の櫛型印。裏を見ると、ちゃんと開封状態になっている。差出は郵政弘済会出版部のゆうびんサービス係。中身は、たぶん「ゆうびん」という冊子が入っていたんだと思います。重量便ということは100gを超えて200g未満の使用例。てことで、まとめて『ゆうびん』を送ったのか
今月のことば令和6年4月「福音もし信じがたくんば善きにすぎて信じがたきなり」内村鑑三【意味】福音を信じられないのは、その内容があまりにも素晴らしいからである。
4月5日(金)ヘアカットの日━─━─━─━─━─━─━─━─━─━今日のカ-ドペンタクルの6(逆位置)利益無理はしなくていいです💕期待したり無理に期待に応えなくていいです周りに気を使いすぎずに自分を大切にしてください今日もステキな一日をお過ごしください💖━─━─━─━─━─━─━─━─━─━ヒペリカムココリオ心に残る名言微笑は大なる
マロがお届けするブログdeいいジャン!皆さん、準備は出来ていますか?間もなくジャンジャン月間ですよ!LINE登録していない方直ぐ登録を!ブロックされている方はブロック解除をおすすめします話は変わり、今日も群馬をご紹介!今回の【上毛かるた】の読み札は【こ】『心の燈台内村鑑三』出身地が高崎であったことをご存知でしょうか。明治・大正時代のキリスト教伝道者として知られる、内村鑑三。また、日露戦争前に発表した「非戦論」でも知られています。当時、戦争に反対する鑑三の主張
【シルクロードの日】1900年(明治33年)3月28日にスウェーデンの探検家・地理学者であるスヴェン・ヘディンによって、中央アジアのタクラマカン砂漠の北東部で廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。シルクロード(絹の道)という呼び名は、中国特産の絹を西方に運んだ道であることからドイツの地理学者リヒトホーフェンが命名した。【スリーマイル島の日】1979年(昭和54年)3月28日、アメリカ、ペンシルバニア州のスリーマイル島で原発事故が発生。この重大な事故を忘れないよう教訓とす
今度はこの二冊無教会主義についてもっと知りたくて借りてきました。
勝手にリブログアーメン。です。覚えておきたいのでリブログさせていただきました。
私はよく祈ってもらいます。また祈ります。祈ることは弱いことではないから。むしろどんなときでも祈ります。自分の知恵に頼るのが強いわけではないから。神様の強さ、完全さが現れること祈りたいものです。自分があれしたい、これしたい、だから助けて、ではなく、ある特定の条件のときだけではなく、どんなときでも祈りたいものです。それがどんな時であろうとも神様は喜んで応えてくださるから。内村鑑三氏はこう言っています。キリスト信徒は絶え間なく祈るべきである。まことに彼の生命は祈祷である。彼はなお不完全な
「日本にのぼる道の光をもって、世界の暗(やみ)を照らさん」と内村鑑三は戦った。■■転送歓迎■■No.3422■■R06.02.20■■4,183部■■■1.「一隅を照らす」と「誰にでも遺すことのできる遺物」能登半島地震の被災者の皆さんが、雪や雨、寒さの中で大変な思いをされている姿には心が痛みますが、日本の多くの国民の支援には、心温まる思いがします。その一つがふるさと納税による災害支援ですが、なるほどと唸らされたのは、他自治体による代理受付です。被災地の自治体は、救援
2012年3月【質問】キリスト教信仰者の方にお尋ねいたします。内村鑑三は、著書の「キリスト教問答」の中で、教会と信仰の関係について下記の様に述べています。教会と信仰の関係は、教会あっての信仰か、信仰あっての教会か、あなたはどのようにお考えでしょうか。*********引用*************「教会は結果でありまして原因ではありません。教会あっての信仰ではなくして、信仰あっての教会であります。教会が信仰の発現である間は、神はその存在を許したまいます。それが信仰の鋳造者または圧
「日本にのぼる道の光をもって、世界の暗(やみ)を照らさん」と内村鑑三は戦った。■転送歓迎■R06.01.28■71,693Copies■8,311,129Views■ブログ(過去号閲覧):http://jog-memo.seesaa.net/無料受講:https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776__________■■■【YouTube版】国際派日本人養成講座■■■■「ブラジルの大地に根付いた日本人(上)」幾多
わたしの人生の中で最も重要な本をあげるならば内村鑑三の『後世への最大遺物』になるだろう。若い頃は暗記してしまうくらいそれくらい読みました。今でもたまに読み返す。ありがとうございます。
迷信、これは残念ながら確証がありません。しかし、人はそれこそ「迷」うからこそ、この迷信に何とかすがりつこうとするのではないでしょうか。では、信仰はどうなのでしょう。これも一種の迷信に見えるが…内村鑑三氏は言う。信仰は人によっては迷信のように見える。信仰は確かに一種の冒険である。これに従うとあるいは失敗に終わるかもしれない。しかしながら、信じるものは信仰が迷信でないことを知る。信仰は心に響く神の声に対する信者の応諾(応答)である。彼は形体(偶像)を見ない。また証明をもたない。しかしなが
今日は大晦日。冬休み3日目の今日は、母を誘い、年越し旅行中。現在、岡山県倉敷市にあるビジネスホテルにいます。今日訪問した、高梁基督教会堂(岡山県高梁市)日本を代表するキリスト者である新島襄ゆかりの教会です。経済界、政界共に、拝金主義が横行し、腐敗している我が日本。今こそ、新島襄や内村鑑三といった、明治時代に活躍したジャパニーズキリスト者達の生き様を学ぶべきだと不良中年は思っとります。さて、今日は12月最終日ということで、今月、というか、今年のギャンブル成績を総括して、備忘録としてまとめま
こんばんはロゼルナの川延です。ハルニレテラスでランチをしようと向かうと入り口そばのレストランは沢村。すぐに入れる!ここにしよっ!と私が言うと、弟はピザが食べたいと言う。仕方なくついていくと、イタリアンも川上庵も既に長蛇の列だったためすぐに沢村に戻ってきました。でも、このレストラン沢村。すごく美味しくて口コミで星5をつけている人が多数。弟はチーズバーガーだったけれど頬張れないほど大きくて、お肉を一口だけもらったらすごく美味しい。写真を撮る前にもう
内村鑑三さんがデザインされた、石の教会こちらを見たくて、ホテル敷地内を散策しました。自然の中に溶け込んでいるのが、またいい感じ。教会の中は撮影ができなかったので、遠目から。冬の澄んだ空、曇り空の中でもインパクトのある建物です。中はとてもシンプルながら、洗練された印象でした。
前進か、後退か。成長か、停滞か。間断なき、挑戦と応戦の連続が一生です。思想家・内村鑑三は、晩年のある日、「人間というものは放っておけば小さく固まろう固まろうとするものだよ」と語っています。そして、”自分が順風満帆ではなく、世間の逆風との激しい戦を戦わなければならなかったのは実に幸いであった”と。要するに、試練の激浪があったから、本物の人生を築けたというのです。内村鑑三は、「余の好む人物」として、次のような人間像をあげています。第一の「常識の人
(今も最も大切な要件と感じているので、内村鑑三の著書からの引用を「再掲」します。ただし原文のままではなく、管理人jizodouが「それはこういう意味だ」というものに作り変えたものです。人の名前を出して内容を権威づけるためではなく、内村鑑三の原型無くしてはこの表現はできなかったので、内村の名前を出してあります。文責はすべて管理人です);君は、絶対者の雷光は「突然」に現れるものだという考えにつまずくのか。そうならば、おそらくは、君は人生における最も神聖な経験を、決して
「私が東京駅を造った」と言ったら、どこの大ぼら吹きかと思われるかもしれない。だか、実際に新しい東京駅建設工事に携わったのは事実だ。高架の上に線路を敷く作業であった。PCといえばパーソナル・コンピューターの略ではなく、ポーン・コンクリートつまりコンクリート製の枕木のことで、2人一組で道具を使い、タイミングを合わせながら運んでいく。合成枕木というのもあって、クレーンで吊り上げる時に、誤って一本落下させてしまった。ものすごく高価な枕木が高架から降下したというわけだ。幸か不幸か、ケガ人は出ず、後悔
(1年前の記事の再掲です)ちょうど1年前に、わたしと同じ建物の上階に住むひとりの老人が亡くなられた記事を書いたが、「振り返り投稿」の欄にその表示が出ていたため、その老人のことを思い出しました。1年前が、はるか遠くの出来事のように感じられます。この老人は早朝に外で倒れていて、骨折死だということで、ベランダから落ちたのか自殺なのか、警察の調査で、わが家にも見えた。その日は、警察からスマートフォンの中の亡くなられている映像を見せられて、何とも言えず心が痛んだ。時々道でお会いして挨拶を交わし
あとにもさきにもかけがえのないたったひとつのいのちゆえ明日知れぬはかないいのちゆえきようのいのちをしずかにおもうみつを「一日一生」という四字熟語がある。禅語なのかもしれないが、内村鑑三氏が紹介した言葉である。一日一生。この漢字から、だいだいの意味は推し量ることができるが、一日を大切にすること、その一日の積み重ねが一生である。一日を一生と思えば、大切に過ごそうと思う。嫌な一日だと、早く終わって、明日になってほしいと
天に唾(つば)するとどうなるか。ヨーロッパで砲弾を真上に打ち上げる実験が行われたことがある。地球は自転しているので、時間が経つと太陽の動きとは反対向きに、大地は西から東に移動する。砲弾が落ちて来る頃には大砲の位置が東にずれて、砲弾は西側に落ちる……。当時の人々はそのような仮説を立てていた。高校物理を学んだ人であれば、この考え方の誤りが分かるかもしれない。打ち上げられた砲弾の初速には、鉛直方向の速度成分に加えて、大地が動く水平方向の速度が合成される。すなわち、水平成分については大地の動く
『駿河大納言の墓』(画像はお借りしました)駿河大納言徳川忠長は、二代将軍秀忠の子で(つまり家康の孫)で、三代将軍家光や、豊臣秀頼に嫁いだ千姫とは姉兄弟にあたります。母は、織田信…ameblo.jp出張先の群馬県高崎市でたまたま朝のウォーキングをしていたら、江戸幕府二代将軍秀忠の子で、三代家光とは兄弟であったものの、乱心の罪を咎められて自刃させられた徳川忠長の墓を発見しました。また翌日には市内で平安時代の京都御所の妖怪鵺(ぬえ)退治をしたことで知られる源氏の武将、源三位頼政を祀った頼政神社と
「日本におけるキリスト教55財産全部を捨てて、イエス・キリストに聞き従うことについて」最近の記事は長文のつづきになっていますので、改めて繰り返します。使徒パウロは「キリストを信じる信仰による義によって、私はキリストのためにすべてのものを捨てた」と言っています。また、アナニヤとサッピラが一部の金を自分のために残したことは、聖霊を欺いた罪によって、神の御怒りを受けたことは教会全体と、その事を聞いたすべての人たちとに非常な恐れが生じましたが、現在に至っても非常な恐れが生じる教えに
2023年11月8日(水)の今日のことば、です。内村鑑三さんのことば、です。◆今日という日。今日という日は明日になれば、昨日になります。当たり前です。つまり過去の日となります。二度と戻らない日になってしまうのです。そう考えると人生の一部が終わったのです。無駄にはできませんよね。。。生徒たちの年齢、中学生や高校生の時にはそんなことは考えないかもしれませんし、まだまだ人生に多くの時間があると思っているかもしれません。でも受験やテストなどの期日