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ずいぶん前になるのですが、通りすがりのショッピングモールの広場で、小さな出版社が集まったブックフェアーをやってまして、ぶらぶらしながら、のぞいてみたら、こんな本を見つけました。「佐和山落城記」を読む石田三成の重臣・山田家に残された古文書の謎/田村哲三*********体裁:A5判・並製・カバー装・144頁価格:本体2,000円+税刊行:2025年11月ISBN978-4-911029-25-1C0021*********【書籍概要】
4月21日滋賀県の賤ヶ岳(しずがたけ)と佐和山に登る。左方向が北です。JR余呉駅(9:40)⇒岩崎山(10:05)⇒大岩山(10:30)⇒賤ヶ岳(11:15~12:30)⇒リフト乗り場(12:50)⇒JR木ノ本駅(13:25)延べ3時間45分先ずは賤ヶ岳に向けスタート眼下に余呉駅岩崎山と名付けられた砦歩いていると明らかに普通の山道とは違う何かを感じる。大岩山(眺望なし)賤ヶ岳の戦いで戦死した中川清秀の墓とある。余呉駅から南に賤ヶ岳を目指すが余呉湖はあま
さてさて‥六角氏への従属を強いられていた浅井氏ですが…当主久政(ひさまさ)の親六角路線に異を唱えた浅井家中は…久政嫡男の賢政(かたまさ)を擁してクーデターを起こしました🆕永禄二年(1559)賢政は正室に迎えていた六角氏家臣の娘を離別‼️これを六角領に送り返しました⚡️当然ながら、この行為は浅井から六角に対する手切れ通告に他ならない訳で…六角家の当主義賢(よしかた)は浅井家の離反行為に激怒‼️両家は一触即発の局面を迎えました🆖翌同三年(1560)義賢は湖北浅井領に侵攻‼️これに
昨日はドクターイエローこだま検測下りの運行がありましたこだまと言えば最近は米原で大回りが常になっています今回もびわ湖を反時計回りに廻りながらドクターイエローを撮影しました。米原へ移動米原へはJR琵琶湖線(東海道線)で上ります。雲一つない青空の下、桜は残っているでしょうか?車窓から撮影した写真です。篠原駅手前の日野川堤安土城跡は桜見頃に見えました安土城跡現役の頃、職場のお花見には何度も来ましたよ荒神山の桜山肌にポツンポツンと山桜南彦
みなさん、おはようございますっ♪佐和山城址レポファイナルです。ヨロシクお付き合い下さい!!琵琶湖はでっかいどぉ~近江盆地が一望。オイラが泊ってるホテルも見えました。足下に咲く水仙にほっこり。琵琶湖湖面に写る夕陽と彦根城のコラボ。これは我ながら良い写真じゃないですか!混んでて今回は彦根城に行けんかったので次回の宿題。16:55では、お猿さんとランデブーしない内に下山します。山の左側が石灰岩採掘で痛々し
みなさん、おはようございますっ♪彦根シリーズの始まりです。ヨロシクお付き合い下さい!!山を求めて今年も全国を旅するオイラ。今回は北陸回りで一路米原へ向かう。敦賀駅から特急しらさぎに乗り換えます。米原駅からレンタカーに乗るのでコーヒーで我慢してます。滋賀県最高峰の100名山伊吹山。既に雪は有りません。14:53米原駅にとうちゃこ♪敦賀から米原は近いんだね~乗車時間30分ほどでしたわ。15:39いきなりワープして
2025年11月彦根の旅午後の部。午前の部はこちらameblo.jp/greenjade1997/entry-12953872513.html畑の中に目を引く大木がありますケヤキの大木飯盛木(いいもりぎ)と呼ばれるもので元正天皇の病気平癒祈願にケヤキで杓子を作ったその残り枝を地に差したものが大木になったと言われています。男飯盛木と女飯盛木の2本あります。この写真は女飯盛木のほうです。中山道まで戻ってきました。中山道を彦根方面へ戻ります。「彦根道」の道標を見
石田三成の名言「大志を持つ者は最期のときまで命を惜しむものだ」関ヶ原の戦いで徳川家康と戦った石田三成の名言である。三成は、豊臣秀吉に見出され、行政官僚として才能を発揮した。だが、武断派の武将たちとは折り合いが悪く、秀吉の死後、家康の台頭を阻もうと挙兵するも、関ヶ原の戦いで敗北。捕えられ、処刑される運命をたどる。しかし、死の直前まで毅然とした態度を崩さなかった。「大志を持つ者は最期のときまで命を惜しむものだ」この言葉には、単なる生への執着ではなく、使命感に生きる者の
みなさま、こんばんわさくらゆかりです年末にお城EXPO2025をみてきました🎠まずは、入場(入城とこのイベントでは言います)の混雑前売りチケットを持っていて、それでも30分以上かかりました歴史好きのワタシ今年で10回目のイベントですけど、見に来たのは初めて(空いていたのは帰りの写真)日本城郭協会の会長さんは、あの…小和田哲男さんなのですね開演の時間ちょうどに並んだにも関わらず、中に入るともうこの人の数お城博
病気というか「脳内出血」で倒れて入院したのが23年の3月末の事だ。5ヶ月ほど入院し、退院して2年半ほど経つが残念ながらいまだに完全復活にはなっていない。退院したら今まで通りに動けると思っていたんだがなあ・・・しゃべる方はもつれもなくなりほぼ戻った。口はなおらなかった方がよかったと言う奴がたくさんいる。(覚えとけよ)右手・右足がやや不自由で歩く時も右足は引きず気味でぎこちない。おかげで新しく購入した靴も見かけは新品同様だが右足裏の親指部分だけがすり減って穴が開き雨の日などははけない。なんとも
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)422城目は虎御前山城ですよぉ~日没前にもう1城廻れそうってことで向かいますは虎御前山城跡信長が浅井長政が立てこもる小谷城を攻め立てる際に築城した付城先週巡った平井山ノ上付城的なモンですな遺構自体はさほど…ですケドも雨が降ったり止んだり晴れたり曇ったりな城巡り中突如現る虹っが、ココの記憶が虹しかございませんで(これ書いてるのは登城から5日後。。。)とりあえずココまでの無事を感謝しつつ今宵の
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)421城目は佐和山城ですよぉ~朝5時半に東京出発しまして愛知~岐阜~三重と城&遺構巡るも意外に元気なアタクシは翌日に予定してた佐和山城跡登山へ天気予報だと明日雨らしいしね登城は龍潭寺境内より風情溢れる境内を抜け登城の無事を願いまして攻城開始ぃ~~登城道は整備が行き届いておりまして野猿の群れに出くわすこともなく10分も登れば城址遺構ゾーンへ塩硝酸櫓跡→西の丸跡と経まして登城開始から15分弱
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)420城目は鷺山城ですよぉ~加納城跡から約20分鷺山城公園駐車場へピットイン1185年に築城~1556年廃城となった鷺山一帯に置かれた山城も現世ではお約束の公園化。。。遺構は段々状の形状で残っておりただ廃城から数百年経た城址遺構としては不自然過ぎるほど整ったビジュアル石垣も確実に後世に積まれたものではて、これホンマに城跡なのかしらと疑念( ̄▽ ̄)つーワケで妄想タイムに切り替えまして遠く岐阜城を拝
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)419城目は加納城ですよぉ~東京→神奈川→静岡→愛知と経て岐阜県突入し1発目は加納城駐車場ピットインは東京出て5時間半後築城は1602年とされる平城でして家康による天下普通請により築城城下町は宿場町として栄えたそうですケド現世では市民の憩う公園へリフォーム東海エリアは未だ紅葉見頃なようで天守跡など躯体遺構は皆無ですケド石垣は大事に保存されており中々に見応えございましたよぉマイナー平城はハズレ
500城址攻城ブログ🏯(東日本編・中日本編・西日本編)418城目は小口城ですよぉ~祝♥入社20周年!(^^)!というワケで今年で入社20年を迎え永年勤続休暇を10日も頂けることにが、有難い話なんだけどぉ~5日続けて取得必須×2回ってことで社畜ぢゃないにせよ中々ハードル高く無理くり12/15(月)~19(金)で1回目取得(来年3月までに残り5日取れるのかしら…)さて、どこに行こうかしら。。海外も考えたけど円安で高いしそうだ、車で実家に帰ってみよ
○未だに出てくる大発見◇読売新聞2025.11.21(金)朝刊33.社会面記事より秀吉が「本能寺の変」翌日に毛利方重臣を調略した手紙…直後に知った信長の死、和睦に影響した可能性【読売新聞】羽柴(豊臣)秀吉が、本能寺の変が起こった天正10年(1582年)6月2日の翌日、敵対する中国地方の毛利氏配下の武士に宛てた誓約状が見つかった。毛利氏を裏切った見返りとして、備後(現在の広島県)の権利を与えるなどの約束がwww.yomiuri.co.jp【「本能寺」翌日秀吉の誓約状】【信長
〈滋賀〉竹生島♪『〈滋賀〉竹生島♪』おはようございますもう12月ですよ~早い…本当に早い…やばい…お掃除しなきゃ…😂🔸️🔸️🔸️〈岐阜〉関ケ原合戦地③♪『〈岐阜〉関ケ原合戦地③♪』〈岐阜〉関…ameblo.jpつづきですお城🏯目指してどこまでも~歴史を巡る旅編歴史を巡る旅…佐和山城🏯へやって来ました~佐和山城🏯さわやまじょう滋賀県彦根市φ(..)💡👇小さいお城🏯が会館みたいな場所の前にありました城跡にはお寺の入り口を通って行きます夏は絶対にムリ😢🆖
11/1(土)前夜祭三成ランタン祭り11/2(日)石田三成祭行ってきましたーーー!!!待ちに待ったこの日!!!東京から滋賀へランタン祭は夜なので、最初に彦根に寄りました。到着時点で14時。さっくり回るのは勿体ないし、去年の4月に家族で来たのもあり、彦根城は行かず町を散策することに。まぁ、井伊家の居城だし、三成公の供養のための旅行なのでね表門橋から大手門橋までゆっくり歩いて、空気を味わう。お掘り巡りの屋形船↑乗りたい…また早い時間にゆっくり来よう。夢京橋キャッスルロードへ。
10/8の朝8時過ぎ彦根に到着して、まずは佐和山城攻め。佐和山山頂は標高約230m。往復約40分、速攻で城攻めを終わらせて、城跡看板下で場所取りして待機、ここまでが前編。ここから後編スタート。待つこと1時間、午前11時、予告通りの時間にNTTのアンテナ上から演目が始まった!今回は1演目3分だけの展示飛行、と告知されていたので一瞬たりとも目が離せない。スタジアム上空はほぼ快晴で、まさにブルーインパルス日和。撮影場所と彦根城&スタジアムは2キロ近く離れているので、当初思い描いていた『城
日曜の小松基地航空祭は雨で不発。ジブンが撤退した後に、SNSには最後のプログラムとなるF35の展示飛行映像がアップされていて、粘っていればそれなりに見られたのかもしれない。後悔先に立たずなので頭を切り替えて、10/8の彦根・滋賀国体の閉会式に飛ぶブルーインパルスを撮りに出かけた。(撮影場所から見える彦根城)メイン会場が彦根城に隣接する彦根総合スポーツ公園のスタジアムなので、もしかしたら彦根城とブルーインパルスを一緒に写せるかも!と思って彦根に向かったが、8号線で近づいて行くと、道路脇に「
先日、彦根駅であの関ヶ原の戦いにて徳川家康に敗れた石田三成の残紅葉の歌(短歌)を目にした。[恥ずかしながら私は石田三成のこの歌をはじめて知った]天下分け目の戦いに敗れた自分自身の心を晩秋にわずかに残ったもみじの葉に託して詠んでいるのだと思われる。このポスターには、佐和山城跡近くにある龍潭寺には石田三成自筆のこの残紅葉の歌が所蔵されていると記されているが、本当に石田三成の自筆であるなら私はものすごく見たいと思った。この石田三成の巨大ポスターは彦
もとは天台宗に属し、十福寺と呼ばれていましたが、戦国時代に廃寺となり江戸初期に再興され、天徳山高源寺とし、臨済宗妙心寺派に属し、現在に至っています。最盛期には書院三十坪、仏殿二十五坪、奥殿三十坪、禅堂三十二坪などを要する大寺院で、常に五十有余人が住した湖東における名刹でありました。しかし、明治九年の火災により石田三成の居城であった佐和山城の裏門を移したものである総門以外はすべて焼失しています。またこの寺には、幕末、開国論を実行するため主役を演じた大老井伊直弼と、それを助けた長野主膳、
昨日は昼まで岡山で仕事をして移動。14時頃吉備サービスエリアで昼食岡山名物デミカツ丼を食べました千葉に向かうのにどこまで移動するのかと思ってましたが、滋賀県彦根市まででした。愛知か静岡くらいまで行くのかな?と思ってましたのでちょっと意外。しかし、彦根でも到着が18時になりましたのでこれは正解だと思いました(^^ゞ暗くなってきましたのでどうしようかと思いましたが、ちょっとだけでも走ることに。彦根といえば彦根城ではなく、佐和山城へ
【問題】佐和山城(滋賀県彦根市)の本丸南西にある井戸の名称は、次のうちどれか?【選択肢】五文井千貫井百両井万石井【正解】千貫井【解説】山城である佐和山城の水源は、本丸の南西に位置する千貫井と呼ばれる井戸が利用された。その存在が千貫にも値するという由来からその名が付いたという。
こんばんは、お財布ショルダー専門店のイシロヨウコです。先日登りそこねた佐和山へ!彦根の街を一望できるお気に入りのスポット♪前回登ったときは観光バスが来ていて何人もの人とすれ違ったけれど、今回は前後に誰も見当たらずちょっと不安に・・・そんなとき、すぐ近くで葉っぱが擦れる音や、パキパキッと小枝が折れる音が・・・熊ではなさそう・・・一瞬ヒヤッとしましたが、正体は2匹のお猿さんでした!ここにヒトがいるよ〜と分かるように大声で話しながら歩いていくと
3日目最終日は〜滋賀にいました😊今日のメインは…てか今回の✨旅のメイン✨はお友達の切願である米原市にある番場宿蓮華寺を訪れることでした😌ここは北条仲時さんとその一族家臣432名の供養塔があるお寺です😢討幕を宣言した足利尊氏軍によって鎌倉幕府京都守護の拠点である六波羅探題が攻め落とされます。六波羅探題北方であった北条仲時さんは一族を引き連れて鎌倉に向かって逃げ延びようとここまで来ました。が、途中に佐々木道誉に行く手を遮られてもはやこれまで…と本堂の前で一族432名と共に
2025年3月下旬に天橋立へいってきました!日本三景【日本三景観光連絡協議会】松島、天橋立、宮島からなる、海に囲まれた国、日本を象徴する三大絶景nihonsankei.jpこの日本三大絶景の旅が始まったのが2023年の12月。私が広島いってみたいとお友達に話したのがきっかけでした。私は原爆資料館を目的としてたのですがお友達が<宮島>プランも考えてくれました。☆宮島についてちょっと調べてからいきました!『【戦国】陶晴賢①~厳島の戦い~』戦国のお話ですが、皆様タ
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。はじめに↓『全国「城門」を巡る”はじめに”』「城郭建造物」の「御殿(居館)」シリーズを終えました。「御殿」には殿さまやその家族が居住したり政務を執る為の所謂「御殿」や、城主・家族の憩いの場や来客対応の…ameblo.jp「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ
今から半世紀昔50年位前、NHKの夜の連続ドラマに[日本のテレビ史上最も豪華な俳優陣のドラマと言われている]「銀座わが町」という作品があった。あの北林谷江とか宇野重吉なんかも出ていたし、デビューしたばかりの島田陽子も出ていた。私がまだ10代だったその「銀座わが町」が放送されていた頃、私はそのドラマの東京の銀座じゃなくて彦根の銀座こそが日本一の街だと思っていた。(笑)全国各地には300を超える銀座と名のつく街、商店街があるという。ちなみにわが滋賀県に