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一昨年夏に出かけてきた北海道の旅函館本線の駅を訪問しました今回はこちらの駅です【森町にある渡島沼尻駅】この駅は通称・砂原線の駅元は渡島沼尻信号場で客扱いをしていました昭和62年に駅に昇格【取材時は木造駅舎が】信号場時代からのもの実はこの後解体されました相対式2面2線ホームの駅但し1両分程度の小ささホームは構内踏切で結ばれています次回も函館本線の駅散策で~
札幌や千歳など道央と帯広や釧路など道東を結ぶJR北海道の大動脈・石勝線。しかし人口が少ない地区を走る単線なので駅は少なく、列車交換を行うために信号場が多く設置されています。今回はかつて駅→信号場の経過をたどった場所ではなく、開設当初からの石勝線(南千歳ー新夕張)の信号場を車で訪問してみました。石勝線の車窓を楽しむ時に役立てば幸いです。かつて駅→信号場となった、東追分、十三里の両信号場については、北海道廃駅跡を行く!石勝線
こんにちは2023.4.29㊗️WBC侍ジャパン世界一記念100万分使って楽しもうシリーズ第1弾はクラブツーリズム×JR北海道共同企画30年間ありがとうノースレインボーエクスプレスラストラン!ツアー前記事に続きます『JR北海道ツアー☆ノースレインボーEXP完全に札幌ラストラン出発♪』こんにちは2023.4.29㊗️WBC侍ジャパン世界一記念100万分使って楽しもうシリーズ第1弾はクラブツーリズム×JR北海道共同企画30年間ありがとうノース…ameblo.jp▲ノースレインボ
佐賀県江北町の江北駅~長崎県佐世保市の佐世保駅間48.8キロにありますJR佐世保線は、途中駅が14駅存在している事はご覧の皆様の中にもご存知の方がいらっしゃるのではないかと思います。この14駅の中には途中で向きが変わりますスイッチバック駅であります長崎県佐世保市の早岐駅、西九州新幹線の乗換駅でもあります武雄温泉駅、そして長崎線との接続駅でもあります江北駅と言った主要駅がありまして、これら駅に関しましては特急「みどり」・「ハウステンボス」が停車する駅でもありまして、早岐駅に関しまして
宍喰駅の南方には別の保存車両が。で、甲浦駅に到着。予定では、周辺の神社や寺を巡る…はずでした。しかし、足はボロボロで。試しに駅舎の周りを歩いてみたが、そこすらまともに歩けない。心身共に、何かもうダメだわ。ダメ過ぎて、駅の目の前の神社の写真を撮ってないどころか、甲浦駅の写真を撮るのすら忘れた。11:44の便の予約を入れてたけど、それをキャンセルして、10:32の便で阿波海南まで戻る。11:44ので行くと、阿波海南で(コインロッカーからのピックアップ、それに遅れが出るかもしれないのも
阿佐海岸鉄道の阿波海南信号場。阿波海南駅ではなく、信号場だそうな。甲浦方面に乗る。モードチェンジ中。(※タイヤ走行から鉄道車輪走行にチェンジ。)
鉄道趣味に傾倒している方なら、知らない人はいないであろう、伯備(はくび)線布原(ぬのはら)駅。今回はこの布原駅の実地踏査をしてきましたので、お目にかけたいと思います。布原駅は近年、秘境駅としても有名になり、各種メディアなどでも取り上げられることが多く、鉄道にさほど詳しくない方でも見聞きしたことがあるかも知れません。また、既にネット上でも多くの情報がありますので、諸先輩方の記録をなぞる形になってしまいますが、考察も交えながら、綴っていきたいと思います。1.布原駅の生い立ち布原と聞いて、思
JR北海道根室本線の廃駅を、滝川ー富良野、落合ー池田、釧路ー根室と紹介してきた最終回・池田―釧路です。池田ー釧路での廃駅は4か所。4か所とも列車交換設備があったので信号場になりました。廃駅から3年以上経過した今を追います。これから訪問する人に役立つ事を願い、あえて車でのアクセスを重視して書いてみました。(訪問:2023年8月27日)続きはこちら↓全て信号場に!廃駅4か所・JR北海道根室本線(池田ー釧路)(宙船)-エキスパート-Yahoo!ニュース
信楽高原鉄道列車事故刑事事件判決業務上過失往来危険、業務上過失致死傷被告事件【事件番号】大津地方裁判所判決/平成4年(わ)第400号【判決日付】平成12年3月24日【判示事項】信号設備の故障のまま、所定の措置を採ることなく漫然列車を出発させたため、上り列車と下り列車が単線軌道上において正面衝突し、死者四二名、負傷者五一九名を出した列車事故において、事故当時駅長として勤務していた運転主任及び施設管理責任者らが業務上過失
常磐道を走っていわき中央ICから県道を走り、やって来たのはこちら。JR磐越東線の江田駅。始発のいわきから3つ目の駅ですが、隣の小川郷からは8km、いわきからだと18kmも離れています県道から駅までは階段とスロープを上がること20mほど。昨今流行りのバリアフリーとは縁遠い構造になっていますこの駅を含む小川郷~小野新町間は福島県の浜通りと中通りの境目に当たるため輸送需要が少なく、1日に6往復しか列車がありません昼間には5時間以上列車のない時間帯もあります駅の近くには夏井川が流れていて、背戸峨
「臺鐵南方小站・潮州鐵道園區」の続きです。これまで何回も高雄市の哈瑪星エリア(高雄捷運橘線O1西子灣站/高雄輕軌C14哈瑪星站付近)を訪れていますが、やっと修復工事が完成した「臺鐵高雄港車站北號誌樓(信号扱所)」を見学することができました。修復作業中に火災が発生して建物が全焼してしまうという不幸に見舞われましたが、きれいな姿を取り戻すことができて本当に良かったです。建物の2階にずらっと並んでいるポイントを切り替えるためのてこや機械連動装置は火災でもすすが付着しただけで無事でした
伯備線には3つの信号場があり、普通列車の運転系統は基本的に新見で南北に分かれています。南側には広石信号場、北側には、下石見信号場・上溝口信号場があります。伯備線は総社以北が未乗車でしたので、今回乗りつぶすことにしましたが、「一部特急やくもに乗車する」こと、「どこかの駅で国鉄色やくも9号を撮る」も考慮しつつ、新見からこの列車に乗ることに。特筆すべきは、それほど信号場で停車する列車がない中で、この列車は2か所で特急退避するところです。特に、退避の少ない下石見信号場はこの列車がベストです
2023/08/11更新しました。ご覧いただき、ありがとうございます。その1その2その3はこちら。(C)予定臨8221レ磐梯熱海3:39-4:08(下1)で急7211Mを待避(C-2)予定臨8221レ川桁4:35-45(下1)で急4217Mを待避上野から急行8405レで運転されてきた会津若松編成が、猪苗代、会津若松には早く到着しなくても良い(こちらへの乗客を誘導しているようにも考えられます)ということなのか、磐越西線内は普通列車8221レになって運転、2つの
ご覧いただきありがとうございます。その1その2その3その4はこちら。リクエストにたどり着くまでに、回りくどくなってしまいました。ごめんなさい。やっとメインです。郡山発、会津若松発15時台は、下記の列車が運行されたほか、郡山発14:50下り急行914Dあがの4号、貨物上り1本、予定臨下り2本・上り1本が入って、込み入った運転となっていました。(D)1235レ翁島16:25-41(上1)で特1037M、急4101Mの2本を待避郡山から先行する1235レ、翁島で磐梯山側
ご覧いただき、ありがとうございます。その1その2はこちら。(B)222レ川桁8:20-30(下1)で急911Dを待避222レは、会津若松〜郡山間のほぼ中間の川桁で急911Dに抜かれます。広田~翁島からの旅客が、911Dに乗り替えることはあっただろうけれど、緩急接続は考慮されていないように感じます。[4]急911Dは、上り列車ですが、列車番号が東北線内に合わせて奇数になっています。会津若松では、喜多方発編成と只見・会津川口発、会津田島発編成が併結されますが、後者4410
急勾配の坂道を登ります洞門、この洞門自体は道路化で設置されたもの・・・のはずそしてこの洞門を越えると、山中信号場構内洞門の上に、古い洞門が存在していますのでチェック擁壁で護られた本線、そしてこの擁壁の上には山中信号場の待避線があります崩れたみたい・・・補修跡がありました本線、そして堰堤の上は待避線そして被災堰堤が流されていましたかなり大規模にやられている・・・営業線当時の山中信号場左側が今登ってきた本線、右が堰堤上にある待避線
室蘭本線は函館本線の長万部駅から太平洋沿岸に沿って室蘭市、苫小牧市といった工業や港湾の都市を経て、沼ノ端駅で千歳線に接続し、本州方面や函館から札幌方面へ抜ける主要ルートの一部を構成する、道内でも屈指の重要な路線です。したがって、戦中戦後にかけて旅客、貨物ともに輸送量が増大し、特に石炭などの物資の運搬のために重用され、戦中には勾配対策と交換設備の増設を兼ねたスイッチバック式の信号場がいくつか作られました。戦後になりスピードアップの時代が来ると、全国の他の主要幹線同様、室蘭本線も線形改良のための
22日はほくほくスマイルクラブの日✨️といった訳で、またたまたま遭遇し乗車しましたO山さん運転🚃が10号車でしたが、この時ほくほく線車両番号板キーホルダーの10号車だけたまたま携行していましたので本物の車両番号板と記念撮影したり、その後別の列車でしたが信号場をまた堪能したり、別の時間帯でしたが乗車率高かったので、自分的には普段立つ事の無いレアな場所に立って乗車。発車まで数分間ありましたので、車内の運賃表とホームのスノウリッチというレアなアングルで撮ったり、こち
前回よりご紹介しております、上山田線廃線跡探訪の話題をご紹介しておりますが、前回は上の画像の飯塚駅から旧臼井駅までの区間に関しましてご紹介しておりました。上山田線は、飯塚駅から上山田駅、そして日田彦山線豊前川崎駅間を結ぶ路線として、当初は明治34年に筑豊炭田から産出される石炭の輸送のために飯塚~上山田間が、後に工事自体が凍結されました「油須原線」の構想のために戦後から工事が行われました上山田~豊前川崎間が昭和41年に漆生線の漆生~嘉穂信号場間とともに開業しておりまして、結果上山田線
こちらのつづきです😌『6月9日の思い出(2)』こちらのつづきです😌『6月9日の思い出(1)』6月9日の思い出・・・情報量が満員乗車してるので少しずつ振り返ってゆきたいと思います😌・・・自分はこの…ameblo.jp平日でしたので、儀明信号場も朝から堪能しました🎵KeikoonInstagram:"先週6月9日の朝の信号場(ちょいちょい端折ってますが)信号場の光景も良きですし、#HK100形のいろんな音も良いですね😆#北越急行#ほくほく線#儀明信号
さて、下牧(しももく)信号場と、その前後の単線時代の旧線探索レポートの続きです。→前編の続きですので、よろしければ先にそちらをご覧下さい。https://ameblo.jp/pon-chape/entry-12797449428.html『スイッチバック式の信号場、上越線下牧信号場跡を訪ねて【前編】』今回は現地調査です。写真がメインとなりますが、掲載枚数が多いので、前後編に分けてご紹介します。有名どころですので、諸先輩方の秀逸なレポートや写真がインターネッ…ameblo.jp大雑把な手
今回は現地調査です。写真がメインとなりますが、掲載枚数が多いので、前後編に分けてご紹介します。有名どころですので、諸先輩方の秀逸なレポートや写真がインターネット上で多数見られますが、私も現地に足を運び往時の賑わいに思いを馳せてみたくなり、僭越ながらその際に撮影した写真をお目にかけたいと存じます。何卒、お手柔らかにご高覧頂けますと幸甚です。さて、上越線は、それまで碓氷峠越えという輸送の大きなボトルネックを擁する信越本線に頼っていた首都圏と日本海側との連絡路に代わって、より短距離で、より大き
続きです。入って来たAR305に乗車します。銘板。右側に見えるホームは、旧小郡(筑後小郡)駅のホームです。今の小郡駅は、500m程甘木よりで高架駅になっていて、西鉄に乗り換えるのに便利になっています。運転室。終点基山駅に着きました。折り返して出発するまで、少し撮影しました。駅名標。JR九州鹿児島本線の駅名標。甘木鉄道との共同使用駅になります。と、停車中の甘木鉄道AR305の横を凄い勢いで、787系が通過していきましたAR305が停車中の線路が甘木鉄道で、後の3本はJRにな
おはようございます。本日の写真は、枋野信号場を通過するDR3100形自強号です。鉄道模型Nゲージ鉄支路DR3100形ディーゼルカー柴聨DC自強號6両セットNo.VM3050(haruya-railmodel.com)この信号場、信号係とは別にワンちゃんが「勤務」しています。ワンちゃんの食事担当も、信号係の勤務内容に含まれていると聞いていますが、今も現役なのかな?なお、枋野信号場では3.1km離れた場所にある中央信号場の信号扱いも行っています。
北見市近郊に4ヶ所あった仮乗降場。西北見駅や愛し野駅が新設される一方、仮乗降場には過酷な運命が…。そして4ヶ所の仮乗降場は、その明暗がくっきり分かれました。旭川市の新旭川駅と道東の網走駅を結ぶ石北本線。網走駅では釧網本線と接続するほか、現在はただのスイッチバック構造の駅となった遠軽駅の行き止まり方向から名寄本線が接続していた一大幹線でした。北見駅で接続していた池北線と共に網走本線として開通した経緯もあり、池北線も当初は一幹線でした。しかし、ダイヤ改正の度に駅を廃止によって減らしてきた
実態が分からない、ひいては本当は仮乗降場であったかどうかも分からない、そんな仮乗降場も存在しました。今回はそんな仮乗降場のお話です。函館本線。JR北海道きっての大動脈であり、北海道随一の幹線です。北海道新幹線の開通によって一部区間の廃止が決定するなど、先行きは明るいとは言い難いですが、国鉄時代、北海道で初めて電化された(実際は定山渓鉄道が乗り入れていた現在の千歳線の一部が直流電化されたのが最初ですが、国鉄の手によって電化を完成させた最初の例として)小樽駅〜旭川駅間は今も特急街道であり沿線
探索日2017/05/04切り替えは1966年7月20日の複線化時ここには下牧信号場、加速線があったこのへんが上牧駅方新旧線分岐点旧線は左へ分かれていくスイッチバック引き上げ線の北端もこのあたり柵で囲まれているとこがそうか?現在線手前が旧線跡盛り土が残る路盤跡上に来てみた砂利道になっている廃線跡本線と引き上げ線が並んでいた築堤は昔のまま現在線を211系電車が走る右の盛り土が旧線跡道路沿い、民家の建っている位置
11/3文化の日の午前中に善光寺西街道を西条から麻績宿まで歩いた後★『善光寺西街道を歩く西条〜麻績宿その2』善光寺西街道の5日目(5回目)となる11/3文化の日の街道歩き間宿西条から麻績宿まで歩きます途中の青柳宿まで歩いた前回★の続きです『善光寺西街道を歩く…ameblo.jp午後は、西条駅と明科駅の間の、篠ノ井線の旧線の廃線跡を見に行きましたこの区間は、1988年9月10日に下図の新線に付け替えられ、旧線は廃線となりました(HPからの借り物です)先ずはGoogleM
今回は「旅の終わり」という曲をご紹介させていただきます。5~6年前だったと思うのですが、新橋のSL広場で古本市をしていて、一部の店舗ではレコードも販売していました。前を通りかかった時、目にとまったのが腕木式信号機のあるローカル線の信号所(かな?)のジャケットでした。失礼ながら曲も歌手も知らなかったのですがジャケットに惹かれて買ったシングル盤でした。調べてみたらこの曲は「北海道ユースホステルの歌」として70年代~80年代初頭に歌い継がれていたとのことです。自分が初めて北海道へ
現在、長崎線の肥前山口~諫早間の通称「有明線」と言いますと、特急列車の需要が高く、逆に普通列車の需要が低い区間でもあります。この区間は、全区間で単線となっておりまして、かつカーブ区間も見られる事から、複線区間であります鳥栖~肥前山口間、一部複線区間があります諫早~長崎間としますと速度も落として運行せざるを得ないのが特徴であります。それでも、画像1の885系電車に関しましては振り子式電車である事からカーブ区間も対応している事もありまして、そんなに速度を落とせずに運行できるのが特徴では