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今回は5-8Day第二弾ということで、EF58形電気機関車の登場です。EF58形電気機関車は、国鉄が製造した旅客用直流電気機関車で、昭和21年~昭和33年の間に172両が製造され、戦後を代表する電気機関車となりました。開発当時、旅客用電気機関車(旅客用蒸気機関車も)は戦争の為に製造中止となっていましたが、戦後の急激な旅客需要の増大に加え、戦前形の機関車は戦時中の酷使によって老朽化し、旅客用蒸気機関車と共に、旅客用電気機関車も圧倒的に不足していました。このような事情か
本日は5-8Dayということで、トップバッターC58形蒸気機関車の登場です。C58は、我国初の本格的国産貨物蒸気機関車9600形と、同じく初の本格的旅客用蒸気機関車8620形の中間的性能を持つ万能機関車として昭和13年から430両余が製造されました。当初は、ミニD51的構想もあったようですが、先述の様な目的で、動輪径はC11と同じ1520ミリと、我国では珍しい1C1のプレーリー形軸配置を採用しました。地方線区の老朽化した貨物機9600と旅客機8620を1両で置き換えること
本日は5月6日、5-6Dayということで、C56形蒸気機関車です。C56形は、昭和恐慌に入って従来の国鉄の線路規格(甲線・乙線・丙線)の更に下級として建設された簡易線用の機関車です。先に完成していたC12形タンク式機関車をテンダー式に再設計した姉妹機に当たり、多くの部品を共用しています。元来、十分な設備の望めない(ターンテーブル等)簡易線用のC56は野戦鉄道の牽引機としても最適と考えられ、総生産数154両の内、№1~90の計90両が戦時中に供出され、
【国鉄】若松駅前広場のSL(9600型19633号)解体|2nd-train鉄道ニュース北九の民さん撮影2024年4月22日に、若松駅近くの駅前広場にて静態保存されていたSL9600型19633号が解体されていることが確認されています。この機関車は1917年製で、1973年に若松機関区で引退した車両となっています。2nd-train.net先月下旬に飛び込んできた、こちらのニュース。海風に吹き晒され、かなり状態は悪かったとはいえ、かつて日本最大とまで云われた若松駅操車場のシンボ
本日は5-4Dayですので、NゲージのC54に続いて、DD54形ディーゼル機関車です。無煙化が進む昭和40年代、地方幹線では未だに蒸気機関車が就役しており、電化されていない区間の無煙化についてはDF50形ディーゼル機関車が昭和30年代に投入されていたものの、DF50はD51形蒸気機関車などに比べれば出力不足でした。更に、1000馬力級エンジン2基を積み、液体式変速機を備えた国産の本線用ディーゼル機関車DD51形の開発が済んでいましたが、山陰本線の福知山機関区・米子機関区にはド
撮影日2022.5.28撮影場所長野電鉄長野線須坂駅付近前回に続き一昨年訪問した長野電鉄の記事です。「ゆけむり」1000系に乗車し須坂駅で下車しましたが、ここに長野電鉄の車両基地が有ります。次の乗車予定の列車までのつかの間にここで撮影を行いました。そして構内にはかつての名車が眠っていました。(一枚目)・広い須坂駅構内には2100系(元JR東日本253系)、3000系(元東京メトロ03系)、8500系(元東急8500系)に加えかつての主役、3500系(元営団
皆さんこんにちは、という事でまたペーパークラフトを上げます。おまけ保存車ではまた次の記事で会いましょう。
西武保谷駅の電留線に保存されていたSLとELのカバーが外されてる、との噂を聞きつけて、訪問しました。確かにシートが外されています。工事フェンス越しに見ることができました。5形蒸気機関車。イギリスから輸入された官鉄400形と同系列の2-4-2タンク機関車です。こちらはE11形12号機。弘南鉄道ED33と同型ですところでなぜシートが外されてるのでしょうか?イベントで公開でもするのか、どこかへ移送するのでしょうか?
紀州鉄道「紀伊御坊駅」のすぐ御坊駅寄りには、以前紀州鉄道で活躍した603号車が保存され、列車からも良く見えているのでちょっと見学してみたいと思います。この車両は1960年、大分交通耶馬溪線様に製造された車両ですが1975年廃線となり、登場からまだ15年とまだ新しくこちらへ移籍しました。その後紀州鉄道で活躍を続け、2009年まで34年間活躍しました。子供の頃から割合最近まで紀州鉄道といえばこの車両でした。御坊駅側の正面。西御坊川の正面。現役時代さながらに保存され
撮影日2022.5.27撮影場所糸魚川ジオステーション前回に続き、一昨年乗車した北陸旅行の際に訪れた糸魚川ジオステーションのキハ52の紹介です。現車は引退してしまいましたが、綺麗に保存されており今にも走り出しそうです。因みに私がJRのキハ20系に乗車したのは大糸線現役時代のキハ52に一度乗っただけなので、この車だったかも知れません。(一枚目)・車内です。同じく末期まで残っていた東日本のキハ52の多くが車両更新工事(一部は特別保全工事)を受け、盛岡エリアでは
撮影日2022.5.27撮影場所糸魚川ジオステーション前回に続き、一昨年乗車した北陸旅行の際の記事です。富山駅から新幹線に乗車し、次の目的地・糸魚川にやって来ました。今回はその際の記事です。(一枚目)・次の乗車列車が発着する、糸魚川駅の在来線ホームからの写真です。シャッター越しに何やらかつて当地で走った車の姿が見える様な・・・。私はこの車両に20年ほど前、糸魚川駅から南小谷駅まで乗車しました。北アルプス登山の為でしたが、お盆の暑い時季でしたが大糸線は涼しく
巻頭特集はEF58お召列車の全盛期です。日本海縦貫線の一大拠点、富山機関区でのEF510についても興味深いです。ED76-500、ED77の記事も楽しみです・・・・。
かつて、国道3号線沿いに建っていた、こちらの廃墟・・・・。実は、これ、自動車だったんです!!!正確に言うと、ロンドンバスでした。とある中古車店のモニュメント/ランドマークになっていたようですが、中古車店閉鎖後は放置され、追加された造作にまみれてとても自動車だったことは一目で想像がつかない状態になっていました。それが、くさせんり師匠の情報で「八女市内でロンドンバスのカフェがオープンしたらしい」とネット記事を転送頂き、もしやと思っていました。というのは、ロ
一昨日は日田駅構内を散策しましたので、勿論日田駅前公園のD51‐176号機を再訪問しました。総生産数1,115両。昭和11年に誕生したD51形蒸気機関車は、その数だけでも傑作機関車の名に相応しい存在です。国産貨物蒸気機関車の基礎を築いた先代D50形の性能を基本に、ボイラ圧力を13kg/㎠→14kg/㎠へ引き上げ、更に車体に溶接を全面的に採用して軽量化を果たし、動輪も頑強なボックス型動輪に変更しました。D51が日本の国情に合った優れた機関車であったのは間違いありませんが、同じ貨物
撮影日2022.5.26撮影場所歴町ふるさと館マッチング(1枚目は大聖寺駅)前回に続いて昨年春の北陸旅行の記事です。今回は北鉄でかつて活躍したスター、モハ3751の保存後の姿です。(一枚目)・加賀温泉駅から戻り、本来降りるべき大聖寺駅に至りました。現在は特急はほとんど止まらず普通列車メインの駅ですが、かつては加賀温泉郷の玄関として近隣の動橋駅と競っていました。又加賀温泉近辺には北陸鉄道が線路網を築いており、通称「加南線」と称され当駅からはその中で山中線が伸び
続きです。「九州鉄道記念館」に。2008年当時の模様です。59634号のキュウロクがお出迎えです。C591号です。特急牽引機でしたね。EF1035号です。関門トンネルで使用された電気機機関車です。ステンレス外板車で唯一の保存車でしたね。東京機関区の同型機の記憶はあります。ぶどう色の後の車は真っ赤です💦交流車の特徴の赤2号です
撮影日2022.4.11撮影場所若桜鉄道若桜行普通列車車内※一部写真は帰路列車で撮影前回の記事の続きで、水戸岡デザインに彩られた「NDC」WT3000形に乗車し、若桜駅へ向かいました。平日午前中の為、車内は閑散としていました。(一枚目)・鳥取駅は高架でしたがすぐに地平区間になり、長閑な景色の因美線を快走して行きます。そして10分程で分岐駅、郡家駅に到着しました。ホームでは桜が満開でした。因美線は非電化単線の地方交通線ですが、途中智
先日の貝塚公園訪問記の続きです。今回は、9600形蒸気機関車49627号機です。9600形蒸気機関車は、大正2年に登場した我が国初の本格的な国産標準形機関車です。それまでにも国産で製作された機関車は他にもありましたが、例えば汽車製造の230形(41両製造)は英国製のA8形に範をとったものであり、明治の代表的な貨物用蒸気機関車2120形(総数533両が製造されたB6系、国産は10両)も同じく英国製の2100形の増備機でした。鉄道院(国鉄)では、明治末年に海外より多数の新鋭蒸気機関車を
早上がりのこの日。昼ごはんを済ませてやって来たのは、福岡市の貝塚公園。貝塚公園三種の神器の一つ、我国最初のブルートレイン客車、20系の緩急車ナハネフ22の1007番。ナハネフ22-7として落成しましたが、後に急行運用の為に改修を受けてナハネフ22-1007となりました。晩年には門司港~西鹿児島間の九州縦断急行「かいもん」「日南」に使用されていました。以下は、以前の公開日に撮影した画像の再掲です。55mm幅、3段式の寝台。上段のクリアランスはかなり狭いです。
毎回楽しみにしています。大好きなのは国鉄形ですが、私鉄用・産業用の電気機関車は知らないことが多くて勉強になります。
SLの横にはキハ5800がいます。元三信鉄道の電車を気動車改造したそうです車内も懐かしい白熱灯があります運転台もいたってシンプル機関区のハズレには無蓋車が物置状態であります。これは陸軍鉄道連隊の軌間可変貨車だそうです
小湊鐵道の五井機関区の見学会へ参加してきました。輸入SL3機ビーテンこと、B10形元は日本鉄道化が英国ピーコック社より輸入したテンダー機関車5500形をタンク機関車へ改造したカマですこちらは米国製のSL無骨な感じがアメリカらしいですねボールドウィン製です。3つのカマが丁寧に保管されてました。
本日は9-5Dayということで、以前訪問したハワイ陸軍博物館に展示されていた帝国陸軍九五式軽戦車です。九五式軽戦車は昭和10年に採用され、翌年から製造が始まった車両で、九七式中戦車と共に、陸軍戦車の主力でした。車体のリベットが目立ちますが、この頃はリベット打ち車体の戦車が主流でした。しかし、被弾時にリベット打ちだとリベットが飛散して乗務員を傷つける等の理由で大戦後半には車体や砲塔に溶接や鋳造を多用した戦車が主流となっていきました。塗装は塗り替えられていると思い
11000系11905F東急5050系4011F9000系9503F相鉄モヤ700-1モヤ700-48000系8713Fモヤ700-4+6000系6001F(保存車牽引)モヤ700-4+6000系6001F(保存車)・最後に・モヤ700が6001F保存車を牽引したのは、びっくりしました。撮影日は、2023/08/26です。撮影次日に赤帯の8000系が運用離脱。2023/08/28に運用復帰。赤帯は、剥がされての運用復帰でした。
SLもおか号で真岡駅での停車中にホームから撮った車たちですSLキューロク館に保存されているDE10-1014元四国アイランドエクスプレス塗装機で、その後、関西フレートサービスへ、さらに真岡鉄道へときて、ここで展示&部品取り用として、保存されていますその隣にはキハ20-247真岡線廃止の時まで走っていた車です。昨年、エンジンの再始動に成功した、とのニュースがありましたが、復活はあるんでしょうか?反対側の真岡駅まるごとミュージアムにあるDE10-95真岡鉄道発足時に譲渡を受けたDL。屋
宇都宮東公園の一角に、宇都宮機関区で引退になったEF57形唯一の保存車があります。デジカメでオートで撮影するとこんな出来上がりに・・・。これでは暗すぎて何だかわかりません。もっと細かい設定を覚えないと・・・。マイクロエースNゲージEF57-7沼津機関区A1502鉄道模型電気機関車Amazon(アマゾン)マイクロエースNゲージEF57-1宇都宮機関区A1501鉄道模型電気機関車Amazon(アマゾン)KATO
渋川駅前の公園にあるD51です屋外保存の割に保存状態は良いですやはりSLで観光客を呼び込んでいるので、ぼろぼろにはしておかないでしょう上越線や新潟で活躍したようです
変化は必然、なれど不変を拒むこともない。十年ぶりくらいに来た。より洗練された、といった感じ。撮影しやすいなぁ。↓宮の坂駅前の保存車。
小学生の時以来、超久しぶりに下津井電鉄へ先日、下津井の保存車を見たので、思い出して再訪です『下津井の保存車』久しぶりのナローゲージ。下津井電鉄の保存車です現役時代でも状態はさほど良くなかったように記憶していますが、その割にはきれいに保存されています有蓋兼車掌車のホハ…ameblo.jp下津井駅跡です。瀬戸大橋開通時に増備したメリーベル号が見えます井笠鉄道のキハも保存されています。残念ながら公開日ではなかったので、再度訪問せねばなりません
長年個人で非公開で所有していたこの場所が不定期で公開するそうで、来てみました。ただいまキハ27のクラウドファンディング中北見ハッカ記念館のすぐ前にあります。住宅地に異様な光景ラッセル車DD16と黒いものはよくわかりません。ラッセル車確か無動力だと思います。後ろにキハ27その隣にキユ16郵便車こちらは整備したみたいですね。奥に車掌車が2両圧巻な存在感横は遊歩道になってます。キハ27先頭部分には近づけません。なぜこの配置にしたのでしょう。。。。。最後にもう一枚。私的に