ブログ記事244件
昭和57年4月の花月三館の予告です。●なんば花月上席では幸朗・幸子、由紀子・幸司、大助・花子と夫婦漫才三組が揃う予定でしたが、残念ながら人生幸朗が3月4日に死去したので叶いませんでした。吉本新喜劇は桑原和男と京都の船場太郎が入れ替わり、木村進、岡八郎で檀上茂作・演出「紙ふうせん」。中席はやすし・きよしの代演で阪神・巨人。吉本新喜劇は三原和人作・演出の「どんでんがえし」で、花紀京、原哲男、船場太郎が出演。下席は阪神・巨人、紳助・竜介。吉本新喜劇は「大阪のブッシュマン」(作・演出
京都花月正月二の替わり興行(1月中席)のポスター。人気のWヤングに、若手実力派の阪神・巨人が看板で、他は結構ベテラン揃いの番組。笑ボックスの枠に、こづえ・みどり、B&B、そして最近生存してたと話題になった明石家小禄(五所の家小禄)。師匠の笑福亭松之助も同じ出番。イチカ・バチカは秋田門下で、解散後に神田が大阪笑ルームを結成。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成の「初姿喧嘩纏」。露乃五郎、由紀子・たか志、若柳吉佐登他。吉本新喜劇は中村進作・演出「スプリングハズカム」
京都花月昭和53年正月興行のポスター。カウス・ボタン、桂小文枝、桂きん枝、チャンバラトリオといつもの京都の番組に比べると、若干いい番組ですが、やはりなんばやうめだとは少し格落ち感がありますね。しかし当時の京都なら正月は満員だったでしょう。トップにはコンビを組んで3年目の、のりお・よしお。林正之助会長お気に入りで、正月やお盆お馴染みの天津竜子舞踊劇団。ポケット・ミュージカルスは伴大吾主演で、松本俊介構成の「伴大吾ショウ年のはじめに」。他に丘光二、津島ひろ子が出演。吉本
昭和52年12月下席京都花月のポスター。年末の京都花月は、翌年の正月興行の調整で吉本新喜劇がありません。ですが歳末謝恩特別料金で大人1000円、小人600円!全体的に若い番組編成で、総合司会として阪神・巨人。看板枠はコメディ№1と月亭八方。のりお・よしおはまだまだ売れる前。「笑ボックスⅠ」の枠にB&B、こづえ・みどり、いくよ・くるよ他。おぉ~例の明石家小禄もおりますな(笑)「笑ボックスⅡ」として、ポケットの拡大版のような感じの木村進ショウ「おひかえなすって」(構成橋
9月21日水曜日〜その17(写真)私は自分でわからないところがあります。それは、人の呼称がコロコロ変わるのです。今夜は、辻元清美さんですが、つじもっちゃん…だった時もあったなぁ。清美さん、または清美ちゃんと呼んでた事も…。これは、S60年7月31日の京都花月劇場夜の部を終えた後の特別興行。そう、この日の楽屋に何の前触れもなく、面識の無い人が勝手に楽屋ヘ入って来て「若いのに河内音頭でがんばってるやん。わたしピースボートいうのんやってるから、コーラル・プリンセス号に乗ってベトナムで歌とてえなぁ」
京都花月昭和52年12月中席のポスター。年末になり芸人も忙しい時期で、トリのWヤングも多忙だったことでしょう。それ以外は演目的にはバラエティーな感じはしますが、ちょっとしんどいメンバーです。笑えるのはWヤングだけですね。トップには紳助・竜介。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「北北西の風」。新爆笑軍団は海生宏彦構成で「王手飛車」。新喜劇の由利謙、やなぎ浩二、池乃めだか、藤里美他。吉本新喜劇は間寛平を座長に、専科から平参平で、松本俊介作・演出「寒さ知らず」
前回のチラシの裏面で、京都花月昭和37年11月下席の予告。まだまだ古参芸人が数多く、トリは秋山右楽・夏川左楽。桂小文枝(後の五代目文枝)はまだ32歳の若さながらもこの位置とはスゴイ。ステレオコントは新喜劇から花紀京、由利謙、藤井信子他。ポケット・ミュージカルスではセレモニー役で浜裕二(チャーリー浜)。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は作・演出はやはり竹本浩三。白羽大介を座長に、副座長に花紀京、専科に大江真砂夫。井上竜男(井上竜夫)が一番若手で、まだ21歳!
京都花月、昭和37年11月中席のチラシ。看板は夫婦漫才の島田洋介・今喜多代、それと浅草四郎・岡八郎。東京からのゲストで曲技の丸井ブラザーズ。ステレオ・コントは竹本浩三作・演出の「はんぱ野郎」で、秋田Aスケ・Bスケに新喜劇から秋山たか志、森信、桑原和男。ポケット・ミュージカルスも竹本浩三で、「枯葉のムード」。スプリング・ボーイズとまだ歌手扱いの浜裕二。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)も作・演出竹本浩三のよる「京は秋晴れ」。平参平を座長に、専科から白木みのる、副座長に
京都花月昭和52年11月下席のポスター。演芸の看板はチャンバラトリオ、桂小文枝、阪神・巨人。演芸ワイド版「笑ボックス」に礼子・恵太、いくよ・くるよ、最近生存してたことが判明し新聞沙汰になった明石家小禄(五所の家小禄)など5組。一番若手の啓二・洋司は「笑ボックス」でなく単独枠。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成「秋たそがれ」で、淀川吾郎、末成ユミ他。吉本新喜劇は「俺と彼奴ともう一人」で、檀上茂作・演出。木村進が座長で専科から岡八郎、桑原和男、マドンナに中山美保。
昭和57年3月の花月三館の予告です。●なんば花月上席は桂三枝が珍しく日にち限定でない出番。朝日丸・日出丸が大文字なのに、ダイマル・ラケットが小文字扱い。ポケットは笑福亭松之助、由紀子・幸司で時代劇コントですかね?吉本新喜劇は木村進、平参平、船場太郎、末成由美で「恋の確定申告」(作・演出中村進)。中席はザ・ぼんち、明石家さんま、サブロー・シローなど。吉本新喜劇はこちらへ。『吉本新喜劇「峠の軍造」』なんば花月昭和57年3月中席吉本新喜劇「峠の軍造」作・演出檀上茂『
京都花月昭和52年11月中席のポスター。なかなかの豪華メンバーと思いきや、コメディ№1は11~15日のみで、あとの5日間は林家小染、月亭八方、桂きん枝。三人とも落語をしたのか、コントでもしたのかは不明。もし落語なら笑福亭松之助、林家染二も出てますから、落語が5本になってしまいますね。トリは大看板の洋之介・喜多代。トップにザ・ぼんち。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成で「枯葉の子守唄」。由紀子・たか志、こづえ・みどりが出演。新爆笑軍団は海生宏彦構成の「ひとりぼっちの二人
マンスリーよしもと、1982年2月号より。この年の1月から吉本新喜劇の座長が木村進、間寛平に加え、室谷信雄が昇格。前年まで座長だった船場太郎は専科に異動、間寛平と並ぶ大文字の副座長だった池乃めだかが小文字に格下げになり、替わりに藤里美が看板女優として大文字扱いになりました。室谷組新設に際して、組替えも行われ、高石太が室谷組の副座長枠へ。なんば花月は中村進作・演出の「オメデタ家族」で、木村進、平参平、山田スミ子他。『なんば花月昭和57年1月』昭和57年新春のなんば
京都花月昭和52年11月上席のポスター。演芸は全体的に若い番組編成で、看板はカウス・ボタン、桂文珍、月亭八方の三組。演芸ワイド版「笑ボックス」の枠に、明石家さんま、桂文福、礼子・恵太。こづえ・みどりの「つ」の点々が抜けてますね(笑)ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「イミテイション」。ちょうど山口百恵の「イミテイション・ゴールド」が流行った頃ですね。吉本新喜劇は三原和人作・演出で「秋深し・・・・」で、谷しげる・伴大吾の二枚看板に、専科は原哲男と船場太郎。
ゴールデンウィークに奈良に行ってきました前半の3連休だったので、お天気が良くなかったです1日目、天気予報が1週間前から雨となっていたので、本当は奈良市内観光のつもりだったけど、変更京都に立ち寄りました着いてから、朝食にしようと思ってたら、行きたかったところが、大行列で諦めましたそれで、豆大福で有名なふたばの大福を買いに行きましたここも行列でしたでも欲しかった大福買えました柏餅も売っていたので、買ってしまいました3種類あって、こし餡、味噌餡、粒あんでした私は珍しい味噌餡にしまし
京都花月昭和52年10月下席のポスター。人気の桂三枝は29・30日の二日間限定出演。それ以外の看板は、三人奴、笑福亭松之助、朝日丸・日出丸と京都花月末期の出番編成みたいです。この5~9年後も同じようなメンバーってのがある意味すごいですが(笑)明石家さんま、B&Bもまだまだ浅い出番。ポケット・ミュージカルスは一陽斎蝶一の「ヨーロッピアンマジック」で、構成は大河内通弘。吉本新喜劇は松本俊介作・演出の「柿と栗」で、専科なしの木村進単独座長作品。マドンナに中山美保。
前回の京都花月のチラシの裏面で、次席(11月上席)の予告です。演芸は玉松一郎・ミスワカサの漫才に、落語の林家染丸、漫画トリオ。笹山タンバのおいろけ説法ってなんですかね?(笑)東京からゲストで音楽ショウの灘康次とモダン・カンカン、アクロバットの寺島茶目・玉章。(こちらも参照下さい)ステレオ・コントはルーキイ新一・清二と新喜劇の由利謙、藤井信子。ポケット・ミュージカルスは花紀京。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は、白羽大介座長の組にゲストで花菱アチャコが出演。
昭和37年10月下席京都花月のチラシ。トリは浅草四郎・岡八郎の人気漫才。東京からゲストの歌う声帯模写の小野栄一は、ご存命で御年92歳だそう。落語が一本もありませんね。まだ吉本に噺家が少なかったからでしょう。ポケット・ミュージカルスは秋山たか志がセレモニーで「ロックで行こう!」。ステレオ・コントは竹本浩三作・演出「ちょぼちょぼ」。笹山タンバに、ルーキイ清二・新一、新喜劇からは森信、桑原和男、奥津雄三。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)は「ミンクのコート」(作・演出竹本浩
しばらく間が空きましたが、久々に花月三館の予告です。今回は昭和57年2月の、なんば・うめだ・京都花月です。●なんば花月上席は当時の小づえ・みどりが大文字になってるので、若干の京都感があります。コメディ№1とカウス・ボタンが並ぶと恐ろしい(笑)吉本新喜劇は木村進、花紀京、船場太郎、山田スミ子の豪華メンバー。中席はやすし・きよしが10日出番になってますが、中二日は阪神・巨人がスケ。小文枝、文珍の師弟出番。いくよ・くるよ、紳助・竜介の兄弟弟子出番。新喜劇は間寛平、平参平で原哲男はなし
京都花月、昭和52年10月中席のポスター。トリはチャンバラトリオ、落語が桂小文枝、月亭八方、明石家小禄の三本。トップにはザ・ぼんち。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成「走馬燈のように・・・・・」。歌手とバンド以外は誰が出てるか分かりません。新・爆笑軍団は海生宏彦構成の「ワイフ借用」で、由利謙を筆頭にやなぎ浩二、池乃めだか、藤里美ら新喜劇メンバー。吉本新喜劇は中村進作・演出「石の下のコオロギ」。間寛平が座長で、専科は平参平、原哲男。現役メンバーはやなぎ浩二、池
昭和52年10月上席京都花月のポスター。トリはベテランのダイマル・ラケット。落語は露乃五郎、そこに並ぶのはコンビ結成2年目の阪神・巨人。演芸ワイド版「笑ボックス」には、いくよ・くるよ、明石家小禄(後の五所の家小禄)、西川きよしと島田洋之介の弟子の啓二・洋司。新企画として「ショート・ショート」には笑福亭松之助とのりお・よしお。この三人で何をやったんでしょうね?ポケット・ミュージカルスは松本俊介構成の「古都の秋」で、前席に続いてこづえ・みどりが主演。吉本新喜劇は三原和
京都花月昭和57年4月上席吉本新喜劇「たんぽぽの花」作・演出中村進※うめだ花月4月中席に続演。ポスター、プログラムでは「たんぽぽの唄」。『京都花月昭和57年4月』春の京都花月です。漫才・落語は上席以外は、大阪豪華・京都貧弱路線になってしまいました。上席のポケットにはこの当時売り出し中の美人タレント片山理子が出演。よ…ameblo.jp『うめだ花月昭和57年4月』春のうめだ花月です。上席は豪華ラインナップですねー今このメンバーを揃えるのは、難しいです。コメ1は解
昭和52年9月下席京都花月のポスター。演芸は大御所の幸朗・幸子がトリで、落語は林家小染、桂きん枝が看板。由紀子・たか志は人生さんの紹介で松竹から吉本へ。演芸ワイド版「笑ボックス」として、5組の演芸がまとめられてますが、コーナー的というより普通の出番で各出番の時間が短めという感じだったのでしょうかね。歌志・泰子も含めると、夫婦漫才が3組というのも時代ですね。いくよ・くるよもまだまだ若手、明石家さんまもデビュー3年目ぐらいですね。ポケット・ミュージカルスはこづえ・みどり主演、橋
Netflixの『浅草キッド』の第一話を観た。客が一人しかいない名古屋の大須演芸場で、ありし日のツービート(往時は違うコンビ名か?)が漫才をするシーンを観ていて、僕は大昔の、ある日の出来事を思い出した。あれは、僕が小学五年生か六年生の春のこと。五年生か六年生かは定かでないのに、季節が春(春休み)だったのはなぜか鮮明に憶えている。だから、1984年か1985年の春。京都花月に行った。今の祇園花月ではない。当時、新京極の真ん中に吉本の劇場があった。春休みに岡山から遊びに来ていたトモくんとい
前回の京都花月のチラシの裏面で、次席(昭和37年10月中席)の予告。トリは幸朗・幸子、モタレは落語で林家染丸。ジャズ漫画の木川かえる、ベティ・領一は後年まで花月で活躍。ポケット・ミュージカルスは花紀京、ステレオコントは漫画トリオ。吉本新喜劇は白羽大介座長に、専科は白木みのる、副座長に花紀京。由利謙、浜裕二の名前もありますね。
昭和37年10月上席京都花月のチラシ。演芸に落語はなく、ほとんど漫才で、トリは秋山右楽・夏川左楽、モタレに玉松一郎・ミスワカナ。東京からゲストで曲技のブラック・ジャガー。漫談で浜村淳、二番目にルーキイ清二・新一。ポケット・ミュージカルスは竹本浩三構成の「秋空に歌う」で、ザ・ダッシュの前身のスプリング・ボーイズ。ステレオ・コントも竹本浩三で「すまんだ野郎」。秋田Aスケ・Bスケに、新喜劇から秋山たか志、森信、桑原和男。吉本ヴァラエティ(吉本新喜劇)も竹本浩三作・演出の
今日は、久しぶりに落語を聞きに京都に来ました。紅葉真っ盛りなのに、今年は行きませんでした(笑)。着物を着る会関係のお誘いで、春風亭昇太さんと、林家菊丸さんの、二人会に来ました。江戸落語と上方落語、と言う訳ですね😆。笑いました。免疫細胞活性化しました(笑)。最後は、菊丸さんの人情話でした。ちょっとわかりませんね。雰囲気だけね😘。京都花月。久しぶりの京都です。もう、南座の「吉例顔見世興行」のまねきが上がってきています。昨日上がったんでしたかね…。夜の南座。顔見世は来月、観
京都花月昭和50年4月下席の車内吊りポスター。トリは洋之介・喜多代で、トップには弟子のいくよ・くるよでデビュー5年ですが、まだまだ売れるまでに5年かかります。人気のWヤングや、落語特集として桂小文枝、露の五郎が鳴物のネタを。弟子のきん枝も出てますね。この席は比較的後年まで活躍した芸人が多く出ており、歌謡浪曲の朝日丸・日出丸、奇術の一陽斎蝶一、漫談の滝あきら、音楽コントのザ・ダッシュ。ポケット・ミュージカルスは竹本浩三構成で、砂丘姉妹に木村進、間寛平。吉本新喜劇は杉本士郎作
坂田利夫との漫才コンビ「コメディ№1」で活躍したお笑い芸人の前田五郎さんが10月17日に死去していたことが5日、分かった。79歳。浅草四郎に弟子入り後、1963(昭和38)年吉本新喜劇に入団、その後同じ座員だった坂田利夫と1967(昭和42)年に漫才コンビ「コメディ№1」を結成。コンビ名は新喜劇作家の檀上茂が、コント55号にあやかって名付けたとか。一躍人気コンビになり、常に第一線で活躍しました。しかしコンビ仲が悪いことが有名で、相方の坂田利夫ばかりに仕事が集中したことから、何度もコンビ解散を
前回の京都花月のチラシの裏面で、昭和39年9月下席の予告です。漫才・落語はなかなか豪華で、島田洋介・今喜多代、桂小文枝、浅草四郎・岡八郎が看板。八ちゃんは新喜劇を一時退団して、すぐにスター漫才師になりました。曲芸とアクロバットの東京ラッキー・トリオは後のザ・ラッキー。玉松キャップ・中田チャックのチャックは、後の中田アップでカウス・ボタンや大木ひびきの師匠。ステレオ・コントは東京から内海突破がゲスト。前回の中席に出てた笹山タンバが二代目内海突破。他に由利謙、藤井信子ら。ポ
京都花月昭和37年9月中席のチラシ。トリの漫才は玉松一郎・ミスワカナ。玉松一郎は翌年亡くなりコンビ解散。ミスワカナは河村節子(施つ子)として吉本新喜劇に入団します。林家染丸は三代目で、この2年後に小染が弟子入り。トップに沖縄漫才の岡田東洋・小菊。昭和50年代前半頃まで花月に出てました。ステレオ・コントは竹本浩三作・演出で「月の法善寺」。笹山タンバは二代目内海突破で、南喜代子とコンビを組んだこともあります。後の新喜劇のスター、ルーキイ新一や、まだ新喜劇入団したばかりの桑原