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早瀨城(佐用郡佐用町早瀨)創築年代は明らかでないが、羽柴秀吉が佐用郡へ進攻した時、上月城とともに落城した時の城主は赤松次郎政直であった。落城後、上月城へ尼子氏が入城するとともに早瀨城は尼子十勇士の1人である寺本生死之助が在城した。天正六年(1578)七月、毛利の大軍に攻められ、上月城とともに落城、その後廃城となった。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)白山神社(南七郭?)南七郭南東腰曲輪南東八郭南東八郭上段北帯曲輪南東六郭南東五郭南東四郭南東四郭東帯曲輪南東四郭からの南竪堀
櫛田城(佐用郡佐用町櫛田字宮山)別名:宮山城この宮山に城を築いたのは長田山城主(南光町土井)得平三郎頼景の次男有景(『日本城郭全集』には頼景の孫とある)で、地名の櫛田をとって櫛田八郎有景と称した。以後、有諸(有景の長子)、有喜(有諸の末弟)、有興(有諸の子)、有祐(有興の子)、有範(有祐の弟)と相続して城主となった。七代目有兼の時、嘉吉の変(1441)が起こり、播磨に進攻してきた山名氏に滅ぼされた。赤松政則が赤松家再興の後、寛正六年(1465)櫛田氏の子孫が再びこの城に入ったが、天正五年(
寄延城(佐用郡佐用町寄延)別名:寄延遺跡詳細不明。北四郭北三郭北二郭主郭主郭南西帯曲輪帯曲輪状の西二郭帯曲輪状の西三郭帯曲輪状の西四郭帯曲輪状の西五郭帯曲輪状の西六郭南東二郭南東三郭南東四郭南東五郭からの南帯曲輪南東五郭帯曲輪状の南六郭帯曲輪状の南七郭帯曲輪状の南八郭帯曲輪状の南九郭帯曲輪状の南十郭寄延城遠望軌跡ログ旧佐用郡上月町の城
姫路まで前入り(笑)妹宅に泊まって翌日一緒に実家へお父さん85歳の誕生日妹宅の甥っ子姪っ子たちはそれぞれ孫ちゃん連れて賑やかにお祝い!!私の出ている化粧品のパンフレットを嬉しそうに可愛い(´∀`)可愛い!!「ゆうちゃんママ」と呼ばれるわたくしこの子たちはゆうちゃん知らんけどね(笑)(長男のこと)佐用と言えばホルモン焼うどん誕生日プレゼントのホットプレートでさっそく(自分たちのためみたいやね)今年から
今日は火曜日で仕事ありますが、快晴でしたので昼休みにバイクに乗って近郊の紅葉観察してきました。今日は機関維持走第三弾、GSXでお出かけです。11月も中旬になりますが夏日手前まで気温が上がりましたので、佐用町の播磨科学学園都市まで行ってみました。ここは山の上にある近未来都市ですから、今日みたいに気温が高いときに行くのがいいと思います。GSXの機関維持走です紅葉と空の青のコントラストがいいです😊快晴です。高原ですが暑いくらい😓本日の走行距離消費ガソリンは3.51L、燃費
丸山城(佐用郡佐用町上上月)『日本城郭全集』によると、この城は上月城主赤松政元が築いたとある。天文年間(1532~1555)の頃か。政元の孫右馬助正澄の時、天正五年(1577)、羽柴秀吉の上月城攻略の際、この城も落城したと云われている。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)西六郭西五郭西四郭西三郭北腰曲輪上段西三郭北腰曲輪下段西四郭からの西三郭北帯曲輪土塁囲みの西三郭西三郭南腰曲輪西二郭主郭西下段主郭の南西櫓台主郭東上段主郭南帯曲輪主郭北帯曲輪西下段主郭北帯曲輪東上
11月9日(土)令和6年度、最後の黒田武士ゼミ演題「上月城と黒田官兵衛」私には興味惹かれる演題でした。講師は「上月歴史を考える会」の会長さん。この方とお会いするのは2度目でした最初に着ているジャケットのお披露目。なんでも会員さんの手書きだそうで、そうは見えない立派!!1年前、現地を案内していただいていたので、分かりやすかった。『西播磨城巡り(その1)☆上月城跡』播磨の黒田武士顕彰会が主催した「西播磨城巡り」に参加しました。好
百々蔵城(佐用郡佐用町大垣内字茶屋の前)得平謙造氏の書簡によると、この城には佐用純倶が初代城主で、以下三代の城主が居城したが、天正五年(1577)落城したとされている。しかし、それ以外のことは不明である。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)自然地形の西五郭西四郭西三郭南下段西三郭北上段西二郭主郭主郭の東土塁北二郭北堀切北三郭北西堀切自然地形の北西四郭東二郭東三郭東三郭南腰曲輪南西四郭南西四郭からの南竪堀南西五郭南西五郭南帯曲輪南西六郭北横堀東横堀土
先月アサギマダラの飛来地を訪ねて佐用町山田地区を訪問しました。その道沿いから峠越えして佐用町平福へ通ずる道をドライブしていくとこの看板に出会いました。肉眼でも山頂に城跡が見られました。今年新しいフジバカマの植生地を発見、佐用町山田地区です。道路を挟んで2か所に育てられています。チョット気になる安倍晴明塚!その後宿場町平福までドライブして平福の町を散策しました。平福の道の駅から見た利神城です。先
海田城(佐用郡佐用町皆田)詳細不明。北東五郭北東四郭自然地形の北東三郭北東二郭主郭西二郭西三郭西四郭西五郭緩傾斜の南西六郭緩傾斜の南西七郭南西八郭広大な南西九郭海田城遠望軌跡ログ実地踏査を基に作成した概略図旧佐用郡上月町の城
ミシンに関する、悩み事、聞きますよ・・・☎電話下さいね・・・・折り返し電話しますよ。お気軽にお問い合わせください。📞0903621-9751.(担当:西脇ミシンの廣見ですお留守番してくれてますようやく、お家に帰れますたった、二泊3日だけれどやはり、夜が辛い目の手術だからテレヒ、見られないスマホもあまり見られない辛かったな大きな仕事が終わりました広見優トリオ&ヴォーカル「ドラムの響き」ジャズドラマー広見優が2005年に兵庫県西脇市のアピカホー
ホルモンうどん・鉄板焼「ふじ」のホームページ|佐用町名物ホルモンうどんhorumon-udon.comカレーうどん番外にはなりますが、、、久しぶりに佐用のホルモンうどんを。津山やよくお好み焼き屋で見られるようなタレにあえたホルモンうどんとは違い。焼きうどんに濃いタレを後付(つけ麺?)的に食すのが、佐用流。また、ホルモンや豚、センマイやハラミ、レバーなど好きなお肉と麺の量を選ぶのも特徴。極論、肉盛りもりで、麺少なめのほぼ焼肉状態に出来るイメージ。マジ最高!ただ、佐用の田舎過ぎ
皆田城(佐用郡佐用町皆田)『赤松家播備作城記』には「赤松円心之を築く。当国関所として在番の東侍これを守る。嘉吉元年破城」とある。また『佐用郡誌』には「皆田城井戸和泉守住す」とある。「井戸和泉守は赤松和泉守正衛より12箇所の采地を賜ったが、上月城落城後は羽柴の命を受けて因州に出陣、倉吉で死んだ」とある。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)南東五郭南東四郭南東三郭東帯曲輪南東三郭南東二郭主郭杉坂峠関所説明看板杉坂峠説明看板杉坂の関所跡軌跡ログ実地踏査を基に作成した概略図旧
ヒイラギ神社遺構(佐用郡上月町目高)詳細不明。帯曲輪状の東十三郭帯曲輪状の東十二郭帯曲輪状の東十一郭帯曲輪状の東十郭東十郭からの東九郭南帯曲輪東九郭東下段東九郭西上段東八郭東七郭東六郭東五郭東四郭帯曲輪状の東三郭帯曲輪状の東二郭主郭主郭の西土塁主郭の東土塁帯曲輪状の南東二郭帯曲輪状の北二郭帯曲輪状の北三郭帯曲輪状の北四郭帯曲輪状の北五郭帯曲輪状の北六郭ヒイラギ神社遺構遠望軌跡ログ旧佐用郡上月町の城
齋藤元彦は、財政局長じゃ無くて知事だったんですけどね。そもそも知事の仕事は、財政建て直しだけではありません。政府との交渉や県の産業活性化や各自治体のサポートに自治体間を跨ぐ事業の調整に企業誘致を行うのが仕事です。齋藤元彦を擁護するのは、維新支持者と立花孝志氏ですが其れは、齋藤元彦が有能無能かというと駄目知事です。財政局長じゃ無くて知事ですのでね。おねだり疑惑は、全て事実です。兵庫県の場合は、政令指定都市の神戸市と兵庫県で別々に事業を行っているんですがどうも神戸市と兵庫県全体の事を混同
大成山城(佐用郡佐用町目高)別名:大成山砦・目高の築地この砦と上月城の中間に菖蒲谷という所があって、ここが上月城の水源地となっていた。大成山砦はこの水源地を守るために造られたものとされている。上月城が大平山から荒神山へ移ったのは応永年間(1394~1428)とされている。それと同時に菖蒲谷の水源地が造られたとすれば、これを守る大成山砦もその頃に造られたものである。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)北東六郭北東五郭北東四郭東帯曲輪下段東帯曲輪北西上段緩傾斜の東三郭帯曲輪状の東四
ベイサイドジャズバンドの練習に、扶桑電通なぎさホールに来させて頂いています🍀明日!10月27日に開催されます佐用武家屋敷マルシェに向けての練習です💐美味しい食べ物もいっぱい出ますので、どうぞ皆さん遊びに来て下さいませ⤴️⤴️👍
目高の築地(佐用郡佐用町目高)別名:大成山城・大成山砦この砦と上月城の中間に菖蒲谷という所があって、ここが上月城の水源地となっていた。大成山砦はこの水源地を守るために造られたものとされている。上月城が大平山から荒神山へ移ったのは応永年間(1394~1428)とされている。それと同時に菖蒲谷の水源地が造られたとすれば、これを守る大成山砦もその頃に造られたものである。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)東十一郭帯曲輪状の東十郭帯曲輪状の東九郭東八郭東七郭東六郭帯曲輪状の東五郭東五
出雲より山陰道を通り帰宅途中大栄町の道の駅で野菜類を買い求め山陰道から鳥取自動車道中国道経由で行く時はけいざいこーすで第二神明加古川バイパス姫路近辺での渋滞も新宮から佐用町そこから鳥取自動車道山陰道無料区間一部は有料区間も時間の余裕があり経済コースのドライブでさて今日は仕事も休みで朝の釣りにカワハギの姿は拝めるでしょうか???
広岡城(佐用郡佐用町大垣内・本郷字宮地)建武年中(1334~1338)赤松信濃守範資の三男本郷祐義が初めてここに城を造った。その後天正年間に至って宇喜多秀家の家臣富山藤内が当城を再建して居城とした。慶長五年(1600)関ヶ原合戦により宇喜多氏は敗北没落し、この城も廃城となった。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)南東出丸の石垣南東出丸東十五郭東十四郭東十四郭北帯曲輪東十三郭東十二郭東十一郭東十郭東九郭東八郭東七郭東六郭東五郭東四郭帯曲輪状の東三郭東二郭東二郭
今日は何だか走りたい気分だったので佐用町にある【平福宿の町並み】へ☝️まずは、平福駅に行ってみました。無人駅ですが立派な駅🤔看板も良い感じです👍案内板が可愛らしい🤗セブン、ポルシェ、カウンタックらしき乗り物が描いてありました。何気にずっと見とける😁この景色が見たくて訪れました👍バイクともパシャリ📸町中にはカフェ、食べ物屋、博物館などプチ観光は出来そうです☝️観光駐車場もありました🤗【道の駅宿場町ひらふく】に寄りました👍展望台があり城跡見れます😊駅で時刻票見てたら【恋山形
日曜に悪天候を引きずらなければ御の字な感じの週末。まず土曜の内に、最近行くこと叶わずのところを中心にまわることを決断。雨だけどね(クルマの燃費がキツい)日曜は絶対行きたいイベントが有るし👍️上月駅併設ふれあいの里上月・あまいタンスこちらは場所もキッチンカーも先週の今週で一週間ぶりなのですけど、とおり道で元気に営業中なので午前中、結構な雨にみまわれたそうな(ウチの方でも雷が光り音も聞こえました)あまいタンスさん。前の週の日曜(第2)が「ふれあい朝市」での出店で、この日は同時の
アサギマダラの姿を探して近隣の地を訪ねて回る旅は今回が最後となりそうです。朝方の気温も10℃に近づいて暖房が必要なくらい下がってきています。そろそろその姿も見られなくなっているのではないでしょうか!今回訪問した場所は中国道の作用ICと上月PAのちょうど中間地区の佐用町山田地区です。山間を流れる小さな川を挟んで二か所にフジバカマが植えられていました。来年また訪問して見たいと思います。今回もマ
2年前にアサギマダラが飛来する場所として初めて訪問した佐用町平福地区、今年はつらい状態でした。アサギマダラは全く見られず、フジバカマの状態も最悪でした。最初はフジバカマの畑が通常の田んぼに変えられたのではと思いましたが雑草にまみれて目立たなかっただけでした。平福の宿場町を歩きながらその玄関先に植えられているBフジバカマは綺麗に咲いていました。通りの人に聞くと畑のフジバカマは弱ってしまったとのことでした。また復活することを願うだけです。その通りの人に聞いたところ佐用町内の山田地域にはアサギマダラ
桜山城(佐用郡佐用町桜山)桜山城は上月町桜山集落の南側にある山に位置する山城である。当該地は上月町本郷から北側に抜ける道の中間点にあたる。地元では桜山の人は「ムカイヤマシロ」、城南麓の坂根の人は「シロヤマ」と呼び、城として認識されているようであるが、城主等の記録はなく詳細については不明である。南帯曲輪下段南帯曲輪上段主郭西二郭西三郭東上段西三郭西下段西堀切西四郭西四郭の東土塁西四郭北帯曲輪上段西四郭北帯曲輪下段帯曲輪状の西五郭帯曲輪状の西六郭東二郭東二郭からの北
この佐用町宇根地区には谷間の畑の数か所にフジバカマを育てられているのでアサギマダラも分散していますが、今回は南西側のフジバカマの畑に多くのアサギマダラが見られました。どうもこのフジジバカマも連作を嫌うようで数年で勢いをなくす畑も見られ苦労があるようです。今回はそのフジバカモマを中心にアップします。段々畑のあちこちに育てられています。今回たくさん飛来していた畑です。フジバカマの蜜が好きなのはアサギマダラだけではないようです。こち
智頭急行線佐用駅に停車する「スーパーいなば」と「スーパーはくと」簡単にカレンダーが作れるテンプレートはこちら10月のブログタイトルフォト記事『ブログタイトルフォト2024/10』佐用駅に停車する「スーパーいなば」と「スーパーはくと」パソコンからのアクセスは20%程なのでイメージをどうぞ!新首相は地元鳥取への移動に寝台特急「出雲」を…ameblo.jp↑このシーンを壁際鉄道で再現した時の画像↓駅の読みは「さよ」駅名標JR姫新線↑↓智頭急行線佐用駅
お隣の兵庫県佐用町宇根地区のフジバカマ群生地、昨年知って訪問してアサギマダラの飛来数の大さに驚いた場所です。今年もたくさんの数のアサギマダラが飛来していました。昨年とは違う西の方のフジバカマの畑にたくさん群がっていました。なるべく違うアサギマダラを撮影して回りましたがマーキングのある蝶は1頭だけでした。それも地元の地名”上月”と三日前の日付”1010”のある個体だけでした。
福岡城(佐用郡佐用町福吉)別名:平尾城『日本城郭全集』によると、長享二年(1488)時の上月城主の一族佐用新左衛門の築城という。天正五年(1577)十二月時の城主平尾藤兵衛(『佐用郡誌』には平尾孫兵衛)は羽柴秀吉の軍に攻められて上月城とともに落城し廃城となったとある。『播磨古城記』には「赤松播磨守政村が暫くここに居り、次いで池田石見正が居た」とある。その年代は明らかでない。(※兵庫県中世城館・荘園遺跡より)北四郭北三郭北二郭主郭南二郭福岡城遠望軌跡ログ実地踏査を基に作成した
10月12日、土曜日。先日、摩耶山天上寺に飛来しているアサギマダラをブログで紹介しましたが、今回は、西播磨方面へアサギマダラを求めて、出かけました。向った先は、佐用町。まずは、西はりま天文台へ。西はりま天文台では、2年前に、地元の佐用高校の生徒により課題研究として、天文台の一角にフジバカマが植えられて今日に至っています。事前に天文台の管理棟に電話して飛来情報を確認。(お忙しいところスミマセンでした。)数は少ないですが、飛来しているとの情報を得ていま