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御教歌中々に物しりげなる人よりしらぬはしれる人にまさらん物事をさも知っているかのように振る舞うより、知らないことは知らないと認める謙虚な心に物を学び知る初めがある。このように仰せの御教歌です。いずれの分野においても専門家は、学び知れば知るほど奥深さを知り、一層の努力を惜しまない。そこに専門家としての知識を備えていくようです。お互い凡夫はといいますと、ことわざに「物知らぬこそ身すぎなれ
はじめまして。乃杏(のあ)です。自分のことを好きになりたい、学びたい。という気持ちが強く、それの記録用としてblogに書き残そうかなと思い始めることとしました。タイトルの『和顔愛語(わげんあいご)』とは“いつもやさしい表情で人に接し、穏やかな言葉をもって語りかけること。そうした心がけを大切にしていれば、必ずよいご縁とよい報いがもたらされる。”という仏さまの教えだそうです。先日京都の六角堂を参拝した際に、和顔愛語を実践されている十六羅漢尊がお祀りされていました。水の音も
御教歌きめ所ひとつきめたらその外はこじき袋に学問をせよ人生において必要な時、何時でも引き出せるよう、我が心の乞食袋に蓄えていくことの大切さをお示しの御教歌です。「役者の乞食袋」という言葉がありますが、役者は常日頃から役を演じるための知識や教養を蓄えていきます。その袋への貯め方として、人に対し興味を持ち、それぞれの表情や感情の表し方などを観察しては学び取るといいま
日本には、いったい、どれほどの「神さま」と「仏さま」が存在するのだろうか。ふと、そんな疑問を持つ方がいるかもしれない。神さまは、何柱いるのか。仏さまは、何体いるのか。十人なのか。百人なのか。千人なのか。一万人なのか。実は、この問いに対して、「日本には神さまが〇〇〇柱、仏さまが〇〇〇体おられる」と、正確な数字を答えることはできない。なぜなら、日本の神仏の世界は、最初から「何柱、何体」と数えられるようなものではないからである。「八百万の神」という言葉日本には古くか
一昨日、孫息子くんがこんなことを言ってましたばぁばの家の玄関に入る時神社みたいな感じがした家に入ってひいじいじに手を合わせるのにお仏壇の前に行ったらここから感じるのかと、思ったと…孫息子くんに少し霊感があるのは前から聞いていましたこの話の時に孫息子くんが「霊感といってもオレは霊を見ることは出来ないからよくわからない前から、瞼というかおでこのあたり?上手く説明できないんだけどそのあたりで感じるんだばぁばの家は霊とかじゃなく神社みたいな空気を感じたんだよね」
御教歌よき事ををしへる人は師匠なりうそとあほぐちともだちにすなその人の為になる事を教えてくれる人が善き師であり、嘘をつく人・つまらぬ事を喋る人を友にすることは、益するものはないことを仰せの御教歌です。「人は善悪の友による」といわれますように、人は付き合う友によって、善くも悪くも感化されるもので、時には親のしつけより影響が大きいこともあり、それほど人は周囲の環境に影響を受けやすいよう
バビル二世さん、日本も警戒されて下さい令和八年丙午神無月拾ニ日己未仏滅旧歴九月二日スポーツの日合掌『千葉県千葉市若葉区出雲大社の分社』https://www.threads.com/share/BAIeYhE4aA/ameblo.jp『”日本は神仏の宝庫である――日本に息づく神々と仏さまの世界”』ameblo.jp『”【九星気学】2026年10月12日の方位一覧”』ameblo.jp
我が国、日本には、古来より数多くの「神」と「仏」が存在する。太古の昔から、この国で信仰されてきた土着の「神々」。造化三神、天照大御神、伊邪那岐命、伊邪那美命、須佐之男命、大国主神、そして、木花咲耶姫命や瓊瓊杵尊。日本の神話に登場する神々は、天地の始まりから、国土の誕生、そして人々の暮らしに至るまで、日本人の精神文化と深く結びついてきた。また、八幡神、稲荷大神、熊野権現、山の神、海の神、田の神など、日本各地には、その土地や自然、人々の生活と結びついた数多くの神々
【行ってきました】10/9ギャラリー銀座。廣江まさみ先生の個展。今年の表題は、「わたしを連れて行くく。」会場に並のはお馴染み笑い文字と、来年の干支・未にちなんだ書の数々。やぁ、今年も自分連れて来て良かったわ、居るだけでも癒されますね(*´∀`)反対側には「手のひらの仏さま」達、こちらも毎度お迎え多数の人気。花らっきょうも仏さん達を手に取ってたら・・・おや、隅っこにお雛さんが居る。よう見ると、お雛さんが語りかけて来るぢゃあーりませんか。「結婚したいよね(*´∀`)♪」「
続きましては‥男爵さん仏様のお盆のお供えごはんお団子とうもろこし煮干しのビリー浮島煮干し梅干しワカメスープオリーブオイル入り全てシェアして頂きました‥トータルカロリー分けて200程‥⁉️
薬師寺『病気平癒のお参り薬師寺』土日はほぼ1日家に居て仏像彫ったり絵の練習したりして犬の様子をみていました。(主人はちょこちょこ自分の予定を入れてますが🤫)「ずっと(神社仏閣に)行ってないよ…ameblo.jpの次にどうしてもお参りに行きたかった興福寺薬師寺は仏さまが好き💖というのもあるけど薬師寺も興福寺も桜井識子さんが力のある薬師如来様と紹介されていたのもありまだ力の分からない私にはその言葉にすがるような感じでお参りにいきました。大好きな奈良久しぶりに来れたの
뉴스를열때마다마음이침착하지않습니까?전쟁소식.생활에대한불안.소중한사람의건강.앞으로자신은어떻게살아가면좋을까하는망설임.매일은언제나그대로계속되고있는것같고,문득순간에,그발밑이확실하지않다는것을깨닫습니다.그런시대에우리는무엇을준비해야합니까?불교에는「말법(마포)」이라는말이있습니다.불교의일부전통에서는,석가님이죽은후의시대를,정법·상법·말법이라고하는3
御教歌金のなき人はあれども人のかねかりたほしてもつかう世の中世の中にはお金がない人もいるが、人の金を借りて我が物のように使い、そして踏み倒す人もいるものである。なんとも嘆かわしいことであることを仰せの御教歌です。仏さまは、滅後二千年以降を「五濁悪世(ごじょくあくせ)」と云われておられ、その時代に生まれ合わせる者たちは、どうしても善い方へ心が向かないし、善いことには物惜しみをし、悪いこ
戒名とは仏さまのお弟子として仏弟子となるための約束事、戒をいただくその名前です。実際は導師である人から頂くのですが、血脈と言って、大日如来から始まって龍猛菩薩、恵果阿闍梨、弘法大師、興教大師と続く師資相承の中で伝えられます。私が授けたというより、仏さまに授けて頂いたと考えられます。戒名をいただくということは仏さまのお教え(戒法かいほう)を授かることを意味いたします。戒名と戒法を自分自身の生き方の指針とするためにも生前に授戒されることは素晴らしいことです。生きているうちからの信仰
御教歌人だます工夫はたれもしりにけりさればかしこき人はすくなし人を騙す工夫はしても、人を助けていくことに喜びを求める人は実に少ないことをお詠みの御教歌です。仏さまはお経文に「衆生(しゅじょう)、垢(く)重く、慳貪(けんどん)、嫉妬(しっと)して諸の不善根(ふぜんこん)を成就(じょうじゅ)する」(方便品
🇯🇵仏さまのワンダーランド🇯🇵2026年03月07日(土)⛩️🌸‼️『2026年🎠‼️春の奈良⛩️🌸‼️』2日目⛩️🌸‼️氷室神社をお参りしたあとは⛩️🇯🇵‼️世界遺産🇯🇵🌎‼️東大寺を参拝🇯🇵🌎‼️御朱印を拝受しました🇯🇵🌎‼️🇯🇵🌎華厳宗総本山東大寺🌎🇯🇵2025年04月30日(水)参拝blogです‼️『巳20250430②卍華厳宗総本山東大寺①(奈良県奈良市)』巳2025🐍117🇯🇵🌸‼️2025年04月29日(祝火)🇯🇵🌸‼️2025年🐍‼️春の奈良⛩️🌸‼️』2
御教歌わが店のはやらぬ故によその邪魔むだに暮らして棒を折る也我が店が流行(はや)らないからといって、よその店の邪魔をして棒に振るような生き方をするものでない。このように仰せいただいた御教歌です。ここで「棒を折る」とありますが、事業につまずく。失敗する。身上をなくす。ということで、一生を棒に振ることを指してあります。本日の御教歌のように、事が上手く運ばないからといって他人の足を引っ
御教歌くるしみはおのれにありて人しらずなにも迷ふが故にこそあれ苦しみというのは、自分の心にあるのであって人に分かるものではない。迷うが故に苦しむのである。このことを仰せいただいた御教歌です。教えに「悟れば仏、迷えば凡夫(ぼんぶ)」とあり、この世に一切の迷いがなければ仏さまなのですが、残念ながら迷いがあるが故に我々のことを凡夫(ぼんぶ)と云います。凡夫とは、煩悩に束縛されて迷っている人
いつもお世話になっている石屋さんが扱われているのは石だけではありません。仏画なども扱われていて、その中に不動明王もいらっしゃるので今日はこちらのご紹介をさせていただきます。(前からわかってはいたのですが、実は職場に不動明王の大きな絵が飾られていまして、前から近くでお守りくださっていたのだと思いました😊)今回ご紹介するこちらは全て、ネパールの職人さんが描かれたもので、「タンカ」と言われるものです。仏画・タンカについてタンカ(Thangka)は、チベット仏教を中心に受け継がれてきた仏教絵画
花巻に通い始めたのが2015か2016年からかな?これまで散々岩手県に通ったのに、中尊寺には行ったことがありませんでした。岩手の中でもだいぶ宮城寄りですね。子供の頃、金色堂のキーホルダーをおばあちゃんにもらいました。もうそのおばあちゃんも亡くなったわけだけど、一度は行ってみたいなと思っていました。花巻の仕事日は大学の外来日の翌日で、朝の移動だと間に合わないので前日入り、つまり外来後に移動します。どうしても午後に埼玉を出発すると岩手に着くのは夕方以降なわけですが、このたびシルバーウィークで休日
【あらまし】尼君から返ってきた歌をみて、源氏は、自分のやむに止まれぬ思いを、「こよひばかりの露」と言われ、「深山の苔にくらべざらなむ」と軽められて、おもしろくありません。「おそれ入りますが、人伝てでなく、じかに、本気で申しあげたいのです。」源氏の言葉を尼君へ伝えると、尼君は当惑して、「なにか間違ったことでもお聞きなさったのでは。なんとお答えしたものでしょう。」「はしたない思いをおさせしてはいけません。」と女房たち。「若いあなたたちよりも、やはり、わたくしが直に。ご本人は本気のよう
「弱いから」相田みつをわたしは弱い人間だからふつうの人といっしょにではとても骨が折れるんですみんなといっしょではとてもついてゆけませんわたしはのろまだから同じことをやるにもひと(他人)よりはるかに手間がかかるんですわたしは気が小さいからまわりのことが非常に気になるんですわたしは怠け屋だからいくつになってもおっかない師匠が必要なんですわたしがどうしようもない人間だから安心できる観音さまが必要なんですいつでもどこでもどんな場合でも
私たちの生活にも、マントラは使えます。「真言なんて難しそう」そう思う人もいるかもしれません。けれど、難しく考える必要はありません。朝起きたとき。家を出る前。仕事を始める前。眠る前。不安になったとき。神社やお寺にお参りしたとき。静かに呼吸を整えながら、御真言を唱えてみる。最初は意味を全部理解できなくても構いません。大切なのは、雑念だらけの頭で何時間も悩み続けるのではなく、一定の言葉に心を戻していくことです。では、どのような御真言がよいのでしょうか。サマンサがおすすめする、日常の御
昨秋に作った栗の甘露煮、一部はお正月の栗きんとんに使い、残ったものは使う当てもなく放置してありました。日が経ってしまうと、これまだ食べられるのかしら?と判断を先延ばしにします。せっかく作ったものを捨てるのが忍びない、という心理です。さすがに1年近くが過ぎ、何とかしなくちゃ、で本日蓋を開けてみました。蜜が濁っていなかったので、大丈夫かも、と淡い期待も。。。結果、傷んでませんでした\(^o^)/しっかり脱気ができていたようです。常温で保管していたので、栗も硬くなっていません。
今日の午前中北九州市のお寺さんから、入門・中級講座が昨日開講されたと報告がありました。昨日の大雨を理由に参加しなかった罰当たりな爺です。南無阿弥陀仏
御教歌学問はせぬがよきかと思ふかな十が八九は慢心になる学問は別にしないでもよいと思う十人のうち、多方はおのれ良しの自惚(うぬぼ)れた考えに陥(おちい)ってしまうものである。このように仰せいただいた御教歌です。学問は、それぞれの道を究(きわ)めていくために学ばなければいけない大切な道しるべでもあります。医学には医学の道があり、法律には法律の道がありますように、どんな道でも学んでいかなければ、究(きわ)めることは出来ないものです。また
今日の東京都心は、雲りの多い1日でした。朝晩すっかり冷え込むことが多くなりましたが、体調管理には気を付けたいものです。さて、今日は第4日曜日ですね。東京都豊島区誓願寺にお参りに行ってきましたお寺の掲示板です。お参りのあとは、法話を聞きましょう。今日のご講師は、東京都豊島区誓願寺の古賀明徳師です。※青字は古賀師の言葉の要約です。<これからもよろしくね>昨日でお彼岸は終わりましたが、今日はお彼岸会をします。浄土真宗では
残念ながら夜空をのぞくと雲が名月を覆い隠しています💦せめて、月見だんごを仏さまにお供えしましたm(__)mまた台風26号が近づいています。ニュースを見ていると、土砂崩れで、現在行方不明になられた方々もいらっしゃり、収穫したお米が水につかったり、店舗が浸水したり本当にひどいことになっています。どうか、これ以上の被害がありませんよう、お祈りいたします。
お彼岸なのでおはぎを買ってきました。お店は、田子の月城北店。田子の月では「三色おはぎ」と称して三種類のおはぎを用意していました。あずき・きなこ・ごまの三種類。ただ、お店を訪問したのが午後四時過ぎだったせいか、ノーマルなあずきはすでになく、きなこが1パックとごま1パックを残すのみ。あぶないあぶない。ごま、なんか生理的に受け付けないなあ。(ごまが嫌いなわけではない。)で、きなこを購入。仏さまにお供えした後、おさがりをいただきました。