ブログ記事387件
今から半世紀昔50年位前、NHKの夜の連続ドラマに[日本のテレビ史上最も豪華な俳優陣のドラマと言われている]「銀座わが町」という作品があった。あの北林谷江とか宇野重吉なんかも出ていたし、デビューしたばかりの島田陽子も出ていた。私がまだ10代だったその「銀座わが町」が放送されていた頃、私はそのドラマの東京の銀座じゃなくて彦根の銀座こそが日本一の街だと思っていた。(笑)全国各地には300を超える銀座と名のつく街、商店街があるという。ちなみにわが滋賀県に
山水には得失なし得失は人の心にあり佐和山城跡の麓にある龍潭寺故山水庭園のあるお寺です。井伊家が代々治めるまでは、石田三成公19万石の佐和山城があり、三成に過ぎたるものの一つとして有名です。去年の2月、その佐和山城が目の前にある三成ルームに宿泊し、龍潭寺を再訪しました。いつもと違い、多くのお猿さんがいて少しビクビクしながら入りました。平日の早朝だったので、私と友人しか訪れておらず、とても静かでした。静かな枯山水庭園を友人と眺めているとなんだか不思議な気持ちでした。喧騒の
前回までのあらすじ鎌倉の世から、不思議な女性トモミクによって、戦国時代に連れてこられた源頼朝。源氏の血筋である武田家を守る事が当初の軍団の目的と聞かされ、織田、徳川と戦っていた。頼朝は軍団に秘められた多くの謎を少しずつ理解しはじめ、京に上り惣無事令を発出する事を決意した。手始めに近江へ出兵する。織田信長の必死の抵抗で苦戦するが、長浜城、佐和山城の攻略に成功し、安土城の攻略に乗り出した。主な登場人物源頼朝:鎌倉幕府を開く直前に戦国時代にタイムスリップした。価値
前回までのあらすじ鎌倉の世から、不思議な女性トモミクによって、戦国時代に連れてこられた源頼朝。頼朝は軍団に秘められた多くの謎を少しずつ理解しながら、京に上り惣無事令を発出する事を決意する。織田信長の必死の抵抗で苦戦するが、長浜城の攻略に成功する。主な登場人物源頼朝:鎌倉幕府を開く直前に戦国時代にタイムスリップした。価値観が揺らぎながら戦国時代を必死に駆け抜ける。源義経:平泉にて殺害される直前に戦国時代にタイムスリップした。この時代では兄に献身的に尽くす。武田梓:武
前回までのあらすじ。鎌倉の世から、不思議な女性トモミクによって、戦国時代に連れてこられた源頼朝。その他にも弟義経はじめ、北条早雲、太田道灌等歴史上の名将たちが戦国時代にタイムスリップして、頼朝と軍団を結成する。義経やトモミク、有能な家臣達と過ごす時の中で、武力による支配を志していた頼朝の中の価値観が揺らいでゆく。頼朝軍団は滅亡の憂き目にあっている武田家を守るために戦っていたが、本能寺の変を起こさずに織田信長を絶命させない事もミッションだったと聞く。ますます困惑する頼朝だったが
彦根城は井伊家が守りますが、関ヶ原の戦い以前は石田三成の居城佐和山城がありました。大津にも城があり、廃城にした際に私財を彦根に運び、彦根城の一部にしました。
皆さんは明日からお仕事の人が多いと思うのですが、私は実は昨日の1月4日(土)が仕事始め。でも、それも羽田空港までお送りするだけで、海外出張で1月13日(月)まで日本に帰ってこられません。そう、今日1月5日(日)〜13日(月)までまた冬休みです治部少輔とは石田三成の事で、三成にはもったいない!と当時の上方で歌われていたそうです島の左近とは、三成の軍師佐和山の城とは、三成の居城そう、私にとって過ぎたるもの、勿体ない物を昨年末に入手していました。Tomorrow'saudio
12月15日(日)曇8℃滋賀県旅行2から続き『滋賀県旅行2』12月14日(土)滋賀県旅行からの続き『滋賀県旅行』12月15日(土)曇時々雨かみさんと滋賀県に旅行に行ってきました。今回は新幹線で。新横浜で定番のしゅ…ameblo.jp朝起きたら腰痛の痛みはほとんど消えていたが、再発の可能性大なので、彦根の後、長浜に行く予定を変更。今日は彦根観光のみにする。チェックアウトの時間ギリギリまでホテルでゆっくりして、常宿の東横インを後にし、彦根駅に向かう。ウォーキングを
はじめに今回ですが閲覧注意です。何か写ってるからですよ。何かってこの世ならざるものですよ…続・彦根龍潭寺。大洞観音堂平時は閉じており、入れませんでしたが本尊の楊柳観音菩薩が毎年10月中旬に特別公開されているそうです。本日10月23日。これはもう少し早く来てれば中入れたんじゃね?とw藍渓和尚伝来の七福神南渓和尚とは別人物と思われる…何処だ何処だとしばらく境内を彷徨いまして…大洞観音堂も脇からでしたwはい。ここまで来なら登るしかないでしょうよ。モンキー出
続・彦根。今回は井伊家所縁の寺巡り。まずはこちら、井伊家菩提寺・清凉寺。ここは佐和山の麓でして…寺の後ろに見える山が佐和山城址なんです。井伊大老参禅道場の碑大老・井伊直弼がここで禅の修行をしていたという。井伊家菩提寺の碑創建には諸説あり、直政による慶長七年(1602年)の創建。同・慶長七年、直孝によって父・直政の菩提を弔う為に創建。寛永(1624~1644)期に直孝によって創建。…等。しかし、どれも間違いで直継創建だと思うんだよなぁ…直政は佐和山へ転封の際に郷
先日、東京から新居浜へ戻る途中のこと…戻る途中って新幹線か?それとも特急か?以前より気になっていた場所があります。それは乗車した新幹線から見える風景…佐和山城跡佐和山城の図(お借りしました)佐和山城は石田三成の居城として有名ですね。「三成に過ぎたもの2つあり、島の左近と佐和山の城」と言われた佐和山城だね何度か新幹線に乗っている時、佐和山城跡と案内板が出ているのを見たことがあります。※画像はお借りしました今回こそはと思いましたが…名古屋と京都の間くらいしか覚えてなく、現れたら、
月例のカレー会今月は全会員(2名)の体調が良さげなため、カレーの前にジョギング&トレッキング&ウォーキングの3ingで汗をかくことに。9:40papakenさんと松原ビーチの端にある亀の井ホテルをスタート!まずは佐和山登山口までジョギングで目指します。登山口に到着。佐和山城主だった石田三成の像がありました。この像は三成の遺骨などの資料を元に作られており、没年齢である四十一歳時の顔や体格が正確に再現されていると言われています。。頭は前後に長く、反っ歯。性格的には神経質で虚弱体質であ
続・彦根城。さて、これが今回のミッションである。・快晴の天守から下界を眺める・足場の無い天守を拝む・山崎曲輪へ進撃する今回は正規入口から入れますw修学旅行生と見事にカチ当たった前回は天守内で地獄を見るだろう…と、咄嗟の思い付きで西の丸と玄宮園を先に周るという作戦に出て、これが功を奏した。黒門山道(きっつい坂道)を登り直す事になったけど…本日は時間も早いし修学旅行生も居ないし落ち着いて見て周れるでしょうよ。地階こちら、前回の入り口だった多聞櫓・附櫓。耐震強度の問
笑顔創造って、エーちゃうん!のエーちゃんです。びわ湖108霊場巡りもようやく半分になってきました。今回は彦根市です。琵琶湖に面する彦根市街と鈴鹿山脈の間に標高230mほどの山。前面に琵琶湖線背面に新幹線と中山道に挟まれた山。石田三成と井伊家とも関わりのある山。それが石田三成公や井伊直政公が居城した佐和山城のある佐和山です。その佐和山の麓のお寺に向かいます。3つの札所が並んでいます。54番札所大洞山大洞弁財天長寿院大洞弁財天大洞弁財天myagi.jp寺院
彦根市の佐和山トレイルランニング、山頂に近づいてきました。こちらが、二の丸跡であります。そんなに、広いスペースがあるわけでも、眺望が開けるわけでもありませんし。もうすぐ、山頂ですから。そのまま、通過していきます。ほら、もう、見えてきました。ジャーン!パチパチパチ〜。佐和山の山頂、佐和山城址であります。そういうわけですから、当然、敵の姿を監視できますよう。四方に睨みを利かすことが、可能であり。びわ湖まで、見通せます。そしてっ!チャンと、奥の方まで確認しますと。ドェイっ!
それでは、いよいよ、佐和山に入っていきますよりこちら、龍潭寺さんの境内を進んでいきますと、登山口がありますので。オジャマします。ジャマするんやったら帰れや、くそポンコツドアホっあっ!仏足石です。各地で見かけますけど、靴や靴下脱ぐのも大変ですから。仏足石タ〜ッチ!これで、脚に力がみなぎってきましたから。一気に、駆け上がれそうです。おおっと!今更、注意喚起ですか?もう、2回に渡って、群れに出会っちゃってますけど。やはり、お墓参りのお供物とか、餌になるものが容易く手に入るので
大洞弁財天さんは、佐和山とは別の、小高いところにありますので。駆け上がっていきます。こちらが、阿弥陀堂。こちらが、ご本堂です。弁財天さんは、極楽浄土におられまして、どんなに罪が重い衆生でも救うことができる如来様なのです。ここは、しっかりとお参りしまして、ジダンも赦していただきたいです。そもそも、オマエは極楽浄土には行かれへん、くそポンコツ地獄堕ちっそれでは、井伊神社さんに回ってから、いよいよ佐和山です。ありゃっ!道の真ん中に、どなたか座っておられます、よく見ますと、辺りにサル
佐和山の麓には、お寺様などが複数ございます。こちらの石像は、佐和山一夜城と名付けられています。確かに、設置は1日仕事だったのでしょうけど。作成には、それなりの日数が。だから、要らんこと言うてんと、早よ走れや、くそポンコツドアホっチョっと、話がズレそうになりましたけれど。佐和山に登る前に、清涼寺さんなどにお参りしてからにしましょう。彦根城と言えば、井伊家。その菩提寺でありますのが、清涼寺さんです。佐和山城主は、石田三成公なのですが。彦根に来ている以上は、井伊家に逆らうこともでき
9月29日火曜日、JRの新快速で、彦根にやってきました。と言いますのも、岡山在住の同級生が、観光を兼ねて、彦根在住の同級生と昼食を共にするということで。ジダンも朝のうちは、1人でトレイルランニングを楽しむため、超早起きして乗り込んだわけです。彦根と言えば、彦根城にひこにゃんですけれど。ジダンの場合は、佐和山城跡を走り回るわけであります。その後は、彦根球場を見つつ、琵琶湖畔のホテルで日帰り入浴。そして、駅前にとって返して、昼食のお店で合流の予定なわけです。とりあえず、マップでも貰って
本日はカレー会の日今回は1ヶ月後に迫った彦根シティーマラソンに向け、カレーの前に少し体を動かすことにしましたいつもの駐車場にpapakenさんと落ち合い、ウォーキング&ジョギングを開始金亀公園を抜け、黒門から彦根城内へと入ります内濠沿いの山崎周回路は未舗装なので足腰にも優しいですこの道は時代劇の撮影によく使われます梅林を抜け今回は大手門近くの山道から登ります1本目のそこそこ長い石段を登りきった後は、鐘の丸に続く右手の短い石段を登り、正面の橋を渡ります天秤櫓をくぐりまだまだ石
昨日はドクターイエローこだま検測下りのT4編成での最後の運行がありました。今日は博多からこだま検測上りの最終運行として戻ってきます。今回はこだまなので各駅停車です。よって米原駅での撮影を目論みました。米原駅を大回りのルートに組み込むことにしました。経路石山→膳所(往路)イベント1石山(琵琶湖線/東海道線)米原イベント2米原駅で新幹線入場券で入場しドクターイエロー撮影イベント3米原(琵琶湖線/北陸線)近江塩津イベント4近江
またまた福岡出張に行ってきました。日経新聞電子版に「大型再開発や旺盛な住宅需要、インバウンド(訪日外国人)の増加で、地価の上昇が続いている。国土交通省がまとめた2024年の地価調査(基準地価、7月1日現在)によると、全国平均の全用途・住宅地・商業地はいずれも3年連続で上昇し、上昇幅が拡大した。三大都市圏の全用途は3.9%のプラスと4年連続で上昇した。住宅や店舗の需要が堅調な大都市圏だけでなく、地方でも地価上昇が広がりつつある。」との記事があります。福岡市は住宅地と商業地の両方
こんばんは😊ドキドキしてるHickeyです😁💓キターヾ(°∀°)/自由民主党総裁選挙投票用紙昨日の夜に帰宅したらポストに投函されていました😊願かけするためまずは神棚へ🙏(๑ˊ͈ꇴˋ͈)アリガタヤー皇統保守として…与党の党員として…日本の未来を熟考し投票させてもらいます✊😁さて5月25日に話をさせて頂いた【君よ大楠公の声を聞け!】の回に鶴ヶ魂さんからコメントを頂きましたのでここで紹介させて頂きます😊古い回の話でも見返してくれる人がいるというのは大変にありがた
戦国に咲きし一輪戦(いくさ)花龍興(たつおき)落し織田渡河させし※竹中半兵衛は「その容貌、婦人の如し」と言われたが、難攻不落の稲葉山城を僅かな手勢で占拠し、斎藤龍興を逃亡させるなど、まさに軍師であり、これが織田信長の美濃攻めにつながる。しかし若くして病に死す。黒田武士後藤又兵衛アッパレよ夏に散りても春また咲きし※黒田武士きっての武将、後藤又兵衛は主君黒田長政との確執から出奔。大阪夏の陣で討死するか
つわものの旗は三途(さんず)の渡し賃死中に死のみ見つめ戦い※「日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と言われた真田幸村の旗印は三途の川の渡し賃と言われる六文銭。大阪の陣での彼等の戦いぶりは、「生中に生なし、死中に生あり」ではなく、まさに「武士道とは死ぬことみつけたり」そのままであったように思われる。幸村、まさに日の本一の兵(つわもの)である。戦場(いくさば)に赤鬼おりて井は強し勝を拾うて名城残し
先日のお城巡り、福井県の嶺南のお城として、佐柿国吉城→金ケ崎城→玄蕃尾城と来て、時計を睨みつつ、もう一つお城を目指すことに。玄蕃尾城は福井県と滋賀県の県境にあるということで、次は滋賀県。まだ行けていないお城を考えて、彦根市の佐和山城へ。(今までに訪問した近畿のお城は→こちら)前から行きたかったというのもありますし、いま5回目くらいの真田太平記で関ヶ原の戦いの付近を読んでいて、余計に行きたい気持ちになったというのもあります。佐和山城は、石田三成の城というイ
竹生島のあとはレンタカーで回りました。💐石田三成の佐和山城。今は石碑と石垣が少し残るのみです。この日も大変な暑さ。石垣を見て満足し、往復1時間コースの登山は諦めました。💐石田三成ゆかりの千代神社。佐和山城跡から車で10分ほどでした。元々は佐和山の麓にあったそうですが、三成が佐和山城主となった際に「神様を城の足元に見下ろすのは恐れ多い」ということで彦根山麓の尾末に移築したと伝えられています。その後幾多の変遷を経て現在の地にあるとのことでした。オーディション合格祈願など芸能成就の成
引き続き今年の7月中旬に「若狭近江の旅」と題して、1泊2日にて福井県・滋賀県をめぐった様子を紹介しましょう。2日目の午前中の出来事として、本日今回2つめの山城を登城するため、滋賀県東部・彦根市までやって来ました。武士(もののふ)の夢・佐和山城を登城今回は豊臣の家臣だった石田三成(いしだみつなり)の居城として知られる「佐和山城(さわやまじょう)」を登城します。🏯龍潭寺(りょうたんじ)というお寺に駐車して出発駐車場脇の詰所に声をかけると、ジオラマを見せても
城をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも!今回のルート:彦根駅東口-佐和山一夜城-清凉寺-龍潭寺-井伊神社-佐和山城-西の丸跡-大曲輪-本丸跡-隅石垣-千貫井-八千代駅前店-彦根市観光案内所今回は佐和山城をめぐります。スタートは彦根駅東口です。彦根城の反対側です。途中にある佐和山一夜。彦根城築城400年年祭のイベントプロジェクトで製作された模型。白黒御影石が使われている。高さ2.1m。模型にしてはかなり壮大。清凉寺。井伊家菩提寺。井
天海(221)「直政は、天下に両兵部と言はれし其一人なり。小早川隆景。嘗て曰く、直政は少身なれども、天下の政道相成るべき器量ありと。」(「名将言行録」)関ケ原に参陣した時、直政は40歳であった。文字通り武将として絶頂期にあったといって良い。美少年で小姓上がりの直政は、出世するたびに周囲から妬まれた。外様でありながら眉目秀麗で、若くして家康から抜擢されたため、周囲の目は厳しかったのである。このため、直政の家康に対する奉公は峻烈を究めた。それは奉公人にも及び、不