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○2024年3月1日、河北省承徳市の避暑山荘を見学した。この日は北京から承徳まで新幹線でやって来ての見物だったから、結構、ハードなスケジュールだった。昼食を取ったのが午後2時過ぎだった。○夕方、承徳市街を散策した。折角、承徳まで来たのである。街くらい、歩いてみたかった。承徳市の町の中心には、ロータリーの中に、康熙大帝像が建っていた。やはり、康熙帝が承徳市の英雄であることは、間違いない。○ぐるりと、承徳市街を周回して、宿泊先である山荘賓館に帰り着いたのは午後6時過ぎだった。昼食が遅かったので、
北京雍和宮へここは清5代・雍正帝の王府だった場所で、6代乾隆帝が生まれた場所です。北京最大のチベット仏教の寺院になっています。雍正帝の即位前は「雍王府」と呼ばれていました。漢、蔵、満、モンゴルの特色を融合させた寺院といわれています。入り口で入場券を買って入ります。お線香は無料でもらえます。雍和宮含めて、雍和宮站の周りの土地の気、私はすごく好きで滞在中3日も足が自然にむきました。レストラン2回、雍和宮1回です。北京に来ることができたことへの感謝、世界が穏やかな日常を保てますように…また
北京円明園へこちらは頤和園のお隣です。でもお隣と言ったって、ここは北京…日本の感覚で隣なんて思っていたら大変なことになりそう…事前に調べたら,園内で舟があることがわかったので利用しました。まずは入場チケットを買います。舟のチケットは船乗り場で買いました。私たちは、アリペイとWeChatペイを最新の情報をチェックしてから事前に日本のクレカ登録をして、一旦使えるようになっていたのですが、現地で使えたり使えなかったりしたので、ほぼ現金を使いました。北京は初めて来たので比べても仕方ないかもです
故宮⑥中国三大九龍壁の一つ皇極門の向かい側にある九龍壁あとの二つは山西省大同と北京の北海公園にあります。9という数字は最大陽数で「九」と「久」は音がJiǔとjiǔで調和します。永久の繁栄を意味し縁起がよいとされています。九龍は皇帝の象徴です。この白龍は瑠璃瓦が落ちてしまい、急遽木材で直して罪に問われなかったそうです。直した職人は報酬をもらい逃げたそう。見つかっていたら大変だものね。皇帝しか使ってはいけない五爪の龍です。こちらは北京故宮から香港故宮へ貸し出しされている皇帝の龍袍(りゅ
故宮博物院⑤螽斯門zhōngsīmén螽斯はキリギリスのことで子孫繁栄の意味があります。台北故宮博物院の大人気スター「翠玉白菜」にもこの螽斯(キリギリス)といなごが止まっています。翠玉白菜斜め上からのショット!台湾の故宮博物院南院に貸し出しされていたときの写真です。白い白菜は純潔、たくさん卵を産む虫は多産の寓意がこめられていて、光緒帝に嫁いだ側妃・瑾妃(きんぴ)の寝宮(永和宮)で発見されました。虫と寵(寵愛)の音は調和します(chóngとchǒng)瑾妃(きんぴ)はお姉さんで
○2024年3月1日に、「北京漫歩」旅で、中国河北省承徳市の避暑山荘を訪れた。今回の旅行の目的の一つに、『中国四大名園』の制覇があった。ちなみに、『中国四大名園』は、次のものを指す。拙政园江苏省苏州市颐和园北京市海淀区避暑山庄河北省承德市留园江苏省苏州市○昨年9月に、蘇州を訪れ、拙政園と留園を見学した。その際、中国庭園と言うものが甚だ気になった。中国庭園には、中国文化の粋が見られる。少なくとも、当古代文化研究所は、そのように感じた。それで、せっかくなら、
北京故宮博物院②南にある午門から紫禁城に入りました。外側からみると、正面に3つの門が並び、東西の脇門は中で「くの字」に曲がっていて、紫禁城内側から振り返ると5つの門が横並びになっていました。5つの門の前にはそれぞれ橋がかかっています。河には魚が泳いでいました。水は西の玉泉山を源に流れてきていたので五行で西をあらわす「金」から、この河は「金水河」といわれました。橋の上には火(南)ここには二十四節気から24本の線が刻まれています。紫禁城は木造建築なので金水河がくねくねしていたり、河の近くに
○2024年3月1日に、河北省承徳市の避暑山荘を訪れた。最初、麗正門から入場するか、徳匯門から入るべきか、迷った。しかし、避暑山荘のメインは、あくまで宮殿区だろうと、勝手に判断して、麗正門から入った。○ところが、多くの人は、徳匯門から入場しているみたいだった。インターネット検索すると、次のページがヒットした。【承德】避暑山庄皇恩浩荡丽正门,避暑山庄九座城门之一,是正宫的入口,也是避暑山庄的正门。是乾隆三十六景第一景。门额上镌“丽正门”三字,用满、藏、汉、维、蒙五种文字书写,汉
○前回、ブログ『承德避暑山庄:冷香亭』を案内したが、その東隣に位置するのが『承德避暑山庄:月色江声』になる。冷香亭の名が、乾隆以唐代王建的《野菊》诗:“晚艳出荒篱,冷香著秋水”之意境,御题匾额“冷香亭”。からであるのに対し、月色江声の名は、其意取自宋代大文学家苏东坡的《前赤壁赋》、《后赤壁赋》:“月出于东山之上,徘徊于斗牛之间,白露横江,水光接天”,“江流有声,断崖千尺,山高月小,水落石出”。に拠るものであるとされる。○この承徳避暑山荘が中国各地の名所旧跡をそのまま写して
○前回も案内したように、避暑山荘の宮殿区は、南から次の九重からなることが判る。1)麗正門(南)2)午門3)閲射門(内午門)4)澹泊敬誠殿5)四知書屋6)十九間照房(万歳照房)7)煙波致爽殿8)雲山勝地楼9)岫雲門(北)○その避暑山荘の宮殿区を麗正門から入って、岫雲門まで行った。そのまま北へ抜ければ、湖泊区の方へ出るのだが、松鶴斋が気になったので、引き返して、松鶴斋を見ることとした。○ただ、現在、松鶴斋は見学はできないようで、閉まっていた。
○昨日、ブログ『澹泊敬誠殿』を書いて、「澹泊敬誠」なる言葉が気になった。それで、手元にある岩波文庫「易経」上下巻をいくら探しても、不煩不擾、澹泊不失。の文言が出てこないのである。○それでインターネット検索でいろいろとさがしたところ、次のページがヒットした。經學通論論變易不易皆易之大義《易緯·乾鑿度》云:易一名而含三義,所謂易也,變易也,不易也。又云,易者,其德也。光明四通,簡易立節,天以爛明,日月星辰,布設張列,通精無門,藏神無穴,不煩不擾,澹泊不失,此其
○2024年3月1日、河北省承徳市の避暑山荘を訪れた。最初に、宮殿区に行き、麗正門をくぐって、内午門から澹泊敬誠殿、四知書屋殿へと進んで行った。だからと言って、建物そのものは、それ程、豪華なものではない。○それはここが清朝の避暑山荘だからではないか。北京の故宮博物院とは雲泥の差がある。ただ、今回、初めて訪れてみて、その規模の広大さに、驚き呆れた。それももう避暑山荘のレベルでは無い。みはるかす先までが避暑山荘だと言うのだから。○避暑山荘の宮殿区のみを歩いて、承徳の避暑山荘と言うものは、一日二日
○2024年3月1日、河北省承徳市の避暑山荘を訪れた。麗正門をくぐった先に、避暑山荘及び周囲寺廟景区案内図と避暑山荘及び周囲寺廟簡介があって、それには次のように紹介してあった。避暑山荘及び周辺寺廟紹介避暑山荘と周辺の寺院は1703~1792年に建てられた。康熙、雍正、乾隆の三朝を通じて89年間の年月を経て完成し、それらは清朝の皇帝のための避暑地であると同時に、政務を行い、仏教の修行をし、他民族と懐柔しつつ国境を固め備える夏の離宮として、そして皇族の寺廟群で
今年の清明節は4月4日清明節は、ご先祖様を祀りお墓参りに行く日とされていて、寒食節も含めて三連休で多くの方が帰省される予定だったとおもいます。ちょうど昨年は台湾滞在中で、義父のご先祖様のお墓参りをしに台中のお寺に行っていました。前日は大々的に準備をされていたので、台湾の地震の被害が拡がらないことを祈っています。お茶関係者にも清明節は大切な日です。お茶をあらわす言葉に以前は春分から清明節の前に摘まれたお茶を「明前茶」とされ最近は気候変動で春分より前に採摘されることもありますが高価な
B115【清朝六代皇帝・乾隆帝との歓談】0929100922<乾隆帝との歓談>2022年9月29日談10月9日公開阿山>テレビで見て紫禁城の中の建物が凄かったのでどんな人かなと思って巫女>この人の中に入ってくるのは華々しい何か華やかなイメージとそう見せたかったんでしょうね象徴となるようなイメージを持っています。ただ何か目覚めとともにいわゆるコントロールというか政治的な背景没落するんですよね人々が象徴となる人って崇めるんだけれども
さらに伝説の義経を追う。『蝦夷志』は、日本最初の本格的な蝦夷地の地誌で新井白石(1657〜1725)が1720(享保5)年に作成したものだ。白石はこの書に、アイヌ人が義経をまつり、これをオキクルミと呼んで神として崇めていると書いている。彼はこの書にもうひとつ重要なことを書き残している。蝦夷地の西部の地名に弁慶岬というのがある。一説によると、義経はここから北海を越えて去った。彼はどこへ去ったのか。伝説の義経が、蝦夷地から大陸にわたるルートは3つの説があるという。まず、日本海側の
おそらく蘇州の人々の繊細さは非常に控えめで、華やかではなく、妖艶でもない。爽やかでエレガント、ピュアでナチュラル。今見ると、蘇州で最も保存状態の良い通りは緑豊かで、白い壁と黒い軒があり気候はさわやか。20年前、私は蘇州の街頭で「江南の春は2杯のお茶から始まる」という広告スローガンを見た。的を得ている。2015年の夏、イベントでとある場所に行った。ある先生はとても熱心で、イベントが終わった後、潮州のシーフードを食べるために大きなレストランに招待してくれた
沈復と彼の友人は、花を見て、飲みに行くことを考え冷えた酒と冷えたつまみを入れた食品ボックスを持って行ったが全く楽しくなかった。ある人は、飲むために近くの場所を見つけるか、または花を見てから戻って来るのが良いだろうと提案したが、暖かい酒とあたたかいつまみと花見ほどは楽しいものはない。芸娘はいいことを思い付いた:彼女は市場で饂飩を売っている、竿で抱えたその人はすべてを揃えていた。ワンタン屋を雇うことで、熱い酒と食べ物が揃う。そして、土鍋を持って行き、お茶を沸かす
沈復はのちにこう書いている。芸娘は毎日ご飯を食べる時に必ずお粥を食べる。また豆腐麴(豆腐に麹をつけて塩水で発酵させた食品)も好きで一緒に食べる。蘇州ではこれを臭豆腐と呼ぶのが習慣になっておりまた、エビの醤油漬けも好きで食べる。ー今我々が食べているヒョウタン漬けはこれに似ている。蘇州の人々は食べることだけでなく美食や食器、美しい景色、美しい人についても好んで楽しむ。そのため『浮生六記』で沈復と芸娘はどうすれば食事を優雅にするかの研究を重ねた。夏
食べることについて。沈復と妻の芸娘は当初、お粥が縁で結婚した。夜中に沈復が空腹で、食べ物を探していた。老侍女はナツメの砂糖漬けを食べさせるも沈復は甘すぎると嫌がった。この細かい描写がとても面白い。蘇州、無錫、常州の庶民、とりわけ高齢者は甘いものが好きだが経済状況がよいと薄味を好む。芸娘は暗い中、沈復の袖をひっぱり自分の部屋までついてきてくれるように促した。:なんと、そこには温かいお粥とおかずが用意されていた。ここ、江南ではお粥を食べるのが習慣のよ
沈復はとりわけ名声もないが、才能も一流ではない。書籍の中で常に優れた詩と優雅さをひけらかしているが性格的には典型的な江南市民である。とても活発で、友達を作ることが好き音、美しい景色とその他目を楽しませるものすべてを愛している。彼の日々が優雅だったのはその理由として、そのときの蘇州は本を読んだことのある多くの市民が基本的にこのような感じだったからであり言い換えると蘇州の平均的な優雅さのレベルがとても高いものだったということである。沈復の多くの作品は彼が想像
2024年1月18日“ハッピー龍イヤー~~絵画・工芸の龍を楽しむ~”(静嘉堂文庫美術館)あまり期待せずに行った割には、けっこうな時間をかけて拝んできました。それにしても岩崎家のお宝ってどれだけあるんだよ。無尽蔵か。◆【摩尼宝珠図】(部分)鎌倉時代14世紀龍王の頭から出た宝珠3つが楼閣の中に。左右の龍がそれを奉っている◆褐釉絞胎龍耳瓶唐時代8世紀◆紺地龍”寿山福海”模様刺繍帳(部分)清時代19世紀皇帝の象徴・五爪龍とともに吉祥の意
六扇門をなんとなく見ています。2015年3月から6月の制作のドラマ今をときめく中国俳優・ディリラバのブレイク前の姿を堪能できる、朝廷ミステリードラマ『六扇門(りくせんもん)』謎と陰謀渦巻く事件を追うアクション満載の時代劇『六扇門(りくせんもん)』が、2024年1月2日よりBS11で無料放送される。中国で絶大な人気を誇る女優・ディリラバのブレイク前の出演作としても知られる本作品の見どころを紹介する。www.oricon.co.jp【BS11:ドラマ】六扇門放送時間:毎週月~木曜日午前
ジブリ映画「君たちはどう生きるか」字幕版(SUBBED)を観てきました。シドニーで字幕版は、オリジナルって事だから邦画の場合,日本語!字幕が英語ね!吹き替えもあってその場合は,音声は英語になってる。私は洋画の場合もオリジナル音声の字幕版で観たい。ジブリもGODZILLAも、オリジナル音声をオージーの人もたくさん観に来ていてきっと同じ気持ちかな?ジブリはところどころ、笑い声が湧いていたよ。でもオーストラリアは日本語話せる人が結構いるので理解している人も中にはいるはず!長男
「今日头条」の头条热榜(ヘッドラインホットリスト)2024年1月12日午前7時45分(日本時間)8位:16岁中医少女走红爸爸电话被打爆中医(漢方)の16歳少女が人気者に、父親の携帯にひっきりなしに電話がかかる🔶16岁“中医少女”,2岁学针灸,蒙眼辨200味中药,祖上为乾隆御医(2024-01-1122:07·风吟聊斋)2歳で鍼灸を学び、目隠しをして200種類の漢方薬を見極めた16歳の「中医少女」先祖は乾隆帝の医師だった。山東省出身の16歳の「中医学少女」黄琪
12月24日追加のりのりで楽しすぎる富察皇后役。チンランさん延禧攻略幕後花絮富察皇后反差萌!!【延禧攻略】幕後花絮富察皇后反差萌!!❤❤延禧攻略今晚皇后秦嵐就係時候要攞飯盒😭😭!今晚小編實睇到喊曬口😢😢!!一於睇返幕後花絮,睇下佢戲外超搞怪一面!俾小編睇下開心下🙈,先再睇佢今晚集超慘情延禧攻略啦😭😭!!bigbigchannel仲有好多獨家延禧攻略幕後花絮!!快啲上bigbigc...youtu.be富察皇后。。これ投身シーン前の衣装😂【一途な愛を貫く御前侍衛富
ブログを見ていただきありがとうございます♪台湾の嘉義にある故宮博物院南部院区では台北故宮より展示も展示室もこじんまりしていたので丸一日で(南院は10:00オープン17:00まででした)充分にゆっくりと、気に入った文物は二度鑑賞する余裕もありました。見応えのある景泰藍展も、前回たっぷり時間をかけて観たので16時くらいには博物院をあとにしました。今回南院で、特に印象に残ったのはいくつかの絵画でした。↑最初の絵画は清代宮廷画家・郎世寧(1688-1766)の「百駿圖」巻(イタ
ブログをみていただきありがとうございます。台湾の故宮博物院南部院区へ景泰藍(けいたいらん)を観に行ってきました!南院は台北から新幹線(高鉄)で行く嘉義にあります。胴胎掐糸琺瑯(どうたいこうしほうろう)といい、日本では「中国七宝」とも呼ばれています4月にも行ったのですが、もう一度観たくて今回は図録も買ってきました!図録は重いので海外に持ち帰るのに飛行機に預ける容量の関係で少しずつ集めています♡2023年4月のときのブログ『故宮博物院南院へ②景泰藍』故宮博物院南院へ景泰藍
NHKBSプレミアム3:00~「紫禁城中国“最強”皇帝の秘めたる園」再放送を見ました。百聞は一見に如かずとはこのことですね。中野美代子先生の乾隆帝関連の著書を読んでいるので、映像のひとつひとつが明確なイメージを与えてくれます。普段、一般人は入れない場所も見せてもらえるのはさすがNHKです。皇帝だけの劇場、中国の伝統絵画とは一線を画す西洋画風の陰影のある絵画、その大方を描いた郎世寧(イエズス会士:ジュゼッペ・カスティリオーネ1688~1766)など数々のドラマのもとになっている清朝
中国名園紀行で昨年、台北の国立故宮博物院で企画されていた避暑山荘について拝見しました。毎年皇帝が5〜9月に紫禁城から政治の場所を移し過ごしていた紫禁城から280キロ離れた山荘です。ドラマにもよく出てくるので15分の番組でしたがすごくわかりやすくてよかったです。熱河(温泉)も湧いたそうです。中国四大名園のひとつで蒙古族やチベット族など北方諸民族の融和をはかるために建てられました。ラマ教を政治的に利用しながら、清王朝が大帝国を維持するために政治的にも文化的にも他民族