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東海道、旧・日永村の味噌&醤油の蔵元・伊勢蔵を出て暫く歩く。やがて、この鳥居が…↓↓↓ここは、『日永の追分』。東海道と伊勢参宮街道との分岐点に、伊勢の神宮への遙拝の為の鳥居が無いのは如何なものかと考えた地元の商人が、私財を投じて土地を買い入れ鳥居を建てたという。鳥居の隣には、神宮遙拝御鳥居と書かれた石碑が。↓↓↓この鳥居は神宮の20年毎の式年遷宮に合わせて建て替えられているとか。かつてはここは『間の宿(あいのしゅく)』となり、茶屋が建ち並んでいたらしい。また、通常、間の宿と言
まとめ②、まとめ①の続き、お伊勢参りの旅後半です。後半の振り返り行きます。9月23日は津からのスタート。平治煎餅本店前を通りますが開店前です、が、前回すでに駅で買って美味しくいただきました。近くなってきました、というか見えてます。津観音の前の道標。片参り寺社その③津観音参拝です。門前町にある玉𠮷餅店さん、江戸時代創業の街道のお餅屋さん。玉𠮷餅店さんには開店と同時に。伊勢路お菓子その⑦鮮やかなお米をのせる饅頭は「けいらん」、タイプ的には伊勢地方では昔から
1年に渡っての大プロジェクト?だったお伊勢参りの旅。実は始めた時にはこんなにかかるとは思っていませんでした。言い訳としては・・・自宅に帰るのは遅くならない(晩御飯は家で)と決めていたと道草や夏の暑さでの早じまいもありました。それでも、香良洲道、二見道、朝熊岳道の番外編3回も含めてなんと14回にも分けての歩きでした。もしや伊勢参宮街道歩き街道ウォーカー最多日数なのでは笑?振返りします!2014年5月18日我が家出立、津島神社参拝まで。我が家の玄関から稲澤町道路元標、伊勢への
***前回の記事、その46より続きです***目の前の海にテンション爆上がりで、海に突き出た突堤をずんずん進みます。内陸部を歩いているときにはそんなに気にならなかったのですが海岸に出たら・・・正面から爆風!波しぶきに気をつけながら・・・対岸に見えるのは愛知県の三河湾あたりです。左寄りの山並みは鈴鹿山系ですね。寒い!波も!波しぶきでホントに二見の海で身を清めそうになってるので撤退!目指すはあの出っ張り地点です、鳥居も見えてます、もうすぐ。古くからの景勝地
***前回の記事、その45より続きです***道標の建つ五十鈴川を渡り線路跡を観察して、目指す二見はもうすぐです。歩き始めるとすぐに鳥居の前を通りかかります、二見神社とな。「二見」の名を冠す神社なら立ち寄らねばなりません。鳥居脇に石柱があります、「二見朝日館」と刻まれています!明治三十八年の寄進物、常夜灯かな?今も続く二見の老舗旅館、朝日館のことでしょう。朝日館は創業二百八十年を数えるそうです。二見神社は並ぶ鳥居をくぐるとちょっと雰囲気ひんやりで、異世界感
***前回の記事、その44より続きです***とても美味しい二軒茶屋餅でひと休み、パワーアップして、二見へ出発です。角屋本店さんから先は県道を縫うように二見道は進みます、ここは左。先には緑の森が見えています。勝廣稲荷と赤い鳥居が建っていますが中に入ると何社も祀られています。ここもクスノキが御神木、大クスを見る旅になってきました。中に入るとメインは橘神社という神社です、ここはかなり重要な神社です。二見の海辺で作られた塩を御塩道で運ぶのですがその塩の荷、「唐櫃
***前回の記事、その43より続きです***伊勢の海の玄関口&物流の大拠点だった河崎の町歩き中です。勢田川左岸から一本中に入った河崎のメインストリートの南端まで来たので折り返します。南新橋から入ってきた地点に戻り、さらに北へ。和菓子屋さんが見えてきます。これも明治からの伊勢銘菓として有名な「絲印煎餅」の播田屋(はりたや)さんの本店です。もちろんお土産としてザックへ入りました。伊勢らしい民家がずっと続いて飽きることがありません。屋根の角のところの飾り的な
***前回の記事、その42より続きです***4月5日スタートのブラタモリ新シリーズ、東海道57次に続いて今度は伊勢街道の旅だそうです。「伊勢路は途中の町が面白い」とのテーマだそうです、これは歩いたばかりでジャストタイミングで嬉しい!途中の宿場町の古くからの和菓子はかなり食べたし笑。もしかして街道ものがこれからも続くのかな??それはさておき・・・。当方のお伊勢参りの旅は無事参宮は終えましたが、このシリーズまだ行かねばならぬ場所が二つ。途上にある片参りになる寺社(wik
***前回の記事、その41より続きです***伊勢神宮の内宮の参道、おはらい町に入り進みます。賑やかな参道は誘惑が多い多い、心を無にせねば。って、どんどん人が増えてきましたが!15時過ぎでもこれですか!おそるべきはお伊勢参り。赤福本店の赤福ぜんざいの行列、長っ!他の赤福の店の方がまだしも空いてるだろけどせっかく遠くから来たならやはり本店がいいのはわかる~。おかげ横丁を過ぎるとさらに・・・思わず言葉になった、「う、うひゃー!」「なんだこりゃ!」今日は
***前回の記事、その40より続きです***外宮前の現代の道標、内宮3.8キロで伊勢参宮街道も残りわずか。外宮のお隣というか、せんぐう館の池の対岸の茜社、立ち寄りたかったのですが泣く泣くスルー。大きな両宮御神燈の並びの前を通り進みます。ナショナル自転車ももう懐かしい。勢田川を渡る小田橋の橋詰に嬉しい解説板があります。表は小田橋の歴史、裏は伊能忠敬の測量の時の記録が書かれていました。しかしこの時は急ぎ橋を渡り、反対岸の橋詰のポケットパークに向かいます、あそ
***前回の記事、その39より続きです***いよいよ現代の道標が外宮まで1.4キロとの情報をもたらしてます。宮川を越えると伊勢市街地エリアに入ってきました。筋向橋(すじかいばし)の欄干が現れました。暗渠になっている?川の痕跡ですが全く川感がない・・・。この交差点は伊勢参宮街道と熊野街道の合流地点。昭和三年の架換という銅製の渋いプレート。擬宝珠をよく見ると、江戸時代のものでした。幕末嘉永二年の式年遷宮のときに作り替えたということのようです。昭和三年の架け替え時
***前回の記事、その38より続きです***伊勢参宮街道に今も残る茶店、名物へんば餅での腹ごしらえも終えて、伊勢に向けて行きますか!流石に伊勢市に入ったら街道沿いには妻入り伊勢タイプ家屋がズラリ。あれは道路元標!三重県では里程標は数多く見ますが道路元標ってホント見ないので貴重。小俣町道路元標。紀州藩高札場跡の石碑を左に曲がるとマンション前に解説板があります、なんだろ。明治天皇が休憩した奥山家住宅がここにありましたよ、とのことでした。ストビュータ
***前回の記事、その37より続きです***灼熱の伊勢路を歩きはじめた遠い記憶がありますが、いつのまにやら極寒の季節になっていました。真っ暗の中家を出て、近鉄電車の中で夜明けを迎えます。早朝の急行電車は窓からのひんやり感がちょっと寒い笑。今回の伊勢参宮の旅は明星駅から再開です。伊勢方面に歩き出してすぐの転輪寺の表門は田丸城からの移築とのことで見ていきます。「と、伝えられる」、と微妙な表現ですが屋根はむくってるしやはり只者ではないかな。ガイドブックには南門
大河ドラマはここんとこは毎年見ていますが、特に去年の「光る君へ」はとても楽しめました。大河といえば合戦シーンなきゃとの考えは消えました笑。そんなわけで?年末12月、「光る君へ」で道長もまひろも参詣した長谷寺に初めて行ってみることに。源氏物語にも出てくる長谷寺、初、初瀬詣でに行ってきました。長谷、初瀬、はせ、はつせ、どれを使ってどう読んでいいのか迷いますが、名古屋から2時間かけて長谷寺駅へ。駅からきゅーっと坂を下っていきます。この区間だけでも良き姿の家が並んでいます、キョロ
***前回の記事、その36より続きです***従是外宮三里四里に続いて伊勢神宮外宮まであと三里の道標が現れてお伊勢さんへのカウントダウンは進みます。宮川江二里半伊勢の町に入るには宮川という大きな川を渡しで越えねばなりません、その宮川までは二里半。清水屋勘太?さんありがとう。こちらの面は・・・。松阪入口江一里半大□江二里棒屋勘助さん雑賀屋栄助さんありがとうこの「大」の下の文字が読めない・・・。けどなんか手が加えられているようにも見えます。坂が
***前回の記事、その35より続きです***伊勢参宮街道は櫛田橋を渡ってすぐ旧道に入ります。先ほど向こう岸で見た道標の解説板にあった早馬瀬神社はこの矢印通り右に曲ってすぐにあるのですが気が付かずに街道ルート通りに直進してしまいました。こんな家屋や。こんな路傍のお地蔵様を見ながら気分よく歩きます。スパーンとひろがった景色、ゆらりと曲がる街道、左手には近鉄の線路が並走。近鉄特急来た!新しい塗装の普通の近鉄特急。そういえばおなじみオレンジ色と紺色の古
***前回の記事、その34より続きです***本日の伊勢への旅は東松阪駅から。今日も早朝から、さて行くか~と駅を出ると・・・目の前になんだか石物群があります!明らかに私有地で囲われてるので入れませんがなんだろ?神武天皇御陵とあります。こちらは明治天皇御陵。遙拝所的なものでしょうか?それではお米屋さんの巨大米粒から伊勢参宮街道リスタート。すぐに、左手にお堂現れて、覗いてみます。庚申さんです。よく見ると後ろにも先代?の庚申さん。猿&鳥&邪鬼
***前回の記事、その33より続きです***2度目の松坂城ですがやっぱり楽しい!上り坂の道を石垣を見上げながら松坂城攻め中です。高低差のある丘に建つ石垣は迫力満点です。それではその見ごたえのある松坂城の石垣をお楽しみください。松坂城はこの立体迷路みたいな石垣が楽しいんです。なので2度目ですが今日も来たかったのでした。そして本丸です。天守閣跡、幅の広い石垣は多門櫓だった?。本丸の天守台北西側に回り込んでみます。見晴らしいい!
***前回の記事、その32より続きです***阪内川に架かる大橋、この橋を渡るといよいよ松阪市街地で城下町です。ここまでと違い松坂の町の観光地の賑やかさも感じられるエリアに入ります。どーんとうだつの上がる堂々とした古民家は旧小津清左衛門家、内部を公開してるのでこの後訪れる「旧長谷川治郎兵衛家」との共通券を買って見学していきます。江戸時代、江戸で大成功した紙問屋さん、今も続いている会社だそうです。庭にあるシンプルで何でもないように見える常夜灯ですが、南北朝時代(
***前回の記事、その31より続きです***伊勢タイプの妻入古民家の並ぶ市場庄の町を後に進みます。突き当たる形でゆらりと左に曲がる伊勢参宮街道ですがここにも石物とお堂が並んでいます。定番史跡場所がゴミ収集場所というのは残念極まりなく、ですがいやそれ以上に・・・。おーい、貴重な歴史の遺産、左さんぐう道の道標にこんなん看板をくくり付けるのはいくら何でもひどすぎます。罰したいのはこちらです、松阪市の文化財保護なんかの管轄の部署の方これなんとかして~!この道標は形からする
***前回の記事、その30より続きです***伊勢参宮街道、香良洲道、両方のルートからたどり着いたのはJR六軒駅。今朝はここから、再び伊勢参宮街道歩きスタートです。青空気持ちいいな~。駅から街道まで出てきました、今まで2回眺めた道標に従い「右松阪」に進みます、江戸時代の旅人気分で歩き出します。すぐに橋が見えてきました。三渡橋で三渡川を越えます、伊勢参宮街道は鈴鹿山系からの川を越えまくりですね。おっちゃんが川の中でなんか採ってます、シジミかなんかかな。橋を
***前回の記事、その29より続きです***「お伊勢詣りをしてお加良須に詣らぬは片参宮」ここをお参りせねば伊勢神宮参拝しても片参りになっちゃうよ、の香良洲神社に着きました。御祭神はアマテラスさんの妹さん稚日女尊さん、機織りしてたら兄?弟?のスサノオさんがやらかした騒ぎで驚いて亡くなってしまいます。それでお姉ちゃんが天の岩戸にこもって・・・の天の岩戸事件、今調べました。案内図、伊勢神宮のように本殿を移すような敷地があるのがわかります。手水で清め清め・・・手水に
***前回の記事、その28より続きです***石物4連チャンが保存されている堤防下を見下ろして激しくテンション上げて転げ落ちるように階段下ります。ホントは、道しるべである道標は特に移設保存じゃなくて元々あった場所にあってほしいんですけどね。でも、いろいろ下調べで調べると「自治体保管」「学校の校庭で保存」「個人宅」な道標が割と多いのでこれは嬉しいのです。現代では失われていないことを喜び、そして誰でも見られる場所に置いてくれてることは素直に嬉しいです。では行きましょう、鑑賞会です
お伊勢参り、伊勢参宮街道を外れての番外編的ルート、香良洲道編です。香良洲神社は江戸時代、「お伊勢詣りをしてお加良須に詣らぬは片参宮」と言われていたほどでここは立ち寄らねばなりません。香良洲神社のある香良洲町は雲出川河口部にある絵にかいたような三角州の町です。赤線で囲んだ範囲が香良洲町です。伊勢参宮街道に並行して香良洲道はあります。ポイントは各方面から立ち寄りやすいようにいろんな方向に、特に北から来る人には通り抜け型に道をつなげたことでしょうか。これだとどうせならちょっと立ち
***前回の記事、その26より続きです***松浦武四郎誕生地、武四郎さんの生家に着きました。この先の松浦武四郎記念館も見学するので共通券で見学です。松浦家は年貢を集める有力な家だったので蔵が多いのです。次は記念館にも立ち寄ります、しかしこの小野江の町もなかなかよき街並み。右に少しコースアウトして松浦武四郎記念館に。ここも楽しみにしてきたところです。武四郎さん、若いうちは旅好きが高じて幕府の蝦夷地調査のお仕事。旅日記を出版しつつ、しかしいつし
***前回の記事、その25より続きです***青銅常夜灯に誘われて訪れた加良比乃神社は街道からすぐでした。アマテラスさんのお住まいを決めるヤマトヒメさんの旅の途中に滞在した「元伊勢」のひとつでした。今まで何か所ものヤマトヒメさん伝承地(神宮司庁)を歩き中に見てきましたが最終的には伊勢に決まったのですから三重県には伝承は多いのは当然ですね。・・・あれしかし神宮司庁さんHP、尾張にはヤマトヒメ滞在の中嶋宮が伝承地がたくさんあるのですが・・・スルーはないよ~。それはさておきヤマトヒ
***前回の記事、その24より続きです***伊勢参宮街道は国道23号として岩田橋を渡り進みます。国道にトレースされたとはいえかなり時を重ねたっぽい建物は残ってるね。ここで左に、国道とはお別れ。しばらくは普通の住宅街を行きますが・・・。お寺的な屋根が見える突き当りっぽいところまで来るとちょっと雰囲気変わってきます。左が地蔵堂、お寺というかお堂があって右には市杵島姫神社。お堂を覗き込んでみると、ひゃー!おっかない閻魔様が睨んでます。手前の壇茶幢と
***前回の記事、その23より続きです***本日伊勢参宮街道のスタートはなんとなく昭和のターミナル感を残してる雰囲気の津駅です。歩きだしてすぐに片側3車線計6車線の横断歩道を渡ります、こんなに長い横断なのに信号無しぃ!今は交通量は少なかったから難なく渡れましたがいつもはどうなん?駅近市街地ですがお寺が多いのは街道の名残でしょう。聖徳太子も来たというこちらのお寺、初馬寺であさイチ参拝。太子さんここで病気療養、なのに仏像彫刻、ちゃんと休まないといけないですよ。
***前回の記事、その22より続きです***全国の「痔」でお悩みの方々は是非ご参拝していただきたい「痔神社」。鳥居は銅張の立派なものです。いや自分は違いますよ。痔神大明神、とあります、もともと「地神」だったのがなぜか変わってしまったらしいです。今後もお世話になることが無いようにとお願いしておきます。そういえば過去に歩いた街道筋では岐阜県海津市、今尾街道の途中の春日神社に痔に御利益のある「とち池」という場所もありました。お悩みの方はこちらも合わせてご参拝ください。と
***前回の記事、その21より続きです***弘法井戸前の枡形も明確にクランクしています。ここに道路改修記念碑という石碑と解説板があります。上野宿内の3か所の枡形を通りやすいように改修したとのこと。街道ウォーカーとしては改修しないでほしかったのですがこれは仕方ありません笑。クロマツオキナ、津から伊賀に移った酒蔵だと調べがつきましたが情報があまりなくて。HPも(旧)Twitterも止まっているようですがどなたかご存じでしょうか。上野城址はちょっと登るな、無理かな