ブログ記事244件
京都花月昭和53年6月上席のポスター。看板にコメディ№1、林家小染、桂きん枝の三組。トップにのりお・よしお。ショート・ショートの枠で、笑福亭松之助を筆頭に若手噺家が6人出ており、弟子の明石家さんま、明石家小禄も出演。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「リズムボックス」でザ・ダッシュが主演。吉本新喜劇は谷茂が座長で、中村進作・演出の「お茶の子さいさい」。専科から船場太郎が出演。上方芸能(1981年10月号)によると、「天麩羅屋をほそぼそとやっているおやじ(谷
3月18日月曜日〜その511時半より13時まで三度寝。GODIVACACAOJOURNEYを摘みながら、髙樹のぶ子著『マルセル』を読む。P210には、主人公が河原町で飲む場面が描かれている。(写真)S56年8月1日〜10日、新京極の京都花月劇場上席の楽屋での私。18歳。近鉄八尾駅〜国鉄環状線〜阪急で京都河原町駅まで通ってましたなぁ…。
昭和60年頃の京都花月を含めた観光ツアーのチラシ。温泉と京都花月観劇をドッキングさせ、さらに観光バスに芸人が同行するというモノ。まぁ京都出番の芸人さんでも看板クラスやベテランは絶対に行かないでしょうから、一球・写楽、犬千代・竹千代、大阪笑ルーム、桃山こうた、メリ・マリ、けん太・ゆう太とかが行かされたんでしょうかね?バスのイラストは木川かえる師。こちらは都七福神巡りと京都花月の一泊二日の旅。しかし写真の芸人が京都に出ない芸人さんばかりで詐欺やがな(笑)。辛うじて出て
京都花月昭和53年5月下席のポスター。チャンバラトリオ、笑福亭松之助、月亭八方と末期みたいな番組。笑ボックス枠にまだまだ売れる前のいくよ・くるよ、B&B。ポケット・ミュージカルスは松本俊介構成の「ロスからの手紙」で、これまたもっとまだまだ売れる前の小づえ・みどり。そして室谷信夫。吉本新喜劇は檀上茂の作・演出で、なんとも捻りのないタイトル「草野球」。木村進、原哲男、中山美保らの出演。
久しぶりの関西遠征京都について、バイト終わりの娘と合流。娘のマンションに荷物置いてから娘さんと一緒にこちらへGO。私は2度目の祇園花月。さすが連休!人たくさん。娘さんは漫才の舞台初めて。席めっちゃ良いお席!いやー、笑うって良いよね。ミキ目当てだったけど、シャンプーハットめちゃ面白かった。娘は新喜劇自体が初めてだったけど、めっちゃ面白かったって。ほんと、あいちゃん面白い舞台終わったら、もうお疲れ。祇園抜けて海鮮食べたいって言う娘にあわせ居酒屋それもフラ
なんば・うめだ・京都の花月三館の、団体観劇案内のポスター。ポスターに掲載されているメンバー的に、昭和53年後半から昭和54年秋頃までと思われます。当時の芸人の格付けが分かる感じで、番付表みたいになってますね。やはり笑福亭仁鶴、桂三枝が大きく載っており、やすし・きよし、コメディ№1、Wヤング、チャンバラトリオが写真付きで大看板。意外に通常興行のポスターや出番ではトリの幸朗・幸子や、松竹から移籍したダイマル・ラケットは小文字。カウス・ボタンもチャントリより扱いが小さいです。逆にデビ
京都花月昭和53年5月中席のポスター。一見豪華な番組に見えますが、看板4組は日にち限定でして、楽日はその4組は出てないという・・・。11・12日は桂きん枝・月亭八方、13・14日はコメディ№1、15~17日は阪神・巨人、18・19日は久々の京都出番のやすし・きよしが出演。新爆笑軍団は海生宏彦構成の「屋台ウォンテッド」で、由利謙、藤里美ら新喜劇メンバー。ポケット・ミュージカルスは松本俊介構成の「そよかぜ」。やなぎ浩二、池乃めだか、木村明は新喜劇も含めて三本も出てます。
「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑いタレントの坂田利夫(さかた・としお、本名地神利夫=じがみ・としお)さんが29日、老衰のため、大阪市内で死去した。82歳だった。コロナ禍で舞台から遠ざかり、近年は老人ホームに入所し、間寛平夫妻が最後を看取ったとのこと。坂田利夫は大阪ガスに就職するも、芸人にあこがれて研究生として1965(昭和40)年に吉本新喜劇に入団。その後、先輩座員だった前田五郎と漫才コンビ「コメディ№1」を結成。1972(昭和47)年に名曲「アホの坂田」がレコード発売されるも、教育
昨年に続き非常に慌ただしい師走を過ごしていますがそれでもちゃんとクリスマスはやってくるピカチュウは別として海外の友人たちからのカードがやっと普通に届くようになりましたコロナ禍時代は1月に届いていたもんなぁ・・・私の友人たちは非常にコンサバなので今でもメリークリスマスですそれでいい・・・*****和牛の解散に非常に驚いています・・・昨今の言葉が聞き取りにくい若手漫才界において和牛の漫才はとても聞き取りやすかった・・・(↑そこ)
京都花月昭和53年5月上席、ゴールデンウィーク興行のポスター。さすがはゴールデンウィークで、京都花月もそこそこのメンバーを揃えてます。看板はカウス・ボタン、桂小文枝、桂文珍。小文枝さんの横に小さい文字で書いてあるのは「日中友好に一役買って帰国」で、チャンバラトリオ共に国際交流で中国に行ったようです。よく小文枝さんが枕で中国ネタをやってました。笑ボックスの枠に小づえ・みどり、明石家さんま、B&B。ポケット・ミュージカルスは第13回上方漫才大賞を受賞したWヤングが主演。大河
京都花月昭和53年4月下席のポスター。トリには第13回髪型漫才大賞を受賞したWヤング。人気も実力もあったのに惜しいです。そしてあとの看板二組は落語で林家小染と月亭八方。笑ボックスの枠にいくよ・くるよ、ザ・ぼんち、そして昨年新聞沙汰になって生きていることが分かった明石家小禄。そしてトップには紳助・竜介。名前の並びが反対になってます。小染、八方、小禄、仁扇と落語が4つもあるのも時代ですね。ポケット・ミュージカルスは木村進主演で「木村進のワン・ツー・ジャンプ」(構成:松本俊介
京都花月昭和53年4月中席のポスター。看板はカウス・ボタンと阪神・巨人の二組。トップにはのりお・よしお。ザ・ローラーズがかなり位置が上になってますね。由利謙筆頭の新爆笑軍団は海生宏彦構成の「不要家族」。やなぎ浩二と池乃めだかが「・」で区切られてるのが謎。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成「春・花・桜」で、歌手とバンド以外の出演者は不明。吉本新喜劇は「犬の遠吠え」(作・演出中村進)で、間寛平が座長で専科は平参平、マドンナに山田スミ子。この作品は京都だけで、うめだ
京都花月昭和53年4月上席のポスター。看板は三人奴と桂きん枝。朝日丸・日出丸に笑福亭松之助って、春休みですが漫才・落語は子供向けではない番組編成です。「笑ボックス」の枠にはこづえ・みどり、B&B、明石家さんま。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成「春眠暁を覚えず」で、ジャズ漫画の木川かえるが出演。吉本新喜劇は「私の宝物」(作・演出三原和人)。谷しげるが座長で、専科は桑原和男、船場太郎。2月に伴大吾が失踪し、先月から谷しげるが一枚看板になりました。
昭和61年の花月三館正月興行。例年に比べるとちょっと寂しい感じの番組編成です。新喜劇も専科陣の花紀京、岡八郎、平参平、桑原和男、船場太郎が出てないので、豪華さに欠けます。●なんば花月やすきよが出てないのでやっぱりちょっと寂しい感じと、のりお・よしおがカットになり、まだ若手だったダウンタウンが追加。桂三枝、明石家さんまが出てるのでなんとか豪華さを保ってます。しかし演芸はほぼ現役メンバーですね。盆・正月恒例の天津竜子舞踊劇団はうめだの中席にも出ますが、これが最後となります。木村
9月22日金曜日〜その512時より14時まで三度寝。温泉レモネードを一気飲み。桐野夏生著『真珠とダイヤモンド下』を読む。P56には、伊東ゆかりさんの名前が出てくる。(写真)菊水丸コレクションから『GOLDENPRIZE伊東ゆかり』(S55年ビクター音楽産業)。収録された「あなたしか見えない」を聴くために買った思い出のカセットテープ。後に、10年間のラジオ時代にゲストでお越しになった際にサインを記して頂きました。(写真)S56年8月上席(1日〜10日)、京都花月出番の時に、ポケットミ
京都花月昭和53年3月下席のポスター。コメディ№1、落語の林家小染、桂文珍の看板三組。相方を失った芙蓉愛花がおしゃべりジョッキーとしてピン高座で復帰。笑福亭松之助が、弟子で実子の梅之助(現明石家のんき)、亀之助(現パーポ明石)とショートショートの出番。ポケット・ミュージカルスは一陽斎蝶一をメインに「ヨーロピアンマジック」(構成大河内通弘)。吉本新喜劇は沢田研二の「サムライ」の歌詞「片手にピストル心に花束」のパロディで、「片手に包丁心に札束」。作・演出は檀上茂
日曜日のヨーロッパサッカー日本選手もスゴかったな…古橋選手は…因縁のレンジャーズとの試合でゴール!フェイエノールト上田選手も…ゴール!そして…リバプール遠藤選手は途中出場ながらクロップ監督を喜ばせていた…なんか…日本代表選手たち…スゲーな!土曜日のレアル・ソシエダ久保選手なんか…ベリンガム級?……と称賛されてた…今や…レアル・マドリードのベリンガム選手…飛ぶ鳥を落とす勢いあるもんな…新加入なのにレアル・マドリードを完全に引っ張ってる!そのベリンガム選手級と…久保選手言
漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」のおかゆうた(本名・井元保則=いのもと・やすのり)さんが22日、脳内出血で死去した。61歳だった。鹿児島県出身で、1981(昭和56)年11月に吉本新喜劇の岡八郎(岡八朗)に弟子入り。しばらくは新喜劇に出演していたが、1983(昭和58)年3月にNSC1期生でうめだ花月の進行係をしていた穐山(おかけんた)とコンビを結成。当初は本名だったが、「きつね・たぬき」「きつね・うどん」などを経て、岡八郎の息子と娘の名前から「岡けん太・ゆう太」と命名。その後は地道に花
京都花月昭和53年3月中席のポスター。看板は3組でカウス・ボタン、露乃五郎、阪神・巨人。トップにのりお・よしお。他にも翠みち代、由紀子・たか志、ザ・ダッシュなど後年も花月で活躍した面々。ポケット・ミュージカルスは朝日丸・日出丸主演の「朝日丸・日出丸の兄弟船」。構成は橋本収。新爆笑軍団は海生宏彦構成の「ガラクタの日々」。由利謙、池乃めだか、藤里美他。吉本新喜劇は中村進作・演出で「見せたいところ」。本来は寛平組ですが、船場太郎が座長代行で専科は平参平。
昭和60年8月の京都花月は、吉本新喜劇が「お笑い夏休みお化け・怪談大会」、ポケット・ミュージカルスが「お笑い日本むかし話」と題しての企画。チラシのデザイン画には木村進、間寛平、室谷信雄、池乃めだかが載ってますが、実際に8月に出演したのは間寛平と池乃めだかだけ。木村進は8月は全てなんば出番だし、室谷信雄は既に退団していました。このような企画の月ですが、新喜劇がテーマに沿ったと思われるのは上席と下席だけ。ポケットは一応全席テーマもんだったようです。月間プログラムはこちら。上
京都花月昭和53年3月上席のポスター。半年ぶりに幸朗・幸子が京都出番。落語は桂小文枝、桂きん枝の師弟出番。笑ボックスの括りに、ベテラン礼子・恵太からいくよ・くるよ他。トップにザ・ぼんち。ポケット・ミュージカルスは松本俊介構成の「お手々つないで」。歌手とバンド以外は出演者不明。吉本新喜劇は藤井賢作・演出で「お父さんの陰謀」。伴大吾が先月に失踪してしまい、谷しげるが一枚看板となりました。専科は桑原和男、マドンナには久々に片岡あや子が出てますが、単発的な出番だったようです
昭和60年5月31日京都花月特別興行。なんば、うめだ同様に京都花月も、カウス・ボタンや小づえ・みどりに5月下席のメンバーに5月20日で解散したばかりの紳助・竜助を加えただけで、紳竜は漫才出番ではなく、ダウンタウンや非常階段とコント。ダウンタウンはなんばと掛け持ち。吉本新喜劇は木村進の単独座長作品。『花月爆笑劇場「おじさんの逆襲」』●毎日放送「花月爆笑劇場」●京都花月昭和60年5月下席(プログラムはこちら)、うめだ花月昭和60年6月上席(プログラムはこちら)●吉本新
京都花月昭和53年2月下席のポスター。看板がWヤング、露乃五郎、阪神・巨人、月亭八方と4組でいつもの京都よりも豪華な感じ。トップにはB&B。ショート・ショートの枠に笑福亭松之助、啓二・洋司、のりお・よしお。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成「震度バット」で、由紀子・たか志、こづえ・みどり他。吉本新喜劇は木村進が座長で、松本俊介作・演出の「あんちくしょう」。マドンナに中山美保、専科は岡八郎。
京都花月昭和53年2月中席のポスター。久々に笑福亭仁鶴が二日間(18・19日)の京都出番。十日間出番の看板は島田洋之介・今喜多代、林家小染、桂きん枝。ポケット・ミュージカルスは橋本収構成「寛平の風邪にもマケズ!」で、タイトル通り間寛平主演。新爆笑軍団は海生宏彦構成「とびちがいランデブー」で、由利謙を筆頭にやなぎ浩二、池乃めだか、藤里美他。吉本新喜劇は三原和人作・演出の「春、まぢか」。間寛平を座長に、専科は花紀京、平参平、マドンナに山田スミ子。
京都花月昭和53年2月上席のポスター。演芸は桂三枝が9・10日だけ出て、あとはチャンバラトリオが看板ぐらいで、三枝が出てないといつもの京都よりもかなり貧相なメンバー。三枝も含めて落語が笑福亭松之助、露の新五、明石家小禄、桂文福と5人も噺家が出てます。ポケット・ミュージカルスは谷しげるショウで、松本俊介構成の「もう!いいかい」。吉本新喜劇は演芸とは打って変わっての豪華メンバーで、谷しげる・伴大吾を座長に専科から原哲男、桑原和男、船場太郎で「UFOの男ども」(作・演出中村進)。
リハビリの受付の方からこちらのキャンディ🍬を頂きましたなんばグランド花月に行かれたそうでそこ限定の飴ちゃんみたいですすち子のねぶり飴パッケージが強烈どすなっ随分とテレビで吉本新喜劇を観てないけど笑う事は大事よね子供の頃の昭和に新京極に京都花月かありましたが一度も観に行く事なく今は祇園にあるけどこれまた生で観た事はない多分、小さい頃らから土曜日の午後と言えば新喜劇を観てたからやと思うミックスジュース味の飴ちゃんをねぶってて機会あれば観てみたいなと思うの
昭和60年1月31日の京都花月特別興行のチラシ。漫才・落語は下席メンバーからガラッと変わって、豪華メンバーとなり月亭八方、紳助・竜助、ザ・ぼんち、桂勝枝、小づえ・みどり、笑福亭松之助、桂小枝、桂文福、ダウンタウン、ザ・パンチャーズ。噺家が5人も出てますね。ぼんちは弟子の大西とコント。吉本新喜劇はスペシャルと銘打ってるものの、内容は下席と同じだと思います。高石太主演の「明けてビックリ玉の輿」で、作・演出は藤井賢。
ヤングおーおーに若手として出ておられた半世紀前から好きでした。タレント活動はせず、漫才一本という姿勢も潔かった。吉本なのに松竹芸能の人のような味がありました。京都花月があった時代は、錦市場などでよく見かけたものです。事実上の解散とのこと、寂しい限り。昔ながらの漫才はもうめったに聞けません。「芸人」と称して悪ふざけするような人たちは見ないことにしています。ラジオ深夜便に出演される際、藤井隆さんが「芸人」と名乗っておられるのは別。舞台もこなし、歌も歌い、「芸」をい
京都花月昭和53年1月下席のポスター。正月興行も二の替りも終わり、「新春特別番組」と銘打ってるものの、いつもの番組編成であります。看板は四組で、コメディ№1、露乃五郎、三人奴、桂文珍。演芸ワイド版「笑ボックス」の枠には、由紀子・たか志、ザ・パンチャーズ、桂文福他。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「遅かったなー冬将軍」で、専属歌手とバンド以外は多分新喜劇座員でしょう。吉本新喜劇はこの時期にはよく出てくるタイトルの「早春譜」で、作・演出は松本俊介。木村進
昨日はまなび隊の日この辺りの出石という地区で落語をされている方々をお招きして、寄席を経験させてもらいました。落語のルールとかも、笑いを交えながら教わります。小学生の落語家さんも上手です。まなび隊の子達も、簡単な小話を前に出て披露。率先してやる子もいて、良いですね。生のお笑いライブに触れたんは、多分、京都花月で吉本見たぐらいやから、落語も聞いてみたいなぁと思いましたね。