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安倍そわ香ですまた地下鉄を乗り継いで、バンテリンドームへ。ドームへ向かう通路は,もう既に大混雑。浅草寺の初詣で状態でした電車を降りてから、ドームまで約15分以上はかかったと思います。開演は16時でしたが、グッズ販売の予約が15時からでした。グッズは娘だけが買いに行き、スムーズに秒で買うことが出来ました。娘の推しは慎太郎くん今回のライブのペンライトは、なんとヘッドフォン型!!斬新ですね〜。私には、ジェシーのフォトセットを買ってくれました。ありがとね早速ぶーちゃんと。名古屋
んああ、、効く〜〜〜〜〜探偵物語(1979)がきっかけですが、蘇える金狼も、極道の妻たち(1986)も、行き止まりの挽歌ブレイクアウトも、仁義なき戦いシリーズも皆好きです。
おすすめの邦画は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう最近また仁義なき戦い見ましたみんな30代そして北大路欣也さん以外はほぼ鬼籍に新シリーズは正直ビミョーかな監督が深作監督から工藤監督に売り出し中の根津甚八主演本家の親分還暦祝い昭和の還暦おじいちゃん過ぎる🤣おもしろくない皆さんお疲れ様です27℃チューリップで27℃なんで洗濯🌀👕干し完了で隣の物置先日の強風で屋根落ちてたのになんとか補修してた
昨日は夜散歩桜もほぼ散ってしまってましたが気持ちよかった朝家仕事してたら朝刊を取りに外に出た俺勝った~って外に確認にいくと確かに鳥の糞害がないおーヤルジャン昨年から鳩との闘いで↑このトゲトゲを鳥がとまりそうな箇所へ置いたものの…鳩からトゲトゲを落とされ超強力接着剤で固定これでやっと大丈夫かなと思ったら今度はこのトゲトゲの合間に入るくらいの小鳥や雀たちの休憩所となり、糞害が日に日に増す状況が続いてました鳥が近づかないようなグッズや薬品をあれこれ買い込みここ数ヶ月奮
見るでもなく、テレビを付けていると日曜夜に始まった新ドラマでは耳慣れた言葉が聞こえてきた。霊南坂教会近く、アーヒルズ裏の秘密の花見スポット「ACMA:GAMEアクマゲーム」というらしいが、ヒーローが悪と闘うドラマらしい。主役は間宮祥太朗で、対する悪役が子役出身の須賀健太。(「三丁目の夕日」の少年ね)彼の広島弁が素晴らしかった。広島弁で言うところの”おどりゃあ、すどりゃあ”(すごむ様子)に何の違和感もない。このまま、日活のヤクザ映画に出られそうだ。教会の前はアメリカ大使館
こんにちは。いつも、「ポチ(下のバナー)」「いいね」ありがとうございます。とても、励みになり、嬉しいです今日、2件目の投稿です。悪役が魅力的な作品は、ですか。仁義なき戦い、かな(;^_^A悪役が魅力的な作品は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよういつも、いいね・ポチなど、沢山頂きありがとうございます。1日、1回、ポチも宜しくお願い致します。ブログ村のランキングに参加しています。1日1回、ポチっとして頂けると幸いです。にほんブログ村
悪役が魅力的な作品は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう1282年に「マフィア」の名前の由来となった住民暴動と虐殺事件「シチリアの晩鐘」が起こりシチリア島のフランス系住民は見つかり次第に殺され、その時の暴動の合言葉の単語が「Mafia」となり由来となったようです。マフィアはイタリア🇮🇹のシチリア島を起源とする組織犯罪集団でマフィアのグループは「ファミリー」と呼ばれてましたが映画「ゴッドファーザー」ではその性格は現れてましたね…🎥日本の「マフィア」なら「仁義なき戦い
こんにちは松江京店ファッションハウスミナリですいい天気の松江です先日、ぶんたんをいただきましたぶんたん、どうやって食べたらいいのでしょう調べてみましたら一つずつ剥いて、こんなふうにするようで、、美味しかったです、ごちそうさまでした😋さて、朝一からの用事はスムースに月末の用事は先延ばし、、、あらま今月も終わりに近づいてランチはカラコロ広場佐香やさんシーフードフライアジ、カキ、ワカサギあらま、ラン
ひとつ前の当ブログで、『見上げてごらん夜の星を』(1963番匠義彰監督)について触れました。この映画については、当ブログ2020年12月17日に「文太先生のあだ名はカマキリでした」というタイトルで書いています。以下に再録します。***ひとつ前の当ブログの続きです。あだ名があると、つかない子が出てしまうことに配慮して、あだ名を全面禁止する学校があるといいます。ここは、生徒同士同様で、先生にもあだ名をつけることを禁止しているのかな?映画の中では、よ
金子信雄さん金子信雄(かねこのぶお)愛称:ネコさん1923年3月27日生まれ、1995年1月20日、満71歳没。東京府東京市下谷区(現・東京都台東区)出身の俳優、料理研究家、司会者、タレント。妻:丹阿弥谷津子(女優)小学校1年の時から結核を患っており20歳まで闘病生活を送った。1943年、文学座所属俳優として芸能界入り。1946年、成瀬巳喜男監督の『浦島太郎の後裔』で映画デビュー。1952年、演劇観の違いから文学座を退団し、木村功らと青年俳優クラブを結成
オールナイト5本立て上映懐かしの名画座を訪ねると祇園会館そのものは50年前と変わっていなかったが…デイリースポーツ、サンテレビというかつての仕事柄を考えると恥ずかしい話なのだが、久しぶりに訪れた京都で時間つぶしに祇園界隈をぶらぶらしているとき、え?と思わず看板を見直した。こんなところに「よしもと」!?その日、懐かしさもあって目指したのは祇園会館だった。高校を卒業し、浪人することになって京都の予備校に入学、一年間を過ごした。1974年、ちょうど50年前のことだ。親に言え
どうでもいいんだけどさ「仁義なき戦い」みたわけよ。もしかしたら初めてかもえーパニックになってもうた画面がたいそう汚い、汚い人しか出てこない戦後の広島が舞台だからしょうがないけどあと早い、1.5倍動きも台詞も早くて標準速度で再生してるよね?確認しちゃったよw何を喋ってるか何をやってるか、ほっとんどわからんマジ卍呆然自失さっそく諦めた。向いてないそもそもの原作は実在やくざの獄中手記なんだって5年で400字詰め原稿用紙700枚、網走刑務所でせっせこ
階下で見張りをしていたマ内官もヨンに気付いたが、同じくヨンに声を上げるなと指示される。ソン内官はマ内官にヨンの意図を仕草だけで伝えるとマ内官は“ええ?!”と困り顔になりながらも部屋を出て行く。“さっさと行け”と2人を追い払いながらヨンはチラッと眼下に並ぶ内官見習いたちを見る。こちらにまったく気付いてないサムノムを見つけ、少し大きいチャン内官の帽子とかなり丈が足りない官衣を着たヨンはニヤリと笑う。問題にザッと目を通すと階下に下り背後からサムノムにソッと近付いた。***サ
ひとつ前の当ブログで書いたように、1月から「ラピュタ阿佐ヶ谷」で『柳生武芸帳』シリーズ(1961~1964)を連続上映していて、通っている最中です。主役の「柳生十兵衛」を演じるのは近衛十四郎さんですが、脇役は同じ人が別の役で登場してくるのでいささか混乱します。しかし、当時はまさか後年こうして名画座で連続で上映するなんて想定していないでしょうからね。しかも、映画会社は次々に映画を量産していた時代ですから、俳優のスケジュールも厳しかったのでしょう。そんな中でのキャスティングだから致し方なかったと思
昨日は、以前、手伝いに行ったらそこの古株に気分悪い事された店に、上に【あそこ、変な女がいるから、改善しといてねー】て、電話してみたから改善されてるのか検査がてらわざと殴り込みに行きました(笑)そこにはオープン当時からいるらしきヤンキーの女【スーパーヒステリー女】がいてヤンキーの脳みそって思考回路わからんのだがいきなり新人つぶしの焼き入れられた??変なことばっかしてきましたので【あなたに関係なくねぇ?ほっといてください!🤜】て言ってみたの。【変な
〇2月17日今回は、東映実録仁侠映画から2本と、洋画が3本です。モーガンフリーマンの主演作品と、マッドマックスの久しぶりの4作目です。スピルバーグの作品も1本入っていますが、残念な作品でした。1975年公開の、やくざと癒着した警察と政界の腐敗を鮮烈に描いたバイオレンス映画、「仁義なき戦い」から始まる東映実録映画路線の一本「県警対組織暴力」を観た。「仁義なき戦い」シリーズのコンビである、監督は深作欣二、脚本が笠原和夫。昭和三十八年、西日本の地方都市倉島市では、暴力団大原
最近、任侠映画をテレビで放送してるまだ放送はしてないけど仁義なき戦いは日本映画界に衝撃を与えた名作ただ暴力的な表現を多用した映画ではない主人公は暴力により理不尽な運命に巻き込まれ暴力により仁義を果たすしかし、最後は壮絶な死を迎える暴力により目的を果たしても良い結果にはならない一時的な間違った栄誉を得ても最後は不幸になる暴力への警鐘を描いている監督は深作欣二そして主人公は菅原文太今の若者達にも負けない高身長でスマートなスタイルが光る任侠映画が苦手な方も昭和を思
ランクBの上~Aの下長い下積み役者から、東映の看板俳優になった菅原文太の人生を描いたノンフィクション。菅原文太と言えば、映画「仁義なき戦い」となります。(私の学生時代に、広島・三原市出身の友人がいました。彼は、「仁義なき戦い」を、ボロアパートの一室でいつも必ず大絶賛し、郷土の誇りと思っていました。その頃、ヤクザ映画を歯牙にもかけていなかった私は、「仁義」を観
今週は笑顔でいようと誓った瞬間お嬢とやり合う⚔これって神様からの試練ですか(´艸`)?お嬢に3回挨拶してもかえってこないなにっ👹?と私母ちゃんと話したくない母ちゃんは、まりあが一生懸命作ったフェルトの小銭入れを和室に置きっぱなしにしてるからとお嬢はっ?お前は私が朝から晩まで休みなしで働いて買ったすみっコぐらしの人形たちをゴミ袋に捨てただろもっと、ひどい事をしてるのはお前だブチギレてても挨拶はしろ、クソが👹👹👹と私もうブチギレすぎて何を言ったかは覚えてない┐('~`;)┌
鬼のこん棒みたいな薪を見つけた日👀思わず鬼のパンツはいいパンツつよいぞ、つよいぞ〜🎵と歌いだすお嬢に、ねえ、ねえ写真撮ってってお願いすると面倒臭、うるさっ(꒪⌓꒪)て顔をする母ちゃんは朝から元気モリモリ💪寝ぼけまなこのお嬢の写真はブレブレ何度も何度も撮り直すそのうち、ちゃんと撮って👹うるさっ👹の仁義なき戦い⚔人はこれを幸せとよぶ✨
ひとつ前の当ブログに書いたように、監督志望で東映に入社した日下部五朗さんですが、「体のデカさ」から上司の岡田茂さんに「プロデューサー」に回されます。のちにプロデューサーとして『仁義なき戦い』シリーズ(1973~1974深作欣二監督)など実録路線という鉱脈を掘り出します。人間の運命とは分からないものです。日下部さんは最初、京都撮影所の配属になり、京撮独特の閉鎖性、スタッフのイジメにも遭ったそうです。何しろ巨体なので、「のったり」歩いているように見えて、しかも大学出というだけでも、古参の映画職人
ひとつ前の当ブログに書いたように、日下部五朗さんは監督志望で東映に入社しますが、そのガタイの良さを見た岡田茂さんの「君はプロデューサーの勉強をしろ」の鶴の一声で、製作進行に回され、のちにプロデューサーとなります。日下部さんが入った頃、東映は「時代劇」全盛でしたが、その後、「任侠路線」に移行します。高倉健さんや鶴田浩二さん、藤純子さんらのスターによる映画が量産されます。しかし、それも10年経って下降線をたどっていました。そして生まれたのが『仁義なき戦い』(1973深作欣二監督)を嚆矢とする「実
ひとつ前の当ブログで、『仁義なき戦い』(1973深作欣二監督)はキャスティングの変更、脚本の笠原和夫さんが深作欣二監督に難色を示すなど、撮影前にドタバタがありましたが傑作となり大ヒット、シリーズ化された話を書きました。この大変な状況で、プロデューサーをつとめたのが日下部五朗さんです。日下部さんは2020年2月8日に85歳でお亡くなりになりましたが、訃報を知らせる記事でも『仁義なき戦い』の文字や写真が出ておりました。日下部さんは1957年(昭和32年)に東映に入社しました。映画人口のピークは
広島のやくざに映像化の許諾を求めに行く『セクシー田中さん』の原作者・芦原妃名子さんが急死されたとのこと……。芦原先生の作品は未読ですが、ドラマも好きだったし、主演の木南晴夏さんも好きな俳優さんだったので(『勇者ヨシヒコ』のムラサキが大好きです)、ちょっとショッキングなニュースでした。作品の映像化について制作サイドとのさまざまな行き違いがあったことをSNSで発信されていましたが、どうして死ななければならなかったのか……。プロレスラーの木村花さんの時のように、芦原先生を攻撃する輩が
仁義なき戦い広島死闘篇1973年東映監督深作欣二出演菅原文太北王子欣也千葉真一梶芽衣子名和宏成田三樹夫山城新伍小池朝雄加藤嘉金子信雄室田日出男川谷拓三大人気シリーズの「仁義なき戦い」そのなかでも大人気なのが、第二作目「広島死闘篇」もちろんこの作品は実録シリーズ鶴田浩二や高倉健主役のヤクザ映画とはちがいます実際に広島であった暴力団の抗争事件をモデルに映画にしていますこのシリーズとおして主役であるはずの菅原文
おはようございます!ご訪問いただきありがとうございますma-chanさん企画の愛鳥絵画展『愛鳥絵画展ポスター描いてみた』おはようございます。ポスターを描いてみた(゚-゚)うーんどうしようかなもっと上手に描きたいな…ありがち…かな作品出品予定の皆様うぐりんさん、はぴはぴさんそらの…ameblo.jpなんとミニーも参加表明しちゃいましたこんなに素敵なポスターを作ってくださり、参加者さんがいっぱいで、素晴らしい絵画がたくさん展示されるでしょうからとーっても楽しみなんですが・・・ミニーの壊滅
素敵な差し入れ、いただきました仁義なき戦い50thANNIVERSARY広島人なら、否、広島人じゃなくとも血が滾るクッキーじゃねあとは得体の知れんモフモフゆきおとこなクッキーも🍪どちらも美味しく食べましたごちそーさまでしたX(旧Twitter)@junchan78お気軽にフォローミー☆*:.。.o(≧▽≦)o.。.:*☆https://twitter.com/kinenn_medaru『記念メダルの旅』公式Twitterhttps://www.youtube
『仁義なき戦い頂上作戦』(1974)東京オリンピックを翌年にひかえた昭和38年、広島神戸で勢力争いを続ける明石・神和の抗争が飛び火した形で代理戦争が繰り広げられた、広能・打本の連合勢力と山守組の争いもまた歯止めの効かない泥沼の様相を呈していて中立を公言していた義西会の岡島を広能らが説得に成功した辺りからバランスの崩れた広島の覇権争いは血の雨が降らない日がないほどの暴力に明け暮れる悲惨な状況に陥ります1973年1月に公開された1作目から4月、9月と間を置かずに矢継ぎ早に続編を公開して耳
今日は、「光る君へ」藤原一族の仁義なき戦いと安倍晴明と題して書きたいと思います。藤原一族の仁義なき戦い本ドラマでは、天皇家と摂関家を中心に、平安時代の貴族文化が描かれています。一般的に、平安時代は、大きな戦争がなく平和で、雅(みやび)で華麗で、洗練された時代というイメージですが、政治の世界においては、親子兄弟で骨肉の争いを行っていたドロドロとしたものでした。冷泉天皇の即位冷泉天皇が即位すると、皇嗣(こうし/皇位継承者第1位の皇族)の座をかけて、円融天皇を支援する藤
『仁義なき戦い代理戦争』岩戸景気が続いていた昭和35年広島を牛耳る勢いであった村岡組の跡目候補が白昼惨殺されるというキナ臭い出来事から始まるオリンピック前年の、昭和38年までを描く集団抗争心理劇新しい登場人物の中では村岡組の次の跡目候補と目されながら、優柔不断と臆病さを見透かされてしまい周囲から呆れられるも、したたかに世渡りを続ける打本昇の軟弱ぶりが際立っています彼の気弱さは、既に時代が斬ったはったの任侠世代が幅を利かす時代ではなく算盤感情と風向きを読む商才に長けているのが何よ