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今回の【駅】シリーズは、大阪府茨木市東部、高槻市との境界近くに広がる住宅街に位置する阪急京都本線の駅で、駅名の通り総持寺への最寄駅、そして2018年、ライバルのJR京都線にJR総持寺駅が開業したことから、乗降客数が減少傾向にある、総持寺駅(そうじじえき。SojijiStation)です。駅名総持寺駅(HK70)所在地大阪府茨木市乗車可能路線阪急電鉄:京都本線隣の駅大阪梅田方………茨木市駅京都河原町方
↑西山天王山〜大山崎間をゆく格下げ後の9300系。全て2026年1月撮影。阪急京都本線の駅間でオーソドックスに撮れる踏切で有名なのが、西山天王山〜大山崎間。大阪梅田ゆきが午後に順光となり、以前から知られた撮影地である。京都河原町ゆきも後打ちで可能である。↑西国七福神めぐりのマーク付き9300系特急。↑2300系も続行。今日のメインは5300系であった。C#5300.5304.5311.5323×7Rの4本が準急に入っていた。前面表示幕の大きさ、クーラーに違いがある。
↑5300系が高槻市へ急ぐ。全て2025年11月。道路工事中の武骨な背景をゆくマルーンの電車。高槻市~上牧である。駅間は長く、京都河原町ゆきはスジが空いていてスピードが乗る区間でもある。↑↓その9300系特急が京都河原町を目指す。たそがれの画面では前面の幌枠がいいアクセントになってくれる。↑指定席組み込み9300系も今のうちに。↑ふたたびの5300系。ブラインドに注目。5300系の高速運転はデビュー当時の急行を彷彿させてくれる。15分ヘッドでの
今回の『駅【簡易版】』シリーズは、京都府京都市下京区北部、中京区との境界近くに広がる繁華街・四条烏丸地区に位置する阪急京都本線の主要駅で、京都市営地下鉄烏丸線との乗換駅である、烏丸駅(からすまえき。KarasumaStation)です。尚、写真は2009年の撮影で、古いです。写真は少ないです。現在は状況が変化していると思われます。ご了承下さい。駅名烏丸駅(HK-85)所在地京都府京都市下京区乗車可能路線阪急電
今回の【駅】シリーズは、大阪府高槻市西部に広がる住宅街に位置する阪急京都本線の駅で、相対式ホーム2面3線と変則的な駅構造を有する駅、そして近年はライバルのJR京都線・摂津富田駅への逸走が続き、乗降客数が減少傾向にある難読駅、富田駅(とんだえき。TondaStation)です。駅名富田駅(HK71)所在地大阪府高槻市乗車可能路線阪急電鉄:京都本線隣の駅大阪梅田方………総持寺駅京都河原町方……高槻市駅
こんばんは。三好鉄道です。先月22日(日曜日)に実行した、阪急電鉄と能勢電鉄全線の完全制覇を目指して旅した話も今日で「最終回」となりました。因みに昨日のブログでは、今回の旅のゴールである阪急京都本線の京都河原町駅に到着し、阪急電鉄と能勢電鉄全線の「完全制覇」を達成したところまでを書き綴りました。今日は京都河原町駅から旅の話を再開しますが、16時34分、京都河原町駅に到着して阪急電鉄と能勢電鉄全線の完全制覇を達成した後は折り返し、17時10分に発車する「
こんばんは。三好鉄道です。先月22日(日曜日)に実行した阪急電鉄と能勢電鉄全線の完全制覇を目指して旅した話もいよいよ大詰めを迎えました。因みに昨日のブログでは天神橋筋六丁目駅から淡路駅を経由して桂駅に着いたところまでを書き綴りましたが、今日は桂駅から旅の話を再開します。15時45分、桂駅に着いた後は「阪急嵐山線の『完乗』」を目指して1号線ホームへ移動し、16時に発車する「嵐山行き普通電車(阪急6300系6352編成)」に乗り換えました。あと余談ですが、桂駅の
こんばんは。三好鉄道です。先月22日(日曜日)に実行した阪急電鉄と能勢電鉄全線の完全制覇を目指して旅した話も14回目となりましたが、昨日のブログでは北千里駅から淡路駅を経由して天神橋筋六丁目駅に到着し、阪急千里線(天神橋筋六丁目~北千里、13.6㎞)を「完乗」したところまでを書き綴りました。今日は天神橋筋六丁目駅から旅の話を再開します。14時58分、天神橋筋六丁目駅に着いた後は京都河原町・嵐山方面を目指して1番線ホームにやって来た、15時7分発の「北千里行き普通電車(阪急83
こんばんは。三好鉄道です。昨日は業務が多忙だったがために、ブログの更新を休みました。さて、先月22日(日曜日)に実行した阪急電鉄と能勢電鉄全線の完全制覇を目指して旅した話も12回目になりましたが、一昨日のブログでは箕面駅から石橋阪大前駅を経由して大阪梅田駅に到着し、阪急宝塚本線(大阪梅田~宝塚、24.5㎞)を「完乗」したのと同時に、阪急神戸線系統(神戸本線、伊丹線、今津線、甲陽線、神戸高速線)阪急宝塚線系統(宝塚本線、箕面線)能勢電鉄線(妙見線、日生線)を走破することが出来
今回の【駅】シリーズは、大阪府高槻市の中心市街地南寄りに位置する阪急京都本線の主要駅で、日中は大阪梅田方面・OsakaMetro堺筋線方面からの全ての普通列車が折り返す駅であり、京都河原町方は列車本数が減少してしまうため、運行ダイヤ上の境界駅であると言える、高槻市駅(たかつきしえき。Takatsuki-shiStation)です。尚、当駅は出入口番号(1号~8号)が振られていますが、記事本文では便宜上、北口、中央口、東口などの表現を併用いたします。ご了承下さい。
今回の『駅【簡易版】』シリーズは、京都府京都市西京区の中心部に位置する阪急京都本線と阪急嵐山線の接続駅で、桂車庫が併設されていて運転上の主要駅でもある、桂駅(かつらえき。KatsuraStation)です。尚、写真は2009年の撮影で、古いです。改札を出ていません。現在は車両など状況が相当変化しています。ご了承下さい。駅名桂駅(HK81)所在地京都府京都市西京区乗車可能路線阪急電鉄:京都本線、嵐
今回は、OsakaMetro66系電車の紹介をしたいと思います。66系電車の概要66系電車は1990年から2003年にかけて製造された大阪市交通局(OsakaMetro)堺筋線用の通勤型電車です。堺筋線と相互直通運転を行っている阪急千里線・京都本線でも使用されています。堺筋線開業時から使用されていた60系電車の置き換えを目的として製造されました。外観・内装(66系電車)基本設計が30年以上前とは思えないぐらい近代的なデザインです。堺筋線のラインカラーに合わせた「茶色
今回の【駅】シリーズは、大阪府摂津市北西部に広がる住宅街に位置する阪急京都本線の駅で、阪急における摂津市の代表駅であり、2010年開業の新駅、そして将来は高架化される予定の、摂津市駅(せっつしえき。Settsu-shiStation)です。尚、写真は2023年11月撮影です。現在は高架化工事により駅に変化が生じているかもしれませんが、ご了承下さい。駅名摂津市駅(HK67)所在地大阪府摂津市乗車可能路線阪急電鉄:京都本線
↑京都本線にデビューした2300系にようやく乗車。全て2024年9月。京都寄り先頭車2400号のクロス席の残席にどうにか着席できた。お初天神の2300系だからその座り心地を味わいたい。2300系が来るまで待つわ、といった忍耐力はない。「あみん」のオネエを見習わなければならないが、せっかく待っても今日はお休みでした、という事もないとは言えない。そのうち当たるだろう、という感覚でいいのである。↑9300系とは色調が異なるシート。抹茶のような色合い。まずは冷房が効いていて何
↑十三に進入する8313F6連の河原町ゆき快速特急。2015年2月。制約がないほど扱いやすい。6連だから河原町駅2号線にも発着できる。臨時列車を発着させる条件にもなる。嵐山線にも入線が可能だ。こうした特長を生かした6連の快速特急、直通特急が以前は走り倒していたのである。もちろんロングシート。↑の快速特急は6300系「京とれいん」の代走と思われる。↑↓河原町から桂でスイッチバック。嵐山に直通する8310F6連の快速特急。この系統は「おぐら」の愛称がつく。2014年4月。春と秋の行楽シーズン
↑↓平日朝の一本のみの急行を西京極で狙うものの結果は…。2024年8月。西京極に急行が停まるようになったか、と時刻表を眺めているが、その本数は極めてすくない。大阪梅田ゆきは平日早朝の1本のみ。京都河原町ゆきは閉店間際に3本が続行し、それが終電車となる。その貴重な早朝の急行、かなり苦労をして西京極にたどり着いたのはいいが、見事に被られた。アアアアという感じ。しかも未更新の7300系だったのに。仕方なく夜の部に。↑7323F+7321Fは準特急で来てくれた。イメージ的
乗りつぶし達成日:2020-9-20乗車日:2020-9-20京都河原町より阪急京都本線の快速特急に乗車。この車両は「雅洛」と呼ばれる車両で、車内は観光列車か?と思うほど。車内には庭園もあり、阪急の本気さが伺える。しかしこの車両が通常料金のみで乗れるというのだ。これにはびっくり。のんびりくつろぎながら大阪梅田方面へ。途中、東海道新幹線との並走区間もある。十三へ。京都本線の列車はすべて大阪梅田方面に乗り入れているが、京都本線は十三〜京都河原町のみ。正確には、阪急宝塚線に直通し
※:画像の無断転載・無断転用はおやめください!!▲8300系8311編成(6連)+7300系7325編成(2連),「普通北千里」行(OsakaMetro堺筋線天下茶屋駅11:59発-1250列車-阪急千里線北千里駅12:41着)。令和6年2月にリニューアル工事が完了した両編成。阪急現有車両として同一編成として運用されている異なる形式を連結した編成に初めてリニューアル工事が施工されました。8311編成は8300系6連編成で最初にリニューアル工事が完了。主な改造内容は以下の通りです。客室設
2024/4/10(水)十三→京都河原町大阪梅田から乗車して淀川を渡るとすぐに十三駅「じゅうそう」と読めるのは関西の人だけでしょうねこの十三駅から阪急電鉄の主要3路線が各方面に向かう重要分岐駅となっています大阪梅田方面は3路線の並行路線同時に3列車が並走する壮観が見れることもあります京都本線に乗車して京都方面に向かいます京都本線は途中で東海道新幹線、さらにJR東海道線とも並走する箇所あり乗車したときはJR特急「はるか」と並走す
2017年5月7日阪急電鉄・京都本線西京極-桂桂川鉄橋CanonEOS1000QPKODAKPORTRA1609300系
2015年5月21日阪急電鉄・京都本線桂-西京極CanonEOS1000QPKODAKPORTRA160
阪急電車の桂川鉄橋で撮ってみました。2015年4月2日阪急京都本線・桂-西京極MINOLTAα5700iKODAKGB200
この大山崎は京都から大阪への西側のルートになり、淀川挟んで対岸が東側の八幡市が枚方から京阪電車の走るルートなので、それぞれ地形が急に狭くなっているので、交通もその場に自然と集約されるのは盆地ならではの特徴でしょうか。ともかくこの大山崎はそのせいで、JR京都線、東海道新幹線、阪急電鉄京都本線、国道がぎゅっと一か所に固まってくるので面白い。この日は阪急も撮ってみた。CanonEOS1000QPKODAKGB2002枚2015年2月3日阪急京都本線天王山より俯瞰OLYMP
ここで懐かしい写真が出てきたので一枚。この頃の阪急電車の日よけといえば、スハ32系のような鎧戸と呼ばれるもので、阪急のそれは金属の質感そもの(アルミ製?)でいしたので、こういう日差しが強い時間は、ちょっとわかりにくいかもせしれませんが、窓がサッシでふさがれて独特の輝きを放ちながら走り去る光景になっていました。今ではこの辺りはイオンやその周辺に立ち並ぶマンションがあり、遠景は失われていますが、手前の水田はまだ残っている…はず。1992年9月阪急電鉄・京都本線東向日-桂MINOLTAα
毎度折り返しの際に前照灯が消えてテールランプに切り替わるこの一連の動作に萌えます。この日は運行開始からほぼ1週間経っていたのですが、にもかかわらず、ホームの頭端部には到着前からすごい人でした。今年も恒例の阪急さんのキャラクターコラボのラッピング電車企画今回はあの“ちいかわ”です。ということでさっそく見てきました。(これを書いている時点ではもう3週間ほど前になりますが)と言うよりも厳密にはグッズ販売の整理券をネットで確保していたので、梅田まで出て来ただけだったの
近々では走り出した桜マークも撮りたいトコですが・・・・・それ以上に見たいモノが・・・・・・京都本線8300が長らくリニューアル工事でお休みしてましたが・・・・・・走り出した様なので確認したくウズウズしてました~~~~他のリニューアル車両は外観上それ程変わり映えしませんが・・・・・・・この車両の気になるトコロは大きく2点8300の前面ナンバーの大きさと位置それと前面形状です~~~~残念ながらヤッパリと言うかナンバーは小さく横にズレた位置になりましたが・・
今日から11月に入りまして、久しぶりの「鉄道小ネタ話」になりますが、ここ最近、関西の私鉄ではダイヤ改正の話が多くなりまして、おそらく「新型コロナウイルス(COVID-19)」の影響もあって在宅勤務や時差出勤の導入が進み、乗客に対するニーズが多様化したことや、夜間の利用動向が変化していることに対応するために、ダイヤ改正に踏み切ったのだろうと私「三好鉄道」はそう思っています。その中でも、今度のダイヤ改正で大きな変化が見られたのが、来月17日(土曜日)に実施される「阪急電鉄」ですね
撮影日1985/05/03撮影場所は京都本線上牧駅
いつもご覧頂き誠にありがとうございます。今回は、阪急2300系を投稿します。阪急2300系は、昭和35年(1960年)京都線用の車輌として登場しました。神宝線の2000系とは似ているものの電装関連が異なり、製造当時神宝線は600V、京都線は1500Vと架線電圧も異なっていました。※なお、神戸本線は昭和42年(1967年)に、宝塚本線は昭和44年(1969年)にそれぞれ600V→1500Vに昇圧。昭和61年(1986年)頃から種別幕、方向幕が取り付けられ、平成27年(2015年)
阪急京都線の崇禅寺~淡路間と千里線の淡路~吹田間は大正初期頃に現在線へと切り替えられるまで東海道線のルートでした。その当時の物と思われる“遺物”が今も残っています。淡路駅西口駅舎に残る石積み擁壁。積み方が「布積み」なので1876(明治9)年の大阪~向日町間開業時の物だと思います。この場所には以前1号線ホームがあったので、そのまま使われていたのでしょうね。淡路駅から京都線と千里線の分岐点方向に続く石積み擁壁。手前に少しだけ見えている橋の下には、明治期の煉瓦積み橋台が残ってるそうです。