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去年の春に泊まったホテル去年旅行に行った事アップしようと思いながら、1年以上経ったよー😅月日の流れるのは早い。ウォーキングも去年5月の初めにしてから暑いから秋まで中止しよ。とそれからほぼウォーキングしてない😆ちょっと城山公園に行ったくらい(笑)なぜって?なんとちょっとしたアルバイトをするようになり、立ち仕事なもんで、足が疲れて、たった週1、2回のバイトなのに…💦ウォーキングする気にならず、今に至る(笑)あんなにほぼ毎日?ぐらいウォーキングしてたのに、まるっきり、全然ウォーキングす
ラーメン記事小休止。ラーメン二郎を食べてオナカイッパイクルシイ状態だったので、会津若松市内を散歩します会津若松駅前からお城の方向へ。鶴ヶ城(会津若松城)へ到着園内には綾瀬はるかさんのメッセージボードがありました。会津若松由来の大河ドラマ「八重の桜」で主演だったもんね。お城周りを散策すると、規模の大きさが分かります。石垣が高いなー。当然お城も登りますよ
鶴ヶ城に行きました正式名称は会津若松城城の正式名称は、地名にすることが決まっているそうです鶴ヶ城は、戊辰戦争のときに有名になりました。飯盛山の白虎隊とともにね。最近は、綾瀬はるかの「八重の桜」でも取り上げられています。【中古】2013年NHK大河ドラマ八重の桜完全読本/産経新聞出版/産経新聞出版[ムック]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】楽天市場話を戻して、鶴ヶ城を訪れました。最近は城、いや城を治めていた人に興味があって城を訪
会津若松の酒蔵の話ばかりではなく本来の目的日本百名城を巡っているので少し写真も残さねば関東出発なので小峰白河城から回りました。復元櫓ですが無料で入れましたべらぼうで出てきた松平定信が治めた場所です。徳川吉宗の孫でありながらいろいろ不運な人かも知れません。キチンとした人らしく息苦しいかだけど悪い人ではなかったのかと。見えるかなーー。手前の那須連峰?だかを越えて新潟の高ーーい山を見ながら東北新幹線。こまちも繋がってたんだけどなー。この日は事故もあり二本松まで
正観さんによると…。(みやびの山里・京都大原…1988年、小林正寛遊帆堂)〇即身仏の存在モミジだけでなく、この寺を有名にしているものは即身仏(そくしんぶつ)の存在である。即身仏は、一年前からその準備をし、内臓に腐敗するものが何もない状態にしたうえで、「入定(にゅうじょう)」する。古知谷阿弥陀寺の即身仏は、弾誓(だんぜい)上人という僧だった。(イラストはネット画像です)🚙ハッピーツアー日光金谷ホテルから会津若松城🚙ハッピーツアー2日目の朝で
花見旅其の弐のブログです会津若松城はいろいろな場所に【良い構図】が溢れていました多分お城ってそうですよねたしか彦根城は広大なお庭の池に逆さ城だっか、お月様が綺麗にが映るように設計されたとかなんとかって以前行った時聞いたんですけど。。。※不確かな情報ですもう謝っておきます江戸時代の平和な時代の藩ならば贅沢で芸術的嗜好・殿の趣味盛り盛りに造りますよねえ〜ここはいろんな人たちが撮影してました麟閣だったかな、そんな名のお茶室を再現した場所でこれは近年作られたエリアかな鶴ヶ城のホームペー
只今「城スキーのお城紀行」は、「日本100名城」のお城を順次紹介しています。「日本100名城」とは、財団法人「日本城郭協会」が専門家や城郭ファンによって、「優れた文化財・史跡」「著名な歴史の舞台」「時代・地域の代表」という3つの基準に基づいて選んだ100城で、2006年に発表されました。発行されている公式ガイドブックに付随するスタンプ帳を使い、各城のスタンプを集めるスタンプラリーも人気となっています。「日本100名城」を紹介していくに当たっては、そのお城の「歴史と城主(藩主)」
さて、会津若松城を後にしてまず向かったのはさざえ堂ではなく、「西軍砲陣跡」とその近くにあるという、”河井継之助の埋骨跡”。後で、出てきますが城をぼろぼろにした砲台から、城がどのように見えるのか見てみたいというモチベーション、それから、長岡で負傷して会津まで来て絶命した河井継之助の埋葬地を見て手を合わせたいというのもあり、行ってみることに。場所は会津若松城の東南東1km程度の小田山というところ。ざっくりと下に示します。©googlemapおよその入り口をナビに入れて行きましたが、
50代夫と40代主婦のGW夫婦二人旅会津若松に行ってきました初めての福島県GW初日、めちゃめちゃ混んでるだろうなぁと朝6時に家を出発それでも東北道は混んでるだろうと夫は常盤自動車道〜磐越道を選択←これが本当に早かったのかは良く分かりませんがww距離はだいぶ増えてるよねで、福島といえばまずは『喜多方ラーメン🍜じゃない』ってことでラーメン屋へ着いてから思う『これ、喜多方ラーメンなの?会津ラーメンって書いてるけど?』ま、美味しかったので良しとします醤油と塩ラーメン食
前回のブログで紹介した福島の一泊二日のスケジュールです🚗✨今回は東京から車でのんびり移動。子連れでも無理のないスケジュールで大満足の旅になりました!【1日目】朝に東京を出発して、福島へ向けてドライブ。お昼は会津エリアで人気のラーメン店、うえんでへ🍜あっさりしながらもコクのあるスープで、旅のスタートにぴったりの一杯。座敷席もあるので、子連れでも入りやすい雰囲気でした◎写真に撮り忘れましたが‥焼き鳥が絶品でしたので、ぜひ頼んで欲しいです!その後は歴史を感じられるスポット、会津若松城(鶴
大内宿を出て大好き城めぐり♡大内宿の様子はコチラ↓↓↓『犬連れ旅行~東北(栃木も!)編④~』栃木からついに福島上陸を果たし、目的地へ到着〰️ずっと行きたかった【大内宿】です雨も上がり(小雨時折ありましたが)散策出来ている!ココ、有名な写真が撮影出来る…ameblo.jp行きたいお城いっぱいあったんですが、福島県広い…ということで宿までのルートで行けそうなところだけど行きました🚗³₃全部登るのは無理なので、途中で…眺めます登山(バイキング)もするので登ってみたいけど、今回は観光にシフ
①忘れてはならぬもの「感謝」②言ってはならぬもの「愚痴」③曲げてはならぬもの「つむじ」④起こしてはならぬもの「短気」⑤叩いてはならぬもの「人の頭」⑥失ってはならぬもの「信用」⑦笑ってはならぬもの「人の落ち度」⑧持ってはならぬもの「ねたみ」⑨捨ててはならぬもの「義理人情」⑩乗ってはならぬもの「口車」「ならぬことはならぬ」のではなく、「ならぬことーは本当にならぬことなのか、本当にならぬことならー私もならぬを認める」という「否定ー見直しー再認」
No1719日に母の23回忌の法事が有りましたので宮城県の実家の帰り法要に参加しました。翌日から多賀城、仙台城、山形城、会津若松城を見てきました。母には反抗のしっぱなしでしたのですが、兄弟達と母の思い出など話して改めて偉大さに気づき感謝の気持ちで一杯です。母の事は改めてお話ししたいと思います。画像は会津若松城です
昼ごはん食べたら、今回の会津旅で行きたかった"鶴ヶ城(会津若松城)へ…今年は桜の開花が早かったらしく、いつも満開のこの時期はすでに散ってました。戊辰戦争では新政府軍を相手に一カ月以上猛攻に耐えた難攻不落の城です。白虎隊の悲しい逸話も有名ですね。日本で唯一の赤瓦で覆われた天守…昭和40年に再建されたそうです。勇壮な7層の天守…天守閣からの会津の風景…広々してます。お城と南走長屋…鉄門からの天守…桜は散ってだけど、お堀の周りは新緑が芽吹き綺麗でした。戦争で負けたけど"ならぬものは
桜とお城と馬刺しが食べたくて会津と!!!枝垂れ桜とラーメンが食べたくて喜多方に!!行ってきました🚗³₃⸜(*ˊᗜˋ*)⸝今年の桜はだいぶ早かったようで、満開は5日くらい前行った時にはかなり散ってしまってました💦悲しい(´;ω;`)でもこればっかりはわからないですからねー仕方なしめっちゃ晴れて暑かった!!青空に🏯!映ますね✨️国指定史跡、若松城です!!若松城は他にもあるので、会津若松城や鶴ヶ城って呼び名の方が有名ですね⸜(*ˊᗜˋ*)⸝赤瓦と白璧がとてもかっこいいです!お
4月12日(日曜日)昨日は晴れて暖かくお出かけ日和でしたが種まきの手伝いで、日頃使わぬ筋肉が筋肉痛に…💦奥様「今日は、桜🌸を見に行くか~」となりまして、会津若松方面へ~🚖磐梯山が見える無料市営駐車場に車を駐めて歩きます。ダイエット中?お菓子の蔵太郎庵には寄らず会津若松城🏯鶴ヶ城へ~桜🌸は散り始めてましたがギリ間に合った感じ下から見上げたらお堀りの土手に上がってぐるっと歩いて回って桜🌸と城🏯を眺めて、いいね~ヽ(´▽`*)ゝあ~ぃ!お堀の水面には散った花びらが、本当ギ
会津若松城の桜が満開になりました。AIZUチャンネル様がその模様を紹介されています。これぞ日本の宝だまさに同感です
12月22日月曜日冬至日記、1:01前日のブログネタ🍓釣り竿10:17前日聖籠のプラント5で買ってきたちょい釣り用の竿柚子10:18親戚様から頂いてきた柚子10時のおやつ10:20コーヒーとどら焼きこころ旅12:5312:54田
我が家はこどもが3人で、3年違いなので、ひと段落したら、卒業旅行に行くことにしています♪今年は、会津東山温泉〜那須あたりに行きました喜多方ラーメンから始まり、会津若松城、落ち着いた温泉宿、トラックアート、ハイランドパーク等大満足でした!
2024年に訪ねた近江八幡市の安土城址の壮大さに惹かれた事がきっかけで、100名城巡りを始めました。100名城巡りを始める前に訪問したものを含めると、現在まで約40か所の城を訪問しておりますので、こちらも追々アップしていけたらと思っております。■鶴ヶ城(福島県会津若松市)…2025年10月訪問100名城のひとつ会津若松城は、別名鶴ヶ城と呼び地元ではこの名で呼ばれることが多いそう。戊辰戦争に耐えた難航不落の名城ですが、明治時代に解体。1965(昭和40)年に再建されました。訪問し
2025年9月22日続いて、会津藩の政治の中心へ別名、鶴ヶ城とも呼ばれます。会津若松城(あいづわかまつじょう)福島県会津若松市追手町1-1国の史跡に指定されてます。会津若松城と赤べこ赤べこは、福島県会津地方の張子で、べことは、東北地方の方言で牛という意味。子供の魔除けで知られてますね。1384年(南朝:元中元年、北朝:至徳元年)、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が館を造ったのが始まり。
こんにちは🏯🍀会津若松城での内容の続きです。天守閣から出て、茶室も見て周り、おしまいに城内櫓などへの散策です。こたたらは荒城の月の碑です。鶴ヶ城と青葉城をモチーフにして作詞されたとのことです🌕月見櫓にて。ここからお堀を覗き見ましたがかなり高いので足がすくみました。けれどもこのような高い場所から眺める鶴ヶ城の美しさは素晴らしいものでした🏯✨月見櫓の桜の花の芽もここまで膨らんでいます。こちらは茶壺櫓からの眺めです。茶室麟閣はこの下に位置します。この下の石垣は高さ約20m
こんにちは🍀鶴ヶ城天守閣での様子の続きです🏯鶴ヶ城五層までのぼりました。こちらは城下町の展望室となっており、雄大な会津の景色と城下町を一望できます🏯✨それはそれは冷たく吹きすさぶ風の中ではありますがその冷たく強い風の中だからこそのこの厳しい環境下で人々が日常を過ごし歴史が刻まれてきたのだなあと実感します。天守閣一層からから延びる南走長屋へと渡る付近にて。10数年前に八重の桜の大河ドラマ館で見た大河ドラマのお衣装にこちらで再会できるとは!とても感激いたしました👘✨南走
こんにちは🏯🍀前記事からの続きで鶴ヶ城天守閣見学の様子です。会津を治めた歴代領主の紹介です🏯領主の変遷と国づくりなどに触れた展示を見学しました。藩校日新館についての展示です。日新館には大河ドラマ「八重の桜」放送時に訪れたことがあります。会津の産業についての展示です。会津塗りの漆器、陶磁器、絵蝋燭などがものづくりとして代表的です。幕末の動乱と会津についての展示です。幕末の動乱と激動の会津戦争を追体験します。幕末の戊辰戦争では約一ヶ月に及ぶ戦いが鶴ヶ城を中心に行われまし
こんにちは🏯昨日の記事からの続きです。新潟から帰宅途中、突然思い立って会津若松の街へまいりました。数年振りに鶴ヶ城へ!いつものお堀を縫うように走り駐車場へ。信長の野望のアプリで名城訪問🏯✨あ!千田先生だ🏯初めて訪れたのは2歳の夏でした☀️以来大人になってから何度も訪れていますが今回の登城はけっこう間があきましたので何だか新鮮です。大河ドラマ「八重の桜」の時以来かしら。山本(新島)八重の役をつとめられた綾瀬はるかさんのメッセージです✍️今年も美しい桜の蕾が花開くまで
今夜は私が大好きな渡瀬恒彦さんの十津川警部シリーズのDVDを観ながら寝ることにします・・・。警視庁捜査一課の十津川省三警部(渡瀬恒彦さん演)は、東京生まれの東京育ち。学生時代はボート部出身で、捜査一課の生え抜きとして数々の難事件を解決してきた名物刑事である。現在は警視庁十津川班を率いていて、長い付き合いの亀井警部補(伊東四朗さん演)とは阿吽の呼吸。関西出身の妻、直子(かたせ梨乃さん演)とは見合い結婚。なかなか出てきません(笑)。「鬼勘」と悪名高い悪徳金融会社社長、五十嵐が何者かに殺害さ
3.11から15年が経ちました。被災された方々にお見舞い申し上げ、犠牲となられた方々に対し心よりご冥福をお祈り致します。今年の復興祈念式のテーマには「15年の想い、未来へつなぐ」とあります。また、サンドウィッチマンの伊達みきおさんはblogの中で「経験した大人が、しっかりと子供達に伝えていかないとですね」と書かれてました。15年目を迎え、記憶も教訓も決して風化させず次の世代へしっかり受け継いでいく事の大事さ。それこそが「生かされた者」の使命…役割なのかも知れません。今年の雪まつりの大
【羽生結弦さん、語る(3)】「八重の桜」は「天と地と」続編…「思い出を置いていくイメージで」-スポニチSponichiAnnexスポーツフィギュアスケート男子で五輪2連覇した仙台市出身の羽生結弦さん(31)が7日、宮城県利府町のセキスイハイムスーパーアリーナで東日本大震災15年に合わせたアイ…www.sponichi.co.jp⬆︎より引用「八重の桜」、新プロディヴィットの振り付け大河のドラマ要素はそこまで入ってないけど「天と地と」の続きと…***********
WBCが始まったけど、全く興味なし!大谷言うたらお大谷吉継やろ!←先月末のブラアラキ2日目、2月22日(日)の続き飯盛山から市内周遊バスで若松城(鶴ヶ城)の北側へすぐには入城せず、周辺を少し徘徊城の北出丸前、道路を挟んだ向かい会津若松駅から城へ伸びる1本道沿いに建つのは西郷頼母邸跡幕末の会津松平家家老として有名よね戦が始まり、頼母と息子の吉十郎が城へその後、戦況が危うくなり足手まといや敵の恥辱を受けない為にこの邸宅で妻子・縁者含め