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昭和56年10月の花月三館の予告。●なんば花月上席は豪華メンバーを揃え、ベテランのダイマル・ラケットが小文字になってしまってます。吉本新喜劇は前月のイレギュラーを通常に戻すために、豪華なイレギュラーとなり、木村進・間寛平のW座長に山田スミ子、専科は桑原和男と原哲男が出ています。副座長は室谷信雄。中席はカウス・ボタンとコメディ№1が同じ出番、まだ若手扱いのと大助・花子。吉本新喜劇は当時は若手を育てようとしていたので、島田一の介と高石太が間寛平と同じように載ってますが、実際には池乃めだ
吉本新喜劇で活躍した元大阪市議の船場太郎(せんば・たろう)さんが27日、亡くなった。81歳。船場さんの芸能界入りは、和田弘とマヒナスターズのバンドボーイからで、その後劇団・笑いの王国や東京で漫才をしてたこともあったそう。昭和40年に吉本新喜劇に入団、最初は秋山たか志の組で桑原和男、坂田利夫、前田五郎らと若手で活躍。その後、昭和44年に岡八郎が座長になると、副座長に昇格。昭和47年岡八郎が専科に行くと、座長になります。その後は専科に行ったり、座長に復帰したりしながら、平成元年の「吉本新喜劇や
2月11日、寛平ちゃんのTwitterにこのようなことが書かれてました。2018年12月5日に室谷信雄さんが亡くなられていたんですね。寛平ちゃんにとって、室谷さんは先輩であり、座長時代のライバルであり、大親友でした。室谷さんが喉頭がんになって、新喜劇を退団してからは、メディアに出ることもなく、仲間との交際も断っていました。しかし2010年に「間寛平アースマラソン」の激励の為に、26年ぶりにテレビに出て来られ、号泣する寛平ちゃんが印象的でした。その後、ゴールの際や「紳助の行列のできる
元吉本新喜劇座員で喜劇俳優の高石太(たかいしふとし・本名:鈴木雄偉/すずきゆうい)さんが、1月31日未明、虚血性心疾患のため、札幌市内の療養施設で死去した。71歳。今年1月18日に引退公演を終えたばかりだった。晩年は札幌の劇団で活動していたことは知ってましたが、もうメディアに出ることもなく、新喜劇でも副座長止まりだったので、訃報がニュースになったことだけでも、新喜劇ファンとしては良かったと思います。新喜劇では舞台を滑って「あつー!あつー!」や、泣きじゃくって「ガーーーーッ!」っ