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月曜日、無事に両親が退院しました。退院の日は妹と私の夫が仕事を休んで病院まで行ってくれました。本当はキーパーソンである私が退院のお迎えに行くべきだったのですが、この日に限って2年半不登校の長女が学校に行くと言いだしたので、そちらを優先させてもらいました。退院前の土日は私が実家で過ごしていた部屋を空にしたり、介護用ベッドを2台搬入したり、バタバタでした。子連れで2年以上住んでいた部屋なので荷物がいっぱいすぎて、何度も2階にあがったり降りたり。もうフラフラでした。でもその甲斐があってか、退
この歳になると1年や2年なんてあっという間。この病気になり3月3日(今日)で、まる2年に。当時、地元の総合病院で精密検査を受け「悪性リンパ腫」の可能性が高いリンパのガンの疑いが高いです。と言われまだまだ他人事のような気持ちのまま血液検査の結果、前立腺癌と言われたのが、つい昨日のような気がします。その後、四国がんセンターでの治療開始。骨シンチにて全身転移が発見されガンのステージは⑤段階中④悪性度合いは⑤段階中⑤合計MAX10段階で⑨いわゆるグリーソンスコア?グリソン?
来週セカンドオピニオンに行くということで付き添うことになりました。
昨日昔私がバレーボールをやっていた頃の仲間が亡くなったと連絡がありました私と同じ頃に大腸癌の手術をしてその後抗がん剤治療をして元気になったと聞いていましたが、全身に転移して昨日亡くなったそうです残念です、ご冥福をお祈りします確か私より三つくらい上だったはず色々思い出されますいつも身なりをきちんと綺麗にされてる人でした昨日は嫁のお父様との食事会だったのでお花だけ送りました編み物の方は編みぐるみやミニバッグブローチなんか編んでますお酒は一昨日と今日はお猪口に一杯だけ日本酒を飲みまし
簡単な文章になります。2月に入ると、毎年、思い出す女性が1人だけいます。既に、他界して居るので本名でも良いのですが、敢えて、女性とします。その女性は、信濃町の病院から無断で外出して、大田区の私に逢いに来ました。歳は、聞きませんでしたが、パッと見た目では、50代前半の様に見えましただが、実際は、30代後半です。突然、すみません!と、ドアチャイムを鳴らしたのですたまたま、この日の朝は、日曜日でジャージで、寝ていましたはい?どなたですか?と、ドアを開けると、笑みを見せてあなたが、
行ってきました今回も旦那と一緒にw前回は手術をするかしないかの選択を迫られてたんだけど早い話が手術を受けなくてもよくなりましたm(__)m詳しく説明すると今日の担当のドクター🧑⚕️が休みで代わりのドクターだったのね精密検査の時、細胞を取ってくれたドクターなんですつまり、まぁまぁベテランの医師🧑⚕️ってわけですな腫瘍が1cm以下で転移がなかったら基本は手術せずに、経過観察でもいいと前回の診察の時に言われました『PET検査の結果。』
呑助の姉さん………11月?肺がん………全身転移あっという間………😢2024/1/2015時15分マリア………帰天しました☘️緩和病棟に入りわずか6日疼痛と呼吸苦緩和の為ほぼ鎮静状態のまま意識を戻す事なく子供孫とも会話は無いまま😢私が最後に話したのも1/11視覚障害と歩行障害があって………独居夜間独りきりどんなに怖かったろう😢救急車で運ばれ……それきりお疲れ様でした姉さんお母さんお兄さん旦那さん………逢えましたか?大好きなお酒と
今日から娘の小学校始まりました!幼稚園は明日です子供達は二人とも(上:小3下:年長)、学校も友達も大好きで、登校を楽しみにしてくれるから、本当にありがたいです先週末土日は、私は学校へ。今年は開業をする予定でまっしぐらです。今後夫がどうなるかわかりません。まだ小さい子供達二人を育てていかなければなりません。この数年、ずっと私の次のキャリアをあーでもないこーでもないって考えていました。去年秋、やっと、導かれるようにこれからの私の道筋が見えました。速攻で説明会参加
夫が亡くなって、今月20日でやっと半年。随分長かった感じがする。まだ、半年しか経っていない。今年で出会って30年目が来る。今更ながら幸せだったと気づく。あの満たされた感覚はもう2度と戻ってこない事を実感する日々。普段は、仕事していて、新しく飼い始めたミニチュアダックスフンドで、毎日忙しく過ぎて行く。いま、大学4年の息子が4月から大学院行くもので、キャンパスが変わるため、引越しの手伝いに上京。1人でホテルに泊まって色々考えてると、普段ポケットに入れて蓋をしている感情が出てきて、急に夫がいな
ひよどりきびおさん@Hiyodori_Kibio4時間全身転移した乳がんステージ4を克服した女性。「失うものはない」と覚悟が決まり、多くのことを独学したそうだ。彼女は、身体に摂り入れるものに注意しないといけない、と言う。しかし、原則は守りつつも、多少の楽しみも自分に与えていた。彼女の考え方は大いに参考になるだろう。さらに表示全身転移した乳がんステージ4を克服した女性。「失うものはない」と覚悟が決まり、多くのことを独学したそうだ。彼女は、身体に摂り入れ
喪中の為新年のご挨拶は控えさせていただきます。新年から悲しいニュースに心が痛みます。能登半島地震において被災された方、またそのご家族の皆様に、謹んでお見舞いを申し上げます。********夫は、年末から腎臓のあたりが痛むのでモルヒネを再服用するようになりました。モルヒネのパッチ6mg一日一回貼り替え。アブストラル舌下錠4時間毎痛みがひどい時。30日は妹と姪っ子が我が家へ一泊で泊まりに。大晦日の夜帰りました。夫はいつも通り21時頃には就寝。私は娘二人と夜
えっ!?全身転移!?(☉。☉)!どもっ!(*´ω`*)左脇腹の痛みが強烈な激痛へと変わってしまい、急遽CT検査で撮影したら、肝臓腎臓その他①その他②胸椎や腰椎や肋骨などの多発性骨転移も含めると、体のあちこちに癌の疑いらしきものが飛び回っていることが判明しました。出血している箇所もあるみたいです…これってまさか、全身転移!?この画像は単純CTでの画像の為、急遽、年始に造影剤CTで撮り直すことになりました。これほどまでに怪しい影が多く写り込むというこ
昨夜、夫が腎臓付近がものすごく痛むと訴えるので、ついに去年使っていたモルヒネを再開しました。舌下錠のアブストラルだけでは痛みは治まらず、モルヒネパッチの方も使用。年末年始で持ち分が足りなそうなので、訪問医の先生にLINEで電話して相談。明日には追加分を届けてくれるように手配していただきました。去年のパッチをとっかえひっかえ、たくさんモルヒネも飲ませていた記憶が蘇り、ついにモルヒネをを再開する時が来てしまったことがものすごく悲しくて、泣きながらパッチを貼ってあげました。
昨日、2023年12月27日午前中は夫の消化器内科の受診オプジーボ&ヤーボイ後の副作用でなった大腸炎の回復状況を診察。ステロイドは1日30mg服用中。状態は悪くないので、オプジーボ単剤再開許可でました。午後は皮膚科の主治医の受診腎臓周りの腫瘍に照射する放射線(1/12から開始。10回照射)に加え、オプジーボ投与のスケジュール決定。年始、1月9日に投与します。オプジーボ単剤ではもう夫の癌には効かないのですが、放射線と合わせてアブスコバル効果(免疫活性化)を狙って、次回は
皆様どんなクリスマスをお過ごしになられましたか?24日は我が家は豊洲のららぽーとまでお買い物に出かけました。今の夫の体力では、到底お買い物に付き合うなんて過酷でした。マンゴーツリーでランチ食べて、しばらくして夫だけ帰宅。イブの夜は、子供たちはサンタさんとルドルフを家にお迎えをするための準備をします。子供が寝静まった後、私たちはたくさんのプレゼントのラッピング開始(イギリス式)なんとも感傷的になってしまい、夫と二人で号泣。。。。25日朝、子供たちは欲しかったプレゼ
今日は反射する日差しがまぶしいです(疲れ目)昨日、夫は「来年死ぬと思う。」って言っていました。健康な時は実年齢より10歳くらい若く見られることもあった夫。今は実年齢よりずいぶん歳取って見えます。私は今以上にどうしてあげたらいいんだろう。私なりに寄りそってきたつもりだけど、やっぱり足りない気がする。でもこれからも、その答えは見つからない気がします。もうずいぶん長いこと、「心の置き所」が見つかりません。夫の闘病生活は、多くの人々の助けによって成り立ってい
超多忙な上にここ最近体調もあまり良くなくすっかりブログ更新を怠ってしまいました入院中は何度も先生方と別室でお話をしました。一度は、大きな部屋に、何人もの先生方に囲まれ、状況説明をされました。子供の精神ケアを専門にされている看護師さんも立ち会っていただきました。4月末のCTの結果では、もしかしたら肝転移あるかも・・・?って言われていましたが、その時からまさか1カ月半で全身転移。「オプジーボ&ヤーボイは、最近では2クール終わった時点で効果が見られな
こんばんはブログを書くことで、思うことを表現できることに、こんなにセラピー的な要素があるんだって、思います。貴重なお時間を割いて立ち寄って目を通してくださる皆様、本当にどうもありがとうございます週末は充実した時間を過ごしました。金曜は下の子の幼稚園のお遊戯会。「赤ずきんちゃん」の妖精役を演じてました照れながらもよく頑張っていましたとっても可愛かったSoProudofyou幼稚園最後の発表会。夫にはこの日に間に合うように退院できるよう、先生にお願い
やはりがんでした入院して1週間あっと言う間に亡くなってしまいました全身転移するまで入院せずにいたなんて私には考えられないけれど、、、本当に色々な人がいるなって考えさせられる出来事でしたもしかして彼女自身死ぬ寸前までいや死んだ後も自分の病気がわかっていなかったのかもしれません亡くなる1週間前まで全身転移した体で会社に来て仕事をしていた彼女に心からご冥福を祈りたいです
皆様、お気をつけを!しばらく休んでいたランマーク🦴試しにランマークをネット検索してみると・・・内科医でも処方できるではないか!骨が心配だったので、急いでかかりつけ病院にやってもらえますか〜?と伺ったかかりつけ医が休みだったので、急遽、休みのはずの院長が対応カルシウム量を見なければならないのでとりあえず血液検査をと、訪看さんを手配してくれたこないだ4本抜かれたんだけどな〜しょうがない、急ぎたいので訪看さん、3本だったけど、気にかけて最低限の量でがんばってくれた血
今週10/21(土)よりスタートの「ハイランド・セミナー」※お申し込みは、10月19日(木)お昼12時まで☆☆☆☆肺癌のステージ4より、全身転移され「来週にでも心臓が止まってもおかしくない」とお医者さまに宣告されたご経験をお持ちの、刀根健さん。そこから、奇跡の生還をされ7年経った今も、全国にて、講演や執筆活動をされてらっしゃる、秘訣とは・・??その、サレンダー法とは
夫の知り合いのことです。この方は、私と同じ『腎盂がん』初期にみつかったのも同じで私より1年先輩なのでいろいろお伺いしてました。私が2022年に手術その方は、2021年でした。2023年春、お見掛けしないなーと夫と話していたら・・・転移されて『がんセンター』に入院されたと聞きました。私と同じで手術後は、抗がん剤も放射線治療もなし期間を置いての検査だけそれが・・・・・いつのまにか転移してしまったらしいです。9月末には、退院されたらしいです。
こんばんわ10月8日18時47分に息子が旅立ちました。皆様の応援感謝しますしっかり見送りたいと思います。#死亡
私の母は持病もなく元気に自立して生活する70代です。普段から健康志向で毎年検診を欠かさずに受けこつこつ努力してきました。食生活の自己管理は立派なもので市の運動には週に2回通い空き時間にウォーキング、ガーデニングおまけに週に数日、働いており病気の発覚とともに退職しましたが高齢だろうと惜しまれる人材です。家族で1番、健康的な生活を送る自慢の母この先もずっと元気でいてくれると思っていましたしまさか、病気発覚時に既に深刻な状態だなんて予想もつきませんでした。7月、母が突
乳がん多発骨転移2023.9.6リンパ節超音波・PET-CT・肺機能検査・MRI検査・診察色々検査して、その日の最後の診察。乳腺外科の担当医は前回とは違って神妙な顔で座ってた。うん、テレビで見るような"癌の告知"って感じだな。とか思いながら話を聞く。先生は、PET-CTの骨の画像をモニターで見せながら「鎖骨をはじめ、右後頭、頸椎・胸椎・腰椎、胸骨、両側肩甲骨、両側肋骨、骨盤、大腿骨などに癌が転移してます」と言い、こちらの反応を待ってる感じ。骨の画像を見ると、黒い部分が沢山確か
2023年9月11日末期癌の祖母のお見舞いに行きました。大学病院から終末期医療のホスピスに転院したため、20時までなら面会が出来ます。癌が進行してしまい、毎日痛み止めの薬が欠かせません💦「苦しい、辛い。」とか「早くお迎えが来て欲しい」とか言っています😭私が祖母のために出来ることは、話し相手になる事と、御守りを渡すことしか出来ませんでした。祖母は御守りを握りしめて、「早く楽になりたい」としきりに呟いていました…。↓祖母に渡した御守り
今日は3ケ月に一度の通院の日、何故か混んでいる、座るところもないくらい、受付の人が「菅先生が亡くなられたので診察は出来ないしお薬も出せません、代診の先生が紹介状を書いてくださいます、今日は待ち時間がかなり長くなると思います」と言われました、頭が真っ白になりました、「亡くなられた?」受付の人は「はい、本当に亡くなられました」と繰り返されます。私は2005年10月20日に乳がん右胸、温存手術を受けました。私のステージは、2(ⅡBТ2N1)術後10年後生存率は、75.7%2007年
人生の目的とは?人生の目的の見つけ方からおすすめの本まで徹底解説幸せな人生を送れるのは、「自分の人生の目的」を知っている20%の人だけ!?そこで本記事では「人生の目的とは何か」から、人生の目的を見つける方法まで詳しく解説します。さらに、人生の目的を設定するメリットや役立つ本も紹介します。minchalle.comオツカレ!は16周年さとりをひらいた犬ほんとうの自分に出会う物語単行本(ソフトカバー)–2021/12/22刀根健(著)『さ
久しぶりの投稿が訃報です。2021,06,23父が世を去った日。今日は2年が経ちました。早かったのか長く感じたのか....そして2023,06,21母が世を去りました。親子関係は機能してませんでした。父が亡くなる2ヶ月前に父が入院する病室で母と父に会いました。それ以前は何十年も会ってませんでした。実家から出て約20年。。どん底な人生で、何を信じて何を頼って生きていけはいいか分からず、、それでも手を差し伸べてくれた数多くの人達に感謝したい🙏そんなこんなで、あれよあれよと20代は