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おはようございますぴよぴよ侍です今回は久し振りに参拝させて頂くことができた石切劔箭神社と、初めて参拝させて頂くことができた枚岡神社の参拝記録を書かせて頂きます東大阪市にございます石切劔箭神社は、私にとって非常に大切な神社の一つです母は一度流産を経験した後、兵庫県宝塚市の中山寺にて子どもを授かりますようにと祈願し、願いが叶って私を妊娠した後に再び流産の危機に陥ったのですが、その際に無事お腹の子(私)を産むことができますようにと祈願してくれたのが石切劔箭神社ですもちろん、中山寺へも石切劔箭神
(タケミカヅチの神)魔はあくなき人々の欲望をかてとして逆巡りへといざなう魔は信仰心を悪用するプロであるだが断じて我らはこれらの者共に立ち向かうアニメ映画は時にはこの世の生き写しである厳密には宇宙にある意識の1幕をシナリオの書かれた巻物を作者に手渡したのだ(フツヌシの神)ストーリーといいタイミングといい偶然と思えても必然なのだ反時計回り五芒星巡りこれがまさに日本の結界をゆるめ封印をとき災いを招き入れようとする役目をになっておる司令塔は桜井◯子が巡った
皆さんおはようございますドとレとミとファとソとラとシの音が出ないクラリネットを探し彷徨う永遠のDannyBoyこと、齢50を迎え尚独り立ち出来ずにいる隠れニートの気持ちを忘れずに生きるShockDoGun'sKeityです昨日は好中球の減少が回復せずに2回スキップとなっておりました抗がん剤治療のため、がんセンターへと通院してまいりました前回の治療から約1カ月抗がん剤を抜いておりますので、今回は大丈夫だろうと思っていたとおり白血球、好中球ともに問題なく無事に治療を受ける事となり
おはようございます。生き霊を飛ばされても平気な人はいます。生き霊を祓うというよりも生き霊を寄せつけない人、跳ね返す人、影響が出ない人には特徴があります。大まかに3パターンです。他にも色々とありますが代表的なタイプはこの3つに分かれると思います。①強い気持ちの人負けず嫌いで勝ち気な気持ち。生き霊を飛ばす相手より強気でいる事です。想いが強い方が勝ちます。気持ちが負けていると生き霊に支配され苦しみます強い気持ちの人はそもそも生き霊の影響を受けません。跳ね除けたり跳ね返すからです。
生きること私の話はスピリチュアル的な宗教的な話にも聞こえます。確かにスピリチュアル的な側面宗教的な側面もあると思います。がかたよった思考ではなく私にとっては自然なことと思っています。太陽は東からのぼって西に沈みます。西に沈んだ太陽を見て太陽が無くなったと騒ぐ人はいません。太陽が東からのぼることを知っているからです。私にとって生きることは東からのぼること西に沈むことと同じと感じています。人はどうしても肉体に意識を持って行かれて
頑固と信念頑固より信念の方が良いという方は多いと思いますですが自分では知らずに頑固を貫く方が多いのです字は違いますが貫くことが出来るのは一緒です頑固とはなかなか自分の態度や考えを改めようとしない信念とは正しいと信じる自分の考え信仰心意味は全く異なりますさらに焦点が違うのです少し難しくなりますが思考での脳の使い方も異なります頑固🟰萎縮(交感神経)信念🟰伸長(副交感神経)さらに決定的な違いです頑固のがんは癌のがん信念のしんは心のしん合掌
おはよう御座います今日は柄にも無くごく普通にご挨拶するShockDoGun'skeityですクリスマス🎄🤶は、特に何もなく通り過ぎまして待ち遠しきは例年より少し豪華な品をチョイスした御節料理をつつく大晦日どうも今年の大晦日から元旦にかけては生憎のお天気になりそうですが、それは一先ず置いておいて気持ち穏やかに新しい年を迎えられる病気になって3度目の年越しとなりそうですはてさて。そんなこんな(どんなだ❓)で昨日は、今年最後の通院日でした🏥ここ1〜2月程、今まで感じ無かった胸の
他の方のブログを読むことは、私のためになります。ブログを読んでいますと、参考になること、勉強になることが沢山あります。癒されたり、楽しくなったり、笑ったり。辛いのは体調が良くない報告。病状の悪化が書いてあると同情します。そう、私には「同情する」事しかできないと思っていました。先日、コメントを頂き「私達に出来るのは、その方の心の声を聞き、1日1日を無事に、生きていてくれる事を祈る事しかできません」と仰っていました。本当にその通りだと思いました。読むことで、その方の心の声を聞き、
人間は欲深いけど(笑)動物は欲深くないね。動物は欲深くないからいさぎいいし悪あがきしないし全てを受け入れる。悟った仙人みたい。笑人間は死にたくないもっと生きたい何とかしてほしいと藁にもすがる思いで神様、お医者様にお願いする。
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索私自身、その「神様」というものを信じてはいないものの、やはり子供の頃からすり込まれてきたものは恐ろしく、「正しい行いをしないとバチが当たる」とは思うようになっていました。これ、ある意味当たり前ですがその当時は「その神様」が罰を与えると思わされていたんです。義父は金もないくせに、その宗教の地域の幹部をしていて、夜な夜な信者が狭い我が家に集まっていました。その光景の異様なこと。思春期になると、ことあるご
月に一度の輪読会は、昨年末から、『釈迦の本心』を読んでおります。皆さん、かなり色褪せた書籍を持参しております。(1997年発刊)相当読み込んでいるのではないかと思いきや、書棚の深層部に埋もれてたんだけど、こんな色になってしまった・・・とのこと。そんな、忘れ去られた尊い教えを紐解きますと、皆さん驚愕。ちょっと、これ、一度は読んだはずだけど、こんなにいいこと書かれてるこんな感動の書を、🇯🇵の学校では学べないなんて、勿体
僕、父親が『東野圭吾さんと、同じ大学の『理系人間』で、震災も体験してるから『神への信仰心。など、全く無い人。』ですが、三宮の、ジュンク堂駅前店で『関西の神社御朱印帳ガイドブック』を、買って『アイナック時代の『スタンボー』に送ってあげました。
全てが自分たちの思い通りにいかない田舎の葬式。昔ながらの形式でなければ近所や親戚、あるいは友人や勤務先の人にさえ認めてもらえないのです。お寺や神社に葬式を依頼しなければ、あの家は気でも触れたかと、村八分にされても仕方ないと思えるぐらい田舎の人たちにはお寺や神社に対する信仰心が根付いていることも思い知らされました。3話でお話しした、お寺には葬式を頼まないと言って依頼を断られた葬儀屋も、地元の農業に深く携わる団体が経営する葬儀屋で、今となれば断られた理由も納得できます。信仰心の厚い方には失礼
先々週の記事で書いた「祈り」について、今日はエドガーケイシーの講座を振り返って少し書いてみようと思います。『祈りと遺伝子』私たちの団体名は、「祈りの羽プロジェクト」です。「祈りの羽」って、憶えてもらいにくいのかしら?と思うことがあります。「ほら、なんちゃらプロジェクトだったよ…ameblo.jpまずは、4月サロン「アトランティスの秘密」講座レポート(Facebook記事より一部転載)・・稀代の霊能力者、エドガー・ケイシー氏が残されたリーディング
神社仏閣で頂く「護符」「おふだ」そこで言われた「貼り方」が「桜井識子さんのブログを読んで、追加しましたよね?」という方法だったり……『【守りの要】角大師のおふだがある寺院』角大師とは「角大師(つのだいし)」とは、平安時代に大活躍したお坊さん「良源(元三大師)」が「必死に疫病退散のお祈りをしている時の姿」との事。コレを玄関に…ameblo.jp「それは、違うのでは?」と思うことが、まれにあります。今回薬師寺に行って「それは、違うのでは?」ということがあったので、ご紹介し
これまで何件も「願いがかなったらお社を建立します」「◯◯をお供えします」「必ず◯◯します」と言いながら、忘れてしまう人たちを見てきました。そういう方たちは、一時的に隆盛を極めますが、やがて神さまに見放されて、実に惨めなことになっています。その気にさせて裏切るのは最低ですよね?だからこそ、「実現可能なこと」しか、神さまには誓ってはいけないし、自分に余力がなく貧しいときには、充分にお給仕出来ないこと、粗末なお祀りしかさせていただけない事を丁寧に詫びたうえで
『おふでさき』は教祖の直筆本があり、その筆跡に近い形態での公刊本が昭和11年に出された。この貴重な資料はデジタル化されている『おふでさき』の各号の表紙は、秀司様か、山澤良次郎が書いたとされている。表紙そのものが本刊行本には掲載されているのが出色である。おふでさき-国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館デジタルコレクションは、国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるサービスです。dl.ndl.go.jpまた本文は当時の仮名文字であり、令和の
布施とはなんでしょう。広義では、お金に限りません。誰かの幸せや安全や成長のために、自分に無理なく出来る最善を尽くすこと。なんです。つまり☆相手と自分が、共に嬉しい気持ちになれるように☆自分が分かち合えるものを、喜んで分け合うことそれが布施です。仏教には四摂法というものがあるのですが、これは、人々や集団をまとめるための方法です。道元禅師が著した正法眼蔵の中にある、「菩提薩埵四摂法」から来ています。四摂法は、誰にでも出来る菩