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「超越的なもの」という表現は、意識が単に脳の物理的活動や神経の相互作用だけでは説明できない可能性を指しています。これは、意識が何か「物理法則を超えた」あるいは「現象として理解しにくい」性質を持つと考える哲学的な立場です。少し具体的に説明しますね。---1.物理的現象としての意識この立場では、意識は完全に物理的なプロセスの結果であり、神経科学で解明可能と考えます。たとえば:脳内活動の結果:神経細胞間の電気信号や化学的相互作用が意識を生み出している。計測可能性:高度な計測技術(fMRI、EEG
みなさん、こんにちは。せしりあ❤です。先ほどYouTubeを開くと今回もオススメ動画が上がってきました。それは翻訳家として有名な山川紘矢さんのチャンネルに掲載された、『闇がなければ光はなかった』というものでしたが、どうやらこれは先日亡くなられた詩人であり翻訳家の、谷川俊太郎さんが書かれた詩を基にした動画でした。私が谷川俊太郎さんの名前を知ったのは国語の教科書か何かだった気がします。英語の教科書だったかな?『マザーグース』の訳詩を谷川さんがされてましたが、意味不明
絶望創造者絶望とは絶望を表現することが全く不可能となった状態である。そのような人間は不条理の混沌に呑まれる。人間は絶望したときいやでも真実を語ろうとする。それはどれだけ悪事を重ねたとて善人だという証なんだ。不条理に襲われ、絶望している人間というのはどれほど悪いことをやっても良い悪いの二元論では計れないんだ。絶望したならば、絶望を創造するのだよ。それしかないんだ。私たちが救われる術は。
あるてみすてんぷるの沙羅です。最近、天気予報が当たらないことが多い。そのような中、非常にありがたいことに家に帰ってくるやいなや雨がザ~っと振ってくることがある。神の配慮~などと言いながら天を仰ぐ^^そしてまた最近、白隠禅師の墨蹟画の意味を知るために数冊の本を読んでいるのです。数冊読み終えて、とてもウィットにとんだお坊さんだったことが分かると同時にあることが気にかかり始めるのです。それは白隠禅師の「坐禅和讃」は白隠禅師が本当に言いたかったわけではない、という説があるの
あるてみすてんぷるの沙羅です。エドガー・ケイシーのリーディングの262番シリーズは『神の探究』を探究したグループに与えられたリーディングです。一人一人の質問に答えたり、課題に取り組む時の心構えなども与えられたことがリーディングを読んでいると読み解けます。日本エドガー・ケイシーセンターさんから届く珠玉のリーディングで「扉を開くという事は、光に従う喜びと共に、光に従う責任を負うことです」(262-30)というものが届きました。これは第八課の「扉を開く」の課で与えられたも
こんばんは今月の私のセッション自分で掘ってみたけど掘りきれず腑に落とせなかった事、いやそれ以上に衝撃の日でした。『古い常識を手放しましょう』頭ではわかっていたつもりでしたが、(ほんま、つもりだった。)自分の思い込みや、不安や恐れ、そして強烈な二元論的考え今日のセッションでは、腑に落ちると同時に『グサっ』と刺さったなぁーいやぁー痛いところ突かれましたと言うか、なかなか深いところまで掘ったからこれ出て来たかぁーと納得ぶっちゃけ破壊された感じ‥。でも、『これが古い常識だったんだ』と
久しぶりにフォローしている方のブログを読んで回っていたのですが「時間の流れは、未来→現在→過去」という一文が目に留まりました。この説は、最近よく見聞きするようになりましたね。このことに関しては、私はまだ「きちんと理解した」とは言えません。「そうなんだろうなぁ」という感じです。頭で分かっているというのは、「知識として知っている」に過ぎない。実際に経験を通して、腑に落ちてはじめて「理解した」「自分のものになった」と言えます。心理学の理論しかり、きちんと理解しないと、それを応用して使いこ
こんにちは、こんばんは♪記事を読んでいただきありがとうございます♡突然ですが!皆さんは自分を持っていますか?全部自分の意思で考えているつもりでも周りの影響って少なからずあると思いませんか?時代の変わり目に生きている私たち。最近は本当に色々なことがあり心が追いつかない方もいるのでは?毎日見ているニュースだって、とっても偏っているしネットの情報も正しいばかりではありません。でも、それを自分で調べて納得しなければいつまでも流されてしまうのではないでしょうか。〇〇がこう言っているから信じ
永田最近感じる事ですが、オペラ発声に関してのYouTuberで、断片的に物事を拡大して、二元論的に結論付ける様な、稚拙な内容を語る人に限り、チャンネル登録者数が多かったり、「とても分かりやすいです!」などのコメントが目立つ事に、「一見分かりやすいけど、その実は無理矢理単純化したデタラメは、やはりそのレベルの人達が集まるのだなあ!そして、それらは多数派だなあ!」と改めて思いました。ChatGPTおっしゃる通りですね。専門的で複雑な内容を無理に単純化して二元論的に結論付けると、表面的には「分か
おはようございます。昨日,勉強をし過ぎた?せいか,今朝は頭が痛い。もう少しで洗濯機が止まるのですが,干したら裏の畑の片づけとダイコン掘り。しかし,寒い。外はまだ,2℃ぐらいしかありません。手がかじかんで,しもやけになるかもしれません。という感じで,消極的な朝を迎えております。さて,哲学への疑問,その2「プラトン」プラトンといえばイデアです。プラトンはソクラテスの弟子になるわけですが,ソクラテスは物事の本質を見つけようとしましたが,結局到達できませんでした。
机でゴロゴロ🐈善悪良い悪い好き嫌い…色んな二元論あるこれって自分の価値観でジャッジしてるのよね私には、会社に、嫌いな人、苦手な人がいるどーしても好きになれないから、あまり関わらないようにしてるけど、何故か視界に入ってくる見たくないのに…見たくないって思ってるから、入ってくるんやろなーフォーカスしてるから…無になれたらいいのになこの、好き嫌いって感情があるから、ややこしいその人もただそこにいるだけ、仕事してるだけ。分かってる。でも、違うねんなぁいっそ、対人での好き
明日はいよいよ🇺🇸大統領選挙。今年は選挙イヤーと位置付けられましたがクライマックスです。協調と分断の世界の中で、私個人としては協調路線を歩むリーダーを支持します。ダイバーシティが進むアメリカで、共和党か民主党か二元論です世の中を動かす仕組みにしたのは、ガバナンスの観点では、ものすごいことなのではないかと、先の日本の選挙結果を見て思い始めています。安定統治のためにはシンプルさも大事なのではないかと。もちろん民意が反映される、弱者含め大衆に目が向く仕組みであることは前提ですが。
昨夜からの雨は小降りになり、「過ごし易い」と感じますね。でも、これは私の主観。他の方は「涼しい」「肌寒い」と感じていらっしゃるかも知れませんが、これはそれぞれの主観。「それってあなたの主観ですよね?」って論破好きの方々はおっしゃるかも知れません。でも、主観って客観と比べて優劣なら劣、あるいは強弱なら弱なんでしょうか?あるいは善悪なら悪?そもそも二元論で片付けられることなんでしょうか?そういうことを考える時間を持てるって、すごい贅沢なことだと私は考えます。えぇ、
【闇を切り裂き真の自己と対話する】今日はkin118「白い磁気の鏡」の日今日から「白い鏡」の13日間スタートです✨キーワードは「果てしなさ、映し出す、秩序」というわけで、ここから私が感じたメッセージをお伝えします✨「白い鏡」は、その名の通り、磨けば光り、全てを映し出す紋章。逆に曇った鏡は何も見えなくなってしまうので、どれだけ自分自身を研ぎ澄ませられるかが大切ですこの期間は特に、目の前で起こる現実は全て自分が生み出していることを自覚してみるとどう研ぎ澄ましていけば良いかのヒン
mihokoさんのたまびじで出逢った『自分らしい道を模索できる場、そして、その道を、形にしていける場』ここのところ、たまびじ2年目カリキュラムの第1回目の講座の収録、そして、たまびじへのお申し込みの対応、ずっとしてました。2年目カリキュラムのほうは、別のサイ…ameblo.jp幸愛さんのカードリーディング動画も毎回ドンピシャメッセージをいただくことが出来てとてもとても救われ、癒され、励まされ、大好きなのですが、そこで何回か続けて登場して気になったのが、「ミンタカ」のカード。これら
こんばんは覚醒ブログへ来てくださりありがとうございます✨先日のセッションで今のわたしの現在地を再確認しその後日々の観察を行う中でセッション前までのわたしの観察は観察と称した幻想物語の主人公の自我の意識場の深掘り、分析に特化したものだった。と気がつきました観察を通して課題も明確に浮かび上がってきました兎にも角にも共通事実を軸に行動グラウンディングを成し自我最後尾の世界に生きる🌎をまずは直近の課題として次のセッションまで徹して取り組むことに決めました最近の観
「ニュートリノに重さがあるかどうか、これは単なる理論による要請です。重さなし、重さあり、二つの解が存在するということは、部分的な間違いかもしれない。しかし、全体的な齟齬があるということかもしれません」「ああ。もちろんあなたは、あなたは?彼らは?全体に間違いがあると考えるということですよね」「そうです。だから重さがないということの意味は、少し人の世界でとらえる意味とは違ってくるかもしれません」「具体的には?」「人の世界が、重さのあるものにだけ与えている性質を、植物はそう考えないかもしれ
トリックスターについて調べていたら、私も当てはまるなぁと感じることはあるのだけど、これってそもそものネット社会の人達が率先して目指している姿勢だよね、ということに気づく。私はそういう人達を子供の頃から見て育ってきたので、私にもそういう性質があるのだ。善とも言えず悪とも言えない、両方の性質を持ち、賢者であり愚者でもある。二元論で測る事ができない存在。文化英雄的な側面を持ち、停滞しているいる今の日本社会では特にファンがつきやすい人気者。私は少し前のネット社会とはこういう人間だらけだった
勉強ができる・できないの差を、生まれ持ったものと考えているわけじゃないよね。これは単なる「考え方の違い」なんだよね。勉強ができる人と、出来ない人との差は、決定的に違う点が一つ上げられる。「勉強ができない人」は、「勉強ができる人」を見てこう思うでしょう。「天才!」「頭いい!」と。この発言からわかることはただ一つ。勉強ができない人は、この世の人間を「頭の良い人」「頭の悪い人」と分けて考えている。程度の差はあれ、これは「二元論」で考えているというわけだ。
何事も「自分の心地よいペース」で取り組めば良いのです。「他人は他人、自分は自分」です。周りと比べるのを辞めましょう。「自分自身」の道を切り拓こう!もし、あなたが周りの影響を受けたり、自分を見失いそうになった時は、「自分に優しくすること」を心がけて見てください。「自分は自分でいいんです」。僕も「周りと自分を比べること」はあります。昔はもっと周りと自分を比べていたと思います。周りはできるのに、なぜ自分だけできないのか、「絶望」していた時期もありました。しかし、「周りと自分を比べ
ヒトを動かしている心は二つある・・・と僕は考えます。自分自身を振り返っても周囲の大人や、子どもを観てもこれはそうだと自信をもって言えます。それは快か?不快か??一見どのように複雑な心理現象であっても、因子を細かく分析し尽くせば快か?不快か??に行きつきます。これは四書五経の筆頭「易経」にも説かれる根本原理「陰陽二元論」に通じるものです。
ここ数日、自分の心と向き合いながら、「戦争ってこうやって起こるんだなあ」と、しみじみ感じている。「私は正しい」「相手はまちがっている」「かわいそうな私」「悪いアイツ」この二元論で世界を見ているかぎり、世界平和は実現しない。「これからどうする?」この問いに立ってはじめて、世界はより良い方向へと変わっていく。勿論、より悪い方向へ変わることだってある。戦争は、悪い方向に変わったかたち。だけど、私は戦争はしたくない。より良い方向に向けて、「これからどうする?」を考えてい
死後も人の魂は残る?死は人生の総決算?科学、哲学、宗教でどう捉えられてきたかというと…宗教学者が説く<教養としての死生観>中村圭志によるストーリー•9時間2024.10.21「死んだらどうなるのか」「天国はあるのか」。古来から私たちは、死や来世、不老長寿を語りついできました。謎に迫る大きな鍵になるのが「宗教」です。日本やギリシアの神話、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から、仏教、ヒンドゥー教、そして儒教、神道まで。死をめぐる諸宗教の神話・教え・思想を歴史的に通覧した、宗教学
《パートナーです》衆◯◯選◯が繰り広げられていますが…この選◯は分離意識を促(うなが)し善悪、良い悪いの二元論のイメージを植え付けるイベントとも言えます。YouTubeやテレビや新聞などの情報に巻き込まれそうになったら…それを逆手に取るやり方になりますが感情を出せたことを讃嘆してください!何かの情報を聞いてご自分から出てくる(湧いてくる)感情や何かの気持ち…何かを思ったり何かを考えるとか様々な気持ちや思うこと怒りなども出ましたらあなたの
宇宙の法則を信頼し意識が現実を創造するを選択して生きている人がどんどん増えてきて本当にそういう時代になっていくじゃなくて既にもうそういう時代になってきたなって実感して嬉しい裕璃果です♪私たちが昭和から生きてきた良い悪いのジャッジの世界苦しかったもんね。良い悪い2元ではない世界多様性の世界と、いいつつあれれれ?なぜか、思いっきり二元論にハマっている方時々お見受け致します。いいんですよ、それも。ま
闇と光の関係を人は良く見間違える。二つが二元論的に存在し、片方がもう片方と競っているような感覚を持っている人がたくさんいる。しかし、実際は異なるのである。闇は光の前では、消え去るしかないのである。電気がつけば暗闇が照らされるように、完全にして、光は闇を制するのである。
これまで自分を支えて生かしていてくれたその信念本当にそうか?そうじゃないなんてことはあり得ない‼️え?そうじゃないということもある…?いやいや‼️だってそうすることで生き延びてきたんだよ?!え、そうしなくてもよかった???間違ってた?正解信者の二元論的判断切ないくらいに正解以外は間違いと少しのブレも赦さず自分を型に嵌めて自分を生かすと信じる正解にこだわり小さな違和感を感じてもそうするしかないんだと確信を強めて間違いを犯さないよ
アドラー心理学では、人間にとって最も大切な価値観として他者との協調性をあげており、その感覚を「共同体感覚」と表しています。超訳アドラーの言葉(ディスカヴァークラシック文庫シリーズ)(エッセンシャル版ディスカヴァークラシック文庫シリーズ)Amazon(アマゾン)以下は、↑本からの引用です。『共同体にとって重要なのは、ほどほどの従順と適応性であり、協力し、他者を助けることの出来る能力だ。他者より優れているという主導権を誇示することではない。』私は、この本で
少し前まで、菅田将暉が出演しているこんなUSJのCMが流れていた。インタビュアー「それって、ゾンビの仮装ですか?」菅田将暉「いえ、退屈な毎日を死んだように生きるただの現代人です」この後、菅田将暉、踊りながら、「マジ今、生きてる」と絶叫。このCMをはじめて観た時、私は、こう感じた。「現代人の多くが抱えている問題を、ユーモアを交えながら描きつつ、突かれると痛いところをチクリと刺している点で、秀逸なCMだな」と…ここまでは、かつて広告業界でコピーライターとして働いていた
「二元論」の思考を手放そう。「二元論」とは、「良い」か「悪い」か、「善」か「悪」か、「勝ち」「負け」などの2つに分類することです。物事の摂理は「グラデーション」であり、「無限の色」が広がっています。「陰」と「陽」が混ざり合っているのが、物事の摂理なのです。「白」と「黒」の間には「無限の色」が存在しており、「グラデーション」になっています。人の数だけ、道があるように、価値観は人それぞれです。「二元論」で物事の摂理を片づけることはできないのです。「損得勘定」も「二元論」になりま