ブログ記事1,617件
誰にも、先々の事は不確実性な要素が髙く、どうなるのかは分からないのです。故に、目先の出来事だけを見て、右往左往するのは愚かな事。仮にネガティブな気持ちになるような出来事が起こっても、其れへの取り組み姿勢次第で、先々にどのように展開して来るかが変わってきます。自身にとって嫌な事でも、きちんと対応すれば其れが良い方向へと転じる契機となるケースもあります。未来の事は不明と割り切って、出来事自体は確りと受け止めつつ、そこから気張って行くのが妥当。そうして進んでいけば、大難が小難に、小難が無難に
🧺【今日の事件:洗濯機編】僕:「じゃあ、洗濯機の“スタート”押しておいてくれる?」陽翔:「はい!わかりました!」(※この時、僕は“スタート=通常洗濯”だと思っていた)──1時間後。僕:「あれ?まだ脱水終わってない?」陽翔:「今、“すすぎ7回目”に入りました!」僕:「すすぎ……なな、え?7回?」_人人人人人人人_>水道代、昇天。< ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄🧠【陽翔の頭の中】陽翔:「“スタート”を押す前に、“すすぎ”を押してみたんです!」陽翔:「そしたら
この本の「旧約聖書」に関する部分を読了。聖書物語(角川ソフィア文庫)Amazon(アマゾン)色々と、興味深いものでしたが、いくつか、個人的に、納得の行かない部分も。一つは「ヨブ記」について。この「ヨブ記」は、「旧約聖書」の中にある、説話のようなお話となりますが、この「ヨブ記」については、以前、どこかで目にしてから、ずっと、気になっていたんですよね。そして、今回、読んだ「聖書物語」の中にも、当然、この「ヨブ記」の話も登場する訳で、やはり、どうも、読んでいて違和感が
気付いたことがあります。それは、「今ここにいる!」と思っていても全くもってここにいないこと。「あぁ、今日の空は綺麗だな」「鳥の声が聞こえるな」「この小さな身体が愛おしい」その瞬間はここにいて、目の前の風景であったり子どもの姿であったり、色んなものを感じて愛でられるのに・・しばらくすると、ふっといなくなる。「この空って前に見たのに似てるな」「この小さな三男はどんな成長をしていくんだろうな」そんなことが頭をよぎると、もう私の意識は今ここじゃな
今日に限って暇だなんかいいことないかな今日は知り合いが来られたなんか結構私がここにいるの知ってはる結構内緒にというか誰にも言ってないんだけどねま、普段特に私誰とも関わらないのでお話すると楽しいあんまりお友達とか作ろうと思わなくて家族さへいたらよくて家族関係さへうまく行ってたらいいかなと思っていて寝る前とかいつも神様に謝ってる笑日々そんないい行いをしていませんすみませんて笑信仰心とか全然ないんだけどなんか悪いことが起こると自分のせいかなて思うから今日も夫は悪くなく
浅草寺は何時も観光客が沢山。信仰心で来ている訳ではないので、写真映えするを堂舎を占拠するので何だかなと思う次第。合掌
幸福の科学主エル・カンターレ大川隆法総裁先生書籍:太陽の法参照です。🌈ガーナ文明人類四億年の歴史のなかには、川を流れるあぶくのごとく、数かぎりない文明が生まれ、かつ消えていきました。そのすべてを語ることは、現代人にとっては、不要でしょう。とりあえず、私たちにとって必要なことは、現在および、未来社会を考えるための材料です。しかし、その材料が、過去の文明のなかにうずもれていないかどうかを確かめてみることは必要です。そこで、私は、実在界にあるアーカーシャ―の記憶をひも
アイスクリームを手に入れた夜、王女の歯茎が傷み始めました。就寝前、なんか・・・おかしいと言ってた王女。激痛で目覚めた模様(-_-)食事も喉を通らず、こ・う・せ・い・ざ・い・出して〜〜〜息も絶え絶えとりあえず、レントゲンを撮ってみますと、国王曰く、親知らずだな<(`^´)>歯ぐきを突き破って出てきているようでした痛い、痛い、痛い・・・抗生剤も効かないよお。痛くても、お腹は空きます。
昔友人に会いに台北行きました友人の信仰するお寺へ連れて行かれたのですがもう怖くて仕方なかったです帰国して後から知ったのですが私に何かついてきて祖母がそれに気がついてお祓いに行けと言われた記憶あります信仰深い友人なので怖くなった私は疎遠になってしまいました宗教、って難しいです
ヨガをしている、この言葉で「宗教」とくっつけられてしまう事が多い。もう、慣れてしまったので特に言葉は返さないようにしているが。「福音派」について考える。個人的に宗教を嫌いではない。信じる気持ちは素敵だとは思う。それを励みに生きている人だっている。ただ、信仰心は武器にもなると思ってはいる。ナイフだって使い方次第で人を救い、切り分けて分け与えたり、万能の力を発揮できる。と同時に人の命も奪える。それが怖い。信仰心をより持たせるために「洗脳」という手段がある。手短に言
秘密ブログとか言って🤫秘密になれてないから、どこまで話せて良いのかわからない胸のうち。お陰様で最近は占いbarとか台東区とか浅草橋とか検索すればだいたい晃桜花出てきますのよん(そうなると必然とこちらのブログも。。ですのであまり下手なことは言えませんのよね)わたしが勝手に秘密ブログ、と思い込んでる秘密ブログ、、ってことかしら。ちょっとイミフ🤷♀️まぁ、それで良ければお付き合いくださいわたくし、よく、恋愛について聞かれたりします。どうなの?って。真面目にここしばらくは、会社とお店のこ
ほんとうのところ、わたしはUnionchurchからは名目上、左翼に送り込まれた、🕵️❗️とされて出入り、🈲止状態ですがその、統一理論体系の美しさには感服致しました-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtube.com歴史的にも、打てば打つほど信仰心は強くなり、滅びることがないのが宗教であり、信仰心というものですまた、この団体が勝共連合という
世の中には色々な宗教がある。昔の職場でも、経営者がR会の信者で、そこの奥さんからあからさまに「R会に入らない?」と言われたこともあった。いくら雇用主でも、こればかりは業務命令は通用しない。私としては無視し続けた。R会もおそらく紹介型だったのだろう。私が昔居た教団も、入信時の書類には紹介者名を書く欄があった。紹介した人間も、立ち位置が優位になるのだろう。でも、本来の信仰には組織など不要と思う、組織の言いなりにならずとも、神仏とのご縁があれば十分。誰かにとやかく言われなくとも、
正受院・名号塔@豊田市お堂が伊勢湾台風で倒壊し、「正受院・名号塔」が造られた小さな田舎の村の信仰心の強さを感じる二人それぞれ「メイともな」かわいい
車で15分のところに大きな沼(加瀬沼・宮城県利府町)があるので久しぶり水鳥を見にいきました。残念なことに水鳥がいないので沼の周りを何気なく散策して見ました。人気のない淋しい所にくると今にも倒れそうな建物があり近づいてみると神社でした。大きな地震でも崩れないで残っている不思議な建物。グーグルマップ検索すると水神社と言う名前の神社。私は信仰心はありませんが、何か神秘的なものを感じる建物。
この自分軸とこの自分軸への信仰心これ無くしてこの世界であなたは決して変わることはできませんよChieArtさん2025年に心がける大切な3つのことhttps://youtu.be/u7PpWK9Tz_c?si=MffSjvJXQWujPOgC-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be
霊山登拝に見た人霊山登拝にはたくさんの人が来ていました外界とは違う世界線がさらに濃くなるので外界では出会えない人(もしくは分からない)ギュッと凝縮している気がします(笑)山頂あたりでお経?みたいなのを必死に唱えている人達も何人か見ましたし山を裸足で歩いている人達も結構見ましたそのような方々の中、一人で登拝していた男性丁度参拝している時を見たのですがサンダルで来ていて参拝中は裸足の様でしたなんか波動が軽そうな感じで光の柱があるなとめちゃ気になって声かけようか迷いました(笑)
人は健康である時は、それが当たり前と思っているが、一旦病気をすると、どんなに健康である事が有難いか、しみじみと解かるのである。それなら健康の時にそれを心から感謝して暮らしておれば善いのに、なかなか感謝しないのである。其処が問題である。眼の悪い人は、どんなにお金をかけても善くしたいと思う。だが眼の丈夫な人は、一銭も出したくないと言って、別の事に不平を言う。これではいくら経っても感謝の心にはなれない。だから、今与えられている健康な目、耳、鼻、口に感謝し
幸福の科学主エル・カンターレ大川隆法総裁先生書籍:ストレスフリー幸福論参照です。🌈分別知による判断をせず、心を止めてみるこの世には偶然なるものは何もないのです。それを知ってください。また、すべての問題が、会社のようなかたちで解決するわけではありません。その問題を受け入れたときに、実は、その先に道が開けてくるのです。みなさんは、「なぜ、私に、こういう現象が起きたのか」思うかもしれません。「自分は、これほど家族を大事にしているのに」「自分は、これほど親孝行をしたのに
タイの山頂のお寺にいってきた。10年前に地域の村人たちがお坊様たちと建て直したらしい。その際、仏像を彫るのに2本の大きな木を探しだした。その山の中で見つけて、山頂のお寺まで運んだらしく、長すぎてトラックでは運べなくて村人を含む協力者100人以上で引っ張りあげ、職人がほったらしい。物凄い大変な事業だったらしく、寄付と多くの人々の信仰心がつまった建物らしい。お寺の起源は1000年以上前だとか。もう1本物の木が見つからないので、非常に希少価値があるらしい。うろこをかたどった参道?
案ずるより産むが易し。この一言に尽きる。何の心配も不安も要らない。アタシ…心配性治ると良いな〜けど…助けられているな〜って感じます。誰に?(笑)誰かに。守護霊とかかな?全く…霊感無いから分からないけど…信仰心も皆無だけど…www何か…ありがとうございます。
アルバイト前にいつもの神社へ…べつに信仰心は全く無いんだけどねお寺より神社って落ち着くよね俺だけ?
おはようございます(^^)我が家のお仏壇の真ん中に、祖母が入信した宗教の創始者の写真を飾っていました母も元気な頃は熱心に活動していました私は。。。子供の頃は野外活動などに参加していましたが。。。若い頃に卒業しています(^^)毎日、ご先祖様にご挨拶する際も、菩提寺の浄土宗に従い、南無阿弥陀仏と唱えていますそのため、失礼かもしれませんが。。。宗派も違うし。。。信仰していない宗教の方のお姿を飾り続けるのもおかしいように感じて。。。お仏壇の真ん中の写真を外しました
信心は唱題。心を修正する。正しい道に導いてくれる。それもこれも、信じることができればだ。私は信じようとしたけど、信じられなかった。ここは危ない組織と気づいたから、上手にリタイアした。手始めに勤行唱題をやめて、仏壇を小さくして押入れにしまう。新聞と広宣流布基金をやめた。そうすると、信仰心が無くなって、心が落ち着く。ああもう折伏や新聞啓蒙、Fの報告、できないことを気に病む必要ない。やりたくないって言えちゃう喜び。ありがたいわ。
【信仰の団体化について】『信仰は、人間が生きる拠り所とすべき力の一つだ。そしてそれが皆無となることは破滅を意味する。』(ウィリアム・ジェームズ)『浅薄な哲学は人の心を無神論に傾け、深遠な哲学は人の心を信仰へ導く。』(フランシス・ベーコン)信仰心を持つことは、人生で最も大切なことです。しかし、信仰を団体化すれば堕落します。これに関して、『森信三一日一語』(編者寺田一清致知出版社)の中に、こう書いてあります。「宗教は人間が立派に生きるためのもの。随(したが)って人間
ひたすら人の為に祈り、神様に思いを取り次いで下さる温かい宗教がある一方で、神様の名で商売をしているような不心得な団体もある。昔誘われた教団群も、実際の所は神様商売だろう。今思うと、そこの教団の人が誰かのために祈っている姿を見たことがない。神仏は商売道具ではない。その様な団体に信仰心のある人が入っても、信仰心を傷付けられて教団につぶされてしまう。そういった団体は長続きしない。人に優しい宗教こそ次世代に残るべき。感謝と祈りを大切にしたい。
統一教会としての墓があるんですね!あたりまえなんだけど初めて意識しました。解散後の心配してるみたいだけど、別にどうにもならないと思うけど?税金の優遇が無くなるだけだから。信仰心は解散させられないでしょ。世間的に適正な価格で運営すればいいだけ。少し気になるのは仏教系の法事に相当する行事ってあるのかな?こういう時に先祖解怨みたいな話を持ち出すのかな?でも高額献金はもうやめてあげて。どうせ乗っとり済の宗教団体の持ち物にしたりするんでしょ?
この連休に、普段は出来ないことをやろうと決め、大小沢山のことをやり遂げた高橋、最終日の昨日また色々なことに取り組みました。その①ゴムが1本外れて着られなかったパウにゴムを入れました。大変だった時間がかかりましたま、でも新しいのを買うよりはね。。。ピリアロハのハワイ研修の時、ファブリックマートで買った布で作ったパウ、捨てるには惜しい。。。その②和食を食べに行きました5月のお椀は鯉こく、白味噌仕立てです。牛肉のみぞれ餡ご飯は「うすい豆」ごはん。