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今日から娘の小学校始まりました!幼稚園は明日です子供達は二人とも(上:小3下:年長)、学校も友達も大好きで、登校を楽しみにしてくれるから、本当にありがたいです先週末土日は、私は学校へ。今年は開業をする予定でまっしぐらです。今後夫がどうなるかわかりません。まだ小さい子供達二人を育てていかなければなりません。この数年、ずっと私の次のキャリアをあーでもないこーでもないって考えていました。去年秋、やっと、導かれるようにこれからの私の道筋が見えました。速攻で説明会参加
乳がんだと診断されてまだ間もない頃、ある知り合いに、"乳がんになっちゃった"と伝えた時、彼女は思いがけない言葉で慰めてくれました。"わたしの夫は膀胱がんで余命1年と言われていたけれど、それから2年生きているから何とかなるもんだよ。しかも母親は卵巣がんと胃がんを経験しながらも元気だし、乳がんで術後3年ほどの友達がいるけれど、彼女も元気だよ"まさか彼女の周りにそれほど癌の方がいるなんて。そしてご主人が.....と思いながらも、その時はご主人も自分の行っている大学病院という共通点もあり、詳し
えっ!?全身転移!?(☉。☉)!どもっ!(*´ω`*)左脇腹の痛みが強烈な激痛へと変わってしまい、急遽CT検査で撮影したら、肝臓腎臓その他①その他②胸椎や腰椎や肋骨などの多発性骨転移も含めると、体のあちこちに癌の疑いらしきものが飛び回っていることが判明しました。出血している箇所もあるみたいです…これってまさか、全身転移!?この画像は単純CTでの画像の為、急遽、年始に造影剤CTで撮り直すことになりました。これほどまでに怪しい影が多く写り込むというこ
皆様、お気をつけを!しばらく休んでいたランマーク🦴試しにランマークをネット検索してみると・・・内科医でも処方できるではないか!骨が心配だったので、急いでかかりつけ病院にやってもらえますか〜?と伺ったかかりつけ医が休みだったので、急遽、休みのはずの院長が対応カルシウム量を見なければならないのでとりあえず血液検査をと、訪看さんを手配してくれたこないだ4本抜かれたんだけどな〜しょうがない、急ぎたいので訪看さん、3本だったけど、気にかけて最低限の量でがんばってくれた血
昨日、2023年12月27日午前中は夫の消化器内科の受診オプジーボ&ヤーボイ後の副作用でなった大腸炎の回復状況を診察。ステロイドは1日30mg服用中。状態は悪くないので、オプジーボ単剤再開許可でました。午後は皮膚科の主治医の受診腎臓周りの腫瘍に照射する放射線(1/12から開始。10回照射)に加え、オプジーボ投与のスケジュール決定。年始、1月9日に投与します。オプジーボ単剤ではもう夫の癌には効かないのですが、放射線と合わせてアブスコバル効果(免疫活性化)を狙って、次回は
月曜日、無事に両親が退院しました。退院の日は妹と私の夫が仕事を休んで病院まで行ってくれました。本当はキーパーソンである私が退院のお迎えに行くべきだったのですが、この日に限って2年半不登校の長女が学校に行くと言いだしたので、そちらを優先させてもらいました。退院前の土日は私が実家で過ごしていた部屋を空にしたり、介護用ベッドを2台搬入したり、バタバタでした。子連れで2年以上住んでいた部屋なので荷物がいっぱいすぎて、何度も2階にあがったり降りたり。もうフラフラでした。でもその甲斐があってか、退
何日か前から、うーちゃん何も口に出来なくなりました大好きなヨーグルトさえも鎮静して寝ていますが、以前のように話が出来なくなりました「ゔ〜っ」の返事が、たまに返ってきます痰も自力で切れなくなって、吸引してもらっています癌の進行スピードは早く、口腔内にも腫瘍が出来て、口も上手く開けれなくて辛そうですこれ以上、苦しませないで欲しい日に日に、弱っていくうーちゃんそばにいることしか出来なくて、ごめんねうーちゃん、痛くて苦しくて辛いだろうなでも、生きようと頑張ってます耳は、最後まで聞こ
この歳になると1年や2年なんてあっという間。この病気になり3月3日(今日)で、まる2年に。当時、地元の総合病院で精密検査を受け「悪性リンパ腫」の可能性が高いリンパのガンの疑いが高いです。と言われまだまだ他人事のような気持ちのまま血液検査の結果、前立腺癌と言われたのが、つい昨日のような気がします。その後、四国がんセンターでの治療開始。骨シンチにて全身転移が発見されガンのステージは⑤段階中④悪性度合いは⑤段階中⑤合計MAX10段階で⑨いわゆるグリーソンスコア?グリソン?
今日は3ケ月に一度の通院の日、何故か混んでいる、座るところもないくらい、受付の人が「菅先生が亡くなられたので診察は出来ないしお薬も出せません、代診の先生が紹介状を書いてくださいます、今日は待ち時間がかなり長くなると思います」と言われました、頭が真っ白になりました、「亡くなられた?」受付の人は「はい、本当に亡くなられました」と繰り返されます。私は2005年10月20日に乳がん右胸、温存手術を受けました。私のステージは、2(ⅡBТ2N1)術後10年後生存率は、75.7%2007年